コロナがやって来てから、私は、寝る前の時間を読書に振り向ける習慣がついた。それまでの夜時間は、テレビのニュース番組視聴と、節度ある飲酒に当てられていた。ところが、コロナによって占拠された町の人々やニュースに登場する面々が右往左往するテレビ画面を見続けることに嫌気がさして、これ幸いに未読の本を読むことにした。
昨年1年間は、河出版世界文学全集「須賀敦子集」をメインに、古代史関係や古墳物などを読んだ。今年に入ってからは、大学の選択科目の予習のため、瀬川拓郎「アイヌ学入門」「縄文の思想」、中川裕「アイヌ文化で読み解くゴールデンカムイ」「アイヌユカㇻ・虎杖(いたどり)丸の曲を読む」、本田優子ほか編「アイヌのクマ送りの世界」、伊福部宗夫「沙流アイヌの熊祭」などのアイヌ学を中心に読んできた。
ちょっと飽きたかなと思い、本棚に無造作に突っ込んであった本をランダムに引っ張り出して、加藤陽子「それでも、日本人は戦争を選んだ」、ソナーリ・デラニヤガラ「波」、カルロ・ロヴェッリ「時間は存在しない」、花崎皋平「静かな大地」、バオ・ニン「戦争の悲しみ」などを開いたが、いずれも数ページから十数ページで挫折。私の鈍な感性をもってしても、寝る前に読む本ではないということか。
ふと、須賀敦子全集を第1巻から読んでみたいという衝動に駆られたが何とか踏みとどまった。そして、ずっと先の老後の楽しみのためにとっておこうと思っていた、須賀訳のナタリア・ギンズブルグ「ある家族の会話」を思わず手にしたのだ。一気に読んでしまったらどうしようとか、はたして眠れるのだろうかとか、毎晩、不安にさいなまれることにならなければいいのだが。(2021.5.4)