調べてみると、その事実は一九五八年七月から十二月までの記憶の中にあった。
王子製紙の一四五日にわたるストライキがあったのは、私が小学校に入った年だ。その年の夏は気のせいか、ガスのかかる日が少なかった。年に二回、盆と正月しか煙の消えることがなかった工場の煙突は、すっきり青空に映えていた。そして、工場近くの社宅付近まで絶え間なく響いていた工場の大型機械の回転音も、静まりかえっていた。一方、父親たち工場の働き手は、落ち着かない様子で家を出たり入ったりしていた。子どもたちは、そんなことにはおかまいなく、普段どおりだいたい同い年のグループで遊んでいた。
その日は、この町にしては目が痛むくらいギラギラした日差しにおおわれていた。遊び仲間といっしょに、線路向こうの山手町という住所の小さな店の前にさしかかったとき、一人が、店の前につながれたやせこけた犬を指さして言った。
「お前の親父、あれだもんな」
私の反応が要領を得なかったのだろう。その子はさらに言った。
「犬だよ、犬」
私はやっと合点がいった。
工場の労働組合は、まさに分裂の最中にあった。これまでの組合は、通称、王労と呼ばれ、泣く子も大人も黙らせるほどの力があった。思うに任せない組合に業を煮やした会社側は、王労の組合員に様々な圧力をかけ切り崩しを図った。こうして新たに作られた第二組合の新労が勢力を伸ばしつつあった。なにしろ新労組合員はロックアウトされた工場に入り、仕事ができたのだ。
ついに王労が会社側に譲歩しストを中止した翌日、組合幹部が工場の入り口にある小さな見張り小屋の横を通り抜けようとして、警備員に入場を阻止された。私は今でも、その日の夕方に配布された地元新聞の一面の写真をありありと思い出す。その人は顔見知りのおじさんで、戦争の後遺症のためか脚を引きずっていた。(2016.6.7)