エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

真理はいびつ

2014-09-05 13:34:52 | エリクソンの発達臨床心理


宇宙の孤独。全体主義に向かうのか、それとも、再生に賭けるか

2013-09-05 03:38:11 | エリクソンの発達臨床心理

 コペルニクスの太陽中心説(地動説)は、私どもの意識が、自己中心であることを認めてもらわなければ、始まらないことに反するところがあります。人間は、この矛盾にどう折り合いをつけていくのでしょうか?


 コペルニクスの大転換は、自分(地球)が宇宙の中心でないことを、私どもに教えます。それは文字通り、宇宙に1人放り出されたような「宇宙の孤独」を感じる時なのかもしれません。

 これに対して、優れた処方箋を出したのが、内村鑑三です。「楕円形の話」(旧『内村全集』第九巻p628-634)がそれです。

 これは、昨年度の前期にNHKの「宗教の時間」で、鈴木範久先生が「道をひらく 内村鑑三のことば」という6回シリーズのプログラムをご担当されたことがありました。そのなかで、この「楕円形の話」を伺い、さすがは、内村は鋭いと感じましたね。内村はハッキリ言いますね。「真理は曲り形のいびつ即ち楕円形であると我等は言うのである」(前掲書 p629)と言います。

 真理には二つの中心がある。「神と人」。「義と愛」。それは「地球その他の遊星の軌道は楕円形である」のと同じだと言います。

 真理は楕円形ですと、その二つの中心の間に「対話」が生まれます。この「対話」を何よりも大事にすることが、真理と民主主義の「基本の『き』」ですよね。ですから、「対話」を何よりも大事にしたいものですね。

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本物の信頼が、死んじゃう

2014-09-05 11:59:43 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 矛盾律は、≪超越≫と結びつくものらしい。

 p73下から7行目から。

 

 

 

 

 

 その反対が、西洋思想史では、真実です。人が究極的な真実を正義の思想に見出したいと願って以来、主たる強調点は思想にありました。もっとも、正しい生き方も大事だと考えられてはいました。宗教が発達する中で、この考えが、ドグマ、ドグマを創り出すための果てしない議論、「信じないもの」や異端に対する不寛容をもらたしました。さらには、「神を信じること」が、主たる宗教的態度の目的として、強調されることになりました。もちろん、このように申し上げたからと言って、正しく生きるべきだという概念がなかった、と申し上げているのではありません。しかし、そうではあっても、神を信じる人は、イキイキ、ピチピチとした神を信頼しているのじゃなくても、神を実際に生きているけれども、神を「信じる」ものではないとされた人よりも、自分の方がはるかに優れていると感じることになりました。

 

 

 

 

 ここにエリクソンの言う儀式主義が登場します。精神が死んで、文字だけ残る態度です。そうすると、ドグマを教条主義的に、形ばかり信じても、イキイキ、ピチピチした神は知らない人が、ドグマには距離を取ってはいても、イキイキ、ピチピチした神を実際に生きている、「本当に信頼するもの」(真の信仰者)よりも、優れているという、バカげた思い上がりが生まれてしまいます。

 それはエリクソンが正確に記している通り、「信頼」がすでに死に去った、偶像崇拝の登場です。

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持ち場に踏みとどまると、信頼が生まれる

2014-09-05 06:02:52 | アイデンティティの根源

 

 矛盾律は、どうやら、価値の≪超越≫と結びつくものらしい。

 p342の最後の行から。

 

 

 

 

 

 しかし、次は、歴史的事実なのか?という課題です。ここで、ノーマン・ペリンが言うことは、「こういった物語全部が歴史的事実かどうかの議論する段階にはない」ということです。彼は、「その場に踏みとどまる者(患者)、あるいは、友人の信頼を強調することは、伝統的に、歴史的事実です」ということだけは、準備ができていると言います。つまり、研究によって明らかなのは、「信頼は決して人から要求されるものじゃぁない」ということが、ラビの伝統やギリシャ文化の物語のいずれにもある、ということです。

 

 

 

 

 ノーマン・ペリンの発言が紹介されています。「その場に踏みとどまる者(患者)は、その信頼が強調された、という点です。強調されるとき、大切なのは「信頼は人から求められでできものじゃぁない」といいます。ここでは明確に描いていませんが、

 持ち場に踏みとどまると、信頼が深まります。

 

 

 

 

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