雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

猿田彦ミステリー

2014-04-28 00:20:26 | 面白い...パワスポ寺社
ジョージアさんの缶コーヒー「ヨーロピアン」。
プッシュ!プッシュ!のリニューアル新商品!
のようですが、
そのTV-CMからチョット気になるフレーズが......



「猿田彦珈琲 監修」



なぬ!?Σ( ̄。 ̄ノ)ノ



さ、サルタヒコ、とな!??



全国ネットで流れるそのCMには、
東京、恵比寿にあるカフェ
「猿田彦珈琲」のオーナーの大塚さんまで登場して。
なにやら気持ちよさそ~なオサレなカフェで、
コーヒーをふるまわれた大勢のお客さんが



「美味しい美味しい、、」



と飲み干し。
珈琲カップの底に現れた文字をよーーーく見てみると......



「実は、缶コーヒーでした。」



なぬ!?Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

ンなわけねーべよ!?( ̄O ̄;)

天下一品のラーメンかっ!?つぅの( ̄^ ̄)マニアムケハツゲン

缶コーヒーかどうかぐらい気付くってんだい!

コーヒー好きだったら!o(*'へ'*) ええ!?!

ン!?

待てよ......

んじゃ、ちょっと......買って確かめてみっぺかな......( ̄+ー ̄)んだんだ。

そーすべぇ......



.........



.........



買ってみまちた!(=゜ω゜)ノ





ん!?(^ー゜)



ま、まてよ。まてよ......



こ、コレは......



罠にハマった!!( ̄◇ ̄;)))カッチマッタ...



......まぁね、
ホントわね、
「猿田彦珈琲」という名前にね、
惹かれたわけでやんすけど。
「神社」好きとしたらね、
猿田彦さんというのはね、
そりゃぁもうドエライ神様ですから。ええ。
にしても......



ハマった。。(T ^ T)シカモニホンモ...



孤高の!?ハワイコナ・フリークなのに(T . T)ぶぇ



「猿田彦=さるたひこ」さんというのは、
知る人ぞ知る「導き」「道開き」の神様でして。

「あぁ、、神様!
僕わいったい何処へ進めば良いのでしょうかぁ???」

「あぁ、、神様!
どっちを選んでいいのかわからないのですぅぅぅ!!」



とか、



「おぉ、神様!我が人生わ行き止まりでちゅぅぅ、、」



なんていう時に手助けしてくれるという神様。
そりゃあもう神様界!?では、
年末の紅白歌合戦司会者級トップスター!的神様なのでやんす。
出演者というより。ええ。
伊勢などに行ったことがある方なら
「内宮」に向かう途中目にする「猿田彦神社」さんなどで
なんとなく知っていたりもするとは思いますが。
例によって古い携帯写真さんですが。
コチラさんで。ええ。



裏山がナカナカでして。ええ。
軽いノリでは行かせませんぜ、ってな感じでして......







神社の境内には、奥さんである
「アメノウズメ=天之宇受売 ≒(ニアリーイコール) 猿女=佐瑠女=さるめ」
さんのお宮なんかもあるものですから......



紅白の話で言えば紅組の司会者でもあろうかという、
そりゃぁもうたいへんセクスィーな芸能の「始祖」神様でもある奥様ですから、
芸能関係の人も沢山訪れるコトでプチ有名な神社さんでしょうし。ええ。
そもそも、

「こんなヤバイ神様の名前をカフェに付けるなんざイッタイ!?
どういうツモリなんでいっ!」

ってなコトで。
こんな風にさり気なく佇むこのお店を最初に見つけた時には、



「なんでぃなんでぃ!(*`へ´*)チェックしてやんでぃ!」

ってな感じで立ち入り検査をしたようなこともあったのです。

「水出しアイスコーヒーがとて~も、
フンワリと美味しいでやんしたおっ!♪( ̄▽ ̄)ノ」

などと。
そう言えば、
ジョージアの新商品キャンペーンが始まる直前ぐらいに、
グルメ友人の「K様」から突然

「猿田彦珈琲ってどうなの?美味いの?
俺はこう......思うんだけどさ、どう思う?」

なんて話を何故か?されていたコトもあったし......
この流れは......なんだかな......静かなる!猿田彦ブーム!?
猿田彦さんの力が必要な時代!?なのだろうか?
偉大なる猿田彦さんのお話?秘密?などもソロソロ記してもよいのか!?
みたいな「流れ」でもあるのだろうか......ウーーーム......φ( ̄ー ̄ )......

しばし、熟考......

.........

そうですねぇ......

ココは一つ、

「猿田彦ミステリー」

ってなお話を記しおくのも一興かもしれませぬな......

うん。

次回!続く!(=゜ω゜)ノ


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Bossa Nova Rain

2014-04-24 00:09:39 | 素敵...映画/音楽/珈琲
ボサノヴァの優しいリズムに乗って、
「アストラッド・ジルベルト」さんがたどたどしく、
漂う様な声で歌います......



♪—————私達は共に世界を失い、
孤独に佇んでいる者同士。
だから、一緒に優しい雨の中を歩きましょう♬

私達の愛はとても甘くて、
とても哀しく、
とても優しい雨のよう。

それは優しい雨のよう—————♪



名曲。
「The Gentle Rain =ジェントル・レイン」



吹き荒んだ春の嵐が一段落したこの時期に降る雨というのは、
大雨でもなく。
シトシト......といっても、それほど濡れるわけでもなく。
でも、霧雨よりはシッカリとした雨で。
寒くもなく、暑くもなく。
勿論「梅雨」でもないし、
ジメジメしているというわけでもなく。
それは、僕にとってはなんだかとても「優しい」感じがする雨。
4月の中旬ぐらいから降るこんな雨を日本古来の暦では
「穀雨=こくう」と言うのだそうです。

「雨降って百穀(ひゃっこく)を潤す」

という意味が込められていて、
この時期に降る雨は穀物の成長にとってとても大切な雨なのだそうで。
作物を作る田畑の準備が整い、
それに申し合わせたかのように降る柔らかい春の雨。
関東ではココ数日、
暦(こよみ)通りのそんな感じの雨の日が続いていたのですが。
僕にはそんな雨がなんだかとても心地よく。
優しくも感じられて。
あまり濡れもしないし、とりあえずは放射能!?黄砂!?の恐れも忘れ。
傘もささずに家路を歩いていたりしていました。
そんな風に歩いていると、いつも、
冒頭の「優しい雨」という曲が頭の中で鳴り出して。
その曲の心地よいボサノバのリズムに歩調を合わせてみると、
気がつくと笑顔になったていたりなんかもします。
やっぱり「優しい雨」なのでしょうか(^^)



「イパネマの娘」で一躍スターとなった
「アストラッド・ジルベルト=Astrud Gilberto」さんのセカンド・アルバム
「The Shadow Of Your Smile」
邦題は「いそしぎ」
大好きな「優しい雨」が収録されています。
名盤!(*´ω`*)スキスキ...

今更ながら、ボサノバのリズムやアレンジというのは独特で。
優しい雨と戯れながら帰った家のリビングで久々に喜々!
として聞き込んでみると、
確かに独特ではあるけれど、
何とも言えない「優しさ」も感じさせられる音楽。
「ビート」は確かに刻まれてはいるけれど、
決して明確!正確無比!というようなものではなく。
フワフワと波に漂う木の葉の様に連なっていて。
そこに絡む上物(ウワモノ)の楽器達も同様に、
波のまにまに漂うかの如く......



とてーも気持ちよし(*´з`)



アストラッドの歌は、もう......天性のもの。
タブン、柔らかに折り重なるビートや音の「隙間」を本能で見つけ、
その隙間に歌を自然に置いていくような感じ。



何の邪魔もせず。



何の邪魔も受けず。



気持ちよし(*´ー`*)ウットリ



ボサノバも優しい春の雨に似ているように思います。



そんな雨があがる頃、
いよいよ僕が一年で一番好きな「五月」がやって来ます。



楽しみ(*´ー`)



それまでは、ホンの少し、
この「優しい雨」に身を任せ......
天然パーマの僕ですから、雨に濡れたとたん
「ちんちくりんヘアー」
に大爆発!するのでちゅけども......

傘をさすのも程々に......

優しく降る雨の中、
お仕事で都会のビルから出ようとする、
そんなポンチキヘアーの僕様に、
ちょいとオシャレな傘を一本、か細い手に抱えながら
「サササッ!」
と近寄って来てくれる憧れのカワユイあの娘さん......
少し心配そうな顔をしながら、
出口に立つ僕にこう囁くのです......



「uzmet様! 雨が。。。」



ポンチキ・ヘアーのまま、
僕さんは彼女にこう答えるのです......



「春雨じゃ。濡れて参ろう。」



きゃーーーーーーーーーっ!!(σ ゜д゜)σ ヘンターイ!!
バカァーーーーーーーーーーーーッ!!



新国劇「月形半平太=つきがたはんぺいた」ですな。ええ。( ̄ー ̄)
妄想ですわ。妄想。
ええ。勿論。
誤解無く。ええ。



「THE GENTLE RAIN」by Astrud Gilberto

We both are lost
And alone in the world
Walk with me In the gentle rain

Don't be afraid
As I held for your hand
And I Will be your love for a while


I feel your tears
As they fall on my cheek
They are warm like gentle rain

Gone with the world
You've got me in the World
And our love will be sweet
Very sweet


Gone with the world
You've got me in the World
And our love will be sweet
Very sweet
Very sad

Like the gentle rain
Like the gentle rain



私達は共に世界を失い
孤独に佇んでいる者同士
だから一緒に優しい雨の中を歩きましょう

恐がらないで
私の手はあなたの為にあるの
そしてすこしの間 私はあなたの恋人


あなたの涙も
自分の頬に落ちる涙のように感じるの
それは暖かくて 優しい雨のよう

失われたこの世界で
あなたは私を手にするの
そして私達の愛は甘く
とても甘く


失われたこの世界で
あなたは私を手にするの
そして私達の愛は甘く
とても甘く
とても哀しく

それは優しい雨のよう
それは優しい雨のよう


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小保方PP佐村河内

2014-04-20 00:14:20 | セツナイ
「真実に温度など無い」



映画「悪の法則」(原題=The Counselor)の中で
キャメロン・ディアスさんが扮する
「マルキナ」が言った印象的なセリフ。
今やノーベル文学賞候補でもある小説家、
コーマック・マッカーシー(Cormac McCarthy)さんの脚本と、
巨匠リドリー・スコット(Ridley Scott)監督さんとの
タッグで描かれた作品。



最近、カフェでお茶などをしていると、
マッカーシーの小説が話題に上るようなことはナカナカありませんが、
このところこの国で続いているあまりに痛くて寂しいニュース......
小保方さん、笹井さん、佐村河内さん、森口さん......
のことが話題に上がることは結構あります。
そんな会話は互いの意見を聞いたり、聞かれたり、
という流れにもなりますし、
多くの人の色々な考え方やモノの見方を知るキッカケとして役立ったり!?
もして。
そういう意味ではカフェなどではとても有り難い

「沈黙への良薬」

的な働きをしてくれたりもします。
......ただ、僕個人としては、
この一連のニュースにはもう......
悲しい、腹立たしい......
的な感慨でイッパイイッパイという感じでしょうか。
話していても、その最中には何とも言えない

「嫌な気持ちになる」

ような話題でもあって......
どうして?
でしょうか。。(´・_・`)

そんな一連のニュース報道を見ている中で、
僕が関心を持っているコトというのは、実は、
報道の内容とは少し違う所にあって。
それが、自分がニュースを見ている時の姿勢とその変化。
そんな

「メディア報道に対する姿勢の変化とは何か?」

と言うと、それは、
どうも自分はニュースそのものを見ているのでは無く。

「この人は、
この番組は、
この局は、
このニュースをどう伝えているのだろうか?
伝える側のスタンスはどうなのか?」

などというような部分に注目してニュースを見ているようで。

「このキャスターは本音で語ってるのだろうか?」
「演技が入っているのだろうか?」
「いや、フラットさに注力しているのだろうか?」
「この番組の編集には何か意図が含まれているのだろうか?」
「スポンサーは何処だろうか?」
「あっ!(=゜ω゜) テレ東は!?今どんな番組をやっているんだろうか......」
「テレビ東京らしさを貫いているのだろうか......」

と、そんなトコロが
自分が本当に見ている部分だったりしています。

「細かいこと、知りたいコトは、
後でネットで調べればいいや」

と、そんなスタンス。
そして、それはこういうことかもしれません。



「ニュース番組とは、今や、いや、かなり前から、
情報だけでなく情報の伝え方も見られている」



カフェで交わす友人達との会話にしても

「ニュース見た?」
「見たお!」
「どう思う?」

なんていう、
ニュースそのものに対する会話というのは
ホンの挨拶程度で終わってしまい。
その後は

「どーなの!?あの番組。あの伝え方ってさ......」
「あのキャスターの言ってることってさ......」
「あのニュースって、本当のトコロはさ......」

などという話をすることの方が多くなって来ているような感じで。
まがりなりにも先進資本主義国と呼ばれる国で、
西暦2014年の春に、
全国ネットで放送されるキー局のプライムタイム報道番組で、
その番組のイメージや価値を大きく左右するであろう
メインのニュースキャスターが

「パワー・ポイント(PP)を知らない!」

などと、
大声で堂々と時間をタップリかけて話し出すということは

「どう捉えるべき?」

なんて。
そんな会話が多く交わされもする時代。
ニュースの直後には

「小保方会見ってソコから始める話じゃなくね!?」
「説明するにしても簡潔VTRでよくね?」
「◯◯の感覚が皆の感覚なわけ!?」
「パワーポイントとはこんなソフトウェアで......
っとだけ言っとけばよくね?」
「わざわざ冒頭に大きく言い出すって、
何か私的意図もあったりするのかな?」

と、そんな感じの会話がネットワークを通じて
視聴者間で交わされる様な時代。
最早、ニュースは

「伝えかたを中心に見られている」

ような気がするのです。



「1対1」で始まった通信から、
「1対n」形式で、
「n=自然数=一般大衆」に対し
強大な力を獲得していったメディアの時代へ。
そんな時代を経て「n対n」の構造を持つネットワークや
ソーシャルメディアが登場し。
今はそんな多種多様なメディアが共存、共立している時代。
そんなグランズウェル(groundswell=メディア論的地殻変動)の只中で、
ニュースそのものより

「ニュースを伝えるスタンスを見られている」

という現状が、
僕にはとても重大で大事な変化であるように思えるのです。

僕等は事実だけは様々な方法で手にすることが出来る様になりました。
ただ、真実は、
未だ万人が手にするコトはナカナカ出来ません。

それでも、
少なくともこの国は「事実」や「ニュースソース」は
ネットワークを通じて自在に手に出来る様になっているとも思います。
だから僕等がTVで見るべきは「ニュースそのもの」や
「情報そのもの」というより、
それを伝えるメディアがどんなネタを選んでいるのか。
それをどのような編集と方法、
感情や精神と立場でもって伝えているのか。
それが自らの内にあるものや考えと同じものなのか?
違うものなのか?
自分の考えと混じる余地があるものなのか?
無いものなのか?
そんなふうに、今や多くの人は
ニュースをただ見ているだけでは無い気もしているのです。
本来、フラットな感情で伝えるべきニュースの背後に、
見る者に何らかの感情を喚起させる「音楽」を流して伝えている
なんていうことの意味も、最早、皆分かってしまっています。
大事なニュースであるのにも関わらず

「ある、◯◯党幹部の発言......」

などと表してソース元の人や情報を隠した発言を流したり。
そんな真偽の確かめようが無いコメントを、
マッタクの別人であるプロ・ナレーターがご丁寧に!?
明確な方向性を持った感情までも込めた「アフレコ」までして。
それをまた普通にオンエアしちゃったり。
そんなニュース編集の意図や意味など、
皆、もはや分かってしまっていると思うのです。

このキャスターは大衆感情の最大公約数的な立場を意識した
表現や言葉を発しているのか?
それが儀礼的で薄っぺらいものであるのか?無いのか?
例え最大公約数的な意見と違っていたとしても、
自らの内に湧き上がる気持ちや言葉を発しているキャスターなのか?
どうか。

「ニュースは徹底したシンプルさとフラットさでもって伝えるべきもの」

なんていうことを意識して言葉を紡いでいるキャスターなのか?
どうか。
最早、皆わかってしまっていると思います。
多くの人がそんなニュアンス迄もキチンと感じ取れてしまう時代。
言葉さえ間違えなければ、
どんなスタンスであれ、
多くの人が思いもよらぬ味方になってくれる時代でもあって。
そこに誠実さと真実と熱度が在りさえすれば、
どんな意見であれ、
擁護する者が沢山現れるようなこともある時代でもあり。
番外地!とまで言われたTV東京の特異な編成方針!?も、
多くの喝采と共に注目されてしまう様な時代でもあります。
最早、報道には大衆迎合的、
三文芝居ニュアンスは必要無いのかもしれません。
ショウ的なディスカッションをするばかりで、
実社会に何の実変化を及ぼすコトがない討論番組の在りようなども
もう変化する必要があるのかもしれません。



「真実に温度など無い」



ニュースは、
メディアは、
今、新たに「覚悟」が必要なのではないかと思います。



その使命をなんと心得ているのか?



それを今一度、



定義し直して欲しいようにも思います。



切に思います。



小保方さんの会見は、
芯の部分はどんな意図を持って行われていたのか?
佐村河内氏の会見と何か違っていることはあったのか?
同じようなものだったのでは無いのか?
科学者の会見とは、
本質的にはどのような形であるべきなのか?
小保方さんの行った会見は、
多分に法的で権力闘争的で自己保身的な会見ではなかったのか?
それは、
人類の進化を促す様な偉大な科学者リーダーたる者に
そぐう会見だったのか?
いや、それより、
彼や彼女が会見を開くに至った経緯に
マスメディアの影響というのはどれほどあったのか?
スター人物的な報道から詐欺師的報道に至るまで、
その大きな落差や流れやウネリは、
本当のところ何によってもたらされていたのか?
「必要以上のウネリ」は創作されていたのか?
いなかったのか?
僕等は必要以上な何かを意識付けさせられたりは
していなかったのだろうか?
僕等の日常に潜むリスクにはどんなモノが在るのか?
ニュースを見ながら自らの内にわき上がる、
この気持ちや考えは正しいのか?
間違っているのか。
この考え方は社会的にはどのあたりに位置する考え方なのか?
......ネット情報とも比べて見極めてみようか。
小保方さん。佐村河内さん。
このままでいいのでしょうか?
......と、伝えるメディアさん達もこのままでいいのだろうか?
彼等の伝える情報をそのまま鵜呑みにしていいのだろうか?
この報道の仕方には何か意図や裏は......あるのか?
ないのか?
......それも見極めてみようか。



冒頭に記した映画「悪の法則」。
流石に哲学的なマッカーシーさんの脚本に
唸ってしまうようなシーンが数多くあるのですが......
もう1つ、僕に強い印象を残したセリフというのがあって。
それは、
とある格式高い名門宝石商が客と商談をしている最中に、
特注カットされたダイヤモンドの検定をしながら話していたセリフ。
それは「輝き」の中に僅かに黄色い光が混じるダイヤの品質と
グレードに関しての説明————————



「——————通常、
ダイヤを評価する場合 “欠点” が基本になります。
完璧なダイヤというのは無色の光だけです————————」



最近DVDも発売されたようで。
店頭にも並んでますのぉ。
「黒幕は誰だ」ですか......
そうでやんすかぁ......ふむふむ......
「黒幕は何だ」なんつって。ね。ええ。( ̄ー ̄)


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京都、一条、戻橋。

2014-04-16 00:05:36 | 不思議...パワスポ寺社
ソコに線を引けば、人はその上を歩き。
ロープを張れば、人はソコから中に入ろうとしない。
同じ料理でも、器が変われば人は違う味にも感じてしまう。
そんな本能と知能との微細なる狭間を「術」として見つけ出し、
突いてもいく……
現代で言えば「脳科学」のようなマジックを使うのが陰陽師。
そこに天文、地理、物理、数理に森羅万象...... などの学問の知見と、
不可思議な「霊感」迄もが加わったような人物が居たのだとしたら、
それはもう……
相当にヤバい!人であったハズで......

……と、

前回の記事中に少し記した人物、「安部晴明=あべのせいめい」
言わずと知れた陰陽師(おんみょうじ)界のスーパースター。
以前の「このお風呂記事」でも少し書いてはいましたが、
そんな流れで今回、
またちとばかり続きで記しておきたくなった場所というのがコチラ......



今や言わずと知れた人気観光スポットともなっている安倍晴明を祀る、
京都、一条の街中に佇む「晴明神社」
星のマークがなんだかクール☆(^^)



この神社。
写真でもわかるようにとても小さい神社なのですが、
今に伝わる晴明さんの数々の逸話や、
そんなコトゴトが書かれている本や雑誌や漫画、映画などに至る迄、
常に話題に事欠かない為に大人気。
それに輪をかけて、最近のパワースポットブーム。
聞く所によると、
近頃は日本各地は元より、中国、韓国、台湾......と、
色々な国の人々までが沢山訪れるようになっているとのことでして。
僕が最近覗いた時も、噂に違わず多くの人で賑わっていました。
意外!(@_@)
やはり……



晴明凄し!(@゜o゜)/



此処は晴明さんが実際に住んでいた屋敷跡に立つという神社さん。
小さくても決してナメテはいけませんな。ええ。
人が多くても相当に鋭い!?オーラを放っています。
まずはここ。
コンパクトな境内に入ってすぐ右の御手洗場横にある古井戸
「晴明井=せいめいい」!



平安の昔から今に至るまで、
京都の街中にコンコンと湧き出るここの水は「晴明水」とも呼ばれ、
晴明がその術?霊力?で湧き出させた水!とも伝わっています。
しかも井戸の蓋には晴明紋(せいめいもん)とも呼ばれる
晴明のトレードマークともなっている
五芒星(ごぼうせい)=ドーマンセーマンが......
陰陽五行にもとずくこの紋様。
様々な呪術に強力な力を発揮すると言われている紋様。
それが井戸の蓋!なんて……



パないなっ!(=゜ω゜)ノ せいめい!



ここに沸く水には、
昔から色々なご利益をもたらすなどと伝えられて来てますが。
一番有名な逸話としては、茶道の開祖である、
かの千利休(せんのりきゅう)さんが自身の開く茶会においては
常にこの井戸の水を使っていたという話。
豊臣秀吉も飲んだと言われる彼のお茶。
利休がこの井戸の水にこだわった理由も
ナンダカとても興味をソソラレまふ。



利休!



おれにも飲ませてっ!(=゜ω゜)ノplease!



さらに興味をソソラレルのは、
その井戸に連なる様に配置されている北天から「地」に写された北斗七星。
つーことは、この井戸は......天帝......



北極星か!?(=゜ω゜)ノ



しかし、この井戸と北斗七星の一帯わ........



パワーありすぎ!(=゜ω゜)ノ アップアップ!



そして、この井戸の先。
さらに深く、一歩境内に踏み込んでみると。
晴明が常日頃いろいろと使役していたと言われる妖怪!?
精霊!?.......
陰陽道では「式神=しきがみ」と呼ばれる、
眷属(けんぞく)さん達を隠していたと伝わる
「一条戻橋=いちじょうもどりばし」
のオブジェがっ!



突然過ぎるレイアウトで。



しかもご丁寧に、し、式神さんのオブジェまで......



センスどうなのっ!?(=゜ω゜)ノ



しかし、式神さん達を使役していたなどとわ、まったく......



嘘じゃね!?(=゜ω゜)ノ ナンツッテ!



して、いよいよ本殿に。
狭い神社なのに......本当に強い......ヤバイ......
なんだこれ!?
スゲーな。
という気持ちの嵐をくぐり抜け、イザ!参拝。
あれ!?あれれれれれーーーっ!?



ももももも!?......桃さんが......
ももさんの意味としては、
以前記したコノ記事などを見て頂ければと。
ええ。
鬼よけですな、鬼よけ。
ええ。厄除桃。



しかし、



あわわわぁ!?



ナニ!? 



コレ。



なんか、鋭い「線」?「結界」?
の様なチカラを感じる......ような......
特に拝殿前の階段、最上段のあたりからキッチリと、
明らかに鋭利なエネルギーみたいなのを感じるのですが、
気のせいか!?
ナンダカ強力な線!?が引かれてる!?
ように思われたりなんかして。
普通、自然の「気」みたいなものであれあば、
これほどの直線感は感じないのに、
明らかに人工的と言うか、直線的と言うか、呪術!?か......
陰陽師の!?
うそ!?
まじ!?
こんな時代に!?
今も色々と受け継がれてたりするの!?だろうか。
むむむ......とりあえず参拝を。



アタマ痛いな、、
すげーな、、、
ガンガンで気持ち悪いな、、、
吐きそーやな、、



ムムっ!?



隣にも社が......



ムムムムムムムムムムムムムムムムムムムムムムムムッッッ!!!



あ、ありわ!!



なにさ!?(=゜ω゜)ノ



あまりにさりげなく、
あまりに不自然に社(やしろ)の前の道のド真ん中!に置かれた
「紐に縛られた石」
やはり結界の線は図られたもの......なのか?
この、あまりに不可思議な石が「術」のポイントなのか!?
今も脈々と受け継がれているモノがココには本当にあるのだろうか......
恐るべし!陰陽師。
み、み、、、



見ちゃいかん!(=゜ω゜)ノ



でも、なんか、晴明ファンとしたら凄くソソラレルので......
あくまで、
そーーーっと、
この看板を撮るんだよーん。
看板だし、ゆるちてねぇぇーー。
晴明さまぁ~(;^_^A
ファンですからぁ~......
おいらに術とかかけないでくださいねぇぇぇーーー......と、
ウチのスタッフさんが撮影したのがこの写真.......



あ、あ、、あ、、、



あくまで看板撮ったの!(=゜ω゜)ノ



きっと、拝殿より、コチラにある末社
「齋稲荷社=いつきいなりしゃ」
さんの方が大事なポイントを抱えていると思われるのです......
うーーん......
恐るべし陰陽師。
境内のご神木もなんだか雰囲気が在りますし......
さてさて、じゃあマニアとしたら、
せっかくですからオブジェにもなっていた、
近くの「一条戻り橋」に寄っちゃおうかしら。ええ。ええ。

お散歩♪お散歩♪

おっ!

此処でございます。

晴明さんが部下の式神達を隠していたと言われる橋わ......



柳も桜も綺麗でして。
見知らぬオネエさんも。
怪しげな業界関係者らしき人達も!?
皆、気持ち良さそうなのです。
近所の皆さんのお散歩コースなどにもなっているようでして。
橋の下にも降りれるので、おうおう......と、降りて、



セラセラ......と、気持ちの良い小川さんで♪(´ε` )
ふと、橋の方を振り返ってみると、
ちょいと雰囲気のある橋の下は......



ヤバイやんけっ!(=゜ω゜)ノ

こんなに綺麗で心地いい場所なのに......

アソコは......あそこだけは、

とてもじゃないけど入れないやんけ!

なんだか、まったく......

......と、まぁ、
そんなこんなの京都、一条、戻橋と晴明神社。
狭いながらもちょっとしたワンダーランドなのでございます。
物好きにはけっこう遊べる!?
のでございます。( ̄+ー ̄)ナカナカヤネ.....チョイズツウスルケドネ......


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お・ま・じ・な・い・☆

2014-04-12 00:15:40 | 不思議...パワスポ寺社
「呪」と書いて「まじない」
または「しゅ」「じゅ」とも読みます。
「ノロ(い)」は、
個人的に好まない読みかたなのでココでは使いませんが、
どの読み方を使うにせよ、それは少々影のある、
オドロオドロしい印象を持つ言葉として捉えている人が
多いかも知れません。

前回記した「桜咲く出雲」や、
それに連なり、昨年末に記した「8を巡る旅」など。
これらの記事に今回もう少しだけ興味深い!?物語を加えるとして、
それが、この「呪=しゅ」の話しということになります。

二つの記事を読んでくれた方はもうよく分かっているとは思いますが。
出雲の地というのは、僕からすると、
それはもうアチコチでかなり沢山の「呪」が
掛けられている地のように感じられています。
そして、その「呪」というものは何も「オドロオドロしい」とか、
「恐い」とか、そういったものではなく。
しかし遠い世界にあって自分とはマッタク関係ない......
というような話しでもなく。
ソレはかなり身近にあって。
日々触れてもいて。
そして、それでもその響きが「恐い!」ということであれば、
実はソレは「呪」というものをちゃんと理解していないから!?
かもしれません。
そんな感じのことが今回書き加えたくなったお話し。



「夢枕獏=ゆめまくらばく」原作、
作画「岡野玲子」で描かれ、
大ヒットした漫画「陰陽師=おんみょうじ」。
個人的な作品の印象としては、漫画というより

「吹き出しセリフ付き!平安イラスト集」

といった趣(おもむき)。
歴史物語の古書「大鏡」や「今昔物語集」
「宇治拾遺物語」「十訓抄」などで語り継がれ、
平安の昔から現代に至るまで陰陽師界に君臨し続けている
伝説のスーパースター
安倍晴明(あべのせいめい)」
の超人的な活躍と逸話を、
美しく雅(みやび)な画風で描いた個性的な作品。

古代朝廷を何世代にも渡り陰で支え続けていた陰陽師のチーム。
そのスター選手であった晴明は勿論のこと、
彼等が代々に渡って編み出し、用い、
受け継いで来た技や「呪」といったものが、
出雲の神々にも「術」として色々と仕掛けられていた......
なんていう可能性は十分にあると思います。

コミックス「陰陽師」の第一巻。
冒頭の話の中で、
長旅から自宅に帰って来たばかりの主人公「晴明」と、
そこにフラリと訪ねて来た、皇族でもあり、音楽に秀でた親友
「源博雅(みなもとのひろまさ)」との間で交わされる、
とても印象的な会話があります。
それは、この後ヒットしていくこの漫画作品全編にかかっていく、
とても大事な会話......



「なあ博雅......この世で一番短い呪(しゅ)とはなんだろうな」

「この世で一番短い呪......?
......しかし何で俺が考える?おまえが教えるべきじゃないか?」

「さっき言ってやったろう。名だよ」

「おまえの晴明とか?俺の博雅とかの名か?」

「そう。山とか海とか樹とか草とかそういう名も呪の一つだ。
呪とはようするにものを縛ることよ。
ものの根本的な在様を縛るというのは名だぞ。
たとえばおぬしは博雅という呪を、
おれは晴明という呪をかけられている人ということになる。
この世に名づけられぬものがあるとすれば、
それは何でも無いということだ。
存在しないとも言える」

「難しいな。
おれに名がなければ、
おれという人はこの世にいないということになるのか?」

「いや、おまえはいるさ。博雅がいなくなるのだ」

「だが博雅はおれだぞ。
博雅がいなくなればおれもいなくなるだろう?」

「......」



物語中、ここで晴明はちょっと口を閉じます。
タブンこの描写は、この時、
晴明がこんなふうに思っているということを表していると思われます......



—————その言葉や状態こそが「呪」にかかっている状態なのだ......



そして二人の興味深い話しはもう少し続きます。



「眼に見えぬものさえ名という呪で縛ることが出来る。
男が女を愛おしいと想う。
女が男を愛おしいと想うその気持ちに名を付ければ恋」

「ほほう。。
しかし恋と名をつけぬでもでも男は女を、
女は男を愛おしいと想うだろう」

「あたりまえだ。それとこれとは別のことだ」

「なおわからぬ」

「庭に藤があるだろう。
おれはあれに “みつむし” という名をつけた」

「みつむし?また、かゆくなる名だな」

「呪をかけたということだよ」

「それで?」

「けなげにもおれの帰るのを待っていた。
花がまだ咲き残っている......」



—————晴明は、実のところ、こう言ったのでしょう......



「名を付けて可愛がっていなければ、
留守中に咲いた花は、
時期的にも自分が帰った時には全て散っていたはずだ……」



と。



ソコに線を引けば、人はその上を歩き。
ロープを張れば、人はソコから中に入ろうとしない。
同じ料理でも、器が変われば人は違う味にも感じてしまう。
そんな本能と知能との微細なる狭間を「術」として見つけ出し、
突いてもいく……
現代で言えば「脳科学」のようなマジックを使うのが陰陽師。
そこに天文、地理、物理、数理に森羅万象...... などの学問の知見と、
不可思議な「霊感」迄もが加わったような人物が居たのだとしたら、
それはもう……
相当にヤバイ人!であったハズで......



出雲大社の主祭神であり、レディース向けの!?
「縁結びキャンペーン」
の由縁ともなっている大国主命(オオクニヌシノミコト)さんは、
出雲大社の本殿においては、通常の神社とは違い、
本殿中央に、
参拝者と向かい合う位置に祀られているというワケではありません。
これは有名な話しではありますが、
大国主さんが座している場所は、実は、本殿向かって右隅の方。
右側の壁を背にして座を設けられて祀られています。
しかも「8を巡る旅 2」で載せた、
本殿上部からの見取り図を見て頂ければよく分かる様に、
その座の位置には参拝者を遮(さえぎ)る形となる
「仕切り壁」も何故か?造られています。
ソコに大国主様が座ると、そのお顔は、
参拝者から見ると左ホホを向ける横顔という形にもなり、
決して正対することは無く、その上、壁で見切られ、
参拝者の顔も声も大国主さんには届きづらくなってしまいます。



これも「呪=しゅ」です。
「術=じゅつ」です。
大国主さんに参拝者の声や力が届きにくくなるように
仕掛けられている呪術(じゅじゅつ)。
言い方を変えると、
多くの人々のエルギーが大国主さんに加わっていかないよう、
配慮をしている呪術かもしれない!?
ということです。



大国主さんに「縁結び♡の声」を届けるには、
この大社に仕掛けられた「呪」を少々ひも解かねばならないのです......
晴明ばりに。( ̄+ー ̄)ニヤリ



そんな呪を「ひも解く」動きとしてはこうでしょうか......
拝殿でキチンと挨拶をすませたら、
本殿を囲む塀を左にぐるりと回り込みます。
すると、ちょうど本殿左側の対面となる辺りの塀に、
気の利いた優しい神主さんが用意してくれたのであろう!?
小さな「机」がおかれています。
何故か?ヒッソリと......
殆どの人はソコをすすすーーーっと、通り過ぎていっていると思いますが、
しかしその場所こそが!何を隠そう!
拝殿に横を向いて座られている大国主さんの「真正面」の場所!
ということになります。
不思議ちゃんなら!?
コノ辺りでなんとも強いエネルギーなどを感じられる?かもしれません。
ここで改めて誠実に参拝やお祈りなどをすれば、
大国主さんにトテモよく届くと思われます。
拍手も出雲の聖数である8回!?鳴らしたりなんかして......
それわチト目立ち過ぎか!?......な。

そして改めて、通常の拝殿の賽銭箱の前で参拝している人が
正対している神様や社(やしろ)とは何か?
ということを考えてみると、
実はコレも前回記事で少し記した社のことであって。
境内最奥の場所で背後の神体山の懐にヒッソリと佇んでいる
「素鵞社=ソガノヤシロ」
ということになります。
その社の祭神は勿論!の「スサノオ」大王様。
なので、通常の参拝においては、
参拝者はスサノオさんに向かってお願い事をしている!?
という図式になっていたりもするのです。
となると、スサノオさんが縁結びの神様なのか!?
優しいのか!?
どうか......は、ちと、わかりませんが。ええ。ええ。

さらに言えば、大国主さんの「名前」にしてもそうです。
古来より彼には沢山の名前が、誰ともなしに付けられて来ました。
オオナムジ、ヤチホコ、オオアナムジ、アシハラノシコオ......

それらは皆「呪」です。

大国主さんが自分の本当の名前が分からなくなる様に、
皆から色々な名前で呼ばせることにして。

「アレ!?自分ってホントはどんな名前だったっけ。。」
「俺ってどんなことしてたヤツだったっけ。。」

などと混乱してしまう様に仕掛けられた呪です。
「シコオ=醜男」「オオアナ=大穴」なんて名前など......
まったく、酷いのでございまふ。もう。まったく。。(´。` ) =3

同様に、前回も少し触れた、
出雲一格式の高い宮である「熊野大社」にしてもそうです。
本殿よりヤバい!凄い力がみなぎる社(やしろ)というのは、
意外にも中央の拝殿ではなく、
境内左隅の方に小さく、ヒッソリと佇んでいたりするのです。
小さいですが本当に凄い力を感じる社なので、
僕ちんの様な小人間では、その社のすぐ隣にある、
なんとも雰囲気のある取水場の写真を載せるのが
精一杯のような感じでして......



この水場のすぐ横に「荒神社」という、
スッゲー!!(@_@)社があるのでございます。
僕にはコチラこそが熊野大社の心臓!
のようにも感じられたりするのですが……
とにかく水が!も!強い!という社(やしろ)。
社の周りには沢山の小さな祠や、
牛さんの石像までもが並べられていたりしますが、
なんとなく......
この社さんにも「呪」が......
仕掛けられているようにも思うのです......



誰かに
「君はこんなヤツだね......」
などと言ったら、
それは晴明の言う所の「呪=しゅ」となります。
その人に「呪」をかけてしまうことになるのです。

可愛い子供に
「おまえはマッタクダメ。無理だ。諦めろ」
などと言ったら、それも呪になります。

ましてや、自分で自分自身を
「おれってこんなヤツだな、、」
「おれってダメなヤツだ」
「最低なヤツだ」
「役立たずだ」
「人間失格だ」
「限界だ」
「ろくでなしだ!」
「スケベでポンチキだ!」
「愛なんて知らん!」
などと括ってしまったら......それも呪になります。

そして、こんな「呪」の話しを考える時、僕は思うのです。
愛すべき、貴重で有り難く、時に憎らしくもあるような自分の名前。
僕はそんな自らの名前に負けない様に......いや、
自らの名前に縛られることなく、
頂いた名前を大きく、
しっかりと超えていける様に、
掲げられるように生きなければいけないのだろうな......と。

「呪」はその時、意味を失うのだろうな......と。

「自在」ということの真の意味を知るのだろうな......と。

そんな生き方を目指さんが為に、

進むべき道の標(しるべ)とならんが為に、

名はあり。

付けられ。

呪もまた、在るのではないのか......と。

しかし......

稀代の陰陽師、安倍晴明さま......

恐るべち! (><)/


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桜咲く出雲

2014-04-08 21:58:42 | 凄い...パワスポ寺社
毎年恒例にしていた年初の「伊勢参り」を、
今年はこんな理由で......
出雲参り!にしました。
と、言いつつも、
1月、2月の出雲は雪も寒さもかなり厳しいので、
今回は、そろそろ春の香りも漂い出したのかな......
という頃に行くことに。

昔、社会人一年目の頃
業務で中国地区を担当していたというような縁もあって、
出雲エリアにはチロチロと幾度となく訪れていたりもしていました。
所謂「出雲」と言えば、
多くの人が思い浮かべるであろう出雲大社にしても、
もう2回程キチンとお参りに行ったりなんかもしています。

ただ、今年は60年に一度!(@。@)という、
社(やしろ)を新しく作り替える
遷宮=せんぐう」という儀の後で、
そんな真新しくなった大社を観れるなんていうことでもあって。
それはちょっと新鮮で嬉しくもあり。
とても楽しみに行って来ました。
行ってみると、
思いもよらなかったのが......桜。

桜咲く出雲。

そして、

予想外の軽やかでキラキラした空気の出雲。



よくよく考えると、
過去2回の参拝は真夏のアッチキチーな時と、
真冬の重々しい空の下での参拝で。
こんな......
こんなに軽やかで明るい出雲大社なんていうのは初めて......
かもしれません。
いや、ちゃんと記せば、
真夏であろうと日本海の寒い冬であろうと、
そんな季節を意識の外に置いたとしても、
出雲大社というのはいつも、
なんとなく「影=陰」が漂っているような印象で......
それは境内のそこかしこに溢れでている強力な「場」の力と共に
「ピン!」と張り詰めた「緊張感」とも言えるようなもので。
故に、伊勢神宮などと違い、誰しもに軽々しく

「良いよ~(^_^)一度行ってみたらぁ~♪」

などとは言えないようなところ。
それはコノ日本という国の「礎=そ」を造った、
偉大なる大王「スサノオ」さんと、
そのスサノオさんの愛娘を娶り、
婿(むこ)息子としてその国を更に大きく拡げていった
「大国主=オオクニヌシ」さんとの微妙なる対立?
の空気感なのか。
それとも、コノ地に彼等を封印した古代大和朝廷の
「呪=しゅ=まじない」の力なのか。
コノ地に元々からある「気」そのものの力なのか......

ただ、良いも無く。
悪いも無く......

それが出雲の特徴であって、存在感なのかな......
などとも思っていた僕には、
今回の遷宮を終えた新たな出雲大社の清々しさと明るさというのは、
それはもうマッタクもってカナリの驚きと新鮮さがありました。

本当に、
マ、マッタク違う。
今迄と......(;゜ ロ゜ )



大社の表玄関である鳥居前には、
昔は地元の学生達の研究発表会場だった様なローカル感溢れる!?
施設などがあったのですが。
そんな建物も「ご縁横丁」なんていう、
伊勢の「おかげ横丁」にも似た、
見事に整備された観光街に生まれ変わっていて......
(; ̄Д ̄)ウワサデハキイテマチタガ......



横丁の名前に引っ掛けた「えんむずびや」さんでは、



島根和牛のステーキを贅沢にはさみ込んだ、
こんな和牛ステーキオムスビなども......



ありえん。

出雲でこのセンスはありえん!?

う、美味いし......( ̄∇ ̄;)

そこから鳥居をくぐり、歩み行く、

樹齢数百年から千年の見事な松が立ち並ぶ類い稀なる参道も、



「松の根が踏まれぬ様に、、」

と、遷宮の改築と共に整備されていて。

なんだかちょっとモダン!?な雰囲気に。

な、なんか......以前と違う。。。(;゜0゜)



参道の周りを見渡せば、
とにかく鬱蒼としていた樹林が、程よく伐採され、整備され。
広い芝生の広場なんぞが広々と造られていたり......



あの......「暗さの象徴!」だった参道横の「池」も、
なんだか東京、代々木公園の皆が集う噴水池!
のような趣に......



「な、、なんだ!?
い、、伊勢みたい......ホントに出雲!?( ̄。 ̄;)」



もう、拝殿に辿り着くまでずっとそんな印象で。
キラキラと光り溢れる大社の境内。
決して、春!桜が綺麗
ということだけではないその感触。
いやはや、驚きです。



きっと何かが変ったのだと思います。

僕は。

僕が変ったのか?

大社が変ったのか?

その両方かもしれないけど。

でも、確かに僕はそう思いました。

出雲の「何か」が変りました。

それは遷宮のタイミングで。

それは新たなる日本の、世界の門出に際して。

そんな感じ?

でしょうか。



出雲大社で僕が何にも増して一番好きな所は、
実は、その有名な日本一の「しめ縄」でもなく。
勇壮なる社や背後の山々でもなく。
長い歴史ソノモノを纏った建築、空気、文化、でもなく......
この「参拝を終えた後」「境内を出る時」に再び通る参道で......
入口であり出口でもある、
鳥居を出て行こうとする手前のところ......ココ......



多くの寺社というのは、
高い山や平地にあっても大抵は土地を高くして、高い所に造られます。
なので参道というのは何処でも大体「登る」形となり。
例え、平らな地にある参道でも、
歩いていくと、最後、拝殿の前では必ず登ることとなります。
そんな中で、出雲大社の参道というのは、
とても興味深いことに入り口の鳥居から社殿へ向けてずっと、
緩やかな、
それは本当に心地のよい「下り傾斜」の道が続きます。
格式の高い、
それも「別格!」とも言える日本屈指の社でこの下り道......
他に思い当たるのは「明治神宮」ぐらいでしょうか。

そして、
その下りきった参道の「底」に社殿があるのです。
底の国。根の国。
それが出雲大社。

帰り道。
行く時に下った長い参道は、当然、今度は上り坂となります。
ゆるやかに、心地よい角度のついた登り道......
それは時折、
その道を歩く己から「帰る」という感覚を消し去って、
「よし!これから行くぞ!」
というような感覚を喚起させます。



境内を出て、帰るというのに、
また何処かに向かって行くようで......



境内の最後、出雲大社の鳥居が近づき。
その坂道から鳥居越しに見える光景......
それは鳥居の先に見える世界が
「新しい何か」
「別の世界」
のようにも感じられて。
そして、
世界を切り取る「額縁」の如く佇む見事な鳥居を登り坂の頂点で潜る時。
僕はいつも、
なんだか新しく生まれ変わる様な気持ちになってしまうのです。
緩やかな坂道を登りきって出雲大社を後にする時には、
僕はいつもこう思うのです。

「さぁ、頑張るぞ!」







決して記紀神話や表だった所で語られるようなことは無いのですが。
コノ国の歴史を「本気」で探求していくと、
出雲という地に住んでいた人々が、
コノ国の「礎=そ=祖」を造ったということが見えて来ます。
その国の王というのは、おそらく、
神話で語られる所の「素戔男命=スサノオノミコト」だと思われます。

王の中の王。

出雲大社というのは、
誰もが知る様に多くの妻を娶った色男!?
「オオクニヌシノミコト=大国主命」を祀った社(やしろ)。
この神様が「縁結び」と言われる由縁。
そして、大国主命は、
上にも記した様にスサノオさんの婿=義理の息子。
なので、出雲大社の最奥には、
大国主さんの父であり、
コノ国の「初代大王」と言ってもよいスサノオさんの社
「素鵞社=ソガノヤシロ」
という社が然りげなく佇んでいます。

この、偉大なる王、
スサノオさんを主祭する神社というのは、
当然、他にも同じ出雲の地にあって。
それが「熊野大社」
出雲国の「一宮」=「一番格式が高い宮」です。
出雲大社より格上です。

おそらく、一般にも有名な紀州和歌山の「熊野」も、
この出雲の熊野が語源に成っていると思われます。
出雲一族が国を拡げる際に「奈良」に入る道すがら、
自国の大王の宮名を冠し「熊野」と名付けたのでしょう。

そんな大王が祀られる熊野大社。
出雲の地に降り立った時には、
僕は何処よりも先にココに伺います。

そして今回......
こちらも......
この上なく美しき「桜咲く出雲」でした(^^)







出雲の地というのは深遠で濃厚な時が刻まれています。
意味深い沢山の地、社(やしろ)があります。
また改めて「出雲徒然」的に、ここに記していければと思いますが、
きっとそれは、
この日本という「島」が「国」として成立していく時の
浪漫」に触れるようなコトかもしれません。(*^-^*)


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上善如水

2014-04-04 00:15:08 | 美味い
冬という季節の全てをスキーに費やしていた頃。
新潟方面にお泊りで行ったりなんかすると、
お酒好きの友達が「夜のわいわい会」に
必ずと言っていいほど持ち込んでいたお酒というのが、
この、地元新潟の蔵元さんが造る日本酒......



「上善如水=じょうぜんみずのごとし」
思えば、ソレホド日本酒を

「美味しい!」

......などと思ったことがなかった僕が、
初めて

「コレはなんだか飲めるぞ。。うん。
美味いかどうか?は別として、
スンナリ飲めるな(・ω・)すげ~な」

と感じた最初の日本酒でした。
最近の世界的日本酒ブームを牽引するスムース&フルーティ!
系逸品達との衝撃の出会いを果たす迄は、
僕の様な「日本酒ド素人!」が飲めるものは殆ど無くて。
その貴重な銘柄の一つが、この「上善如水」でした。
今の豊満な食文化の中ではどんな立ち位置や
存在になっているのかは分かりませんが、
ネットショッピングなども無かった頃、
スキー友達に

「チョイと新潟方面に滑りに行ってくるのだ。ワンワン」

などと話すと、必ず

「ジョウゼン頼むわ!じょうぜん。
大吟醸でよろしくっ!(・Д・)/ おみやげね!」

などと言われていたことも覚えています。
ほんとに。ええ。
その頃からのスムース系の日本酒銘柄と言えば、
福井の「黒龍」と静岡の「磯自慢」あたりであった気がしますが、
中でもこの「上善如水」は
ボトルやパッケージデザインが秀逸でした。
おしゃれというか、モダンというか。
今迄の日本酒の「ソレ」とは一線を画す斬新なスタイリッシュさ。
しかも安い。
それでもってその名の通り「水のように飲みやすい」ので、
僕のような日本酒音痴からワインの似合う丸の内の女子!?
にまで大人気。
今にして思えばとてもお見事なブランディングが成されていて。
裏にどんな優秀なデザイナー?広告マン?プロデューサー?
がいたんだろうか???
なんてことも詮索したりしてしまいます。

最近、そんな「上善如水」を作っている新潟県、魚沼市にある
「白瀧酒造」さんの力の入った新商品が発売されていると聞いたので、
お試しでポチッと買ってみました。
なんでも、日本酒作りには欠かせない米麹(こめこうじ)を、
通常のものではなく、焼酎作りに使われるタイプの
「白麹=しろこうじ」を使って造りだした......
というモノなのだそうです。
お家に届いてみると、
パッケージやボトルはやっぱりの流石のオサレ感が......
手前の黄色いヤツがそうなのですが......
「上善如水 純米 白こうじ」



ふぅむむむ......
じゃ、早速飲んでみっぺかな......
くぴくぴ......と。。
ん?
んんん!?
何コレ!?(@゜o゜)?
すっぱ!甘っ!
甘酸っぱ!
......という感じでして。ええ。

「なんだよ、美味しいのかよ?」

などと問われれば、

「 “笑っていいとも!” が終わって、
なんだか寂しいねぇ。。(o´_`o)ハァ....」

などと答えざるをえない感じでしょうか。ええ。
日本酒音痴な僕にはそんな感じでしょうか。ええ。
しかし、今更ながらこの商品のネーミング。
凄いっす。( ̄ー ̄)。ええ。



上善如水—————じょうぜんみずのごとし。



真に素晴らしい善というのは水のごときもの—————



「老子=ろうし」ですな。
老子から名前を取って来るなんざ、
今もってスゲー感覚でやんす。(*´3`)
やるでやんす。
味も水みたいでやんす。
日本酒好きには良かれ悪かれらしいでやんすが、
僕は大好きでやんす。



上善は水の如(ごと)し、
水は善(よ)く万物を利して而(しか)も争わず、
衆人の悪(にく)む所に処(よ)る。
故に道に幾(ちか)し。
居には血を善(よ)しとし、
心には淵(えん)なるを善しとし、
与(まじわり)には仁(じん)を善しとす。
言には信を善しとし、
政には治を善しとし、
事には能を善しとし、
動には時を善しとす。
夫(そ)れ唯(ただ)争わず、故に尤(とが)め無し。



上善如水、水善利万物而不爭。
処衆人所惡、故幾於道。
居善地、心善淵、與善仁、
言善信、政善治、事善能、動善時。
夫唯不爭、故無尤。



「雲」も一緒でやんすな。(^^)



そうそう、
「水の如し」と言えば、先週、
仲の良い友人達と久しぶりに「用賀倶楽部」という
近所のカフェレストランに行ったのですが、
そこで名物のオムライスさんと一緒に......



......友達が頼んでいた
「Da-Ma(ダーマ)」という白ワインが......



なにやらとても美味しかったのです。
イタリアの「マラミエーロ」というワイナリーのもの。
まさに水の如し!な白ワイン!
超お好み!で、安い!
お家に帰ってソムリエのコニャ(おくちゃま)に話したら、
早速のお買い上げ!してしまいまちたの☆(*´∀`)ワーイ!



安くて美味くて、こいつわマジお得!
プロ・コニャ様の意見はどんなだか?
今度、聞いてみよっと。(・ω・*)b


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