世界に対する1つの見方には、3つの条件があることが分かりました。しかし、それはいずれも、最深欲求という人間にとって根源的な欲求に関わるものでした。
何のために生まれて、何をして生きるのか?
これは、毎日2~3才くらいの子どもが歌う歌「アンパンマンのテーマ」の最初の件です。
みなさん、日本人のこころを見事に言い当てている本を一冊挙げるとしたら、どの本を挙げますでしょうか? 私は河合隼雄先生の本を挙げたい感じを持ちつつ、一冊挙げるのなら、加藤周一さんの『日本文化における時間と空間』を挙げます。この本は日本人の心のあり方を、さまざまな文化に属する人々の心のあり方と、比較文化的に検討しているので、日本人の心のあり方を実にハッキリと、しかも、実に説得力ある形で、浮き彫りしてくれているからです。
日本人の心のあり方の最大の特色は、conformismコンフォーミズム、大勢順応主義です。これを見事に一言で言っているのが「ハイ、皆さんご一緒に」です。集団のあり方の是非を度外視して、その集団内の多数派に、付和雷同、同調することです。その多数が、多ければ多いほど、メンバーひとりびとりにかかる同調圧力が、それだけ強烈なものになります。したがって、人格とヒューマン・ライツ・人権(人として正しいこと)の核となる「個人」と「個人の自由」が、なかなか確立できません。日本の民主主義が北欧やオランダと比較するとき、500年は遅れている、と感じてしまう大きな背景は、実にここにあるんですね。
ですから、高校生から20代の人たちも、それぞれが強烈な同調圧力を受けて、自分を持てずにいることが非常に多い。それはまず家庭における「いい子」として始まり、学校での「問題を起こさない子」「友達に嫌われない自分」などとして受けづかれて、会社や職場では、「NOと言わない従業員」となっていくのですね。
でもね、それだけだと、「何のために生まれて、何をして生きるのか?」という問いに、応えたことになりませんでしょ。同調圧力は基本的には、一方通行、「上から否が応でも押し付ける力」、です。親や教員や友達などに合わせるうちに、「本当の自分」を出せなくなるばかりか、「何が本当の自分なのか?」さえ分からなくなる、ってことも、よくあることになってしまう。
ここに残るのは、「生きている意味(価値)が分からない(虚無感)」、「生きづらい(閉塞感)」、「誰も分かってくれない(孤独感)」ということでしょう。
9月3日の「クローズアップ現代」で「広がる少女売春 ~ “JKビジネス”の闇~」に出て来た女子高校生は、盛んに言っていたのが、「孤独感」「虚無感」。高校生が買春に応じるは、その「孤独感」を埋めようとするからだと言います。しかし、「求められるのが、自分の身体だけ」と分かった時、ますます「孤独感」と「虚無感」が増し加わる。それでもまた、その「孤独感」を埋め合わせようとして、買春に応じて…。
また、9月9日10日の、「ハートネット・テレビ」で「20代の自殺」で、若者たちが繰り返し訴えていたのは、「生きている意味(価値)が分からない」。それは幼少時の虐待やいじめ、あるいは、就活が何十社回っても決まらず、決まっても、ブラック企業だったり、パワハラにあったり、派遣であるために、仕事も生活もままならない、ということが、相当数に上っている。
なぜ、こんなことに、日本の社会はなっているんでしょうかね? それは、もともと日本社会は、大勢順応主義が唯一の価値であるために、人間にとって、「人間らしい暮らし」にとって、根源的に重要な、「個人」と「個人の自由」がないからです。じゃあ、なぜ「個人」と「個人の自由」がないのか。その答えは、実はきわめて単純です。
それは、家庭や学校に「やり取り」がないからです。気持ちと気持ちをキャッチボールすること。人が「生きている意味(価値)」に気付くのは、”やり取りの繰り返し”をしてもらった時だけなんですね。その時にだけ感じることができる、”ハッキリと価値付けされた”という ”温もり” を感じる時だけ、人は「生きている意味(価値)」に、初めて気づくことができるからです。
ですから、私ども、子どもと直接・間接に関わる者は、日々の子どもたちとの「やりとり」に心掛けようじゃぁ、ありませんか?! できれば、その「やりとり」を「楽しく陽気なものに」しようじゃぁ、ありませんか?!
