雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

うつわ

2012-08-30 00:29:29 | 勇気
その人は、僕の目の前にある水の入ったコップを取って、
同じく水の入った自分のコップにトポトポ.....と、
僕のコップの水を注ぎ出しました。
そして、その人......その男性のコップは
溢れんばかりの水で満たされ。
グラスの上方に表面張力で盛り上がるようになるまで張り出してきて......
その瞬間、
その人は水を注ぐのをやめました。
グラスは水が溢れ出る寸前。
いや、幾筋か、水はグラスの表面をつたって溢れていました。



「あのさ、みんなこうなんだよ。みんな。
いつもギリギリでさ、
ちょっとでも触ると溢れちゃうんだよ。水が。
こんな状態でさ、こんなイッパイイッパイの状態でさ、
その人なりに一生懸命頑張ってるんだよ。きっと、さ」

「......」

「俺もそうだもん。そういうときあるよ」

「......」

「このコップがさ、うつわ。器。
あんまり大きく無いけど、
みんな、それぞれの形、大きさで、器があってさ、
その器イッパイイッパイで生きてんだよ。きっと。
でもさ、器が拡がる時って、
こんなふうにイッパイイッパイになってさ。
それで、水が、もう、こぼれんばかりに溢れそうになってさ。
なって、なって、大変で、そうして、そうなって、、、
初めて器ってのは拡がるんだよね。
そうなった時にしか拡がらねぇんだよ。器って。うん。
イッパイイッパイになって、頑張って、
そこで初めて器ってデカクなる。
そんなもん。
それをさ、わかってやらないとな。
皆、それぞれの器の中でイッパイイッパイなんだってことを
分かってやらないとな。
いつもそう見てあげないと。
俺はそういうふうに考えてる」



......これは、以前、
敬愛するとある先輩男性と会社の一室で交わした話し。
ちょっと「やんちゃ」で、とても「偉い」方ですが、
とても愛情溢れる方です。

僕は何度か失敗をしてきました。
何度かイッパイイッパイに頑張っていた人を諫め、叱って、
怒ってしまったようなことがありました。

そんな時と言うのはだいたい自分自身もイッパイイッパイな時。
水の雫を一滴でも入れてしまうとコップの水が溢れ出てしまうような時。
それで、相手がイッパイイッパイでいることを見失ってしまいます。
そして、結果、
人を傷つけてしまったようなことも幾度かあったように思います。
そんな時、そんなことは二度としたく無い、
もっと大きな人になりたい......
なんて、いつもそう思います。



「器」というものを広げるには、やはり、一度、
その時の自分イッパイに水を入れなければならないのでしょう。
なんだかキツい話しですが、近道というのもきっと無いのでしょう。
それでもやっぱり器は大きいのに超したことは無いとも思うので、
これからも自分に出来るだけの努力はしていきたいとは思います。



器と言えば以前、
これまた敬愛すべき別の大先輩が......こちらも男性ですが......
子供の頃、お婆ちゃんに言われた印象的な話しというのを
してくれたことがありました。
その方とお会いすると、
今でもたまにこの話しをしてしまう時があります。
その先輩の実家というのは京都なのですが、
チャキチャキの「京」婆ちゃんは、
幼いその先輩によくこんなことを言い諭していたそうです。



「男の器は甲斐性やで。
甲斐性とは使っても使っても入ってくるんや。
与えても与えても入ってくる人になるんやで。
お前のおじいちゃんはそんな人やった。
そんな人になるんやで」



うーーん......
おやじぃぃぃーーっ!!
ビール中ジョッキでぇーーーっ(><)/
ぷれみあむモルツぅ!!



写真はキャラとしてイッパイイッパイの秋田のスギッチ......
秋田空港にて......


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オネアミスの翼

2012-08-28 00:11:57 | 勇気...映画/音楽
音楽監督は坂本龍一。
主人公の声は森本レオ。
変わりどころでは、
徳光和夫さんがそのまんまアナウンサー役の声で参加していて、
作画監督や特殊効果スタッフのクレジットには若き日の貞本義行さんや、
庵野秀明さんの名前も。
こんな錚々たるメンツをまとめる監督は山賀博之さん。
この作品が無かったら、恐らく
「エヴァンゲリオン(エヴァンゲリヲン)」
や、アニメ界にヒット作を数多く排出している制作会社
「GAINAX(ガイナックス)」
も生まれていなかったと言われる劇場用アニメ。
それが「オネアミスの翼」。正式には
「王立宇宙軍 オネアミスの翼」
というタイトルになっているらしいのですが、
学生時代の僕にとても大切なことを教えてくれた映画作品の一つでもあります。



主人公「シロツグ・ラーダット」が語る映画冒頭の印象的なナレーションは、
深みと優しさのある森本レオさんの声で語られます。
言葉はこんな感じ。



「いいことなのか、
それとも、わるいことなのか、わからない。
でも、多くの人間がそうであるように、
俺もまた、自分の生まれた国で育った。
そして、ごく普通の中流家庭に生まれつくことができた。
だから、貴族の不幸も、貧乏人の苦労もしらない。
別に、知りたいとも思わない。
子供のころは水軍のパイロットになりたかった。
ジェットに乗るには、水軍に入るしかないからだ。
速く、高く、空を飛ぶことは、何よりもすばらしく美しい。
でも、学校を卒業する2ヶ月前、
そんなものにはなれないって事を成績表が教えてくれた。
、、、だから、、、宇宙軍に入ったんだ。。」



学生だった僕は、自分自身に問いかけます。



「自分はどうなんだ?
いったい、こんな風に学校や仕事、会社、
進路を決める人がどれくらいいるのだろうか。
自分はどうなんだ?いったい......」



この作品にオープニンングからずーーっと流れていく空気感。
それは何とも言えない虚無感。倦怠感。退屈感。
退廃的とも言ってよい空気。
主人公や多くのキャラクター達の目つきもうつろげに描かれています。
そしてそんなキャラクター達は皆、殆ど笑顔をみせません。
それはその後「エヴァンゲリオン」にも繋がっていく空気感。
この作品には「エヴァ」へと続いていく流れの源泉のようなものが
存在していることが手にとる様に良く分かります。

そして、その退廃的とも言える空気感は、
主人公シロツグが宇宙飛行士に志願し、成長していく過程と共に、
最後には作品そのものの中で見事に壊され、
その遥か先に突き抜けていくような解放的なエネルギーへと変えられていきます。

多くの良い作品がそうであるように、
見る者の心情を主人公や作品と同化させ、
物語の中に引き込みながら魅せていく......
というのは当然のことですが、この映画の凄いところは、
あくまで個人的見解ではありますが、
見る者が重ねている登場人物達の心情や物語の流れというのが、
いつの間にか

「この作品を作っているクリエーター達のマインドの流れ」

としても感じられてしまうことです。
それがこの作品を特別なものにしている要因なのではないかと僕は思っています。
当時の若いアニメーター達の日常と葛藤と夢。
そして、突き抜けていく衝動。
何故でしょうか......この作品に僕はそんなモノを感じてしまうのです。
特に、
庵野秀明さんが描くロケット発射からエンディングに至るまでのラストシーンは
今見ても美しく。
普通の日常から突き抜けていく様な気持ちや衝動と、
情熱的な「何か」を宿しているようにも感じられます。
それは、
その時の庵野さんや制作チームの気持ちや衝動そのものなのかもしれません。
僕はこの作品を見ると、
いつも黒澤明監督の「生きる」を思い浮かべてしまうのですが、
どこかそんなテーマも持ち合わせている作品ではないでしょうか。

「生命とは自らを表す衝動のことだ」

というようなことを、
以前ココでも記しましたが、この作品にはそんな部分も感じます。



この映画を見た頃。
若かった僕は誰でも通る様ないっぱしの、そして、
極普通の普遍的なテーマを考えていたりしました。
それは

「僕は、何処から来て、何処に行くのか」
「僕は、何故生きている?のか」

主人公のシロツグは物語の中盤で、
この「普遍的で若輩的なテーゼ」を僕の代わりに、
そのままスクリーンの中の彼の友にぶつけてくれます。



シロツグ
「、、、もしかしたら自分が正義の味方じゃなくって、
悪玉なんじゃないかと考えた時とかないか、、、」


「さあな、、
ただ、、周りのヤツら、親とかみんな含めてだ、、、
そいつらが、、俺をほんのちょっとでも必要としているからこそ、
俺はいられるんじゃないかと思ってる。
金物屋だってそうだろ。
誰かが必要としてるからこそ金物屋でいられるんだ。
この世に全く不必要なものなんか無いと思ってる。
そんなものはいられるはずが無い。
ソコにいること自体、誰かが必要と認めてる。
必要でなくなったとたん消されちまうんだ。。そう思う。
どうだ?」

シロツグ
「。。うん。わかった。ありがとう。」




「君は、必ず、何かに、誰かに、必要とされているから存在している」




このテーゼに僕は今まで幾度か助けられて来ました。
僕にとってはとても大切なテーゼ。
「王立宇宙軍 オネアミスの翼」
タマに思い出したように見てみたくなる作品です。


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根によって立つ

2012-08-27 00:00:01 | 面白い
今日、J-WAVEの「ヴィンテージ・ガレージ」と言う番組で、
「北海道スペシャル」と名打って、
二週に渡り「北の国から」などで有名な作家、
倉本聰さんのインタビュー特集を放送していました。
富良野で収録したものの様でしたが、たまたま先週、
運転中に一回目の放送を耳にして。
そのあまりの面白さに釘づけになってしまい、
今週もまた出かけた先で、
運転をしながらずっと聞きいってしまいました。



「さだまさし」さんとの
「北の国から」のテーマ曲が出来るまでのエピソードとか。
北海道に移り住むキッカケとなったNHKとの大げんかの話しとか。
業界で「干されて」しまい、それで北に逃げたのだとか。
「敗北」と、負けを表すのに「北」が付くのは何故か?とか。
実感を持ってそういうことなんだと感じた......みたいな話しとか。
勝者は大抵南の方へ向かうでしょ!?みたいな話しとか。
北海道に移り住んだ時は、
一旦札幌に住みながら一年間北海道中を隅々まで回って、
最終的に住む所を富良野に決めたこととか、その理由とか。
高倉健さんとの逸話とか、フジテレビの裏話とか、
富良野での色々な仕事や、
カフェ作りやホテルの庭作りの話しなどなど......
いやいや、本当にどの話も興味深く、
そして、笑えて楽しいものでした。



最後にナビゲーターのロバート・ハリスさんが、
番組恒例だという
「ちょっと難しめの質問」
というのをしていました。
それは、

「物語を書く上で、
倉本さんが最も大事にしていることとは何でしょうか?」

という感じの質問。
少々不確かな部分もありますが、
おおよそはそんな感じでした。
その質問に対して、
倉本さんはだいたいこんなふうに答えていました。
コチラも僕の聞いていた記憶を文字に起こしている状況なので、
一字一句正確ではありませんが......

 

「物語というのは一本の木の様なものだと思うのですね。
木は根によって立つ。
されど根は人の目からは見えず、その見えない、
描かれない根の部分をしっかりと作る、想像していく。
それが物語には一番大事なこと。
僕は、この部分を作っていく作業が一番好きだし、
面白いと思っているんですよ......」



決して表に出ない部分をしっかりと作っていくことが
最終的に作品に説得力や、力を持たせていくことが出来る。
それを「倉本塾」においても、
生徒さん達にいつも強く教えているとのことでした。



その話しを聞きながら、
僕は以前ここで記した木の話しなどを思い浮かべつつ、
もう一つ思い出していたことがあって。
それは、
モーパッサンというフランスの有名な作家にまつわる話し話でした。
彼は倉本さんと同様に、
小説だけでなく劇作家や詩人としての作品も数多く残した作家さんです。



彼は、若き頃のある日、
先輩である小説家のグスタフ・フローベルに
小説を書くための勉強法を一つ教わります。
それは......



「パリの街に出かけてゆきたまえ。
そして一人のタクシー運転手を捕まえることだ。
その男には他のどの運転手とも違ったところなどないように君には見える。
しかし君の描写によって、
この男がこの世界中の他のどの運転手とも違った
1人の独特の人物に見えるようにまるまで、
君はこの男を研究しなければならない」



こんな努力、作業、そしてセンスも、
倉本さんの言う見えない「根」の部分でしょうか。
きっと、どの分野でも、
良い作品と言うのは表に出ている以外の部分が途轍も無く広く、深く、
そして、その部分の大きさと質とが、
また作品に反映されるのではないかとも思います。
そんな部分を読み解いていくのも、
時に見る人や受け取る側の楽しみではないかと思いますし、
倉本作品に登場する人々に感じる「リアリティ」の秘密が
とても良くわるお話でした。



「昨日、悲別で」
僕が倉本さんに最初に出会った本。
勿論この作品のテレビドラマも好きでしたが、
小説としても凄く影響を受けた、僕の大好きな一冊です。
よーく見ると、この本......
「深谷高等学校図書館」とあります......
未だレンタル中......
かえ......そうか......な......( ̄_ ̄ i)タラー


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ひも道、五箇条。

2012-08-25 01:16:02 | 凄い
♪ひゃくぱーせんとぉぉぉーー。。
ひぃゃくぱぁーーせんとぉぉぉーーーっつ♬ “ヘ( ̄∇ ̄ )カモォーン♪



ムーミンのミイちゃんが歌う
「スズキMRワゴン」
のCM曲が気になって仕方が無い今日この頃。
今夜は親しい仲間と久しぶりの食事会でちょっとよぱらーってまふ。
(//∇//)プヒー。。
で、ですね、その楽しい食事会でですね......
今日は素晴らしい!?
哲学を教わったのでちょっと書いてみたりします。はい。



ひゃーくぱーーせんとぉぉーーー、、サンキュゥ♪(o ̄∇ ̄)/



今日のメンバーは僕を入れて三人。
生意気に、本なんかも必要以上に出したりなんかしている
人気マーケッターの Jさんと、
数々の新規事業を成功に導いてきた
「出来る!キャリア・レディ」
のH嬢。
有名なあの人やらこの人やら、
オリンピック代表選手やらまで沢山ケアしている、
「出来る!スポーツ・トレーナー」
Iちゃん......
は、残念ながら出張で不参加。(`ε´)ぶーぶー
東京、世田谷区、三軒茶屋にあるカレー鍋が絶品!
のお店「伝心望」で楽しい一時を過ごしました。



盛り上がる話しの中で
「出来る!キャリア・レディ」
のH嬢に



「そなたわ、どーーしてそんなに出来るのですか!?」



とJ氏と僕は素朴なヨッパラーーーイ的質問を投げかけます。
マーケティング調査です。はい。立派な。
このH嬢。ロングヘアの似合う女性盛り。
水商売を思わせる軽やかな心身のこなしと、頭の回転の良さ。
本人が意図せずとも、
ちょろっと男心をくすぐってしまうちょいノセの美貌とセンス。
そんな雰囲気でもってくるくると、
軽やかにお仕事も世界も回していきます。ハイ......
くるくるくるくる......(@.@)くるくる......
あくまで雰囲気!
ココ大事ね!( ̄ヘ ̄)大事!



「、、、でさ、どーなのさ。んん!?」



と詰め寄るマーケッターJさん。



「うーん、そーーねぇぇ、、別に特に何も意識してないけどぉ、、」



と、ケロっと答えるH嬢。
ケロケロしてます。ケロケロ。



「なんかさ、出来る五箇条!みたいなものあるでしょ!?
そんなヤツ!無いのケロ!?」



と僕。



「そのケロっとした軽さとさ、“ひも的” なセンスが凄いんだよねぇ。。
ひも理論!ホーキンス!羨ますぃー!!」



と、とても失礼千万な発言を、
お酒の勢いを借りて重ねていく男性陣二人。



「ひも道!ひもみち五箇条ぉぉぉーーーっっ!!イェーイ!」



「うーーん。。。じゃぁ......いちぃぃぃぃーーーっ!!(><)/」



と叫ぶH嬢。



「いちぃぃぃーーーっ!(=゜▽゜)/\(゜▽゜=)。。」



と、オウムの様に答えるアホなJさんと僕。
なんだか異様に盛り上がってまいりました。



「一、10を出し、100を返してもらう」



おおおおーーーっつ!(゜○゜)!(゜○゜)!(゜○゜)!ま、まじっすかぁぁーーーっ!
ふ、深い、深すぎる、、泥沼の様に深すぎる、、、
そ、その、10というのは「0」とか「5」ではダメなのでしょうか?
5を出して、50もらうとかでわわ?



「だめね。あくまで10なのよ。うん。」



そ、それわ、誠意とか十分とか、出来るだけとか、、、
そんなニュアンスの「10」なのでしょうか!?卑弥呼様!?



「まあね、そんなものかな。愛ね、愛。」



そ、そ、、そーーーですかぁぁーーー!(゜○゜)!(゜○゜)!(゜○゜)!!!
返してもらうのも10倍でないとダメなのでしょうか!?



「そうね。ソレより少なくても多くてもダメね。」



な、なんか、根拠がよく分からないけどすごーーーーぃぃぃっ!!
でも分かるような気がするのもすごーーーぃい!(><)



「にぃぃぃぃーーーっ!!」



「にぃぃぃぃぃーーーーっ!!(=゜▽゜)/\(゜▽゜=)」



オウムの様にH嬢の言葉を繰り返す馬鹿なJさんと僕。



「二、軽い “ニャー” を覚える」



か、かる、軽いにゃぁーーー!?そ、それわ、、、
猫なで声の「にゃー」ですかぁーー!??!



「そうね。そんな感じ」



にゃーーーーーーーーーーーっ!!(><)
ふ、深い。
マリアナ海溝の様に深い......



「さん!」



「さぁーーーん!!(=゜▽゜)/\(゜▽゜=)」



「三、時々仕事をする。」



と、と、時々って、、
仕事を時々する、ではなくて、時々仕事をする!?
っていうんですかぁーーーーっ!?(゜○゜)!(゜○゜)!(゜○゜)!!?
だいたーーーん!!!



「よーーん!」



「よぉぉぉーーーん!(=゜▽゜)/\(゜▽゜=)」



「四、趣味はもたない」



しゅ、しゅら、しゅしゅしゅーーーっつ(゜○゜)!(゜○゜)!(゜○゜)!!?
一聴すると流したくなるような言葉ですが......
よくよく考えると途轍も無く深いのでわぁーー!?
無駄遣いしないし......な、なんか......
漠然と凄いような気がするぅぅぅ-ーー!!(><)



「ご!」



「きたーーーっ!!(><)ごーーっつ!!
ラストーーーッ!!(ノ゜ο゜)ノ オオオォォォー!」



「五、狙ってやらない」



きたーーーーっ!!(」゜ロ゜)」(」゜ロ゜)」(」゜ロ゜)」オオオッッ!
意外にできなぁーーーいいいいいーーーーっ!!



ええ。
まぁ、今日の所はそんな感じでございます。はい......
まとめます。



出来る女「ひも道、五箇条」
一、10を出し、100を返してもらう。
二、軽い「ニャー」を覚える。
三、時々仕事をする。
四、趣味はもたない。
五、狙ってやらない。



お、恐ろしい......
恐ろしいほど素晴らしすぎます。
「電通鬼十則」に匹敵する素晴らしさ......
世の中には凄い人が沢山いますな......



この後、僕らが100%奢らされたことは言うまでもありません......
( ̄ー ̄;)うーーん......
尊敬。


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御気をつけなさい。。2

2012-08-24 00:14:35 | 不思議
そして、その日、
オルガンティノは祭壇の前で祈りを捧げている時に
幻とも現実とも分からない不思議な光景を見ることになります......
つづくぅ(・O・)/




オルガンティノが見たその光景は、
沢山の日本の神々が集い、祭りのように騒いでいる宴。
神々の真ん中では肌も露にした美しい女神がくるくると躍り、回っている風景。
そして、そんな光景を見ながら彼はその場に倒れ込みそのまま意識を失います。

翌日の夕べもオルガンティノは南蛮寺の庭を歩いています。
すると、
いつの間にか目の前に煙に包まれた様な薄ボヤけた姿の老人男性が表れます。
ソレは昨日見た幻の中に出て来た神達と同じ様な姿に見えました。



「誰だおまえは?」



ときくオルガンティノにその老人はこう答えます。



「私はーーー誰でもかまいません。この国の霊の一人です。
御一緒に歩きましょう。。」



オルガンティノは払いの十字を切りましたが......老人は意に介しません。
そして、観念したオルガンティノと老人は一緒に歩き出し、
色々な話しをします。
老人は、だいたい、こんな話しをオルガンティノにします。



......あなたの神もこの国に来ては、きっと最後は負けてしまいますよ......

......過去この国に渡って来たのはあなたの神だけではありません。
孔子、孟子、荘子......

......沢山の支那の哲人、、後にはシッダルタ(釈迦)......

......誰がこの国を征服出来たでしょうか。
例えば文字をご覧なさい。
文字は我々を征服する代わりに、我々の為に征服されました。
空海、道風、佐理、行成、、、
彼らが手本にしていたのは皆支那人の墨跡です。
しかし、彼らの筆先からは、次第に新しい美が生まれました。
彼らの文字はいつのまにか王儀之(おうぎし)でもなければ
楮遂良(ちょすいりょう)でもない、日本人の文字になり出したのです。
しかし、我々が勝ったのは、文字ばかりではありません。
老儒の道(道教と儒教)さえも和らげました...

......私は親鸞、日蓮と一緒に沙羅双樹の華の陰も歩いています......

......たといこの「造り変える力」が、我々だけに限らないでも、
やはり油断だけはなりませんよ。
いや、むしろ、、それだけに、
御気をつけなさいと云いたいのです......



この老人の姿は、
歩いていくうちに夕闇の中にだんだんと消えていくのですが。
その消えていく最中、
老人は小さくなっていく声でオルガンティノにこう言い残します。



......事によるとデウス(オルガンティノの神)自身も、
この国の土人に変わるでしょう。
支那や印度も変わったのです。
西洋も変わらなければなりません。
我々は木々の中にもいます。
浅い水の流れにもいます。
薔薇の花を渡る風にもいます。
どこにでも、またいつでもいます......



......御気をつけなさい。御気をつけなさい......



——————————平成時代。
六本木の寿司屋のカウンター。



「御気をつけなさい、、、」



っと、僕は思わず言いそうになって口をつぐみました。
違う違う......



「えーーっと、、、僕が思う日本文化の特徴はですね、、、」



と僕は言い直します。



「アレンジメント・カルチャーって感じでしょうか。。
あくまで個人的な主観ですけど。。」



思いもよらず、その場にいた方達全員が



「うんうん、、」



とうなずいて納得していたことに少し戸惑いましたが、
その時は皆でそんな話をしたことを覚えています。
その時の僕の意見は、
主観的でたわいもない全体論としての話でしかありませんが、
芥川龍之介の書いたこの短編小説以降の......明治以降の.......この国を見ても、
果たして我々は「完全に」アメリカに占領されていた?いる?のでしょうか。
クリスマスやらバレンタインやら、サンバ祭りにハロウィンやら。
七夕に盆に正月、ベースボールが野球になって......
もしかしたらこれからはサッカーなども......
この小説の内容に思いが至るようなことが僕には時たまあります。



御気をつけなさい。御気をつけなさい......



この国の国民性は、
もしかしたら独創的というものではないのかもしれませんが。
多様なものを独自に纏め、組み替えて、造り変えて、
いつの間にか違うものや、自らのものにしてしまう。
そんな「懐の深さ」は特筆すべき日本人の特徴なのかもしれません。



「底知れぬ懐」



この国では至る所に神がいるのでしょうか。
八百万の神とは......
ならば、御気をつけなさい、御気をつけなさい......と、
たまに呟いてみるわけです。



タマに行く神秘的な本栖湖から見る富士ピョーーン!(^^)じゃぱーん


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御気をつけなさい。。

2012-08-23 01:12:12 | 不思議
とある昔日。



「レディオ・ヘッドのA&Rと食事をすることになったんだけどさ、
一緒に行かないか?」



と、以前勤めていたレコード会社の社長「Nさん」から
オフィスで声をかけられました。
レディオ・ヘッドが大好きだった僕のことを知ってか、知らずか......
当然、僕は即答で



「行きます!」



と答えました。
A&Rとはレコード会社、レーベルにおける
アーティスト・プロジェクトの責任者のことで、
楽曲とそのリリースに関しての責任者でもあります。
「Artist & Repertory」の略称。
プロデューサーと同義で使われることが殆どです。

そして、その夜。
僕はN社長が予約してくれた東京、六本木交差点の程近くにある
お寿司屋さんにN社長と女性秘書のM子さんと一緒に向かいました。
そのお店は「一見さんはお断りよーん」的なお店で、こじんまりと、
しかし敷居の高そうなオーラを放つ和風一軒家のお店。
なんだかミシュランガイドに出てきそうな高級系お寿司屋さん。
骨の髄までB級の僕にはマサにピッタリ!
のお店です(@.@)ソワソワ......

そんなお店の暖簾をイソイソとかき上げてお店に入ってみると、
そこには教科書通りのブロンド&ジェントルな白人男性さんと
通訳の日本人女性スタッフさんが
磨き上げられた白木の長いカウンターに座って待っていました。
A&Rの彼はレディオヘッドの担当だけあって、
顔も背丈もどことなくトム・ヨークに似ていた記憶があります。
僕ら3人は、彼等二人の横に並んで腰掛け。
カウンターには5人がずらりと並びました。
流れ出した空気は、なんとなく、
とてもこじんまりとした良い雰囲気で。個人的には



「レディオ・ヘッドの話を色々聞けるかなぁ。。」



などと楽しみにして伺ったのですが、それは、
やはりとても楽しい食事会となりました。
僕らは音楽談義でひとしきり盛り上がり、
仕事がらみの話などもひと通り終わると、今度は、話の内容が



「日本って面白い国だよね、、」



という方向に流れていきました。
どうも、そのA&Rさんは、
レディオ・ヘッドの仕事を通してこの国を見ている感じなのですが、
言語も文化もかなりかけ離れていると思われるこの日本という異国で、
難解な部分もかなりあると思っていた彼ら......
レディオ・ヘッドの音楽が受け入れられているということや、
それにも増してその受け入れられ方の質や
伝わってくるファンの熱度といったものが、
ちょっと信じられないレベルにあるということにかなり驚いているようでした。
もしかしたら、この国のファンは、
同じ言語や文化圏のファンよりも彼らの音楽をちゃんと理解している、
されているような感覚を覚えるような時がある......と。
それが驚きだ、と。

日本という国は本当に不思議だ、と。

僕の理解を超えている部分がある、と。

そんな話になっていきました。

そして、



「実際、
キミ達は自分たちの国の文化というのはどんなものだと思っているの?」



と、僕らは聞かれました。
それに答えようとしたとき......
答えているとき......
僕の頭にはある短編小説に書かれている
「印象的な一文」がずっと浮かんでいました。



だいたいそうです。



こんなふうな質問を海外の方からされる時、
僕にはいつも決まってその「一文」が浮かんでくるのです。
それはいつも悪戯っ子のように楽しそうに僕の頭の中を駆け巡ります。



「御気をつけなさい。御気をつけなさい......」



その言葉を僕の頭に植え付けた短編小説は
「神々の微笑」
というタイトルでした。
芥川龍之介によるその小説は僕にはとても面白いものでした。
とても短くてほんの数十分で読めてしまえるようなものなのですが、
何とも言えない不思議な魅力にあふれている作品です。
舞台は芥川と同じ明治~大正期なのでしょうか......
ハッキリとは記されていませんが、
布教の為に日本を訪れたキリスト教、カトリックの神父さんが
その日々の布教活動の中で感じていることではないか?
といったことを主題にして書かれた作品。



————————パードレ(宣教師) オルガンティーノは、
ある春の日の夕べ、
自分の管轄する南蛮寺(キリスト教寺院の俗称)の庭を歩いています。
彼の布教活動は、彼だけでなく仲間共々順調で、
毎日沢山の人が入信してくる状況でした。
しかし、そんな中で、彼はこう思っています。



「この国の風景は美しい。。
ただ、、自分は一日も早くこの国から逃れたい気がする。。
この国には山にも森にも、、
あるいは家々の並んだ街並にも何か不思議な力が潜んでいる。。」



そして、その日、
オルガンティノは祭壇の前で祈りを捧げている時に
幻とも現実とも分からない不思議な光景を見ることになります......
つづくぅ(・O・)/



大浦天主堂。
長崎県、長崎市にある現存する建物の中で日本最古となるカトリック教会。
ここ美しいですぅー。
けっこう好きーっ。。ヽ(´▽`)/
ここもかつては「南蛮寺」と呼ばれていたのでしょうか......
一本気になる木が......


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部品の行方

2012-08-21 00:05:32 | 願い
部下に勧められて見た
「海洋天道」という韓国映画のエンドロールにこうありました。



「平凡にして偉大なるすべての父と母に捧ぐ」



僕の父は鉄工所をやっています。
昔は会社員だったらしいのですが、
僕が物心ついた頃にはもう辞めていて、
代々の実家家業であった鉄工所を祖父から継いだようです。
祖父は僕が生まれた時には既にいなくて。
自宅前の工場からは、毎日、
父の扱うプレス機が固い鉄板をくり抜く重々しい音や
フォークリフトの騒音が響いて来て。
僕はそんな音や、鉄を切るバーナーの青白い炎、
溶接の火花や色々なオイルの匂いなどに囲まれて育ちました。

工場の規模は小さくて、
忙しい時は人を雇ったり、雇わなかったり。
一家5人が「普通」に食べていけるくらいの、
「普通」を絵にかいたような鉄工所でした。

鉄工作業で鍛え上げた父の体はとても強く、丈夫でしたが、
70代も半ばになった年齢にはさすがにかなわず、
最近は重労働である鉄工仕事はあまりしていませんでした。
二人の息子......長兄である僕と弟が10代で家を出て、
数年前に祖母が亡くなってからは
母と二人での年金暮らしの様な感じです。



そんな中、
昨年末に父が突然倒れました。
病院に運ばれ、入院。
癌の疑いがあったのですが、様々な検査の結果、
最終的には悪性でない腫瘍と言うことで
手術も要らない形に落ち着きました。

年始には退院して、
それから暫くは体を休めていましたが、
最近また少し......仕事を始めたようです。

無理な仕事に反対をしていた僕に父が言ったのは、
「何もしないでいるのは辛い」
ということと、
「お金はあればあるだけ助かる......」
ということでした。



今、この瞬間、
埼玉県の片隅にあるエアコンの効かない小さな工場では、
白い、何の変哲も無いTシャツを着た僕の父が、
汗だくの老体をゆり動かしながら小さな鉄部品を作っています。
溶接をしたり、プレスをしたり、
今作っているそれは、電車のバッテリーをいれるちっぽけな部品。
父はそれを、人知れず毎日毎日、沢山沢山......作っています。
同じパーツを幾つも作る作業ですからひたすら同じ行程の繰り返しです。
常に寡黙な父ですから、きっと、
そのルーティン・ワークを黙々とこなしていると思います。



きっと父は、その自らの手で丁寧に作っている部品が、
その後どんな人に、
どんな風に組み立てられているかなど知りませんし、
知りたがりません。
その部品が何という型番の車両の、どの部分に積まれているのか。
ましてや、その列車が世界の何処を走る列車で、
何線と呼ばれていて、
毎日何人の人をのせて走っているかなど考えたこともないでしょう。
その電車を運転する人も、乗っている人も、
その車両のバッテリーケースが僕の父が作ったものだなんて知りません。



それは、ただ淡々と流れていく事実です。



今、この国のどこかでお米を作っているおばあちゃんがいて、
大切なお米の為に害虫や台風、
水害などと毎日毎日向き合っていると思います。
それは、おばあちゃんにとってはただ淡々と
毎日毎日繰り返される当たり前の作業であり、普通の日常。
誰に知られることもなく、
知らせようとすることもない毎日。



普通とは、きっとそういうこと。



自分のしていることが、どれくらい世界の役にたっているのか。
何の役にどんなふうにたっているのか。
誰の役にたっているのか?
そんなことは気にしない限りは殆どわかりません。
でも、そんな普通のことの方が世界の大部分を占めていて、
そんな普通のことが世界の多くを動かしているのだと思います。



それが普通ということ。



テレビでは一見、
華やかな場所で、華やかな人達が活躍していて、
その裏にどんな辛く厳しいことがあろうとも、
それを見ている人達がいます。
それは普通とは違います。
それは「特別」ということ。
自分のしていることを誰かが見ていて、
良い悪いも全て含めて誰かが知っていてくれる。
それはきっと普通なことではありません。
だから「特別」ということ。



だから、僕は父の仕事をじっと見つめます。
父のしていることをちゃんと知るようにします。
その瞬間、父は「特別」になるから。
普通の人である父も特別になれるから。



だから母も、弟も、皆、父を見つめます。
だから、家族にとって、父は特別になります。



見るということは、光を当てるということ。



普通の人も誰かが見つめることによって光が当てられ、
きっと特別になります。
それは、家族、近所の人、友達、職場の仲間、通りすがりの人......誰でも。
見つめることによってその人は特別になれます。
誰かが見て、理解することによってその人は特別になれます。



きっと特別とはそういうこと。



普通の人には特別な時を。
そして、特別な人には普通の時間を。



僕の父が作る小さな電車部品の行方は誰も知らないけど、
普通の人が、時々特別になれて、
特別な人が、時々普通になれて、
特別と普通の狭間で、世界が穏やかに回っていくのであれば、
部品の行方は解らなくても、僕はそれでいいと思います。



オヤジの病室に持って行ったお守り
買ったのではなく、自分が持っていたものをあげたので、
何故か開運......( ̄ω ̄;)


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プロメテウスと2001年

2012-08-20 00:30:36 | 凄い...映画/音楽/珈琲
やっぱり「2001年宇宙の旅」という映画は、
あまりにも偉大なんだな......と、つくづく思うわけです。
リドリー・スコット監督の最新作
「プロメテウス」3Dを見た率直な感想。
この映画の話はネタバレ注意の部分もあるのであまり語れませんが、
「2001年宇宙の旅」に寄せる僕の思いの方は
ちょっと記しておこうかと思います。



僕は大学を出てから、
もう20年ほどレコード会社で働いていますが、
最初の会社へ入社するきっかけとなったのは、
数人の気の合う仲間と作った
幾つかの映像作品をその会社に送ったことでした。

大学時代は趣味のバンドをやりつつ、
空いている時間は単位を取る為に
ひたすら映像作品を作っていたような感じでした。
ソレらの作品は今見ると恥ずかし過ぎて、
到底ヒトに見せられるようなモノではないのですが、
ソノ作品が、思いもよらず、
送った先の会社の方々に評価して頂いて。
そのチーム......5人いましたが......全員採用!
ということになりました。
15人程度しか無かった採用枠だったので、
この採用には当時かなり驚いたのを覚えています。

その後、音楽ディレクターやプロデューサー職についてからも、
映像はとても好きだったので、
PV制作などではいつも企画原案や絵コンテなどを書かせてもらったり、
数本の映画にもなんやかんやと関わらせてもらったり、
ショートフィルムなどをプロデュースさせてもらったり......と、
映像周りに関しては趣味的なワークとしていつも楽しみながら携わって来ました。
嬉しいことに、
そんな仕事の縁もあって映画監督の友人も幾人かいるのですが......
なぜでしょう......
このジャンルの人達はみんなとてーーーーも不思議ちゃんです......(; ̄ー ̄A

そして、そんなワケもあって。
勉強の為やらなんやらで、
僕は人並みよりはかなり多くの映画を見て来たとは思うのですが、
中でも「スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)」監督と、
その代表作の一つ「2001年宇宙の旅」というのは、
「僕にとっては」別格な存在であり、作品でもあって。
未だに心のベストテン第2位!に輝く作品です。
ちなみに1位は以前記したコレです。(^。^)
まぁ、もうこの上位2作品はここから落ちることはないと思います。
きっと。



この「2001年~」という作品はあまりに有名ですし、
各所でSF映画の金字塔などと言われていますが、
確かに、個人的にもそう思っています。
その一番の理由は、この映画の前と後では
SF映画の制作における概念がまったく変わってしまったからではないかと思います。
本当に「空想的」であったSF映画が、
科学的で物理学的根拠も絡めたファンタジーへと変化していったことは、
おそらくこの作品が世に出ていった以降のことではないかと。
今回の「プロメテウス」の冒頭から20分ぐらいの世界観や構成、
表現手法も

「リドリー、ちみもか......」

というくらい、今更ながら
「2001年~」という作品の影響力の凄さを思い知らされますし、
そんな映画のタイトルを挙げていったらもうキリがないのでしょう。
公開から既に40年以上の月日が経っている作品なのに、
今見ても......もう、驚くほか無いです。



極力、物理法則に即した脚本。
シンメトリーな構図を大胆に持ってきた斬新なカット。
静寂と音楽、喧騒を極端に使い分ける音響。
そこから生み出される、
スクリーンの隅々にまで漂う張りつめた緊張感。
無機質なものにも感情移入させてしまう絶妙なスクリーンプレイ。
......ああ......言い出すとキリがない。。



この映画で確立された手法は、もう、その後、
全てのSF映画に何らかの形で入り込んでいるのではないかと思います。
はい。
もしこれから

「プロメテウスを見てみようかなぁ......」

などと思っていて、
「2001年宇宙の旅」を見ていない方がいらっしゃいましたら、
「2001年~」と「エイリアン」の2作を見てもらってから
劇場に行くと興味深いかも!?しれません。
その時はきっと冒頭から、そして最後も!
ニヤニヤしながら見れると思います。ニヤニヤ。。
お連れの方に気持ち悪がられないようにご注意ください。(^_^)



ちなみにこのキューブリックという監督。
「シャイニング」という作品では底知れぬ恐怖の表現と、
その後の映像世界では常識となる「ステディー・カメラ」をいち早く導入。
「ロリータ」では禁断の世界をメジャーにまで押し上げ、
この映画のグラフィックをはじめとするアートワークは最早レジェンドの領域。
「博士の異常な愛情」では大国に対する皮肉な哲学を堂々と投げかけ、
「時計仕掛けのオレンジ」の倒錯とも錯乱ともとれる
ゲイ・カルチャー的不可思議な世界観は、
今だに多くのエンターテイメントでコピーをされ続けています。
ジャニーズ系の舞台や作品では、まぁ......よく見られます。
この映画に出てくる「ミルク・バー」的お店も街のあちこちで。
「エイリアン」1、2の特撮チームは
「2001年宇宙の旅」と同じブライアン・ジョンソンが率いるチームですし、
「スーパーマン」もそう。
「エイリアン」の監督だったリドリー・スコットが
影響を受けないはずはありません。
彼と親交の深かったスピルバーグ監督の「A.I.」は、
キューブリックの書きかけの脚本を、
亡くなった彼への花向けとして作ったものですし。
才能は才能を愛するのでしょうか。



スタンリー・キューブリック。



映画ファンでなくとも、
この名前を覚えてもらえたら、
ファンとしてはとても嬉しく思うのです(^.^)


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朧げな線

2012-08-19 00:15:40 | 勇気
何時だって、
言いたいことはすぐにまとまるわけではありません。


何時だって、
言いたいことがなんなのか、
自分でわかっているようなことはなかなかありません。


言いたいこと、
伝えたいこと、
思い浮かんでいることの正体は何なのか。
その芯は何なのか。
それをジッと、
必要な時間をかけて、
何度も何度も考え直すのです。
何度も何度も練り直すのです。
何度も何度も自分に問いかけるのです。


いつしか、
必要な時間を費やした時に、
朧げな輪郭は線を表してきて、
必ず、その時に必要な分だけ見えてきます。


考えるということは、
創作するということとは、
いつだってそんな感じ。


必要な時間があります。
物事には必要な時間があります。


その時間は、
悔しいけれど、
切ないけれど、
不本意だけれど、
いつも自分が最初に思っていたより長くかかる気がします。


時間とは神かもしれません。
神の正体の一つかもしれません。


神とは、
僕らが思っているより、
とてつもなく長い時間の中にいるのかもしれません。
時間とは、
僕らが思っているよりとてつもなくゆったりと、
とめどもなく悠久とした流れなのかもしれません。
僕らが思っているよりずっと、ずっと、ずっと.....
途方もなく、ずっと。


いつだって、
僕が立ちすくんでしまうのはそんな途方も無い時間の面前。


立ちすくんでいるその先にあるのは、
何時だって自分の理解を超えた悠久なる時間。



昔、アメリカ西部を旅していた時の
懐かしの「撮りっきりカメラ」ショット。
グランドキャニオンの途方も無い時間の前で、
ちょっとお気取りしてます。。(〃∇〃) ハズカシ


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集中力の先 2

2012-08-18 00:19:57 | 不思議
そんなヘリゲルを見て取った阿波は、ある夜、
彼を自分の道場に呼び出します......




そこは屋外の道場。
辺りは真っ暗で何も見えません。
阿波は数十メートル先にある道場の的(まと)に向かって歩いていき、
そこに蚊取り線香に火を点して戻って来ました。
夜の広い道場に蚊取り線香の僅かな明かりなど見えるはずもありません。

そして、そのまま、
ヘリゲルが見つめる前で阿波は黙って二本の矢を射ました。
ヘリゲルによると、その時、阿波は目を閉じていたそうです。
体にも微塵も力が入っていなかったように見えたそうです。

二本の矢は暗闇をまっすぐに飛んでいき、
一本目は的(まと)の真ん中に。
二本目は、
刺さっているその一本目の矢を後ろから真っ二つに引き裂きながら、
またしても的の中央に突き刺さりました。



あっけにとられているヘリゲルに阿波は言いました。



「的(まと)が次第にボヤケて見えるほど目を閉じる。
すると的の方から私に近づいてくるように思われる。
そして次第に私は的と一体になる。
それは自分と仏が一体になることです。
そして私が的と一体になるならば、
的は自己の有と非有の不動の中心にある。
したがってまた的の中心に在ることになる。
矢は中心から出て中心に入るのである。
それ故にあなたは的を狙わず自分自身を狙いなさい。
するとあなたは、
あなた自身と仏と的とを同時に射当てます」



......的(まと)はあなたの中心にあるのだから、
狙う必要も無く、
ただあなたはあなた自身に向かって矢を放てばよいだけ。
的に矢を当てるのではなく、
矢が勝手に的に当たってゆく。
そう、阿波は言ったのです。

「弓禅一如」のなんたるか。

ヘリゲルはこの一件以来、
阿波の語る弓術について疑うことも、問うことも、
思い悩むこともやめたと言います。
射るのではなく、
射られることを掴むように練習に励んだそうです。



「弓が離れる瞬間の、
その人間の無心な態度が無くてはならない」

「自分を離れて弓を射よ」

「あなたの矢が的まで届かないのは、
あなたの精神が的まで届いていないからです」

「弓道の奥義は、的のことを関知しません」



僕は忘れっぽいのですが、
本当に忘れてしまうのでは無く。
自覚している原因としては
「気に入った」何か一つのことを考え出すと、
それ以外考えられなくなります。
瞬間的に集中のスイッチみたいなものが入る時もあるので、
そうなると1秒前に考えていたことや、
見ていた景色が消えてなくなります。
アイデアが浮かんだ時など、
今迄何度?財布や携帯を無くしてきたことか(T.T)
学生の頃などは、
試験や受験での赤点や留年を免れるため、
決死、且つ、得意の「一夜漬け戦法」で乗り越えていたのですが、
時折、あまりの決死さでもって集中をし過ぎて、
晩ご飯を食べるのを忘れてしまったようなことが何度もあります。
なにせ、夜中の二時過ぎに

「母ちゃん晩ご飯まだぁーーっ!!??」

と、まるで

「今、夜七時ぐらいだべ?」

ってな感じで、
家中に響く大声で怒りながら叫ぶようなことが
幾度も幾度もあったもので。
その脳障害気味の僕の生態は当時から身内にはとても有名でした。
インスタント珈琲を一晩に50杯以上飲んで、
大事な試験を受けれなくなったこともあります。
何杯ぐらい飲んだのか記憶にないのです。必死で。
授業中などは、タマニ

「これ面白い!」

と思い、
理解しようと集中しだすと、
隣の可愛い女の子に肩を叩かれ、

「何怒ってんの!?」

と言われてしまうパターン。
顔が悪いのはさておいて、
自分でもどうしてそうなるのか不思議でした。



本当に「時間がまったく消えてしまう時」があるのです。
本当に......



しんじてくれよぉぉぉぉーーヽ(;▽;)



......横道にそれましたが、
阿波さんの世界はそんな低俗レベルと同じとはとても思えませんが、
ナントナク、僕には理解出来る部分があるのです。
今迄、そんな世界を
「意識的でなく偶然に」感じられたような体験もあって。
そんなことも影響していますが......それはいつも単純で、
ただ「一生懸命」「一心不乱」に何かに打ち込めていた時に、
フッ、と、
そんな時間の消失した世界にいるようなことがあるのです。
そんなこと以外に、
この世界を感じられる経験や方法を
浅はかな僕は未だ知らないのですが、
そんな集中......集中力の先にある感覚や世界......
が存在しているということだけは確信しています。
確信はしてますが、実践は出来ません。
悪しからず。
出来ていたら今頃スーパースターです。(T.T)
ですから、
この話は妙なリアリティを持って僕の心に刻まれています。
そして、実は、
この話が僕が「禅」というものに興味を持ち出す
きっかけでもありました。




集中力より先にある世界。
集中とは少し違う力。次元。
それを「無」というのか、
なんと言うのか。



そんな世界に意図的に、
意志力でもって「自在に」行ったり来たりできる。
それが阿波研造や宮本武蔵が住んでいた世界なのかもしれません。



「あなたの代わりに誰が射るかが分かるようになったら、
あなたにはもう師匠はいらなくなる」



阿波研造はヘリゲルにそう伝えたそうです。



京都、嵐山。
世界遺産「天龍寺」に上がりこんだ所にある「禅」の開祖、
達磨=ダルマさんの襖絵。
ここは禅寺の基本みたいなところです(^.^)


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集中力の先

2012-08-17 00:10:51 | 不思議
たけしさんと安住アナが出ているTBSの夜のニュース番組。
最近、その天気予報コーナーのお姉さんが変わりました。
お姉さんは予報コーナーの中でたけしさんと絡みながら、
求められていようが、いまいが、
ちょいちょいと他愛ないギャグを見せつける......
というのが先代から続くお決まりの番組演出なのです、が、
今度のお姉さんは弓道部の出身らしく。
その弓術を使ったたけしさんとのギャグがしばらく続いていました。
そんな中、オリンピックでもアーチェリー競技で男女共にメダルを獲得!
なんていう映像が各テレビ局で何度も流れてきていて。
アーチェリーと日本的な弓や弓道とはかなり違ったものではありますが、
この弓道部のお天気お姉さんにも、
オリンピックのメダリストの皆さんにも、
共通して感じてしまうのは......



弓を射る時に豹変する「凛々しい」お顔っ(><)/



何故なんだろう。



弓を射る時、人は皆あんな風に凛々しくなるのだろうか。



なんでだろう。何故だ、なんでだろぉぉうぅ♪



うううーーーん......



なってみたい。僕も。



弓を持ち歩いたろかな......



経験者によると、
ヨーロッパの「アーチェリー」は力を込めて強く射る!
ということが大事だと教えられるらしいのですが、
毎回メダルを取っているアジアのアーチェリー強国、
韓国や中国でもおそらくは同じ方向ではないかと思われます。
今回、銅メダルに輝いた日本女子チームの一人も
韓国からの帰化人でしたし、
やはり、アーチェリーという「武器」には
この考え方が合っているのでしょうか。

一方、
この日本という国には「弓道=きゅうどう」というものがあるので、
人によってはアーチェリーにもこの弓道的な哲学や
教え方を持ち込むこともあるようです。

勿論、どちらにも様々な流派や考え方が存在するでしょうし、
ましてや、どちらが良い?というような話しでもなく。
しかし、この「道」と名のついた日本的な「弓」の世界というのは、
同じ弓を扱うものでもアーチェリーとはかなり異質で、
アニミズムにも通じる世界観を持っているという部分が
興味深いところです。
先日少しだけ書いた宮本武蔵の話しもそうですが、
「道」とつくものの中には、実は、
必ず「タオ=老子=道教」や「禅」的な思想も入り込んでいたりします。
これがまた僕のツボをトテモくすぐるのです。
こちょこちょと......



......大正時代。
哲学の授業を教える為にドイツから東北大学に招かれた
学者のオイゲン・ヘリゲルという人がいました。
彼は日本滞在中に、フトしたことから、
当時から今日に至るまで「弓聖」と称えられた弓の達人
「阿波研造=あわけんぞう」に出会います。
弓を志す人であれば知らない人はいない......と言われるような御方。
彼はこの出会いによって人生観を一変させられ、
阿波に弟子入りまでしてしまいます。
そして、ドイツに帰国後も「日本の弓術」という、
後に日本でも翻訳され、
広く読まれることになる名著作を記すことになるのですが、
その本を記すキッカケとなった出来事がこの貴重な本に記されています。



阿波師範が教えていた弓術とは、
的(まと)に矢を当てることではなく、

「矢の方が勝手に的(まと)に当たっていく」

という弓術でした。
ヘリゲルはバリバリの哲学教授で、
ジャーマンポルシェでメルセデスな男!
阿波の言っていることがマッタク理解出来ません。

「何を言ってるのだ?ワケ分からーーん。
的は狙って当てるものでしょ!」

とかなんとか。
ま、当たり前の話ですが。
そして、そんなヘリゲルを見て取った阿波は、ある夜、
彼を自分の道場に呼び出します......



あっ!?
これ長くなるな......
まだタイトルにもカスってないし......
お茶飲みたくなったし......
つづくぅぅ!!



懐かし過ぎる「大事MANブラザーズバンド」さんの
「それが大事」のミリオンヒットを記念して作った
イカした(れた)湯のみ。
お茶を飲むのだ!
これも大事(^。^)


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いまだテルマエ

2012-08-16 01:13:23 | 面白い...映画/音楽
「アベンジャーズ」を3Dで見てきました。
豪華絢爛。派手。楽しい。
エンターテイメントとして何の不満も無い作品でしたが、
僕の中での今年一番は......
今日の時点では未だ「テルマエ・ロマエ」でございますな。
はいー(´▽`)ノ

それで、もう昨年の話しになりますが。
読んでいてとても面白く、
「是非映画にしてほしい!!コレ!」
と強力に思うような本に出会いました。
高野和明さんの「ジェノサイド」。
各所で話題にもなっていたかもしれませんが......コレです。



出来ることであれば、
この本に関しては「テルマエ・ロマエ」的な方向ではなく、
「アベンジャーズ」の様なハリウッド・ライクな......
というかハリウッドで、英語で、
インターナショナルなキャスティングと公開規模で作って欲しい!
と思う様な作品でした。
こんな風に思える「スケール感」のある作品というのは、
日本ではなかなか思い浮かばないのですが、
そう言う意味でも僕にはちょっとした衝撃と嬉しさを喚起させてくれた作品です。

著者の高野さんは、
元々ハリウッドの映画制作業界から日本のテレビ番組制作業界と、
そんな映像制作畑を渡り歩いてきた人らしく。
なるほど、
読んでいてカメラのフレームワークまで見えてくるような描き方をするわけです。

高野さんによると、
この作品は二十歳の頃から二十五年以上もの時間をかけて
構想を練ってきた物語のようなのですが。
特徴としては、
大きなギャップのある様々な対極構造の中で話が進むという点でしょうか。
地道な生活を送るイチ大学院生の生活世界と、
世界を動かす大国の軍部や政治の中枢世界。
薬品開発に関わる小さな研究所世界から、
大きな利権や欲望が渦巻く大国や大企業の裏世界。
真の世界像と、
支配階級に都合の良い様に統制される情報がもたらす世界象。
東京都町田市の片隅にあるアパートと、
アフリカ、コンゴの密林......等。
そんな対極的な世界を行ったり来たりする話しが、同時に、
パラレルで進んでいくという感じ。
その辺りのスケール感はまさにハリウッド映画向き。

そして、
エンターテイメントなのにとても強い「リアリティ」もあります。

何故か!?
日本に対してのネガティブな解釈やニュアンスが多くあって。
配役における民族の配置に関しても、
強い主観の様なものが......的な。
ディテールを見ると、
もしかしたら多くの批判も出てくるような部分もある作品かもしれませんが、
直木賞、芥川賞を狙う!
という作品ではないと思います?ので。
読んで楽しむには必要十分のディテールと世界観ではないかと思います。
そんなこんなで僕的には、この作品は

「ハリウッドで是非に......」

となる次第なのでございます。

「アベンジャーズ」にいちいち
ディテールを突っ込んでいたら大変ですしね。(^^)
細かいことは抜きで、
想像力があって、スケールが大きく、
面白ければ最高!
これは、きっとそんな解釈で楽しめる小説。
映画化してくれないかなぁ......楽しみに待とおっと。

あと、「プロメテウス」も面白そう。。


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蝶々の飛ぶ一日

2012-08-15 02:08:43 | 感謝
社会人一年目。22才ぐらいの時。
実家の近所にあるとても古くなっていた先祖代々のお墓を、
おばあちゃんが自分のお金で建て替えていました。
僕の父......自分の息子......に迷惑をかけない様に、と、

「生前から準備をするんだ。。」

などと言いながら新しくしていました。
おじいちゃんは戦争で亡くなっていたので、
我が家ではそんなお祖母ちゃんが中心になって
ずっと大切に先祖代々のお墓を護って来ていました。
僕はその時、

「俺は長男だしさ、
仕事含めてコレからこの家に戻るかどうかは分からないけど、、
何があっても、何をしていて、どこに住んでいても、
このお墓だけはちゃんと守るよ。
それだけは安心してくれよ。。」

と、おばあちゃんと両親や弟にも約束しました。



そのおばあちゃんは今はもういません。



僕は18才から実家を出て暮らしていたのですが、
それから遊びやら仕事やら!?で忙しく......
なんていう言いわけのもとに、
正月すら帰らない、
帰れない様な年が十年単位で続いていました。
そんな中でも「お盆」の期間だけはどこか一日だけでも

「絶対に帰る!」

と決めていたのにはそんな理由があります。
実際、皆と約束をして以来、
それはずっと続けてきていて、
今年もなんとか果たすことが出来ました。
それは、自分の中にそういう約束と
責任感みたいなものがあるからなのでしょうか。
両親の心配もあるので、お彼岸なども

「出来れば、帰れれば良いな......」

とは思っているのですが、
なかなか毎回とはいかず。
なのでお盆だけはたとえ半日だけでも、
何としても帰る様にしています。



そんな家族が大切に護って来たお墓にお参りをすると、
いつも遠い世界に旅立った大切な人、
縁のあった多くの人達のことを思い出します。
それは家族以外のお世話になった人達のことも、全て......
全ては過ぎ去った遠い時間のことですが、
そこに現れる人達や風景、匂い、音、言葉......は、
今そこにある時間のようにも感じられて。
いつも、どんなことでも、
なぜか大らかな気持ちで受け止められるような感じもします。
やっぱり人並みに思い出したく無いような嫌なこともありますが、
そんな出来事には、
きっと起こるべき必然性や何かしらの意味があったのだろうと、
何か学ぶべきことがソコにあったことなのだろうと、
なるべく逃げない様に、強くある様に......
いつもそんなふうに考える努力をしています。



過去を否定することは未来の否定にもなるのかもしれません。



なぜならば、



未来はいつも過去の上に存在しているのですから。



だから、
どんなことでも頑張って見つめてみるようにしています。
未来の為にも、
自分や家族の為にも、
命をつないで来てくれた縁ある方々にも、
精一杯の感謝と誠意を込めて、
これからも家族との約束を果たしていきたいと思っています。



今年も両親の背中がまるまって、
少し小さくなったような気がしました。



お墓参りの墓前ではいつも色々と考えてしまいます。
バケツに水をたっぷり入れて、
ぞうきんをしぼって、
隅から隅まで綺麗に洗い、拭いて、お花を立てて、
線香をおいて。
全て終えるとちょっと清々しい気持ちになります。
なのでうちのお墓は自慢出来るくらいいつもピカピカです。



未来はいつも過去の上に存在しています。



掃除をしていると、よく、
不思議ですがいつも蝶々が飛んできます。
今年も見かけました。



いつも掃除を手伝ってくれる実家のワンコ♀。
内気な娘です(^_^)


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ウルトラマリンブルー

2012-08-14 19:19:53 | 感動
ウルトラマリン・ブルー。
ウルトラマン・ブルーではありません(^。^)/ハイ。


Ultramarine Blue。


「ラピスラズリ」と言う、
濃い青が深い海の様に光り輝く宝石があるのですが。
それを砕き、すりつぶして作られた顔料や
絵具の色をウルトラマリンブルーと言うそうです。
17世紀ぐらいのヨーロッパで多くの画家達に愛され、
憧れでもあった絵具の色です。
宝石をすりつぶして作る絵具ですから、そりゃ高価だったでしょうし、
とても神秘的な「光る深いブルー」で、
青というよりは「碧」という感じ。


僕はこの色が大好きで、
プラプラと乗り出す愛車の色もウルトラマリンに近い!?青色。


精神もいつまでもウルトラ青二才の甘ちゃん......(T.T)


もう一つ忘れてはいけないのは、
先出の絵具がたぷーーり!と贅沢に使われている、
オランダのフェルメールという画家さんが描いた
「真珠の耳飾りの少女」という絵。
部屋にはポストカードを飾っていますが、
この絵の前に立つといつも思わず佇んでしまい、
時間が止まってしまう様な感覚になります。
綺麗な瞳の少女が振り向いている一瞬を描いた作品ですが、
そのタイトル通り耳には真珠の飾りが描かれていて、
頭にはオリエントな雰囲気の青と黄色のターバンが巻かれています。
眉毛はほとんど描かれてなくて、
それがまた瞳の印象を強めてもいますが、
それと同じくらいターバンの青......ウルトラマリン・ブルー......と、
黄色とが、とても印象的で目を奪われます。
少女のうっすらと開いた唇は、
何かを語りかけようとしているようにも感じてしまい。
とても気になって勝手にドキドキとしてしまいます。


「何言おうとしたんだ!?んっ!?」


的な......。
その唇もよくよく見ると白い光が艶々と描かれていて、
ふくよかで魅力的。


「ちゅーっ!ってしたい(><)/」


的な......。(クレーム受付中)
つい先日、最新の修復を施されたホンモノが、
東京、上野にある「東京都美術館」に何十年ぶり?
かで来日したので、ワクワクプリンで逢いに行ってみたのですが、
今回の修復時に新たに発見され、復元もされたという、
口元の「小さな小さな」白い「光の点」が
シッカリと加わっていたりもして、それはもう


「こまけーーっ!!
けど、イイーーっつぅぅっっ!!」


っと叫んでしまったくらいの涙ものの素晴らしさでした(T.T)ぶぇ。
確信的に描かれた、
いかにも油絵的なターバンの荒めのタッチと仕上げと、
いかにも油絵らしくない、
顔の部分の繊細で滑らかな仕上げとの差も明瞭に出て来ていて。
画家の、その仕掛けやコダワリの深さに


「流石やぁ!」


と、改めて感動してしまいました。
この絵は画角が小さくてどうしても迫力には欠けるのですが、
僕には最高に魅力的な絵画の一つです。
今日もお部屋の壁からさりげなく微笑んでくれてます。(^^)ほほ


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五輪と五輪書

2012-08-13 23:28:41 | 面白い
オリンピック最終日。
レスリングの米満達弘さんが同種目44年ぶりの金メダル!
という快挙を達成しました。
たまたまテレビを付けていて、その瞬間を生放送で見ていました。
レスリング自体にはあまり深い思い入れは無かったのですが、
見ているうちになんだか熱くなってきて、
最後は思わず大声を出しながら応援していました。
その後のテレビでは、
ボクシングで金メダルを取った村田さんとともに、
米満さんの報道が沢山流れていましたが、
その中でふと彼のプロフィールが目に留まりました。



愛読書に「五輪書=ごりんのしょ」とあります。



これは剣術の天才、宮本武蔵が記した名著作です。
彼が生涯をかけて築いた剣術や兵法のノウハウをまとめあげ、
記した「孫子の兵法」に並ぶ「戦い」に関する偉大な書です。



「こんなもの読んでいたんだ、、へぇー、、、」



という軽い驚き。
なんでも、幼い頃はブルース・リーのファンだったらしく、
そのブルース・リーが愛読していた本といこともあり、
深く読み込んでいたそうです。
そんな武蔵の書は剣道、武道......と、
「道」の人らしく実直で表裏がなく、
シンプルな文で書かれています。なので、
読むととてもストレートに心に届く書となっています。
例えば、



「千日の稽古を鍛(たん)とし、
万日の稽古を練(れん)とす。
よくよく吟味有るべきもの也」



と記してあります。
これは文字通り「鍛錬」の意味を諭す言葉でありますが、
「よくよく吟味有るべきもの也」
ということの意味は、実は「質量変化」の意とされています。



「千日、万日の鍛錬で磨き上げた技術は、
一生の技術としてその人の身に高い質を伴って獲得、同化される」



ということで、
量が蓄積されると、ある瞬間から質に変化する......
という武蔵流の極意らしいです。
多分、米満さんが達成されたことなのでしょう(^.^)

実は、面白いことがもう一つ。
オリンピックを「五輪」と表すのは、
実はこの五輪書から引用している部分もあるようなのです。
読売新聞に川本信正という記者さんがいたらしいのですが、
その方が五つの輪のマークと、この武蔵の「五輪書」
を重ね合わせて使い出した言葉だということです。
宮本武蔵の精神とオリンピックの精神は、偶然にせよ、
結びつく「何か」があるのでしょうか。
ちょっと面白い事実です。

ちなみに武蔵の言う五輪とは、
「地」「水」「火」「風」「空」の五要素のことで、
その著作もそれぞれのエレメント別に5つに分けて記されています。
オリンピックの輪っかの意味が何なのか?
は僕にはちょっと分かりませんが。。(^_^;)

宮本武蔵の著書の中では、五輪書は勿論ですが、
個人的には「独行道=どっこうどう」という、彼が
「自分自身に誓約する21箇条の条文」
というものを記しているものがあり、
これが何やら凄いと思っています。
それはまたの機会に書けたらと思いつつ、最後に、
五輪書でいう「平常心」のテーゼを記しておきます。
もし、米満さん同様、
宮本武蔵さんに興味が湧いてきた方がいたら?
井上雄彦さんの「バガボンド」あたりから入るのが
わかりやすいかと。
最高っす。この漫画。(* ̄∇ ̄)/゜ええ。ええ。



「平常心」(五輪書より)

兵法の道において、心の持ち方は常に平常心である。

平時も戦う時も少しも変わることなく、
心を広く素直に持ち、緊張せず、弛ませず、
執着しないように心を落ち着かせ、静かに働かせ、
その働きの一瞬も止まることがないよう、よくよく心得よ。

まわりが静かであっても、それに釣られてはならない。
 
せわしない時は動じてはならない。
心は身体に惑わされてはならない。
身体も心に影響されてはならない。
心に用心をし、身体には用心をしない。

心の働きに不足、余りが無いようにし、
外見の心は弱く見せても内心は強く、 

人に心を見透かされないようにして、
身体が小さい人は心を大きく持ち、
身体が大きい人は細やかな心持ちを忘れず、
身体の条件に関わらず心を素直にして、
楽な方に流れないように心掛けることが肝要だ。
 
心を濁らせず広く持ち、自在に知恵を出す。
知恵も心も一心に磨くことを心掛けよ。
 
知恵を磨き、物事の善悪を知り、色々な芸能、技術を知り、
世間の嘘を見破れるようになって後、
ようやく兵法の知恵が得られる。
兵法の知恵はそれらの知恵を凌駕しているものだ。
いくさの場で戦況がせわしくなった時でも、
兵法の道理を極めて動じない心を持つ事。
よくよく考えて欲しい。



......どうなのだろう......武蔵の言う「平常心」とは、
実は、「いつでも戦うことが出来る」という
「臨戦体制」のことのように思います。
武蔵、深すぎる。。(><)くぅーーっ!


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