フランス、ノルマンディ海岸に位置するエトルタ地方は、断崖絶壁や奇岩が続く有名な海辺の場所。奇岩のなかでも、海にせり出したアーチ型の巨岩(象の鼻)と、そのすぐ傍らに屹立する円錐形の針岩は、エトルタの雰囲気を鮮烈に伝えている。印象派のモネをはじめ多くの画家たちが、この海辺の風景をずいぶん描いたのもうなずける。
つい先日、大きな絵画展に行く機会があり、これらの奇岩を描いた数枚の本物の絵を見た。その一枚には、針岩が海岸から離れた沖合にあった。それは私が五十年もの間、頭に描いていたイメージとどこかが違った。帰宅してからインターネットで検索すると、確かにみごとな紡錘形が沖合いに少し離れた海面からにょっきり突き出ている。
頭の中のイメージとは、小学生のころ読んだモーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパンシリーズの一冊に関するもの。このシリーズの邦題「奇巌城」という長編には、ルパンが針の岩の空洞を隠れ家として使い、麗しい女性もろとも、盗んだ財宝を隠していたことが語られていた。登場人物の少年探偵イジドールや物語のスリリングな印象は今でも完全に色あせてはいない。
私の違和感とはきっと次のようなことなのだと思う。
針岩が沖にあるとすると、その針岩へ行くには、船かいかだか、乗り物を用意しなくてはならない。船着場とか船小屋が必要だ。船に乗ったにしても、海岸から針岩まで時間がかかり目立ってしようがない。例のしつこい警官、ガニマールに捕まってしまうじゃないか。
私は、視力の衰えた目を皿にして、インターネットの写真を見続けること五分、海岸の水がいくぶん干上がり、飛び石のような岩が針岩の方へ続いているような写真を発見した。すると干潮には、モン・サンミシェルのように歩いて渡れるのだろうか。
モン・サンミシェルと言えば、デュマの邦題「ダルタニアン物語」の中で、フランス王国の転覆を狙う一味が修道院と偽って要塞を建設したとされていることを、私はかれこれ三十年前から知っている。そのことは別の機会に書いてみたい。
この絵画展には、マネ、モネ、シスレー、ルノワール、ピサロたちの印象派の絵が所狭しと並んでいたのだが、数日経ったころの私の記憶から、エトルタ海岸の絵以外、ほぼもぬけの殻になっていた。(2014.5.2)