雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

愛のシャンパン

2015-03-30 20:16:26 | 美味い
シャンパンとはいわゆる「発泡ワイン」のことで、
炭酸発泡したブドウ酒さん。
写真は日本で初めて作られたという歴史を持つシャンパン
「キュベ・ヨシコ=Cuvee Yoshiko」。
後ろでボヤけたポーズをしてるのは、
以前「何処へ行こうか」という記事に登場していた「ポン吉」くん。
色んなとこで顔出してるエライっぽい人だから、
肖像権は無視しましたの( ̄+ー ̄)今回。ええ。



つーかチミ!
ヨシコの邪魔よっ!(=゜ω゜)ノ



このお酒はシャンパン製造に最も合うぶどう品種が、
その仕込みに適応できる品質で栽培出来た時にしか造りましぇーん!
としているお酒で。
「2007」とあるのは、
これでも市場に出ている中で最も近年に造られたものになります。
これ以降は未だこのお酒の品質に合う葡萄がとれていないようなのです。
コーヒー豆同様こんなところにも気象変化の影響が!?
出ているようにも思えますが......



とぉーーーーーーーーーーっても!
貴重なお酒さんなのでございます!
ありがたやーありがたやーー。。(>人<;)



こんなトンデモナイワインを持ってくるのは、ヤハリこの人。
このブログでは既にお馴染みの「グルメバカ一代」のK様!なのですが......
いやはや、よくもまぁ、
毎度毎度スゲーものを仕入れてくるでやんす。
なんか至極感心するでやんす。
ポン吉くんも見習うべきでやんすな( ̄  ̄)
ポーズはいいから。ぽーずわ。

そしてこのシャンパンを創り出すワイナリーは、
山形県
蔵王連峰にある「タケダ・ワイナリー」さん。
ワイン好きの間では最早言わずと知れたレジェンド・ワイナリーの一つ。
このワイナリーさんの物語はちょっと胸を熱くする様なものなのですが、
HPなどにも記されているそんな歴史をチロリと纏めれば————————



———————タケダワイナリーを経営する武田家では
明治時代初期の頃からブドウ栽培を手がけていましたが、
未来日本の商品作物としてのブドウの可能性に着目した
武田家三代目の重三郎さんは、大正時代に山形県、
蔵王連峰の麓で本格的な葡萄栽培とワイン造りを始めました。
この時社名を「武田食品工場」とします。
ワインなど未だ殆どの人が知らないような時代。
当然そんなワイン製造だけで生計が立つハズもなく、
しばらくは青果物商と兼業で営んでいました。

そんな中「第2次世界大戦」が勃発。
なんとか戦禍を免れた工場では重三郎さんの息子「重信」さんが
ワイン造りを更に発展させるべく東京農業大学醸造学科に入学し、
ワインの研鑽を積んでいました。
ある時、
担当指導官が重信さん達生徒に本場フランスのワインをご馳走してくれました。
銘柄はボルドーの一級ワイン「シャトー・マルゴー」

重信さんは
「世の中にこんなに美味いぶどう酒があるんだ」
と深く感銘を受けたそうです。
「自分もそれを目指したい」
と、そう思ったそうです。

山形に帰り工場を継いだ重信さんは、
早速ヨーロッパ系のぶどう品種の栽培に取りかかります。
しかし、植えても植えても栽培は成功しません。
そんな試行錯誤の最中、1974年、食品工場が火災に遭い全焼。

重信さんはこれを機に兼業の青果物業を一切やめて、
ワイン専業に切り替え、
自身は単身ヨーロッパに渡り、
本場フランスボルドーの一級シャトーで学ぶことにしました。
勉強は作り方は勿論、土壌研究にまで及びました。

その結果、
ヨーロッパ系のブドウが実らない原因は
日本の土壌特性に有るという事に気付き、
帰国後重信さんは農園の土壌改良に取り組みます。
改良方法も土の本質に根ざした有機的方法をとりました。

1979年には「蔵王スターワイン」を発売。
その後も研鑽を続け、
1990年には息子の伸一さんと共に数年をかけ粛々と準備を進めていた、
日本初となる「瓶内二次発酵」製法による
本格的なシャンパン製造を開始します。

そうして1992年9月。
工場を失い、ゼロからワイン業に専念してから18年の歳月を費やし、
やっと出来上がったシャンパンというのが
「ドメイヌ・タケダ=キュベ・ヨシコ」

夢にまで見た日本初の美味しいシャンパンが完成しました。

その数ヶ月後、
武田食品工場は「タケダワイナリー」へと社名を変えます。

重信さんのこんな仕事と情熱を、
ずっと影で支え続けて来たのが奥さんの良子さん。
天性の商業センスと経営、宣伝手腕は伝説的で、
火災で経営基盤であった工場や青果物商を失った時にも、
彼女のお陰でなんとかワイナリーを維持できたのだそうです。
この時、
従業員は誰一人辞めずに会社についてきてくれたそうなのですが、
彼女の口癖は「会社は人だ」だったそうです。
比較的女性が好むシャンパン。
タケダワイナリー初のシャンパンはそんな彼女を称えた名前
「ヨシコ」となったわけです———————————————



そりわウメエェェェェェェーーーっ!
に決まってるべよぉぉぉぉぉぉーーーーーっ♪( ´▽`)



いやいや、本当に美味しかったっす。
私メのような世紀のB級やろーには分不相応の
「気品ある味」でございました。



そんな日本初の本格シャンパン
「キュベ・ヨシコ」の誕生秘話をもう少しだけ記すと、
ワイナリーの創始者重信さんの後を継ぐべく、
熱い気持ちでフランスにワイン留学していた
長男「伸一さん」の力やノウハウもとても大きかったようなのです。
伸一さんはボルドーでシャンパンの製造法までもマスターして
帰国したのだそうです。

しかし.......伸一さんはその後間もなく、
不慮の事故で亡くなってしまうのです。

この時のタケダワイナリーの皆さんのショックは相当だったようで......
誰もがワイナリーの未来を不安に思ってしまったそうです。

そんな暗く沈んだワイナリーを救ったのが、
同じくフランスにワイン留学をしていた妹の典子さんでした。
彼女は帰国後、兄、伸一さんの元で醸造家として働いていたのですが、
師でもあった兄の死をキッカケにワイナリーを背負っていく覚悟を決めます。
そして今では彼女がワイナリーの経営トップでもあり、
ワイナリーの公式HPには彼女のこんなコメントが載っています。



「兄が生前よく言っていたんですよ。
“だまっていてもぶどうは毎年毎年実る、
ワイナリーは繋げて行くことが大切なのだ、
我々は歴史の礎にすぎない”
と」



この日の夜は、そんな物語を持つ「シャンパン」と、
お酒の持ち込みを快く許してくれた素敵なお店さんと、
ポン吉くんをはじめ多くのお仲間のおかげで、
とても贅沢で心地よい時間を過ごすことができました。
なんか、このお酒......
とてーも好きだなぁーーーん。。(* ´З`*)))。。



この時お世話になった東京、代々木の片隅にある素敵なお店
「晴れ間。」
グルメ王K様のお友達がやっています。
ニャンと!
テーブルセットが引き出しに入ってるのですよ!(=゜ω゜)ノ



「瓶内二次発酵」という手法を、
ソムリエの嫁さんがリビングのソファーでイビキをかいて寝ている、
元バーテンダーの見識で言うと、本場フランス、
シャンパーニュ地方の伝統的なシャンパン製法のことだと思います。
その製法は「シュール・リー」とも呼ばれ、
出来上がったワインに糖分と酵母を加え、ビン詰めにします。
するとビンの中でワインの二次発酵が始まり発泡ワインとなります。
「タケダワイナリー」では、
この瓶内二次醗酵=シュール・リーの期間は通常3年を見ているのだそうです。
瓶内発酵の過程で出てくる「澱=おり」と呼ばれる酵母は、
ビン口の側に集めて急速冷凍し、
ビン内の圧力で押し出して取り除きます。
その後コルクを打ち、ワイヤーをかけ、さらにまた1年!
ジックリと寝かせてからやっと出来上がるのです。

日本では稀有な存在とも言える本格的発泡ワイン。
この手法を確立させた「ドンペリ」さん!?もびっくり!
の逸品に思えました。
この「ドンペリ」というのも
シャンパンを世界で一番最初に作った人の名前で、
「ドン・ペリニヨン」さんというカトリック教会の修道士さん。
やっぱりシャンパンというのは、
さりげに愛の酒!?なのかな?!(・ω・)


※シャンパンの定義については、
コメント欄にあるように厳密には厳しく規定されています。
ココでは一般通称的に、
スパークリングワインをシャンパンとして書かせてもらいました。
詳しい方々には悪しからずです。


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片手に玉手箱

2015-03-26 00:11:03 | 面白い
見えないものは「無い!?」のでしょうか。



空気を吸いながら、ソレを「無い」と言うのでしょうか。

香水をかぎながら、その匂いを「無い」とするのでしょうか。

音楽を聴きながら、ソレを「無い」と言うのでしょうか。

子供に愛を感じながら、ソレを「無い」と言うのでしょうか。

アノやろ~!o(`ω´ )oプンプン!と怒りながら、

その感情を「無い!」と言うのでしょうか。



そもそも......「時間」を何と定義するのでしょうか。



「そんな時代も変わるよ!」
「アセンションだよ!」
「次元上昇だよ!」



時折、本屋さんやネット世界などでこんな言葉を目にしますが、
まだ人類が発見できていないコトや概念を言葉にして伝えようとするあまり、
そんな言い方や言葉で話されるのでしょう......か。



古(いにしえ)の昔。
ガリレオが
「地球は回っている!」
と言った時、彼は神を冒涜する輩として無期刑に処されました。

つい最近。
アインシュタインが「時間は伸びたり縮んだりする!」
とい言った時、大学はその論文を受理しませんでした。
学会の権威層はしばらく無視を決め込みました。

ドイツのマックス・プランクさんと
日本の浦島太郎さんだけが賛成していたという噂です。ええ。
玉手箱を片手に(´・_・`)



いつの世も、
人々は既成概念と安定的な生活に心惹かれてしまいます。
安心を優先してしまいます。
いつも、それを乱すものを悪とし、
真の悪とは何か?
ということには、
未だ目を瞑っているような状態である様に思えることもあります。

それもイタシカタないのだとも思えます。

ただ、よくよく考えてみれば、

「安心」などこの世には無いようにも思えます。

明日、地震が来るかもしれません。

明日、理不尽なる銃の乱射に巻き込まれるかもしれません。

ソレは本当のトコロ、

皆、心奥でよくわかっているとは思うのです。

そんな安心が有るとして、
それはタダ自らの心の内に自己意識とともにあるだけなのだ......
ということも知っているように思うのです。
安心を自らの「外」に求めても無駄だ、とも、
ちゃんと知っていると思うのです。
そんな自分を誤魔化すことこそが罪なのかも?しれません。

きっと神様は、
その時々に必要なものを必要な分だけしか僕等には見せてくれません。
豚に真珠はくれないのでしょう。
猫に小判はくれないのでしょう。

世界が変わるとは、
次元が変わるとは、
「今日からはまた新たにこういう価値観で生きなければ脱落するからね。
文句なく。そこんとこ。
よろしこ!ベイベー♪(´ε` )」
というのがコトの真相のように思えます。

物理学的には時間も一つの「次元」として扱われることもあります。
点=0、線=1、面=2、高さ=3、+時間 = 3次元+時間次元 = 4次元。
正確な知見がなければ4次元をお化けの世界と思ったりもしそうです。
今や理論物理学的には11次元の存在まで計算では証明されています。
そんなことも知覚していたら◯◯次元なんていう言葉が出てきても、
その正誤を想像できたりもします。
特段驚くようなこともないのかもしれません。



価値観の変容。
それがいつの世でも「時代の変容」と呼ばれるのであって、
その変化が加速したり減速したりするだけのこと。



これまでも常にあって、
これからも常にあること。



僕の感覚では、
「アセンション」なる言葉は少々無意味でオカルトで、
多分に宣伝的で戦略的で、故にチープな響きも纏っていて。
ソモソモそんな風に霊的な言葉や次元でのみ語ること自体が、
これからの時代には最早「圧倒的に時代遅れ」なのかもしれない......
というふうに思ったりなんかもします。
所謂「不思議話」も「霊や霊能」という領域で「のみ」で語ることは
古いコトのように思えたりもします。

それは科学においてもそうですし、
宗教や見えないもの、
人間の感覚で捉えられるものを無視した様なものは、
既に古い科学や思考なのだとも思えます。

科学も宗教も神智学も霊!?も、
生物学も天文学も物理学も統合して考えて行く方が
更なる文明の飛躍が生まれるようにも思えます。

やっと宇宙の仲間に入れるようにも思えます。

最早、霊がいる、ある、なんてことは当たり前。
霊を科学するなんてことも当たり前。
音楽や感情など無い!と言う人がいたらおかしい!?
ということと同じような感覚。
そんな見えないモノゴトさん達と「体=実体」との再統合も、
とっくに始まっている......
そんなモノゴトと文化、社会との統合もとっくに始まっている......
鶴と亀はとっくに合わさっている......
ようにも思えます。

きっとこれからは、

これからの時代は、

全てが叡智の中に集約されていくのだと思います。

叡智とは何か?

そんなことも問いかけつつ僕らは自己研鑽を続けていく。

きっとそれだけ。

それだけは変わらないし、それぐらいしか出来ない。

「アセンション」「次元上昇」なんて言葉を目にすると、

いつも僕はこんなことを思うのです。

ソレはもしかしたら「時間の変容」のことのようにも思えます......が......

人は霊かもしれない。
霊は神かもしれない。
神はご先祖様かもしれない。
ご先祖様は宇宙人かもしれない。

時間こそが......神かもしれない。

光は生き物かもしれない。
電子は意志を持っているかもしれない。
石も植物も意志を持っているかもしれない。

極小と極大がキッチリと繋がるかもしれない。

そんなことが徐々に物理的に説明されてくる。。

見えない未来に関しては、
僕は「そーいうこと」だと思っているワケなのです。
長いこと準備されていた、
そんな未来へのスイッチが先週末に!?入った!?
なーーんつって。。

おバッカでェェェェス。。@(・●・)@。。

コーヒー飲みいこーーーーっと!ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(  ̄◇ ̄)┘シタタタッ!



仕事終わりにプラリと寄った銀座4丁目のドトールカフェさん。
性懲りもなくケーキなんか付けちゃってね( ̄ー+ ̄)ええ。
お太り様で。

ここ数日、
こんな東京の雑踏の中にいても本当に不思議?なくらい、波の立たない
「凪いでいる大海」の様な心で日々を過ごせているのですが......
それは過去全く無かった?様な。
そんな自分が自分で本当に不思議です。
心が全く荒立たないのです......

この二ヶ月、
あーんなことや、こーーんなことがあったから?なのか。
世界が変わったのか。
僕が変わったのか。
その両方なのか。
何かの玉手箱を開けてしまった?のか......

なんにせよ、凪いだ心には悪い気はしません。
ポンチキな独り言ですので......悪しからず。。(。・ω・。)


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「青き炎」氷川編

2015-03-22 00:49:27 | 面白い...パワスポ寺社
「一宮=いちのみや」というのは、
古来よりその地域の中で「最も社格が高い」とされている神社のこと。
しかし、その選定に関しては、実は明確な規定は無いようです。
なので神社によっては、そこが本当に一宮なのか?どうなのか?
様々な意見の交錯や相違が今もってあるようです。
ただ、多くの場合、
実際に「一宮とされる神社」に足を運んでみると......

「ムムム......なるほどぉぉ。。。(@。@)」

と唸らされてしまう雰囲気や力!?
を感じさせられる所が多いようにも思えています。
僕の住んでいる地域の「一の宮」は、
埼玉県の「大宮」というところにある「氷川神社」となるのですが、
今年はまだ毎年行っている初詣に行けずにいて、
やっと今日、チロリと行くことができました。
写真は古い携帯電話のモノで......( ̄。 ̄;A ......
こんな感じの神社さんです......





コレは結構やばい写真ですが......(*・ω・)



ソモソモ埼玉の「大宮」という地名は、

「この大いなる宮が有る地だから......」

ということでついたワケなのですが。
もう少し記せば、
「氷川」という神社名にもちゃんとした由来があって。
実は、それは、既にココでも幾度か記して来た、
偉大なる「古代出雲国」とリンクする名前ともなるのです。
そして、この話もまた「青き炎」のシリーズとなるような話ともなるのです。

そもそも、島根県の出雲市内に「斐伊川=ひいがわ」という川があって。
その川の流れる平野地域は「斐川=ひかわ」と呼ばれていたりします。
この出雲の「斐伊川」というのは、
川底が周辺の大地より高い位置にある、
いわゆる「天井川=てんじょうがわ」と呼ばれるタイプの川で。
古代より洪水や氾濫災害で有名な川でした。

「なぜ川底が周辺の土地より高くなるのか?」

というと、源流地域で流れ込む土砂の量が
とても多いことに起因していたりするのですが、
この出雲の「斐伊川」で言えば、
古の昔より上流地域で良質の砂鉄が採れた為、
採掘で切り崩した山の土砂や砂鉄をフルイにかけた後、
その土砂等を多量に川に流し込んでいたという、
そんな状況もあったようです。
流れ込んだ多量の土砂は平野部で川底に沈み。
ドンドンと積もり重なって。
そうして川底は上がって行って、
周辺の土地より高くなっていきます。
そんなところに大雨が降れば、周囲の低い土地に即!水が溢れ出し、
浸水し......という循環にもなっていくというわけなのです。

そんな「暴れ川」を当時の最先端知識と技術を使った
工事でもって治水した人というのが、
実は「素戔嗚尊=スサノオノミコト」さんで。
言わずと知れた出雲国、そして初期日本国伝説の大王でもあります。

斐伊川はその暴れ狂う姿が
人々には頭の沢山ある蛇や龍のようにも見えたようで、
その形を例えて「ヤマタノオロチ=八股の蛇」ともされたようでも?
あります。

もしそうなら、

スサノオさんは神話の通り、

暴れ狂う八岐大蛇を退治した......

というわけです。

ただ、その斐伊川の流域にある神社や史跡をつぶさに回ってみれば、
上記もした、上流域で行われていた製鉄業で発生する
多量の赤い鉄サビなども川に流れ込んでいたようであって。
そんな鉄サビでもって、時折、

「川の水の色が真っ赤に染まった......」

なんていうこともあったようなのです。
そんなことから

「火の川=ひかわ」

と呼ばれていた様なことも想像出来てしまいますが、
古事記では「肥川=ひのかわ」という記述も見られるようです。
僕、個人としては「氷川」はこの「火の川」派でしょうか(^^)

そして、スサノオさん以前の古代出雲には
「鉄を独占していた強力な部族」
というのが確かに存在もしていたようで、

「若い娘を出せやぁ~。えーへっへ。。
クシナダちゃんがいいのぉー。おーほっほ。。」

なんて言っていたその部族の長をやっつけて、
鉄や「タタラ」と呼ばれる製鉄技術や工場を奪ったのもまた、
スサノオさんの真実ではないか?とも感じられます。
そんなスサノオさんがやっつけてしまった
「鉄」を占拠していた部族の長の名前も重ねて
「ヤマタノオロチ」としている様なフシもあります。

「ヤマタノオロチとは、
そんなダブル・ミーニング(double meaning)ではないのか......」

とも、僕は思っていたりもします。

「斐伊川=斐川=氷川」

氷川とはそんな川なのです。

埼玉県の大宮氷川神社近くを流れる川......「荒川」などを何故 ?

そんな ”ひかわ” とイメージを重ねたのか?

それに関しては、砂鉄などの鉱物資源を求め
秩父地域に移り住んできた出雲族が徐々に平地の方に降り進み。
農耕でもって住み着いて。
治水に苦労する川や湖沼周りの地に、
同じような特徴を持つ故郷の川「斐川=氷川」の名を
郷愁と愛着を込めてつけたようにも思われます。
秩父にある神社の名前や祭神名を見てみると、
そんなことを容易に想像することもできます。

関東に点在する多くの氷川神社が、
洪水の沢山あったであろう沼地や河川の流域近くに多いのも、
そんな理由に寄るのだと思いますし、何より、
その主たる祭神が出雲系の神々や、
暴れ川を抑えたと言われるスサノオさんであることからも、
そんな「斐伊川」との関連性をイメージ出来たりもします。

だから大宮氷川神社や、
関東中心に全国各地にも散らばる「氷川」の名は、
本来は「斐川」や「火川」であったと思われ。
それが後の世の政権=大和朝廷によって、
前政権のカリスマ!であった
須佐之男(スサノオ)や、
饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の痕跡や記憶を消し去りたいがために、
文字だけをサラリと入れ替えていった......

とも思われます。
既に民衆に広く深く定着していた地名であり河川名ですから、
違和感や反発感をなるべく無くし、防ごうと、
文字だけをさりげなく入れ替えていく様な手段をとったのかもしれません。



「政治家のいつもの手口。。」



と言っても良いのか!?な、と......



僕は思っています。



そんなこんなで訪れた、今年の大宮氷川神社は、
なんだかいつもの年より力を増している!?様にも感じられ。
境内ではトテモ色々な事々に思いを馳せてしまいました。
きっと、これまで記してきた
スサノオさんにまつわる様々なことが関係しているのではないか......
ナドとも思え。
また改めて天地統合の世紀や、
そんな時代への更なる加速を感じてしまいました。
なんだか勇気を貰える様な出来事も幾つかあって、
改めての深い感謝を捧げつつ、

「また明日から頑張っていかねばなんねーど......」

と、強く思わされた次第なのです。(^^)



出雲市の西方、日本海にほど近いところにある「神西湖=かんざいこ」
古(いにしえ)の出雲国、神話世界にトリップしてしまいそうな原風景。
なんだか......僕には「安らぎ」みたいなものを
感じられる地であったりもします (*´ー`)

暴れ川「斐伊川」は、
近年更なる治水工事で河口を日本海から宍道湖に変えられてしまいましたが、
元は、この神西湖の辺りからその流れを幾重にも......
八股に?分けながら
海に注いでいました。
その流域近くには今でも葦(あし)が沢山生い繁る沼や湿地が多く。
「記紀神話=ききしんわ」で神々が降り立った地として記される
「葦原中津国=あしはらなかつくに」という地名をも彷彿させます。

大宮氷川神社の周りも昔はこんな感じだったのではないでしょうか......

ンンン???

斐伊川より先に氷川!?の可能性は!?

んんん???


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大変ですよ!(=゜ω゜)ノ

2015-03-18 00:25:51 | セツナイ
大変ですよ!(=゜ω゜)ノ



殺されそうになったんですよ!(=゜ω゜)ノ



死んじゃうところだったんですよ!



マジですよ!



とある寒い冬の日の夜にですね、
いつもの様にコタツでヌクヌクとヤドカリさんをしながら

「なにかあったかいもの飲みたいですなぁ......
ホットミルク!飲みたい!」

となってですね。
ウチのコニャ(奥さん)に作ってもらったんですよ。
電子レンジじゃなくて、
ミルクパンであっためたヤツを。
そしたらですね、
大方の予想通りですね......



腐ってたんですよ!(=゜ω゜)ノ



牛乳が!



それをものの見事に口に入れちゃったんですよ!(=゜ω゜)ノ



激しい苦味と苦痛と嗚咽ですよっ!!



ゲーゲーのゲホゲホで!



なまじっか暖かいから
体が吸収しやすい感じなんですよ!(=゜ω゜)ノ



毒を!



ですよ!毒!



殺人罪ですよ!(ToT)/



こりわ!間違いなく!



確信犯ですよ!



あっためて飲みやすくして殺っちまえっ!



ていうスンポーですよ!



ヤバイですよ!



......で、ですよ。
そんな「殺人未遂事件」から、
まだ3日もたっていない、とある日にですよ。
今度は一人寂しく、
誰もいない家で夕飯を食べようと
イソイソと美味しいご飯を炊いて。
で、大好きな

「いつもきらさないでねぇぇーーー♪(´ε` )たのむよーー」

となっていた美味しい納豆さんを
冷蔵庫から取り出して封を開けたんですよ。



臭いが尋常じゃないんすよっ!(=゜ω゜)ノ



ゲボゲボのギュンギュンですよ!(=゜ω゜)ノ



おそらくわ腐ってるんすよっ!



発酵食品がさらに腐ってるわけでやんすよ!



殺人罪ですよ!(=゜ω゜)ノ



もう確定ですよ!



裁判ですよ!



牛乳計画が失敗したから
作戦を切り替えてきたってワケですよ!
ヤツわ。



風邪ひいて鼻が悪かったら、
もう完全にアノ世行きでしたよ(; ̄ェ ̄)



それでそんな度重なるテロ攻撃に
タマラズ公開説教したったんですわ。
ミッフィーさんたちの前で。ええ。

「いい加減にせえ。。」

と。
天然にもホドがあると。
天然ボケで命奪われたら浮かばれないであろう。
我が魂も......と。ええ。
だいたいなんで?
野菜室から瓶詰や缶詰や肉類が出て来るんだ?と。
なにゆえソナタのクローゼットからは
あんなに沢山の「フリスク」が出て来るんだ?と。
オモイッキシ、どんづめで。厳しく。
そしたらね......

泣くんですよ!(=゜ω゜)ノ

ぶぇぇぇーーーーっ(T ^ T)......て!

コッチが泣きたいっ!てんですよ!。・°°・(>_<)・°°・。

そーいう話じゃないっての!

ですよ!

命の話ですよ!
保険金の話!
おかたずけの話!
泣いた上に小さくなってうつむいちゃうんですから。
何時も

「はんせいしまちゅうぅぅぅぅぅぅう.......っ」

て。

でもね。

またやるんすよ!(=゜ω゜)ノ

間違いなく!

天然ですから!

おおおおおおーーーーーーーーーっ!

神よおぉぉぉぉ。。

神様よぉぉぉぉおぉぉぉーーーーーーーーっ!

負けへんデェェェェェッ!(*`へ´*)



コニャに読ませようかと友人が褒めていたこの本を買ってみたのです。
アマゾンで。ええ。

「人生がときめく片づけの魔法/近藤麻理恵」

果たして......
何か変わるのだろうか......( ̄ー ̄)むぅぅーーん。。
観察やな。観察......生き物観察。
せめて俺の命があるうちに読み終えてくれればいいのですけどなぁ......


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「青き炎」素粒子編

2015-03-14 21:23:16 | 面白い
ソモソモ今回のお話は、
2013年の末に記した「8を巡る旅」という記事に遡れるのです。
ソレは出雲とスサノオさん(素戔嗚=須佐之男命)を巡る旅の記事でもあって。
実は、つい最近記した「青き炎」シリーズの予告編ともなっていて。
で、そんなコトゴトをあんな感じで記していたりなんかしたら、
このところ驚くほど多くなっていたこのブログのアクセスなども



「こいつキモいゼェぇぇ。。( ̄3 ̄)」



と激減してしまうかと思いきや......
むしろ伸びていたりなんかもして.....
丁寧に記事をチェックしてくれてたり、
メールやコメント等をくれる皆さんの恐るべきセンス!?6th!?
にタダタダ驚嘆するばかり。
本当に凄いでやんす。
嬉しく、感嘆もしてしまう今日この頃なのでございます。
感謝なのでやんす。
そんな中、先日「フト」集まることになった
プッチンプリリンお姉様の会
などでも、



「このブログを読んでいる......」



的なお話があり。
2月頭から暫く記していた「青き炎」の話にもなり。
アチキとしたらなんだかハズカチイやらウワツクやらで。
調子こいて思わず



「あのね、実はね、更に思うことがあってね......
"青き炎" のスサノオさんてね、、
物理学でいうヒッグス粒子だと僕は思うんだよね......」



なぁぁぁぁーーーーんて!
超浮ついたコトを!
口走ってしまったのです。。(; ̄ェ ̄)
一同ポカァァァン......な感じで。ええ。勿論。
そりゃ、プリリンな一般女性の方々に
「ヒッグス粒子」なんて言葉を唐突に持ち出しちゃえば、



「ナニ!?コイツ。( ̄  ̄)
ちょっと使いっパシらせようかしら......」



なぁーーーーんて!
思われますわなぁ、そりゃぁ......(。-_-。)しょぼーーん......
で、ですね。
そのポカァァァンとされた鼻血を......じゃなくて、話を、
今日はちょっとだけ記しておきたく。
そんなこんなで「青き炎」シリーズの追加編!
となったわけなのでございます。ええ。
どかどか悪しからず、で。ええ。



それでその「ヒッグス粒子」の話。



小難しい数式など抜き!(*・ω・)/ の。



2013年に「世紀の大発見!確定的!」と、
多くのメディアからもニュースが流れていたので、
この言葉には聞き覚えがある人も沢山いるかもしれませんが、
実はこの粒子。
ここ100年!
世界中の物理学者が文字通り「血眼」になって探していた素粒子でして。
一部の方々からは

「残された最後の人類未発見粒子」

「神の粒子」

......なんて言われていたほどのものだったのです。
それは、この粒子の発見がこの宇宙の法則を解き明かしてくれる
大事な「鍵」となるかもしれなかったから......なのです。
近年の物理学界というのはアインシュタインの打ち立てた!
イワユル「相対性理論」辺りから、
実は「美しさ」でもって進んで来ていました。
宇宙の法則を表す「式」というのは、
いつもドコからドウつついても壊れない完璧な美しさを持つ数式であった為、

「他の法則を表す式もキットそんな美しいものに違いない」

「真理とは常に美しいものだ」

と。そんな指針でもって近代まで多くの偉大な発見や発明がなされてきたのです。
ソレは本当にその通りであり、宇宙法則を表す式というのは常に美しいのです。
数学的な美しさですので絵画的芸術的な美しさとは微妙に
ニュアンスが異なるものではあるのですが、とにかく!!美しい。
複雑怪奇なこの世界の出来事や事象がシンプルな式に収まってしまう。
その「シンプル」さと「対称性」と呼ばれるモノのバランスが完璧。
どんな数値を入れ込んでもそのバランスと本質が変わらない......
そういった美しさ。



「対称性」なるものを例えで話せば、
真円や真球といった形はどこからどの角度で見ても同じ形に見える、と。
そういった美しさ。



そんな所で登場した「ヒッグス粒子」の理論というのは、
近代物理学の中ではとても醜い(みにくい)、
「美しくない数式」だったのです。
美しさの全盛期において、そんな「ヒッグス粒子理論」は当然、
誰からも全く相手にされない扱いを受けます。



変だ。
おかしい。
美しくない。
クールじゃない。
どーでもいい。
かわいくない......ナドと。



ノーベル賞物理学者の「シェルドン・グラショー」さんはこの事を以前、
とあるテレビ番組のインタビューの中でこんなイカした言葉で説明していました。



「ヒッグス粒子は “トイレ” のようでした。
それは綺麗な家を成り立たせるための汚れ役が必要なように」



2013年に流れた
「ヒッグス粒子の存在が確定的となった......」
というニュースは、実はトイレの発見!?だったわけです( ̄+ー ̄)
ソレは美しき公式達を成り立たせるための醜い公式の証明でもありました。
上水道のための下水道みたいなものでした。



美しき素粒子や量子の公式によると、
万物を作り出す宇宙最小の物質達には
「質量=重さが無い!」
となります。
このブログでも幾度か記して来た、
「万物を作る物質の最小単位の粒子=量子(リョウシ)」

というのは、上記したように小さすぎて、計算上は質量が無く。
「物質として認められない」
という問題があったのです。
そして、質量や重みがないということは、重力を含め、物質として
「何の制約も受けないこと」
を表わすので、僕らの住んでいる「重さ=質量」も「重力」もある世界では、
存在していないようなモノとも言えてしまうのです。
そんな物質にとっては時間や空間などは全く意味の無いものとなるわけです。



時間や空間の概念がなくなる世界なのです。



それが本来の素粒子世界なのです。



そうです。



この「本来の」と記した世界というのは......



神々の世界とも思えるような世界。



それがどうやって物質化......
我々の体や生命までも!
作ることが出来たのか!?出来るのか?
という矛盾や問題に現在の文明はしばらくぶち当たっていたわけなのです。



「粒子に重み=質量を与えるにはどうすればいいか?」



それは



「物質としてこの世界に現すにはどうしたらいいのか?」



という問題とイコールの話でもあり、



「アチラ側の世界にある素粒子(量子)を、
コチラ側の世界に物質として示現させるにはどうしたらよいか?」



ということでもあります。
それで導き出された一つのアイデアが、
質量がゼロである故に、時間も空間も軽々と飛び越えてしまう、
自由に動き回る素粒子達を、

★例えば水の中を僕らが泳ぐように、
★例えば空気抵抗の中を車が走るように、

もし、そんな空気や水の様なものを
素粒子レベルの空間にも満たすことが出来れば、
空間を軽々と自在に動く素粒子達に摩擦や抵抗、熱、
エネルギーの発生や移動が生まれ、

★素粒子達に「この世的な質量」を与えることができるのではないか。
★重力と共に「重さ」も生まれ
★物質や生命を示現させることが出来るのではないか......

と。そんな仮のアイデア。そんな仮定をしたのが
「ピーター・W・ヒッグス=Peter Ware Higgs」さんという人。
だからもし、そんなヒッグスさんの言う素粒子=量子が存在していて、
この宇宙空間を隙間なく満たしているのであれば、
ソレはどんなモノよりも多い粒子でもあるハズで。
それは、時間も空間も軽々と飛び越えられる質量のない粒子達からすれば、
体に重さや、足かせを与えられるようなウザイ!?
トテモ邪魔な!?
粒子とも言えてしまうのです。



そんなモノが2013年に
「存在が確定的になった......」
と発表されたヒッグス粒子なのです。



現人類の文明では何百年も......いや、
何千、何万?億?年も見出せなかった、
今もまだ確定的......としか言えないくらいの見えない存在。
昔、一部学者やオカルトマニアから「エーテル」と語られていたものや、
全宇宙の85%を占めると言われ、
研究が進められている「ダーク・マター=暗黒物質」などは、
最終的にヒッグス粒子とは「別のもの」という考えになっていますが、
このヒッグス粒子理論の辺縁にあるものと考えられます。
そして紛れもなく、この確定的としか言えない素粒子こそが

「この世的な万物、生命の因子」

であるのです。
もしこの世界に万物と生命の設計者であり、
創造主がいるとしたならば、

「このヒッグス粒子無くしては、
この世界に物質を産み落とすことは出来なかった......」

ということにもなるわけです。
隠された、見えない存在ではあるけれど、
創造主からしたらとても貴重で重要な存在でもあるハズなのです。



それが「青き炎」の中で僕が
「深海の底で揺らめく命の炎のよう」
......と記したスサノオさんの力に思えるのです。



ヒッグス粒子もスサノオさんも、
どちらも世界から消され、無いものとされて来ていました。
時空の概念がない本来的な宇宙の中では時空を生み出す邪魔な存在とも言えます。
手枷、足枷のように動きを邪魔されてしまう多くの素粒子......様々な神々!?
かしたら、出来れば無くしたい存在でもあり、でも、
これがなければ物質や生命が産まれてこない。
話のつじつまが合わない。
もしかしたら、
スサノオさんがいるから多くの素粒子は......神々は......
完璧に自由に飛べなくて、
質量や重みが生まれて、
星の重力に捕まらざるを得なくなった。
一部この地上に物質として降りざるを得なくなった。



それが堕天使か......



私たち!?



なのか......



「8を巡る旅」でも記しましたが、
「ヒッグス粒子発見!」
というニュースが流れたタイミングと全く同じ2013年。
史上稀なる伊勢と出雲の同時遷宮の直後。
出雲の空に突然現れた、
三つの自然現象が重なる神々しい奇跡の風景は、
僕にはそんなことをも表しているようにも、
告げているようにも......見えるのです。



「いよいよ隠れた力を見つけたか。
スサノオを見つけたか。
スサノオが立ったか」



「ヒッグス粒子」を「スサノオさんの力」として語るとき、
話の捉え方は少々複雑になります。が、
勿論、善悪や良い悪いという話ではないですし、
そんなことは僕などには到底わかりません。
それでも、そんな神智学や科学が入り混じるポンチキじみた解釈をする僕が、
もし言えることがあるとすれば、ソレは



「僕らは神の子である」



ということです。ソレは2013年以降、
少なくとも多くの人々が知るべき事実なんだというふうに思っていたりします。
深海の底で揺れる蒼白き命の炎のごとき存在......スサノオさんの存在は、
何時も僕にそんなことを教えてくれるのです。(^_^)



記事中に「とあるテレビ番組」と記したのがこれ。
NHKさんの「神の数式」。今はDVDも出されてます。
複雑難解な素粒子世界の話がトテーモわかりやすく纏められています。
素晴らしいっす(^^)


☆「青き炎」シリーズ過去記事☆
青き炎」「2」「3」「4
大和編
海賊編」 「2
番外編
氷川編
素粒子編
首塚編」「2」「3」「4


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2015-03-10 00:19:51 | サブ・タイトルの話
サインもらいまちた!(^_^)☆
このブログに時たま登場する仲の良いH嬢さんの旦那さんは
気鋭の作家さんなのですね。新刊
「あなたの明かりが消えること/柴崎竜人」
をリリースした時に、本と共にいただいちゃいまちた。
とてーも嬉しいでやんす(^ω^)



全ての職業の中で「創造の領域」で勝負している人達というのは
僕はとても好きなのです。
「職業の中で」です。
「職業」ではありません。
この意味の違いは大きいのです。
僕の個人的世界観では「創造の仕事」というのは職業の種類にはよらず。
全ての仕事、生活、所作、思考......「人」の中に存在していて。
それを多く使っている人、
アマリ使わないでいる人に分かれているように感じられていたりします。



自らの内にある創造の力を使わなすぎるとどうなるか?
作れないので、
産めないので、
奪いに走ります。



創造の力を使って生きている、働いている人というのは、
だから人から何かを奪ったり、
何かの芽を摘んだりするようなことはありません。
自ら生み出せるのですからそんな必要はないわけです。
むしろ、産めない人たちから奪われ続けます。
それでも、作り続けられるのか?
そういう勝負をしています。

僕はそういう人を敬愛します。

お金?地位?名誉?

とてーーーーーーも大事です。

くれるならおくれっ!(=゜ω゜)ノもらっちゃうよっ!

でも、

創造的な仕事をしている人々はそんなモノ以上に尊敬するに値します。

僕はいつもそう思っています。

作家、ミュージシャンエンジニア映画監督、建築家、デザイナー、調理師さん......
そんな肩書きを持つ人の中でも、
真に創造力のある人というのはいったいどれくらいいるのでしょうか。
営業、会計、管理職、事務、デスク、主婦にドライバーにカフェの店員さん......
そんな仕事をしている人達の中でも常に想像力を働かせ、
素晴らしい創造的御技を現している人達がどれくらいいるのでしょうか。

子供に作る毎日のお弁当だって、
お掃除の工夫だって、
エクセルシートの工夫だって、
延々と繰り返される同じ作業や毎日に少しの変化を作り出すことだって、
ちょっとした挨拶だって、
人を心地よくする会話一つをとってみても素晴らしき創造です。

僕はクリエイティブの世界に身を置き生活をして来た人間です。
白地で黒がよく見えるように、
そんな世界であればあるほど、
創造という名の下に他人から何かを奪うことで生きている黒いクリエーターや、
周辺で様々な立場をとり、動く、黒い人々もとても綺麗に見えていたりもします。



創造者は決して奪いません。



ただ生み出すのみです。



ただ創り出すのみです。



創造というテーブルにおいては、



成果、結果、評価はまた違う所に置かれるのだと思います。



ニュースの向こうでは戦争が沢山。
ナントカ国とナントカ国がナントカな理由で争ってます。
ナントカな理由で沢山の命が軽々と消えていきます。
本当は誰のものでもない、
地球という美しき星が創造した資源を奪い合っています。
そんな現実を眺めている国は、政治家は、人々は、
自分が平和であれば、
何かが損なわれなければ、
それらには関わりたくないと知恵を絞っています。

そんなふうにして建っている一見平和な国でも、
国民の家々では醜い争いが沢山。
血を分けた者同士で命を奪い合うようなことまでしています。
友達だって平気で殺せたりなんかします。
誰かが作ったものを平気で奪います。
誰かが生み出したものを平気で奪います。



それも、これも、みーーーーーーーーーーーーーーーーーんな。



みーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんな。



自らの内にある創造の力を見失っているからです。



使わなくなっているから......イヤ、



「使わなくしている」からです。



それは、自らの才能に対する冒涜です。



天から与えられしモノに対する盲目的行為です。



天からのサインは常に出ているのだと思います。



見て見ぬフリとはどういうことでしょうか。



何を見ていないのでしょうか。



自らの内にある何かを?見て見ぬフリをしているのでしょうか。



どんな人にでも、その人なりの創造力があるはずなのです。
どんな物事にも、それなりの創造の領域があるはずなのです。
それは知恵や知能といったものだけでなく、
体や力、性格、個性の内にもあるものだと思うのです。
ソレゾレが生み出せるものはソレゾレのもので、
それで十分価値あるものだと思うのです。
価値の大小や上下など付けなくて良いモノだと思うのです。
しかし、それもこれも仕方ないのかもしれません。
創造より狡猾に、てい良く、
ズル賢く「見えないように奪う」人を高く評価し、
高い地位にもつけてしまう社会構造が未だ息づいているからでしょう。
残っているからでしょう。



しかし、創造者は、それでも生むのです。



だから、奪わずに生き抜くことができれば、



それだけで「創造者」なのです。



そんな創造力の核力となるものの一つは、
もしかしたら「家族」なのかもしれません。
家族という社会的コミュニティーの最小単位。
それが多くの創造の「因」となりえているものなのかもしれません。
有り難き創造者のサイン入りでいただいた本の内容からは、
僕はそんなことを思うのです。

良き家庭、家族の多い国は幸せな国で創造力のあふれる国。

逆もまた成り立つのか。

良い本でした(^ω^)
親愛なるH嬢夫妻。ありがとうでやんす。
宝物にするでやんす。
ココにしっかりと記しておきます。

サブ・タイトルにある通り、いつの日か、愛する誰かが
「アイツはこんな事考えて生きていたのか。。」
と見つけてもらえたら、
そんな思いで書き記しておきます。



因みに、
とてーも不思議な出会いから頂いてしまった、アノノノッ!
丹波哲郎さんの本とサインなんかも!
何故か?持ってたりして......
だーーーれも......
羨ましがってくれないの!(=゜ω゜)ノ 007にデテルノニッ!


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縄 -なわ-

2015-03-06 00:55:12 | 面白い
点が線となり、
線が面となり、
面が立体となり......



人との出会いというのは「点」とでも言えるのでしょうか。



そんな点が繋がっていくと......
出会いを繋げていくと......
「線」となり。
人と人とが繋がったそんな線というのは「綱=つな」とも言えて。
「絆=きずな」とも言えます。
そして、そんな「絆=綱=線」一本一本を集め、合わせ、
縒り(より)束ねていくと「縄=なわ」になります。
縄は面ともなり、
立体ともなって何かを生み出していくような感じもします。



「んんんっ!?最後がなわ?
綱と縄は逆じゃねーか!?
最後はつな!だろ。綱!」



と、ココで引っかかった方......結構多くいるかもしれません。
一般的には「太さ」や「丈夫さ」を基準として
「糸、紐<縄<綱」
というようなイメージで理解されている方が多いかと思います。
実はこの部分、
青き炎」や「通貨戦争」などで記したコトと同じでもあるのですが、
一般に広まっている物事の中でも、
明確な根拠や理由等を把握しないまま、
周りの環境や雰囲気からナントナク刷り込まれてしまったような形で
理解している事柄というものも結構多くあったりするのだと思います。



それは、
実はとても恐ろしいことだと思うのですが......



「綱=つな」というのは、
もともと「繋がる=つながる」から来ていて。
文字通り「繋がって線となっていく様」を表しているものです。
そして「縄=なわ」は「綯う=なう」から来ていて。
「縄を綯う」
とか
「糸や紐を綯う(紡ぐ)」
などの使われ方が語源となります。
ここから見い出せる縄という言葉の持つ本来の意味は
「縒り(より)合わせる」
「紡ぎ合わせる」
というニュアンスになります。

「綱」の「繋がる=繋げる」とは微妙に意味が違います。

戻りますが、
綱という「点を繋げた線」をさらに何本も集め、
ヨリ合わせ、太く束ねていく。
その「線=綱」を大きく綯った(なった)ものが「縄=なわ」となります。
「縄」というのは「綱=絆」を沢山紡いだモノとでも言えるのでしょうか。
縄とは太く、強く、大きく、
面となる様なものでもあるのです。



実は「糸、紐<綱<縄」なのです。



歴史に名を残すフランスの哲学者「パスカル」は、
人を表して
「人間は考える葦である」
と言いましたが、
人をそんな「葦=あし」とするならば、
この稲穂の国ではソレは「稲」や「稲わら」とも言えて。
そんな「藁=わら」は葦同様に一本だけではか弱く、
すぐに折れてしまいそうになりますが、
それらを一本一本紡ぎ、繋げていくと、
そこで「綱=つな」となります。
そんな人と人との繋がりである「綱」を更に沢山合わせ、
編んでいけば「縄=なわ」となります。



それは「藁の縄」



しめ縄。



神社などで見かける「しめ縄」とはそんな意味も含まれています。



多くの人の心を紡ぎ纏(まと)めなさい。
多くの絆を束ね、纏めなさい。
大きく太い絆にしなさい。



そんな意味。
だから偉大なる神々を祀る神社には「しめ縄」がかけられるのです。
「魔除けの結界」という意味だけではないのです。
というより、こちらの方が元来の意味だと思います。
神とは実は、人々の絆によって守られ、機能する。
ご利益をもたらすことが出来る。

そんな「しめ縄」の意味。

そんな「縄」の構造は、
いつか記した様に「螺旋=らせん」の形をとります。
量子(宇宙最小の物質、素粒子)も雷も、
波も竜巻も、
蛇さんも龍さんも。
そして......

生命の根源であるDNAも。

縄とはそんなエネルギーを表している形象でもあり、
生命の設計図でもあると思います。
それは時に「命そのもの」を表わすモノなのかもしれません。



縄とはそういうものです。

DNAの形。

縄とは命そのものを表すのかもしれません。

一人一人......

一本一本の「藁」を繋げ、「綱」とし。

その綱を更に足して、

編み込み、

太くして「縄」とする。

それは「大きな命」の誕生。

点が人。縁。出会い。

線が綱。絆。

面が縄。命。

立体は縄がさらに太く大きくなったもの......

星?か......



......最近、
この時に記しましたが......とても嬉しい出会いがありました。
久々に!?インパクトのある出会いで、
幸運な出会いでもありました。
そんな出会いも、
先ずは必要な時間を必要なだけかけて、しっかりと綱にして。
他の多くの綱々もヨリ集め、太く、
大きな縄を編んでいければいいなぁ......と。
そんな風に思っていたりもします。
そんな出会いに躍動する命を吹き込んでいけたらいいなぁ、と。
そんな風にも思っています。

全てが自分次第。

シメテかからねばっ!(`_´)ゞ

新たな出会いに際し、
そんなコトをまた強く思っている次第なのです。(^_^)



そんな素敵で心地良かった幾人かの人々との出会いの後、
程なくして訪れることとなったハワイ島。
その中の一人の方の「ある想い」と共に「トアル聖地」を探して
広大な大地を走り抜けるレンタカーさん。



正面に見える山は標高4169メートル。
富士山より400メートルも高く、
世界で最も「体積」が大きい山、マウナ・ロア。
その聖地を探す旅はちょっと不思議で面白い話でもあるので......
各所!?とも確認と相談をしつつ!?
またココで記せればいいなぁ。。と、思っています。
しばしっ!(=゜Д゜=)ノ


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すげーなぁー。。

2015-03-02 01:46:59 | 凄い
眼前にはハワイ島西岸に果てしなく広がるマリンブルーの太平洋と空。
多くも少なくもない雲。
耳にはサラサラに乾いた風の音と、
寄せ返す波の音とが心地よく響いていて。
そして、そのブルーの海の中へ、
どことなく優しい顔をした夕陽が幻想的な無限のオレンジに輝きながら、
今、ゆっくりと沈みゆこうとしています。
こんな大きな風景と、
この星が大きく回りゆく感覚とが一つにまとまって、
「流れ行く時間」として感じることが出来ている......
そんな時を過ごせている幸福。



完璧と思える1日。



感謝。



大好きなハワイ島さんにお邪魔して、
大好きなコナ珈琲農園をアチコチと訪ね歩く......
という最近では一種の趣味!?
ともなったそんなドライブからホテルに戻り、
海に面した部屋のベランダにしつらえてある椅子とテーブルに
お気に入りのビールとポテトチップスを並べて座り込みます。



「ホッ ε-(´∀` )」



心地良し。。



今日のこの記事はそんな感じで記しています。
やぱーり、海は良いですなぁ......
なんだか癒されるのです(^_^)
僕の中には相変わらずの海への憧れみたいな気持ちも。。



すげーなぁー。。



お家に一つ欲しいなぁ......海......



今日はマウナケアさんも何故か!?
また一段と大きく美しく感じられた日で。
なにやら神々しかったのです。
朝、頂上までハッキリと見えていた山の輪郭と、
その山頂の真上に太陽が登って来た風景とを目にしていたせいもあって、
だからなのか、
その佇まいだけでウルッと来ちゃいましたし。

すげーなぁーー......

お庭に一つ欲しいなぁ......山......

コナ珈琲の生みの親マウナロアさんもいいですなぁ。。

すげぇーなぁーー......

キッチンに一つほしーなぁー......

「おーおー今日もコーヒーなってるなってる♪( ̄ー ̄)
つまんで淹れちゃおかな!?」

なーんてね。

いいなぁーー......

バカだなぁー......

オレ(。-_-。)。。

ベランダでそんなポンポンチキな感慨にふけっている僕の目には、
景色や美味しいビールの他にも、
こんな旅や普段の毎日をさり気なく、
常に完璧に支えてくれているスゲェお仲間さん達も

「パラリ......」

とテーブルに投げ置かれていまして......
その一つがコチラ。
ウェンガー(WENGER)さんの
「スイスクリップ・マルチツール」 (^_^)



ウェンガー社というのは元々スイス軍の公式ナイフを作っていた凄腕!
のナイフ会社さんで。
同じくスイス軍にナイフを納品していた
ビクトリノックス(Victorinox )社さんが2005年に合併し、
今に至るという
「スイス職人気質バリ高&クール」な会社さんです。
中でもこのモデルはもう20年以上も!
付き合っている、
僕にとっては最早欠くことの出来ない大切な生活のパートナー。
マネークリップ型のマルチナイフでは超小型の薄型で、
特に海外ではチップなどで使うキャシュもしっかりと挟めます。



切れ味抜群のナイフやハサミは、
小さいながらも物事場所を問わずナニかと役に立ちます。
ヤスリも、
先端部分はメガネなどの小さいネジ部品を締める道具としても
フィットしたりして本当に機能的。
ナイフの切れ味が落ちてきた時に何代か買い替えもして来ましたが、
もはや僕の体の一部!と化しているくらいのモノです。
これが手元に無いと、どーも落ち着きません。。σ(^_^;)

それともう一つ、
必ず持ち歩いているのがこの超コンパクトな爪切り。
ツヴェリング(ZWILLING)社さんの
「ネイルクリッパー=Nail Clippers」



本来はこんな箱に入ってます(^.^)



ツヴィリングはナイフやハサミを作る、
ドイツの伝統的なメーカーさん。
ウェンガーさん同様に卓越した刃物作りの技術があるため、
こんなに小さいのに!



感動的!な切れ味になっています。
「ドイツ職人気質バリ高&クール」な会社さんです。
ただのとても小さいスチール板!?の様に見えるのですが、
指先をチョイと滑らせれば、あっという間に臨戦態勢。
こんな風に変化しちゃいます。。



コイツはマジヤバイっす。
映画「トランスフォーマー」に出したくなるくらい。
切れ味の方もヤバいっす。
よく切れる爪切りは決して「パチン!」系の音などしない、
出ない......
「スクッ、スクッ......」
っという、音にならない音で切れてしまう。
そんなことまでこの小さな体で教えてくれたりします。
使う度に感服してしまう切れ味、質、実力。
それらを見事に表現しているデザイン。
恐ろしく研ぎ澄まされた
「モノとしての完成度」
にシビレ上がっちゃう!(◎_◎;)ワケなのです。

すげーなぁー......

コヤツラ......

どちらのツールもミニマル・デザインを纏っていて、
この時も記した「ミース」の偉大なる影響を感じてしまったりするのですが。
やはり本当に良いモノとはお付き合いも長くなります。

彼等には、
これからも末長い力添えをお願いしたいのでございます。

眺めていた綺麗な海から、ふと、
彼等に視線を落とした時に、
改めてそんなことを思ったのでございます。(^_^)


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