きのう、東京国立博物館(東博)へ行ってきました。
書きたいことが満載なのですが、それはちょいと後へ廻して、別の話題から。
去年11月30日の記事「古墳に興奮!(その7:完結編)」で、さきたま史跡の博物館に展示されていた関東の古墳地図を紹介して、
この「芝丸山古墳」のことは、いつか書きたいと思っています。
と書きました。
で、きょうのネタは「芝丸山古墳」ではなく、同じ地図に載っていたこちらでです。
上野台地の南端に、前方後円墳のマークがあります。
聞くところによると、東京文化会館の裏手に、この古墳が残っているとか。
これは実際に行ってみるしかないでしょ
東博からの帰り、東京文化会館と野球場
の間の道を南に向かって進みました。
ここでちょっと寄り道。
上野にあるこの野球場、観客席もなく、フェンスに囲まれたただのグラウンド(照明設備はある)にしか見えませんが、由緒正しき野球場なんです。
その名も、正岡子規記念球場
野球好きで有名で、野球殿堂にも入っている正岡子規を記念する野球場です。
傍らには、「春風や まりを投げたき 草の原」の句碑も建てられています。
ただ、「由緒正しき野球場」と書いたものの、子規が上野公園の空き地で野球を楽しんだことは確かなようですが、実際にこの野球場で野球に興じたわけではありません。
「上野恩賜公園正岡子規記念球場」の命名と句碑の建立は、2006年と、比較的最近のことです。
さて、上野公園の管理所の隣りに、その古墳がありました。
台東区教育委員会の案内板も、歪みながらも(後ろから突かれた?)その由来を伝えています。
この案内板の英訳、「OLD TOMB ON…」の「M」の修正跡が気になる…
それはともかく、さっそく、摺鉢山古墳の後円部に昇ってみました。
頂上は真っ平らで、下から眺めて想像したよりも広いですなぁ。
でも、これが古墳の頂上とは、ちょっと信じがたい感じです。
さっさと摺鉢山の頂上から降りて、前方部の痕跡を探してみました。
もしかして、この写真の左側が前方部の名残でしょうか?
でも、これでは言われないと古墳だとは思えませんな…
Googleマップで見ても、ただの茂みにしかみえません
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上野へお出かけの際には、騙されたと思って立ち寄ってみてください。
「上野の古墳に行ってきたぞ」と、話のネタにはなると思います。
この翌日:2011/01/12 上野の古墳の翌日は杉並の遺跡