雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

御所徒然 2

2021-01-25 00:02:11 | 面白い...パワスポ寺社
......ふぅぅーーーーんん......

なるほど......

須賀神社のあった腋上(わきがみ、わきかみ)という地名は......

ふぅぅーーーーんんん......

そういうことね。

と。

次回に続きまする(^^)




奈良県、御所市(ごせし)、
樋野(ひの)にある天安川神社(あめのやすかわじんじゃ)さん。
権現堂古墳(ごんげんどうこふん)と呼ばれる古墳の中にあります。
こちらにいらっしゃいます神様は、以前
やらかすよね。」という僕さんの大失態談記事で記した通り、
あの「オシテ文字(ヲシテ文字)」を作り、
使っていたという先史時代のこの地の王「オシテの神(ヲシテの神)」様。
皆に知られる名前では「天之尾羽張(あめのおはばり)」、
もしくは「伊都之尾羽張(いづのおはばり)」、
「十握剣(とつかのつるぎ)」。
なぜか!?トマトが大好き♡という神様。
この地の神となった後に、人々が食べているのを見て興味が湧き、
ちょっとつまんで食べたところ大ファンになってしまったのだと。
なんだこの舶来モノは!?うめぇなぁ、と。
そんな感じだったらしいのですけど。
どこかお茶目な!?スサノオさんにも似た感じのおおらかな神様。
そして、そんな神様の数多い家臣さんや眷属さんの筆頭が
「土屋さん」という方でして。
一度、僕さんがこっぴどく怒られた方。
しかし、しかし、何よりも。
そんな神社の皆様こそが!
僕らポンチキーズが決死の思いで頑張った四国は剣山の旅路において、
黄泉(よみ)から迫りくるモノモノから
終始僕らを守ってくれていた恩義ある方々なのです。
みゆきちゃんの一言から、四国の前にこの地に来てしまったのは、

「そんな必要も必然もあったのかもしれないなぁ、、、」

なんて。
今でこそ思うわけなのでやんすけど......
なので!
以前は多摩川に流した美味しい塩むすび!を!
四国旅警護のお礼も兼ねて!
持ってきたのでやんす!
失礼した節は失礼いたしまちたァァ! & Thanks♪\(*´▽`)o゚★,。・:*:・☆゚



今回も24個!
キッチリと!
ミミを揃えて!
以前、Mさんが言っていた通りに!
小ぶりな俵形(タワラがた)で仕上げてきまちたァァ!
どぉーーぞぉぉ!
おめしあがれあそばせませぇぇーーっ!
後でワチキらが全部下げて食べますけんご安心おぉぉーーー!



実は、奈良に来る前日の夜にコニャ(奥さん)と一緒に、
心を込めて一生懸命握ったおむすびなんすの。ええ。
大きさはお寿司みたいだなぁ、とか、何とか言いながら。
美味しいお塩でシンプルに。
海苔の佃煮もお付けして。
この地のトップの神様.....
オシテの神様のトレードマークの白いハチマキと。
好物のトマトと。
家臣の皆さんや女神さん達へのお酒とお茶と。
アメノウズメ(天鈿女)さんの扇と。
プリリンねーさんが持ってきたリンゴさんと。

「なぜそんなモノを!?」

という方は上記にもテキストリンクしている
やらかすよね。」という記事の方にまで。ええ。何卒。
それは、この地での恥ずかしい失敗談ではありますが、
この出来事のおかげで筆頭家臣の土屋さんとも
仲良くさせてもらえるようにもなりまして。
この地の皆さんは礼節に篤く、
とても強くて優しい方々なのでございます。
今回は赤い色が大事とも伺っていたのですが、
赤とは魔除と血の繋がりや絆を表す色でもあって。



ここに来る前に立ち寄った須賀神社のホッタの神様は、
もしかしたら、オシテの神様の近くに控える、脇に控える、
右腕的な辣腕の神様であったのではないでしょうか。
故に、大神様の脇におられる神様。ワキの神。わきがみ。掖上。
須賀神社さんのある地の名前の真の由来ではないか?と。
ホツマの神とホッタの神。
神武天皇以前の神。
そんな感じでしょうか。
神々から伺うに、両神はとても仲が良かったと。ええ。(^^)



さて。最後に。
この奈良県、御所(ごせ)の地には、
現在の日本国を創生したと伝わる初代天皇、
神武天皇(じんむてんのう)にまつわるこんな伝説が残されています。
日本書紀における「神武記」の最後部分の記述となりますが......



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皇輿(すめらみこと)巡幸(めぐりいでま)す。
因(よ)りて腋上(わきがみ)の嗛間(ほほま)の丘に登りまして、
国状(くにのさま)を廻(めぐらし)望(のぞ)みて曰(のたま)はく、

「 研哉(あなにや)、国を獲(え)つること。
内木綿(うつゆふ)のまさき国と雖(いへど)も、
蜻蛉(あきづ)のとなめの如くにあるかな」

とのたまふ。
是に由りて、始めて秋津洲(あきづしま)の號(な)有り。
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かなり平たい文章にしますと......



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神武天皇は東征を終えて、
橿原(かしはら)の地で即位した後、
腋上の嗛間の丘(わきがみの、ほほまのおか)に登り、
自分の国を見渡し、

「私はなんと良い国を得たものか。
この国は狭いかもしれないが、
蜻蛉(とんぼ)が交尾をしているように連なった山々に囲まれた、
とても素晴らしい地だ」

とおっしゃいました。
その時から、この国は「あきつしま」と呼ばれる様になりました。
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この部分が、いわゆる「国見神話」。
「国見」という言葉にまつわる古事。神話。
そして、この神武さんが国見をしたと伝わる場所が、書には

「腋上の嗛間の丘(わきがみの、ほほまのおか)」

と記されています。
現在、この地には二つの候補がありまして。
どちらも奈良県、御所市(ごせし)にある地ではあるのですが、
一つは、その名の通り「国見山」。
此方には何かを狙った!?石碑も立てられているようですが......
もう一つは、
今回記した須賀神社のある掖上(わきがみ)の本馬山(ほんまやま)。
登山道すら無い、誰も登れなくなってしまっている山。

いかがでしょうか。

神武さんが国見をした地というのは、

きっと......

でしょうか。ね。

スサノオ(素戔嗚、須佐男)さん曰く......

「奈良の須賀神社と出雲の須我神社が繋がるよ......」

......全て、

徒然なるままに書き記しております。(^^)



☆関連過去記事はこちら☆
小山徒然
御所徒然
ツカヘイさんの予告
やらかすよね。」(全7話)
橿原徒然


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コメント (11)
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