心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
雲のように水のように あっけらかんと自在に生きるヒントを
求めて~ by 沙於里

体温の在り処

2008-09-10 | 禅語・般若心経
                          (半紙1/3)




「掬水月在手」 みずをきくすればつきてにあり (禅語)

はるか遠くに月の輝く夜、両手の中の水に映る月を掬すれば(すくえば)、
どんな人にも(手の中には)月は訪れるんですよ という意味。

世の中は不公平だ~と考えてばかりいると、返って自分の欲が増殖しちゃうから
自分の中の「月」に心を傾けましょうぞよって感じかな。


「経験」とは「挑んだ」中にしかないって、誰かが言ってた。

いつものまんま、なんとなく情報を食べ、動かしている中での出来事は
経験とは言わないんだって、ぐんぐん進むその人は言っていた。

もっと自分の中にあるものを使って、自分の体温を確認しよう! 
そして、普段の自分の実力以上のことを目標にして越えられたときに初めて
経験が「体温」となって誰かに伝わるものなんじゃないかと・・。

オリンピックにしても、それぞれの世界で頑張ってる人の「体温」は
ぐんぐんと迫ってくるものね。

水を掬すれば月手に在り。
それぞれに持っている体温の在り処を探そうぞよって、ことかな 


コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人は日々変化してるんだなぁ 

2008-09-09 | 前衛・抽象
                         「冥想」  墨・顔彩 



今日はなんだか何も思い浮かばず。
・・ってことで、‘95 二人展のときの作品。 38×55cm位だったかな。
当時はデジカメでなくて、紙焼きの写真をスキャンしたのでぼけてる~。

この頃は、ダンボールの切れ端を使って書くことにはまってた。

当時、爆発!瞬発!とか、脂っこくて力強さを求める書の団体に所属していたから
今思うと、師からしたら、まどろっこしかったんだろうなぁ。。

公募展に出品する作品の錬成会で、始めの頃よく師に言われたことば・・
メルヘンチックすぎる、腺病質、弱いっ、ロマンはあるがエネルギーを感じない・・等々。
一度、悔しくて泣いた事がある。

でもその帰り道、これが今の私から出てくる表現なんだし、強さだけが表現じゃないなんて
偉そうに・・・ そしたら今泣いた子がもう笑った状態。

何年かして、相変わらずこんな感じの作品を書いてる私に、師からこんなお言葉を頂き。

「あんたみたいな世界もあるんだなって、最近思うことがある」

帰り道、師の懐の広さにもう有難くて・・一人で涙したなぁ。。

でも今、こんな感じのを書けって言われて、書けるかなぁ。。。

人は日々変化しているんだなぁ・・と体感中。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

迷わず Let’ s Try !

2008-09-08 | 禅語・般若心経
                          (半紙1/2)



昨日の日曜美術館は 丸木スマ・大道あやさん 母娘が紹介されていて。

母丸木スマさんは70歳を超えてから、娘の大道あやさんは60歳を過ぎてから
絵筆を持ち、二人とも画家として有名になった。

ともに不慮の事故でご主人を亡くし、生きる希望を失い、そこから独学で
絵を描き始め、再び生きる喜びを見つけたと。
絵と向き合うようになったスマさんは「もっと生きていたくなった」と話していたそう。

日本人は謙遜が美徳と思ってたり、控えめで自己表現が苦手なような気がする。
やる前から下手だからとか、恥ずかしいからとか言って、隠れてしまう。

上手とか下手とか結果を先に思い描くのではなくて、表現する過程が大事なのに

描きたいから描く、歌いたいから歌う、踊りたいから踊る、登りたいから登る、
そのスタート地点に立てるか、立てないか・・なのかなって思う。
表現していく中で、素直な心が見つかると、きっとなんでも楽しいのだ~

そう! 自分に嘘はつかないで、飾らないで、恥ずかしがらないで。
そうすると、ただ無心に自分を楽しみたくなってくるのだ~♪


今日のお題:「回光返照」 これまた禅語だけど。
外にばかり、他人にばかり心を奪われているのではなく、自分の内側に光を当てて
純粋な魂を探そうぞよ~というような意味。

なんでもいいから、ちょっとでも興味を持てたら、迷わず Let's Try ! なのだ~
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変わらないものと変わっていくもの

2008-09-07 | つれづれ
                        「どんぐりころころ」(半紙1/3×3)



ふと、童謡が書きたくなって。
2番があるなんて・・忘れてた・・っていうか知らなかった。。ご存じ?

  どんぐりころころ よろこんで
  しばらく一緒に あそんだが
  やっぱりお山が 恋しいと
  泣いてはどじょうを こまらせた

で、原曲には3番はないらしいのですが、作者不詳のこんな続きが。

  どんぐりころころ ないてたら
  なかよしこりすが とんできて
  おちばにくるんで おんぶして
  いそいでおやまに つれてった    とか、

  どんぐりころころ ないてたら
  やさしいハトさん とんできて
  やままでおくって くれました
  どんぐりおれいを いいました    とか。

改めて歌詞を読むと、なんとも愛らしい。。

子供の頃、誰もが一度は歌ったことのあるこの歌も、
大人になるとどこかへしまっちゃう。

歌はずっとそこにあるのに。
でも時は流れ、時代も変わるから、それはそれでありなわけで。

ただ、変わらないものと変わっていくもの、その両方を心に持っていたいなぁって

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

盲目はエナジー

2008-09-06 | 禅語・般若心経
                          (半懐紙1/2)



書でも音楽でも、絵でもスポーツでも、何か興味のあるものありますか?
そしてその世界で好きな、あるいは尊敬する人はいますか?

どんな世界にもそこには「歴史」があり、その中でひとつの答えを出した
偉大なる先駆者がいるわけで。

私たちは彼らの「仕事」や「情熱」「社会に与える影響力」といったものに
心を動かされ、惚れ込むところからスタートするんだと思う。

臨書もつまりは、この書風が好き!っていうとことから始まるのが自然。
でも多くは、先生から与えられた筆者の名前も読めない古典を、右から左へ
写してはい終わり・・ってのはよくある話。

ちが~うのだ。それは順番が違う 

与えられたものから始める人と、これがやりたい!って思って始める人とでは
スタート地点に立った時点で、取り組み方も吸収力も全然違うんだと思う。

どんな世界でも、好きだ!って思えたら、どんどん知りたくなって
盲目のもぐらが穴を掘るみたいに、掘り続けられるし、それが自然なわけで

まずは惚れた!って思える人なり作品なりを見つけて信じることが大切なのかも。
若かりし頃、恋だって盲目だったでしょ? 
盲目はエナジーなり 


今日のお題は「自灯明」(じとうみょう) これまた禅語。

何を学ぶか、何を選び何を信じるべきかと迷ったときは、自分自身を灯明と思って
進めばよいのじゃよという、ありがた~いお釈迦さまのおことば。

中途半端な依頼心を捨てて、自分と、好き!って思えるものを心の寄り処にして・・
いざゆか~ん 

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

形じゃないんだ・・心なんだ。

2008-09-05 | 木簡

                        「始制文字」 (半紙) 



昨日の書道教室で書いた千字文の臨書・・っていうより創作かな

今、何人かが一緒に勉強しているのは、集漢簡千字文。
木簡の文字を寄せ集めて千字文にしたもの。

ほぼ同時にスタートしたので、同じところを臨書している人もいるんだけど
それぞれの好みや個性に合わせて、参考作品を書いてる。
力強くとか、優雅にとか、たおやかにとか。

これは細身で瀟洒な感じがお好きなMさんをイメージして書いてみた。

私は一人で臨書をしているよりも、誰かを思って臨書すると
あれこれ創作のイメージが膨らんでくる。

同じ4文字を、じゃ次はたくましく!とか、寂しく・・とかお題を与えられると
ルンルンと書きたくなって止まらなくなる。

先日の 新日曜美術館で蘭亭序の解説で、石川九陽先生がこんなことを。

「文章(ことば)の影を表現するのが書なんだ。
 そう、ことばにしきれなかった影を映すのが書なんだ」

うう~ん。すごく納得 

ただ文字の形だけをいくら追っていても、感激も痛みも生じない。
1つ1つの文字にも、それを組み合わせてできた文や詩には意味があるわけで。

でも見る側の感じ方は人それぞれで、思うように伝わらないこともある。
だから書は、その手助けをするというわけ。

そんな風に感じられたら、臨書への向かい方も違ってくるような気がする。

書は、形じゃないんだ。
心なんだ・・って思う 


コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ムショウに楽しい!って感覚

2008-09-04 | つれづれ
                          (半紙)




この夏、朝ベランダで洗濯物を干していると、家の周辺を全速力で走る
小さな自転車をよく見かけた。

マルコメくんみたいな丸坊主の幼稚園くらいのかわいい男の子。
春頃はまだ補助輪をつけて、ガラガラ言わせながらもやっぱり走っていた。

洗濯物を干したあと、今度は花に水やりを始めると、まだ走ってる。
どうやら補助輪が取れてうれしいのか、この区画を何度も周遊していたみたい。

その顔はどこか得意気で、楽しそうで、見ている方もなんだか楽しくなってきて
彼の周遊はその後も続き、ある日声をかけてみた。

「自転車、上手になったね」
すると彼は、満面の笑みとキラキラした瞳で
「うん!ありがとう! 」って全速力で走りながら。

おっ。 いいねぇ
忘れてたよ~ このムショウに楽しい!って感覚を。

こちらこそ、ありがとね~マルコメくん! 


「つきぬける明るさこそ美学」

尊敬する大好きな芸術家、嶋本昭三さんのことば。
しばらく本棚に眠っていたけど、また読んでみよっと。

今日のオススメの1冊 

嶋本さんの著書 
芸術とは人を驚かせることである 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それ行け!おばかさん

2008-09-03 | 禅語・般若心経
                          (半紙1/2)



ここのとこ天候不順もあって、夏の疲れがちらほら。
そのせいか?・・ブログを見て下さっている方々から「ねぇ、元気?」なんて

はい! 元気ですよ~ ご心配なくう 

ただ、やさしい人の中にいると「甘え」という非自立の迷路にはまることもあって

実は、適度に緊張感のある関係というのは、心の自立を保つには大事なのかもね。
仕事でも友達同士でも、きっと夫婦でも 


ところで、今日のお題・・「無可無不可」(かもなくふかもなし) は、元々は禅語とか。

何かをするときに「これは無理」「自分には向いてないし、どうせ・・」などと
決めつけず、善し悪し、苦楽もなく、元より決めないこと。
つまり、心自由にいられたら、可能性も広がるのでは? ってな意味らしい。

スケートの高橋大輔選手が、氷上で転んでも見事滑りきったあとにこんな話を。

「自信なさそうにひっくり返るより、自信を持ってひっくり返ったら
猫だましのように減点をつけるのを忘れてしまうかもって思って。」

それ、賛成! 

そうそう、思い出した! 
私の人生のモットーは「お馬鹿は世界を救う!」だった!

それ行け!おばかさ~ん!
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

当たり前のことを

2008-09-02 | 禅語・般若心経
                          (和紙はがき)



禅語の「眼横鼻直」 がんのうびちょく

読んで字のごとく、眼は横に並んでいて、鼻は縦についているという意味。
つまり、当たり前のことを当たり前に、あるがままに受け入れようとする心のこと。

昨日、久々に楽しみにしていた映画の途中で、突然、福田総理の辞意表明発表会見。
なぬ~ なして今? (・・って、映画の途中でって意味も多少

この夏はオリンピックもあって、国民は日常を忘れがちだった間に、政局は嵐の前の
静けさだなって思っていたら、ふつふつとそんなことになっていたとは

国ってなんだろう・・って最近つくづく。

総理であろうが、一庶民であろうが、この地球の中で生かされている者同士、
眼横鼻直、一人一人が当たり前のことを当たり前に思えたら、
それこそ誰がやっても同じって安心して言えるのになぁ・・・なんて、夢のまた夢物語かぁ。

あ。でもその「当たり前」っていうのは、人それぞれってとこが・・やっかいだ

ときどき、その辺に生えている雑草になりたくなる・・


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いいなぁ やっぱり 山頭火

2008-09-01 | 山頭火・放哉・良寛
                         山頭火句 (半紙)



今日からもう九月。
涼しくなったと思っていたのに、また少し残暑が戻り。

昼間は蝉が、最後の力をふり絞ってミンミン ツクツク ジージー。
とうとう今年はカマキリには会えなかったなぁ。

でも夕方になると、赤とんぼがちらほら飛んでいる。
子供の頃の空には、赤とんぼの大群が旋回していたっけ。

「つかれた脚へとんぼとまった」

孤独な山頭火にとって、見ず知らずのとんぼが
ふと疲れた脚に止まってくれたときの気持ちを思うと、切なくもあり。
けれど、まだまだ捨てたもんじゃないなって思えたり

人は、どうしようもない苦しさや切なさや悲しさの中にいるとき
見ず知らずの人やとんぼや、ぽっかり空に浮かぶ雲や月に癒されることもあるもんさね。

ただ、自分の中に受け入れる心さえあれば

「つかれた脚へとんぼとまった」

いいなぁ。やっぱり。山頭火。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする