雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

右ですか?左ですか?

2016-10-30 00:46:35 | 美味い...珈琲
「どれだけ綺麗にしていてもさ、汚れるじゃん。
結局ヨゴレんだよ。
こんな社会で揉まれていればさ、しょうがないじゃん。
しかもさ、みんな汚れようなんて思ってないし。
それで色んなコトがよく分からなくなって。
結局汚れんじゃん。
だから本当は “よごれ” なんて言葉も間違った表現なんだろーけど。

でもしょうがないじゃん。
汚れたら綺麗にする。毎日。
それしかないよ。

祓うんだ。ハラウ。

それがこの国の神道(しんとう)なるものの “心得” であって、
根本だったりもするんだよ。
お経とか、真言とか、実はみんなそーなんだよ。
着てる服が違うだけでさ、みんな中身は祓い。
ハライ。
同じ。

あ、悪ことしちゃったなぁ、、
俺、ケッコー汚れちゃったなー、、ってね。
そー思ったら綺麗にするしかないわけで。
あれこれ遠回りに色んなこと考えるより、
とにかく掃除なんだと思うよ。
それだけでいいみたいよ。
悪いこと100回したら、
良いと思えることを101回やるんだよ。
それでいいんじゃない?
それでも良いコト?善?が上回るじゃん。
違う?
それでいいじゃん?
ダメ?

俺たちは人間だから、、、でも、良き、だよ。
良き神のようになろうとする意志があるのか?ないのか?
自己成長や変革をしていく意思があるのか?ないのか?
そんなことでいろんなコトが定まって来るんじゃないのかな、と。
時々そんなことも思うよね。

掃除もさ、人に頼んじゃダメなんだよ。
自分の部屋の一番気になる、汚れてるところって、
実は自分しか知らないじゃん?
普通に見えるとこや掃除できるとこしか
他人はやってくれないわけよ。フツー。
引き出しの中だったり、押入のどこかだとか。
あるモノとモノの間の部分とか隙間。
そーいう自分でしか分からないところの汚れを綺麗にするってのが、
実はこの場合の掃除だったりするわけさ。
ソレは他人にはできないわけよ。
わかんないわけ。実わ。
掃除のエキスパートにはさ、掃除してもらったり、
綺麗にするところを教えてもらったりするんじゃなくて、
綺麗にする良いやり方とか、
エキスパートならではの方法とか知識を聞くんだよ。
それがベストじゃね?
綺麗さの物差しもさ、他人と自分とでは違うし。
ヒトに頼んで綺麗になりましたよー、、なんて言われてみても、
なんだよ、、この隅とか、ココとか、磨かれてないじゃん、、、
みたいな。
そんなことってない!?

まね、確かにね。
こー思ってるのもけっこーキツイんだけどね。
期待ハズレに肩透かし。
裏切りにだってしょっちゅう出くわすし。
だからもう期待もしねーし。
透かす肩も取っちゃったし。
裏切りなんかさ、俺はしねーよ!みたいな。
俺はそんなことしねーから!
そんなことはどーでもいい!
っていうようなコトに無理やりしちゃうのさ。
別に俺、聖人君主じゃねーし。
理想的なヒトに変わろう!なんていうより、
受けとめ方と理解の仕方を変えることしかできねーからよ。
そっちの方が楽だし。
ヨゴレだし。
オネエチャンとデートしたいし。
美味しいもの食べたいし。
ズーっと休んでたいし。
寝てたいし。
だからせめても、なんだよ。
せめて、こー思ってるんだよ。

せめて、だよ。

これが “せめてもの救い” ってヤツじゃね!?( ̄ー ̄)ん?どーよ」



「オマエ、いつもバカだねぇ(^_^)
なんか......時々色んなコトがよく分からなくなるけど......
その時々の自分に出来ることはちゃんとやって。
生きれる分だけは生きて。
人様に迷惑をかけない。
人の力になれるコトならば惜しまずにやる。
やる努力だけはしてみる。
そんな、それだけの単純な生き方の中でも
自分を変えられるものとか沢山あるのかなぁ......
どこかに修行に入ったり、行ったりするのと、
この世知辛い世の中で揉まれながらお金を稼ぎながら生き抜くのと、
修行という意味では全然変わりが無いようには思うかな。
個人的には。
そういう感じなのかな?
よく出会うのはさ、
自分探しの旅にでまーーっす。
自分をみつめなおしてきまーーーーーっす......って、
そのままずーーっと自分探しをしてる人はいるかもしれない......
うん」



—————————ナニかが、



降りてきます。



高い高い、空でもない別の高みから。



目前の風景が絵画のように、



薄紙のように感じられていって。



頭が揺れて。世界が揺れて。



光のような、言葉のような。



影のようで、波のようで。



ユラユラと。



静々と。



世界の果てで仄めき灯る、優しい明かりの如く。



ヒラヒラと舞い降りる花びらの如く。



薄葉のごとく。



コト.......の.......葉.......



言の葉。



ユラメキ降りる故に、言の葉。



右ですか?左ですか?

————どちらもです。



上ですか?下ですか?

————どちらでもありません。



天ですか?地ですか?

————その間です。



ソレは正しいのですか?間違いなのですか?

————正誤では計れません。



あなたは、いったいどんな立場なのですか?

————私は私の立場です。
それ以外のどんな立場でもありません。



あなたは、いったい誰なのですか?

————私は私以外の誰でもありません。



全て嘘ですか?真実ですか?

————真実などありません。
故に、嘘もありません。



僕を騙してるのですか?諭しているのですか?

————あなたが思う様になっているだけです。



あなたは、いったい誰なのです?

————言ったではないですか。
私は私以外の何者でもないと。
だから、私はあなたです。
あなたは、私です。
それが答えです。



答えは自分で出すものです。



いつだって、どこでだって、



ソレは変わりません。



神無き月に、



神の姿の見えない10月の終わりの世界で、



答えは自分で出すものです。



ユラユラと揺れた答えもまた、



答えなのです。



甘えは、その言葉の通り甘美なもの。



心許せば、どこまでも官能的な水の淵。



掴むべきは、



星のかけら。



貴方は、、、



、、、、、、



星ではないのですか?



————————————ヒラヒラと舞い降りる声は、
高く澄んだ秋の天から。



お気に入りのカフェでは、
色んな人と、色んな話を、
色んな人が、色んな話をしています。
綺麗な空と美味しいコーヒーがあれば、
僕ちんわご機嫌なのです。(^ν^)





家のストックの中から最近下ろした新しいコナ・コーヒー(Kona coffee)は、
久々のスタンダード系
「ROYAL KONA Medium Roast
(ロイヤル・コナ・ミディアム・ロースト)」さん。(^^)



安定の美味しさ。
ご機嫌なのです( ̄▽ ̄)b


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神在、神無、

2016-10-26 00:31:22 | 面白い
弥生(やよい)だとか、皐月(さつき)だとか、
そーいう古来からの「月」の呼び名を
和風月名(わふうげつめい)と言うのだそうです。
ソレでいくと10月は「神無月=かんなづき」で、
神様がいない月とされている様です。
この月は国じゅうの神々が島根の出雲に集まって、
一年の総決算と、

「来年わどーすっぺかね?」

なんて会議をする月となっているのだそうです。
島根県という県名も、
もしかしたらこの国の根本を決める会議をする場所......

「この国の、この島の根っこ」

なんていうところから来ているのかもしれません。
そうなると、出雲以外の地におられるこの国の神々様は
しばらくは出張に出掛けられていて、一方で、
出雲には沢山の神様が集まっている月......
ということになります。
なので出雲地方の方々だけは、10月は
「神在月=かみありつき」
と呼んでいるようです。



おもしれー(^m^ )ププッ



でも、こんなこと昔は全く意識などしてなかったので、
とりたてて特別な感覚や感傷などは持ち合わせていませんでしたが、
それがもう10年くらい前からでしょうか。
伊勢の外宮なるところで
「思わぬファーストインパクト」
を受けてからというもの、
神無月に神様が出雲にお出かけしていくような時などは、
けっこう明瞭に!?
感じられるようになっちゃったりもしています。
なんだか不思議なものでして。
それでもって、そうすると、
またちょっと面白いコトが視えてきたりもしまして。
ソモソモの



「出雲で会議なんて......ほんとかよ!?( ̄  ̄)あやしぃぃー......」



なんていうことも、



「けっこーマジだな。こりゃ。。
昔の人達って、
自然に対する本能的で原初的な感覚はスポイルされないで、
鋭く磨かれたまま持っていたんだろーなー......
だからこんな小洒落た、でもスゲェ!
“神無月” “神在月” なんて名前を付けれたんだろーなぁ......」



なんてこととかもわかってきたりもしまして。
とても感心しちゃったりもします。
でもって、そんな感覚をもう少し掘っていってみると、
とても興味深くなってくるのが、
その「神様の移動スケジュール」。
神々の動きというのは、どーも、今の暦ではなく、
やっぱり自然に寄り添っていた
旧暦の方に合っていたりする感じなのです。
旧暦の10月というのは、
現在のカレンダーでは、大体、
10月の末から11月の末ぐらいまでの間となってくるのですが、
神々が移動を始めるのもちょうど今週くらいで。
今現在のイメージとしては、下準備部隊も含め、
10月末から11月中旬過ぎぐらい迄で
動かれているように感じられます。

なんでしょうか......

神様会議でも、

実世界と同じような諸々がある感じなのです......

会議テーマなども毎年決められていたりも!?して。
会議の事前準備隊とか、仕切り隊とか。
会議開始にあたっての大事な役割を担うトップの神々とか。
全体の進行や実務を詰めていく神々とか、
海外の神様のゲスト参加とか。
それぞれの役割でもって少しづつ会議や移動のスケジュールが
違っているようにも感じられます。
出雲から早く帰ってしまう神様もいますし、
最後の最後まで残って片付けごとまでする神様もいるようですし。
人の世と神々の世界は、
やっぱり写し絵の関係のようになっているのでしょうか。
これまた不思議ですが、
そんなこともあるように感じられます。



面白い(^^)



でもって、
ここ数年は「古い神々の復活」みたいな感覚も強くあって。
それがまた出雲に集まる神々の数を
とても多くしているようにも思います。
今年に至ってはかなりの数と、知る人ぞ知る?
大きな!?
大物の!?
神々も沢山参加してきているようにも感じられます。
アノ!スーパースター神様の復活!の挨拶!?とか......

どーなんだろか。

でも、そんな空気を感じれるくらい、
今年の神々の移動エネルギーはいつになく大きい感じ。
伊勢との同時遷宮以来、
会議のスケールもかなり大きくなって来ている様な気もします。
先日の鳥取地震とか......
そんな神々の移動の影響?などあるのでしょうか......
人命含め、規模の割に被害が小さい地震というのは、
時にちょっとしたサインを含んでいたりするコトもあったりしますが......
どうなのでしょう。
鳥取地震の前後には各地で色々なシルシみたいなものが
現れていた様な気もします。
僕の身近なところでは、東京、明治神宮の空はこんな感じ。



地震が起きたマサニその瞬間の空。
今年の会議の規模を占うような!?
とても大きくて神々しい日輪でした。



千葉方面ではこんな感じだったようで。
ブログを見てくれているmikoちゃんとみゆきさんから届いた写真ですが......





以前記した、伊勢、出雲の同時遷宮年の神無月に、
出雲大社上空に現れた現象と同じ形。
珍しい
「暈=かさ」
「幻日=げんじつ」
「環天頂アーク=かんてんちょうあーく」
という現象の同時顕現!ですのなぁ......(´▽`*)


まぁ、そんなこんなで神様絶賛移動中!
って感じの今週なのでございます。
今朝の感じなんかは、もう、
場所によってはかなりスッカラカンな感じで。
既にかなりの神様が出雲に渡っているように思います。
「気配」というやつがなくなってるのです。
お留守番さんはちゃんといますけどね。
不動明王さんとかも居ますし。
今年の出雲会議は参加する神様がとても多いいのかなぁ......って気がしてます。



あああっ!



もちろーん!



おとぎ話しのモーソー話しだぴょーん!( ̄∇ ̄)v



さらりとお話しお流しソーメンでぇぇーーーーっ!



唐船峡名物の市営「唐船峡そうめん流し」!
グルグルゥゥーーー!ダ━━━━(`∀´)ノ━━━━━━!!!



ちなみに!



神々の会議の後わ......



冬至」へと向かっていくわけなのですな(*・ω・)



こんな旧暦の10月は、他にも
神去月(かみさりづき)、
初霜月(はつしもづき)、
時雨月(しぐれづき)......などとも呼ばれているようです。
どれも麗しい響き。
美しきかな、陽、昇る国
かしこ。(^^)


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開けた途端!

2016-10-22 00:02:16 | セツナイ
帰り道にスーパーで食材を買い込んで、
1人寂しく、おうちで「お一人様専用ごはん」を作ろうとしていたわけです。
例によってうちのコニャ(奥さん)がいないもので。ええ。
どこで何をしているのやら。いつも。ええ。ええ。
放し飼いの放牧で。よー太っとりますわ|( ̄3 ̄)|ええ。
こんな日は週3日くらいはあるわけでやんすよ。
まるで一人暮らしなのです。ええ。
それで、買ってきた食材をキッチンにおっぴろげて、
アーダコーダと調理の下準備に励み、
余る分とか保存分とかをストックしようと冷蔵庫の扉を開けたのです。
おもむろに。



するってーと......



開けた途端!



焼肉のタレの瓶が落ちて来たのっ!((((;゚Д゚)))))))



タレの瓶は、
ドーニモ出来ずに口を開けたまま唖然と固まっている僕さんの目の前を
まるでスローモーションの様にタイル貼りの床に落ちていって、
ワンバウンドしてフタが飛び、
ニンニクと生姜がタップリと増量!
されたドロドロで美味しそーなニオイの液体が、
辺り一面にバシャシャシャシャシャァァァァァーーーーーーーーン......と......



ショック......( ・∇・)......



部屋中が焼肉のタレのソソられる香りで満員御礼のカーニバル......



履いていたユニクロの靴下に染み込んで来る生姜ニンニクの強烈な風味......



ショック......(T . T)......



「れ、レーゾーコ、、い、いっぱい!?(・・;)やんけ。。」



足元に新しく誕生した、
渡り鳥が舞い降りて来そうな「焼肉のタレ湖」もそのままに、
僕さんわ改めて「モノを仕舞おう」という目で冷蔵庫の中を見てみたのです。
ソレはもう、なんだかよくわからない物々でいっぱいギューギューの満員電車。
あちこちに散らばるジップロック的な袋の数々。
やたらと居並ぶ小さな瓶詰品達。
森の木々のように林立するチューブに入ったなんやらかんやら。
奥の方にはなにやら、とても大雑把な感じでビニール袋に包まれた
得体の知れない不気味な物体もチラホラと......



「な、なんか......とてーもイヤな予感がする......」



で、そんな詰め込んで置かれているモノモノを取り出し、
ヨクヨク見てみると......案の定、



「賞味期限切れやんけ。。( ̄▽ ̄;)」



僕さんの頭にはいつかの「惨劇!」がよぎります。
世に言う「ホットミルク殺人事件」
そのフラッシュバック。




「ま、マタかいな......もしや、この瓶詰めも......

ああああああーーーーっ!((((;゚Д゚)))))))

期限切れやんけ!

やっぱり!

こ、これわわ!?

コレもか!

これもじゃねーか!

じ、じゃぁ、、このビニールの中に入っているモノはいったい何なんじゃ......

うえぇェェーーーっ!!?☆※$%&’#!=*&!!∑(〇Д◎ノ)ノ ヒィィィ!

か、カビがァァァァーーーっ!

変なチーズに明らかにオカシなカビがぁぁぁぁーーーーっ!

ええーンンン......色が怖いよぉぉーーー。・°°・(>_<)・°°・。

臭いがキツ過ぎて鼻が無くなっちゃうよぉぉぉーーーーっ!

しかも、また!

腐らせて作る納豆が腐ってるヨォォーーー。・゜・(/Д`)・゜・。うわぁぁん」



もう、大惨事です。。



「あ、あいつ、、また!
“自然死に見せかけて俺を葬る計画” ......通称、オズマプラン!
を実行に移しているのだな......(; ̄ェ ̄)アワワワワ......
俺が迂闊に手にとって料理に使わせるように仕向けて、
あわよくば保険金を......という計画に違いない。間違いない。
あのヤロー。ゆるさん。
こんな危険なレーゾーコ、このままにしておけん。
ニャロー。
ブットばしてやるぅぅぅ!
おしおきだべぇぇぇぇーーっ!o(`ω´ )o」



そーしてわたくしめは、
準備を始めた食事支度もそのままに、
冷蔵庫のありとあらゆる物体を取り出し。
キッチンに所狭しと並べ立て。
焼肉のタレで出来た新しい湖もそのままに、これ見よがし!
にコニャの帰りを待っていたのでございます。



「あのヤロー。
この惨劇を目にしたら少しは改心するだろう。まったく。
最悪の夕飯タイムじゃ。(`_´)プンプン!」



「ただいま〜(^O^)」



あっ!来た!
獲物が来た!



「タダイマァ〜。ご飯わ食べて来たよ〜(^O^)」



「コォオオオオリャァァァァァァァァーーーーッ!!!!!!!!!!!!
ただいまじゃねーーーーーーーーーーんだよーっ!コリャーっ!o(`ω´ )o
♪食べて来たよぉーーーーーー♪
じゃねぇぇぇぇーーーーーんだよーーーッ!コラララーっ!
この惨状をどーしてくれるっちゃーーーーーーっ!?
こりゃぁぁーーーっ!
こぉーーの!かたずけられない女めぇぇぇぇーーーっ!
おまいさんをかたずけてやろぉぉかぁぁーーっ!ヽ(`Д´メ)ノ ギャンギャン」



まね。。いつものように、



「グスン(T . T)ごめんなさひぃ......」



なんてことでスマソートするオチなのですけどね。ええ。
コニャの場合。ま、ヒドイですのよ。本当に。
毒殺されるとこですよ。いつも。
我が家で生き抜くのわ大変なのですな。ええ。ええ。
サバイバルですわ。ええ。ええ。(´。` ) =3



キッチン周りの床は、
我が家では外壁材にも使えるタイルを全面的に張っているのです。
この床だと水や熱湯をこぼそうが、油をドギツクこぼそうが、
焼肉のタレ湖が出来ようが、アッ!と言う間に綺麗に出来ます。
掃除も簡単だし汚れも全くつかない。
包丁を落としても、
フライパンを落としても、
何を落としても傷つくこともないし、本当に助かってます(^^)
家を戦場のようにしてしまうウチのコニャにはピッタリの床なのですな。
命拾いっす。この床で。いつも。ええ。ええ。


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村上春樹備忘録

2016-10-18 20:05:11 | 凄い
ノーベル文学賞が
「ボブ・ディラン=Bob Dylan」さんということで。



「ノーベル賞も変わりまちたのねぇぇ!?」



って。ね。
ま、文学賞に関しては少々の改革!?なんて?
ことでもあったのでしょうか。
どなのでしょうか。
ディランさんは以前から候補者の一人であったようですが、
少なくとも今回、様々な場所で、
様々な物議を巻き起こす力はいつにも増して大きかったように思います。
おかげさまでここ一週間ほど、
どのメディアを見聞きしていても大好きな
風に吹かれて=Blowin' in the Wind
が沢山流れてきたりして。(^^)
彼のファンとしてはとても嬉しくはありました。
でも、もう少し他の曲も聴きたかったりもして。
なにか。気の利いた感じで。ええ。
「ライク・ア・ローリング・ストーン=Like a Rolling Stone」
あたりもバシッ!と流して欲しかったのですけどね。ええ。ええ。
ファンとしてわ。

そんなこんなで、日本では毎年無理やり!?
注目させられてしまう村上春樹さんに関しては、
楽しみはまた未来へ持ち越し......となったようで。
そもそも、
今回のディランさんを始め過去の文学賞の面々を見れば、
春樹さんはまだまだゆったりと先を見ていくのが正しい感じではないのかなぁ......
なんて、個人的には思っていたりもします。

そして、
村上春樹さんがノーベル賞の候補として、
ここまで強く目されるようになった一因としては、
その作品力に加えて、
各国のアワードで話して来た素晴らしいスピーチの影響なども
強くあるような気もしていて。
特に「エルサレム賞」や、スペイン、バルセロナでの
「カタルーニャ国際賞」のスピーチ辺りに対する世界中の反応というのは、
ノーベル賞候補の声を格段に大きくしていったようにも思えます。

ポイントは、
この二つのスピーチに関しては全てが英語だったので、
海外のメディアに比べ、
日本のマスメディアではその全容がほとんど伝えられていなかった......
ということでしょうか。
この辺で話された春樹さんのスピーチというのは、
今見ても彼の深みを感じさせてくれるものがあり。
また、時に彼の作品を読む際の良き羅針盤になったりなんかもします。
僕にとってはとても興味深いものです。

今回はそんな、日本ではあまり伝えられていなかった
春樹さんのスピーチ文をチロリとだけココに記しておこうと思います。
彼の完全(完璧とは違うように思います)な文章は、
一文字でも省略すると全体の意味もチカラもかなり損ねてしまうのですが.......
そこは、もし、何か?ソソられた方はネット検索などしていただいて。
完全和訳サイトなどもありますし。
このブログは個人的な「備忘録=忘備録」だったりもしますので、何卒で。
春樹さんに興味ない人には......申し訳なし(T 。T)ぶぇ。



===============================
<2009年、エルサレム賞、受賞スピーチ>

私は今日、作家として、
言わばプロの嘘の紡ぎ手として、イスラエルまでやってきました。

———中略———

しかし、本日、私は嘘を言うつもりはありません。
できるだけ正直になろうと思います。
私が嘘紡ぎにいそしまない日は年に数日しかないのですが、
今日はたまたまその一日だったということです。

———中略———

というわけで、率直に言います。
たいそうな数の人々からエルサレム賞を受け取る為に
ココに来るべきではないと忠告されました。
中には、
私がここに来たら私の本の不買運動を展開するとまで警告した人々もいました。
理由はもちろん、ガザで起こっている激しい戦闘です。
国連のレポートのよれば、
1000人以上の人が封鎖されたガザ市で命を落としています。
その多くは非武装の市民......老人や子供たちです。

———中略———

が、ここで、一つ非常に個人的なメッセージを述べさせて下さい。
それは、私がフィクションを書くときに常に心がけていることです。
紙に書いて壁に貼っておくという程度ではなく、
私の魂の壁に刻み付けてあるものなのです。
それは、こういうことです。

もし、硬くて高い壁と、そこに叩きつけられている卵があったなら、
私は常に卵の側に立つ。
そう、いかに壁が正しく卵が間違っていたとしても、
私は卵の側に立ちます。
何が正しくて何が間違っているのか、
それは他の誰かが決めなければならないことかもしれないし、
恐らくは時間とか歴史といったものが決めるものでしょう。
しかし、いかなる理由であれ、
壁の側に立つような作家の作品にどのような価値があるのでしょうか。

このメタファーの意味は何か?
時には非常にシンプルで明瞭です。
爆撃機や戦車やロケット、白リン弾が高くて硬い壁です。
それらに蹂躙され、焼かれ、撃たれる非武装の市民が卵です。
これがこのメタファーの一つの意味です。

しかし、それが全てではありません。もっと深い意味を含んでいます。
こう考えてみてください。多かれ少なかれ、我々はみな卵なのです。
唯一無二でかけがいのない魂を壊れやすい殻の中に宿した卵なのです。
それが私の本質であり、皆さんの本質なのです。
そして、大なり小なり、我々はみな、
誰もが高くて硬い壁に立ち向かっています。
その高い壁の名は、システムです。
本来なら我々を守るはずのシステムは、
時に生命を得て、我々の命を奪い、
我々に他人の命を奪わせるのです......冷たく、効率的に、
システマティックに。

私が小説を書く理由は一つしかありません。
それは、個々の魂の尊厳を浮き彫りにし、光を当てるためなのです。
物語の目的は警鐘を鳴らすことです。
システムが我々の魂をそのくもの糸の中に絡めとり、
貶めるのを防ぐために、
システムに常に目を光らせているように。
私は、
物語を通じて人々の魂がかけがえのないものであることを示し続けることが
作家の義務であることを信じて疑いません。
生と死の物語、愛の物語、
人々が涙し、恐怖に震え、腹を抱えて笑う物語を通じて。
これこそが、我々が日々、
大真面目にフィクションをでっち上げている理由なのです。

———後略———



<2011年、カタルーニャ国際賞、受賞スピーチ>

———前略———

僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、
女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。
それひとつをとっても、
バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。
この長い歴史と高い文化を持つ美しい街にもう一度戻ってくることができて、
とても幸福に思います。

でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、
もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

ご存じのように、
去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。
地球の自転が僅かに速まり、
一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。

地震そのものの被害も甚大でしたが、
その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。
場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。
39メートルといえば、
普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。
海岸近くにいた人々は逃げ切れず、
二万四千人近くが犠牲になり、
そのうちの九千人近くが行方不明のままです。
堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、
未だに遺体も見つかっていません。
おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。
そのことを思うと、
もし自分がその立場になっていたらと想像すると、
胸が締めつけられます。
生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、
家や財産を失い、
コミュニティーを失い、
生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。
生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

日本人であるということは、
どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。

———中略———

日本語には「無常」という言葉があります。
いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。

———中略———

「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、
いわばあきらめの世界観です。
人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。
しかし日本人はそのようなあきらめの中に、
むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

自然についていえば、我々は春になれば桜を
夏には蛍を、
秋になれば紅葉を愛でます。
それも集団的に、習慣的に、
そうするのがほとんど自明のことであるかのように、
熱心にそれらを観賞します。
桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、
ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

———中略———

そのような精神性に、
果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。
しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、
ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、
被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。
あるいはその体験は、
我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。


今回の大地震で、
ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、
普段から地震に馴れている我々でさえ、
その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。
無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

でも結局のところ、我々は精神を再編成し、
復興に向けて立ち上がっていくでしょう。
それについて、僕はあまり心配してはいません。
我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。
いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。
壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

———中略———

ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、
簡単には修復できないものごとについてです。
それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。
それらはかたちを持つ物体ではありません。
いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。
機械が用意され、人手が集まり、
資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

僕が語っているのは、具体的に言えば、
福島の原子力発電所のことです。

———中略———

何故そんなことになったのか?
戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は
いったいどこに消えてしまったのでしょう?
我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、
何によって損なわれ、
歪められてしまったのでしょう?

理由は簡単です。「効率」です。

原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。
つまり利益が上がるシステムであるわけです。
また日本政府は、とくにオイルショック以降、
原油供給の安定性に疑問を持ち、
原子力発電を国策として推し進めるようになりました。
電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、
原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが
原子力発電によってまかなわれるようになっていました。
国民がよく知らないうちに、
地震の多い狭い島国の日本が世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

———中略———

原子力発電を推進する人々の主張した
「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、
ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。
それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、
論理をすり替えていたのです。


———中略———

最初にも述べましたように、
我々は「無常」という移ろいゆく儚い世界に生きています。
生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。
大きな自然の力の前では、人は無力です。
そのような儚さの認識は、
日本文化の基本的イデアのひとつになっています。
しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、
そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、
それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、
そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、
このような立派な賞をいただけたことを誇りに思います。
我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。
依って立つ文化も異なっています。
しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、
同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。
だからこそ、
日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、
人々の手に取られることにもなるのです。
僕はそのように、
同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。
夢を見ることは小説家の仕事です。
しかし我々にとってより大事な仕事は、
人々とその夢を分かち合うことです。
その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、
多くの苦難を乗り越え、
ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、
豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。
我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

———中略———

最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、
原子力発電所事故の被害にあった人々に、
義援金として寄付させていただきたいと思います。
そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、
ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。
そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも
深い哀悼の意を表したいと思います。
===============================



つい最近、
春樹さんの最新短編集「女のいない男たち」が出ていましたが、
その前、「2013年」に出された長編小説
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は、
上記したスピーチを見た上で読むと、
その一風変わったタイトルの意も含め、
また違った部分が浮かび上がってくるような作品でした。

カタルーニャ国際賞(バルセロナ)でのスピーチの数ヶ月後。
とある外国人記者さんのインタビューには、
原子力発電所の事故に関して春樹さんが珍しく強い口調で語っていた......
という言葉が明瞭に記されていました。



「今回ばかりは、日本人は心の底から憤っていい」



ボブ・ディランさんもそうですが、好きな人や作品というのは、
何かの賞をいただいていようが、いまいが、
批判を受けようが、賞賛されようが、
自分にとって特別なモノであることに変わりはないのです。(^^)


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あの時の気持ち

2016-10-14 00:07:01 | 感謝...パワスポ寺社
YSさんは男性ロックアーティストで、
ミュージシャンで、
少し前までは沢山のヒットアーティストを生み出していた
某キー局の某深夜音楽番組の企画制作とナビゲーターも
長く努めていた人。
僕にとっては、もう、
とても古いお付き合いになる業界の先輩でもあるのですが、



「僕らの新しいプロジェクトに、
ちょっとお力を貸していただけねーでしょーか?」



なんていうことで。
少し前からプロジェクト宣伝用のインタビュー取材をお願いしていました。
その後、某、美味しい焼肉屋さんで快く一発了解!( ̄+ー ̄)を頂き。
先週にはウチのインタビュースタッフさん達との取材を
撮影も含めて無事に完了することが出来ました。
そのインタビューの時に、
僕さんは御礼も兼ねた挨拶でもってノソノソと邪魔モノ的に顔を出し。
空き時間ではインタビューアーさんも含めて皆でアーダコーダ......と、
本筋から逸れたとめどもないお話をしていたのですが。
そこで彼は、デビューから今に至るまでの面白話や
チョッとした苦労話もしてくれました。



「いやー、このプロジェクトって、
クリエーターにとって待ちに待っていたサービスだと思うんだよね。
本当に。
最近のアーティストとかにもバッチリハマると思うし。
だってさ、
周りにいる最近のアーティストとかってさ、
やっぱ、世代が違うな、、て感じめちゃくちゃするもん。
こういうシステムの方がいいんだよ。きっと」

「だしょー!(・Д・)だしょ!だしょーー!」

「でもさ、話逸れるけど、
その今の連中ってさ、ハングリーさとかが全然違うわけ。
満たされている世代っていうか。
あ、もちろんアレだよ!
俺もさ、幸せな世代だけどさ、
何か不自由があって育ったわけではないから。
でもさ、また、それとも違うんだよね。全然」

「ウムウム......(・ω・)」

「うまくいかないとさ、
変な執着もないから音楽なんてすぐに辞めちゃって。
まぁ、音楽って、もう食えない職業に近づいてるしね。
時代的に。ソモソモ。
趣味的なんだよ。より一層。職業感がないわけ。
すぐ親元や実家に帰っちゃったり。
仕事変えちゃったり。
早いのよ、転身が。
すげーと思うわ。そういうとこ。
俺とか無かったもんなー......そういう感じって。
何としても成功しないとダメだ!って、
めちゃくちゃ悩んでたもん。
このまま故郷には帰れねーって。さ。
カッコわりーし、なんとかしたいって......」



YSさんは元々広島出身の方で。
もう長いこと東京で暮らしているのですが、
僕が一緒に仕事をしていた頃は、
地元広島では大きなホールを満杯にできるほどのアーティストでした。
その当時、僕は彼と一緒に広島を隅から隅まで走り回っていて。
エリア・プロモーションのキーとしていたFMラジオのレギュラーも、
2人で一緒に長い間やっていたりもしていました。
沢山の苦楽を共にした戦友と呼べるような人の一人。
その彼が、その時、
ウチの現場スタッフさん達に語りかけていました。



「......俺も辛いことってしょっちゅうあってさ。
つーか、そんなのいつもの様な感じだけどね。
でもそういう時にさ、
最後の最後で自分を助けてくれたものってあるのね。
あぁ、もう全部やめちゃおーかなぁー、、、
っていうドン底の時に自分を支えてくれたものってあって。
ある時、ソレに気づいたんだよね。
ああ、俺、この気持ちでずっとこの世界でやってこれたんだ......
って。
最後の最後はこの気持が俺を支えてくれてたんだ......
って。
そういうものが幸せなことに俺にはあったんだよ。
でもさ、
その気持ちが今の連中にはあまり感じられない様な気がしていてさ。
そんなことを思うことがあったのよ」

「......(゚ ω゚)」



その時、
インタビューアーさんもウチのスタッフさんも、
この先の言葉に気持ちを集中させて聞こうとしているのが
わかりました。



「その気持ってさ、
メジャーデビューの夢が叶って、
一番最初に東京に出てきたときの気持ちなんだ」

「......」

「結局さ、そこに戻るんだよね。
モウやめようかな......って思ったときに。
故郷を出て東京へ来たときの気持ちを思い出すんだよね。
いつも。なぜか。
そうするとさ、やめれないんだよ。
頑張らなきゃ、って思うんだよね。
俺のときってさ、
本当に色んなものや人を捨てて、
家族とかもそうだけど、
それはもうスゴイ覚悟で東京に出てきたんだよ。
だから、こんな形で故郷に帰れないって、
顔向けれないって、
ホントにそう思うんだ。辛い時に。
故郷には絶対成功して帰るんだ!って。
本当に強く思ってた。
その気持を思い出すとさ、俺、続けられたんだよね。音楽を。
ソレが東京の俺を最後に支えてきてくれたんだよ。
ある時、それがわかったんだ」



YSさんはそう言ってニコニコとしていました。
その時、僕らはしばし、
それぞれに色々なことを考えていたように......思います(^^)





とても古い携帯写真ですが......
いつかの記事でも載せた、
YSさんの故郷にある言わずと知れた世界遺産
「厳島神社=いつくしまじんじゃ」
の写真。
昔、YSさんと広島で頑張っていた僕にとってはとても思い入れの深い神社さん。
この時は拝殿の向こうに突然の虹がかかって、
そのあまりの美しさに、
僕はしばらくボーーッとしてしまいました。



島全体が沢山の神々や仏様が祀られている神域なのですが、
その中心に佇む神社さん。
主祭殿には「宗像三女神」が祀られています。
神社が美しいわけなのです(^_^)







この虹が出た日のことは今でも鮮明に覚えています。
なぜなら、僕も上記したYSさんの話と同様に、
今やっている仕事を

「もう辞めようかな、、」

と深く思い悩んでいた時に行った日の朝の出来事だったからです。
この時は、なんとなく、
この神社に行ったら答えが出せる様な気がして。
それで、朝イチのフェリーで港を渡り、一人で神社に伺いました。
そんな時に見せられた虹だったので、もう、
涙目で眺めていた自分を覚えています。







コチラの三女神さんは
市杵島姫命=いちきしまひめ
「田心姫命=たごりひめ」
「湍津姫命=たぎつひめ」
さん。実は、大王!スサノオさんの麗しき三人娘さん達です。

母は......またいつか記そうと思いますが、
三姉妹神の総本社とされる福岡県の宗像大社さんでも、
全国各地の祀られている神社さんでも、
はたまた様々な神話や書物においても、
この三姉妹の神名や、
長女、次女、三女の順番はグチャグチャになって伝わっています。
一応、総本社である宗像大社さんの並びを基本とするむきもありますが......
諸説あります。

この虹を拝殿前の舞台の真ん中で見ていた時、偶然すぎ!
なのですが、僕の他にキッチリ3人だけ!
可愛らしい女性の方々が居合わせてくれていました。
よく見ると上の写真にも彼女達の小さな後ろ姿が写っています。
平日の早朝。瀬戸内の島にある神社の境内には、
他には朝の務めに動く神職の方がチラホラと見えるだけでした。

こちらの三女神さんの中でも
「田心姫=タゴリヒメ」さんは僕にとって特に縁のある神様で、
個人的にも大好きな女神様。
この時の虹も、
そんな縁あるタゴリさんや三女神の皆さんが見せてくれたものだと、
今でも思っていたりします。



「まだ辞めれないな。。」



それが虹を見た時に僕が出した答えでした。
今思うと、
大好きなタゴリさんの背中押しがあったようにも思えています。



タゴリヒメさんと言うのは、実は、
三女神の順番がぐちゃぐちゃになってしまっている理由の張本人!
張本神!?
だったりもして。
三姉妹中で最も過激で!?
アグレッシブ!?
個性的!?
な美女神様。
僕の感覚では真ん中の次女さんだと思うのですが、
気分次第で!?長女にも、
美しき末娘の「いちきしまひめ」さんにも成りすませる!
という特技も持った、
全くもって掴みどころのない自由人(神)系の?
大胆でヤンチャ系の?
個性を持った女神様。
そんな大胆さを優しく許容している器の大きな長女神さんと、
おしとやかで控えめな末娘女神さんの支えがあってこその自由さ
なのだとも思いますが、本当にインパクトのある女神様です。

近くに来るといつも......

「クチナシの花」のとても良い香りがします(^^)

本当にうっとりする香り。

ソレがタゴリさんのしるし。

大好き。

そんな梔子(くちなし)の香りが、

花もないのにどこからともなくしてきたら......

ソレは、

もしかしたら、

麗しきタゴリ姫さんかもしれません。

何か迷いゴトなどがある時に、

男らしく!?

スジを正し、

背中を押してくれるのかもしれません。(^^)


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もうですかぁ。。

2016-10-10 01:03:33 | セツナイ
昨年末、「SIGNAL」という記事で
「サル年は “去る” と響いてきたりもするのです。。」
などと記していましたが......
今年は年初からあまりにも色々なモノゴトが去っていっている様な......気がしてます。



・2016/1月
不倫騒動でベッキーさんのアイドルイメージが......
解散騒動でSMAPさんの国民的アイドルイメージやジャニーズのイメージが......
障害容疑で逮捕された高岡蒼甫さんの俳優活動が......
贈収賄疑惑により甘利大臣さんが......
デヴィッド・ボウイさんがサヨナラで......(T . T)ぶぇ...

・2016/2月
覚せい剤逮捕により「野球人」清原さんの人間的なイメージが。
三角関係により狩野英考さんのお笑い芸人としてのイメージが。
不倫により「育休議員」宮崎謙介さんのイメージが。
収賄により、長年国際サッカー連盟(FIFA)会長だったブラッターさんが。
あの液晶のシャープが......
あの、モーリス・ホワイトさんが突然のサヨナラで(T . T)ぶぇ...

・2016/3月
不倫により桂文枝さんのイメージが。
ドーピングによりマリア・シャラポアさんのメダリスト・イメージが。
「なでしこJAPN」の佐々木則夫監督さんが辞任で......
読売、渡辺恒雄最高顧問さんが辞任で......
勝俣恒久元会長を始めとする東京電力の旧経営陣3人が業務上過失致死罪の強制起訴で。
学歴詐称によりショーンKさんのメディア露出が。
賭博事件により日本プロ野球のイメージが。
沢山の女性との不倫による乙武洋匡さんのイメージが。
不倫による「とにかく明るい安村」さんのイメージが。
「 報道ステーション」の古舘伊知郎さんが。
あの、ジョージ・マーティンさんがサヨナラで(T . T)ぶぇ...

・2016年/4月
電力自由化によって独占的だった電力マーケットが。
闇カジノでバドミントン男子日本代表、桃田賢斗、田児賢一、両氏のオリンピック出場が。
水泳、北島康介さんの現役姿が。
お笑い芸人前田健さんの突然のサヨナラ。
燃費偽装問題により、あの三菱自動車さんの信頼が。
「パナマ文書」のリークで色んな人の誤魔化しゴトが。
あのプリンスさんが突然のサヨナラ(T . T)ぶぇ...

・2016/5月
傷害容疑で逮捕された真木蔵人さんの俳優業が。
舞台演出家の蜷川幸雄さんがサヨナラ。

・2016/6月
イギリスがユーロを離脱!
不倫によるファンキー加藤さんのアーティスト・イメージが。
舛添要一さんの都知事体制が。
鳩山邦夫衆院議員さんのサヨナラ。
白川由美さんのサヨナラ。
AKB48から小嶋陽菜さんが卒業で。
覚せい剤の現行犯で高知東生さんが。
ハンマー投げの室伏広治さんの現役姿が。
モハメド・アリさんがサヨナラ。

2016/7月
大橋巨泉さんがサヨナラ。
元、千代の富士関、九重親方がサヨナラ。
中村紘子さんがサヨナラ。
永六輔さんがサヨナラ。

2016/8月
高畑裕太さんが婦女暴行で。
ソニア・リキエルさんがサヨナラ。

2016/9月
富山市議さん達や、各地の議員さん達が経費不正使用で。
漫画「こちら亀有公園前派出所」のジャンプでの連載が。
ベッキー以来、度重なる不祥事で川谷絵音さんとバンド「ゲスの極み乙女」が活動自粛で。
高速増殖炉型原発の「もんじゅ」の廃炉が実質的に決定で。
アーノルド・パーマーさんがサヨナラ。



「去る」というキーワードにかけて、
今年ここまでに話題になったコトを少しまとめてみるとこんな感じでしょうか。
天災や重大な事件、事故などのニュースを除いても既にこれだけのことが起こってきた年。

気がつくともう10月。

僕の働く世界ではもうクリスマスの話などが色々と進められていて、
ここ1年やたらと激しく加速していた神様のお使い!?シリーズも、
「星の神様」のいる茨城県の某所や知多半島辺りでの用事で、なんとなく、
ひと段落感が出ちゃったりもしていて。
改めて、ここまで、今年は色々と濃密で感慨深い年になっているなぁ......と。
個人的には思っていたりします。



なんか、今年の夏の終わりは年末みたいな感覚なのです。



上に記したニュースの中で、個人的にとても恐ろしく、
今後10年の世界の情勢や社会の倫理観を左右するのではないか?なんて思うものとして
「パナマ文書」のニュースあたりがかなり大きな意味があることの様に思えています。
この「星」には外国資本や外貨を獲得する為に意図的に税金を優遇したり、
無税にしたりする国や地域があって、
そこに多くの資産家や企業、著名人の預貯金がプールされているという実態。
一般的に「タックス・ヘイブン=租税回避地」と呼ばれる
そんな地域が存在しているという問題。
あらゆるメディアも、そのスポンサーや後ろ盾に関わる問題ゆえに触れることも、
表立った非難をすることも出来ず、
ただ義理と役割のみの精神で茫洋とした情報を出すことだけに終始している有様。現状。
日本の原発問題にもとても良く似た構造。
それが地球という星と社会のスケールで存在しているということの恐ろしさ。
こんなことが「立派な合法」であるという恐ろしさ。



これには心底身震いしてしまいます。



辟易もします。



真面目にやってるのが馬鹿みたいに思えてきます。



「それでも俺は真面目に働けるのか?真っ当に生きていけるのか?」



「俺も脱税とかちょーがんばっちゃおうかな!?みたいな!?」



なんていう、自問自答の心理戦まで展開しちゃいます。



多くの人が毎日、必死の思いで働いている「生きるための力」を、
「お金というシステム」にサラリと「当たり前のように変換」し、
それをその源となっている人々や社会や生まれ育った国にちゃんと「還元」することをせず、
幾人かの世界的権力者達が共謀結託して作りあげ、支え、
運営もしている小さな国と法律に合法的に守らせてしまう。

この場合の合法って?なんだろう。。

その中には某日本企業のトップの方達の名前も幾つかあって......
そんな人達の発する言葉やメッセージは、
もう空虚なるセルフイメージ操作の言葉にしか聞こえないようになってしまったりして......
僕らはこの先、この星の真実を目にすることなどできるのだろうか。
そんな真実なるモノなど、見ない方がいいものなのか。



恐ろしいことです。



この恐ろしい情報のリークこそが、
この恐ろしい情報の真偽の見極めに、世界中の人々が如何に動くのか?
それこそがこの星の未来を左右するのかもしれない......
「パナマ文書」のニュースは、僕にはそれほどのことの様にも思えているのですが。。
まぁ、そんな世界の片隅でジタバタとしかできない自分の無力さも含めて
ちょいと悲しい感じになってしまいます。



秋風ビュービュー。



願わくば、世界的なお金持さん達は、どうか、
その力を生み出す基となった人や世界が良くなるような形で、
富を還元してもらえないかなぁ......なんて、庶民感覚で願っていたりします。
成功者像の満足線みたいなものをどこかに引けないのかな?みたいな。
成功者イメージの衝撃的革命!とか出来ないかな!?みたいな。

でも、そんな欲望や満足に線を引けるタイプの人だと、
この営利社会でパナマ文書に載るまでのお金持ちにはならないような気もしますし......
なんだか、切ないのですな。。
この辺の人達や企業トップの人達の言動や「夢ソノモノ」が変わったりなんかすると、
アッ!と言う間に世界は変わっちゃうのではないかな......なんてことは思うのですけど。

本当は資本と政治的権力は牽制しあえないといけないのでしょうけど、それもままならず。
やっぱり、まだまだ、この星の文明というのは宇宙から見たら思春期レベルで、青々しく、
遅れている感覚なのかもしれないなぁ.....なんて、
不本意にも、悲しくも、そんなふうに感じたりなんかもしちゃいます。

大義や名分や夢を美しく、麗しきものとして見せ、伝え、掲げ。
その裏で実を取り、自己還元のご褒美を際限なく増やし続けるという人間が沢山存在する限り、
存在ができてしまう社会である限り、
前進、成功のための精神的エネルギーソースを新たなものに変革できない限り、
僕らの未来はまだまだ厳しい道のりとなるのかもしれません。
大勢の人の心のエネルギーソースが変わったら、
現実社会のエネルギーソースも化石燃料などから変わる様な気もするけど......
様々な「サル」も、まだまだ続かないといけないのかもしれません。



不思議です。。



なんか、今年の秋は年末みたいな感覚なのです。。(* ̄ω ̄)う〜ん



今年の濃密さは圧倒的で。もう一年が終わったような感じが。。



はぁ......
もうクリスマスの話かぁ......



せつねぇぇーーーーーーっ!( 」´0`)」オォォーーーイ!



こんな秋の夜は小田和正さんのベスト盤でも聞こーかなぁぁーーんん。。
「あの日あの時」( ̄ー ̄)せつねー♪


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ヒットの感触

2016-10-06 03:32:35 | 嬉しい
面白いもので。
いわゆる「ヒット」という現象を、
その送り出す側の中心で味わったりする機会に恵まれたりすると、
時にとても興味深いことを感じたり、
学べたりすることがあります。
これは楽曲とかライブとかイベントとか、
色々なプロジェクトとか、
二人三脚で歩んだアーティストとか作家とか、
僕の場合はそんな限られたフィールドでしか
語れないような話ではありますが、
そんな狭い領域の経験からだけで言えば、
ヒットとは、



「自分の手を大きく離れていってしまうこと」



そして、
それが、
自分が世に送り出した、
生み出したものなのに、
なぜか?



「他人事のように思えるようになること」



といった感覚で感じられていたりします。
ヒットの感触とは、
僕にとっては、
自分で作り上げたものがドンドン......と、
多くの人々のモノになっていく過程の感触......
多くの人々の中に自然と溶け込んでいく感触......
といった感じになるのでしょうか。
自分で作った......という自負や自信もしっかりとあるのに、
ヒットという軌道に乗っていくと、
そんな自負や自信みたいなものも含めた色々なものが
ドンドンと薄れていって。
全てが勝手に走り出し。周り出して。
自分の手のひらの中をこぼれ出て。
遠くへ、遠くへと......
離れていってしまうような感覚にとらわれます。

自立して、
一人で遠くに旅立ってしまった子供!?のような。



僕はいつも、
ヒットというものをそんなふうに感じていました。



表現しがたい「嬉しさ」や「喜び」も勿論ありますが、
でも、それらに混じって、
とても寂しい感触もあります。
なんだか不思議なものです。



いつかの記事のコメントに書いたことがあると思いますが、
ヒットとは、セールスとか、認知とか、
そういうリアルな部分を取り除いてみれば、
実は、誰かの、何かの役に立つ様なことなのだと思います。
より多くの人の何かの役に立っている状態。
ソレは楽しみとか、
悲しみを埋めるものとか、
励ましとか。
純粋に話のネタやパーティーの道具になっているとか。
友達や恋人、家族との共通のコミュニケーションツールとして
使いやすかったりとか。
そんな、何かしらの役に立っている人が多く生まれる状態が
ヒットと呼ばれるものの「状況」なのではないでしょうか。



つい最近も、
そんなことに「似た感触」を味わったヒットというのがありました。



ただ、今回のソレは、
僕が直接関わっているというわけではないので、
やはり「似た」という言葉がとても正確な表現となりますが。
そのヒットを生み出した主人公さんは、
僕とも長年苦楽を共にした、
作品やツアー作りを共にしてきた戦友であって、仲間であって。

今回の世界的なヒットで彼方此方で話題となっていった様子を見ていると、
やっぱり、上に記したような、
そんな、とても嬉しく、とても寂しい感じ......



「コレでトテーモ遠くに行っちゃったんじゃないの!?」



的な寂しさも絡まる、
そんな感覚が僕にも少し生まれていました。



だから、きっと、ソレは、



「ヒット」なのだと思います。



「ヒット」であれば、



純粋にとても素晴らしいことです。



だって、



記したように、



きっと多くの人の役に立っているハズですから。



素晴らしいことです。



ヒットって、



関わる人みんなが喜べることでもあるからです。



その「彼」には勿論、
「おめでとう」「凄いね」「なんだかとても嬉しい」
「寂しい!?」「嬉しくて泣ける!」
などと伝えたい気持ちもあったのですが、
ソコは大ヒットのお決まりパターンとして、
昼夜問わず大勢の人々から集中的なコンタクトや、
お願い事が届いている状況であろうことが
容易に想像も出来るので。
僕のような人間からのお話は

「少しタイミングをズラしたほうが良いだろうな......」

なんて、思っていました。
それで、ちょっと一息ついたであろう先日に、
当人にそんな話を伝えたのですが、
やっぱり、
ソレはちょっと泣けて来るような感覚でした。
これまで彼の歩み、努力。
その才能と世の中との距離。
......色々と感じ入ることはあります。
なので、
やっぱり嬉しい。寂しい。(T 。T)ぶぇ



「もうさ、泣けるな。
スターになってもお茶してね〜。こりゃこりゃ。」

「もちろピコです!!」

「アホか!」



......そんなたわいのない会話でしたが。
なんでしょうか。
今回はハタから見ている形ですが、それでも、
ヒットって、やっぱりイイものです♪(^^)
みんなのものになるものを生み出すというのは、
やっぱり、とても凄くて、
誰にでも出来ることじゃないと思うのです。
みんなの中に溶け込んでいくことって、
とても気高いことだと思うのです。

PPAP(Pen-Pineapple-Apple-Pen Official)ペンパイナッポーアッポーペン/PIKOTARO


「PPAP/ピコ太郎」
お見事!さすが!(^^)
奇才の彼「らしい」形の世界的大ヒット!
彼を支えてきた多くの人にも敬意と感謝を。
さすが!

そーいえば、
このブログの過去記事の中にも彼の写真があったと思いますが......
ヒョウ柄でなくダルメシアン柄のシャツだったかなぁ......
ええ。ええ。
コレかな。。
後でマネージャーさんに

「もう消しちゃってください!」

なんて言われちゃったりしてね。
ええ。ええ。(* ̄ー ̄*)ナンツッテ。


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坐摩徒然

2016-10-02 22:41:43 | 凄い...パワスポ寺社
全国のワタナベさんとか渡辺さんとか渡邊さんとか、
渡部さんとか「世界のワタベ」さんとか......
の御先祖様の生まれ故郷をズーーーーーッと辿っていくと、
今の大阪市の天満橋から心斎橋あたりの地にたどり着いちゃうのです。
中央区の石町(こくまち)とか天神橋とか本町とか船場とかのあたり。
昔はこの辺り一帯のほとんどが海で、
その海の真ん中に突き出た半島の中心にあった良港が
「ワタノハラ=海」の「つ=津=岸辺」......

「ワタノハラのきしべ=ワタナベ」

と呼ばれていたようです。
後に「渡辺津」とも呼ばれたこの地に住んでいたワタナベさん達は、
当時の朝廷権力と共に大阪湾から瀬戸内海一帯、
太平洋や日本海にまで出て行って。
九州や関東、東北の地は勿論のこと、遙か遠く、
大陸との交易や軍事までも司っていたという強力な
「海の氏族」さんとなりました。
この地にいたそんな渡辺氏が
全国の「わたなべ」さんの祖先となっていったのです。

そして......
そのワタナベの地には、
渡辺氏が住みつき、
大きくチカラをふるう遙か前からこの地に鎮座し、
人々から崇敬もされ続けて来たという神様がドン!
といらっしゃいます。
その神様は縄文の昔にこの国の基礎を作った
「偉大なる神様達のうちの一柱」
でもあり。
当然、ワタナベの皆さんからも代々厚い崇敬を受け、
皆を加護していたかもしれません。
ワタナベ氏の力の源ともなっていた神様かもしれません。
僕のポンチキフィーリングでは、もう、ウムを言えない、
背筋ピーン!的な威厳と力を持った神様。
その神様は全国の強力な神社さんにもいらっしゃるのですが、
その本拠であり中心地として鎮座している神社さんというのが、
実は!
このワタナベの地にあると思っていたりなんかしまして。
それが......



坐摩神社。



「いかすり神社」



「坐摩=ざま」と書いて「イカスリ」と読みます。



摂津国の一宮。



このブログでは過去幾度か、



名前を伏せながら触れてきた神社さんです。



今日のタイトルは「イカスリつれづれ」となるわけです。(^^)



この神様は大阪ミナミ一帯の繁栄を裏で力強く支えている......
いや、大阪全体......
日本国や「地球」全体にも強い力を及ぼしている神様......
と言った方が正確なような気がします。
それは決して大げさでなく。
全国の「ざま」と呼ばれるような地も、
この神様と無縁ではないと思われます。
このイカスリの神様が、
現皇居内にある「御神殿(正確には西院)」において、
今もって祀られている別格の「宮中神」であるとういうことを
知っている人がどれくらいいるのかはわかりませんが、
大阪ミナミの、ワサワサとした欲望感満載!
な繁華街のほど近くにある神社さんを、
そんな神様が降りられるようなトコロとして捉えるというのは
ちょっと難しいことかもしれません。
しかし、この辺りの地名......
天満、天神、本町.....心斎橋は元は神祭橋か......
などをよく見てみれば、
この神社の入口に立つ、全国でも稀な
三ツ鳥居」の形をしっかりとよく見てみれば、



この神社が並でない!?
ということはすぐにでも感じとれると思います。
そして、そんな雑然とした大阪の街中にあって、
境内に一歩足を踏み入れた途端に一変してしまうその空気を味わえば、
それでも、
この神社にいらっしゃる神様の特別な力を感じ取れるのではないか......
とも思います。





この国の中心に座る神様の一柱なのです。。



坐摩神社さんは大阪城を作る時に
今の地に移転させられたようなのですが、
元々あった地は今も「行宮」として存在していたようです。



今も大阪最重要!?とも思われる「磐座」だけが
ビルの谷間でヒッソリと大切に祀られています。
つい最近、心ない人が岩を割ろうとしたらしく......
現在は厳重に鉄柵に覆われてしまっていますが、
あの神功皇后(じんぐうこうごう)も大陸出兵の前にこの岩に腰掛け、
神社に参拝に来られたという伝説もある石です。
そんな神話の時代から存在していて、
遥か昔から国家権力者の厚い信仰を受け来ていた神社であった
ということも伺い知れます。



今週末、大阪で幾つかお仕事があって。
うちの本部の大阪支社に
チョロチョロとお邪魔をさせてもらっていたのですが、
その大阪オフィスというのが、
実はこのイカスリ神社さんのほど近くにあるのです。
するってーと......ええ。もちろん......

「こらuzumet。
ココに来て私にノー挨拶というのはないであろう。な。
もちろん。
花ぐらいは持ってきてくれるのだろう?
待っているぞ」

みたいな......(; ̄ー ̄A ...



ということで、
オフィスに入る前に持って行った花束さん。
実は、こちらの神様は女神様。
そしてなぜか?かすみ草が好きなようで。。
こちらは以前の写真になりますが......



今回仕事前に伺った時は本殿は閉まっていたのですが、
花束を賽銭箱の隅に置いた瞬間、
祈祷を終えた宮司さんが本殿の中から出てきて、

「これは捧げものということでよろしいでしょうか?(^^)ニコニコ」

と、本殿の中に持って行ってくれて。
祭壇ど真ん中の供物台にドン!と置いていただきました。
全く、本当に、こちらの女神様は厳しいのやら、優しいのやら......
ここでは毎回そんな感じなのです。
厳しさと優しさが入り混じり、
その上ハリウッド女優の様な美貌も備えちゃう!
というような女神様。
さらには日本を担う神様でもあるので、
僕が頑張って国旗アレンジにして持っていった花束を、一言、

「キザだな」

なんてウッチャッテしまうような
圧倒的な女神様なのでございまつ。(T . T)
ええ。ええ。
言葉も中性的で男性的ですの。マジで。
スゲーっすの。
最近の女優さんで言えば「菜々緒」さんのイメージ。
というか、彼女イカスリさん入ってるんじゃないかと。ええ。
歴代のポンチキ能力組でも、
この言葉遣いやキャラクターを受けちゃうと
男性神だと思っちゃってる人とか沢山いるんだろーなー......ってね、
思うのでやんす。
そして、こんなふうにもう何度も訪れている中、
今回初めてわかったことがあって、
それが、いつも

「かすみ草が好きだな。。」

なんて伝わってくることのワケ。



この神社の神紋は美しい女神様のところらしく、こんな、
全国屈指の美しさを誇る白鷺(しらさぎ)デザインの神紋なのですが......
実は、この神紋になっている白鷺さんの花というのがあるそうで。
それが「鷺草=さぎそう」と呼ばれる花なのだそうです。
wikiから写真を引っ張るとこんな感じで......



白鷺さんが羽を広げて飛んでいる姿に似ているので、
そんな名前がついたらしいのですが、
坐摩(いかすり)神社では、
神紋にちなんでこの「さぎ草」を沢山育ててもいるようでして。
毎年8月から9月頃には境内に綺麗に飾られるらしいのです。
今回、境内でその神社のチラシをフト見かけて、

「そっか。
この花に似ているから、白い、小さなかすみ草が好きなのか。
なるほどぉー.......」

と、今回、
イカスリの神様のかすみ草好きなワケが初めてわかったという次第で。
「さぎ草」と違い「かすみ草」なら花屋さんで一年中手に入りますし。
神様はきっと、訪れる人に無理などさせないよう
「かすみ草」と言ってくれてたのかな......なんて思いまして。
またまたこちらの神様のツンデレ的な優しさに
コロリとヤラレてしまった僕なのです。ええ。まったく。

「o(* ̄○ ̄)ゝ惚れてまうやろーーーっ!」

ってね。
ええ。ええ。
ま、そんなこんなで今日の記事は「鳥海山徒然」という記事の
後半部分の答えとなる様なオマケ話でしたが、
折角ですからgoogleの「Flood Maps」で
大阪中心部の海面を今より10メートルほど上げた、
縄文期から紀元後数百年ぐらいまでの感じで見てみると......



このとおり、見事に!
坐摩神社さんのある地は、
大阪湾で唯一の!
海に突き出た細長い半島の先端にアルのだ!
ということが浮かび上がってきます。
この港湾への出入りを監視する一番の要害地。
半島の南の根元には現在の住吉大社があったり、
港の奥、上陸地となりそうな港には「石切神社」の文字も見えます。
この地は確実に、
現在の奈良や大和の地へと入る際の最重要地ともなっていたハズで。
ワタナベの地というのは
とても力のあった方が仕切る地だったのだと思います。



この地形を証明するような地名も沢山残っています。
「船場」「北浜」「本宮」「高麗橋」「難波」......
北浜の北とは何処を基準としての「北」の浜なのか。
半島の北の突端だったのか。
高麗とは大陸からこの地へやってきた人々が住んだ場所ではないのか。
この地の交易の広さは古代においても半端なかったのではないか。
......そんなことがよくわかります。
近年発掘された大宮殿跡「難波宮」が何故ここにあったのか?
なども容易に理解することができます。



......そして、



こんな地を治めるイカスリの神様の本当の名前というのは......



「国常立大神=クニトコタチノオオカミ=国之常立神=クニノトコタチノカミ」



全国各地に散らばる数々のマニアックスポットに祀られている神秘の神様



その中心地がこのイカスリ神社の地。



一部、衝撃な方......!?



いないか。。!?



ま、捉え方はご自由に!?みたいな。(●´▽`)ええ。ええ。



コレが合ってようが合っていまいが、



明日も頑張って生活しちゃうことは変わらないですしね。



またいつか、さらに深い部分を記しちゃうかもしれませんし。



ええ。ええ。



ごちそーさまーー(* ̄∇ ̄)ノ♪



ちなみに今回はワタナベさんでしたが、
長谷部さんや長谷川さん、ハセさんなどの名前のお話は、
こちらのテキストリンク過去記事までーっ♪

おやすみさまー!(^^)/

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コメント (14)
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