雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

お札のお返し

2024-05-25 00:03:25 | 感謝
「神社のお札を返す時は、
お札をもらったところで無いとダメですか?」



時たま聞かれることなのですが、
僕さんは特段、神職でもなんでも無いので。
なので、プロの神職の方々の通常的な見解を記せば



「受付けているところであればどこでも大丈夫」



となるようです。
一般人の僕さんもそう思います。



そして、
そうした後に、
これまたよく出てくる質問が



「お寺のお札とかもソレでいいのですか?」



ということ。
しかし、お寺は神社とは違うので。
頂いたところにお返しするのが良いかと思います。
詳しくは以下の過去記事の通りでございます。

深川徒然。。おまけ
Omamori

そもそも神社と寺院とでは崇めている対象が違いますし、
仏教寺院が崇めている仏様とは、
大元は「お釈迦様=ブッダ」さんであったりもするわけです。

「人」ということです。

もしくは、ブッダさんの教えを起点として、
その後継者さん達が生み出した沢山のホトケサマーズだったり、
人が構築した「教義そのもの」を崇めていたりもするわけです。
言うなれば、学校で配られる教科書を祀っている......的な。
寺院における信仰とはそういうものものでもあります。
キリスト教などにしても同様でしょうか。



一方で神社で祀られているものは神々の名や、
時に偉人となっていたりもしますが、
元来は丸い鏡に象徴されるような「太陽」であったり、
宵闇に輝く星々であったり。
山そのものであったり。
特別な岩であったり。
海であったり、島であったり。
巨木や印象的な木であったり。
川や湖や池や泉であったり。
水の沸く場所であったり。
温泉が出る場所であったり。
ソコにいるだけで元気になってしまう不可思議な土地だったり。
公的に保持したい場所そのものであったり......と。
その信仰の元は自然や大地や宇宙に散らばるものになっているわけです。

それはアニミズム(animism)などとも呼ばれるモノであって、
原初的な自然信仰とでも言いましょうか。

そして「自然」というものは、
時に循環システムそのもののことでもあって。
水道の水を川に流しても問題などなく。
鹿児島県の水を埼玉県の川に流してもおかしなことはなく。
空気や大気は世界中に繋がっていて一緒のものともいえますし。
流転する自然界においては、
どこの何かが、どこの何かの占有物である......
なんていうことはないわけです。

そんな自然や自然の力を理解し、崇め、
皆のために保持もせんとする神社さんに、
どこの札はダメで、どこの札は良い......
なんてこともないわけです。

神々に使える眷属さんが狐さんだったり、
ウマさんだったり、蛇さんだったり、
うさぎさんだったりの動物となっていたりするわけも、
御神木なんていうものが祀られているわけも、
あらゆる動植物は偉大なる自然循環システムのパーツであり、
権化であり、そのものでもある......
ということの表れでもあるわけです。



寺院は特定の人や固有の教義やらを崇め祀っているので、
自分の家のものを隣の人の家に置いてくる!
なんていうようなことは普段の生活でもありえないわけで。
そんなことはしない方が良いわけです。

当たり前ですが、
隣の人のものは自分のものではなく。
必ずしも、自分が気に入っているものを隣の人も気にいってくれる!
なんていうことはなく。
逆もまた然りで。
人とはそういうものであって。
自己意識や自由意志が強い生き物であり、
自然ともまた違う存在であるわけです。

なので、
寺院のお札を返す時は他者への礼節という意味でも、
いただいた場所にきっちりとお返しする。
そんな形をレコメンドする理由はそんなこととなります。



そして、
どちらにも共通しているとても大切なことは、
それまで自分や家族や家や
様々なモノを護ってくれた大切なお札ですから。
深い感謝の気持ちと共にお返しするということです。
これ以上に大切なことなどないと思います。
そんな気持ちをお賽銭に込めてもいいですし、
自分なりの形を示すのも良いかと思います。
新しい札に交換するにしても、
その感謝の気持ちの深さがとても生きてくるかと思います。



そんな感じっす。
ええ。ええ。





最近、いつもバッグの中に入れている
深川不動尊さんの御札を一新しました。
それと、大宮氷川神社さんの札と破魔矢も。









さらにはプリリンねーさん
箱根神社元宮のお札も新しく持ってきてくれて。
京都の東寺で五鈷杵(ごこしょ)を頂いたりなんかもして。
そんな流れの中で、僕さん、ふと、
空海さんの密教の秘事の一つを理解できた!?
りなんかもしまして。
ええ。ええ。
それは家のお札の置き方に関わることだったのですが......
これまで学んできた理解や論旨が波錠するということもなく。
むしろ全ての線がさらに深く、
まっすぐに通る感じのことでもありまして。

「神仏はこうやって混じるのか......」
「やっぱり、空海さんの密教は仏教とはちと違うな......」
「空海さんというのは本当に凄いな......」
法然さんも相当ヤバイ人だったんだな......

的な理解の確証となるようなことであるでしょうか。
長年、研鑽して来て固まっていたことでも、
また更なる奥があるということが驚きであって。
研鑽はどこまで続くモノなのだろうか......と、
どっと深い疲れを感じたりもして。
ちょっと感動をしたり。
最近はそんな感じの日々ではありまして。
そんなことも、
またいつか自然な流れでここに記せたらいいなぁ......
と思ったりなんかもしています。(^^)



☆最後記述部分を紐解けるであろう過去記事さん達っす☆
不動明王
続、不動明王
続々、不動明王
続々々、不動明王
集束と発散
朱の女神
朱の女神 2
朱の女神 3
深川徒然」
深川徒然 2
深川徒然。。おまけ
知恩院徒然


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2 コメント

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Unknown (ゆうゆはは)
2024-05-26 13:19:04
私には密教の秘技は到底理解できないのですが。。。
でもまさに昨日、奈良国立博物館の空海展を観てきたところだったので、ドキッとしました。そして【重重帝網】という言葉とその意味を、深く心に刻む日となりました。
返信する
ゆうゆははさんへ。 (amenouzmet)
2024-05-26 14:21:08
奈良の空海展は良さそうですねぇぇ、、、(*´ω`*)
僕さんも行きたい!うらやましい!
返信する

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