脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

音楽療法

2006年10月24日 | 闘病の工夫
今日はこちらは嵐です。
雨と風がすごいです。

このところ、
心臓と胸が圧迫されるような感じで苦しいです。
気温がとても低くて、寒く
体温調節が苦手なので、もう暖房つけてます。

今日は、所によって晴れているところもあるようですね。
日本は意外に広いのですね。

さて、今日は、私自身の音楽療法について。
(以下は以前体調がいいときに書いた文に、今日少し手を加えたものです。)

(本当は、今日は最近の「脳脊髄液減少症」の報道などを見て
言いたいことは別にたくさんあるのですが、体が苦しくて書けません。
残念です。また後日書きます。)



[音楽療法]

聴覚過敏に苦しんだ私でしたが、
最近、調子がいいと、音楽を楽しめるようになりました。

これも、ブラッドパッチの効果だと思っています。

治療により、
脳の置かれた環境が居ごこちのよいものになり、
脳は自然に、のびのびと活動を始めたのかもしれません。

人は苦しい症状があればじっとしていますが、
和らげば、ほっておいても自然にいろいろと動き出すものです。


理由のない本当の怠け者や仮病者、など
ごくごくわずかな存在だと思います。

私はつい最近まで、体が苦しくて
音楽なんて、特に聴きたいとも思いませんでした。
まして自分で演奏したいなどどは思いませんでした。

ところが、ブラッドパッチ半年過ぎたころから
いろいろな事に対して
「またやってみたい!」という欲求が自然に沸いてきました。

そのひとつが「音楽」でした。

そのほかにも
「外出」「散歩」「水泳」「おしゃれ」「ダイエット」などなど、
やりたいことが続々出てきました。
脳の回復で、意欲と興味も回復してきたのでしょうか?

特に音楽はもともと好きだったので、
夏の終わりごろから、
だんだんと座位も比較的長く、保てるようになったため、
最近、地域で小さな、無料の演奏会などがあると、
家族と聞きにいったりしました。

夏の終わりに行った、
1時間程度で十数人の聴衆しか入れない小さな演奏会は
大好きなバッハの曲で、すばらしいものでした。

その曲と歌を聴いていると
脳にブワ~と、震えるような、
刺激の波がくるように感じました。

全身に鳥肌がたつような、感動というか、脳の覚醒というか、
そんな感じがしました。

意識の戻らない患者に、音楽や話しかけで、
意識が回復するということが
よく理解できるように思いました。

活動を停止していた脳を
音楽は、「やさしくゆすり起こすような」効果があると感じました。

私はクラシックが好きです。

「脳脊髄液減少症」と診断されてから、
この病気の自律神経の安定には、
「モーツァルトの曲」がいいと主治医が言っているのを知りました。

モーツァルトの音楽も以前から聴いてはいたので、
胎教やストレスにいいことは知っていました。

モーツアルトのCDも病院の売店で改めて買ってきて
自宅で聞いてみたのですが、

私の脳はどうも、バッハの音色の方があっているようです。
モーツァルトはいくら治療に良くても、しっくりきません。

やはり、好きな作曲家の曲のほうが、
脳が喜び、心地よいようです。

9月の下旬になると
私は電子ピアノを弾くようになりました。

弾くといっても、
初心者用の、簡単な楽譜しか弾けませんが
電子ピアノは簡単な曲でも、
さまざまな音色に変えて弾けるので楽しいものです。

悪化前は気分がいいと時々弾いていました。

しかし、昨年
「脳脊髄液減少症」が悪化してから
まったくピアノに向かう気になれませんでした。

痛みと苦しさと
だるさと脱力と呼吸の苦しさで
長く座っていられなかったのもあります。

指もシビレと電撃の走るような痛みや、
脳からの命令がうまく指に届かないような、動きずらい感じもあり、
とても、キーを打つどころではなかったのです。

でも、なにより、
「楽譜を目で追って、読んで、理解して、指をバラバラに動かす。」
という演奏行為が
非常に難解な作業に感じ、できなかったのです。

ピアニストがこの病気になったら、どうなるのでしょうか。?
ふと、そう思いました。

今まで、音楽家の方で
交通事故に遭った人がひとりもいないとは思えません。
その中で「脳脊髄液減少症」の症状が出た人が
まったくいないとも考えられません。

おそらく、この病気になって、治療もされない状態が続けば
演奏活動は難しかったに違いありません。

想像ですが、すばらしい才能を持ちながら
将来を断念した音楽家もいたことでしょう。

ため息がでます。

話を元にもどします。
私は、9月下旬になって、
急に、鍵盤を弾きながら歌ってみたくなりました。

こんな気持ちになるのは、本当にひさしぶりでした。

使わなかった脳と指で、いきなり弾き歌いをしようとしても
指ももつれ、思うように弾けませんでした。

やってみると
「目で楽譜を見て、
右手、左手の楽譜を同時に読んで、
脳でそれを理解し、
命令を出して、指をバラバラに動かし、
さらに声を出して、歌詞を歌う。」という行為は
かなり高度な脳機能のようです。

楽器を弾くということは、大変ですが、脳のリハビリにもなると思いました。

当時から、かなり脳機能の低下を感じていましたが(計算力、記憶力など)、
症状を抱えながらも時々演奏していたため
それ以上の思考力の悪化を、防いでいたのかもしれません。

やる気が出てから、9月の末に昔の楽譜を引っ張り出して、
真っ先に弾き、歌った曲は
「いつも何度でも」という曲です。

2001年に「千と千尋の神隠し」というアニメ映画の主題歌となった曲です。

弾きながら、5年前の当時の自分が思い出されました。

公開されてまもなく、映画を見に行き、
その不思議なストーリーも魅せられましたが、

その主題歌「いつも何度でも」の歌詞になぜか強く魅かれました。

すぐCDや楽譜を購入して、
私は当時、よくこの曲を弾いて歌っていました。

当時はまだ、自分の症状が「脳脊髄液減少症」とはもちろん気づかず、

さまざまな症状が出たり消えたりと、波を持って出現していましたが
症状の合間を縫うように、人生を楽しもうと
仕事に趣味に前向きにいろいろと挑戦していました。

「いつも何度でも」の歌詞は
当時も、自分の気持ちや状態を表現しているような歌詞に感じました。

この病気に振り回され、困難続きの自分の気持ちと
重なったような歌詞。

当時、何度も何度も、
自分を励ますようにこの歌を弾き、歌っていました。

歌詞の息継ぎのタイミング(ブレス)がとても難しい歌でした。

今回、久しぶりに改めて歌ってみると、

まるで「脳脊髄液減少症で苦しんできた、私の今までの人生や、
別れ、治療、そして現在、体と心が満たされて治っていく未来」を
表現しているかのような、歌詞に、とても驚いています。

生と死、そして
体が満たされて、心も満たされて、
次第に癒されていくようなイメージにも思える歌詞・・・

交通事故で、目には見えないけれど体に怪我を負い、

病名がつかなかったために
医療者や周囲の無理解により、さらに言葉で心を傷つけられ、
「粉々に砕かれた鏡」のようだった私の心。

私を満たしていくものは
「脳脊髄液」のほかにもいろいろあるようです。

からっぽだった私の心に満ちていくものは
救ってくれた医師や病院スタッフの
あたたかな「いたわりと理解」であり、

励ましてくださった皆様の「思いやり」や「やさしさ」であるようです。

やはり、
「人によって傷つけられた心も体も
   また、人によって癒される。」のだと感じています。

加害者によって奪われた、
私の過去の健やかな人生はもう戻ってこない。

症状による影響で、離れていった人々との人間関係はもう戻らない。
失った仕事も、もう帰れない。

でも、人生はまだ終わっていない。

あやうく、真の原因を知らないまま、誤解されたまま、
自分を責めて、自分を嫌いなまま、人生を閉じるところでした。

死ぬ前に、本当の病名に気づき、
治療も受け、回復を感じつつある私は幸運だと思います。

9月末から時々練習し、
ずいぶんスムーズに、弾き歌いできるようになった
「いつも何度でも」の曲と歌。

興味のある方は、
ぜひ、木村 弓さんのたて琴の音色と歌声をCDで聞いてみてください。


歌詞と曲の参考:
(リンクは期間限定?かも?)
ある方のHPの「いつも何度でも」。突然音が出ます。ご注意ください。

検索で見つけた方のHPへリンク

コメント (21)
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