エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

みなさ~ん、どこまで行ってます?

2014-09-11 12:22:11 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 フロムを読んでると、神様にも幼稚なのがいるのが分かって、ホント安心します。

 それでは1日飛んじゃいましたか、p76の冒頭から。

 

 

 

 

 

 イマドキの宗教では、この宗教のあらゆる側面が、すなわち、最も原初的な発達段階から、最高度まで発達した段階までが、いまだあることに気づきます。「神」という言葉は、族長という意味もあれば、「絶対無」という意味まであります。同様に、ひとりびとりの人は、自分自身の中に、自分の無意志の中に、フロイトが示してくれているように、寄る辺なき幼児期以降のすべての段階にあります。問題なのは、その人がどこまで成長したのか? ということです。

 

 

 あなたはどこまで成長してます?

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明快さと温もりをもたらす光

2014-09-11 09:13:03 | アイデンティティの根源

 

 私どもは、意識と上手に付き合うしかないみたい。

 p344下から4行目途中から。

 

 

 

 

 

ここでもまた、この翻訳者は、≪いまここ≫に生かされていることに、ヌミノースの感じがあることの重要性に対して、フロイトがあまり強調しないのが普通である傾向に従属しています。というのも、「illumination  イルミネーション(灯り)」と翻訳されている言葉は、(元のドイツ語では)「die Leuchte(天才、灯り、光る人、導き手、誘導灯など)だからですし、この言葉は、実際には、光度を示し、ガリラヤの言い伝えでは2つの意味があるからです。その2つの意味とは、すなわち、「Leuchter 灯り」と「Leuchte すなわち、光の性質、輝く光」です。この丸ごと「疑り深い」言葉は、私どもの意識が、それがどんな値打ちであっても、人生そのものに擬えられるという点で、創造主が瞳(一隻眼)に光を与えたことを、讃美歌作者が気付いたことと、最大限の注意を払っても、それほど違わないものなんです。

 

 

 

 

 意識。それは、無意識にいつでも犯されやすいものに違いはありません。人生も、いろいろな危機によって、侵されやすいものに違いないのと、同様です。しかし、この意識こそ、神様が瞳(人実)に与えた光と同じなんですね。ですから、意識を新鮮にしていくときには、必ず、ハッキリ・キッパリとした明快さと、飛び跳ねたくなるような、心から温められる、温もりが、必ずあります。

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生きている意味 ― 女子高生買春と20代の自殺 ―

2014-09-11 06:59:29 | エリクソンの発達臨床心理


心の時空を秩序づける力 : 市民宗教~体制順応主義

2013-09-11 03:00:02 | エリクソンの発達臨床心理

 世界に対する1つの見方には、3つの条件があることが分かりました。しかし、それはいずれも、最深欲求という人間にとって根源的な欲求に関わるものでした。


 何のために生まれて、何をして生きるのか?

 これは、毎日2~3才くらいの子どもが歌う歌「アンパンマンのテーマ」の最初の件です。

 みなさん、日本人のこころを見事に言い当てている本を一冊挙げるとしたら、どの本を挙げますでしょうか? 私は河合隼雄先生の本を挙げたい感じを持ちつつ、一冊挙げるのなら、加藤周一さんの『日本文化における時間と空間』を挙げます。この本は日本人の心のあり方を、さまざまな文化に属する人々の心のあり方と、比較文化的に検討しているので、日本人の心のあり方を実にハッキリと、しかも、実に説得力ある形で、浮き彫りしてくれているからです。

 日本人の心のあり方の最大の特色は、conformismコンフォーミズム、大勢順応主義です。これを見事に一言で言っているのが「ハイ、皆さんご一緒に」です。集団のあり方の是非を度外視して、その集団内の多数派に、付和雷同、同調することです。その多数が、多ければ多いほど、メンバーひとりびとりにかかる同調圧力が、それだけ強烈なものになります。したがって、人格とヒューマン・ライツ・人権(人として正しいこと)の核となる「個人」と「個人の自由」が、なかなか確立できません。日本の民主主義が北欧やオランダと比較するとき、500年は遅れている、と感じてしまう大きな背景は、実にここにあるんですね。

 ですから、高校生から20代の人たちも、それぞれが強烈な同調圧力を受けて、自分を持てずにいることが非常に多い。それはまず家庭における「いい子」として始まり、学校での「問題を起こさない子」「友達に嫌われない自分」などとして受けづかれて、会社や職場では、「NOと言わない従業員」となっていくのですね。

 でもね、それだけだと、「何のために生まれて、何をして生きるのか?」という問いに、応えたことになりませんでしょ。同調圧力は基本的には、一方通行、「上から否が応でも押し付ける力」、です。親や教員や友達などに合わせるうちに、「本当の自分」を出せなくなるばかりか、「何が本当の自分なのか?」さえ分からなくなる、ってことも、よくあることになってしまう。

 ここに残るのは、「生きている意味(価値)が分からない(虚無感)」、「生きづらい(閉塞感)」、「誰も分かってくれない(孤独感)」ということでしょう。

 9月3日の「クローズアップ現代」で「広がる少女売春 ~ “JKビジネス”の闇~」に出て来た女子高校生は、盛んに言っていたのが、「孤独感」「虚無感」。高校生が買春に応じるは、その「孤独感」を埋めようとするからだと言います。しかし、「求められるのが、自分の身体だけ」と分かった時、ますます「孤独感」と「虚無感」が増し加わる。それでもまた、その「孤独感」を埋め合わせようとして、買春に応じて…。

 また、9月9日10日の、「ハートネット・テレビ」で「20代の自殺」で、若者たちが繰り返し訴えていたのは、「生きている意味(価値)が分からない」。それは幼少時の虐待やいじめ、あるいは、就活が何十社回っても決まらず、決まっても、ブラック企業だったり、パワハラにあったり、派遣であるために、仕事も生活もままならない、ということが、相当数に上っている。

 なぜ、こんなことに、日本の社会はなっているんでしょうかね? それは、もともと日本社会は、大勢順応主義が唯一の価値であるために、人間にとって、「人間らしい暮らし」にとって、根源的に重要な、「個人」と「個人の自由」がないからです。じゃあ、なぜ「個人」と「個人の自由」がないのか。その答えは、実はきわめて単純です。

 それは、家庭や学校に「やり取り」がないからです。気持ちと気持ちをキャッチボールすること。人が「生きている意味(価値)」に気付くのは、”やり取りの繰り返し”をしてもらった時だけなんですね。その時にだけ感じることができる、”ハッキリと価値付けされた”という ”温もり” を感じる時だけ、人は「生きている意味(価値)」に、初めて気づくことができるからです。

 ですから、私ども、子どもと直接・間接に関わる者は、日々の子どもたちとの「やりとり」に心掛けようじゃぁ、ありませんか?! できれば、その「やりとり」を「楽しく陽気なものに」しようじゃぁ、ありませんか?!

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