雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

五行

2019-08-28 00:13:28 | 面白い
ここ数年。
我が家の中や外で暮らす植物さん達がとてもスクスクとしていて。
やたらと元気。
特に、夏がちゃんと暑くて、雨もしっかり降ってくれていると、
どこか喜んでいるようでもあって。
そんな元気な植物さん達の姿を見るのはいつもとても嬉しく、
お部屋や土地の「気」のバロメーター的なものであったりもして。

そして、

どーも、

感じる!?

に、

植物さんと石さんはとても相性が良い様でして。
なぜでしょう?か。
植物さんの傍に気の合う?石さんがあるのと無いのとでは、
その元気さもかなり違ってくるように思えるのです。
そしてまた、石さんの方にしてもそんな感じで。
よく「庭石」なんてものがあったりもしますけど。
草木の多い庭に石を置く理由も、実は?
視覚的な美しさを追求するというためだけでなく、
庭にいる植物さん達のためでもあるのではないのか?なんて。
庭師さんとか鋭い昔の人はそんな相性も見抜いていたのでは?
なんて思ったりする時もあります。
力のある地や山などに踏み入ったり、
凄い神社さんなどに行ってみても、
木と石が一つになっている神々しい姿をよく見かけたりもしますし。
それは、時に御神体的に扱われていたり......







聖なる山、位山(くらいやま)なんて、
山中は上のような木と岩だらけで。
有名な岩手県、盛岡市の石割桜さんとかも......





同じ岩手の丹内山神社(たんないさんじんじゃ)の御神体「丹内石」も。



日本三奇。
兵庫県、生石神社(おうこしじんじゃ)の「石の宝殿」とか。



和歌山県、熊野の玉置神社さんの聖地。
霊石三ツ石神祠(れいせきみついししんし)。



東京、北千住の千住神社さんなんかカワユイし。



富士山は神秘的。



ハワイ島の岩の祭壇に花はよくあいますし♪( ´▽`)ブーゲンビリアー☆
KIKOさんショット。



キリがないっすけど。
なので、我が家の植物さん達の傍には必ずお友達!として、
気の合いそうな石さんたちを置いてあったりするのです。
あくまで然りげ無く、ですが。ええ。(^ν^)

世には「五行」という東洋思想があって。
それは風水陰陽道の思想にも組み込まれていて。
基本は「木」→「火」→「土」→「金」→「水」(もくかどごんすい)
という相生(そうせい=互いに利する。活きる)の循環を説いています。

草木は火の燃料であり、火を生むもの。
火として燃えたモノモノは灰となり、土に帰り。
土はやがて固まり、岩や鉱物、金属ともなって。
岩や鉱物についた湿気や水蒸気は滴る水を生み。
その水は植物や木々を育んでいく。
そんなサイクルは様々なものを生み出す正しくも美しいものなのだ、と。
そんな思想。

しかし、五つのエレメントを五角形に並べた時に、
それぞれの対角線にあるエレメントに対しては
マイナスに作用するものともなる、と。
それは「相剋(そうこく)」と呼ばれるもので......
wikipediaさんからわかりやすい図なんかを拝借しますと......



この思想に沿って考えてみると、実は、
「石=金」は木を克(こく)する、損なう、
悪い相性なのではないか、と。
wikiにあるその「相剋」の説明によれば......



==============================
相手を打ち滅ぼして行く陰の関係。

木剋土(もくこくど)
木は根を地中に張って土を締め付け、
養分を吸い取って土地を痩せさせる。

土剋水(どこくすい)
土は水を濁す。また、土は水を吸い取り、
常にあふれようとする水を堤防や土塁等でせき止める。

水剋火(すいこくか)
水は火を消し止める。

火剋金(かこくごん)
火は金属を熔かす。

金剋木(ごんこくもく)
金属製の斧や鋸は木を傷つけ、切り倒す。
==============================



ふーーーーん。。。

そーですか。。

木剋土とか、土剋水とか、火剋金とかは......

ちょっとアヤシイ感じですけど......

僕さんの場合、五行における相剋(そうこく)は、

単純に「相生」の逆サイクルなだけだと思いまちゅが。ええ。



==============================
雲完的相剋。
打ち滅ぼすわけではないが、違う形へと変容させる関係。

木剋水(もっこくすい )
木は根を地中に張って水を吸い上げ、土地の水分を枯れさせる。

水剋金(すいこくごん)
水は溢れ、流れ、岩々や岩盤を削り、押し流す。
氷河の削る地形もそう。
時に巨大な岩石や強固な組石までも押し流す土石流などにもなる。

金剋土(ごんこくど)
鉱物や金属や岩は土を押さえつけ、削り、掘り返す、
そんな道具ともなる。
また、土は固まると、時に岩そのものともなる。

土剋火(どこくか)
水では消えないような猛火でも、土をかけると消える。

火剋木(かこくもく)
火は木々を焼き払う。
==============================



と、こんな感じでしょうか。
相生的な解釈から切り込んでも、石は水を生むので、
木々や植物さん達にとっては良い友達となるのではないか?なんて。
土のファクターを考慮しても、
全て「水」を挟むとバランスが整うように思えます。ええ。
僕さん、なんでもそのまま信じませんしねー ψ(`∇´)ψ キキキ...

悪いやつ!

なのでちゅ。( ̄+ー ̄)

通常的相剋論を元に

「風水占いでちゅー♪五行的に良くないでちゅよー。それぇぇ。。」

なんて出された答えにそのまま従っちゃりなんかしちゃうと.....



あーーーー!



こわ!?



でも「相生」のサイクルは完璧すぎるくらい美しい思想だと。

完全ではないですけど、そう思います。(他の行もある気が......)

そして、そうであればあるほど逆が対となっているハズであり、

そんな対称性的要素が美しさを裏支えしているのではないかとも思うのです。

ま、とにかくも。

石さんと植物さんの相性はとても良い様なのです。

互いのお話し相手としても近くにいると良いのでは?なんて。

とても個人的なお話ですが。はい。(^^)







特に、というか、
これはまったくもって信じてもらえない話なのでしょうけど、
神棚に置いておく榊(さかき)さんなどは
毎日水を変えているとはいえ、
半年ぐらいはまったく枯れることがなく。
ほぼ一年間変えなかったこともあったりして。

「は、花!?咲くわけ?榊が?室内で?」

とか、

「さすがにヘロッてる感じだから、枯れてないけど......
そろそろ変えよーかなー、、、」

なんて、そんな感じで榊を変える時などは、正直、
かなり驚いていたりもしちゃいます。
そして、そんな神棚にも強力な!?
石さんが二つほど置いてあって。
それぞれ左右の榊さんと仲良しにやってくれている様なのでちゅ。

ええ。ええ。

モチロン!

しんじなくてイイよぉ〜〜〜 ( ̄ー+ ̄)


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谷根千徒然

2019-08-24 00:04:23 | 面白い...パワスポ寺社
「根津神社って行ったことありますか?」



というラインが、
しばらく前にポンチキーズのみゆきちゃんから入ってきて。



「325回ぐらい行ってるかな。
スサノオさんが降りるとこよ」



と返すと。



「325回ですか!」



と、真っ直ぐなお返事が......



「あ......も、もちろん、その回数わ、う、ウソ、、でちゅけど......」



と言える雰囲気はマッタク漂っておらず......
ラインの上には僕さんの汚れた大人の空気だけがプカプカと.......



「さ、さすが、ピュア一直線のみゆきちゃんやな.....
コリわジョーダンのセンスが問われるな......」



と、汚れた僕さんはラインを見ながらどう返すのか?
戸惑っていました。
すると、すかさず、



「この間、来てほしいって感じたんですけど、
すっかり忘れていて、
さっきテレビでまた根津神社とカキ氷が流れてきたのでラインしました!」



とのお言葉が。
そこで僕さん。
根津神社のおすすめスポットの写真をいくつか見繕って返信をしつつ、



「ここ一年行ってないなぁ。。
みゆきに来て欲しいのでわ?
チビ龍さんもいるよ。
かき氷は、ココ、だよ。
ブームになってからは行ってないけどね。
1時間並ぶぐらいになっているらしい」



と、昔よく通っていた大好きなかき氷専門店
秘蜜堂(ひみつどう)」さんのコトを記していた、
このブログの過去記事アドレスもコピペで送りました。
その時に、改めて記事の日付を見てみると、2012年となっていて。
まだこのブログを記し出した頃のもの。
他にも根津神社や近くのお散歩スポットなどを送ってあげようかと
過去記事を検索してみたのですが、
カヤバ珈琲」のこと以外は全く見当たらず......



「あら!?谷根千(やねせん)って、書いたことなかったのね。
根津神社も.......」



と、いうことで。
今回は「谷根千徒然」と相成ってしまったわけでございます。
はいー( ̄^ ̄)ゞ



谷根千(やねせん)とは東京の下町さんで。
谷中(やなか)、根津(ねず)、千駄木(せんだぎ)の頭文字を取った呼称。
エリア的には動物園や美術館や公園で有名な上野のすぐお隣となります。
いわゆる古き、良き、下町。
そんなエリアの中心地は、やっぱり!?の、根津神社さん。
勿論!?主祭神はスサノオ(素戔嗚、須佐男)さん(^^)
とにかくツツジの庭園で有名。
雰囲気ある神社さんです。







ズラリと並ぶ乙女稲荷(おとめいなり)さんの鳥居も、
今や東京を訪れる外国人さんに大人気の様で。





カンのある人には、一部、あまり心地良くないであろう!?
スポットもありますが、
まぁ、普通は気にしなくて大丈夫ではないかと。
ええ。
で、僕さんや幾人かのポンチキ友達に愛されてきた
マニアックポイントがこちら。
小さな龍さんが宿る桜の木。
境内向かって右にある社務所の前を出たところにポツン、と、
立ってます。





縦イチの写真はみゆきちゃんから送られて来たものですが、
特に女性に優しいんす。このチビ龍さん。なぜか。
大きな龍神さんになるために!?修行中みたいっすけど。
ええ。ええ。



ワケあって、僕らポンチキーズが必死に行こうとしていた羅臼&知床の旅。
その直前に、みゆきちゃんがスサノオさんに
「皆に渡してあげなさい......」
と言われて貰ってきてくれた、
この花御札(はなみふだ)なるものも、この根津神社さんのもの。
皆の旅の守護をしてくれました。
正式には月例花御札(つきなみはなみふだ)と言うらしく、
12か月、毎月違う札があるそうなのです。
全部揃えちゃう人もいるようなのですが、ヤベーっす。
本当に力あります。
鋭すぎてまいっちゃう〜ん☆の凄腕トレーナーのIちゃんは、
写真を見ただけで



「何か光の玉みたいなのに包まれてる感じがします。
凄いお札ですね」



と。
さすがスサノオさん。
サスガIちゃん。
流石みゆきちゃん。
お陰で羅臼も知床も無事に廻れましたし。
戻っても大切にさせてもらってますし。ええ。



個人的に根津神社の次に好きなスポットがこちら。
「夕やけだんだん」
谷中銀座というノスタルジー極まりない商店街の突き当たりにある、
ただの階段なんですけど。
名前が凄い。
場所のエナジーも心地よい。
なんだろ。ここ。すごく好き。
東京にビルが立ち並ぶ前はここから美しい夕日と富士山が見えたそうです。
それで名所だった、とも、今に伝わっているようです。

「もう一度、
ここから富士山が見える様になったら最高だろーなー、、、」

なんて。ここにいるといつも思っちゃうのでやんす。
何もないところっすけど。ええ。大好きっす。
そんな「だんだん」の前を通る谷中銀座といえば、こちら。
「肉のサトー」さんの「谷中メンチ」の食べ歩き☆
みゆきちゃんも寄ってくれた様で、
写真も送られて来まちた。(^ν^)



お隣には「肉のスズキ」さんもあるのですけど。
ええ。ええ。
ツカヘイさんの大好きなラムネも買って、
商店街をそぞろ歩いちゃったり。ええ。



あとは、例のかき氷屋さんを横目に見ながら、
住宅街の方へと歩いたところにある静かな一軒家カフェ。





「HAGISO(はぎそう)」カフェ。
ここからかなーり古いガラケー写真になっていっちゃいますけど、
根津神社鳥居手前ぐらいにある讃岐うどん屋さん。
「根の津」さん。
今も健在っす。美味いっす。



あとわ、
猫さんがプラプラそぞろってる根津銀座通り。



猫が沢山いるゾーンには昔よく行っていたカフェ
「猫町カフェ29」さんが......あったのですが、
今はもう無くなってしまったようで。
秘蜜堂さんがかき氷専門店のハシリだったのと同様に、
いわゆる「猫カフェ」における初期のお店だったのではないでしょうか。
肉球も今では「299」と表現される様になりましたし。
ええ。ええ。アチコチで。
でも店の横の「あかじ坂」という坂道は、
いつ行っても味のある坂道なのです。



こちらも今や名前が変わってしまったカフェ「藍い月」さん。



最初は根津に住んでいたアーティストさんに連れて行ってもらって、
それから気に入ってしまい、よく通っていたのですが、今は
「COUZT CAFE(コーツト・カフェ)」
という名前になっている様です。
この名物カレーも店内の柔らかい雰囲気も健在とのことで。(^^)



こちらは、銭湯を改造!した美術館
「SCAI THE BATHHOUSE(スカイザバスハウス)」。
こちらも健在。



よくドラマなどに登場する
「谷中のヒマラヤ杉」さんの三叉路スポット。
往年の「みかどパン店」さんも元気の様です。



名前は忘れたけど、よく行っていた、
ブランコのある庭からワンさんが寄ってくる、
ギャラリーと一緒になっている一軒家カフェ。



あとは......

あーーーーーーーーーーーーーー、、、、、

キリがない。

谷根千は深いっす。

「へび道」とかも含めて、とても一回では書ききれないっす。

また、いつか。ということで。ええ。ええ。

それまでに雲完ならではの!?

マニア向け情報をば、最後に......

谷根千の地というのは、
地下に東京の重要な水脈の一つが通っていると思われます。
特に根津神社の辺りはその水脈の中心で、
秩父辺りから荒川や隅田川を経て来た水が
伏流水として南北に走っている感じ。
この地下水脈の上には根津神社を始め、
上野の不忍池や東京大学の心字池。
湯島天満宮(湯島天神)から湯島の聖堂。
その先にはお茶の水、神田、皇居
中でも、湯島天神さんの境内裏手にある摂社「戸隠神社」の辺りなどは、
根津神社に次いで重要なスポットという感じ。
皇居から先は日比谷公園を通り、
烏森神社(からすもりじんじゃ)、日比谷神社、
浜離宮恩賜庭園(はまりきゅうおんしていえん)辺りで東京湾に流れ込む、
海に染み入る......という感じでしょうか。
この水脈は強力なエナジーの脈でもあり、
感覚的に辿ってみるだけで、
東京の街を下支えする大切な脈道であることが感じられます。
歴代のチカラある方々は、
数千年に渡りこの脈道を清浄に保つために様々な力を注いできました。

現在の人々は......

どうなのでしょうか。

偶然なのか?

汐留辺りには妖艶な企業の一団は見受けられますが......

「守」なのか、

「利」なのか......

根津神社というのは、
そんな東京の大切な地下水脈......「龍脈」の一つを守る、
とても重要な神社さんではないかと思われます。
そんな要所を強固に護るべく、
スサノオさんがいらっしゃるのではないかと。
僕にはそんなふうにも感じられるのです。はい。(^^)


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マイルストーン

2019-08-20 00:01:54 | 初めに、タイトルの話
このブログは2012年の7月14日から記し始めました。
あの、東日本大震災の後からです。
書き始めたのには幾つかの理由があったのですが、
その時からマイペースで、内容もグダグダのまま、
よくもまぁ続いているな、と、自分でも驚いていたりします。
ただ、サブタイトルにあることに関してはいつも大切に思っていて、
守り通せる様に頑張っているつもりではあります。

==========================
いつの日か、愛する誰かが
「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」
と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。
==========================

そんなブログの最初の記事は、
スタートの記事らしくブログタイトルの由来の話だったのですが、
それは「螢(ほたる)」という
13歳の少女詩人と僕とのエピソードが元となっているものでした。
以降、僕の覚えている彼女にまつわるエトセトラは、
このブログの一年毎の区切りと、
そのマイルストーン的な意味で記してきました。
それらの記事は、コメントなどにも残っているように、
初回記事から読んでくれている皆さんとの約束事でもあって。
それが今年は、
この「中断」や「やらかすよね。」という記事にある様なことに追われまくって、
必死にもなっていたのか?
足の痛みで思考がトンでいたのか?
あちこちを飛び回っているうちにスッカリと忘れてしまっていました。
そんな中、前回記事の「april」さんからのコメントや、
幾つかのメールなどでソレに気付くことが出来て......

本当に申し訳ありません。

遅ればせながら、
今回はそんなマイルストーン記事とさせていただきます。
以下はそんな過去記事をまとめたリンクとなりますが、
ご参考までに、なにとぞ。なにとぞ。



雲と螢
雲と螢 2
雲と螢 3
おちあがるように
平原の丘
少女の手
Klimt,Schiele,Hotaru
厳しいトコロだった
無駄な人数
みんな...



螢は当時、
神奈川県の八景島という場所のほど近くに両親と住んでいました。
そして、未成年だった彼女は、当然、
両親やマネージメントオフィスとの約束もあり、
帰りが遅くなったりする時は僕が責任をもって自宅までお送りする......
ということで色々な仕事をこなしていました。
そんな中、暑い夏が終わろうとする頃。
写真撮影の仕事を終えるとスッカリ日が暮れていて。
それで、
例によって僕が自家用車で彼女を自宅まで送り届けることとなりました。
この時は、撮影スタジオからそのままマネージャーさん(♀)と
デザイナーの「ちーさん♀」も一緒にお付き合いをしてくれて。
4人でワイワイとトリトメの無い話をしながら、
都内から八景島近くのインターチェンジへと向かっていました。
僕らは派手でカラフルな首都高の夜景を走り抜け、
横浜へと辿り着き。
そろそろ高速のインターを降りようとしていました。
その時。
助手席に乗っていた螢が突然、
こんなことを言い出しました。



「花火がしたい」



すかさず、
後ろの席に座っていたマネージャーさんと
デザイナーのちーさんは、



「いいわね」



と......

......

決定でちゅ。

プチ花火大会。

僕らは高速を降りた後、コンビニに寄り。
皆それぞれに好みの花火を適当に買って。
ライターも買って。
もう一度車に乗り込んで、一路、
「八景島シーパラダイス」
なるレジャーランド方面へと向かいました。
僕らはシーパラダイスの入口付近に広がる、
海沿いの広い芝生広場に目をつけ、そこに車を止め。
その広場の中を縦横に走る道の上で花火をすることにしました。

かなり深い夜更けの時間。

辺りに人影もなく。

目前の海辺には、
明日に備えて静かに眠っている大きなレジャーランド。
ブルーフォールなる高くて大きいタワーアトラクションの夜灯。
コースターの様な乗り物やミュージアムを縁取る灯り。
頭上には、綺麗に瞬く星々が大きく広がる夜空。
聞こえて来る波音も心地よく。
懐かしく。



「やるよー♪」



僕らは買ってきた花火をレジ袋から取り出し、
それぞれ思い思いにお好みの花火に火をつけて、
ギャンギャンと、
キャーキャーと、
花火を始めました。
かなりの数の花火に火をつけて、
辺りにモウモウと煙が漂い出した中、
ふと、螢を見ると、
何やらまた新しい花火をレジ袋から取り出しています。



「今度は何やんの?」



と聞くと。



「線香花火」



と。



「マジか!?そんなの買ってたの?地味じゃね?それ?」

「うん。でも、これがいちばん好き」

「あ、そー」

「私も好きよ。線香花火」

とちーさん。

「あ、そー。どこがいいわけ?せんこー花火の?」

と螢に聞くと、

「......なんか、好き」

「なんか?」

「うん」

「なんか?とかでいいわけ!?
詩人だろ?おまえさん。
もっと表現してみ?なんか。ええ!?
どうなのさ?」



と、ヘンな詰め寄り方をする僕さん。
すると、彼女はもう一度、こう言いました。



「なんか好きなの」

「ふーーむむ......」

「なんか好きは、なんか好きでいいの。
それでいいの!」



そう言う彼女の言葉を聞きながら、
僕は二人の会話を聞いていたであろうちーさんの方を見てみると、
彼女は



「( ̄ー ̄)ニヤリ......」



と、静かに下を向いて、
イジワルそうに微笑んでいます。



「ふーーむむ。。
なんか、好き、ね......ふーーーんんん。。」



確かに。
なんか好き以上の好きは、ないかもな。と。
僕はそんなことを思いながら、
海辺の公園にジワリと光る線香花火を見つめていました。



「そーだな。
なんか、俺も好きだな。
せんこー花火......」



最後は四人でまとまって、
しゃがみこんで、
それぞれが灯す線香花火をボーーーーーーッと、
眺めていました。
太い束になっていた全ての線香花火が一つ残らず無くなるまで、
一本一本、噛みしめる様に。
まるで小さな太陽の様な、
チリチリと火花を散らす炎の玉が全て地面にポトリ......と、
夕陽の様に落ちるまで。
僕らは一緒に淡い火を見つめていました。

それは、

なんか、

心地の良い、

夏の終わりの夜のひと時でした。

今もよく覚えています。



「地味なことばっかやってんじゃねぇどぉぉーーーーーっ!
おまいらに火ぃつけたるわぁぁーーーーっ!ヽ(`∀´ヽ) !!」

と、決して手に持ってはいけない大きな花火を持って
皆を追い回す、在りし日の大人げない僕さん。
右には呆れつつも笑っている大人の螢さん。
懐かしの撮りっきりカメラの紙焼き写真。
有罪決定。合掌。ちーん。(・ω・)


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セント・オブ・ウーマン

2019-08-16 00:00:08 | 勇気...映画/音楽
「嗚咽級に泣ける映画求む」



セクシーダイナマイト「レディYUさん」から、
ある日、突然、そんなラインが届きました。
なんでましょ!?
難しい漢字使っちゃって。
おえつきゅう、ですって。
何かあったの!?でしょうか。



「過去のものを探してるのー
おうちでゆっくりと。
最近泣いてないなーって、ふと。
感動系でもなんでも。
時間ある時でいいから教えてね(^ν^)♪」

「りょー。
ちなみに何系で泣きたい?
人生とか、恋愛とか、そういうの」

「そーだねー。
人生かなー。
例えば、終わった後に悲しさの残るのは、嫌かな。
誰かが死んじゃうとか。
どちらかというと感動したいというか。
明日から頑張ろっかなとか。
人生何とかなるかなっとか。
そんな感じ?(笑)
こんな注文で大丈夫かしら。
感じ方は人それぞれだから、
単純にUZMETが泣いてしまったやつでイイよー(^ν^)」



ふーーーーむむむむむ......
ラインの文面から感ずるに、
ちょっと社会的に前進するエネルギーが不足ちうの状況で。
でも、進む意欲も希望も強く内にあって。
それでいて、ちょっと横着とかしていたりして。
停滞していることも自覚している。
ココは一つ、自分に感動というダイナマイトでも仕掛けて、
驚かせて、エンジンを再点火させちゃおーかなぁぁ、とか。
そういう状態なのでしょうか?!?
ふーーーーーーーむむむむむ......



「コレは見たことある?
Scent of a Woman(セント・オブ・ウーマン)」



「どう?
他のが良い? 
まだまだレコメンは沢山あるけど。
順に出してる」

「この映画見たことない。
アルパチーノだねー。
見てみる(^ν^)
ありがとさん。」



—————————数日後の深夜。LINE。



「UZMET(うずめ)ぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーー
ただ今余韻にどっぷり浸り中。

なんだろー
すごーい

すごく良い映画だったー
素晴らしい。

目が真っ赤なのに笑顔になれる。
優しくて温かい気持ちになったー

アルパチーノの圧倒的な存在感に引き込まれて、
終わった後しばらく動けなかった。
音が無いまま、
じっと座ったままだったよ。

ほんとに良かったー
ほんとによかったよー」



「良かった。そんな涙がイイって言ってたからさ。
アルパチーノの作品の中でも、
彼が超一流の役者だということがよくわかる作品だと思ってるんだ」



「今欲してる映画ドンピシャでした!!
実は、ゴッドファーザーも観た事無く。
アルパチーノが有名な役者さんなのはもちろん知ってたんだけど、、
ちゃんとアルパチーノの演技を観たのは初めてでして。。。
いやーーーー
ヤバかった」



「なかなか無い映画だよね」



「こーゆー感情で終わるのはなかなかない。
流石です。
ありがとねー
また宜しくねー」



「凄い音楽や映画って、人生を助けてくれる時があるんだ。
それが、俺がこの世界にいる理由。
ま、他にも沢山あるから違うのも見てみなよ。
また聞かれればレコメンするよ。」



「たとえ足が絡まっても、
タンゴは踊り続けるもの」



「じーーーーん。。」



「じーーーーん。だよマジで。
人生の助けになる。
UZMETに出逢って、
真に良い音楽や映画に出逢える事が多くなった。感謝」



そーーっすかぁ......
とても嬉しいお言葉ッス。
じゃぁ......お会計は2万円でちゅ。ええ。ええ。
カード支払いは無理ッス。ええ。d( ̄  ̄)



「セントオブウーマン」というタイトルを日本語にすると、
「女性の香り」とでもなるのでしょうか。
僕が大切にしている映画の一つです。
なので、例によって!?
アーカイブとしてDVDも持っています。
YUさんのラインでの感想を見ていたら、
僕も久々に見たくなって見返してしまいました。

作品全体の雰囲気に関しては、
上に載せたYUさんの言葉達が一番伝わるように思うのですが、
少しだけ追記をしておくと、
主人公は言わずと知れたアル・パチーノ(Al Pacino)さんで。
彼が演じるのは視力を失ってしまった初老の退役軍人男性。
物語には所々、
そんな彼を取り巻く色々な女性の香りの話が出てきます。
「Floris(フローリス)」や
「Mitsouko(映画ではミツキと発音してますが)」、
フルール・ド・ロカイユの「岸辺の花」という香水とか。
「オグルビー・シスターズ」の石鹸とか。
そして、彼が諦めてしまった、
いつの日か叶えたかった夢というのは......



「朝、目覚めた時、
まだ、彼女が横にいて、香ってくるんだ。
甘くて暖かい香りが......」



なんていうこと。



「まったく、女ってのを誰が造ったのか。
神って奴は天才だ」



なんてことも言っていて。
それと、彼は
「ジャック・ダニエル」というウイスキーを好んで飲んでいて、
いつも「ジョン・ダニエル」と言っています。



「ジャックの間違いでは?」



と問われた時に、
彼はこう答えてました......



「俺ぐらい長い付き合いだと、ジョンでいいんだ」



なかなか、全ての答えがシャレていて。
パチーノさんでなかったらブットばされそーでございまつが。
ええ。(●´ω`●)
僕さんにとっては、
どこか男の色気も感じてしまう傑作なのです。



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愛そのもの
ZERO & 1900
クラウドアトラス
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(//∇//) ポッ♡
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紫の涙
キング
おやすみ、デイジー
21g × ???
コンジャンクション
素敵明察
アテルイ
出アフリカ記
天上天下唯我独尊
青き炎 海賊編
マジックを
かもめ食堂
変わりタァァーィ!
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The Pale Blue Dot

2019-08-12 00:02:33 | 感謝
ヨーロッパで記録的な猛暑を引き起こしていた熱波が、
今年は北極圏にも達している様で。
北極圏では珍しい森林火災が史上最多数を記録していたり。
グリーンランドでは氷床が観測史上最も多く溶け出していたり。
北極海では過去例を見ないプランクトンの大量発生が起きていたり......と。
ちょっと、
漠たる不安を抱かせる様なニュースが届いてきたりもしていますが......



見える.....でしょうか。
上にある写真の、
右端にある薄オレンジ色の縦筋の中央、やや下。
筋の中に写っている小さな点。
わかるでしょうか?
ウィキペディアにある青い丸で囲んだアップ写真はこんな感じで......



この写真は知る人ぞ知る!?世界的に有名な写真で、
「ペイル・ブルー・ドット(Pale Blue Dot)」
と呼ばれています。
日本語にすると
「淡い、青い点」
とでも言いましょうか。



この淡い、



消えそうな小さな点は......



地球です。



現人類史上、
最も遠くを旅しているボイジャー1号によって撮影された地球の写真。
太陽系に浮かぶ地球の姿。点。



ボイジャー1号がアメリカ合衆国のNASAによって打ち上げられたのは、
1977年9月5日だそうです。
それから12年後。
当初の目的であった木星と土星の探査を終えたボイジャーは、
そのまま太陽系の最果てに迄たどり着き、
現人類の人工物として、初めて、
太陽の重力圏を抜け出ようとしていました。
その時、プロジェクトのキーマン
「カール・セーガン教授」の提案に応じたNASAのチームは、
ボイジャー1号を地球方向に振り向かせ、
60枚の写真を撮影。
画像データはテープレコーダーに記録され、
そのまま地球へ転送することに成功しました。
公式な記録では、
この撮影は1990年2月14日から6月6日にかけてだったそうで、
59億キロメートル彼方からの画像は、3ヶ月をかけて、
少しずつ、ゆっくりと地球に送ったそうです。
電波を光速で飛ばしても
画像データが地球に届くまでは5時間半かかったらしく。
それを受けることの出来る電波望遠鏡も当時は世界で3ヶ所しかなく。
また、それを画像化するのにも沢山の技術と手間がかかった様で......

そして、

この写真は、

ペイルブルードットとは、

現地球文明史上、

現人類史上、

地球を最も遠くから撮影した写真、

となるわけです。

そんな写真を見ていると、

僕は、

心なしか......

マサニ、

淡く、

薄青い、

感動を覚えるのです。

ボイジャー1号は今も太陽系の外を飛び続けていて、
地球に信号を送り続けてくれているそうです。
現地球文明史上、
現人類史上、
最も遠くにまで旅をしている人工物......

僕達は、

こんな点の中に暮らしている.......

わけです。

僕達は、

薄青い小さな点......

でもあるわけです.......



NASAの作成したこの画像の、
緑の丸のあたりからボイジャーは撮影をしたのだそうです。
Jupiter=木星。
Saturn=土星。
Uranus=天王星。
Neptune=海王星。
Pluto=冥王星。
です。

しかし、

なぜ?

僕らは青い星に生きているのでしょう......

赤でも黄色でもなく、

茶色でも緑でもなく、

なぜ青なのか。

青の意味とか、

あるのだろうか?

偶然で片付けていいものなのだろうか?

暑い夏の青い空や海を見ていると、

僕は、ふと、

遥か彼方の宇宙を旅するボイジャーのことを思い出し、

そんなことをボイジャーに聞いてみたくなるのです。

なぜ?

我々は青い色の星にいるのか?

と。

ボイジャー1号は「ペイル・ブルー・ドット」写真を含む
太陽系家族の写真を撮影した後、
しばらくの間は他の天体の傍を通らないと見込まれていて。
その長い星間航行の間はカメラの電源は切っておくことになったそうです。
いつかまた、
新たなデータ収集の機会が訪れた時のために、
それまでは装備機器の電力を少しでもセーブしようと、
そういうことの様です。
そんなボイジャーには、
宇宙をどこまでも飛んで行ってほしいなぁ......と、
僕はそんなことを願ってしまいます。



「ペイルブルードット」を有名にした、
カールセーガン(Carl Edward Sagan)さんの著書
「Pale Blue Dot : A Vision of the Human Future in Space」
邦題は「惑星へ」。
僕の持っているものは文庫本ですが、大好きな本の一つ。
ペイルブルードットとはセーガンさんが名付け親なのでしょうか?
本を読んでもそこはよくわかりませんが、
以前記していた、
ボイジャー1号に積まれている有名な「ゴールデンレコード」は

セーガンさんが責任製作したものであって......

.......ボイジャーは、今、

どのへんにいるのだろうか。

元気なのだろうか......

もう地球は見えないのだろうなぁ......

寂しくはないのかなぁ......



「A Whiter Shade of Pale」by Procol Harum
プロコル・ハルムさんの名曲。
広く知られている邦題は「青い影」
直訳だと「より白い、淡い影」みたいな感じでしょうか。
Youtube再生回数1億回!ですか(^^)♪

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やらかすよね。 7

2019-08-08 00:20:21 | セツナイ
次回は、今回の古墳の神様のお話を記しておきます。
最後にもう一話だけ続きます。






日本の建国記念日となっている「2月11日」は、
初代天皇とされている神武天皇(じんむてんのう)が
奈良の橿原の地に宮殿を建て、即位をした日とされています。
その神武天皇の後、
第2代天皇から第9代の天皇までは実在の証拠が乏しく、
歴史が欠けた8人の天皇......「欠史八代」と呼ばれています。

実在はともかく、
この「欠史八代」の天皇の宮跡だと伝わっている史跡を巡っていくと、
そのほとんどが奈良盆地の南の奥地である明日香から葛城、
御所の辺りにかけて散らばっていて、
古い代になればなるほど平地から山寄りにあるように思えます。
これはきっと、
奈良地域における人々の生活形態の変遷が
表れていることではないかとも思われ。
縄文の初中期に山野や河川、
海での狩猟採取を中心とした生活を営んでいた人々の多くは、
大陸から稲作などの農耕技術や知識が入り込んで来た弥生初期になると
生活が安定する農耕生活の方へとシフトしていき。
人々がまとまって住む場所にしても、
開墾される田畑の広がりに合わせるように
山地から平地へと徐々に移っていったのだと思われます。

今回訪れた
「権現山古墳(ごんげんやまこふん)
= 樋野の天安川神社(あめのやすかわじんじゃ)」
の立地に関しては、
欠史八代を含む初期天皇の宮跡と伝わる地よりも更に山寄りにあり。
最早、吉野山地のほど近くでした。
有名なキトラ古墳や、高松塚古墳、
奈良の王霊達のヌシ!ともいえる、
天武さんや持統さんの王墓よりも更に奥。





これらのことから考えると、
この古墳の王の活躍していた時代は狩猟採取の幸と農耕の幸とを
バランスよく確保していた時代の王だったのではないか?
とも考えられます。
縄文から弥生への移行期とでも言いましょうか。
この古墳のある地は緩やかな山の斜面に沿って
棚田が広がって行く起点的場所であって。
山地と平地(盆地)が交わる様な場所でもあり。
双方の幸で暮らす人々の接点の地であって、
境界の地であったとも感じられます。







となると、
権現山古墳の王の時代は神武天皇の頃ぐらいか、
それよりも古い可能性も。

現在もカンカンガクガクと議論されている神武天皇の即位年に関しては、
日本書紀と「宗史」と呼ばれる古代中国の書に記されている事柄から、
一旦は「紀元前660年」とされています。
もし、これをそのまま信じるのであれば、ですが、
権現山古墳の王の時代は紀元前700年以上前?
ともなるのでしょうか......
しかし、古墳の前にあった錆びついた古い説明書きの看板には、

「副葬品(ふくそうひん)については、全く不明である。
家形石棺は比較的古い形式で、6世紀前半に比定される」

とも書かれていて。
となると、
そもそも神武天皇の即位年が大きく間違っているのか?
看板にある推定年代の方が大きく間違っているのか?
はたまた......?
権現山古墳の神様は、自らは縄文の王と語ってはいますが......
もしかしたら、
土器などは後の時代に人々から置かれた?
捧げられた?
モノだったりもする可能性も?
弥生時代は最近では紀元前10世紀にまで遡れることも実証されていて。
当然のことですが、縄文から弥生への移行にしても、
長い年月をかけてグラデーションを持って移行していったハズであり......
ともかくも、とても古い古墳であることは間違いないと思います。



そして、

そこで不思議なのが......

トマト。



トマトはごく最近になって日本に輸入されたものです。
僕はそのことをプリリンねーさんに言うと、

「古墳の神様から......」

という事で、
こんな言葉を降ろしてくれました。

「トマトは、夏になると食べに行っていたのだよ。
ずいぶん前かもしれないけどな。
石が落ちてから、いってないからな」

それで食べたかったのだと。
勿論、記した様に家臣の皆様はまごうことなくご飯が大好きで。
少なくとも稲作は完成されていた時代だったのではないかとも思われます。
そんな結論無き推察を巡らせていた古墳の神様の名前は、
古事記に記されている名前では......
   
「アメノオハバリ(天之尾羽張)」

日本書紀では

「トツカノツルギ(十握剣)」

ではないかと。
あくまで個人的に、ですが、僕はそう伺っています。
どちらにしても「刀の神」であり、
イザナギ(伊弉諾)さんとイザナミ(伊弉冉)さんによる
「神産み」の段に記されている古い神で、
神代とされる時代の神。
そして、「4」の記事中にも記していましたが、
権現山古墳の王が自らが語る!?
神話にも記されていない本当の名前は......

「ヲシテの神」

あの「ヲシテ文字(オシテ文字)」の「ヲシテ」だそうです。
ウィキペディアあたりから画像をしょっ引くと、
こんな古代文字のコトでして。





未だ真偽が疑われている文字であり、
その道のマニアさん達には?有名なモノでもあります。
そして、そんなヲシテの神様曰く......



「話したいことがあったのだ。
知多半島の荒熊の神と仲良くなったよ。
初めて会ったのだが、猿田彦の息子だと聞いたよ。

旗神社のこともわかっているそうだな。
私は、カタカムナからヲシテ文字を作った。
人に伝えるには、言葉だけでは無理だったからだ。
境の神のタセツの神もわかったらしいな。

(中略)

全部、カラツの神が教えてくれたよ。
私の眷属がUZMETの古傷に訴えていたことは、
死ななくて良かったと思うほど強いものだった。

私は鎧が重くて出られなかったが、
今はスカイウェイに乗って世界中に行けることがわかった。
オーストラリアのウルルに行って来たよ。
オーストラリアはアボリジニがいるからな。

縄文の時は一緒に話し合っていたよ。
からくれないに水くくるとはだな。
血で血を洗う戦いは何度も繰り返されてきた。
人が増えたからか。
問題は境があることなのだよ。
境のない世界にしたいと、スカイウェイが通って思う。
利他の心で頼んだよ」



.......と。

ふーーーーーーーーーーーーっむむむむむ......

謎はナゾを呼びますな......(*´ω`*)ええ。

またどこかで、

この続きの物語が生まれるやも!?しれませんが。

いつか、許されるのであれば、

雲完的神様年代記?なんてものでも纏められたら、と。(^^)

今回の全7話。

ここまで読んでいただいたモノ好きな方は!?

わ!

お外で「ポンチキ野郎!」などと言われないように!

お気をつけて!

暑過ぎてイヤになっちゃうぅぅ......

な、毎日をそれなりの元気でもってお過ごしいただけたらと。

ええ。ええ。

かしこ(^^)



☆「やらかすよね。」過去記事リンク☆
やらかすよね。」「2」「3」「4」「5」「6


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やらかすよね。 6

2019-08-04 00:00:15 | セツナイ
「大丈夫っすよ。
とにかく、すぐにでもやってあげて下さい」

「今、夜中だし、揃えられるとして明日になるけど、
それでもいいよね?」

「ええ。そんなに急がなくてもいいって言ってます」

「でも、足が、さ......(* ̄ω ̄)」

「ですね( ̄ー ̄)。ま、頑張ってください」

「はいー。。(* ̄ω ̄)」

つづく。




翌日、僕は夕方ぐらいに仕事を切り上げ。
色々なお店を駆け回り。
Mさんに言われたモノモノを揃えて帰宅しました。
ただ、ハチマキだけは手に入らず、
最終的に近所の手芸屋さんで白い帯布を80センチぐらいに切ってもらい、
それを結んで用意しました。

さて。

問題はオムスビっす。

僕さん、実は、
これまで「おにぎり」なるモノを握ったことがありません。
ダメダメぷーなコンビニ世代。
記憶にある「オムスビ握り」は、何かのパーティーの時に?
かなりおふざけチックに握っていたような......

さて。

どーすっぺ。

今日もコニャ(奥さん)は家にいないし。

とにかく、先ずはお米を炊いて......24個でしょ?
「小さいのでイイ」って言ってたし。
残っちゃうのは絶対によくないし。
じゃぁ、とりあえず4合ぐらい炊いてみっぺかな。
炊きあがりを待って、その間ウェブでチクチク......と、
おにぎりの握り方をサーチ......っと......

おお!( ゚д゚)

こりわ!

分かりやすいな。ええ。ええ。

他の事も炊き上がる迄に仕上げちゃいましょーかね。ええ。

イソイソ......イソイソ......

おお!?

ご飯炊けた!

おおお!

おにぎりデケタ!(=゚ω゚)ノ



ウェブサイトのガイドを見なが人生初のおにぎりを作ってみると、
最初はMさんに言われた通り「たわら形」にしようと握り始めたところで、
なんと、驚くことに......
一握り、一握り、するたびに......
足の痛みが......
取れていくのです......

「し、信じられん......けど、信じざるをえない、な......」

そんな、あまりに不思議な感覚と、
握るたびに足の痛みが消えていくのがとても心地良く、
更には、
握ることで家臣の皆さんへの気持ちがお米に強く入る感覚も明瞭で。
僕は自然と握る回数が多くなり、
あちこちと握っていくうちに、
気がつくと最初の一個が三角形に.......

「むむっ!?(O_O)ま、いいか。。
足が痛くなくなってきたし......(*´ー`*)」

それで、僕はその後のおにぎりを全て三角形にしてしまい。
改めて、古墳の王様も家臣の皆さんと一緒に、と、
ハチマキとトマトとお塩と奈良の三輪山のお酒も用意して、
上座の方に居て頂き。
鉄瓶で淹れたお茶や、
近衛兵の皆さんへのオカズやお酒もしっかりと用意して......



「でけた!かんせーーーい!(((o(*゚▽゚*)o)))」

この時点で、
あれだけ長いこと痛みまくっていた足の痛みは完全に無くなっていました。
早速Mさんにテーブルの写真を送ってみると......

「いいですね!見るだけでワクワクするレベルです☆(^_^)」

「頑張りました!初めておにぎりを握りました。
Mちゃん、本当にありがとう」

「いいえ〜。俵形じゃないのはご愛嬌として、
これでスッキリしたはずですよ(^_^)お疲れ様でした!」

「この後、お詫びをして、川に行きます。
またそこでも改めてお詫びしようかと。ありがとー」

「よろしくお願いいたします」

僕はそんな会話をMさんとした後、
改めて、お詫びの言葉と秘伝のアマテラス祝詞とを捧げ。
しばしの食事&歓談タイム!を過ごしました。
そうして40分ほどして。頃合いを見計り。
僕は飲み物も含めて全てのモノを携帯用品に詰め替え、
大きなバッグに入れて、
自宅の裏を流れる多摩川の河原へと向かいました。



時刻は夜の11時を回った頃だったでしょうか。
最後にもう一度、河原で家臣の皆様に無礼のお許しを乞い。
僕は一つ一つ丁寧に、捧げた全てのモノを川に流しました。
全ては自然に帰る、生物の餌にもなる、そんなモノモノですし......
そして、この最中。河原に佇みながら。
僕はまた改めて色々なことがわかりました。
古墳の王様が怒っていなかったのは本当だったこと。
むしろ感謝もしていてくれて。
でも、ソレは、
王様の側近の方々に関してはとてもいたたまれない事だった様で。

何故か?

王様と自らの命をも共にした様な方々です。
アチラの世界に行こうとも、
全霊をかけて王様を守り通して来た方々です。
その王様だけが自由の身になれて、
古墳からいなくなってしまって。
その時、残された様になってしまうそんな方々は、いったい、
その後どうすればいいのか?
僕は王様に届くように......と言う気持ちだけで古墳を参っていました。
トマトもお酒も、祝詞も、王様が欲しいと望んだものであって、
そのトマトを家臣の皆さんに捧げようとも、
それは、家臣の皆さんからしたら王様に捧げられたものであって。
心底敬愛し、
命を共にする迄に使えて来た大王に捧げられた物に手をつけるなど、
そんな方々がそんなことをするはずもなく。
彼等には彼等の望むものがあって。
それは王様の嗜好とはまた違うということも当然で。
僕は、そんなことにも気づかないでいたのでした。
荒らされ、崩れてしまった古墳において、
苦しい思いをしていたのは王様や奥様だけでなく、
そんな家臣の皆さんも同じように苦しんでいたはずで。
古墳に着いた時の息苦しさから、僕は、
本当はそこまで感じ取れなければいけなかったのです。
全ての皆さんに等しく助力をしてあげなければいけなかったのです。
それを期待されていたはずなのです。
これほどまでに慕われた徳のある王様が、
自分1人だけ楽になるということをよしとするはずもなく。
家臣の皆さんにしても、
そんな王様がいない古墳にいる意味などあるはずもなく。

僕の慢心。

自惚れ。

それ以外の言葉がみあたりません。

ある神様には、

「まだスキがある。甘い」

とも叱られ。

正直、

心身共にキズだらけ、ではあるのですが......

そんなこと、神々には全く通じないことで。

深夜の多摩川の流れは、

ただ黙々と色んなコトを伝えてきます。



しばらく色々な事を思い、
佇んでいた河原の様子を写真に撮って。
僕はもう一度、
九州のMさんに諸事完了の報告ラインを送りました。

「Mちゃんはありがたいです。
また自分を見つめ直すことになりました。ありがとう。
白いハチマキ代りにしていた布切れは持っていても良いかな?
なんか捨てれない感じでして」

「持ってても大丈夫ですよ。シンボル的なモノなので」

「はいー THANK YOU!」

「(^_^)」

Mさんとのラインの後、今回のコトの発端となったみゆきちゃんや、
僕の羅臼行きを心配してくれていたポンチキーズの皆にも河原の写真を送りました。
ここまで、都度都度、経過は報告していましたが、
ハイパーみゆきちゃんからはこんな返事も......

「すごい!みんな食べてくれましたね。よかった(;_;)」

ねーさんからは......

カラツの神が、眷属さん達が喜んでいたと言っていた」

次回は、今回の古墳の神様のお話を記しておきます。
最後にもう一話だけ続きます。


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