エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

マインドフルネス その2

2014-09-08 14:09:02 | エリクソンの発達臨床心理


 

人と社会を方向付ける、陽気で楽しい力

2013-09-08 06:32:08 | エリクソンの発達臨床心理 

 人間の不思議、1つの全人類を認める意識に向かう傾向がある。


  マインドフルネス。ある文献を読んでいて、それは「最深欲求に応える」ことだということがハッキリ書いてありました。

 でも、この「最深欲求」って何? それは日常性の最深部にある、といっていいでしょう。といっても、毎日を生きていただけでは、「最深欲求」には気づけない。それじゃぁ どうすればいいのかしらね? 

 ≪いまここ≫とは現在のこと。でも、≪いまここ≫をみんな生きているようで、実際に≪いまここ≫を生きることは案外難しい。過去につらい思い出があったり、そんな思い出にこだわっていることさえ気づかないで生きていたりして、≪いまここ≫を本当に味わって生きることができない場合だって、決して少ないわけじゃぁない。また、未来を上手に描くことができずに、何となく感じる不安と閉塞感のために、≪いまここ≫が分からなくなることだって、よくあることではないでしょうか?

 ≪いまここ≫を生きること、それは「最深欲求」に応えながら、生きること。それがマインドフルネスじゃないかな?

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神の発達

2014-09-08 11:16:26 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

  

 神を信頼する西洋に対して、東洋は、神と一体といることを重視します。

 p75の第2パラグラフ。

 

 

 

 

 

 私どもはここで、両親を≪大事にする≫思いと、神を≪大事にする≫思いの間に重要な類似点があることに立ち返ることができます。子どもは、自分の母親に、「あらゆることの基盤」として触り続けることができるから、一歩を踏み出すんですね。その子は、頼りなく感じたら、母親からすべてを包み込むように大事にされたいと感じます。その次に、子どもは父親を、自分の好意の新しい対象にします。その父親は、自分の考え方や振る舞い方に対する指針です。この段階では、子どもは父親に褒めてもらいたいと思うことと、父親を不快にすることは止めておこうと思うことが動機になります。この段階が十分に満ちると、子どもは、母親は自分を守ってくれる人で、父親は自分に指示する人、ということから自分自身を自由にします。すなわち、この子どもは自分自身の中に、母やる指針と父なる指針を確立します。その子は自分自身の父親、自分自身の母親になります。「自分」が父親であり、母親であるんですね。人類の歴史において、同じ発達があることが分かります(し、期待します)。はじめは、1人の母やる女神に対して寄る辺なき愛着として、神を≪大事にする≫段階から始まり、1人の父なる神に従順に従う段階を経て、神が外側にいることを止めて、「愛と義」の指針を自分自身に取り込む大人の段階に至るまで、そして、最後は、神は、詩的に、象徴的な意味でしか語りえない段階に至ります。

 

 

 

 

 神に対する姿勢は、一人の人の発達と、人類史の中の発達は同じです。進化論で言う、「個体発生は、系統発生を繰り返す」っていう、あれですね。この視点でも、フロムはエリクソンと同じなんですね。面白い。

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≪いまここ≫を生きるオリエンテーション

2014-09-08 05:52:03 | アイデンティティの根源

 

 ≪私≫がイキイキ、ピチピチするのは、≪いまここ≫にチャンスがあることに気づくこと。それがマインドフルネスでもある。

 

 

この言い伝えの限りない意味に関して、ここで一言申し上げておきたいと思います。すなわち、(≪いまここ≫にこそ、ひとりびとりの人が生かされている、という、≪命の核心≫があることを強調する)この方向性が、精神分析の歴史においても、繰り返し、物を言ったのです。これは、ヒステリー患者が自分自身の≪内なる声≫を、直に「自由連想」させることによって回復するための「作業」をするように、フロイトが支援しようと決心してくれたおかげです。この自由連想は、催眠をする代わりに、隠れた葛藤を探すものなんですね。

 

 

 

 

 

 昨日の残りの部分を翻訳しました。複雑な文型なので、残したのでした。

 ≪いまここ≫にこそ、イキイキ生きるためのカギがある。しかし、無意識裡に葛藤があると、≪いまここ≫に≪かつて≫のこと(強烈な感情を伴った記憶)が、無意識裡に、自分ではコントロールできない形で、出てきてしまいます。そこで、≪いまここ≫をイキイキ生きるためには、≪いまここ≫を生きることを邪魔する葛藤を、自由連想で引き出して、意識化することによって解決しておく必要がある、というわけですね。

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