黒猫 とのべい の冒険

身近な出来事や感じたことを登載してみました。

二泊したら帰る

2024年01月04日 20時08分45秒 | ファンタジー
 自分の感情を人前でありのままに表せたら、楽になるだろうと思うけれど、いかんせん世間体や男の体面といった古くさいものがそうすることを許さない。この数ヶ月、私は世間の目を避け、移り変わる自分の感情に身を任せて、一人きり、その日暮らしをしているようなもの。
 こんなふうにしていると、ちょっとしたことに触れて妻にまつわる思い出がよみがえったり、自分と同じような境遇に置かれた人たちのことを見聞きしたりすると、感情のたかぶりが抑えられなくなる……。自分の感受性がこんなに過敏だったかと困り果てる。
 姿が消えて4ヶ月。生前、たまに妻が不在のときは息抜きになった。互いにそう感じていたはずだ。ところが、今でも逝ってしまったことを信じられなくなる時間帯が突然やってくる。妄想が妄想でなくなる時間はかなり危険だ。
 ところで、妻は妹二人に走り書きの手紙を遺した。手紙の最後に書かれていたのは「来世また会いましょう」という言葉。
 夫あての手紙はなかった。どうしてと妻に文句を言ったら、彼女はすぐ私の夢に登場して、ニ泊したら帰る、とはっきり言った。来世会うという言葉のニュアンスとは違うが、再会を約束する意味は同じ。
 つまり来世まではたった2日間ほどのあわただしい旅路。あっという間に次の世に生まれ出て、妹たちや夫がやって来るまで待っているということか。
 仏教思想は生命の永遠性を説く。そのことを心底から理解するのは至難なのだけれど、人の生と死の間に断絶がなく、生死とは活動と休息の繰り返しだとすれば、理論的には離別した者といつか必ず再会できるのだ。
 妻が臨終のときほほ笑みを浮かべたのは、次におもむく世界をかいま見て、そのようなことがすべてわかったからに違いないと思う。
 そう信じるなら、悲しみに囚われて無駄に過ごすことなく、再会のときまで一人の時間を楽しみながら生きられるような気がしなくもない、理屈では。(2024.1.4)

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