「為」 稲村雲洞氏
昨日お邪魔した、玄同社展の模様をば。まずは主宰者、稲村雲洞氏の前衛書から。
(玄同社展関連記事は ここから←ずずいと下まで)
氏の、旬刊「新美術新聞」の21日付「すみの広場」に寄せられたことばをお借りして。
『「為」・・なす、つくる、ために、まなぶ、ならう・・など、意味は広く深い。要は実行力、
目的に即応して心身共に実践する行者的表現といえよう。 これをテーマとして文字構築の解体、
再構成、間合、余白など、動中静、静中動の気脈貫通によりそれぞれの時代の書体、書風の
経緯格調を深層にして、よりオリジナルな現代的志向性を意図した作品。』と。
そしてもう1点は、半切よりやや幅の狭い作品。行草の七言律詩。
本当は白の美しい世界だったのに、カメラの腕が悪くて・・
息の長い典雅、そして気迫と緊張感のある作品に、しばし見入る。
久々に稲村先生の作品を拝見して、やはり心が帰るところは、ここなのかなと
更に、特別展示されていた龍門蓮華洞般若心経の拓本の脇に書かれていた、
細字の般若心経も、もう何度も拝見してきたのに、一字一字の気脈に集中してしまう
11月末から銀座セントラル美術館で開催予定の米寿記念展では、
右手の不調がありながらも、3年間毎日欠かさず書かれたという般若心経 約1000点も
出品されるとのこと。そのご案内はまた後日。
そして、約40点の作品群の中から、ほんの数点ご紹介させて頂きます。
本当は、それぞれに白が美しかったのに・・申し訳ありませんです。。
左上:掘吉光氏 右上:田岡楚香氏
左中:小椋紫仙氏 右中:鈴木曄水氏
左下:高島霽龍氏 右下:河本佳泉氏
書は人なり、とは言いまするが、師の気配というのはどこかに感じるもので
はてさて、私はどんな気配があるのやら
このあと、いざ鎌倉へということで、沙音さんの個展会場の円覚寺へ。
会場の円覚寺境内の如意庵は、普段は開放されていないそうなので、
それもあわせて魅力ではないでせうか
玄関には、秋明菊が一輪、静かに待っていてくれました。
作品は沙音さんの作品。有名な李白の詩。 今月30日まで開催中の沙音さん個展のご案内はこちらから→書展情報