——————最後にもう一話だけ、平成最後の記事へと続きます。
それはこれまで幾度か記して来た大好きな5月の話でもあって、
令和の話ともなるのでしょうか。
この記事は「織部な唐津の酒呑童子」の「9」としていたのですが、
記しているうちに、これは五月の話でもあるのかな、と。
そんなふうに感じられたのでタイトルも変えてみました。
関連記事をまとめると以下の通りです。
☆「5月」関連の過去記事☆
「5月の海」
「5月の香り」
☆「織部な唐津の酒呑童子」シリーズ過去記事☆
「1」「2」「3」「4」「5」「6」「7」「8」
続きとなるお話の方は、
ここまで記してきたように、
酒呑童子でもあった唐津の神は上杉謙信であった時も含め、
人として生きていた時は何かと戦いの多い生を送っていたようです。
そんな神様が、僕が黒織部の沓形茶碗を手にしたときに
「西尾の抹茶がいいぞ」
と言うのです。
......少し、考えてみると......茶の道を切り開き、磨き、
作ってもきた人は利休さんをはじめ多くの茶人であろうと思われますが、
その広がりと発展に大きく関与した人となると、
多くの武人達ではなかったか?
とも思うのです。
一番有名なところでは、利休さんを引き立て、
生涯後ろ盾ともなっていた織田信長がそうですし、
空前絶後の規模と言われる茶会を開いていた人物も、
その織田信長を継いだ豊臣秀吉で。
伊達政宗も上杉謙信も多くの武将たちも、
とにかく茶を愛していたと伝わっています。
なぜか?
きっと、
戦さで殺気立った心身を落ち着かせるために、
和らげるために、
そんなことに効果があったのが「茶の湯」だったのではないかと、
そう思えるのです。
今に残る記録などを見ても、
武人たちの多くは戦場にお気に入りの茶碗を
持参して行ったりもしていたようで、
時に戦(いくさ)のお守りともしていたようです。
そして、そんな効能は現代でも同じなのではないかとも思えます。
仕事の合間の一杯。
遊びの合間の一杯。
人とリラックスして語らう時の一杯。
そんなお茶というものが、
コーヒーや紅茶というものが、
いかに人の心を落ち着かせてくれるものなのか。
そんな部分を武人は愛したのではないか?と、
僕はそう思うのです。
コーヒー好きの僕が「黒織部の沓形」の茶碗を手にしようと思ったのも、
そんなことに対する好奇心もありました。
そして、イザ、見よう見まねで抹茶を立ててみると、
その味はやはり心落ち着くものであって。
どことなく静かな心持ちにもなれて。
癒されもしたりして。
気がついたのは、
それは僕の好きな五月の感触に似ているということ。
春先の荒れた空模様も散り去った桜の花々と一緒に一段落がついていて。
暑くも寒くもなく。
湿気も少ない空気に満ちていて。
そこ此処に夏に向かう希望とキラキラさとが満ちていて。
海も山も川も、どことなくホッとした穏やかな表情をたたえていて。
それがあまりに優しい感じなので、
心の「隙」も安心して見せられて。
聞いて欲しいあんなことやこんなことも......
誰かに打ち明けることもしやすくなって。
そんな五月には、
今年は、
新しい「令和」の時代が始まります。
カラツの神の胸の刻印から以降に激しくなったとり急ぎの神用も、
なんとなく一つのポイントにまで来れたのか......と。
故あって急いていた神々へのお手伝いも、
なんとか、
ここまではやりきれたのか、と。
その、一旦のお疲れさまのシルシとして
「黒織部の沓形」なのであろうか?と。
そんな茶碗で飲む「西尾の抹茶」は、
僕にはどこか五月の香りと味がするのです。
それは過去記事でも書いていた通りの味で。
純粋で透明な味と香り。
僕の大好きな、色の無い、五月の味と香り。
そんな五月の直前。
桜が満開に咲き誇っている頃。
新しい茶碗で飲む抹茶と満開の桜にあいそうな
「練り切り(ねりきり)」
なる生和菓子をつい買ってしまったのですが......
......それはツカヘイさんが強引に勧めて来たもので。
その「練りきり」を、
コニャ(奥さん)と一緒に
家の側を流れる多摩川の土手に茶立て道具と共に持っていき......
僕にとっては妙に心地よい時間ともなって......
こんな「黒織部の沓形茶碗」を最初に目にした東京、根津美術館では、
今度は「酒呑童子展!」が開かれることとなったようで......
そのタイミングにはまたまた驚かされつつ、
唐津の神からの招待も受けていたということもあり、
ねーさんと一緒にパトロールに......
そんなこんなの諸々の出来事の後、もう一つ、
神様からの強烈なのガイドを受けて
導かれてしまった場所というのがあって......
それがここ、東京、九段下にある築土神社(つくどじんじゃ)。
あの首塚や神田明神とともに平将門さんを祀っている
重々しくも由緒のある神社。
戦火で消失するまで将門さんの首桶が安置されていたのは、
実のところコチラの神社さんで。
桜が満開の週にナント!3度も!
通うこととなってしまったのです......
将門さんの好きな久保田の「萬寿」を持っていって。
「あれば嬉しい」
と言っていたおつまみも添えて。
境内で少しだけ、一緒に酌み交わし......
そのすぐ横には「世継稲荷」なんていう社(やしろ)が......
そうか......世継ぎ......か......
陛下が元気なうちに皇位を譲位されるというのは、
崩御とは違い皆が暗くなる様なこともなく、
どこか明るく、希望に満ちた雰囲気があって。
「陛下は本当に英断をされたのだなぁ......」
と、深い敬意を抱いたり。
そして萬寿という歴史ある名酒には
箱を開けると小さなシートが封入されていて。
そこにはこんなことが書かれています......
世の中は平成から「令和」へと継がれていくようです。
僕の感じる令和の響はどことなくクールでエレガント。
エレガントとは?
僕の中では「理知と良識を基とした美」という感じでもあって。
そんな美意識が大きくなっていく世となっていくのでしょうか。
そして、令和の「令」は、
僕にはどこか「霊」という文字にも見えてしまい。
霊の如く目に見えない領域での「和」とは、
それは嘘のない心からの和ということになるはずなのですが......
全ての人の霊性が磨かれ、発露もされ。
ようやく現実と見えない世界とが完全一致をしていき。
それは霊現一致のリセットであるのでしょうか。
「令」にはリセットという意味での「零=れい=ゼロ」という言葉も
含まれているのでしょうか。
すると、そっち系?
で大きな利得を得ていた様な人は?
かなりの罪を問われそうでもあり。
その罪は、
実はどんな犯罪よりも重いものであったのだということも......
思い知らされもするようで......
数ある宗教にしても......そういうものかも?しれません......
そんな時代を前にして、
とても強く、上位の神でもあるハズの「カラツの神」は、
しかし、
こんなことを言っていました。
「今日も頑張ります」
もうすぐ、
僕の大好きな五月が始まります。
それはこれまで幾度か記して来た大好きな5月の話でもあって、
令和の話ともなるのでしょうか。
この記事は「織部な唐津の酒呑童子」の「9」としていたのですが、
記しているうちに、これは五月の話でもあるのかな、と。
そんなふうに感じられたのでタイトルも変えてみました。
関連記事をまとめると以下の通りです。
☆「5月」関連の過去記事☆
「5月の海」
「5月の香り」
☆「織部な唐津の酒呑童子」シリーズ過去記事☆
「1」「2」「3」「4」「5」「6」「7」「8」
続きとなるお話の方は、
ここまで記してきたように、
酒呑童子でもあった唐津の神は上杉謙信であった時も含め、
人として生きていた時は何かと戦いの多い生を送っていたようです。
そんな神様が、僕が黒織部の沓形茶碗を手にしたときに
「西尾の抹茶がいいぞ」
と言うのです。
......少し、考えてみると......茶の道を切り開き、磨き、
作ってもきた人は利休さんをはじめ多くの茶人であろうと思われますが、
その広がりと発展に大きく関与した人となると、
多くの武人達ではなかったか?
とも思うのです。
一番有名なところでは、利休さんを引き立て、
生涯後ろ盾ともなっていた織田信長がそうですし、
空前絶後の規模と言われる茶会を開いていた人物も、
その織田信長を継いだ豊臣秀吉で。
伊達政宗も上杉謙信も多くの武将たちも、
とにかく茶を愛していたと伝わっています。
なぜか?
きっと、
戦さで殺気立った心身を落ち着かせるために、
和らげるために、
そんなことに効果があったのが「茶の湯」だったのではないかと、
そう思えるのです。
今に残る記録などを見ても、
武人たちの多くは戦場にお気に入りの茶碗を
持参して行ったりもしていたようで、
時に戦(いくさ)のお守りともしていたようです。
そして、そんな効能は現代でも同じなのではないかとも思えます。
仕事の合間の一杯。
遊びの合間の一杯。
人とリラックスして語らう時の一杯。
そんなお茶というものが、
コーヒーや紅茶というものが、
いかに人の心を落ち着かせてくれるものなのか。
そんな部分を武人は愛したのではないか?と、
僕はそう思うのです。
コーヒー好きの僕が「黒織部の沓形」の茶碗を手にしようと思ったのも、
そんなことに対する好奇心もありました。
そして、イザ、見よう見まねで抹茶を立ててみると、
その味はやはり心落ち着くものであって。
どことなく静かな心持ちにもなれて。
癒されもしたりして。
気がついたのは、
それは僕の好きな五月の感触に似ているということ。
春先の荒れた空模様も散り去った桜の花々と一緒に一段落がついていて。
暑くも寒くもなく。
湿気も少ない空気に満ちていて。
そこ此処に夏に向かう希望とキラキラさとが満ちていて。
海も山も川も、どことなくホッとした穏やかな表情をたたえていて。
それがあまりに優しい感じなので、
心の「隙」も安心して見せられて。
聞いて欲しいあんなことやこんなことも......
誰かに打ち明けることもしやすくなって。
そんな五月には、
今年は、
新しい「令和」の時代が始まります。
カラツの神の胸の刻印から以降に激しくなったとり急ぎの神用も、
なんとなく一つのポイントにまで来れたのか......と。
故あって急いていた神々へのお手伝いも、
なんとか、
ここまではやりきれたのか、と。
その、一旦のお疲れさまのシルシとして
「黒織部の沓形」なのであろうか?と。
そんな茶碗で飲む「西尾の抹茶」は、
僕にはどこか五月の香りと味がするのです。
それは過去記事でも書いていた通りの味で。
純粋で透明な味と香り。
僕の大好きな、色の無い、五月の味と香り。
そんな五月の直前。
桜が満開に咲き誇っている頃。
新しい茶碗で飲む抹茶と満開の桜にあいそうな
「練り切り(ねりきり)」
なる生和菓子をつい買ってしまったのですが......
......それはツカヘイさんが強引に勧めて来たもので。
その「練りきり」を、
コニャ(奥さん)と一緒に
家の側を流れる多摩川の土手に茶立て道具と共に持っていき......
僕にとっては妙に心地よい時間ともなって......
こんな「黒織部の沓形茶碗」を最初に目にした東京、根津美術館では、
今度は「酒呑童子展!」が開かれることとなったようで......
そのタイミングにはまたまた驚かされつつ、
唐津の神からの招待も受けていたということもあり、
ねーさんと一緒にパトロールに......
そんなこんなの諸々の出来事の後、もう一つ、
神様からの強烈なのガイドを受けて
導かれてしまった場所というのがあって......
それがここ、東京、九段下にある築土神社(つくどじんじゃ)。
あの首塚や神田明神とともに平将門さんを祀っている
重々しくも由緒のある神社。
戦火で消失するまで将門さんの首桶が安置されていたのは、
実のところコチラの神社さんで。
桜が満開の週にナント!3度も!
通うこととなってしまったのです......
将門さんの好きな久保田の「萬寿」を持っていって。
「あれば嬉しい」
と言っていたおつまみも添えて。
境内で少しだけ、一緒に酌み交わし......
そのすぐ横には「世継稲荷」なんていう社(やしろ)が......
そうか......世継ぎ......か......
陛下が元気なうちに皇位を譲位されるというのは、
崩御とは違い皆が暗くなる様なこともなく、
どこか明るく、希望に満ちた雰囲気があって。
「陛下は本当に英断をされたのだなぁ......」
と、深い敬意を抱いたり。
そして萬寿という歴史ある名酒には
箱を開けると小さなシートが封入されていて。
そこにはこんなことが書かれています......
世の中は平成から「令和」へと継がれていくようです。
僕の感じる令和の響はどことなくクールでエレガント。
エレガントとは?
僕の中では「理知と良識を基とした美」という感じでもあって。
そんな美意識が大きくなっていく世となっていくのでしょうか。
そして、令和の「令」は、
僕にはどこか「霊」という文字にも見えてしまい。
霊の如く目に見えない領域での「和」とは、
それは嘘のない心からの和ということになるはずなのですが......
全ての人の霊性が磨かれ、発露もされ。
ようやく現実と見えない世界とが完全一致をしていき。
それは霊現一致のリセットであるのでしょうか。
「令」にはリセットという意味での「零=れい=ゼロ」という言葉も
含まれているのでしょうか。
すると、そっち系?
で大きな利得を得ていた様な人は?
かなりの罪を問われそうでもあり。
その罪は、
実はどんな犯罪よりも重いものであったのだということも......
思い知らされもするようで......
数ある宗教にしても......そういうものかも?しれません......
そんな時代を前にして、
とても強く、上位の神でもあるハズの「カラツの神」は、
しかし、
こんなことを言っていました。
「今日も頑張ります」
もうすぐ、
僕の大好きな五月が始まります。