エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

忙しくしてると失うものは? ゆったりした時間の異化

2014-09-22 14:24:24 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 エリクソンは、大人が失いがちな≪神が支配するところ≫である≪やり取りのある関係≫を子どもが「本能的に」大事にしていることをよく知っています。イエスと同様に、子どもの方が、それを忘れちゃった大人たちよりも、はるかに優れていることを知っています。私も…。

 p101の下から13行目途中から。

 

 

 

 

 

半分の時間で同じことができる機械は、古くて遅い機械よりも、2倍良い、と言うわけです。もちろん、これには、それだけの、経済価値による重要性もあります。でもね、他の多くの側面でそうであるように、人間としての価値も、経済価値に還元されちゃっていますよね。機械にとって良いんだから、人間にとっても良いに違いない、と言うわけですよね。現代人も、自分は何か大切なものをなくしているんじゃないかな、と思ってるんですね。それは、時間です。物事を素早くやるんじゃない時間です。しかし、自分が手に入れた時間で何をすりゃぁいいのか、現代人は知らないんですね。悲しいかな、暇をつぶす以外にはね。

 

 

 

 

 

 暇つぶし、パチンコ、お酒、ギャンブル、買い物、セックス、違法なハーブと薬物…。すべて依存症になるかもしれないものが多い。急いで節約した時間で、依存症では、悲しすぎますよね。

 物事をゆっくりやること、物事をじっくり味わうこと。それは贅沢なんでしょうか。翻訳なんかも、時間と手間がかかりますよ。でもね、それは「理解」と「気づき」にとっては、非常に役立つものなんですね。

 大江健三郎さんも「ゆっくり繰り返し読むこと」をリリードと言って薦めておられます。私は日々参考にさせてもらっています。それは、物事をいろんな視点で見てみる練習になるんですね。私ども臨床心理士にとって、最も大事なことは、常識や通念に縛られない視点を、柔軟に、しかも、しなやかに持つことができるかどうかなんですね。それで日々の臨床の「品質」が決まっちゃうんです。なんでも品質管理が上等な品質を保つうえで欠かせませんでしょ。ですから、本も生活そのものも、繰り返しリリードすることよって、いろんな視点を身に着けておくことが、何よりも「臨床心理士としての品質管理」にとって大事です。いろんな視点を得ることを、「異化」ってんですね。

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子どものように、教員も管理職も、天国に行けますように。

2014-09-22 13:46:41 | アイデンティティの根源

 

 真実って、生きていく上で、エッセンスですね。

 p348の第3パラグラフ。

 

 

 

 

 

 関係しそうな言い伝えを、大人の存在と言う名の境界線と関連付けるために、人生最初の時期、つまり、子どもの頃に、焦点が当たっている言い伝えに目を向けましょう。「マルコによる福音書」第10章には、弟子たちがある人たちを非難している話が出てきます。その人たちは、子どもたち(「ルカによる福音書」によれば、まだ乳飲み子だった」をイエスのところに連れてきて、イエスに「手で触ってください」と言うわけです。「イエスは腹を立てて、言いました。『その子どもたちを私のところに連れていらっしゃい。ハッキリ言っときますけどね、一人の子どもがするように、≪神様が支配するところ≫である≪やり取りのある関係≫を受け入れなければ、だぁーれも、≪神様が支配するところ≫である≪やり取りのある関係≫に入れませんよ』と。そして、イエスは、両腕で子どもたちをギュッとしてから、子どもたちが生まれてきてくれたことを感謝して、子どもたちの頭に手を置きました」(「マルコによる福音書」第10章14節~16節)。

 

 

 

 

 

 イエスは、子どもたちが≪やり取りのある関係≫に対して素直なことを百もご承知です。ですから、大人の側にその≪やり取りのある関係≫をする意識さえあれば、すぐに2人の間に≪やり取りのある関係≫が成り立ちます。

 学校でよく見かけるのが、≪やり取りのある関係≫よりも、「指導」や「授業」に囚われている教員、管理職です。ずくに「いいことを教えよう」とするから困ります。まるでイエスが叱った弟子たちのようですよ。子どもをすぐに「注意」するんですね。自分が「注意される立場」であるのも知らないで。イエスならずとも、腹が立ちますよ。でもね、私は学校現場では「弱い立場」。腹を立てずに、「≪やり取りのある関係≫を大事にしてください」、「何かを教えるよりも、子どもたちの『声なき声』に耳を傾けて」、「ピッチャーよりも、キャッチャーになってね」といいます。

 教員や管理職も、子どもたちのように「天国に行けますように」と日々祈る毎日です。

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「#貧乏だけど幸せだった」という #大竹しのぶさん #洗礼名はマリア

2014-09-22 10:34:35 | エリクソンの発達臨床心理

 


 

実用の神様 スーパー・マーケットとスーパー・アイデンティティ

2013-09-22 03:00:24 | エリクソンの発達臨床心理                                                

 アメリカ人のトラウマは、アメリカ人の生き方が「拡大」を前提としている以上、拡大が止まった時と拡大してもまとめきれない時がトラウマになるようです。いわば右肩上がりの経済を前提していた生き方が、右肩上がりのできないでいる、今の日本がトラウマになる(かもしれない)のと同様です。


 大竹しのぶさんのお話の続き。

 大竹しのぶさん、同じインタヴューの最後に、「いまも、≪本当の自分≫です」とはっきり笑顔で言ってます。「自分の心にウソをついて生きていたくないですね」と言えるためには、日々、自分自身と向き合い、自己内対話をしていなくちゃぁ、こう言えませんよね。この自己内対話こそ、「祈り」そのものなんですね。クリスチャンや仏門の方じゃなくても、「祈り」はできます。むかし、大江健三郎さんが、東京女子大学の講堂で、「信仰のないものの『祈り』」と題して、お話したことがありました。この講演は、NHKが取材し、放映しましたし、『人生の習慣』に収められていますから、いずれかをご覧になった方も、あるいはおられるかもわかりません。

 大竹しのぶさん、そのおじいさまが、吉川一水(かずみ)という、内村鑑三の弟子だと言いますから、私も驚きましたよ(2010/2/9の朝日新聞の夕刊の「人・脈・記」の、早野透さん署名入り記事「非戦と清貧 信じるままに」)。矢内原忠雄先生や、南原繁先生、三谷隆正先生、高木八尺先生、もう「先生」と呼ばずにはいられないような、数々の方々が内村鑑三門下にいますでしょ。また私自身が、その直接かかわりのあった、野村實先生、関根正雄先生を思い浮かべても、その「真実さ」には、もう頭が下がるばかりで、恐れ多いんだけれども、なぜか親しみがあり、お近づきでいたい感じがする方々。「親しくして、学びたいなぁ」と思わずにはいられない方々。

 大竹しのぶさんのお母さんが、吉川一水の娘のゑすてるさん、お父さんの大竹章雄(ふみお)さんは、吉川一水主催の聖書集会のメンバー。大竹章雄さんは、結核か何かで転地療養が必要になって、埼玉県越生に転居。しのぶさんは、そこでの小学校2年生?当時にことも話しています。学級委員でクラスのみんなに「給食費を忘れないでください」と言う立場なのに、貧乏で自分自身が給食費を「忘れていく」ような生活。でも章雄お父さんはいつも言っていたと言います。「貧乏の方が心豊かだよ」と。ゑすてるさんが働いて、学校行事には、章雄お父さんが来ていたそうです。章雄さんも学校の元教師ですから、保護者参観の時には、ご自分も机の間を歩き回り、子どもたちに教えたり、集会では、手を挙げて「諸君、覇気が足りん」などと言っていた名物おやじだったと言います。クラスの子どもたちも「あっ、また大竹の親父が来てる」なんて言われるような存在。

 貧乏暮らしでも、大竹しのぶさんご自身も「何の心配もなかった」と言います。子どもが「何の心配もない」と感じていたのは、ゑすてるさんや章雄さんが「何の心配もない」と、生活保護をもらう状況でも、確信していた証拠でしょう。現実に飲み込まれ、右往左往するのではなくて、その現実を≪超越≫する「真実」に、誠実に、忠実に、真摯に向かい合って日々を生きているからこその「確信」です。

 「あっ、」て気付きますでしょ。大竹しのぶさんにも、この「確信」があるし、お父さん、お母さんからその「確信」を受け継いでいたからこそ、大竹しのぶさんは、「貧乏だけれども幸せでした」とも、「自分の心にウソをついて生きていたくないですね」とも、サラッと言えちゃうことをね。

 皆さん、どうぞご大切にね。

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