雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

セント・オブ・ウーマン

2019-08-16 00:00:08 | 勇気...映画/音楽
「嗚咽級に泣ける映画求む」



セクシーダイナマイト「レディYUさん」から、
ある日、突然、そんなラインが届きました。
なんでましょ!?
難しい漢字使っちゃって。
おえつきゅう、ですって。
何かあったの!?でしょうか。



「過去のものを探してるのー
おうちでゆっくりと。
最近泣いてないなーって、ふと。
感動系でもなんでも。
時間ある時でいいから教えてね(^ν^)♪」

「りょー。
ちなみに何系で泣きたい?
人生とか、恋愛とか、そういうの」

「そーだねー。
人生かなー。
例えば、終わった後に悲しさの残るのは、嫌かな。
誰かが死んじゃうとか。
どちらかというと感動したいというか。
明日から頑張ろっかなとか。
人生何とかなるかなっとか。
そんな感じ?(笑)
こんな注文で大丈夫かしら。
感じ方は人それぞれだから、
単純にUZMETが泣いてしまったやつでイイよー(^ν^)」



ふーーーーむむむむむ......
ラインの文面から感ずるに、
ちょっと社会的に前進するエネルギーが不足ちうの状況で。
でも、進む意欲も希望も強く内にあって。
それでいて、ちょっと横着とかしていたりして。
停滞していることも自覚している。
ココは一つ、自分に感動というダイナマイトでも仕掛けて、
驚かせて、エンジンを再点火させちゃおーかなぁぁ、とか。
そういう状態なのでしょうか?!?
ふーーーーーーーむむむむむ......



「コレは見たことある?
Scent of a Woman(セント・オブ・ウーマン)」



「どう?
他のが良い? 
まだまだレコメンは沢山あるけど。
順に出してる」

「この映画見たことない。
アルパチーノだねー。
見てみる(^ν^)
ありがとさん。」



—————————数日後の深夜。LINE。



「UZMET(うずめ)ぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーー
ただ今余韻にどっぷり浸り中。

なんだろー
すごーい

すごく良い映画だったー
素晴らしい。

目が真っ赤なのに笑顔になれる。
優しくて温かい気持ちになったー

アルパチーノの圧倒的な存在感に引き込まれて、
終わった後しばらく動けなかった。
音が無いまま、
じっと座ったままだったよ。

ほんとに良かったー
ほんとによかったよー」



「良かった。そんな涙がイイって言ってたからさ。
アルパチーノの作品の中でも、
彼が超一流の役者だということがよくわかる作品だと思ってるんだ」



「今欲してる映画ドンピシャでした!!
実は、ゴッドファーザーも観た事無く。
アルパチーノが有名な役者さんなのはもちろん知ってたんだけど、、
ちゃんとアルパチーノの演技を観たのは初めてでして。。。
いやーーーー
ヤバかった」



「なかなか無い映画だよね」



「こーゆー感情で終わるのはなかなかない。
流石です。
ありがとねー
また宜しくねー」



「凄い音楽や映画って、人生を助けてくれる時があるんだ。
それが、俺がこの世界にいる理由。
ま、他にも沢山あるから違うのも見てみなよ。
また聞かれればレコメンするよ。」



「たとえ足が絡まっても、
タンゴは踊り続けるもの」



「じーーーーん。。」



「じーーーーん。だよマジで。
人生の助けになる。
UZMETに出逢って、
真に良い音楽や映画に出逢える事が多くなった。感謝」



そーーっすかぁ......
とても嬉しいお言葉ッス。
じゃぁ......お会計は2万円でちゅ。ええ。ええ。
カード支払いは無理ッス。ええ。d( ̄  ̄)



「セントオブウーマン」というタイトルを日本語にすると、
「女性の香り」とでもなるのでしょうか。
僕が大切にしている映画の一つです。
なので、例によって!?
アーカイブとしてDVDも持っています。
YUさんのラインでの感想を見ていたら、
僕も久々に見たくなって見返してしまいました。

作品全体の雰囲気に関しては、
上に載せたYUさんの言葉達が一番伝わるように思うのですが、
少しだけ追記をしておくと、
主人公は言わずと知れたアル・パチーノ(Al Pacino)さんで。
彼が演じるのは視力を失ってしまった初老の退役軍人男性。
物語には所々、
そんな彼を取り巻く色々な女性の香りの話が出てきます。
「Floris(フローリス)」や
「Mitsouko(映画ではミツキと発音してますが)」、
フルール・ド・ロカイユの「岸辺の花」という香水とか。
「オグルビー・シスターズ」の石鹸とか。
そして、彼が諦めてしまった、
いつの日か叶えたかった夢というのは......



「朝、目覚めた時、
まだ、彼女が横にいて、香ってくるんだ。
甘くて暖かい香りが......」



なんていうこと。



「まったく、女ってのを誰が造ったのか。
神って奴は天才だ」



なんてことも言っていて。
それと、彼は
「ジャック・ダニエル」というウイスキーを好んで飲んでいて、
いつも「ジョン・ダニエル」と言っています。



「ジャックの間違いでは?」



と問われた時に、
彼はこう答えてました......



「俺ぐらい長い付き合いだと、ジョンでいいんだ」



なかなか、全ての答えがシャレていて。
パチーノさんでなかったらブットばされそーでございまつが。
ええ。(●´ω`●)
僕さんにとっては、
どこか男の色気も感じてしまう傑作なのです。



☆過去の映画関連記事☆
時に世界は嘘でも回る
パルプ・フィクション
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木星とバードマン
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ニコニコ(^^)BAR
狂騒で協奏な競争
Consistency
外国語映画賞
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何も無いけどいい所!
ハナレイ・ベイ
ボヘミアン・ラプソディ
今更の話で、、
Fireworks 2
アメリ


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パルプ・フィクション

2013-05-04 00:03:01 | 勇気...映画/音楽
旧約聖書。
エゼキエル書。25章 17節。



———————私は、彼らを憤りをもって懲らしめ、大いに復讐する。
私が彼らに仇を報いる時、
彼らは私が主であることを知るようになる———————



「クエンティン・タランティーノ=Quentin Tarantino」
監督作品の中でも僕が最高!に好きな映画
「パルプフィクション=Pulp Fiction」
タランティーノ監督の2作目にして、
1994年のカンヌ映画祭で最高賞「パルムドール」を受賞し、
彼の名を世界に知らしめた傑作です。

時間軸をバラバラにして、
4つの物語が平行して進んでいくコラージュの様な
スクリーンプレイもとても斬新でした。
誰もが知るジャック・バウアーの「24」などで見られる編集手法の
「ルーツ」と言ってもいいかもしれません。

その中で
「サミュエル・L・ジャクソン=Samuel L Jackson」さん
が演じるマフィアの冷徹な殺し屋「ジュールス」は、
ターゲットを消す時に、
いつも冒頭に記した「エゼキエル書」の言葉を引用し、
相手に唱えるように言い聞かせてから......消します。
ジュールスが映画の中で唱える「エゼキエル書」は、
タランティーノさんが敬愛してやまない千葉真一さんの映画から
そのまま持ち込んでいるもののようで。
聖書に記されている言葉に少し脚色された言葉が加わり、
劇中ではこんな台詞になっています......



「......エゼキエル書25章17節。
心正しき者の歩む道は、
心悪しき者のよこしまな利己と暴虐によって行く手を阻まれる。
愛と善意の名において暗黒の谷で弱き者を導く者は幸いなり。
なぜなら、彼こそは真に兄弟を守り、迷い子達を救う羊飼いなり。
よって我は、怒りに満ちた懲罰と大いなる復讐をもって、
我が兄弟を毒し、滅ぼそうとする汝に制裁を下すのだ。
そして、我が汝に復讐する時、
汝は我が主である事を知るだろう......」



バーーーーーーーン!!!
きゃぁぁーーーーーーーーーーーーーーっ!(><)!!
BAN!BAAAHHaaaaaNNNN!!



20世紀初頭から中頃にかけて、
アメリカで広く出版されていたフィクション漫画を扱った
安っぽい雑誌を「パルプ・マガジン」といって、
そのパルプ雑誌に掲載された作品を、一般に
「パルプ・フィクション」
と呼ぶのだそうです。
低俗でクダラナイ、安っぽくて大衆的な話し、漫画、小説......
といったようなニュアンスも持っている言葉のようです。
タランティーノ作品は常にそうですが、
この映画に出てくる登場人物達もそんな低俗で下品で
クダラナイと思われるような人間ばかり。
......そして、何故この話しなのか?というと、
先日のブログ記事を記していた時———————

「それは、、多分、僕はとても汚れていて、
とても弱いからだと思います」

———————と、ココに記していた時に、
実はこの映画の「ラスト・シーン」が
僕の頭の中で鮮明にフラッシュバックしていたからなのです。
それで

「次はパルプフィクションのことでも書こうかな、、」

などと思い。
今回ちょっと記してみることにしました。



敬愛するそんなタランティーノ作品というのは
「パルプ・フィクション」に限らず、
どの作品にも彼ならではの凄いマジックがかかっているように
思えていたりします。
その一つが、
低俗で下品とも言われそうな登場人物達のキャラクター設定を、
その何倍も大きく、魅力的なものに膨らませてしまう神懸かり!
的なキャスティング。
「パルプ・フィクション」に関しても
サミュエル・L・ジャクソンさんが演じるジュールスは
容姿やスタイルも含めて、
数あるサミュエル出演作品の中でも、
この映画でのハマリ方が僕には最高に思えたりします。

さらには、
ジュールスの相棒「ビンセント」を演じる
「ジョン・トラボルタ=John Travolta」さん。
作品を見ると、
もうこの人以上は思い浮かばないストーリーとのマッチング。

途中に出て来るギャングスター「ウルフ」も
ハーヴェイ・カイテル=Harvey Keitel」さん以外にはありえない。
ハマり過ぎ。

ギャングのボスの奥さん「ミア」も
「ユマ・サーマン=Uma Thurman」さん。
ハマり過ぎ。

コレだけでも豪華で凄いキャストなのに、
あの「ブルース・ウィルス=Bruce Willis」さんもノコノコと安っぽく?
出て来ちゃったりなんかして。
配役もシガナイ、悪どくて、くだらなくて、
下品なボクサーなんていう役。
もう完璧。

冒頭に記したような、
ちょっと漫画がかったエキセントリックで劇的な台詞も
こんな完璧なキャストで言われると、
それが不思議に何倍ものリアリティーさと強さを纏って
スクリーンから放たれて来ます。
それでまた全ての台詞が神懸かったりしてしまう。
くだらなくて、
どうしょうもない奴らから放たれる人生論なので余計リアルに響いて来る。

マジック

そして、
そんなアウトローな人々を愛情を込めて真摯に見つめ、
尊敬して描いてることも感じてしまうので、
どんなめちゃくちゃな演出があっても全て許せてしまう。

これもマジック。

音楽の使い方もマジック。

もう最高。

文句無し。

この映画も冒頭の曲からしてそんなタランティーノ・マジックが全開。
きっと
「ブラック・アイド・ピーズ=The Black Eyed Peas」
のリーダー「ウィル・アイ・アム=will.i.am」さんも
この映画が大好きなハズで。
アノ曲も......が......で。
タランティーノさんは
「音楽は感情である」
......ということを深いレベルで分かってるという気がします。
きっと。そんな使い方。
見ていると常に登場人物やシチュエーションの奥にある感情を
的確に表現している様に感じられて、
それはもうセンスとしか思えません。

アウトローの人間達を包むファッションも、
ブラックスーツに細身のブラックタイを合わせるカジュアル・シックを
ビッ!と、決めた様なスタイル。
タランティーノの監督デビュー作である
「レザボア・ドッグス=Reservoir Dogs」
の続編とも思えるそのスタイルは、
日本でもシーンを勢い良く駆け登っていった頃のスマップさん達......
特にキムタクさんなどは......
とても影響を受けていたであろうかと思われます。

全てが「冗談と本気の境目にある感覚」でまとめられていて、
見る人の解釈をナニカと戸惑わせてしまうようなマジック。
それが僕の思うタランティーノ・マジック。
ギャグなのか?マジなのか?
どう捉えて?何処に置くのか?
その境目が分からない。無い。というマジック。



Σ(・o・;) ハッ!?



いかん!



タランティーノを語り出すと好き過ぎて本題に戻れなくなる......
いかんいかん......
前回のブログを書きながら僕が思い出していたシーンの話しでした......
いかん、イカン、遺憾......



僕の大好きなラストシーン。
冷酷無比な殺し屋のジュールスとビンセントは
ひょんな事で「敵」と互いに銃を構えながら向かい合うハメになります。
しかし、敵はプロの悪党の二人に少々厳しい状況に追い込まれていって、
ジュールスは窮地に陥ったその敵に銃を突きつけながら、
優位な立場でこう語りかけます。



「聖書は読むか?」

「......いや、、、あまり、、」

「暗記してる文句がある。エゼキエル書25章17節......」



ここで、
ジュールスは何時ものごとく冒頭に記した台詞を敵に言います。
そして、続けて



「......人を殺す時、
俺はいつもこの文句を言って聞かせてきた。
今迄よくその意味を考えた事は無かったが、
なんだか人を殺す場にふさわしい、
冷徹な文句に思えていたからだ......

......今朝、、
まぁ、色々あってな。。

俺は初めてソレを真剣に考えたんだ。

貴様が心悪しきもので、
俺が正しいもの。
銃を構えてるソイツ(ビンセント)が暗黒の谷間で俺を護る羊飼いで、
あるいは、
貴様が心正しきもので、俺が羊飼い。

いや、
もしかしたら世の中の方が悪で利己的なのかもしれない。
俺はそう思いてぇ。
だけどな、それは真実じゃねぇ。
真実はこうだ、、、

お前が弱きもので、
そして、
俺は “心悪しき暴君” だ。

だけどな、俺は努力してる。
本当に懸命に努力してる。
ちゃんとした羊飼いになろうとな......行け!」



斬新な編集技法より何より、
このラストシーンと台詞が、
この映画を僕にとって「特別」なものにしてくれました。
もっと言えば、この映画を初めて見た時に

「なんだか救われた......」

とも思えたシーン。
そんな気持ちとシーンを先日このブログを書きながら
ちょっと思い出していたのでした。
僕もこの映画の登場人物達とさして変らないくらい下世話で、
くだらなくて、軽率で、衝動的で、悪漢で、弱くて......
もしかしたらどうしようもなく酷い人間のように思える時があって......
だけど、この映画の登場人物達と同じ様に、
いつも、少しでも良い人間になろうと、
自分なりに懸命に努力して生きています。
昨日より今日。今日より明日。
そんな自分と重ね合わせて見てしまう映画が
「パルプ・フィクション」なのです。



そんな前回の記事の後、
幾つか問い合わせが届いていたヨガの漫画「東京ヨガガールズ」さん。
著者の方に許諾を頂いたのでお返事を兼ねてチロッと載せさせてもらいます。
ココ、Amazonで買えると思います。
あふぇりえいとじゃないおっ(・_・)/
これからヨガを始めようか、どしよっかな......
と考えている方には良いのでわと♪

つい最近まで昨年のアカデミー賞獲得作品の公開が続いていましたが、
タランティーノさんの最新作
「ジャンゴ 繋がれざる者(DJANGO UNCHAINED)」
も相変わらずのタランティーノ・マジック全開で。
彼の「定律」通りの作品でした。
しかし......ディカプリオさんはお下劣な悪役が最高!ですな!(@.@)

よっ!レオナルドっ!

彼のキャストが何にも増して素晴らし過ぎます。
彼の存在感が全てを食っちゃってました。
でも今の所、今年の個人的ナンバーワン映画
Cloud Atlas=クラウド・アトラス
でふ。
マニアックか!?

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ZERO & 1900

2013-04-07 00:03:13 | 勇気...映画/音楽
1900年を迎えたばかりのある日。
アメリカ大陸とヨーロッパを結ぶ大型蒸気客船
「バージニアン号」のパーティールームにあるグランドピアノの上に、
生まれたばかりの赤ちゃんが一人、
レモンの木箱に入れられ、捨て置かれていました。
その子を拾ったのは、
バージニアン号の機関室で毎日、毎日、
全身を石炭と油で真っ黒にしながら、
ただひたすらに蒸気機関を燃焼させる重労働をしている
大柄な黒人乗り組員。
彼はその赤ちゃんを自分の子として、
船の上で働きながら育てていく決心をします。
その黒人機関員の名前は「ダニー・ブードマン」
赤ちゃんが入っていたレモンの木箱に書かれていた商品名は
「T.D.レモン」
ダニー・ブードマンが自分の分身として赤ちゃんに付けた名前は......



「ダニー・ブードマン・T.D.レモン・1900」

「ダニー・ブードマン・T.D.レモン・ナインティーン・ハンドレッド」

「このくそったれな新世紀の最初の年の、
最初の月に見つけた子なんだ!
だから名前は、、1900!
ナインティーン・ハンドレッドだ!」



機関室の中でダニーはそう叫んでいました。
船のピアノの上に置き去りにされていた子供は、
機関室でひたすら石炭をくべる仕事をするダニーと、
その仲間達に、船をゆりかごにして育てられていきます。
そして、船に置いてあったピアノを、
物心がついた頃からの唯一の友達とおもちゃにして、
やがて船上の「超凄腕」ピアニストに育っていきました。
そんな彼の事を、人は皆



「天才ピアノマン!
ナインティーン・ハンドレッド!」



と、そう呼びます。
......そんな話しが、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の映画



「THE LEGEND OF 1900
(ザ・レジェンド・オブ・ナインティーン・ハンドレッド)」



邦題は



「海の上のピアニスト」



名作ばかりの彼の映画の中で
「ニューシネマ・パラダイス」
「マレーナ」
と並ぶ3大傑作の一つだと僕は思っています。
大好きな映画です。



そして、
この映画には一つだけ、少し気になる事があります。
それは、冒頭に記したダニーが叫んだ台詞(せりふ)。
「1900年」というのは、
ダニーが劇中で言うような新世紀の始まりの年......
「20世紀の始まりの年」ではありません。
学問的に正確に言うと、
その前の世紀......「19世紀の最後の年」になります。
ダニーの言った20世紀というのは、正確には

「1901年から2000年までの100年間」

のこと。
現在の僕らが暮らしている21世紀は
正確には2001年から始まっていますし。
例えば、5世紀といったら401年から500年まで。
1世紀といえば

「西暦元年である1年から100年までの間」

を指します。
なので......

「このくそったれな新世紀の最初の年の、
最初の月に見つけた子なんだ!
だから名前は、、1900!
ナインティーン・ハンドレッドだ!」

という台詞は、
正しくは

「このくそったれな世紀の最後の年の、
最初の月に見つけたの子なんだ——————————」

という感じになります。



名匠トルナトーレが間違える!?



ううーん......



最後まで見て行くと......
それは恐らく確信犯だと思います......が。
それでも見ていると、その
「間違えている台詞をスッと受け入れてしまう」
くらい、現在の「世紀に関する定義」には、
人が数字に相対した際の自然な感覚との
「大きなズレ=100年のズレ」
があるように思えるのです。
個人的にはダニーの台詞の通り

「1900年が新しい世紀の始まり!」

とする方がしっくりと来てしまう派でして。
1900年代は19世紀!と表したい派!
なのであります。はい。
1世紀と言ったら「百○○年」と思う感覚のほうが
自然じゃないかと思えますし、同様に、
5世紀と言ったら400年代ではなくて、
500年代で言われる方が自然な数字感覚に近いのではないかと思えます。
20世紀と言ったら、
本当は2000年から2099年までの100年間!
と定義してもらう方が分かりやすいのではないでしょうか。
しかし、実際は、20世期は1901年から2000年までのこと。



ヤヤコシイ。



どうしてこんな事に?



......それは「ZERO=ゼロ」の概念が含まれていないからです。



他にも幾つかの理由があるのかもしれませんが、
西洋において現在のような「世紀の定義」が出来た一番の大きな理由は、
「西暦」や「紀元」、「世紀」というものを記し出した時には、
未だ数学的な「0=ゼロ」という概念が無かったからです。
「ゼロ」という概念が最初に数学や算術の中に持ち込まれたのは、
実は6~7世紀頃のインドからでした。
もし、西欧で「紀元」や「世紀」の考え方が生まれた時に、
そのゼロの概念があったなら、
今のキリストが生まれたとされる西暦の1年は西暦0年となります。
そして歴史年表にも「ゼロ世紀」という表記が加わり、
0年から99年までの100年間を、
そんな「ゼロ世紀」と呼ぶ事になります。
すると、1世紀は100年から199年まで。
200年からは2世紀というふうになります。
個人的にはこの方がなんだかスッキリ!するのです。
冒頭紹介した映画「THE LEGEND OF 1900」でダニーが叫んだ台詞も
間違いでは無くなりますし、文字通り、
「1900年は19世紀の始まりの年!」
ということになるのでしょうか。



ゼロという概念は、
一般には「無」や「空」に近い感覚で
理解されているのではないかと思います。



面白いのは、
最新の物理学では、
真空で何も無いと思われていた「無」であるはずの宇宙空間が、
多くの微細なる物質で満たされている......
という事が分かって来ました。
それは一昔前に一度否定された「エーテル」的なもので。
今は「ダークマター」などと呼ばれているものです。



これは、
「無」や「空」は、
そのままの意味での「無」や「空」ではないということです。



「ゼロ」という概念自体は、
インドでの発明を待たずとも、
古代から世界中の人々の中にちゃんと存在していたハズだと思います。
そんな感覚は、
太古の昔から多くの人々はちゃんと理解していたとも思います。
そして

「何かがソコから生まれる」

からには、
ソコには

「有的な何かがきっとあるはずだ」

と。

「有を生む無は完全なる無では無いはずだ」

と。
そんな感覚は現代人でも何となく感じられている事だとも僕は思いますし、
今よりも強く自然や地球と結びついて暮らしていた太古の人々が、
そんな感覚をわからないハズが無いとも思います。
タダ単に、人々が昔から感じてきていたそんな太古の感覚や事実が、
数学や算術という学問的なモノの中に最初に持ち込まれたということが
インドで起きた......
というような表現がコトの真相でもあるのかと思います。



「ゼロ」というのは、
つくづく偉大な発見であり、発明であると思います。



年代の記述や世紀の話しのように、
ゼロの概念が組み込まれるだけで、
色々なモノゴトがスキッと整理出来てきます。
そして、そんな「ゼロ」という言葉や記号や概念があるという時点で、
その、ゼロ自体の実在性を証明しているとも思いますし、
故に、ゼロというのは「無」や「空」ソノモノのことではなく、
僕にはなんだか......

「何かを生む為の根源的な種子みたいなものを含んだ世界」

のように感じられるのです。
だから何かを

「ゼロにする」

というのは、真の意味では

「新たな息吹を宿らせるための作業」

ではないかと。
そう思える時があります。
何かを「ゼロ」にするというのも、
きっと悪い事ではないのでしょう。
時に必要な事でもあるのでしょう。
それは、きっと、また何かを生み出す為に。



「THE LEGEND OF 1900」のDVD。
コノ映画も人それぞれ色々な捉え方や感想があると思います。
最近は色々なレビューもアチコチに溢れていますが、僕の場合......
ダニーの台詞が確信的なものではないか......という事や、
少々映画とは関係ないように思われるかもしれない、
この記事の途中から後半にかけてのお話しが、実は、
決して映画と無関係の話しでは無いのではないか?
という事も、見ると分かってもらえるかもしれないな......と。
とにかくコノ映画は内容は勿論、音楽が......
素晴らし過ぎるのです。(T.T)

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オネアミスの翼

2012-08-28 00:11:57 | 勇気...映画/音楽
音楽監督は坂本龍一。
主人公の声は森本レオ。
変わりどころでは、
徳光和夫さんがそのまんまアナウンサー役の声で参加していて、
作画監督や特殊効果スタッフのクレジットには若き日の貞本義行さんや、
庵野秀明さんの名前も。
こんな錚々たるメンツをまとめる監督は山賀博之さん。
この作品が無かったら、恐らく
「エヴァンゲリオン(エヴァンゲリヲン)」
や、アニメ界にヒット作を数多く排出している制作会社
「GAINAX(ガイナックス)」
も生まれていなかったと言われる劇場用アニメ。
それが「オネアミスの翼」。正式には
「王立宇宙軍 オネアミスの翼」
というタイトルになっているらしいのですが、
学生時代の僕にとても大切なことを教えてくれた映画作品の一つでもあります。



主人公「シロツグ・ラーダット」が語る映画冒頭の印象的なナレーションは、
深みと優しさのある森本レオさんの声で語られます。
言葉はこんな感じ。



「いいことなのか、
それとも、わるいことなのか、わからない。
でも、多くの人間がそうであるように、
俺もまた、自分の生まれた国で育った。
そして、ごく普通の中流家庭に生まれつくことができた。
だから、貴族の不幸も、貧乏人の苦労もしらない。
別に、知りたいとも思わない。
子供のころは水軍のパイロットになりたかった。
ジェットに乗るには、水軍に入るしかないからだ。
速く、高く、空を飛ぶことは、何よりもすばらしく美しい。
でも、学校を卒業する2ヶ月前、
そんなものにはなれないって事を成績表が教えてくれた。
、、、だから、、、宇宙軍に入ったんだ。。」



学生だった僕は、自分自身に問いかけます。



「自分はどうなんだ?
いったい、こんな風に学校や仕事、会社、
進路を決める人がどれくらいいるのだろうか。
自分はどうなんだ?いったい......」



この作品にオープニンングからずーーっと流れていく空気感。
それは何とも言えない虚無感。倦怠感。退屈感。
退廃的とも言ってよい空気。
主人公や多くのキャラクター達の目つきもうつろげに描かれています。
そしてそんなキャラクター達は皆、殆ど笑顔をみせません。
それはその後「エヴァンゲリオン」にも繋がっていく空気感。
この作品には「エヴァ」へと続いていく流れの源泉のようなものが
存在していることが手にとる様に良く分かります。

そして、その退廃的とも言える空気感は、
主人公シロツグが宇宙飛行士に志願し、成長していく過程と共に、
最後には作品そのものの中で見事に壊され、
その遥か先に突き抜けていくような解放的なエネルギーへと変えられていきます。

多くの良い作品がそうであるように、
見る者の心情を主人公や作品と同化させ、
物語の中に引き込みながら魅せていく......
というのは当然のことですが、この映画の凄いところは、
あくまで個人的見解ではありますが、
見る者が重ねている登場人物達の心情や物語の流れというのが、
いつの間にか

「この作品を作っているクリエーター達のマインドの流れ」

としても感じられてしまうことです。
それがこの作品を特別なものにしている要因なのではないかと僕は思っています。
当時の若いアニメーター達の日常と葛藤と夢。
そして、突き抜けていく衝動。
何故でしょうか......この作品に僕はそんなモノを感じてしまうのです。
特に、
庵野秀明さんが描くロケット発射からエンディングに至るまでのラストシーンは
今見ても美しく。
普通の日常から突き抜けていく様な気持ちや衝動と、
情熱的な「何か」を宿しているようにも感じられます。
それは、
その時の庵野さんや制作チームの気持ちや衝動そのものなのかもしれません。
僕はこの作品を見ると、
いつも黒澤明監督の「生きる」を思い浮かべてしまうのですが、
どこかそんなテーマも持ち合わせている作品ではないでしょうか。

「生命とは自らを表す衝動のことだ」

というようなことを、
以前ココでも記しましたが、この作品にはそんな部分も感じます。



この映画を見た頃。
若かった僕は誰でも通る様ないっぱしの、そして、
極普通の普遍的なテーマを考えていたりしました。
それは

「僕は、何処から来て、何処に行くのか」
「僕は、何故生きている?のか」

主人公のシロツグは物語の中盤で、
この「普遍的で若輩的なテーゼ」を僕の代わりに、
そのままスクリーンの中の彼の友にぶつけてくれます。



シロツグ
「、、、もしかしたら自分が正義の味方じゃなくって、
悪玉なんじゃないかと考えた時とかないか、、、」


「さあな、、
ただ、、周りのヤツら、親とかみんな含めてだ、、、
そいつらが、、俺をほんのちょっとでも必要としているからこそ、
俺はいられるんじゃないかと思ってる。
金物屋だってそうだろ。
誰かが必要としてるからこそ金物屋でいられるんだ。
この世に全く不必要なものなんか無いと思ってる。
そんなものはいられるはずが無い。
ソコにいること自体、誰かが必要と認めてる。
必要でなくなったとたん消されちまうんだ。。そう思う。
どうだ?」

シロツグ
「。。うん。わかった。ありがとう。」




「君は、必ず、何かに、誰かに、必要とされているから存在している」




このテーゼに僕は今まで幾度か助けられて来ました。
僕にとってはとても大切なテーゼ。
「王立宇宙軍 オネアミスの翼」
タマに思い出したように見てみたくなる作品です。


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愛そのもの

2012-07-22 01:20:59 | 勇気...映画/音楽
舞台はイタリア、地中海に浮かぶシチリア島の小さな村。
見渡す限り、海と畑以外何も見えないような所。
そんな村に生まれた主人公のトトは、
幼い頃から村でただ一つの映画館の仕事を手伝いながら育ちます。
その手伝いを続ける中で育まれた彼の映画への憧れは、
大人に成ると
「映画を創る!」
という大きな夢に変わり、トトは都会へと旅立ちます。



言わずと知れた
「ニューシネマパラダイス=Nuovo Cinema Paradiso」
というイタリア映画のワンシーン。



その旅立ちの日。
青年となったトトが乗り込む列車の駅のホーム。
小さな駅のホームに屋根は無く、
シチリアの明るい陽光が降り注ぎます。
その駅のベンチには、
旅立つトトを見送るために座っている老人が一人。

それがアルフレード。

彼は村で唯一の映画館の映写技師。
トトに映画の素晴らしさを教えてきた師でもあります。
父親のいないトトにとっては小さな頃から父親代りの人であって、
良き友人でもあり続けた人。
駅のベンチに座る彼は老齢から足腰も弱り、
とある事故により目も見えなくなっていました。
それでも、幼い頃から我が子の様に可愛がっていたトトのため、
彼は駅までトトを見送りに来ます。
駅のベンチに腰掛けたままのアルフレードは、
同じく見送りに来たトトの家族に聞こえない様に、
夢に向かい旅立つトトを強く自分の顔に引寄せ、
小さく、でも強い声で......こういいます。



「帰ってくるな。
私たちを忘れろ。
手紙も書くな。
ノスタルジーに惑わされるな。全てを忘れろ。
我慢出来ずに帰って来ても私の家には入れてやらない。
わかったな」



そして、最後にこう言います。



「自分のすることを愛しなさい」



僕は利根川にほど近い、
畑以外は何もないような埼玉県の片隅に生まれ育ちました。
海が無いこと以外は、
この映画の舞台にどこか似ている片田舎です。
幼く、モノ心ついた頃から高校生ぐらいまでは、

「自分のやりたい仕事や夢を叶えるには、
ここにいてはダメなんだ。
出来ないんだ......」

そんな気持ちを強く募らせていました。
ソコには故郷に対する嫌気などはまったく無かったのですが、
表現しがたい焦り、絶望、
見知らぬ土地や未来への期待などが入り交じった
複雑な感情ではありました。

そして、この映画の主人公トトと同じ様に、
僕は夢を抱えて18才で家を出ます。
それから何を手に入れて、何を失ったか......
はよくわかりません。

勿論、歳月を重ねる毎に自分の故郷が如何に豊かであって、
かけがえのない場所であるのかという思いは
痛切に深められてきました。
そして、そんな自分と重ねて見てしまう部分も含めて、
この映画は今まで見たどの映画よりも心に残り、
いまだ、見る度に涙が溢れてしまいます。



見るととても辛いのに、たまに見てみたくなります。



馬鹿ですね。。



名画との評価も高いこの映画は様々な人に、
様々な角度から語られる作品でもありますが、
大抵はアカデミー賞を獲るほど有名になった
ラストシーンが話題の中心になります。
勿論、それには賛成で、
異論などまったくありませんが、個人的には......
僕は上に記した駅のシーンと台詞が「痛いほど好き」です。
目を背けたくなるのに、大好きです。



「自分のすることを愛しなさい」



この映画の監督、脚本を手がけたジュゼッペ・トルナトーレは
後に自らこんな言葉を寄せています。



「私が表現したのは、
私自身の子供時代を思い出させる一つの歴史......
(省略)
......トトは映画を選ぶ事によって人生に傷をつけてしまったのだが、
私の考えでは、人生の方が映画より大切だと心から思っている」



「自分のすることを愛する」という事は、
自分が心から愛せない様な事は決してしてはいけない、
という事かもしれません。
いや、もしかしたら、
どんなに酷い事をしたと思っても、
決して自分の事を嫌いにはならない様に......
という事なのかもしれません。

どのみち、
その意味には受け取る人の数だけの多様性があり、
深く、広い言葉だと思います。
ただ、この映画のストーリーラインの中で
ハッキリと確信出来るのは、
この言葉は広大無辺な「愛そのもの」なんだと僕は思っています。

もし、今、
自己嫌悪に陥っている人がいましたら、
お試しでこの映画を見てみて下さい。
そして、難しいことかも知れませんが、
どうか自分のしてきたこと、
これからしようと思っている事の全てを愛してみて下さい。

どうか、大切なものを傷つけませんように。


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