先日出札(札幌行き)したとき、「風土記の世界」(三浦佑之著 岩波新書)と「越境する出雲学」(岡本雅享著 筑摩選書)を購入し、さっそく風土記の方から読み出した。
三浦氏はなかなか勇ましい方だ。古事記は律令国家成立前のいわば神話・伝承を集成した記録、一方、日本書紀とは律令制制定に伴って国家権力の正当性を証明する史書として役目を果たすもの。まったく制作意図の異なるこれら二書に関して、研究者たちが記紀などと一つにくくってしまう鈍感さに苦言を呈し、さらに古事記の序を後世の偽作だと断定する。この序文に使用された漢文は格調高いのだが、古事記の真の製作理由を見失った者によって書かれたものとする。
さらに、出雲国風土記は出雲臣(国造)が編纂責任者なのだが、彼はヤマトに服属した出雲の一族の長で、屈辱的な国譲り神話を天皇の面前で披露した。つまり、この風土記は日本書紀の焼き直しにすぎないのだという。
私はそんな論調に圧倒されて、ふと気がついた。これと同じフレーズを読んだことがあると。
案の定、書棚の奥を探すと、6年前に発刊された本が同じ顔をして眠っていた。第1章までは読んだ痕跡があった。出雲や大国主、オオナムチといった名を冠した記念碑が全国各地に広がっていること、出雲がヤマト以前の旧勢力だった可能性がきわめて高いこと、出雲勢力は諏訪、北関東地方との強いつながりがあったこと、などにはかなり興味があったけれど、なぜ風土記を手に取ったのか思い出せない。
憶えているのは、そのころの私は、鳥取県の青谷上寺地遺跡から3世紀ころの累々と積み重なった戦士たちの遺骨が発掘されたとか、出雲と東北の人々のDNAがきわめて近しいといった報道に、かなり興奮していたことか。(2022.10.28)