雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

しあわせもの

2022-06-01 00:21:09 | 感謝...映画/音楽/珈琲
“「シティポップの基本」がこの100枚でわかる!”
という本でございます。
会社の同期友達である
「kuririn(くりりん。栗本斉)」が著した本だったので、
今年の2月頃?だったかな?
発売早々に買って読ませていただきまちた。
本人にも

「買ったどーっ」

なんて、ソッコーDMをしたりして。ね。ええ。ええ。
なにかと恩を売っておこーかと。ええ。( ̄ー ̄)ニヤリ
今や世界の注目を集める
「シティポップ」と言われる日本の音楽。
その象徴とも言える鈴木英人さんのカバーイラストも鮮やかなこの本。
もう、かなり売れているらしく、
著者本人からの情報によると、
既に4刷重版も決定!しているとのことでして。

スゲーなぁー......と。

そんけーっす。

kuririn。

昔からかなりの音楽マニアだったし。

突然、アルゼンチンに行って住みだしてたし。

ブエノスアイレスを拠点に長年南米を渡り歩いてたし。

Billboard Live TOKYOのブッキングマネージャーもやってたし。

最近まで沖縄でのんびり生活もしていたよーだし。

よいですのなーー。。

とにかく「売れる」というのはとても凄いことっす。
音楽もそうですけど、
ヒットというのは周りのみんなも一緒に
幸せになれたりもするものでして。

とても良きことだとも思うのです。
なんだかアチキまで嬉しいのでつ。
今度ご飯おごってもらお――っと♪( ̄ー+ ̄)ニヤリ



僕にとってのシティ・ポップは、やはり、
この一枚でしょうか。
SUGAR BABE(シュガーベイブ)」さんの唯一のアルバム
「SONGS(ソングス)」
kuririnも書いてましたが、やはり、
この作品がシティ・ポップなるものの
「基本のキ」
なのかもしれません。
今や日本国民の誰もが知っているであろうバンド
「サザンオールスターズ(The Southern All Stars)」さんには、
言わずと知れた桑田佳祐さんと原由子さんがいますが、
そんな二人に近しいイメージで、
シュガーベイブさんには山下達郎さんと大貫妙子さんがいて。
大貫妙子さんのトビキリの一枚となるとコチラ!?
となるのでしょうか......



「SUNSHOWER(サンシャワー)」
kuririnの本を読んでいても、改めて、
とても強く思うのですけど。
この時代の音楽というのは、
ベースに人と人との強い繋がりがあって。
ダイレクト・コミュニケーションの中で生まれて来る演奏だったり、
音だったり、
グルーヴだったり、
歌詞だったり、
空気感や質感だったり、
そんな人間の体温すらも伝わり感じられるような音像感が
元となっているのではないかと思います。
当然、今も、「Suchmos(サチモス)」さんや
Nulbarich(ナルバリッチ)」さんのように、
そんな流れの中にある音楽は沢山あると思いますが、
ポップミュージックシーンで比較的多くなってきているものとなると、
やはりデジタルなサウンドともなるでしょうか。
音楽制作の形自体の進化や変容もあるので、
今やパソコン一つあれば、
ベッドルームでレコーディングやミックスダウンも出来ますし。
一人で全ての作業を完結することもできます。
SNSを始めとするデジタル・コミュニケーションで
生まれて来る作品や音楽も普通にありますし。
シティポップにおけるプレイヤーや人に相応するものは、
現代ではシンセ音源やサウンド・クリエイト・ツールなどに
なっている部分もあるようにも思います。

プレイヤーやスタッフを選ぶようにシンセ音源やプラグインを選ぶ。
デジタル化されたエフェクターやサンプラーを選ぶ。

エンジニアを選ぶようにデジタル・レコーディング・ツールを選ぶ。
ミックス・ツールやアウトボードのリイシューモデルを選ぶ。

常に変わりゆく時代と共に、
音楽制作に要求される能力も変容してきているわけで。
ただ、そんな対比で考えると、
シティポップと呼ばれるものには、
どんな時代の人々も幅広く魅了できる、
音楽人のエモーションが
「バックトラックやサウンド面にも色濃く詰まっている」
ような気がするのです。

プレーヤー各人の心意気とか。

熱気とか。

情熱とか。

体温とか。

エンジニアさんの気持ちとか。

ヒューマニティとか。

スタジオの空気とか。

うん。

そんなものが高度に洗練されて詰め込まれている。

洗練されているとは?

都会的とは?

よくよく抑制された感情のことなのだと僕は思います。

理知によって高度に制御された感情。

エモーションをぶつけ合うバンドサウンドとはまた違った感触。

そんな部分を人は都会的と感じるのかもしれません。

この理知的制御が過ぎると、

もしくは、

コアにある感情を失うと、

「機械的」「無機的」といったものにもなるのだと思います。

そして、

何より、

日本ぽい。

世界中にある良いもの全てを取り込んで、

消化し、

また別なものとして再構築し、生んでいく。

そんな日本特有の気質、文化、

アレンジメント・カルチャー

シティポップなるものは、

そんなものが表出したモノの1つにも思えます。

世界が面白がるのもとてもわかる気がします。

そんなことが僕なりのシティポップ論でしょうか。

今晩あたりは、
バスルームでゆったりと、
お気に入りの音楽にひたりとうございます。

ええ。
かしこ。(^^)



「Sing Like Talking(シングライクトーキング)」さんの傑作
「ENCOUNTER(エンカウンター)」
チャートの1位も記録したこのアルバムも、やはり、
シティ・ポップなるものの血脈の中にあるでしょうか。
ボーカルの佐藤竹善さんを始め、
メンバーの藤田千章さん、西村智彦さんには、
社会人の新人時代に音楽の基本から、
ヒトとしての基本まで!?
とにかく色々なことを沢山、沢山......教わりまくりました。
辛かったり、厳しかったことも沢山ありましたけど、
今もって僕には感謝と尊敬の念しかありません。
仕事の想い出も沢山詰まっている作品の1つです。
kuririnもそうですけど、
僕はとても良い方々に出会えて来たのだなぁ......と。
今更ながらに思います。
僕さんは本当に幸せ者です。
この先、どんなことがあろうとも、
僕さんは幸せ者です。



—————話すように歌え。



—————歌うように話せ。



SORETO......



—————ダメな奴ほど、イイ音を出す。



「Sugar Babe/Down Town」



「大貫妙子/からっぽの椅子」



「Sing Like Talking/離れずに暖めて」


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ボウイ哀悼

2016-01-12 00:32:34 | 感謝...映画/音楽/珈琲
アルバム「ジギー・スターダスト」
音楽ビジネスの世界で長く暮らして来た中で、
僕が最も影響を受けたアルバムの一つです。
原題は
「The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars」
直訳すれば
「ジギー・スターダストの成功と没落、そして火星から来た蜘蛛達」
という感じでしょうか。
ロックスター「デヴッド・ボウイ(David Bowie)」の名声を
確固たるものにしたアルバムだと思います。
そして、
僕という個人の中での彼の存在をスーパーなものにした一枚でもあります。



そんな彼が、つい先ほど、
亡くなったのだそうです。




僕の音楽体験の中心は1980~90年代にあるので、
冒頭にある1972年に出された、
この彼のアルバムとの出会いというのは決してリアルタイムではなく。
「レッツ・ダンス=Let's Dance」というアルバムがきっかけとなって、
彼のアルバム全てを遡って聞いていった......
という時に出会った作品でした。

最初に聴いた時は、
音質やレコーディングに若干の古さを感じたものの、
そんなものを簡単に吹き飛ばしてしまう楽曲クオリティーの高さと
駄曲の無さに脅かされました。
一聴するとバラエティーに飛んでいる楽曲群を、
纏まりと一貫性を感じさせながら聞かせてしまう圧倒的な存在感のボーカル。
アルバム構成の上手さ。コンセプト。
ビジュアルの斬新さ。
ファッション性。
アート感。
聞いていると何故か?感じられる、
地上を離れた宇宙的な空気感。浮遊感。
どこから切り込んでみても素晴らしい作品に思えました。

後に、
僕の大好きな映画「2001年宇宙の旅」などにも
インスパイアされていたような事実も知るのですが。
そんな「宇宙的」なコンセプトも一聴した瞬間に伝わってくるくらい、
全体のサウンドの中にしっかりと編み込まれているアルバムでした。
僕はそんなこのアルバムの全てに魅了され、
そのまま全ての曲を歌えるくらいまで聞き込んで。
そして今でもドライブや部屋で時折聞いてしまう
「かけがえのない」アルバムとなってもいます。

音楽のパッケージが若者文化の頂点に君臨していた時代。
先端的なアートもヘア・メイクもファッションも、
カメラも写真もイラストレーションもグラフィック・デザインも。
言葉も楽器もハードウェアも。
そんな全てが一つの音楽パッケージの中に集まって表現され、
発信もされていた時代。
音楽が様々な分野のトップアーティストやクリエーターや
エンジニアまでもが集う場であった時代。
だから僕は
「絶対!音楽プロデューサーになってやる!」
と思った、そんな時代。
そんな時代のスーパースター。
カルトスター。



そんなボウイをこんな陳腐なところで語ろうなんてしても......



グラムロック、マーク・ボラン、ロキシーミュージック、ルーリード
戦場のメリークリスマス、ゲイカルチャー、アンディ・ウォーホール、
あの沢田研二だってサディスティックミカバンドだってBOOWYだって。
坂本龍一だって、忌野清志郎だって、THE YELLOW MONKEYだって、
ミック・ロンソンだってクィーンだって、
フレディー・マーキュリーだって、
カルチャークラブだって、ボーイ・ジョージだって、
デュランデュランだって、
ナイル・ロジャースもブライアン・イーノも......
あの人も、この人も、
あの音楽もあの文化も、
あの映画も、ファッションも......
ライブだって、ステージだって......
もう、これから、
何百、何千の人々やアーティスト、
作家や批評家やメディアが、
哀悼と敬意と悲しみと慈しみと愛に満ちた言葉を綴り、
発信していくのだと思います。
それはきっと、
この星の時空に深く刻み込まれていくものだとも思います。
だから僕は、僕なりに、
考えて、考えて、考えて、考えて、
それで、わずかな言葉が浮かぶので、
今日はそれをここに記し残しておきたく思います。



寂しいです。
ボウイのいない世界が、
なんだかとても寂しいです。
ずっと素晴らしい音楽を届けてくれて有難うございました。
あなたの音楽は僕の体の中で永遠に鳴り続けていく宝物です。



「FIVE YEARS/David Bowie」
Pushing thru the market square, so many mothers sighing
News had just come over, we had five years left to cry in
News guy wept and told us, earth was really dying
Cried so much his face was wet, then I knew he was not lying

I heard telephones, opera house, favourite melodies
I saw boys, toys electric irons and T.V.'s
My brain hurt like a warehouse, it had no room to spare
I had to cram so many things to store everything in there
And all the fat-skinny people, and all the tall-short people
And all the nobody people, and all the somebody people
I never thought I'd need so many people


A girl my age went off her head, hit some tiny children
If the black hadn't a-pulled her off, I think she would have killed them
A soldier with a broken arm, fixed his stare to the wheels of a Cadillac
A cop knelt and kissed the feet of a priest,
and a queer threw up at the sight of that


I think I saw you in an ice-cream parlour
Drinking milk shakes cold and long
Smiling and waving and looking so fine
Don't think you knew you were in this song


And it was cold and it rained so I felt like an actor
And I thought of Ma and I wanted to get back there
Your face, your race, the way that you talk
I kiss you, you're beautiful, I want you to walk


We've got five years, stuck on my eyes
Five years, what a surprise
We've got five years, my brain hurts a lot
Five years, that's all we've got

Five years......Five years......Five years......



「五年間/デビッドボウイ」
マーケットスクエアを通り抜けたとき沢山の母親たちが嘆き悲しんでいた
ニュースが出たんだ
「僕達には泣くだけの5年間しか残されてない」
というニュースが

ニュースキャスターは泣きながら
「地球はもう本当に死につつある」
と伝えている
彼の顔は涙ですっかり濡れていて
だから僕は彼がウソを言ってないというコトがわかったんだ

だから僕は聞いたんだ
電話の音を、オペラ・ハウスの音を、大好きなメロディー達を
だから僕は見たんだ
少年達を、オモチャを、アイロンやテレビを

僕の脳は倉庫のように痛む
もう詰め込むスペースは無いんだ
僕は全てを記憶するために沢山のモノを詰め込んだんだ

全ての太った人も、痩せた人も、
全ての背の高い人も、背の低い人も
全ての名のない人も、名のある人も
僕は今までこんなにたくさんの人々が必要だと思ったことはなかったんだ



僕と同じくらいの歳の女の子は気が狂って小さな子供達を叩いていた
黒人が女の子を引き離さなかったら、彼女は子供を殺してしまっていただろう

腕の折れた兵士はキャデラックの車輪を見つめたまま動かない
警官はひざまづき、牧師の足にキスしてる
それを見た同性愛者は吐いていた



僕は君のコトを考える
アイスクリーム・パーラーで冷たくたっぷりと入ったミルクシェイクを飲んでいた君を
笑いながら、揺れながら、とても素敵な君
そんな君は君がこの歌に出てくるなんて夢にも思わないだろうけど



寒くて、雨が降っていて、僕は役者のような気分だった
僕は母親を想い、そこに帰りたいと思った

キミの顔、キミの仲間、キミの話し方
キスするよ、キミはキレイだ、一緒に歩きたいんだ



僕達には5年しかない、僕の目に焼き付いている
僕達には5年しかない、なんてコトだ
僕達には5年しかない、僕の脳はひどく痛む
僕達には5年しかない、それが僕達の全てだ

5年間……5年間……5年間……



———————彼の歌は「星の時代」と思える今だからこそ、
とても強く響いてくるようにも感じます。


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2016

2016-01-04 00:02:58 | 感謝...映画/音楽/珈琲
心配しないでください。



明けてます!



あけましておめでとうございます(^^)



今年も度重なるお雑煮攻撃で
ブクブクと太りまくっている年始、吉日の日々。。
これからビシッ!(`_´)ゞ と多摩川に走りに出ようかと、
暖かいコタツの中でヤドカリさんモードになりながら企んでおります。
ええ。
モチロン。
企んでいるだけでございます。( ̄+ー ̄)ええ。ええ。

しかししかし、今年の元日の天気ときたら......
僕の住んでいる東京の南の端っこに関しては雲ひとつ無く、ハレやかな晴天で。
空気もすごく透明で、白い雪を頂く富士山も綺麗にキラキラと見えていて。
風もなく、厳しく冷え込むわけでもなく。
ただ燦々と太陽の光が降り注ぐこの上なく穏やかな1日でした。
ここ数年で最も元旦らしい元旦!?
という感じの天気に思えました。
僕はなんだかとても落ち着いて、
暖かい気持ちで元旦を過ごす事ができました。

ご機嫌ご機嫌(●´3`)~♪

本音では冬至から翌日が新年だと思ってはいますが、それでも、
正月というのは何かに区切りをつけたりするにはとてもよい時だとも思えます。
心機一転、何かを消し去ったり、初志を掲げたりするには最高で。
こんな日がちゃんとあるというのも、
こんな日を穏やかに迎えられるというのも、
なんだかとてもありがたく思います。

ただ、こんな元日の新鮮な気持ちも、
しばらくするとまた仕事の忙しさやら色んな出来事やらに段々と染められていき、
薄れていって、いつの間にか忘れていってしまうのかもしれません......が、
昨年の7月ぐらいからでしょうか、
僕的にはまた新たに始めてみたことがあって。
それが
「毎月一日をこんな正月のような日として捉えていく」
というようなことでした。
毎月一日にはどんなことがあっても必ず早朝に起きて、
家の周りを少し掃除し、家の4つ角に清めの塩を巻き、そして、
家の「とても神棚らしくない神棚」の塩なども全て取り替えて綺麗にします。
それは言ってみれば元旦と同じ様な所作を月に一度、
自分の足元を見直すためにもやってみようか......という感じの日。
年始に立てた幾つかの誓いや気持ちをちゃんと区切って見直してみる日。
とかくズルズルと過ぎていってしまいそうな
慌しい毎日の中に設けたココロの点検日。
区切りの日。

「たかだか年に12回だけだし、出来ないことはないだろう......」

と、そんな気持ちで始めてみました。
面白いことに、やってみると、これが、
僕の日常にとてもよい「締まり」を与えてくれるようになった感じがするのです。
ほんと、面白いです。
昨年の後半というのは、そんなことがとても強く実感もできて。
寺社などでは「一日参り=ついたちまいり」とか
「縁日=えんにち」などというものがありますが、
そんなことの「本質的な意味」というものも
なんだかとても良く理解できた様にも感じられました。

「コレは......新年などに立てた誓いや気持ちとかを
ずっと新鮮に維持していくためにも必要なことなのかもしれないな......」

と、そんなことも思いましたし、
毎日の生活においてある程度の「区切り」をつけていく、持っていく、
ということは、
自己成長のためにもとても大切なことなのだとも思わされました。
そしてそんな自戒的な一日や一時を定期的に設けるということが、
緩みそうな「何か」をシッカリ締め直してくれるような感覚も、
昨年からとても良く分かるようになりました。

年末年始。
このブログ関連ではなかなか、どーして、
また色々なことが巻き起こってはいたのですが......
特に九州や三鷹のあたりで......
しかしながら、改めて「誓い」や「区切り」をつけやすい新年というものは
とても大切なのだなぁ......
などと思わされてもいたわけでございます。

そんな区切りや新たな誓いなどを持つにはとても良いお正月。

2016年も誓いを新たに進んでいこうと思います。

あちらこちらに、

新鮮で平穏な新年が数多く満ち溢れてますように。



毎年恒例!?
年始に新たに開ける大好きなコナ・コーヒー。

今年は、この「Kona Mountain Coffee(コナ・マウンテン・コーヒー)」さん。
「Premium Estate Grown(プレミアム・エステイト・グロウン)」の
「Signature Roast(シグネーチャー・ロースト)」
農場の名にかけたロースト!ってな感じでしょうか。
ロースト加減が抜群でとてもバランスのよい美味しさなのです(^^)
「軽やかさ」ではコナコーヒーの中でもピカイチ!の存在ではないでしょうか。
2014年のコナコーヒーのカッピングコンテストでも一位をとってます。
コナマウンテンさんはハワイ島、コナ空港のほど近くにもこんな小綺麗な
オリジナルショップを出していたりもするので......



稀少系コーヒーの中では比較的容易に手に入れやすいものです。
このところしばらくはコナの中ではちょっと骨太な味のする、
敬愛する国武さんの作る「カントリーサムライコーヒー」に凝っていたので、
コナマウンテンさんはその対極にあるコナらしいフレッシュな軽やかさ。
おいちいですなぁ......(●´∀`)ええ。ええ。
一年のやる気が出てきますのな。ええ。
がんばろーっと。


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キング

2014-08-26 20:51:13 | 感謝...映画/音楽/珈琲
笑っているのに、泣いているようにも見えて。
泣いているのに、微笑んでいるようにも見えて。



「泣くコトと笑うコトって......
もしかしたら何か共通するものがあるのかな.....!?」



「ロビン・ウィリアムズ=Robin Williams」さんの演技を見ていると、
僕は時たまそんなコトを考えさせられました。

悲しみの中にある希望。
喜びの中にある寂しさ。

いつもそんな繊細なニュアンスを感じさせられていた俳優さんです。
出演作はどれもこれも皆素晴らしい作品で、
そんな作品に沢山巡り会える俳優としての「徳」みたいなものも含めて、
僕のとても好きな役者さんでした。



少し前に、
そんな敬愛する彼がこの世を去ったというニュースが流れてきました。



なんだか......
日本で言えば「寅さん」シリーズの
渥美清さんが亡くなった時のような......
そんな感覚に近い気持ちや、寂しさが込み上げてきました。
トラさんもコメディータッチの所があったし、
ロビンさんも元々コメディアンでもあったし。
そんな部分もあって、
僕の中に似た感じのイメージが作られていたのでしょうか......



彼のいない世界がちょっと寂しいです。



彼が出演していた数々の名作の中で、
僕がDVDパッケージで大切に持っている作品はこの一本だけです。



「フィッシャー・キング= The Fisher King」
クレジットには1991年のアメリカ映画......とあります。
ニュー・ヨークを舞台にした映画で、
僕がとても大切に思う作品の一つ。
監督はロビン同様これまた最高に好きな
「テリー・ギリアム=Terry Gilliam」さん。
主人公は自暴自棄に生きているジャック。
物語は彼のこんな問いかけから展開していきます。



「時々、天罰が下ってると感じることがあるかい?」



そんなふうに思いながら暮らしているジャックの友人として
ロビン・ウィリアムス扮する「パリー」が登場して来ます。

パリーは世間一般からは外れ、疎まれているホームレス。
路上やボイラー室で暮らしていて、
いつも喜怒哀楽を所構わずそのまま表していて、
心奥に刻まれた「アル」狂気やトラウマとも戦いながら生きています。
叫び声を上げながら町中を走り回る様なこともしばしば。
精神病院に入れられてしまったこともあります。
でも実は、元大学教授であったりもします。

そんな複雑怪奇な人物を見事に演じるロビン。

そんなロビン扮するパリーはある日の夜、
セントラル・パークの芝生の上に一糸まとわぬ素っ裸で寝転がって、
月を見上げながら
横にいるジャックにこんな話しをします。



「フィッシャー・キングの話しを知ってるかい?」



パリーは話しを続けます。



「キングは子供の頃肝試しで森で一夜を過ごしたんだ。
夜に一人で眠っていると枕元に精霊が立って、
突然神の慈悲の象徴である聖杯が炎の中から現れた。
そしてこんな声が聞こえたんだ......

“人の傷を癒す聖杯をおまえに託す”

でもその時の王子が抱いていたのは
権力と栄光と美を手にすることで、
そしてその時は自分がタダの少年ではなく、
神に近い不死身な人間に成った様な気もして、
聖杯を我が手にしようと炎の中に手を伸ばしてみた......
すると、聖杯は忽然と消えて、
手には酷い火傷を負ってしまったんだ。

そして、
王子が成長するにつれその傷はどんどんと悪化していって、
その苦しみで彼はある日から、自分が何故生きているのか?
......などと考え出した。
自分はこれまでずっと他人も自分も信じられずに生きてきて、
人から愛し、愛されるようなことも無かった。
そんな苦悩の中で彼は絶望し、
城の中で死の床に伏してしまったんだ。

ある日、気のいい馬鹿者が一人城に迷い込んできて、
相手が王とは知らず、
一人もがき苦しんでいる男を見つけて声をかけた。

“ いったいどうなさりました!? ”

王はその時
“水をくれ。喉が焼けるようなんだ。。”
と答えた。

男はちょうど側にあった杯に水を入れて王に差し出した。
その水を飲んだ王は痛みが和らいでいくのを感じていた。
そして、フト、手にした杯を見ると、
なんとそれは長年王が探し求めていた聖杯だったんだ。
王はその男に訪ねた。

“誰も探せなかったモノを何故!?おまえが探し出せたのだ!?”

バカな男は答えた。

“そんなことはわからない.....俺はただ......
ただ、あなたが喉が渇いているのだと思って。。。”

――――――どうだい?
とても美しい話しだろ?」



この映画のタイトルでもあるこの話しにはいったい
どんな意味が込められているのでしょうか......
また、あるシーンでは、
ホームレスのパリーはこんなことも言っていました。



「時々、ゴミの中にも美しいものがある。」



どのシーンでもパリー演じるロビンの何とも言えない表情が
台詞を宝物のように輝かせます。



人を幸せにすると自分も幸せになれる。
そして、人を幸せにするコトというのは、
いつもホンの些細なことだったりするんだ。
それは、いつも、自分も相手も、
誰も気づかないくらい然りげないことだったりするんだ。



パリーはずっと、
スクリーンからそんなことを投げかけて来ます。
それはロビン・ウイリアムスが扮するパリーでなければ
とても表現出来ないであろう繊細さで。

物語の中盤では、
そんな繊細なるパリーが恋をしてしまった女の子に
想いを告白するシーンもあります。
やはりロビン独特の切ないのか?嬉しいのか?
なんともいえない感じでの告白シーンなのですが、
このシーンで僕は一つ気づいたことがありました。


「慈しむ」


喜びにも、悲しみにも。
泣き顔にも、笑顔にも。
そんな相反しそうなモノ達の共通土台と成りえるものとして、
そんな言葉が思い浮かびました。
その土台がしっかりと、
何よりも強固に有るからドチラの感覚にも見えるのだろうか......と。

いつくしむこと。
慈愛。

もしかしたら、
パリーを演じるロビン・ウイリアムズという人の心には
「慈愛」というものが、夏の日に咲き誇る広大なひまわり畑の様に
いつも広がっていたのではないか......と。
このシーンで、僕はそんな事を思いました。

恋する相手の全てを認め、受け入れ、なお、一層愛する。
そんなパリーの恋は「深い慈しみ」のようなものでもあって、
そんなどこまでも純粋で美しい告白シーンに
僕はいつも胸を打たれてしまうのです。



「君は昼休みに回転ドアから上手く出られずに、
毎日毎日いつもドアから一度押し戻される。

君は気分がいいと必ずブックスタンドによって本を買ってしまう。

君は水曜日には決まって中華料理屋でランチを食べる。

仕事に戻る途中ではいつもキャンディーを買う。

仕事にはうんざりしていて、友達は少ない。

動作がぶきっちょで時々そんな自分に腹を立てる。

時々酷く孤独に落ち込むこともあって.......

......僕は君が好きだ。

I Love You。

君は誰よりも素晴らしい女性だ」



いつも大きな慈愛に満ちていた、
敬愛するロビンの冥福を祈りたいと思います。


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Walk on the Wild Side

2013-10-31 00:01:52 | 感謝...映画/音楽/珈琲
「ワイルド サイドを歩こうか。
Hey!Babe!
ワイルド サイドを歩こうか。。」



......この人を語るには、いったい?
どの道からがいいのか。。
本当にいろいろあって......困り果てる人です。



「ルー・リード=Lou Reed」



2013年、10月27日。
数日前。
アメリカ、ニューヨーク州、
ロングアイランドでこの世界を旅立たれたそうです。
享年71才。



以前から、
もう長いこと体調の不良が伝わって来ていたので
驚きというのは少ない感じなのですが、ただ、
少しばかりの悲しさと喪失感と。
大きな大きな......
とても大きな寂しさが波となって僕に押し寄せて来ます。

音楽......特にロック好きな人でもない限り、
今や知る人もあまりいないのかもしれませんし。
少しマニアックな話になるのかもしれませんが、
僕の様な人間からすると一つの時代の象徴が
また一人消えてしまったような気もして。
「笑っていいとも」終了のニュースを聞いた時に感じた気持ちとも
少し似ているような、そんな感慨もあります。

彼の少し陰った、
憂いのある、
しゃがれて「♭」......フラットに揺れる歌声が聞こえて来ます。



「Hey!Honey!ワイルド サイドを歩こうぜ......」



きっとデビッド・ボウイもクラッシュも。
セックス・ピストルズだってR.E.M.だってレニー・クラヴィッツだって。
ニルバーナもレッチリもU2だって、この人がいなかったら......と、
そんな人だと思います。
パンクもグラムもオルタナティブもグランジだって......
そんな人だと思っています。
ニューヨーク・アンダーグラウンドもポップ・アートも。
音楽のジャケットや中性的な感性がアートや文化になることだって。
ゲイ・カルチャーやドラッグクイーン......
新宿の二丁目だって、お姉マンだって。
日本のバラエティーTV番組で市民権を勝ち得ている
マツコデラックスさんだって。
そんな部分にしても、
ルー・リードとまんざら無関係ではないのかな......と。
そんな風にも勝手に思っています。





18才の頃に出会った彼が率いていたバンド
「ベルベット・アンダーグラウンド」
そのデビュー盤
「The Velvet Underground and Nico
=ザ・ベルベット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ」
ルー・リードのメジャーデビュー盤でもあります。
当然、僕の世代では「リアルタイム・インパクト」ではないのですが、
今まで触ったことの無かった、
当時も今も表現のしようが無い不可思議な手触りと曖昧さと不信さ。
でも、確信めいた「したたかさ」もあって。
実はタイシタコト無い音楽?なのか?
とんでもなく凄いモノ?なのか......
そんなワケの分からない斬新さも入り交じる「妖艶」なアルバム。



ロックを聞き込んでいくと必ず辿り着くアルバムの一つでした。



個人的には「月」のようにも見える、
今や伝説となったアンディー・ウォーホールが描いた
「イエロー・バナナ」のアナログジャケット。
初回盤はバナナの部分がシールになっていたのだそうで、
バナナのヘタの横に小さく、アートにクレジットされた
「PEEL SLOWLY AND SEE(ゆっくり剥がして見て下さい)」
というテキストの通りにすると、
シールの皮が剥がれ、
中からバナナの果実が出てくるというジャケットだったそうです。
そんな貴重な初回盤でなくても、
僕にとっては忘れられない強烈な印象のデザインで。
このアナログ盤やCDの他にも、
家の玄関にはこの「バナナ・アルバム」のポスターを、
もうカレコレ10年以上も飾っています。



「学校も嫌いで団体も嫌いだった。
権力なんてヘドが出る。
俺はロックするために生まれた」



1960年代のヒッピー辺りから始まり、
80年代にピークを迎えた「サブカルチャー」と呼ばれた文化も、
こんな言葉を放っていたルー・リードやアンディ・ウォーホール、
その後世界を揺るがしていったデビッド・ボウイやパンクバンド達が
増幅させていったようにも思います。
それは「メイン・カルチャー = マス・カルチャー」への不信感。
アンチ・メインストリームのカルチャー。
強大な権威、権力へのカウンター。
そしてそれは、
いつの時代でも音楽の奥底に深々と潜んでいる一つの途切れないDNA。
ロックの本質とは、きっと、
そんな奥底に潜んでいるDNAの一部を拡大し、
一番前に持って来たというようなこと。



ルー・リードやウォーホールは、
そんなDNAそのままの人の様に僕は思っていました。



ボーダレスなネットワークが拡大していく時代。
メインとサブのような図式や価値観が意味をなさなくなって。
そんな時代にルーリードが旅立ってしまったということも、
もしかしたら自然なことなのかもしれません。
それでも、彼の残した音楽や言葉は、
そんな時代にも輝きを失っていないように僕には思えています。



ワイルドサイドを歩こうぜ。
ヘイ!ベイブ! 
ワイルドサイドを歩こうぜ。



Tank You!
Lou Reed!!
and...
I miss you... ( ノД`)グスン...



ロック史に輝く名盤「トランスフォーマー = TRANSFORMER」
ニューヨークや東海岸の音楽は、
「仲間感」のある西海岸とは違って、なんだか、
何時もメロディーや歌詞の奥底に「孤独」さがある様な感じがしています。
ビリー・ジョエルの曲にも、
アリシア・キーズの曲にも。
ルー・リードにも。
それは上着の部分だけを捉えると「クール」と言われるのか
「洗練」といわれるのか。
東京もちょっと似ているところがあるのでしょうか。
大都市のカルチャーや個性って......そういうものなのか?な。
このアルバムで一番好きな曲......「ワイルドサイドを歩け」
「 Walk on the Wild Side / Lou Reed」



Holly came from miami F.L.A.
Hitch-hiked her way across the U.S.A.
Plucked her eyebrows on the way
Shaved her leg and then he was a she
She says, ”Hey Babe",
Take a walk on the wild side
She said, "Hey Honey"
Take a walk on the wild side

ホリーはフロリダ、マイアミからやって来た
ヒッチハイクをしながらアメリカを渡って来た
途中で眉毛を抜いて
すね毛をそって、それから「彼」は「彼女」に変身したんだ
彼女は言うんだ
「ヘイ!ベイビー、ワイルドサイドを歩かない?」って
僕も言たっんだ
「ヘイ!ハニー、ワイルドサイドを歩こうか」ってね


Candy came from out on the island
In the backroom she was everybodys darling
But she never lost her head
Even when she was given head
She says, "Hey Babe"
Take a walk on the wild side
Said "Hey, Babe"
Take a walk on the wild side
And the colored girls go
doot do doot do doot do......

キャンディーは島を抜け出しやって来た
裏の世界では彼女はみんなのお気に入りだった
彼女はよくフェ○×オさせられていたけど
決して自分を失ってはいなかったよ
彼女は言うんだ
「ヘイ!ベイビー、ワイルドサイドを歩かない?」って
僕も言ったんだ
「ヘイ!ベイビー、ワイルドサイドを歩こうぜ」ってね
そして、褐色の女の子達が歌うんだ。
doot do doot do doot do......


Little Joe never once gave it away
Everybody had to pay and pay
A hustle here and a hustle there
New york city is the place where they said
"Hey, babe",
Take a walk on the wild side
I said "Hey Joe" take a walk on the wild side

小さなジョーは一度もソレを許したことは無い
誰もが金を貢ぎ続けなければいけなかったんだ
ハッスルにハッスルを重ねてさ
ニューヨークではどこでもみんなこう言うんだ
「ヘイ!ベイビー、ワイルドサイドを歩かない?」ってね
僕は言うんだ
「ヘイ!ジョー、ワイルドサイドを歩こうか」ってね


Sugarplum Fairy came and hit the streets
Lookin' for soul food and a place to eat
Went to the apollo should have seen him go go go
They said "Hey, Sugar" take a walk on the wild side
I said "Hey Babe" take a walk on the wild side
All right huh...

シュガープラム・フェアリーがやってきて、街へ繰り出した
ソウルフードと、それを食べる場所を探して
アポロ劇場へ向かったんだ
君は彼がゴーゴーダンスをするのを見とくべきだったよ
彼らは言ったんだ
「ヘイ!シュガー、ワイルドサイドを歩かないか?」って
僕も言ったんだ
「ヘイ!ベイブ、ワイルドサイドを歩こうぜ」って
そういう感じ huh...


Jackie's just feedin' away
Thought she was James Dean for a day
Then I guess she had to crash
A valley would have helped that pass
She said "Hey Babe" take a walk on the wild side
I said "Hey, Honey" take a walk on the wild side
And the coloured girls say
doot do doot do doot do......

ジャッキーはただ突っ走ってたんだ
一日だけ、
ジェームズディーンみたいに
それなら僕は、
彼女は事故らなくちゃダメなんじゃないかと思ったんだ
バリウムを飲めばもっと突っ走れただろうに
彼女は言ったんだ
「ヘイ!ベイビー、ワイルドサイドを散歩しない?」って
僕も言ったんだ
「ヘイ!ハニー、ワイルドサイドを散歩しよう」ってね
そして、黒人の女の子たちが言うんだ。
doot do doot do doot do......


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おやすみ、デイジー

2012-10-15 00:00:06 | 感謝...映画/音楽/珈琲
デビット・フィンチャー監督。
「ベンジャミン・バトン」
フィッツジェラルド原作の、
映画史に刻まれるであろう素晴らしい映画なので、
ネタバレ的な事は勿論書けませんが、
沢山ある印象的なシーンの中で、少しだけ......
いつか見てくれるであろう、大切な人のために。



主人公は、老人として生まれ、
月日とともに若返っていく
「奇妙な運命」のもとに生まれた男、ベンジャミン。
ヒロインは普通に年を重ねていく美しいダンサーのデイジー。
生まれながらに全てが「老人そのもの」だったベンジャミンと、
普通の子供であったデイジーは、
二人共に「幼い頃」に出会います。

その後の二人の人生は、
流れる時間が「真逆」になっているので、
一つの交差点に正反対の方向から歩いていく......
といったような物語になっていきます。

片や若返り、片や年老いていく......
ちょうどその二つの道が出会い、交じる交差点の中央。
二人共に43才ぐらいの時。
数奇な運命を辿り、ようやく二人は一緒に暮らすことになりました。
年を重ね、でも女性として幸せいっぱいの中にいるデイジーは、
なんだか寂しそうにしているベンジャミンにこう話しかけます。



「......何? 。。何を考えてるの?」



日々若返っていく自分の体を思いながら、
ベンジャミンはこう答えます。



「ん、、永遠は無いんだなって。。残念だけど。。」

「いいえ、あるわ」



そういうデイジーに、
これから先の自分の運命を予期したかのようなベンジャミンは、
寂しそうに、でも、ニコッと笑ってデイジーにこう言います。



「......おやすみ、デイジー」

「おやすみ、ベンジャミン」



デイジーは幸せそうに、そう答えました。
その時彼らの部屋でついているテレビはモノクロで、
そこではビートルズが「ツイスト&シャウト」を歌ってました。



それからまた月日は流れます。
家を出て、たった一人、
若々しく世界を放浪しながら暮らすベンジャミンが、
デイジーとの間にもうけた娘に手紙を出します。
娘はちょうど大人になろうとしている頃。
その最愛の娘に宛てた手紙にはこう記されていました。



「......遅すぎる事は何も無い。
僕は早過ぎか。。

望みはきっと叶う。
いつ始めてもいいんだ。

君は何時でも変われる。
変わらないままでいるのも自由だ。

最高でも最悪でもいい。
勿論、最高の方がいいが。。。

驚きを目にして、
感じた事の無い事を感じて、
様々な価値観と、人に触れてほしい。

誇りを持って生きて欲しい。

もし君が道を見失ったら、
自分の力で、、、もう一度、、、やり直せばいい」



止まることのない月日は、また悠々と、遠々と流れていきます。
年老いてしまったデイジーは、
その頃はもう青年の様に増々若返ってしまっているベンジャミンに
こう言います。



「......永遠など無いわ」



青年のようなベンジャミンは年老いたデイジーにこう返します。



「あるよ」



デイジーは少し微笑みます。



「......おやすみ、ベンジャミン」

「おやすみ、デイジー」



映画はこの後も、
印象的なラストに向かい深いドラマを紡いでいきますが、
そこに描かれていることには、
沢山の意味や意図が込められているように思われます。
劇中でベンジャミンも言っていたかもしれませんが、
中でも一つ僕が思うのは、年をとることと、
若返ることとはあまり大きな違いは無いのではないか......
ということ。



僕の奥さんは同い年です。
大卒後10年務めた会社の同期の女性です。
そして、今日は彼女の誕生日。
デイジーとベンジャミンと違って、
全く同じに、一緒に歳をとれる事がとても幸せな事に思えています。
だから、何の変哲もないありきたりの言葉だけど、
多くの気持ちを込めて、
今夜ぐらいはちゃんと彼女にこう言おうと思っています。

「おやすみ」



キッチンのひまわり。
とても好きなのだそうで。。


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