黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

カラオケぎらい

2020年05月06日 17時53分26秒 | ファンタジー
 昨晩、自分がカラオケを歌っている夢を見た。どんな歌かというと、70年代前半にリリースされた、小椋佳の「白い一日」(井上陽水作曲)。夢の私は、旋律の細部にまで気持ちを込めていねいに歌いあげていた。
 私が20歳代のころ、街の大半のスナックなどはカラオケの音響設備をまだ持っていなかった。居酒屋での飲み会はもちろんのこと、大勢で部屋を貸し切って、新・忘年会、送別・歓迎会を催すときも、場を盛り上げるのは罰ゲームのような、かくし芸大会だった。各人は、歌でも踊りでも手品でも、何でもいいから手持ちの芸を2つや3つ身に着けておく必要があった。
 私が最初に覚えたのは、テレビ番組の天気予報に流れていたコマーシャルソング、ヤン坊マー坊の替え歌。その後、訓練を重ね、ビール瓶や一升瓶を持って踊ったり、春歌もいくつか覚えた。今ではテレビに芸人が出ずっぱりになったからなのか、宴会で素人芸はまったく披露されなくなった。ちょっと寂しい。
 私の場合、カラオケを始めてかれこれ40年になるが、自分が歌うことも他人の歌を聴くことも好きではない。宴の終わりのころ、いやいやながら1,2曲歌うタイプ。ところが、たまに羞恥心のタガが外れ、のめり込んで歌うことがある。そんなとき、自分のことをなかなか上手な歌い手だと思うことにしている。
 ところで、この「白い一日」の歌詞に、「真っ白な陶磁器」というフレーズがある。その歌が発表されたころ、同じ下宿にいた東北出身の後輩が、物柔らかな口調で自説を主張するのを今でも鮮明に思い出す。陶磁器とは陶器と磁器という焼き物の種類を表すのであって、1個の陶磁器を表現するのは誤用だ、と。この歌は、実際に小椋佳が自身の恋人のことを歌ったらしいので、目の前に二つの器があるのはまずいのだ。とすれば、後輩の指摘はまったく当を得ていたことになる。
 下宿を引き払ったあと、彼とは一度だけ彼の故郷で再会した。蔵王のふもとの温泉に二人で泊って遅くまで話し込んだ。そのとき、彼が心臓に不治の病を抱えていることを知った。数年後、年賀状が届かない年があった。しばらくして、彼に代わって、ご両親から別れを知らせるはがきが来た。(2020.5.6)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする