雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

麻婆天国

2017-08-30 01:15:30 | 美味い
元々大好きだったんでちゅよ。
麻婆豆腐。
ええ。ええ。
そこへ来て、先日、「マツコの知らない世界」ってTV番組の
「激辛レトルト麻婆豆腐の世界」
なんて特集を見ちゃったものだから......



もう大変!(=゚ω゚)ノ



マーボ食べたい!(=゚ω゚)ノ



白いご飯と一緒に!



しばらく忘れてたかも!(*゚▽゚)ノ



......って、そこから1週間。ほぼ毎日。
麻婆豆腐デイズですよ。ええ。
マーボ君を求め彷徨う旅人ですわ。ええ。ええ。



先ずはですね。
コトに先立ちまちて、
僕さんのおいちいマーボの原点を確認しに行ったわけですよ。
「基準」を忘れそうになっていたもので。ええ。
魂の記憶の確認で。
「陳麻婆豆腐(チンマーボードウフ)」さん。
陳建一シェフの四川麻婆豆腐ですのな(@ ̄ρ ̄@)







う、うめぇぇ......っす......(*´ω`*)
麻婆豆腐四大風味「旨味」「辛味」「痺れ」「コク」の絶妙なバランス。
一時期どっぷりハマった麻婆豆腐さんのリファレンスなお味。
お店もちょうどオフィスの近くで行きやすいのですのな。
スタート祝いの杏仁豆腐と
フカヒレスープも頼んじゃったりしてね。( ̄ー+ ̄)キラ☆リンコ





それでもって、どーも、
この陳建一さんのお膝元でもある赤坂の街というのが、
さり気に美味しい麻婆豆腐屋さんがひしめき合う街となっているようでちて。
とりあえず近場のお店から旅してみようかというコトで......



「東京麻婆食堂」
最早専門店まである時代なのですな。すごいでやんす。
知らない間に時代はドンドン進んでいるのですなぁ......
此方はココイチ(CoCo壱番さん)のカレーのように辛さを選べるのでやんす。
そーっすかぁぁ......でわ、辛口で......定食で、
お願いでする。。(*´ω`*)



むぅぅーーん......
なんか、辛いというより、シビレるな。
痺れで辛味もちょっと曖昧になってくる感じで。
味もハッキリ見えない感じかもしれない。でも
「痺れ重視!」
って志向の人にはたまらんポンチ君かもしれないなぁ......
アチキにわコクが少し足りないのかなぁ......
でもコリわコリで食すべきお味ですな。
普通の辛さだと良いのかもしれない。
うむ。うむ。

お次わぁ......

麻婆激戦区の赤坂でもやたらと評価が高いこのお店で......



「同源楼(ドウゲンロウ)」さん。
パクッ!( ˘ω˘ )っとね。ええ。



ウマ!(((o(*゚▽゚*)o)))
これ旨いっす。いい感じ。お好みお好み♪
陳さんのマーボを基準とすると、
それよりは少し辛味が立ってくるバランスなのかなぁ......
好き好き。
イイですなぁ。
セットで付いてくる杏仁豆腐もうまいし。
良いお店っす。好きっす。
続いてぇ......赤阪シリーズでぇ......



「炎麻堂(エンマドウ)」さん。
辛口でお願いっす。こう見えて大人なので。ええ。
精神年齢は高校生ですけど。ええ。



ナニコノ?マーボォッ!?
ヒヒーーン!?辛みと旨味で勝負するマーボさんですな。
辛さが立つ系ではナカナカの絶品でちゅけど......
何か粒々した山椒の実がガリガリッ!と歯に当たるのです......
これが独特ですのな。こいつを食べてるとシビレもかなり出てくる。
これを

「砂を噛んでるみたいぃぃ.....」

と思わない人にはとても美味しいかもしれなひな。
僕さんはちょっと気になっちゃうレベルだなぁ......
水もヒリヒリの苦々な味になっちゃう......
山椒ウォーター!ってね。ええ。
やはり辛さを選べるのが今の人気の秘密なのかなぁ。

「お味がシッカリついているのでそのまま召し上がってください!」

と言われた餃子さんも。
ええ。ええ。



それでもって、こんな写真集をコニャ(奥さん)

「ほれほれぇぇーー。
うめーーっすよぉぉ♪(´ε` )今宵ぃぃ。。」

なんて見せつけていたら、

「なによぉぉーーーっ!
私にも食べさせてよーーーっ!( ̄3 ̄)/」

なんていうから、
近所の定番的中華屋さんで2人してオーダーをしてみたのですな。



「梅蘭(バイラン)」さん。
独特の「焼きそば」で有名なお店なんすけど、
麻婆豆腐を頼むのは初めてでちて......



たまごスープもついてくるのでやんすね。



むぅぅーーーんん。。
旨いっすな。旨味とコクはバッチリコンです。
故に、ちょっとお子様やファミリー向けなのかなぁ......
痺れも辛味もチト抑えてありまする。
辛いの苦手な人には良いかもですなぁ。
流石にファミリーターゲットなお店ですな。
うむうむ。
して、お仕事で訪れた東京、
調布の街でも打ち合わせがてらちょっと寄ってみたりして。
「唐菜(タンツァイ)」さん。





どれどれ......
うーームムム......良いバランス。
旨い。辛い。コクもある。
痺れがやや少ない感じか。
かなりいけちゃう。美味しい。
好きっす。このマーボー。
いい感じっす。御満悦( ̄▽ ̄)

なんか、

麻婆豆腐食べていた今週はちょっと体が元気な感じなのですなぁ。

なんでだろう?

もしかして夏に合う食べ物なのかな。

すごく体調もいい感じなのでやんす。

発見でやんす。

夏はカレー!冷やし中華!ソーメン!ひやむぎ!
ザルでお蕎麦でぇぇぇーーーっ!
......って感じよりイイかもしれない。体には。
なんかそんな気がする。元気になる。アチコチ♡( ˘ω˘ )
いいですな。夏の麻婆豆腐さん。
小さな個人的発見でやんす。
結構、美味しいと感じるのは最後みな似た味になってしまって、
基本の「陳麻婆豆腐」さんに近い味となってしまう様に思っちゃうのです。
バランスの食べ物としたら、それはそういうことなんだろうなぁ......
なんて思ったりもして。
しかし、マーボ大好きっす(*´ω`*)





因みにマツコさんの番組で紹介していたレトルト麻婆豆腐は
みんな売り切れ!なのでやんす。
マツコさんの影響力はスゲーっす(゚ω゚)


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白山徒然

2017-08-26 17:17:00 | 凄い...パワスポ寺社
最も一般的な「日本三名山」と言えば、
富士山、立山、それと、白山。
「三霊山」なるものも同じ。
白山とは、それくらい、
古来より偉大な山とされて来たようです。



広く平に見える山頂には沢山の噴火口跡があり、恐らく、
頂上は過去何度も何度も吹き飛んでいたと思われます。
裾野に関しても「白山国立公園」という捉え方をするならば、
石川県、福井県、岐阜県、富山県に跨るほどの広大さを誇っています。
そんな広い裾野や山頂の形と、
地質学的な見識を合わせて推測される大昔のこの山は、

「今の富士山よりも高い山だったのではないか?」

とも言われています。
そして、大きい故に登山道も富士山の様にあちこちに広がって存在していて。
登山道の拠点となる麓にはそれぞれ重要な寺社もあります。
古い携帯写真とはなりますが......
コチラは福井県、越前側の拠点となる
「平泉寺白山神社(へいせんじはくさんじんじゃ)」



此方は岐阜県、美濃側の拠点
「白山長滝神社(はくさんながたきじんじゃ)」



その長滝からの登山道の中腹にある
「白山中居神社(はくさんちゅうきょじんじゃ)」



この中居神社に関しては、最初、
この鳥居の前で中に入る決心がつくまで15分ぐらい立ちすくみ、
とても悩んでしまいましたが、
僕にとっては、もう、それくらい強烈な神社です。
それ相応の思い出も思い入れもある忘れ難き神社。

そしてコチラが石川県、加賀側の本拠地。
加賀一の宮でもある「白山比咩神社」さん。
「はくさんひめじんじゃ」とも「しらやまひめじんじゃ」とも。



白山比咩とは日本屈指の霊峰、白山を象徴し守護もする女神様。
上記もした白山周りの素晴らしい神社さん達や、
全国の数多くの白山神社さん達の中で大切に祀られている別格!
の女神様。
「比咩=ひめ」は「姫」とも「媛」とも「比売」「比賣」とも書いて、
「しらやまひめ」とも「はくさんひめ」とも言われます。
「菊理姫(きくりひめ)」とも「くくり姫(くくりひめ)」とも。

前回の記事を書いている途中、
その「くくり姫」さんのワードが出て来たので、
過去記事からそのテキストリンクを探していたのですが、
見つかったのは「永平寺徒然」ぐらいで......

「あれ?白山とかククリ姫さんの話って......
まだ書いてなかったっけ......」

と、ま、ソレはソウかもしれなく。
そりゃ、ククリ姫さん......厳しい女神様ですし。
書くとなると相当ビビりますし......ええ......
ま、そんなこんなで今回は、
なんとなく記せるタイミングではないかとも感じることが出来たので、
チョット怯えながらも!?
崇高なる「括り直しの女神様」のお話を少しだけ。
中でも、そんな女神様の本拠地となる、
全国白山神社の総本宮「白山比咩神社」さんのお話などを......



神社のメイン駐車場は本殿のすぐ横に大きなものがあって、
そこから参拝する人も多いのですが、
僕さんは必ず参道下の一の鳥居から入ってお参りするようにしています。
以前も「玉置徒然」という記事で記しましたが、
僕さんとしたら、全国隅々、
カナリ多くの神社さんにお伺いしてきた中でも、
前出の中居神社と共に「別格の空気感」を漂わせている御宮の一つでして。
下から正しい参道を歩いて入った方が、
白山という山の偉大さが伝わってきちゃったりします。





参道途中には大木が立ち並び、
その間に綺麗な清水も湧いています。
この琵琶滝も良い感じで。



本殿入口の横には外せない!
「荒御前神社」



本殿さん。(^^)







境内にはご神木や白山山頂の奥宮を遥拝する社も。
(photo by mikoちゃん



ピリッ!とスパイスの効いた水!みたいな空気感。
とてもククリさんな感じ......
いつ行っても清廉さに満ちています。
中でも、僕が好きな場所は本殿を右に回り込んで行くと見えて来る
「禊場(みそぎば)」なる所。
滝上の禊社からも強いエナジーが降りて来ます。



ココは、その名の通り神職の皆さんの禊場でしょうが、
ククリさんに支える、
とんでもなく強い龍神さんが居られる場所でもあります......
スゲー清廉感......汚すべからず!



禊場の上には住吉社さんがあって、
「海」との関連性も匂わせます。
この社(やしろ)前の南参道には「亀岩」の手水舎というのもあり、
北参道の「白山霊水」も良いですが、此方の水もかなり良い感じ。
霊水のある北参道の駐車場隅には
「善与門」さんというお茶屋さんがあります。
なかなか落ち着きまする(^^)



アイスコーヒーにわらび餅ぃ♪



近くには河濯尊大権現(かわすそんだいごんげん)なるお堂も。



実は、比咩神社さんのお札は
僕のお家のレギュラー札の一枚と成っていまして。
僕さんとしたら「玉置徒然」という記事で記した通り、全国隅々、
カナリ多くの神社さんにお伺いさせてもらって来た中でも、
前記もした白山中居神社と共に
「格別の空気感」
を漂わせている御宮の一つと感じていたりもするのです。
しかしながら、
トテモダメダメプーな人間性を誇っている僕さんとしては、
ククリさんの御札を落ち着いて頂けるようになるまでは......
そりわ、もう.......七転八倒、ダメ出しに次ぐダメ出し。
トテーモ大変なことの連続だったのでちて......
思い出すのもイヤになりますが、
ククリさんにチャント認めてもらうまでは、なんだかんだで2年半もっ!
かかっちゃった次第なのです。ええ。ホント。
キビチーの。ククリさん。(T . T)ぶぇ

「札」に関しての話「だけ」思い起こせば、
一番最初に頂いた時は、
帰りの駅のホームで札がスルリと列車の下に潜り落ちて取れなくなったり。
2回目は、帰り道に寄ったお店数軒で何故か?何回も!
置いて来てしまったり。
挙句に、家に着いたら着いたで、車を降りた瞬間、
札が車の下に逃げるようにして落ちていって、
リビングにナカナカ上がってくれなかったり......と。
それでもククリさんんが妙に好きだった僕は、その度に

「ムキィィーーッ!( *`ω´)ゼェェータイ負けねぇぞ!
認めてもらうまで何度でも行ってやるのだっ!」

なんて。
そんな大迷惑な感じの格闘を続けていました。
そうして3回目!に伺った時に、やっと!
虹が出て!(;゜0゜)オオオッ!


境内に入った瞬間からは、初めて、
ククリさんに認めてもらった感触と気持ちがブワワワーー......
っと湧き上がり。
ククリさんは今までになくトテモ優しい雰囲気に変わっていて。
更にその日は、偶然!地元の特別な祭祀の日にも当たってもいて。
僕は本殿の中に導かれるようにして上げてもらい。
特別な拝礼に参加させてもらえたのです。
神社さんからも御札やグッズ迄頂けることが出来て......



ソレは多分に、この時3回目にして初めて一緒に連れて行った
コニャ(奥さん)のご縁に依るところも大きかったのですが。
とにかく2年以上にわたって厳しい指導を頂いていた僕さんとしては、
もう、虹とともに涙、涙......
の瞬間だったことは今でもハッキリと覚えております。はい。
それからもう5年以上。
年に一回はしげしげとお札を納めたり、
いただいたりで通わせてもらっています。
そんなこんなでククリ姫さんというのは、
僕にとってはとても大切な女神様であって。
北陸の金沢という街を大好きになったキッカケともなった
女神様でもあるのです。(^^)

一番最初にココに来た頃は、
まだ一ノ宮駅という駅が参道下すぐのところにあったのですが......
数年前に閉鎖されることになってしまい。
現在は、この神社には車かバスかタクシーでないと行けなくなってしまいました。
とても風情も味もある駅だったので、今でも個人的には

「復活させて貰いたいなぁ......」

なんて、切なく思っていたりします。
ソノ、在りし日の「加賀一ノ宮駅」さん......
雰囲気が好きだったの......(T . T)ぶぇ



ここでお札を電車の下に落としてしまったのですなぁ......
最初......



古びた駅舎は今も残っていますが、
この駅の隣の公園には「古宮跡」もあります。
今は「水戸明神」として川の神様が祀られていますが、
昔はここに神社があったそうです。
その更に前の時代には、
この公園の前にある「船岡山」の山頂にあったのだそうですが、
そこにも「白山比咩神社創祀之地」という記念碑が立っています。
船岡山は戦国時代に城とされてしまい、
様々な戦乱に巻き込まれ、荒れてしまったのですが、
この両跡地はなかなか......
暗いものが溜まりがちになっている様にも感じます。
神社は今の地で正解というか、良かったというか。
自然の龍脈的にはこの船岡山「も」それ相応の地なのですが、
人というのは、なかなか......
業の深い歴史をも作ってしまうものなのでしょうか。

そんな人の由なし事も沢山飲み込んで来たであろうククリさんと白山。
ククリ直しの女神。山。
そもそもククリ姫さんと言えば、記紀神話においては、
途轍もなく重要な役割を持って描かれている女神様で。
それは、この国を創り、
多くの神々産んだというイザナギ、イザナミの両親神が
殺し合わんばかりの大喧嘩をしてしまった時に、
どこからともなくスッと現れ、
2神の間にサッと入り、
耳もとでソッと......

「何かを耳打ち」

......したそうなのです。
そしたらなんと!アッという間に!
2柱の神様が仲直りしてしまった!
と。そんな風に描かれています。

この話の何処が重要なのか!?と?

......イエイエ、そりわそりわ、もう、大変重要でございます。
だって、この二神が喧嘩して別れてしまったとしたら、
その後生まれ来る全ての神々が生まれなかった......
ということになるからです。
そもそもイザナギ(伊奘諾命)、
イザナミ(伊奘冉命)の2神の間に立てる神様って......
いったい、どれだけ凄いのでしょうか......
まず、いません。
そんな神様。スゲーっす。



だからなのか!?
お酒も別格にタケーッス!( ̄◇ ̄;)か、かえん......



更にククリ姫さんの凄いトコは、
こんな重要な仕事をなさっている女神様にもかかわらず、
記述の中に出て来る部分はたった一文!で、一言だけ!
という、なんともミステリアスな出演方法。
まるで映画監督が自分のフィルムの中に一瞬だけ顔を出すという
「カメオ出演」的な出方。それがまた、
この女神様の圧倒的な力を感じさせる様なところでもあり、
興味深い部分でもあります。
もっと言えば。

「何故ココまで別格なのか?」

というと、感じミルに、
ククリ姫さんというのはこの国の神様とはちょっと違うのです。
比咩の「咩」も羊の鳴き声を意味する漢字で、
白山は日本では貴重な恐竜の化石も沢山出る所ですし。
もっと、こう......大きな抜け!
があるというか、なんというか......

要は大陸の神様だと思うのです。

能登半島の地脈を北上し、
日本海を越えて、ユーラシア大陸に入り。

そこから白い雪を頂く山々を渡り、ヒマラヤ山脈まで。
そこから更に、
同じく峰々に白雪を頂くヨーロッパアルプスの山脈に至る迄も。
なんとなく、ククリ姫さんの守備範囲な感じなのです。
そして、そんな大きな存在感は、どことなく時代が違うのです。
今よりもっと前の世界。社会。文明......なのか。
そんな感じ。
そんな世界に住まう女神様。
きっと、今の世界のルーツに位置する世界。
その時代から居られる女神様。

......さてさて。
そんな女神様がイザナギさんとイザナミさんに何と!?
囁いたのか?
あれだけ喧嘩してた二人を一瞬にして和解させた言葉とは?
チカラとは?なんなのさ!?
それがまた考えれば考えるほどソートーやばい感じで。
恐らくは......
夢物語的な想像ですが......

「わかっていますね?
あなたがたの子は次の世界の神となります。
それは、私でもあります。
私達と同じ間違いを繰り返さないように。
頼みますよ」

ほんと。
この女神様は別格っす。
ビビるっす。。(; ̄ー ̄A 好きっすけど。



ちなみに、ココにも大きな歴史の秘密が隠されています。
石川県、小松市、那谷寺(なたでら)さんと、その中にある
「若宮白山神社=わかみやはくさんじんじゃ」
また、いつか。
記したく思います。(^^)


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喫茶去(きっさこ)2

2017-08-22 21:03:22 | 不思議...パワスポ寺社
今まで譲れていたものが、

いつの頃からか譲れなくなっている。

そんな自分に気付く。

気付いていても、

そんな自分をどーにも変えられない。

はて?

何故でしょうか?

何かを手にし、傲慢になってしまったからなのか。

手にしたもので、

譲る必要性など無くなってしまったからなのか。

何かの嫉妬からくるものなのか。

はたまた、

いつからか相手を敵とみなす様になってしまったからなのか。

それら色々な可能性をひっくるめて、

本来真っ直ぐだったものが捻れてしまったからなのか。

捻れが......

どうしても取れなかったから......なのか......



大阪、堺市。千利休屋敷跡。
利休さんとは勿論、茶道界の偉人。茶聖。
所謂「裏千家」「表千家」の家元ともなる様な方。



今年の7月の末。
僕は神様の言葉に導かれるままに、この場所を訪れました。

堺の街で僕が一番感じてしまうことは、
切腹を言い渡されて亡くなった利休さんが残した
あまりにも痛ましい思念。
そして意外なことに、その切腹を命じた張本人で、
元は盟友でもあった「豊臣秀吉との和解」という、
痛ましさとは真反対にあるような利休さんの望み。
堺の地の表層部分には、
いつも利休さんのそんな複雑な想いが入り混じり、
そこかしこに、
そこはなとなく漂っている様に思います。
堺という地の影なる部分。
ポンチキ能力甚だしいプリリンねーさんも、突然、

「◯◯◯の神が、堺に来て!だってぇ。
場所はuzmetならわかるだろうって」

などと涼しげに言ってきやがりまちて......
個人的には上記したような不穏な理由もあって
「気になってはいたけれど避けていた」
利休さんの生家跡地に行ってみる、と、
すぐ隣にはヤタラと目立つ、真新しいモダンな建築物......
「さかい堺利晶の杜(りしょうのもり)」なんかもあって。



利休さんは堺市の有力商人の家に生まれたそうです。
当時、この国随一の貿易都市であった堺市で、
利休さんは様々な物品や文化、
渡来人も含めた多様な人々に触れながら育ちます。
彼の類い稀なる「美の感性」は
そんなところからも磨かれていったのだと思われます。
そんな感性は、やがて、
当時の天下人「織田信長」に見出され。愛され。
それはそのまま信長の忠臣、豊臣秀吉にも引き継がれました。
秀吉の世においては
「茶人」としては後にも先にも例がないほどの
名声と権威を手に入れ。
秀吉政権の中心人物であった「豊臣秀長」が
訪れる客人達に語っていた事として、
こんな言葉も残されています。

「公儀のことは私に、内々のことは宗易(利休)に」

この時代、
利休さんはそれほど迄に力を持っていたようです。
戦国時代、鉄砲の製造技術を始め、
当時最先端の用具や用品の製造技術や職人を
寡占的に有していた堺という街は、
戦における武器卸の様な地位も固めていて。
その為、全国でも特別な
独立国家的な自治権も認められていたという貴重な地。
ちょうど江戸時代における長崎の出島、
と言えば分かりやすいのでしょうか。
そんな地に深いコネクションのある利休さんは
「茶の湯」以外にも
権力者達に重用される様な事が沢山あったのだと思います。
信長は勿論、秀吉にも愛された理由には
そんな部分もあったのかも知れません。
もはや「茶人」の域を超えた人物。
しかしその最期は、意外にも、
仲の良かった天下人、秀吉を怒らせたことによる
切腹命令でした。

何故?

秀吉さんは友人にそんな命を下したのか?

原因は諸説あり、定まってはいない様なのですが、
その大きな因とも言われているのは、
利休さんのホームグラウンド的寺院だった京都、
大徳寺の三門(山門)の上に置かれた木造の「利休像」。
寺に多大な寄付をしていた利休さんに、
住職さんが感謝の意を込めて置いたものだったらしいのですが、

「秀吉は勿論、
高貴な方々が通る三門の上に自分の像を置くとは何事か!」
皆が利休の股の下を通るというのか!」

そんなクレームが入ったとか、なんとか。
正確には、
秀吉さんは詫びを入れる機会を設けいたらしいのですが、
利休さんはソレに応じず。
京の町を出て、故郷、堺の街にスッと、
引っ込んでしまったようなのです。
そこには利休さんの
秀吉さんへの然りげないメッセージがあるようにも......
思えますが......
ともかくそんな出来事もあって秀吉さんは激怒。
利休さんに切腹の命を下したのだそうです。
利休さんはそれに逆らう事なく、
潔く、自害を決めた......と。
そう、今に伝わっています。

そして、堺を訪れた日の翌日。
僕はその京都「大徳寺」の「三門=金毛閣(こんもうかく)」 へと、
利休さんの「残留思念」的なモノに導かれ、向かいました。
実は、堺の生家跡でガイドの人に
「今もココに木製の利休像が置かれていまして......」
と、写真を見せられながら丁寧な説明を受けてしまったから......
と、いうこともあります。



堺のガイドの方から伺ったところでは、
今ある利休像は岡山の方から寄付されたもので、
本来のものではないとのことでしたが。
本来の利休像は、利休自害の後、
京都、一条、戻り橋に利休の首とともに晒された後、
そのまま焼かれたとも、捨てられたとも、
利休さんの子孫「裏千家」が現在も保管しているとも......
色々と言われているようです。



利休さんに心ばかりの花と「金の烏龍茶」を......
ズッコケルような!?お安いお茶!ですが、
そこは秀吉さんの作った「黄金の茶室」からくる意味もありまして......
利休さんは秀吉が作った総金箔の茶室を

「美が無い」

.....と非難したとも......
伝わっていますので......
金のお茶というのは、つまり、
僕なりの「和解のお茶」というシルシなのです......ね(´-ω-`;)ゞポリポリ



しかし、とんでもなく驚いたことに、
神様に呼ばれるがまま寄ってみたこの日は、
なんと、利休さんの命日......



利休さんの命日というのは、
正確には2月28日なのだそうですが。
現在の大徳寺では毎月28日を「利休忌」と定め、
院内の多くの寺院で
利休さんを偲んだお茶会が開かれるのだそうです。
全国から沢山の茶道関係者の方々が集まる日でもあるそうで、
そんな日に.....
僕は偶然!?
訪れてしまったのです......
そして、その衝撃は僕にまたまた予定外の思いを喚起させました。
それは......

「秀吉廟にも......行かないといけないな......」

僕は大徳寺からそのまま、
豊臣秀吉の霊廟(れいびょう)となっている
東山山系の南の端へと向かいました。
そこには秀吉を神として祀る「豊国神社」があり、
意外と知られていないのですが、
その神社の最奥地「阿弥陀ヶ峰」の頂上には
秀吉が埋葬されたお墓......霊廟......があります。
この写真の坂道の向こうに見える山がそうなのですが、
標高は190メートル以上。



最下にある豊国神社から奥宮も回って、
墓碑へと辿り着くには、長い坂道を歩いた挙句、
最後に恐ろしく長い階段を登ることになります。
この階段が普段から人を全く寄せ付けません。



休日なのに誰もいません。
よほどの気持ちと体の準備とマゾヒスティックな人でなければ
ここに行こうとはマズ思わないと思います。
それぐらい長い階段で、大きな墳墓。



山頂のお墓。



秀吉さんのお墓は高野山にもありますが、こちらが大元。
秀吉さん自身の遺言に従って作られ、
その後、徳川氏の時代に一度壊され、
もう一度、人々によって再建されました。
僕はこちらにも利休さんと同じ「金のお茶」を持って行きました。



なぜ、二人は反目しあわなければいけなかったのか......

本当は一番認め合っていて、

一番気になっているもの同士で、

敬愛していたもの同士だったはずなのに、

なぜ?

許し合えなかったのか......



「まぁ、一服、お茶をどうぞ」

......喫茶去(きっさこ)。

偉大なる禅僧、趙州禅師(じょうしゅうぜんじ)の魔法の言葉が頭をよぎりました。

「お二人で、お茶を、どうぞ」

二人は、なんとなく、

少し距離をとりながらも、向かい合って座り、

そして......

お茶を飲みだしたように思えました。

これから少しづつ......

色んな話をしていってくれればいいな、と。

そんな少々倒錯的で錯覚的!?

な気持ちを感じながら僕は秀吉廟を降りました。

キ◯ガイ!と言われそうですが、ま、そんな人にも......

まぁ、お茶を、一杯(^^)

どぞどぞ。



京都から戻ったスグ翌日。近所の駅に向かう僕の頭上に......
お茶道具の箱を小脇に抱えた利休さん!?がご挨拶に?
と、そこに!
太陽を背にした和合の女神、ククリ姫さんが......!?



写真のイメージにピッタリ!
の星野剛さんのイラストをお借りしまして......



北陸、霊峰、白山の偉大なる女神。
菊理姫。きくり姫。白山姫......
喧嘩したイザナギさんとイザナミさんをも仲直りさせた女神様。

「くくり直しましょう。
私が力を貸しましょう」

くくりさんを唖然として見ている最中、
今度は千葉のみゆき嬢から突然のラインが......

「神様たちが来てます!」
「利休さんとキクリ姫様だと思います!」

もう、驚くのを通り越し、
宇宙の彼方にすっぽんぽん......ですけど......まいど......

でも、どうやら秀吉さんと利休さんは......

良い方に行っている様でございます。

必要な時間を、必要なだけかけて、

ゆっくりと溶けていったらいいなぁ、と。

僕などには到底、力の及ばない世界の話でございます。





おまけ。
開口神社(あぐちじんじゃ)。
堺の地の中心地は仁徳天皇陵!......でなく、
ここではないかと思います。
今回はククリさんのご登場含め、
コチラの神々にお力をお借りしました。
感じるに、トテーーーモ古い神社さんで。
神話時代と呼べるくらいの昔は、
旗神社
と呼ばれていたように......思います。
堺の深層部分!?を司る神社さんなのではないか、と。
世界文化遺産登録への推奨など、
最近の堺市の良いニュースを見ると、
利休さんと秀吉さんを思い出したりもします。(^^)


過去記事......「喫茶去


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Fireworks

2017-08-18 00:25:31 | 感謝
伝えによると、明治時代に千住大橋の落成を祝って
花火を打ち上げたのが最初とも言われている「足立の花火」。
そこから考えると既に100年以上の歴史を持っていて、今や、
打ち上げ玉数も一時間で1万2000発以上という、
東京屈指の花火大会の一つともなっている様です。

そんな花火大会の一部を演出プロデュースさせてもらったのが昨年で。
なかなか良い雰囲気で終わることができたということもあり、
今年も引き続き同じ仕事を依頼されていました。

昨年は初めての仕事ということもあり、
個人的にはかなり「様子見」的な部分があって。
今年はそんな昨年の事を踏まえ、
明確になっていた反省点を区長さんを中心に区の職員の皆さんと幾度も話し合い。
ソレを職員の皆さんが事前にしっかりと潰すこともしてくれて。
昨年より、より万全な準備を持って開催日を迎える事が出来ました。

宣伝戦略に関しても今年はかなり突っ込んで参加させてもらい、
突然組まれた区長さんとのTV対談やらなんやらも一通りこなしてみたり......と、
足立区スタッフの方々の様々な努力の結果、
動員は昨年の55万人に対し66万人!
という過去最高の記録を達成。大盛況で終わることができました。
11万人以上もの数字の伸びは前回の印象から生まれた口コミや、
様々な宣伝努力が結実した結果ではないかと、晴れ晴れしく思いつつも、
特に今年は肝心の「花火の内容」が質、見せ方、
共に格段に良くなったと思います。
新しく迎えた花火師さん達の技術が一際光っていました。

なんにせよ、完璧な天気に恵まれたことが何よりだったなぁ、と。
」が続いている今年の他の花火大会を見るにつけ思ったりもします。
ラッキーさんでした(^^)



そんな花火大会で、訪れた皆さんの顔を見ていると、
幾つか強く思うコトというのもあったりして。
それは、とても当たり前なことなのですが......
皆、一緒に、同じ方角を向いていて、
一心に、一つのものを見ている......ということ。
勿論、ステージモノである音楽や映画、演劇、
エンターテイメント系の様々なイベントなどでは当たり前の光景ではありますが、
花火にはそれを「特に強く」感じられるのです。
花火というのは、
それらとはまた違った感触と雰囲気とがある様に思えるのです。
多分、
「一瞬の出来事も見逃さない」
という集中力にも似た皆の気持ちの強さ。
それと、人為的な「創作物を見る」というより、創作物ではあるけれど
「自然の風景に近いものを見るんだ」
というニュアンスに寄った心持ち。
それはまるで海や山の景色を見る様な、
そんな感覚に近い皆の持つ空気感、感触......
そんなことが僕には感じられます。



そして、例えば若いカップルさん。

二人して憧憬とも満足とも言えそうな顔をして夜空の花火を見上げている。

花火が消え、フト、横を見ると......

大好きな人がいる。

しかも......

笑って。

友達同士も、家族の皆さんもそう。

皆で大空を満足そうに、楽しそうに見上げていて、

フト、横を見ると、

大切な人達と目が合う。

それは、なんだか、

僕にはとても大切な風景に見えていて。

もしかしたら、

本当に近しい人との関係というのは、向き合うより、

こういうふうな形が最善なのではないか......

と。

そんなことも思うのです。

普段、なかなか接点のない人との付き合いは、

時間がなかなか取れない、少ない、という故に、

文字どおり「向き合う」ことが重要で。

でも毎日顔を合わせられる様な、いつもすぐ側にいてくれる様な人とは、

花火を見る時のように、

向き合うより、前後左右に並んで、

同じ方角、同じもの、同じ風景を見て、

そうして、

フトした時に向き合って、

お互いに見えているものを確認する。

それが笑顔なら最高で。

悲しい顔ならば、

その時こそは向き合って。

しっかりと話し、共有して......また、側に戻って。

そんな歩み方。

大切な人とは向き合うのではなく、並んで歩く。

向き合って歩くと......ぶつかっちゃうし(^^)

そんな感じ。



花火からはいつも、
そんなことを教わったりもするのです。



好きであれば、自由にしてあげてください。

大切であれば、同じものを見てあげてください。

正しいも間違っているもなく、ただ、一緒に見ればいいのです。

ただ、一緒に味わえばいいのです。

ただ、一緒に歩めばいいのです。

それだけで、

皆、孤独と決別できるはずです。

それだけでも、人は道を外したりはしないはずです。

好きであれば、隣にいてあげてください。

ただ、それだけで、

人は繋がることも、理解し合うこともできるのです。



————————いつも花火は煌びやかで、大きく、雄弁の様に思えます。



2015年。この仕事のオファーを受け、
初めて会場視察に行った時には、こんな巨大で美しい虹が......





二本の虹のウチの一本はスカイツリーの真上から......
この仕事はやらないといけないのだろうな......と、
そう思った事をよく覚えています。



昨年も......



今年は朝から荒川の龍神さんが!?来てくれて(^^)



いつもの!?日輪......



他にもたくさん......



やはり時折、虹......彩雲も。



いつも一人、ひっそりと、必ずご挨拶に行く、
花火大会会場のすぐ側、荒川土手沿いにある「大川 氷川神社」。
祭神は勿論、虹の主、スサノオさんです。



本殿裏の富士塚の上に、天に届きますように......と。
お酒なんぞを(^^)



お終いに、去年の演出に使った曲、
ツカヘイさんの好きな「セカイノオワリ(世界の終わり)」さんの
「ドラゴン・ナイト」を。
花火を見ているといつもこの曲が頭を巡るので......今一度記しておきます(^^)



Dragon Night
歌:SEKAI NO OWARI
作詞:Fukase 作曲:Fukase

今宵は百万年に一度太陽が沈んで夜が訪れる日
終わりの来ないような戦いも今宵は休戦して祝杯をあげる

人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない
だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があるとおもうんだ

ドラゴンナイト 今宵、僕たちは友達のように歌うだろう
ムーンライト、スターリースカイ、ファイアーバード
今宵、僕たちは友達のように踊るんだ


今宵は百万年に一度太陽が夜に遊びに訪れる日
終わりの来ないような戦いも今宵は休戦の証の炎をともす

人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない
だけど僕の「正義」がきっと彼を傷付けていたんだね

ドラゴンナイト 今宵、僕たちは友達のように歌うだろう
コングラッチュレイション、グラッチュレイション、グラッチュレイション
今宵、僕たちの戦いは「終わる」んだ


ドラゴンナイト 今宵、僕たちは友達のように歌うだろう
ムーンライト、スターリースカイ、ファイアーバード
今宵、僕たちは友達のように踊るんだ




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無駄な人数

2017-08-14 00:09:00 | 初めに、タイトルの話
この世界に無駄なものなど一切ない......と、思います。

皆、全てが、必要があって存在している、と。

存在しているということそれ自体が、
何かや誰かに必要とされていることの証明であると。


ただ、音楽や芸能というのは、
時にそんな世界の真実を浮き立たせるための、
思い出させるための、
色がより鮮やかに見えてくるようにするための、
その為のカウンター的役割を担っているような時や
コトいうのがある様にも思います。
僕は以前、そんなコンセプトを裏に隠し持ったライブを
敢行していたことがありました。
カウンター故に、
全くもってマス......メジャー、大衆的......
なコンセプトではないので、
当時メジャーレーベルで働いていた僕としては、
そのコンセプトと水が合う
「インディーズ」という形態とチームを新たに作り、
取り掛かっていました。
結果としてそのライブは毎回とても実験的で、
挑戦的なスタイルとなって世に問う形となっていきました。

そんなライブのメインアクトは当時14歳の少女詩人。

螢。

活動の基幹となっていたCDパッケージ周りに関しては、
音楽は勿論、デザインやウェブも彼女の世界観に合うように、
皆エッジの立ったクリエーター陣で組んではいましたが、
彼女のやりたい事や伝えたい事がフィルター・レスで表現できて、
ファンにもよく伝わるライブの方は、パッケージとはまた違う、
彼女が何かと話をしやすいスタッフィングで臨んでもいました。
そんな彼女なりの世の中へのカウンターを詰め込んだステージは、
勿論、苦労も多かったのですが、毎回とても印象的で面白く。
様々な部分を一緒に創っていた僕でも、
見ていていつも鳥肌が立っていたことを覚えています。
会場となる場所に関しては

「あくまで彼女は詩人であって、音楽人ではないのです......」

という精神性を示す為、演劇系の劇場を選びました。
プロデューサーの僕としては、
彼女に劇場以外の会場はイメージできなかったですし、
ライブハウスなどの場合、ミュージシャンでもない彼女は必ず、
いろんな意味でステージで苦しくなっていくであろうと。
そんな考えもあり、チームみんなで話し合いながら、
初期の彼女のホームグラウンドはそんな劇場に決めていました。

東京、銀座小劇場。

一人芝居とポエトリー・リーディングと音楽と。

そういうものをミクスチュアした、
創っている僕自身もよく分かっていないまま敢行していたステージ。
忘れ得ぬ彼女のステージ。



なぜ?



今まで何本、何十本!?と見て、
作っても来た音楽やエンタメのステージの中で、なぜ?
彼女のライブが僕の中で今だ忘れられないモノであり続けているのか?
しかも、100人も入ればパンパン......となる様な、
古い民家の屋根裏の様な、うらぶれた小劇場のステージなのに......

それは......

僕が創って来たステージの中で、
観客から「一つの拍手も起こらなかった」ものは
彼女のステージしかないからです。

観客から「一度も声が聞こえなかった」ステージも
彼女のものしかないからです。

「歓声も拍手も望まなかった」ステージも
彼女のものしかなかったからです。

初のインディーズアルバムを発売した直後。
チケットも即完売したセカンドライブに至っては、彼女は......
その時集まった100人以上の観客達に向かってマイクを握り、
ステージの最後、
演出的にも一番注目が集まるところでこう言い放ちました......



「みんな死ねばいい」



彼女はそのままマイクを放り投げて、
ステージサイドに歩き去って行きました。

客席は水を打ったようにシーンとして、
誰一人、身動きをしませんでした。

舞台で詠まれた詩の延長上にある言葉の様でもあるし、
そうでないかも知れない。

14歳の少女が放ったこの言葉をいったい、
どう受け止めればいいのか?

誰もが、
そんなことを考えていた様に思います。

真っ暗闇となっていた会場で「死ねばいい」と言われ、
終演後も呆然と座り込む観客。
僕らは客電を必要以上に明るく点け、然りげ無く、
会場を出る様に......と促しました。



「......ご、誤解だヨォォォーーーっ!?(@。@)
螢わイイ子なんだよぉぉーーっ!



と、僕は心で叫びつつも、
PA卓辺りから見たその会場の様子は
未だに忘れられない光景となって心に残っています。
デビューライブからずっと追いかけてくれていた親愛なるライターさんが、
そんな彼女のライブの様子をある雑誌でこんなふうに書いていました。



==========================
「14歳の少女詩人・螢」は今や業界的にも
最注目の新人なんて呼ばれている。
だがその日、
暗幕を垂らしただけのごく質素でダークなイメージには
「いよいよこれから何かが始まる!」
なんて月並みな高揚感はかけらも無かった。
むしろ、何かを葬り去ろうという黒い意志。
それをよりどころに慎重152センチの小さなカラダは
闇の中に立っている様に見えた。
拍手なんか誰もしない。身動きもできない。
硬い椅子に座り、
じっと耐えるような気持ちでコトバに耳を澄ます。
全編80分の倒錯した夢みたいなライブ。
出口にはNHKのニュース番組のカメラが待っていた。
監禁から解かれた客たちの顔に笑顔は無かった。
==========================



こんなライブは後にも先にも、僕にとっては螢だけ。
大抵はいつも観客の拍手を望み、
笑顔を望み、
満足や幸福や希望を望み。
それがエンターテイメントの仕事。そんなものです。
そしてソレ故に、
彼女のステージは今も僕には特別なのです。
良い悪いを越えたところにあるものなのです。



このライターさんの記事や螢のことが特集で組まれた雑誌
「QuickJapan(クイックジャパン)」
ネットワーク社会以前、鈍い輝きを放っていた「サブカルチャー
シーンにおける代表的雑誌の一つ。
思えば、螢が表紙を飾った最初の雑誌でした。
今も自宅の書棚にストックされています。
この号の特集にはまた違う回のライブのことが書かれていて、
それは予想外の!?
CDの「メジャーリリース」が決定した直後のステージのこと。
インディーズ時代とはうって変わって、
必然的に様々な関係者や大人達が大勢押し寄せたライブともなったステージで、
また彼女は最後に皆を黙らせる一言を言い放ったのでした。
それが雑誌の表紙にもなってしまったコトバ。



「ムダな人数」



この後、僕はかなりのバッシングを直接的にも間接的にも受けたり、
人伝のモノ言いで耳にしたりもしましたが、
やはり、僕からすれば、
とても彼女らしい「愛すべき」立ち回り。
スタートからのコンセプトにも沿った!?名セリフ。

「俺達だけはなんとしても彼女を護らねば、、」

と。そんな悪戦苦闘をしていたことも覚えています。
良い悪いを越えたところで捉えて欲しいコトバ。



「......ご、誤解だヨォォォーーーっ!?(@。@)
螢わヤサスィー子なんだよぉぉーーっ!」



こんな感じの、
小さな少女の挑発的な言動を受けざるをえない
大人のインタビューアーさん達は、
人によっては受けて立ったり、戦ってみたり。
流してみたり。
見透かしてみたり。
子供扱いしてみたり。
すぐ近くで見ていた僕にとってはそれはそれで、この世の
「普段見えなくなっている何か」
を浮き上がらせてもくれる時間であったりもしました。
写真にあるこの本のインタビューの中でも、
彼女はこんな受け答えをしています。



===============================
学校は本当にきらい。ぜんぶ。
教科とかじゃなくてぜんぶ。
場所として嫌い。
なんにも言えなかったから、コトバに出来なかったから、
だからその気持ちを紙に書いた。



—————あの日は平日だったっけ?

うん。学校休んだ。



—————なんて言って?

ライブだからって。



—————先生はなんて?

あ、そうって。



—————この間、関係者の人が
「螢は学校では表現できなかったものを表現できる場を見つけた」
って言ってたんだけど当たってる?

うん。
......だって学校でどうやって表現なんかしろっていうの?



—————学校じゃ何も表現できない?

うん。



—————最近ちゃんと「おつかれさま」とか言うようになったよね?

言ってないよ。



—————言ってるじゃないですか。

べつに言いたい人には言うけど、言いたくない人には言わない。
良い仕事をした時だけ言うようにしてる。



—————自分の中で大体どれくらい先まで考えてる?

そんなの知らないよ。
===============================



ソーシャル・ネットワークの時代。
誰かと繋がりたいと思えば、いつでも繋がれて。
様々な表現が出来て。
とても幸せな時代だと思います。
しかし、それ故に生まれた闇も、
悩みみたいなものもあるのではないでしょうか。
特に、不器用な人にとっては本当に切実な話なども。きっと。
そんな人達の顔が今回の螢の話を記していて思い浮かんできました。
今は亡き、
敬愛する哲学者の池田晶子さんがこんなことを記し残しています。



「空虚な孤独が空虚な言葉で繋がって、
果たして繋がったことになるのかと疑う。
他人を求めるよりは、
自分を求めることのほうが、順序としては先のはずだ」

「この人の世では、人は人に好かれたいと必ず思い、
人に嫌われたくない、と必ず思っている。
好かれたくて嫌われたくないのが人の世の原理なのである。
やはりこれは凄いことではなかろうか。
他人にどう思われるかが、自分の行為の基準なのである。
実に多くの人がそうやって人生を生きていくのである。
端的に、これが社会というものである。
本当に驚くべきことだと私は思う」



池田さんのこんな言葉を省みても、
螢という少女と過ごした時間を思い出してみても、
世の中へのカウンターとしての音楽は大切にしなければ、と。
そんなことを思います。
カウンターとしての価値や意義はまだまだ、
しばらく失ってはならないと。
カウンターはいつも美しく、魅惑的なものであれ、と。
改めて、そんなことを思う次第なのです。



.......1年毎と約束していた螢の記事を待っていていくれた皆さん。
今年は遅れてしまい申し訳ありませんでした。
お詫びいたします。
「螢」の記事はサイト左にあるカテゴリー・メニュー
初めに、タイトルの話」に全て纏めてあります。
良き夏をお過ごしください!(^^)


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「8」を巡る旅 7

2017-08-10 00:00:48 | 不思議...パワスポ寺社
面白いことに、その学校は、



ヤッパリ、以前ねーさんと訪れた学校とは違いました。



大間違い。(´-ω-`;)ゞポリポリ



そしてその学校の名前は.......



「大阪市立 住吉中学校」



今回は、必ず!!



石を探し出してみせる!(`_´)/



と。そんな感じで。
仕事を切り上げた僕は一路、
風情ある路面電車で中学校へと向かったのでした......




ココじゃ!(=゚ω゚)ノ



着きまちた!(=゚ω゚)ノ

ナカナカ、標準的な佇まいで。ええ。ええ。
夏休みの部活タイムのようで、門も開いているようでやんす。
でわっ、お邪魔します、と。
見えるのはラグビー部とサッカー部とテニス部さんですな。
賑やかですのぉ......
スッカリ、ジャケットで学校をプラついている
怪しげなおにーさん(not オヤジ♡)になっちゃってますけど。
僕さん。
でもそんな感じで校内を歩いていると、
すれ違う部活練習中の生徒さん達は揃って、
大声で挨拶をしてくれるのでヤンス。

「こんにちわーーーっ!お疲れ様です!」

皆さん元気ハツラツ☆ポカリスエットな感じなのです......(@ ̄ρ ̄@)
スゲーっす。住吉中学。
僕さんも負けずに......

「こんちくわぁぁーーーーっ!(`・ω・´)ノあやしいものですぅぅーーっ!」

ってね。ええ。ええ。

そして問題の「石」のありかはというと......やっぱり......今回は、

すぐに分かっちゃたんですよ。

コリが。また......



ココっす。

本当に!石があるんス......( ̄▽ ̄;)

明らかにこの石......オーラがヤバイっす。。

他にも3箇所ぐらい、

校社の裏手やグラウンドの片隅にヒッソリと散らばって......



石っス(・・;)

この石、オレがこの学校の生徒さんだったら......

気が気じゃないっっす......

神様って、スゲーーーーーー......

なんで分かるんだ!?まったく......

プリリンねーさんも流石やな。

だいたい、横浜に住んでるOLさんが、ですよ。

大阪の片隅にある中学校のグラウンドの、コレまた片隅に

「古墳の石があるんだってぇーーー。。」

なんて。

フツウわかるわけないっつーの。

まったく。ポンチキこの上ない話やね。うん。

この校舎の入口付近に在るオブジェの土台となっている石さん達も......



タダもんじゃないっす。

コレらもきっと元は古墳のイワだったはずで......
スゴイね。どーも。
この帝塚山のあたりわ......なんて感慨を抱きつつ、

僕さんはコノ数カ所に散らばっている石の中で、

「ココだ!」

と感じられた、一番奥にある石へと一直線に向かいました。
この日は、前回の年末年始ヘロヘロバージョンとは違って
冴えてますよって。( ̄ー+ ̄)ええ。



驚くことに、この石に近づいて行ったら、
ブワワワワワワァァァアーーーーーっ!と、
何十羽というスズメさんが!
この石の周りから一斉に飛び立っていって。
その数に驚かされ、圧倒されちゃいました。
待っててくれたのかな......!?すげーな。チュンチュン隊。
で、その後、周りに誰もいないことを確認。
頼まれていたお酒を石に捧げ、祝詞を捧げました。
偶然か必然か、学校の隅ということと、
夏休みということもあって、その間誰も来ず。
時間をユッタリと使って神様との約束を果たすことができました。
やはり、フトダマさん(天太玉命=あめのふとだまのみこと)
と一緒に封じられていた神々や、
眷属の皆さんには不自由さが残っていたようで。
この時も、例によって、例のごとく。
渦を巻く強い風と、光、鳥達の大集合と大合唱。
加えて今回はセミ(蝉)の大合唱も!
驚くタイミングで巻き起こったわけでやんして。
さすが「蝉使い」のルーツ神様でもある、という感じ。
とても感激させて頂きました。
異常な数のセミさん達はよく見ると全て透明な羽で......
クマゼミ?さんかなぁ......





今回は古墳の主たる神様......フトダマのミコトさん......
というわけではなかったので、
壮大な日輪的シルシなどは無かったのですが、やはり、
イロイロと晴れ晴れしい空、空気、気持ちにもなって、
僕はすこぶるご機嫌な感じでまた仕事に戻れたのでございまつ(^^)

ま、一箇所、堺(さかい)の方にお呼ばれした理由やコトというのも
この後にあったのですが......
今、マサニ旬の話題の堺市の話ですので......またの機会にと。

そんなこんなで、この日は、よーやく、半年間「心残り」になっていた
神様との約束が果たせた日となったのでした。
めでたし。めでたし。。!?



後日、
「ありがとう。ようやく自由に動けるようになったよ......」
と言ってくれた神様の名前を伺うと
「セッツノカミ」
というのだそうです。
おそらくは摂津神......現在の地名である「摂津」の元となった神様ではないか、と。
プリリンねーさんとはそんな話をしていました。
フトダマさんとともに、大昔、
この地を治めていた神様だったそうです。

フトダマの神様のコトは、
前回や、シリーズの「5」の中でも記していますが、
記紀神話に天孫「瓊瓊杵尊=ニニギノミコト」の天下り
付き添った神々の一柱として記されている神様です。
当然といえば当然ですが、
この神様の詳細も神話にはちゃんと記されてはいません。
根源神でもある、
造化三神の一柱である高神皇産霊神(かみむすびのかみ)の子供......
とまでは記されていますが、その真実と実在性は「?」のままです。
どこで生まれたのか?どこを本拠に活躍していたのか?なども謎。
ただ、現在に伝わる書物や諸情報の全体から想像できるのは、
この国の創生に関わる重要な神様の一柱であったことは間違いないであろうと。
一般的にもそう言われています。

そして、この神様の本拠地に関しては、
奈良県説を中心に徳島県とか千葉県とか......
フトダマさんを主催神とする大きな神社さんがある場所を基軸に
考えられていたりもします。

僕の個人的な知見と神々から伺い聞いている話?を合わせてみると、
フトダマさんの「活動拠点」「本拠地」という部分に関しては、
おそらく、徳島県、鳴門市にある、
現在の大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)であったであろうかと。
そう思います。

フトダマとはソモソモ、
古代の占術である「太占=フトマニ」から来ていて。
そのマイスターだった方がフトダマさんではないだろうかと。
そして「フトマニ」とは、
そのルーツを古代中国の亀卜(きぼく)に遡ってみることが出来て。
それは縄文の昔から今に残る「骨占い」に繋がっているのではないかと思います。

また、この「骨占い」を掘り下げると、
「亀卜(キボク)」の名の通り「海亀の甲羅」を焼いて、
その焼け方の状態から吉凶を占う......というもので。
現在も対馬を始めとする列島の島々や、
海岸沿いの地域などで一部見られる占術であり。
これが内陸部に入っていくと
「鹿の骨」を焼いて占うという形にも変化していきます。
そんな「骨占い」は「蝉の抜け殻」で占う「蝉占い」などとも合わさっていき、
一部秘術は平安時代の「陰陽師」などにも受け継がれてもいった様です。


そんな秘術には時代や地域によっていくつかの形や派閥、
司る氏族があったとも考えられていて。
それら氏族の内、最も古く根源的なものが、
神話にも登場する物部氏葛城氏、中臣氏(後の藤原氏)......
そしてフトダマさんを祖神とする
忌部氏(いんべし=斎部氏)ということになってきます。
彼らに比べれば蘇我氏や秦氏などはとても最近の氏族と言えます。

これら占術を扱う氏族や陰陽師などは
古代、祭祀や政治をも司る重要なスタッフとして
代々天皇の側近を勤めていきますが、
中でもフトダマさんを始祖とする忌部氏は、占術だけでなく、
服飾や農業などの基本産業のノウハウを持つ氏族としても徴用され、
尊敬もされ、
崇められてもきました。
そんな古代日本の穀物事情という部分を絡めみて見れば、
アワやヒエという「お米以前」に栽培され、
主食とされていた穀物のことも浮かんで来ます。
特にアワはヒエ以前から食されていた穀物の元祖とも言えるものでもあり。
アワの歌......なんてものが存在しているのも、
アワという穀物がいかに大事なものだったかということの表れかも?
しれなくて。
その歌はそのまま、
現在の日本語における「五十音」の原型となっているのかも?
しれません。
そんなこと迄考えていくと「アワのうた」が載っている、
かの「ホツマツタエ」に関しても、
本当は一般に言われている様な「戯書」ではないのかも!?
しれません。

アワとは穀物の「粟」であり安房であり、阿波。
そして、それは徳島の阿波であり、淡路島のアワ。
淡路島の「あわじ」とは、勿論「アワの地に至る道」......
阿波路......からきているハズです。
阿波は「粟」が生い茂る古代日本国の穀物倉庫とも呼べる重要な地で。
また、当時の神事や占術に必要な「大麻」の栽培にも
適した地であったという事も間違いはなく。
そんな地の中心が現在の徳島県の一宮「大麻比古神社」であろうことも、
神社名からも、
主祭神がフトダマさんであることから考えても、
容易に想像できてしまうのです。

やはり、フトダマさんの本拠地はココではないか......
と思うわけなのです。

しかも、四国、阿波の地の立地を考えれば、
今回記した対岸の地、大阪、摂津へも容易に行けますし。
そこから淀川や大和川を遡れば奈良や京都にも、
九州や伊勢、関東に行くことも容易であって。
そんな地の利も自然と見えてきます。
そんな地に信頼できる重鎮......摂津神!?
を配することも分からなくはなく。
海や河川も含めた列島全体の船の航路を考えれば、
航路途中の拠点的な場所に
フトダマさん系の神社があるという様にも見て取れて。
僕はそんなふうに考えていたりもするのです。

しかしなぜ?

四国、徳島拠点であったフトダマさんを手塚山に封じたのか。

そこはまだ、僕にはハッキリとは見えていません。

封じた勢力はフトダマさんのライバルでもあったアマテラス内閣
「お米&鹿骨党」代表のアメノコヤネ......
中臣氏(藤原氏)の祖先神さん......
であったであろうことまではわかりますが......
裏でもう1柱、凄い神様が関わっていた様でもあります。
そして、天孫「瓊瓊杵尊=ニニギノミコト」
がこの地上世界に初めて降りてきたという
「天孫降臨神話」に関しては、実は、僕は、

「ニギハヤヒの物語をそのままニニギに移した話ではないか?」

......という至極ポンチキな見方をしていて。
そのニギハヤヒに付き添った神々の一柱としては、
神話の通りフトダマさんもいたのであろう、と。
そうも思っているのです。
ニギハヤヒ(饒速日)がまだ「大歳=大年=おおとし」と名乗り、
主戦場を九州、宮崎の地としていた時代。
フトダマさんは当初、ニギハヤヒと共に九州の地にいて、
そこからニギハヤヒの近畿圏進出に際しても一緒に海路を動き、
四国、阿波の地に入ったのであろうと。
そして恵み豊かな阿波の地を拠点とし、そこから大和、伊勢、関東、
東北方面に迄動いていたのかな、と。
そんなフトダマさんの姿と痕跡が......
アワやヒエの栽培方や衣服生地の作り方、縫い方、
更には森羅万象読解の占術迄も教え伝える旅の痕跡が......
全国の伝承や神社の有様からも見えてくるのです。

そんなフトダマさんの偉業と、

その子孫、忌部氏の偉業。

あめのふとだまのみこと。

天太玉、天布刀玉......

名前に「アメノ=天の=天」とつく神様というのは、本来、皆、

ニギハヤヒの東征......「天下り」に付き添った神々のことであり、

他の神々と区別するために然りげ無く記されている呼称。

また、それこそが真の「天孫降臨神話」であったと僕は思うのです。

隠された天孫降臨神話であり東征神話でもある、と。

勿論、ニギハヤヒをその様に動かした神というのもいて......

それは勿論、スサノオさんであったろうと......

僕は、

そう思うのです。

そんなことを神々から!?伺っていたりもするのです。

とてもアヤシイ!?話なのです。

それでも!

このブログはまだ続けていけそうでは......あります。(^ω^)



次回は、一部の読者さん達と約束している
一年毎に記して来たマイルストーン的記事。
今年は遅れてしまいましたが、
ブログタイトルの由来ともなっている
「螢」という少女詩人を巡る四方山話となります。

何卒、悪しからずで。(^^)

8を巡る旅
8を巡る旅 2
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「8」を巡る旅 6

2017-08-06 00:14:16 | 不思議...パワスポ寺社
ここ半年。ずっと「心残り」になっていたことがありまして。
それが、大阪、手塚山古墳(てづかやまこふん)を巡る一連の出来事。

コトの始まりは今年の一月。冬。
昨年の末あたりから降ろされていた神様からのメッセージを紐解いて、僕は
「アル太古の神様にかけられた封印の一部を解くため」
大阪、手塚山古墳(てづかやまこふん)へと向かったのです......が......
年末年始の仕事や生活のドタバタで著しく集中力を欠いていた僕は、
神々の話を正確に解くことが出来ず、
結局行くべき所に辿り着けなかった......ということがあったのです。

その時の結果としては、同じ古墳内での良き場所を「暫定的に」見つけ。
そこで言われた通りの祝詞と言葉と所作を捧げ。無事、目的であった
「僕が果たすべき分」
の呪(しゅ)の解除までは達成できたのですが、どーも......やっぱり、
完全とはなっていない空気を感じていました。
そのコトは、その時同行してくれていたポンチキ預言者
(神々の言葉を“預かる”という意味 ≠ 予言)
プリリンねーさんにも同様の話しをしていて、

「心残りがあるから、もう一回、神様が言っていた場所は探してみるよ。
今度。機会が出来た時に。必ず。また......」

と。そんな思いが残り続いていたのでした。
この時に僕が探せなかった「神々が言っていた場所」とは、
正確に記すとこんな場所です————————————————



「帝塚山には、フトダマが封じられているからな。
フトダマは、帝塚山古墳の石にいるよ。
行けばわかるよ。誰もいない所だからわかるはずだ。」

「夏まででいいので、スミで塗られたところに行ってほしい。
帝塚山古墳だ。帝塚山古墳に封じられているのは、フトダマだよ。」

「フトダマの神は、たまには出られるが、いつもは出られないのだよ。
だから、行ってくれよ。」

「なぜ、消されてしまったかわかるか?
人は正しい道を行くが、正しいと困る人が増えたからだよ。
人の欲望が、世界を滅ぼしていくのが、わからなくなってしまったな。
カラカラの国の神達が日本に来たのは、
まだわかる人がいると、わかっていたからだよ。
フルノコトの物部(もののべ)と、骨使いの忌部(いんべ)は、
藤原(ふじわら)に消されてしまったな。
セミ使いの蝉丸は、安倍晴明に消されてしまった。
消されるとは、伝達出来ないようにすることだな。
セミ使いのことは、今はほとんど知らないだろう。
骨使いのことは、知らないだろうが、まだ残っているな。
“ふるべの鈴” も、わかってくれたからのことだと思うよ。」



——————————————僕は以前大阪に住んでいたので、
帝塚山古墳のことはすぐに分かりました。
でも「石」ということがよく分からず。
確か、古墳は普段は閉められていて入ることはできないはずで、
入るには許可を取らないといけない。
でも、神様の言葉からすると、
そんな事が必要な場所だ......というニュアンスは無く。
そこで、古墳に関してのデータをネットなどで調べてみると、どーも、
今ある帝塚山古墳というのは二つあったモノのうちの一つで、しかも小さい方。
もう一つの大きい方の古墳というのは、
現在は中学校になっている......とのことでした。
この時、僕は、
「石はこの中学校の方にあるのだろうな......」
と確信もして。あとは、その場に行けばいつもの霊感が働き、
だいたい探し出せたりしちゃうので、この時も、
「とにかく行けばいいかな、、、」
と。そんな風に思っていました。



そして、ココが大失敗のポイントで......



僕は、その元古墳であった中学校を、ただ単に「中学」として、
学校の正式名称までは記憶させていなかったのです。
何故ならば、
同じ狭い地区に中学が二つあるなんてことはあまり無いだろうと、
きっと帝塚山駅の近くにある中学なんだろうと、
ただ漠然とそんなんふうに思ってしまったのでした。
それが、後々心残りを生むことになってしまったのです。



当日、プリリンねーさんと共に行ってみると、
帝塚山駅の改札から出た僕らの目前には、
何やら高い塀に囲まれた高級そうな!?学校があり。

「ああ、ここか。ほんとだ。本当にあった。
相変わらず神様も、その言葉を預かるねーさんも、正確だなぁ......」

と毎度毎度の感心をしてしまいました。
学校の門のところにある表札を見たら
「帝塚山学院中学校」「帝塚山学院高等学校」
なんて書いてもあるので、

「ああ、ホントに中学校じゃん......スゲーなー......」

と。そんな感じで。
この時はこの中学の何処かに神々が言っている石があるのであろう、と。
すっかり、そう思い込んでしまったのです。
この思い込みというのがまた失敗で......

訪れたその中学はその日、入学テストをしていて、
関係者以外立入禁止となっていました。
でも、門の受付に学校の職員と思われる方がいらっしゃったので、
全体の雰囲気から「私立」の学校と踏んだ僕とねーさんは、

「この学校に興味があって、見学に来たんですが......
このオネーサンの甥っ子を今度入学させようかなんて、ええ。ええ。
見させていただけたら嬉しいなぁ、なんて。ええ。ええ。
どっすかね!?ええ!?」

なんて言って、
試験中なので校舎内に入らないのであれば、、、という条件で、見事!
中に潜り込む事に成功。
僕らはそにままグラウンドを何食わぬ顔で歩き回り、
問題の石を探してみたのです。結果、
新しく綺麗なこの中学校にそれらしき「石」などは全く見当たらず......



「あれ......神様......いや、俺?ねーさん?
今回は......外しちゃったかな!?.......」

と。僕はそんなふうに思ったのでした。
しかし、せっかく大阪、しかも南の帝塚山まで来たわけですし、
僕とねーさんはもう一度、神様にその場で言葉を頂き、
それで、現在の帝塚山古墳でも全然問題はないから、と、
改めてそんな言葉をもらって。
それで古墳の隅にある小さな駐車場の、これまた片隅で、
言われていた諸事を無事にこなすことが出来たのでした。



その時は、古墳の木々に沢山の鳥達が集まってきて、大合唱に囲まれて。
祝詞の時は強烈な風の渦が天から降りても来て。
天の雲も割れ、陽射しも差し込み。
いつも体感している神の気配も濃密になったので......
きっと、これで良かったのだろう......と。
神様からもお礼の言葉ももらいましたし。これでいいか、と。
この日は一旦、帝塚山から去ることにしたのでした。



—————————で。



—————————心残りなのです。



確かに、その後のフトダマさん(太玉神、布刀玉神)の動きを見たり、
感じたりするに、その自在性はちゃんと増してはいて。
しかし、実はこれまで、僕に関しては神様の言葉と実際にあるモノ
との違いがあった様なことは一度もなかったのです。
それで自分の感覚を信じているようなところもあって。
特にプリリンねーさんの預かる言葉の正確性に関しては誰よりも!?
僕が知っていて。
その両方の感覚が一致したコトで実際のモノと違っている......なんて、
そんなことはこれまで一度もなかったのです。



—————————それで、余計、心残りだったのです。



—————————何故?石がないのだ?



—————————あの時の神様の感じは.......



—————————向こうから古墳内を動いて来てくれた感じだった。



—————————俺が、何かを間違っていたのかもしれない.......



—————————もう一度、だ。もう一度、探しに行ってみよう.......



この時から、僕は次の良き機会を探り、待っていました。



「神様......フトダマの神様は、無事自由になったのだろう。
でも多分、完全ではない。
僕は僕の役割を完全果たせてはいない。
きっと、眷属のみんなや、その周りの神々はまだ、少し、
あの地に残っているはずだ。
自分達の感性にこれまで通りの正確性がチャントあるのであれば、
自分の感覚をマダ信じられるのであれば、
きっと石は......何処かにあるはずだ......」



そんな思いと感覚が僕には強くあって。



故に心残りなのでした。



「ま、この感覚が正しく、必要もあれば、また行くことになるんだろうな」



と、そんなことを思いつつ。
それから半年が経ち。つい先日。
ナニゲにソノ日が訪れたのでした。



それは久々に、大阪、南の方での仕事が入って来て、
その日の午後が夜の食事会までポッカリ......と、予定が空いたのでした。
それでその空き時間を利用して僕は、
帝塚山の中学校をもう一度目指してみることにしました。今度は、
「元々は古墳であった......」
というその中学校の名前をシッカリとリサーチして記憶に刻みました。
面白いことに、その学校は、ヤッパリ、
以前ねーさんと訪れた学校とは違いました。



大間違い。(´-ω-`;)ゞポリポリ



そしてその学校の名前は.......



「大阪市立 住吉中学校」



今回は必ず!!



石を探し出してみせる!(`_´)/



と。そんな感じで。
仕事を切り上げた僕は一路、
風情ある路面電車で中学校へと向かったのでした......
続く!( ̄^ ̄)ゞ



今回の話はタイトル通り「8を巡る旅 5」から続く話となります。
天太玉命(あめのふとだまのみこと)とは、
忌部氏(いんべし)の祖先ともされる神で。
この国の農業や産業、また、
祭祀をも司る偉大な神と神話(記紀)には書かれています。有名な
天岩戸神話=あまのいわとしんわ
にも重要な役割で登場するような神様。

太陽神天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩戸に隠れてしまい、
世界が光を失った時に、
アマテラスを外に出す策略がこれでいいのか?間違いなのか?
を占った神様。

アメノウズメが踊り、騒ぎ、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせた時、
その目前に鏡を差し出し、アマテラスを驚かせ。
この世界に再び引っ張り出すことに一役買った神様でもあります。

天皇家の始祖神である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
がこの地上世界に降りた際には、

随伴する偉大な神々の一柱であったとも記されています。

「日本書紀」においてはアマテラスを祀る神殿(伊勢神宮)
の守護神になるよう命じられた......とも書かれています。



そんな、かくも偉大な神様の本拠地というのは本当はどこだったのか?

なぜ封印されたのか?

誰が封印したのか?

ニニギに随伴した神様という話は果たして本当なのか?



そんな、神話にもネットにも明瞭に書かれていない!?
ような話に繋がっていくのが今回のお話でもあります。
この国の創成に関わる話の「一つ」と言えるモノかもしれません。
興味ない人にはひたすら退屈な話かもしれません(´・ω・`)

そして「8」という数字は「四方八方」「全方位」であり、
転じて「全能」をも表し。
「縁起がいい」ともされ。
故に神の数字ともされ。
しかし、ソレを逆に転じさせさえすれば
「八方塞がり」の強力無比な罠とも出来て。
「縁起が悪い」とも言えて。
「8」という数字をナゾってみれば、
延々とループを繰り返す「無限地獄」だとも気付くハズで。
無限大の記号「∞」とも同じ形だとも、
メビウスの輪と同じ形だとも解るはずで。
ソレは同様の性質を持つ「0=ゼロ」を更に捻った形であって。その形は、
何処かにハサミを入れさえすれば「1」ともなるであろうことも解るハズで。
そんなことがココで記して来た「8」を巡るお話し。

「8」を巡る旅。

僕が見る「8」の姿。

不思議世界における「封印の呪(しゅ)」の話し。

記事中のテキストリンク記事や以下のものは、
今回の話に繋がる過去記事となります。
纏めて置いておきます(^^)

8を巡る旅
8を巡る旅 2
8を巡る旅 3
8を巡る旅 4
8を巡る旅 5


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ワイキキ徒然

2017-08-02 00:13:05 | 美味い...パワスポ寺社
「ワイキキでノンビリするんですけど、
この近くで良い所あったら教えてくだされ!」

って。
そんなメールを幾つか立て続けにいただいて。


「コリわ何かあるのか!?ん?」

なんて、そこまでは思いませんが。
せっかくなのでハワイ州、オアフ島、
ワイキキビーチ周辺の個人的に気になる!?
スポットをチョイと記しておこうかと。
ええ。ええ。
今まさに、ワイキキでトロピカルなドリンクを
プールサイドで飲もうかという、
羨ましすぐる休日をお過ごしあそばせてる
某出版社編集部の「NK」さんにもお伝えした話しと共に、
この記事を残しておきまするので。
何卒。ええ。ええ。
良い休日を。で。
コチラからは
「ウラヤマスィ・ゾ・コノ・ヤロー・エネルギー」
を送っときますけん。( ̄▽ ̄)ええ。



まね。
ワイキキって、もう、この地全体が聖地みたいなもので。
きっと。
背後の山々やダイアモンドヘッドから流れ来る力も含め、いわゆる?
パワースポット的な場所なんでしょうけど。
とにかく癒しの力が凄いゆえに、
世界中から人々を惹きつけてやまないのであろうと。

今すぐ飛んでいきてー。。っす。

うらやますぃー。。っす。

で、そんなワイキキ・ビーチに行くと、
僕はひっそりと、先ずはココにご挨拶に行きます。
「魔法の石=Wizard Stones」



本当にひっそりと。
人目につかないように。
なぜなら、人目につきすぎる場所だから!( ̄^ ̄)ゞ
故にヒッソリと。ええ。隣の交番にしょっ引かれない様に。ええ。
お花とお水をお持ちするのがバッチリです。ええ。
この石は元々、
ワイキキビーチで癒やしの術を施していた四人の賢者さんが運んだ石......
と言われているらしく。
今もこの地をしっかりと、厳しく、見守っておられる感じです。
四人は偉大な祈祷師(カフナ)でもあったということで、
別名「四賢者の石」とも言われているようでやんス。
なので、個人的にはここに挨拶をして、やっと、
ワイキキの皆さんに受け入れてもらえる様な気がしたりもするのでやんす。
何かとトラブルから身を護ってもらえたりする感じとか。ええ。

で、ココに行った後は、
気持ち良いビーチをモアナ・サーフライダー方面に向かって
お尻プリプリで歩いて行くのでやんす。
すると、モアナを超えて、超えて、
最後にシェラトン・ホテルを超えて行くと......



シーサイドウォークがだんだんと細くなって行って、
その狭い道を抜けると、ポン!と、とてもこじんまりとした

「3LDKのマンションぐらいじゃね!?」

みたいなチビっとビーチに出くわします。
ビーチの名前は「カヴェヘヴェヘ(Kawehewehe)」
僕さんがワイキキで一番好きな所なのです。







本当に小さいのですが、実はここ、
ワイキキビーチ(Waikiki)で真水が湧き出る貴重な地。
ビーチ背後の山々に染み込んだ水さんが地下水脈を通って、
この辺り一帯から海へと流れ出るのでございます。
なので、このビーチの辺りから海に入ると、
誰でも必ず水温の違いに気がつくはずです。
他の場所と違って明らかに冷たい。
冷え冷えとした海水。
この海に体を浸すと色んな意味で洗われちゃいます。(^ν^)
海の色も周りの海とは明らかに違っていて、
ちょっと淡いライトブルーな感じ。
周囲のコバルトブルーとライトブルーの青とが
入り交じるようになって見えています。



この真水が湧くポイントの上には現在、
ハレクラニ(Halekulani)というホテルが建っていて、
このホテルはいわば、
ワイキキの聖地の上に立つホテル......と言った感じでしょうか。
ココに泊まる人はマサニ!?聖地にお泊りするような感じで。
とても幸運で、ぜーたくで、うらやますぃ。(^^)

このホテルは元々、ルバート・ワイズさんという材木商の方が、
この地に木造の大きなビーチハウスを建てて住み出したのが最初らしく。
気のいい彼はこの家を地元の漁師さん達にも快く、
自由に使ってもらっていたそうで。
そうするうちに、地元ハワイアンの皆さんから
「ハレクラニ」という名で親しまれ、呼ばれ出したのだそうです。

ハレクラニとはハワイの言葉で「天国にふさわしい館」という意味。
マサニ!?偶然にも!?
この地を表すのにふさわしい名前であるようにも思えます。
真水の湧く地の貴重さを知ってか知らずか、
ワイズさんという方はホントに
「ワイズ=賢人」な方であったであろうことも想像できちゃう
お話ではあります。
今は日本の三井不動産が持っているらしいのですけど......ね......





総じて、ワイキキというのは「賢者のビーチ」、
もしくは「癒やしのビーチ」とでも言うべき場所なのでしょうか。
このビーチではこの二箇所に感謝の挨拶をしておくと、まぁ、
元気に過ごせるのではないかと思いまする(^^)



ワイキキ周辺では、
ちょっと足を伸ばせばダイアモンドヘッドやココヘッド、
ハナウマベイ、出雲大社にマカプウ・ヘイアウ......など、
他にもパワスポ的な場所は沢山ありますが。
歴史的にも、意味合い的にも、
ヘイアウは「人によっては」あまり近づかないほうが良いかもしれません。
ワイキキの近くといえば、
あとはマノアの滝(Manoa Falls)でしょうか。







滝下は勿論ですが、
下の写真のトレイルの途中にある橋の真ん中というのが......
この一帯の森のすこぶる良い気がフワッと、通り抜けてきます。
なにやら体がとても軽くなって、綺麗にもなる様なポイントです。
とても好きなポイントっす。



ワイキキから滝に向かう途中、
モーニング・グラス・コーヒー(Morning Grass Coffee)
というお店があって。
最近、大阪?にも上陸したらしいのですけど。
ここの珈琲はとても美味しいっす。
車に持ち込んでいっぱいヒッカケながら滝に向かう感じが
なんだか落ち着くのでする。



それと......
ワイキキの街の後ろの山をブブーーン♪と車で超えちゃえば、
あっという間にまた別のビーチに。
最早、言わずと知れた
「カイルア ビーチ(Kailua Beach)」
ココもワイキキからほど近い、
とびきりの「癒し力」を持つビーチだと思います。



心地よさではオアフ島でも一番のビーチだとも思いまする。
個人的には。
以前も「強く強く」という記事でコニャ(奥さん)の写真を載せてましたが、
僕さんはここの椅子が特に大好きで......
ココにいいるとついつい時間が立つのを忘れてしまうのでやんす。



チョット歩けば「ラニカイ ビーチ(Lanikai Beach)」も。





ビーチには近くのカイルア・マーケットで
「ブーツ&キモズ(Boots&Kimo's)」
のパンケーキを買っていくか、





ビックリしちゃう
「ホール・フーズ・マーケット(Whole Foods Market)」
のナッツバー!で、
好きなナッツを思う存分詰め合わせて持って行くか、









「モケズ(Moke's)」でちょいと食事して行くか。(^^)







......おまけ。
ワイキキからノースショアに向かう道の途中。
島のど真ん中。そこに
「クカニロコ・バースストーン(Kukaniloko)」
という場所があります。
ここも最早メジャーになっているようですが......でも、
コチラに関してはナカナカ、というか、
オアフ島においては最高に貴重な聖地ではないかと感じられます。



元々は王家の出産場であって、
男性はあまり立ち入らないようなトコロ。
ここに行った後お子様を授かった女子たちも
幾人か存じ上げていたりもします。



茶色の土が靴にこびりつくので、お気にい入りの靴とか、
ヒール系とかは避けた方が良いかとも。
一度一緒に行った女の子さんずから

「靴の汚れが落ちないじゃーんん!!
どーしてくれんのよー!プンプン!」

なんて、こっぴどく怒られたことがあるのでヤンス。
ええ。ええ。
女子わコワイのでやんす。。(; ̄ー ̄A ...


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