脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

集団の中の孤独

2007年07月31日 | 心の葛藤
きょうで7月も終わりですか・・・・。
早いものです。

7月後半は、いろいろと連日夏の行事を楽しみました。

疲れて寝込みましたが、
確実に昨年より行動範囲が広がっているのを感じます。

それでも、なお、
日々苦しい波が襲っては、その波に飲まれそうになり、
もがきながらやりすごし、なんとか日々をつないでいます。

時々、その荒波乗りのサーフイン生活に疲れ、
気を抜くと、ふっと海底へ水没してしまいたくなってしまうことも
あります。

よくなってきても、いまだに不可解な症状群と周囲の無理解は耐え難いです。

交通事故以来、得たいのしれない症状に苦しめられ続けていた、
まだ比較的症状が軽くて動けたころ
何度か「集団の中の孤独」を感じたことがあります。

事故から何年か過ぎたころ、
あれは都会の大病院受診の帰りだったでしょうか?

駅で、大勢の人の雑踏の中で、それを最初に感じました。

忙しそうに足早に歩き去る大勢の人の流れの中で、
私は急流の中の岩のように立ちつくし

ぼんやりとその人の動きを見て思いました。

「私の周りにこんなに多くの人がいても、
誰一人、今私が感じている、
この体の苦しみをわかってくれる人はいないんだ。」と・・・・

目に見えない症状を抱え、見た目健康そうな当時の私が
「集団の中の孤独感」を最初に感じた瞬間でした。

その孤独感を先日、日曜もふと感じました。

こんなに身近に家族がいても、
大勢の人たちが私の周りにいても、

ネットを通じて同じ脳脊髄液減少症に苦しむ方がたの存在を知っても、
がんばって治療に取り組んでくれている少数の医師たちの存在を知っても、

同じ交通事故の後遺症の方がたの存在を知っても、
同じように誤診や「原因不明」、「精神的なもの」と
長年放置され続けてきた方がたの存在を知っても、

遠方に脳脊髄液減少症を見つけてくれた主治医がいてくれても、

病名がついても、治療を受けても、なお、
ふと感じる、「孤独感」

日々私が感じている、
「今一瞬を過ごすことさえ苦しい」時があることを
誰も信じてくれない、気づいてもらえないんだという、
えも言われぬ孤独感・・・・。

半身の重苦しさもシビレも、
半身の自由にならなさも、

舌の動きづらさも、
舌の半分のシビレも、

頭のぼんやり感も、
置き忘れをしてしまうほどの、短期記憶力の低下も

心臓の圧迫感も、呼吸の苦しさも、
突然起きる動悸も、

突然ひどくなる、手足の脱力も・・・

背中に石を背負っているような重さだるさも・・・
日常生活のすべての行動が、
自分の世話さえも、重労働に感じることがあることが
なかなかわかってもらえない。

むしろ、調子に波があり、調子のいい時は動けてしまうために、
なおさら無理解を助長してしまう。

そういう、目に見えない障害を抱えながら、
仮病みたいに見えるための誤解にさらされながら、
必死で、一瞬一瞬の日常生活を重ね続けている私のことなど、

頼る医師も身近に探せないまま、
なんとか自分で自分を治そうと努力している日々のことなど、

大人としての義務を果たそうと、
社会人として最低のことはこなそうと、必死の私のことなど、

本当は誰もわかってはくれてはいないことに、ふと気づく瞬間。

深い深い、孤独感が私を襲うのです。

「自分の苦しみは自分しかわからない。」ということは
それは誰にとっても健康な人にとっても、当たり前のことのはずなのに、

この病気だからと言って、特別なわけではないことは
わかっているはずなのに・・・・。

見た目健常者で、中身は言葉にしつくせない、不思議な症状に苦しむ日々。

現実とは別の世界にまぎれこんだような体験のオンパレード。

それに平然とした顔で耐え続け、極力普通の生活をしようと努力している日々は、本当に孤独でつらいのです。

時々、すべてを投げ捨てて、この世界から逃げ出したくなります。

通常の健康な人と同じ空間時間にいても、
脳脊髄液減少症の私だけが、
次元だけが違うゆがんだ世界にいるような感覚。

健康な人が3次元空間にいて、
私だけが、ゆがんだ4次元空間にいて、

3次元と4次元空間が重なっているせいで、
一見同じ時間空間で行動しているように見えても、
実はまったく別の世界にいる感覚。

それが、脳脊髄液減少症にとりつかれた私の住む世界。

その世界に住む住人は、私ひとりのように感じてしまいます。

その世界には同じ患者さんも紛れこんで、もとの世界に帰れないで、
もがいている方もいるのでしょうが、
私にはその姿が見えません。

現実に親しい患者仲間も身近にはいません。
そのせいで、孤独を感じるのかもしれません。

まあ、長年放置されれば、友人も一人去り、二人去りは
当たり前でしょう。

入院の時でも運よく知り合わなければ、
なかなか同じ地域で励ましあう仲間もできないでしょう。

私は誰かと知り合えるかもと期待していた入院で
残念ながらその機会がなかったので、孤独なままです。

事故後すぐ、この病気を知る医師に出会い、病名をもらい、
治療を受けられ、
同じ患者仲間とも出会えるなんて、幸運続きの人ばかりではありません。

以前には多くの患者たちが、孤独と無理解の中で死んでいったはずです。

孤独を感じるのは、
たぶん、この病態が世間に「非常に苦しく長引く病」として認められず、
暖かく支えてもらえていないせいもあると思います。

専門医に「脳脊髄液減少症」という病名をもらってさえも、

地域の身近な医師や医療に
「重病」「難病」に値するに思えるこの症状をわかってもらえず、
「軽んじられ、冷笑され、軽蔑され、放置され続け、相談にものってもらえず
身近で適切な医療支援が得られない。」せいもあると思います。

れっきとした被害者なのに、
相手に罪をつぐなってもらうことも
保険会社からきちんとした補償ももらえないばかりか、
今も健康保険で暖かく手厚く支えてもらえていないせいもあると思います。

被害者として、当たり前の権利を主張することのできる、
現代の交通事故被害者の方がうらやましく、ねたましく、
そういう幸運な方を見るのも知るのもつらくなって、心を閉ざし
さらに、孤独を自分で深めてしまいます。

難病に匹敵する症状と、時間もお金も体力もかかる病態なのに、
国の何の支援もないせいもあると思います。

昔、この病態の存在に世界中の誰も気づいていなかったころも
患者、交通事故被害者は確かに存在したのです。

ドクターショッピングしていたころの私が、
雑踏の中でふと感じた「集団の中の孤独感」

「脳脊髄液減少症」の病名をもらい、れっきとした「病人」となった今も、
時々、やりきれない、底知れない、孤独感が
私を襲うのです。・・・

長い時間、仮病扱いされてきた患者にとって、
「脳脊髄液減少症」の病名と治療だけが、すべての解決策ではないと思うのです。
今は医療現場も混乱して、それだけで手一杯なのはわかります。

でも、
長年の放置期間で医師や周囲の無理解によって患者が受けた深い心の傷。
その心の傷をそのままに、「脳脊髄液減少症」の病名と治療だけで、
真の元気は取り戻せない気がします。

なんらかの精神的支援の必要性を強く感じています。

いつか、この病気の治療が軌道に乗り、少し余裕が出てくる日がきたなら、
体の治療だけでなく、脳脊髄液減少症という「目に見えない怪我」によって
さらに無理解にさらされ、2次的3次的被害に遭い、
心的外傷を負った患者の心のリハビリや、ケアにも、
医療、福祉がともに手厚く取り組んでほしいと願っています。

せめて、国は、
現在の交通事故被害者に比べて、
あまりにも恵まれない、過去の交通事故被害者の脳脊髄液減少症患者に対し、
なんらかの支援策を打ち出してほしいものです。

今回の選挙前に
「弱者を切り捨てない。」「国民の生活が第一」と言った政治家もいましたね。

言葉だけでなく、実行してもらいたいものです。

そして、ひとりでも多くの脳脊髄液減少症患者が
「集団の中での孤独」を感じないように、
国が率先して
日常の生活さえ回らない状態で、
精神的にも、経済的にも、医療的にも孤立する患者の救済に力を尽くしてほしいと
心から願っています。


追伸:
コメントのほとんどは私自身のものです
私のある夏の一日のつまらない記録です。







コメント (54)
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