雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

五嶽神鏡

2024-12-19 00:00:10 | 面白い...パワスポ寺社
いわゆる「お守り」というものに関しては

Omamori
御来光守
Twilight

という過去記事に記していましたが、
特に「Twilight」という記事は

かも、しれません。

という記事とも深い関連性があります。
全てとても個人的な記事ではありますが、
いつも大切に思っていることを置いておこうと記していました。
そして、そんな御守りさん達の中で特に強力!
と思えるものが「玉置徒然 2」という記事に記したとおり
「弓神楽の木札(ゆみかぐらのきふだ)」というもので。
和歌山県は熊野の最奥地に鎮座する
「玉置神社(たまきじんじゃ)」で頂けるもの。
「御守り」というよりは「護符(ごふ)」
というものでもあるでしょうか。
更には!
クセが強いので!?
これまで記していなかったもう一つのツワモノ御守りがありまして。
それがコチラ......







「五嶽神鏡(ごがくしんきょう。ごこくしんきょう)」
奈良県は吉野の山中にある世界遺産寺院
「金峰山寺(きんぷせんじ)」
でいただけるピカピカの金属鏡。
「鏡の御守り」とでも言いましょうか。
この鏡は使い方も大切で、鏡の面を外に向け、
縁にある小さな出っ張りを下にして持ったり、
置いたりすると良いとされています。



僕さんとこの神鏡とのお付き合いは、
もう、かれこれ10年以上に及ぶのですが。
最近、鏡面が完全に曇ってきてしまったので、
ここで新しいモノに変えようと、
先月の末に金峯山寺まで参詣して新しく頂いてきました。
そして、
久々に行くことにしたのにはもう一つの理由がありまして。
それが、知る人ぞ知る日本最大の秘仏
「金剛蔵王大権現像(こんごうざおうだいごんげんぞう)」
が御開帳している!ということを耳にしたこと。

「御守りを新しくしようかな......」

などと思ったタイミングで公開しているなんて、

「この期間に行かねばならぬ!」

と、気合を入れてお出かけしてきました。
秘仏は三体で、どれも7メートル以上もある巨大な像。
とにかく大きく、迫力がヤバイのです。
写真撮影はNGなので公式写真などを。
ええ。ええ。



御開帳期間は像の間近くに1人きりで入れる、
小さく仕切られた小部屋が幾つか設えられていて。
その間仕切り部屋に個別に入り、
巨大な権現像さん達とじっくりと向き合うことが出来ます。



正直、
とても感動します。



そんなトンデモナイ像があるところですので。
この特別な神鏡守りのチカラはタイヘンなものでして。
金属製でズシリと重く。パワー感も半端なし。
お値段もそれなり。
新調したモノもこれまで通り大切に持っていようと思っています。
いつもありがとうなのです。
とても感謝なのです。





コチラはそんな権現像さん達が収まっている蔵王堂(本堂)。
国宝であり世界遺産でもあります。





そもそも
「金剛蔵王大権現(こんごうざおうだいごんげん)」
さんというのは、全国に散らばる
「修験道(しゅげんどう)」なるものの大元になる像とのことで。
1300年ほど前に修験道の開祖である
役行者(えんのぎょうじゃ、役小角)さんによって感得された権現仏。
この権現仏に関して、今回、
僕さんとしては新たなことがわかったので、
次回はそのお話をさせてもらおうかと思っております。
例によってネットや本屋さんを回っても
何処にも書かれていないようなことでしょうから、ま、
ここだけのお話......という感じで。
ええ。ええ。
ポンチキさも極まりますし。
皆様におかれましては変人に思われないよう、
心の奥にそっと仕舞っておいてもらえたら......
という感じのお話でしょうか。ただ、

「間違いないことだろうな......」

という実感は確固としてありまする。
そんなこんなの徒然話しはまた次回にでも。
今日のところは一旦、おやすみなさいです。(^^)


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大きな森 2

2024-11-29 00:07:50 | 面白い...パワスポ寺社
「れれ!?
三峰神社って、本殿横にあるこの社?
鉄柵で囲われてて入れないじゃん。
しかもデッカイ南京錠まで!?
かかってるし、、」



もう一回だけ続かせていただきます。(^^)






「入れないし、入っちゃいけない。
入っちゃいけないし、入れない。
でも、神様に呼ばれてきているし......
むぅぅぅ......」



と悩んでいた僕さんの目に入ってきたものは、
赤い鉄柵の端と、
神社の敷地を区切る壁との間にあった、
ちょうどヒト一人が出入り出来るくらいの隙間。



入っちゃいけない......



と強く思いつつ.......







入ってないっす。
ええ。ええ。
スマホには望遠レンズというモノがついてるんス。
ぼうえん。
ええ。ええ。
入れるわけないっす。
全てが気のせいっす。
世の中わそんなもんす。

ちゃんと、
誰もい来ない本殿の前でねーさんと二人で
アマテラス祝詞」を奏上して。
持って来たお酒もお稲荷も栗あんこの和菓子も神様に捧げて。
汚さないよう直ぐに下げて。
下の写真などは
綺麗に拝殿のお掃除をしているねーさんの写真ですし。
証拠写真でちゅし。
なんの証拠よ!?って?
ええ。ええ。
入ってないっす。



その後は大井駅前に戻って、
朝座っていたテーブルベンチで
神社の「御下がり」を美味しく頂きましたし。
きれいさっぱりと。
ねーさんと2人で。
ええ。ええ。
入ってないっす。





「東関森稲荷神社(とうかんもりいなりじんじゃ)」
さんの主祭神は稲荷さんのボスである
豊受大神(とようけのおおかみ)」さんとなっていました。
この神社のあるエリアは、昔、
江戸時代ぐらいまでは鬱蒼とした大きな森だったそうです。
そこには沢山の狐さんも住んでいたと伝わっているようです。
神社のある場所からも程近い、
大井町駅の隣には「大森」という鉄道駅もあって、
なるほど、
この地が以前そんな場所だったことを物語ってもいます。
神社の名前はこの地がそんな森から
人々に開発されていくのに伴い、
時ならぬお稲荷さんブームなどにも乗って!?
農耕や豊穣の神である稲荷さんや、
稲荷さんのボスである豊受大神さんをどこからか勧請して来て、
元からあった神社や神様の上に被せるように
祀って来たのではないでしょうか。
そして、何より、
この地は日本最初の貝塚発見となった
「大森貝塚」が発掘された地としても有名な所であって。
縄文の昔から多くの人々が暮らしていた地なわけです。



近くには貝塚保存の為の公園などもあって、
実は、たたずんでいると
意外に体がポカポカとしてしまうパワースポット。







掲示板や案内を見ると、
海と森に囲まれたこの地が
とても豊かな地であったということが良くわかります。





貝塚の発掘者はアメリカの動物学者
「エドワード・S・モース(Edward S Morse)」
さんで、明治時代に発見したのだそうです。
「日本考古学発祥の地」とも謳われているようで。
勿論、考古学と歴史学とを区別しての話かとは思いますが。





発掘された貝殻、土器、土偶、石斧、石鏃、鹿や鯨の骨片、
人骨片などの出土品は東京大学に保管されていて、
国の重要文化財ともなっているようです。



神社でとても興味深かったのは、
摂社の三峰神社(三峯神社)の方にいらっしゃったのは、
何故か?
ギリシャ神話のハーデース(HADES)の神様でした。
またいつか、その謎や意味が分かればと。
ええ。ええ。



ちなみに、
大井駅前のテーブルで、
すぐ横にあるマクドナルドのコーヒーの
テイクアウトをねーさんにお願いしたら、
並びにあるモスバーガーのコーヒーを買ってきてくれまちた。



「あ、モスにしたんだね」

と僕が聞くと、
ねーさんはこう答えてきました。

「え?マックのだよ」

「あら。値段ちょい高くなかった?」

「そー。マックもこんなに値上げしたんだと思って」

「それ、お店違ってると思うよ......
コップにもモスと書いてあるし、、
( ̄O ̄;) soko!? kizukanaino? majide!?...」



皆様におかれまちてわ、
くれぐれも、
マクドナルドとモスバーガーは間違えませんようにぃぃ......
普通わ間違えませんけどもぉぉ......


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大きな森

2024-11-25 00:17:03 | 面白い...パワスポ寺社
「朝から荒熊の神が、
品川にある神社に行って欲しいと言ってきたの」



10月の末頃。
プリリンねーさんからそんなラインが届きました。
続けて、以下のようなお言葉がドシドシと......



「調べたら、
東関森稲荷神社(とうかんもりいなりじんじゃ)らしいのです。
そこの三峰神社に行って欲しいとのことです。
できれば、あなたとと言われたので、
よろしくお願いします」

熱海から、横浜に帰っている途中なので、
もう少し詳しく聞いてみるね」

「やっぱり、
この神社の三峰神社に行って欲しいと言われました。
行くだけで、繋がるからとのこと。
by荒熊の神」

「スカイウェイが繋がると言っていたよ」

「昔、森だったみたい」



僕さんの返事はこんな感じで......



「何で俺が必要なんだろうね、、、」



ねーさんが神様に聞いて、
返ってきた答えはこんな感じでして......



「2人で行けば、
それだけで繋がると言っていたから。
忙しいのに、ごめんなさい」



ムムムム......
少々モヤッとしたお答えでやんすけど......
ま、いつものごとく難しいことは考えず。
ご縁ですから。
ええ。ええ。
三峰神社(三峯神社)ということですし、神様は
クニトコタチノオオカミ(国常立之大神)」さん?か
ハデスの神様(ハーデース=Hades)」さん?でしょうか。ね。
もしくは、
時期的には神様は出雲会議のはずなので、
お留守番の眷属さん?とか。
どーなんだろ。



数日後、
僕は午前中に東京、品川区は大井町駅で
ねーさんと待ち合わせをすることにしました。
この駅であればねーさんも僕さんもとても行きやすい駅で、
「東関森稲荷神社」なる所も歩いて10分ほど。
朝早くに自宅を出ると、
家の真上!には虹色の彩雲が出ていて......





駅へと向かう道すがらも、
頭上にはずっと不思議な雲さん達と彩雲の虹が......









「色々いるなぁ......
虹色太陽の下にも線?が、、出てるな。
なんだべな、今日わ......
また体が大変なことになったりしないだろうな、、
ちょっとビビルな......」





「今、神様達は出雲会議のはずだけどなぁ、、
そっか!?
海外の神様かな。。
稲荷神社だし、お留守番の強力眷属さんとか......



僕はそんなことを思いつつ、そのまま大井駅へと向かい。
少々早く着いてしまったので朝マックのコーヒーを買い込んで。
気持ち良い駅前の屋外テーブルスポットに座り、
ボケボケとコーヒーを飲みながらねーさんを待っていました。
ふと空を見上げると、
家を出た時と同様のワサワサとした感じが続いていて.......





やがてねーさんも合流。
ねーさんが持ってきた神様用のお酒と、
僕さんは美味しい稲荷寿司と、
秋の味覚の栗をあんこで包んだ美味しそうな和菓子を買って
神社へと向かいました。
神社は住宅街の中の狭い敷地にポツンと、
こじんまりとありました。



駅から歩いて行くと、
ずっと緩やかな坂を登って行く感じになるので
実感を持ってよくわかるのですが、
場所的には大森の地の高台の頂上。
縄文の昔から江戸の頃までこの辺り一帯が海であったことを考えると、
神社のある場所は住むのには最高なところ。
空気の流れもとても良く、なるほど、
神社となるには最適な場所であることも実感。
早速、境内に入り、本殿に向かうと、
神様が仰っていた三峰神社は
境内摂社として本殿の横にありました......が......





「れれ!?
三峰神社って、本殿横にあるこの社?
鉄柵で囲われてて入れないじゃん。
しかもデッカイ南京錠まで!?
かかってるし、、」



もう一回続かせていただきます。(^^)


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日枝と日吉と比叡 2

2024-11-17 00:01:00 | 面白い...パワスポ寺社
写真は東京、赤坂の日枝神社さん。
次回は、今回の流れで滋賀の日吉大社と
赤坂日枝神社のお話を少しだけ。
ええ。ええ。(^^)




東京都、千代田区にある
赤坂日枝神社(あかさかひえじんじゃ)さんの象徴的な大鳥居。
エスカレーターがあることでも有名な参道であり鳥居。



この鳥居は「山王鳥居(さんのうとりい)」と呼ばれるもので、
全国山王神社の総本宮である滋賀県、大津市の
「日吉大社(ひよしたいしゃ)」さんの鳥居の形を
そのまま模して建てられているもの。
ちなみに、
上の赤坂の街側に向いた有名な鳥居は裏鳥居でして、
神社の正面となると、
東に向いたコチラの鳥居となります。
前回記事に記した理由?意図?でもって?
それがわかるような人が昔にいて?
国会議事堂や永田町に向いてもいるわけです。
ええ。ええ。
答え合わせっす。





正面の表参道から入って参拝したい!
なんていう時はコチラの方から入るのが良いかと思われます。







「皇城之鎮(こうじょうのちん)」ですか......
こちらは狛犬ならぬ狛猿!?さん。
勿論、マサルさんです。
前回記したように、
マサルさんは知恵の神様でもあるわけでして。
ええ。ええ。





この神社のポイントは、
境内を出たところにあるコチラの摂社さんズ。





社(やしろの)の中には山王稲荷神社さんと、
猿田彦神社さんと八坂神社さん。
八坂神社さんとは......スサノオさんでしょうか。
山王稲荷さんは白い、大きな狐さん。
実は、この社の裏に小さく盛り上がっている林がありまして。
そこに、いや、そりわ、そりわ、わんさかと......
狐さん達が居られます。



いつも華やかな赤坂の街に繰り出して
色々なことのサポートをしている稲荷さん達で、強力。
この稲荷さん達をまとめる一層強力なボスとして
白い山王稲荷さんがいらっしゃる感じ。
夜な夜な政治家さん達も多く集まる赤坂の街のドロドロ、
ウヨウヨとしたものを懸命に掃除している稲荷さん達。
沢山のお店などの守護もしているようで、
赤坂の街が栄えている要因の一つでもありましょうか。
この小山には近づいたり、入ったりしてはなりませぬ。
泥のハネアタリなんかもありますしね。
その強力さゆえに、
本殿とは別に猿田彦さんやスサノオさんが居られるわけで。
白狐さんにご挨拶と慰労を伝えるのが良いかと。
ええ。ええ。
稲荷さん専用の稲荷参道もあります。
外国人観光客さん達に大人気なゾーン(^^)



この神社のお祭りは「山王祭」という東京最大のお祭りの1つ。
京都の祇園祭、大阪の天神祭と共に
日本三大祭に数えられるお祭り。
その準備の時に訪れたこともありまして。
貴重なものを間近で見せていただきました。







不思議と東京らしい?
感じのする神社さんではないかと。
行くと、例によって日輪が出る日も多いのですが......
国家政治に強く関わっている神社さんではないかと。











そして、全国の日枝、日吉、山王神社系の総本宮は
「日吉大社(ひよしたいしゃ)」さん。
滋賀県は大津、琵琶湖の畔にありまする。
写真の方は、と......
古すぎるガラケー写真しか!手元に無く......
大変申しわけありませぬ......





「日吉」は昔は「ひえ」と呼ばれていて、
その「ひえ」は「比叡山(ひえいざん)」からきています。
よって、前回とこの記事のタイトルは

「ひえとひえとひえ」

となるわけです。
ええ。ええ。
答え合わせっす。

比叡山ですから
「延暦寺(えんりゃくじ)」さんの守護神社であり、
神様でもあるわけで。
前回記事で記した通り、
主祭神の大山咋神(おおやまくいのかみ)様は
境界線や結界の神様でもありますし、
マサルさんは知性や知恵の神様。
ということは、
延暦寺さんというのは結界のお寺であるとともに、
実は「知恵者」のお寺さんではないかと。
結界守護であり、知恵を生む寺院。
そんな寺院を守護する神社さんの参道ですから、
とても雰囲気があります......







やがて赤坂日枝神社さんと同じ形の鳥居が表れます。
いわゆる山王鳥居(さんのうとりい)。



小山一つほどのエリアを持つ大きな神社さん。
社(やしろ)はどこも神的雰囲気満点。
基本は「西本宮」と「東本宮」のエリアに分かれていて、
他所にも多くの社があります。



境内は広すぐるので、
僕さんの個人的なポイントだけ記しておきますと、
なんと言っても境内背後の山の頂きにある大鏡!
的な磐座(いわくら)
「金大巌(こがねのおおいわ)」
牛尾神社と三宮神社という2社に挟まれた所にあります。





コチラがこの神社さんの御神体なるモノではないかと。
比叡山自体にとってもとても重要な場所。聖地。
訪れる価値大。
古ぼけチープ写真ではソノ大きさも伝わらないと思いますが......
大きいのです。
すげーっす。
インパクトあるっす。
ただ、登るのはキツイ!という人もいる場所でしょうか。
行こうと思う方はどうか靴だけは!
間違えないように!
です。





山頂の牛尾神社の里宮が下の境内にある「東本宮」で、
三宮神社の里宮が「樹下神社」となるようです。
そして、その里宮二社に向かう参道にドン!
とあるのが、元祖!?
マサルさん!
が降りられる磐座「猿の霊石」





この「猿の霊石」と「金大巌」がひときわヤベーっす。
ええ。ええ。
今度行ったらスマホで写真とっておきまぁぁーーーちゅ♡
どうか、アホな僕さんにも
知性と知恵を授けてくださいましぃぃ―――!
結界で護ってくださいましぃーーー!




大津から望む比叡山♪(^^)



☆関連過去記事はコチラ☆
飛騨高山徒然
飛騨高山徒然 2
飛騨高山徒然 3
飛騨高山徒然 4
飛騨高山徒然 5
飛騨高山徒然 6
飛騨高山徒然 7
飛騨高山徒然 8
飛騨高山徒然 9
飛騨高山徒然 10
飛騨高山徒然 11
飛騨高山徒然 12


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日枝と日吉と比叡

2024-11-13 00:02:12 | 面白い...パワスポ寺社
少々長い連続記事となってしまった「飛騨高山徒然」に届いていた
コメントシリーズとなりまちゅが。

その「7」の方には「ナナさん」からこんなコメントを頂きまして。
そのままコピペをしますと......



==============================
「日枝神社は御祭神が大山咋神(おおやまくいのかみ)様
とされている神社が多いようなので
検索してみましたが大山咋神様についての記事は出てこず(T . T)
見落としてたら申し訳ないのですが、
これまでどこかで記事にされてましたでしょうか?
大年様のお子様(スサノオ様のお孫さん)とされている神様だと
東京の日枝神社のHPには記載がありましたが
謎の多い掴めないイメージでして。 ( ー̀ωー́ ).。。

日枝神社は東京の日枝神社しか行ったことはないのですが
一緒に国常立神様がいらっしゃるので
木花咲耶姫様の富士神社との繋がりはなるほど〜
と納得した次第です。

しかし、なんと美しい日輪…!!
お写真だけでも感動しました(T . T)
美しすぎて(?)ぐわんと大きく目眩がするほどです(@_@)
==============================



僕さんの返事は以下の通りで。
ナナさん以外の方にも何かの役に立つようなことが「もし」あればと。
飛騨高山徒然シリーズ」のスピンアウト記事ともなりましょうか。
ええ。ええ。



==============================
そうですね(^^)。
確かに僕はまだ書いてないと思います。
大山咋さんのお話はそれだけでシリーズ記事になりそうなので!?
今回はそこには触れないように記しています。

赤坂の日枝神社はオフィスからも近くて、
僕もよく行く神社の一つです。
家の神棚の両脇を固めてくれているお猿さんの置物も
赤坂日枝神社のものです(^^)
以前、ねーさんSZさん
「置物を買うと良いよ!」
とも言われるくらい力のあるお猿さんです。
名前を聞いたら「まさる」とおっしゃっていました。
なので僕はいつも「マサルさん」と呼んでいます。

この日枝神社(ひえじんじゃ)というのは、
そもそもは琵琶湖のほとり、
大津の近くにある日吉大社(ひよしたいしゃ)のことであり、
日吉という文字は元々「ひえ」と読まれていました。
なので、この日吉大社は元は「ひえ大社」なわけです。
その「ひえ」は、この神社がある山、
守護する山である「比叡山(ひえいざん)」から来ています。
それで全国の「日枝神社」の総本宮もこの、
近江の「日吉大社」となっているわけです。
wikiなどによれば、大山咋さんは

「クイは杭のことで、大山に杭を打つ神、
すなわち大きな山の所有者の神を意味し、
山の地主神であり、農耕(治水)を司る神とされる」

などと記されています。
それはその通りだとも思いますが、
僕が神様から教わった大山咋さんは、
もう少しニュアンスが違うところがあって、
それは

「山と人里(人の住むところという意味で)との結界の神」

というふうに伺っています。
ここからは人が踏み入ってはならない自然界で、
ここからは人が安心して暮らせる土地である。
そんな境界線を守る神様。

このことは先に記した「日吉大社」に行ってもらえれば
直ぐにわかると思いますが、
まさに霊山「比叡山」と人里との境界に立っている神社です。
それは山頂にある比叡山延暦寺をも守っている感じ。
京都の街にしてもそうです。
北東の守護結界の神社....裏の延暦寺......ともいえます。
飛騨高山の日枝神社のある場所もそうです。
赤坂もそうでしょう。
赤坂の賑わう町と、
以前は小高い丘陵であったであろう永田町との境にあります。

結界の社。

結界を作ったり、
引いたりする時にとても力になってくれる神様であり、
効力も高い神様です。

まさるさんはそんな神様の1番の眷属(けんぞく)さんであり、
多様な眷属神さん達の中でも一際高い知性と
多彩な力を持っています。
国政をとらんとする政治家さんが好むチカラで、
タイプでもある眷属さんでしょうか。
赤坂日枝神社の隣に永田町があることは
まんざら偶然ではないのですね。

そして、国とは、
実は結界の中の地のようなものですから。

日枝神社や大山咋さんは、なので管理職の方や社長さん、
人を束ねる仕事をされているような方には
とても助力になる神様であり、神社でもあるでしょうか。

大山咋さんは一般的に大物主さんや大歳神さんの子供とされていますが、
それはすなわちニギハヤヒさんの子供ということでもあり、
スサノオさんの孫という表現や伝承は間違いではないとも思います。

と、まぁ、簡単に記してもこんな感じでして......
またどこかで僕なりのこんな話を記せたらと。
機会を探りますね(^^)
==============================



写真は東京、赤坂の日枝神社さん。
次回は、今回の流れで滋賀の日吉大社と
赤坂日枝神社のお話を少しだけ。
ええ。ええ。(^^)



☆関連過去記事はコチラ☆
飛騨高山徒然
飛騨高山徒然 2
飛騨高山徒然 3
飛騨高山徒然 4
飛騨高山徒然 5
飛騨高山徒然 6
飛騨高山徒然 7
飛騨高山徒然 8
飛騨高山徒然 9
飛騨高山徒然 10
飛騨高山徒然 11
飛騨高山徒然 12


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飛騨高山徒然 12

2024-11-09 07:20:58 | 面白い...パワスポ寺社
アメリカ大統領選挙ではトランプさんが勝ちましたが。
そのまんま、
8年前にヒラリーさんに勝利した時に書いた記事が
思い浮かぶわけでして。
以下にテキストリンクなぞを。
ええ。ええ。



衝撃!?



そんなこんなのこのブログさんでは、
少し前までシリーズで記していた「飛騨高山徒然」の、
その「10」に、
こもりくさん」や「satokoさん」からコメントを頂きまして。
ポソポソと返答をしているうちに、ふと、

「この話は......
飛騨高山徒然の12のような感じだな......」

などと思いまして。
11」の記事から間も無いタイミングではありますが、
その時の会話をそのままココにも置いておこうかと。
ええ。ええ。
なにとぞのご容赦を!なのです。(^^)



===========================
【こもりく】
飛騨のおはなしに
稗田阿礼が出てくるとは思わず驚きました。

大和郡山に
めた(めだ かな?!)神社という
ご祭神は稗田阿礼さんの神社があります。

そこには猿田彦さんとアメノウズメさんも
お祀りされています。

いろいろなところと繋がっているんですねぇ。



【amenouzmet】
おおおーー!こもりくさん。
さすが!奈良在住!(^^)
まさにその通り!
奈良と飛騨は強い繋がりがあるわけです。

記事から省いた部分の話をすれば、
山林豊富な木曽の山中にある飛騨には
優れた木工職人さんが多勢住まわれていました。
所謂「飛騨の匠」と言われる方々です。
記事中に出てくる櫻山八幡宮の中には、
そんな飛騨の匠さん達の軌跡がよくわかる博物館もあります。

当然ですが、
昔も今も彼等はとても貴重な方々で、
時の為政者が何か建物を、公共事業を、、、
なんて考えた時には、
その原材料も含め必ず彼等の力を借りないと
作れなかったわけです。
勿論、都を作ろう、、、なんて時は尚更で、
かなりの人数も必要となるわけです。

そんな木工や土木建築のプロでもある飛騨の匠さん達を
都に呼んで住まわせたであろう地が、
今も奈良には以下の様な地名で残っていると思います。
どれも職人さん達が故郷、
飛騨の地名を付けた地なのですね。

橿原市 飛騨町
橿原市 古川町
北葛城郡 河合町
奈良市 月ヶ瀬

古代王都であった橿原神宮や藤原京、
平城京の位置関係からみると、
これらの地がどれだけの一等地にあるか!
天皇の住居近くにあるか!
わかるかと思いますよー。
月ヶ瀬だけは明らかに木材の切り出し点でしょうか。
実は、東大寺のある場所も一部、飛騨の匠の土地で、
「飛騨坂所」と呼ばれる地なのだそうです。
お近くでしょうから、ぜひ散策などしてみて下さい(^^)



【こもりく】
そうそう、そうです。
橿原市古川町も飛騨町も藤原京のすぐ近くです。

ほんまやわぁ^_^

毎週、藤原京の横を通って実家へ行きます。

いまはコスモスがきれいです。

あの広い広い藤原京の場所にたつと
なぜか、とても懐かしい気持ちになります。
そこにいたんでしょうか^_^

亡くなって6年経つ、父は山育ち、
建築の仕事に携わっていました。

そのせいか、神社もお寺も大好きで
ここの作りは…とか思いながらおまいりしてます^_^

教えてくださってありがとうございます!



【amenouzmet】
お父様は飛騨の縁が
深い方だったのかもしれませんねー(^^)



【satoko】
(前略)
飛騨の阿礼さんのこと、私もそう思っています。
阿礼さんという苗字の方も飛騨に残っている(た?)そうです。
uzmetさんがコメントで書かれているように、
奈良には飛騨と関係する地名がたくさんあります。
天皇のお付きの人たちが飛騨の人たちだったので、
天皇について回っており、
それで天皇のお住まいの近くに飛騨の地名が多いそうです。
(後に蔑まれた地になったのは何か理由があると思います)
また、各地の飛騨 日田 稗田 と名のつくところは
飛騨の地から行った人々が住み着いた場所ともいわれます。
あんな山奥で全然開発されない地域ですが、
高山祭を御覧になって感じたかもしれませんが、
本当に小京都な感じです。
古川にも高山祭と同じようなお祭りがありますが、
私はもしかしたらこちらのほうが古いのかもと思っています。
万葉集
「白真弓斐太の細江の菅鳥の妹に恋ふれか眠を寝かねつる」
という歌があります。
飛騨古川の細江というところの歌塚(古川町杉崎)に
碑が残っていますが、
ただの山奥の田舎ではなく、
貴族たちとの交わりが深い場所だったと思われます。
その近くに大歳神社というただの小さな神社があるのですが、
ここがニギハヤヒ様と関係があるのではないかと
何か分からないかしら……と思っているところです。
(後略)
===========================



飛騨の匠さん達が作り上げた本物の祭り屋台が展示されている
「高山祭屋台会館(たかやままつりやたいかいかん)」
櫻山八幡宮(さくらやまはちまんぐう)の境内にあります。





江戸時代の徳川家に至っても
飛騨の匠さん達との繋がりは深いようで。
「桜山日光館(さくらやまにっこうかん)」という館の方には
飛騨の匠さん達が手がけてきた日光東照宮の模型もあります。
模型は実物の1/10のスケールで、
陽明門をはじめ、本殿、拝殿、五重塔など、
二十八の建物と鳥居などの附属物も全て完全再現しているとのこと。
構造はもちろん、装飾や彫刻、絵画に至るまで
実物と同じように忠実に再現されていて、
その部品点数は五十万個以上もあるそうです。
究極の模型。







ヤバすぎる精緻さ......
言葉になりませぬ......







歴史的にも有名な伝説的彫刻職人
左甚五郎(ひだりじんごろう)」さんも
伝承では飛騨の匠であったようです。(^^)



☆シリーズ過去記事はコチラ☆
飛騨高山徒然
飛騨高山徒然 2
飛騨高山徒然 3
飛騨高山徒然 4
飛騨高山徒然 5
飛騨高山徒然 6
飛騨高山徒然 7
飛騨高山徒然 8
飛騨高山徒然 9
飛騨高山徒然 10
飛騨高山徒然 11


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飛騨高山徒然 10

2024-10-28 00:02:35 | 面白い...パワスポ寺社
ということで。
飛騨高山の徒然話は、
最後にこの一件で確信を得た
「私的なことでない部分」
を記し残して一旦仕舞おうかと思います。
もう一回だけ続かせていただきます。






日本最古の書と言われる「古事記」。
「日本書紀」に遡ること8年前、712年に完成された古書。
現在に至るまで「大部分」史実が記されている
歴史書としての価値も認められています。
編纂(へんさん)の始まりは、
天武天皇が焼失してしまった「天皇記」や「国記」に代わる
国史の書の作成を命じたことで、
その編纂方法は、
当時28歳で高い識字能力と記憶力を持っていた
「稗田阿礼(ひえだのあれい)」
に「帝紀」や「本辭 (ほんじ)」などの多くの文献を
誦習(しょうしゅう=読み聞かせる)させ、
その後「太安万侶(おおのやすまろ)」が
阿礼の誦習したものを聞き取りながら編集し、
完成させたものと伝わっています。



——————聞き覚えられたものを、
聞き取りで編纂したという書————————



当時、稗田阿礼の天才的で驚異的な記憶力と頭脳は
とても高い評価を得ていたようで、
一度聞いたことは全て記憶してしまう人であったそうです。
古事記の序文にはこんなことが記されています。



===========================
そのとき、一人の舎人(とねり=宮使えの人)がいた。
姓は稗田、名は阿礼。年は28歳。
聡明な人で、
目にしたものは即座に言葉にすることができ、
耳にしたものは心に留めて忘れることはなかった。
すぐさま(天武)天皇は阿礼に

「帝皇日継(ていおうのひつぎ。帝紀)と
先代旧辞(せんだいのくじ。旧辞)を誦習せよ」

と命じた。
===========================



この「天才」と称された稗田阿礼さん。
僕としては、ですが。
稗田(ひえだ)でなく、
飛騨の阿礼さんです。



今に至るまで性別すらも確認されていない謎に満ちた人物ですが、
僕的には女性。
巫女職的な方。
元々は飛騨の地で神の言葉も降ろす、
畏怖される才能を持つ巫女さんとして住まわれていた方であって。
その評判が都の造営建築のために呼び寄せられ、
都に移り住んでいた多くの飛騨の木工職人さん達から
権力組織の中枢にまで及び伝わり。
それで時の天皇より直々に
都に招き寄せられたのではないかと思われます。
阿礼(アレ)とは巫女を表す呼称でもあり、踊り、神懸る
天鈿女(アメノウズメ)」さんの血脈を示す名でもあります。
それがポンチキな僕の個人的理解であり認識。
そして、今回の飛騨高山の徒然なるお話は、
極私的なこと以外の部分では、ずっと、
その稗田阿礼さんの影響下での動きでもありました。
阿礼さんは、今、
この国の天地自然の動向や状態をとても心配しておられるようです。
その辺はねーさんの方に細かい言葉が降りているかと思いますが、
僕に関してはとても大雑把な理解。感覚。



6」の記事の中で、神様が

「富士と飛騨は繋がっている」

と言っていた部分は、おそらく、
この列島の成り立ちに関係していて。
太古の日本周辺の学術的地殻変動図を
書籍やネットで探し見てみるとこんな感じで......





拝借させていただいた上の図では2段目、
1700万年前~600万年前頃の移行図などがわかりやすいでしょうか。
白山から飛騨高山にかけての一帯は太古の昔から海上に出ていて、
その後、富士山周辺の造山活動が活発化するとともに、
600万年前ぐらいまでに両地は繋がっていきます。
どちらもとても古い時代から海上にあった地であり、特に、
より古い飛騨高山の地には他の動物や生命と共に
人々も早くから住み着いていたことも想像できます。

以前も「白山徒然」という記事で記していましたが、
白山は山容を見れば、
以前は4000メートル級の山であったことも想像できますし、
乗鞍岳も相応の高さをもつ霊山です。
飛騨地域も含めたこの一帯からは恐竜はもちろん
日本最古の化石も出土しています。
それぐらい古くから動植物の営みが刻まれている地。
自然に考えても大和朝廷が全国支配を進めた以前に
なんらかの有力な独自国家や王朝的なものがあった可能性は
非常に高いと思います。


稗田阿礼さんはそんな頃の出来事や神話なども記憶していて、
神々の言葉も降ろしていたりしていたのではないかと。
天皇から白羽の矢を建てられたということは、
焼失してしまった重要文献などにしても
一部記憶していた人なのかもしれません。

古事記編纂時には飛騨の地への愛着ゆえに、
その辺の言葉も意図的に混ぜ入れた......
もしくは、自覚無しに自然と混ざってしまった......
可能性もあるのではないかと僕は思っています。
その中には、
当時の朝廷が最も消したかった神「ニギハヤヒ」の
飛騨における痕跡なども含まれているかとも思います。
古事記の話の中には部分的に古(いにしえ)の飛騨国の話も
含まれている可能性がある......ということです。
僕らポンチキーズの認識では、
ニギハヤヒさんは「古代富士王朝」建国の祖である
スサノオさんの御子息神。
当然、その頃から飛騨と富士との関係はあったでしょう。

同様に、
国を統一せんとしていた頃の天皇家と古代飛騨国も
特別な繋がりがあったのではないか......ということです。
歴代天皇が権威象徴ともしていた笏(しゃく)を
位山(くらいやま)の一位(イチイ)の木と定めて来たことにも
理由があるはずなのです。
材質の良さでは他所のイチイにしてもあるはずですし。

水無神社(みなしじんじゃ)の創建にしても、
実のところ全くわかっていないという部分には、
古代の有力な地域王朝が関係している可能性も考えられますし、
飛騨地域の古い神社の祭神をつぶさに見ていけば、
その王朝にニギハヤヒさんが絡んでいた可能性は強くあります。
ココでは過去幾度も記して来てますが、
大歳神や大物主神、金比羅、金刀比羅などは、
「場合により」ニギハヤヒの別名として使われ来てもいますので。



今回の徒然旅の最中には、
稗田の.....飛騨の......
阿礼さんはそんなことを僕に伝えんともしていました。
自宅に帰ってきた時の空は、なんだか、
とても沢山の神々が手を振ってくれていたように、
勝手に思っていたりなんかします。(^^)







今回で一旦仕舞うはずだった飛騨高山の徒然話ですが、
折角なので、大好きな高山の街の美味しいものでも
記し残しておこうかと思いつきまして。いま。
ええ。ええ。
もう一回だけ。追加で♪(^^)



☆シリーズ過去記事はコチラ☆
飛騨高山徒然
飛騨高山徒然 2
飛騨高山徒然 3
飛騨高山徒然 4
飛騨高山徒然 5
飛騨高山徒然 6
飛騨高山徒然 7
飛騨高山徒然 8
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USA 3

2024-08-21 00:00:33 | 面白い...パワスポ寺社
「八幡さんというより、
高木神(たかぎのかみ)との縁が強い人なんだよ。
彼女。USA」

「???」



———————少々長いやり取りとなってしまった
この時のLINEの会話は、もう少し続きます。




「高木神(タカギノカミ)とは高御産巣日神(タカミムスビノカミ)。
記紀神話においては天地開闢の時に現れた
別天津神(ことあまつかみ)の一柱で、
造化三神(ぞうかさんしん)と呼ばれる神の一柱でもある。
で、この神様。
僕らポンチキーズの間ではちょっと特殊中の特殊の神様で、
この国の始原神の一柱なのに、
国作りの途中で、突然、勝手に日本を出て、
アメリカ大陸に行ってしまった神様と聞いてるんだよ。
だから普段はこの国にはいない感じ。
でもって、この国古来の神々からは結構嫌われているし、
心証もかなり悪い感じ。
裏切り者的な。
強い霊能を持っている人とか、場合によっては
キライ!
怪しい!
信用できない!
なんてことまで言う人もいる。
高木神はアメリカに渡るとインディアン達の神になって。
ホピ族の神にもなって。
その時にココペリと呼ばれるようになったみたいなんだ。
笛を吹く神。
アメリカ人が指笛とか吹くのもココペリの影響なのかなぁ、とか。
お友達がUSAのシャツを着たくなるのも
高木神の影響なのかなぁ、とか。
だからお友達の氏神さんは
八幡さんというより高木神なんだろうな、とか。
なので、
普段◯◯◯八幡宮にいるのはタカミムスビさんではなく、
応神さんとしていらっしゃる!?別の神様かな。
キツネさんもいる。
色々なところにある高木神社にしても同じような感じ。
でも、今回行った時のように、
思いが伝わればちゃんと来てくれるよ。
そんな感じ。
で、高木神は造化三神と神話に書かれるだけあって、
星の神でもあるのさ。
だからアメリカの国旗は星になっているワケよ。
宇宙神でもあるから」

「あぁぁぁぁぁぁーーーー。
色々面白いなぁーーー。
USAシャツは、もはやオチですなぁー。笑。
実に面白い」

「これは、ねーさんによれば、だけど、
タカミムスビさんは基本カンザスかコロラドにいて、
時折ワイオミングにいると聞いてる。
俺は、昔、一度だけアメリカで
ココペリさんに会ったことがあるんだけどね———————」



———————今回のお話は一旦ここで終わりますが、
そんなこんなでYUさんのお友達のことは、
いつも「USAさん」と呼ばせていただいているのです。
ええ。ええ。(^^)

そして、本当に面白くて驚いたことが、
この一件の直後の出来事でありまして。
実はこの頃、住居の引っ越し先を探しに探していて、
長いこと気に入った物件が見つからず、
落ち込むほどに悩みに悩んでいたYUさんが、なんと!

この日の直後に!

素晴らしくお得すぎる!

大当たり!な、

オシャレで堅牢なRC造のデザイナーズ物件を!

この八幡さんの御神区内で見つけることとなった!

のです。

よくよく思えば、
YUさんはコロナ前まではずっとハワイに住んでいたような人ですし。
アメリカ縁も強いわけで。
勿論、お友達のUSAさんとも見事に超ご近所ともなったようで。
とかく孤独になりがちな東京砂漠で
仲の良い友達が近所にいるなんていうことは、
それだけでもとても安心できて嬉しいことでもあるのではないかと。
無事引っ越しを終えた後にはUSAさんと2人で、
2人の氏神様となった八幡さんにお参りに行っていたようでした。
そんな2人の住むエリアというのは、
不思議とアメリカと縁の強い方々が多く住んでいるような
雰囲気があったりもします。(^^)





上の写真は、以前、アメリカはテキサス州、
オースティンの街のホテルにいる時にお目にかかった!?
ココペリさん。
この時は僕さんの祝詞(のりと)を懐かしがって
聞きにきてくれたようなのですが、
日本ではタカミムスビさんとなるようです。
タカミムスビさんがなぜ日本を出て行ったのか?
はよくわからないのですが、
いつかその辺の謎も解ければいいな......
などと思っていたりもします。
僕さんの研鑽の日々もまだまだ続いていくのでしょうか、ね......
( ´△`)/ ドシテナノー



☆シリーズ過去記事☆
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USA 2

2024-08-17 00:03:50 | 面白い...パワスポ寺社
「ここにもちゃんとお酒あげるから。
一緒に手をあわせてくんろ。
この神様はスゴイから。
神社の大小とかは関係ないから」



———————お話はもう少し続きます。

「何故タイトルがUSAなのか?」

というお話にもなるかと思いまする。
ええ。ええ。(^^)




その後、
本殿の参拝も終えた僕らは、
目的の氏神様検証が果たせたので帰ることにしました。



「まぁ、さ。
YUさんは長い付き合いで俺のことは色々見てきているから
なんとなく信じてくれるんだろうけど、
そのお友達は俺のことなんてよく知らないじゃん。
だから今日、この後ネットとかで調べられる情報とかあったら
証拠としてまとめてメールするよ。
LINEとかで。
そんなものが見つかるかわからないけど、
比較的新しそうな八幡さんだから何か情報が転がっていると思うよ。
ソレと一緒に伝えてあげれば信じてもらえるだろうし、
安心するんじゃないかな。
見つかるかはわからないけど、少し時間ちょうだい」

「うん。
わかった」



その日の夜。
僕は早々に家でアレコレとネットを巡り、
その結果をYUさんにLINEで伝えることにしました。



「今日オイラがYUさんに話したことの裏が取れるか?
詳しくリサーチしました。
先ずは、お友達が調べた***稲荷神社について。
参考になる神社関係サイトはコレ。
(サイトアドレス)
確かに神社庁のサイトでは、
お友達の住所である目黒区▲▲町はこの神社が表示されますが、
神社庁のサイトにもあるように、
この神社は元々**さんという個人邸宅の内に
私的に祀られていた稲荷だったようです。
今も時折見かけると思いますが、
大きな家の庭に建ててあるような私的な神社。
そういう神社は地主や商売系の人が多いから
必然的に稲荷が多くなってしまうもの。
神社庁は単純に区画でサイト反映させてるみたいだから、、、
その辺は改良しないといけないツールだね。
氏神ではあると思いますが、
元々は個人が祀ったレベルなので、土地全体となると、
もっと大きな氏神さまがあると思われます。
機械的な神社庁サイトは良くないっすねぇ、、、と、
そして、今日行った◯◯◯八幡宮に関してですが、
神社庁の説明や、もっと詳しいWikiによれば、
古くは◯◯◯村の総鎮守であった、、と記されています。
ここに祀られている**石という石が村の名のもとになったと」

「うんうん。
なるほど。
ここまでは理解出来た」

「今日歩いた道は、やはり、
**川という川を塞いだ暗渠(あんきょ)であることが
以下のサイトにも出ている。
(サイトアドレス)
ぴったり。水場。川。
八幡の森から流れてる。
周囲には池もたくさん。
これが証明その1」

「ほんとだ。。
uzmetさんが言ってた通りだね。。」

「そして、このサイトが抜群です。
下にスクロールしていくと、
こんな古地図も出てきます。
(古地図サイト)
丸印が今日の八幡さん。
そして、お友達の住所に緑フラッグを立てた
Googleマップを合わせてみると、、、
(Googleマップ)
今の▲▲町は完全に昔の◯◯◯村ということが分かります。
最初の資料にあるように◯◯◯村の氏神は◯◯◯八幡宮です。
なので、これも当たり。
証明その2」

「ほんとだ。。。
鳥肌なんですけど。。。」

「しかも、先ほどのサイトの地図の下には
ハッキリとした史実がこう書かれています。
昭和四十一年(1966)、住居表示が実施され**町は廃止。
◯◯◯村の区画は、**町、▲▲町。**本町、*町、
**、*といった住所に分けられたが、
当社周辺は目黒区◯◯◯となる。
地図の話と同様に、
お友達の住む▲▲町は◯◯◯村から分けられた住所となります。
はい。
証明その3。
全てが証明されました」

「うん。私も今そこ読んでた、、(;゜○゜)
なんで、、、そこまで、、
わかるんだよ、、、
相変わらずだけど、、、
前情報何にも無かったじゃん。
その場で地図見て、行っただけなのに。。。
全部話してた通りなんですけど、、、、(;゜○゜)」

「これより古い神代の話は証明しようがないので、
話した通りです。
現在の◯◯◯八幡宮は、
元々はタカミムスビの神が祀られていた
高木神社だったと思われます。

その後、朝廷の支配が関東の地に及ぶにつけ、
応神天皇をはめられ、
高木神は境内末社に移されました。
権力誇示と地域支配のためです。
我々が新しい神である、と。

そのような行政仕切りです。
ということで、かなりの昔まで、
八幡宮とされる前は高木神社であったと思われます。
八幡宮の本殿でもタカミムスビさんは降りてくるとは思いまする。
そんな感じっす。
地図を見るだけで色々わかるんす。
ええ。ええ。」

「さすがです。
すべて、裏付けされましたな。
ヤバい、、、
ヤバ過ぎるんですけど( ̄▼ ̄|||)
友達には全部丁寧に説明するね。
感動すると思う。
これだけ全部文章で貰えたので、
間違いなく、お話出来ます(; ̄ー ̄A ...
ぜーーーんぶ隣で見てたから」

「今、また新たに証拠を見つけました。
(**川マップ)
この図の教会下のB地点が八幡さんだね。
やはり、水が湧く場所の一つだということが分かります。
はい。
証明4」

「笑。ヤバし。
もはや笑いが出るレベルっす」

「水気の多い神社は晴れの日に行くと良いよ。
無理して雨や曇りの日に行かなくても大丈夫。
最初は気持ちよく足が向きそうな時に行くのが一番です。
水の地なので火、陽と合わせてカミ=神なので。
念のため」

「確かに、そうだね。
それも伝えておくね!」

「あとさ、
お友達とはゴルフ場で一度会ったことがあるじゃん」

「うん」

「その時、彼女の着ていた服のプリント文字覚えてる?」

「???」

「胸に大きくUSAってプリントが入ってるシャツ着てたじゃん。
それで俺は、その後、
彼女のことUSAって呼んでたわけじゃん」

「ああ。
そう。そう」

「今回、彼女の氏神様を調べて分かったことって、
実はソレよ。それ」

「???」

八幡さんというより、
高木神(たかぎのかみ)との縁が強い人なんだよ。
彼女。USA」

「???」



———————少々長いやり取りとなってしまった
この時のLINEの会話は、もう少し続きます。



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USA

2024-08-13 00:12:32 | 面白い...パワスポ寺社
「今住んでいる所の氏神様がわからないので教えて欲しい」

なんていう相談を受ける時があります。
特段、僕は「その道」の人ではないので、
そんな時は、多くの場合、

「都道府県別に神社本庁のホームページがあるから、
そこに住所を入れて検索してみるとわかると思うよ」

という感じで答えていたりするのですが、
ただ、時折、
その検索結果とは違うケースがあるようでして。
それは単に神社本庁の「氏子区域制」という
規則的で政治的な区分けに収まらない事象がある、
ということなのですが......



少々前のお話となりますが、
そんな氏神様探索をお願いされたことがありました。
依頼人はこのブログにも時折登場してくれるYUさん......
と思いきや、彼女の話をよくよく聞くと、
YUさんの親しいお友達(♀)からのお願いとのことで。
そのお友達と僕とは一度だけ
ゴルフ場でお会いしたことがあったのですが、
僕の最初の答えとしては、
いつもの如く神社本庁のホームページをお勧めしたのでした。
しかし、その数日後。
もう一度YUさんからLINEが届き......



「この前の友達の話あるじゃん。
早速サイトで調べて、その神社にも行ったらしいんだけど、
どーも、感覚的にここじゃない!
って気がしてしょうがないんだって。
そこはお稲荷さんの神社みたいで、
理由はわからないんだけど、なんかそう思うんだって。
でも、神社庁のサイトで出てくるところだし、
近所の人達もそうしてるみたいだし、
やっぱり私が間違っているのかな?って、
そー言っているの。
どーしたらよい?
ワカル?」



......と、そんな内容。
僕さんはなんとなくピンと来て、



「そのお友達は相当カンの鋭い人だね。
霊感あるね。
きっとそうかもしれないから一度考えてみるよ。
少し時間を下さい」



と返しておきました。
そして、なんと、僕さん。
そのままこの件のことをすっかり忘れてしまい。
しばらくしてYUさんとカフェで会った時に
リマインドをされることとなりました。



「ああ!(  ゚ ▽ ゚ ;)
そー言えばそんな話あったね......
ごめん。ちょっと抜けてた。
じゃ、今、ココで見ちゃおうか、ね。早速。
ええ。ええ。」



と、僕はバッグからアイパッドを取り出し、
グーグルマップを開きました。



「前にYUさんの実家の山の神様を見つけたじゃん。
あの時の感じでやってみるよ。
......んと......彼女はどこに住んでんの?」

「ここ」

「ほーほー。。。」

「やっぱり違うの?その神社」

「ふーーーむむむ。。
違うね。
ココだね。
ココ。
この神社が彼女の土地の氏神様だと思う。
ちょっと家から離れているからわかりにくいのかもしれないけど、
ここかな」

「ふーーん。。」

「今度、実際に行って確認してみよう。
審神者じゃな。サニワ。
おいらわ自分を半分信用してないし。
急ぎじゃないんでしょ?」

「うん。
ただ知りたいだけみたいだから。
今は」

「じゃ、また時間ある時に行ってみっぺ。
YUさんの仲良しさんに間違ったことは言えないし、
ご近所だし。
実地検分してから本人に伝えたほうが確実かな」



そうして、また数日後。
時間の合う所で、
その神社で正しいのかどうか、
YUさんと僕さんとで実際に神社を訪ねてみることにしました。
神様用のお酒も持って車で向かったその神社は
「◯◯◯八幡神社」でした。
僕らは神社の近くに車を停め、
鳥居をくぐり、
神社に向かって参道を歩き出しました。



「あーーーー、ここね。
この神社の参道。
元は川だよ。
この下に川がある。
暗渠(あんきょ)ってやつだね。
そう見えないだろうけど、間違いないよ」

「そうなの?」

「そう。
昔は綺麗な小川だったんじゃないかな。
先ずはさ、ちょっと感覚を研ぎ澄ませてみてよ。
水の気が強いっしょ。この参道。
YUさんなら分かるはずだよ」

「うーーん。。
よくわからないけど、
そんな気もする、、ような、、、」

「で、周りや土地の高低をを見てみてよ。
神社の方が高いじゃん。
大きめな神社でさ、
後には鎮守的な森もこんもりとあるだろ?」

「うん」

「そこ。ね。
水が湧いてるよきっと。
その水が神社から湧き出て、境内から流れ出て、
この下の川を通って......
コッチ……
だろ?お友達の家って」

「うん」

「要はこの川の下流だよ。お友達の家。
昔は、、だけどね、
皆、神社の森から湧き出る水で生活をしていたと思うよ。
ということは、ま、同じ水系繋がりだし、間違いないね。
神社からもほど近いし。
この神社の神域範囲だよ。
うん。間違いない」

「へーーー。。
そーなんだ。。」

「あとね、こっち。
こっち来てみんしゃい」



神社の境内から一区画離れたその場所には、
ひっそりと小さな神社がありました。



「ここ。
小さな神社があるっしょ。
参道からも離れているから気づきにくいかもしれないけど。
人はほとんど来てない感じだし」

「あ。ホントだ。
こんなところに」

「ここ。ね。
ここに祀られている神様。
実はこっちの神様が本来の、あの八幡神社の御祭神だよ。
誰もそんなこと言わないと思うけど。
高木神(たかぎのかみ)って書いてあるだろ?
その由緒書きの看板に」

「うん」

「あの八幡さんは、本来、
この高木の神が祀られていたと思うよ。俺は。
まさにこの地の神って感じ。
だからこの神社にもしっかり挨拶せんといかんよ。
お友達は。
ソレ、ちゃんと話してあげてね」

「そーなんだ。。
ふぅぅーーんん。。」

「ここにもちゃんとお酒あげるから。
YUさんも一緒に手をあわせてくんろ。
この神様はスゴイから。
神社の大小とかは関係ないから」



———————お話はもう少し続きます。

何故タイトルがUSAなのか?

というお話にもなっていくかと思いまする。
ええ。ええ。(^^)


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南無阿弥陀仏 2

2024-06-06 01:18:29 | 面白い...パワスポ寺社
「川崎大師で?
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)の札?
それって法然さんじゃん。
浄土宗やんけ。
なんで?
空海さんの密教寺院で南無阿弥陀仏なのよ?」

このポンチキ話はもう少しだけ続きます(^^)






そんな疑問を持ちつつも、
そのラインをもらった僕はこんな返答をして......

「お、よいねー。
なんかあるね」

そして、やはり今日はそんな日だったのか、と。
僕はその日の朝、天から降り注ぐ力を感じて、
近所の公園に出かけて撮っていた写真を彼に送りました。

「今朝の公園の太陽。
空海さんのお寺でなぜ?
南無阿弥陀なのか、、、とかね(^^)
君の縁だろうね」







上にある川崎大師からのLINEをもらった日の朝の写真は、
撮った時にねーさんとみゆきちゃんとのグループラインに
送っていたのものでもあるのですが。
実は、
その時も同時にみゆきちゃんから写真が送られて来ていたのです。
コチラはそのみゆきちゃんからの写真で......



「私も今見てたとこです(^ν^)」

僕とみゆきちゃんのそんな会話を見ていたねーさんからは、
こんな言葉とHPのスクショと思われる写真が届きました。

「今日は、上野に行きます。電車中」



この法然展のポスターと日輪写真とを
見合わせたみゆきちゃんは

「この丸に似ている( ゚д゚)」

などと。
しかし、僕さんもそう思い......

「行ったらいいということかな?」

「待っていると思います(^ν^)」

この2人のやり取りを見ていたねーさんは上野の用事を終えた後、
そのまま法然展に行ったようでした。
そして、ねーさんが展覧会に行っていた時刻というのは、
マサに僕に川崎大師の赤札写真が届いていた時でした。



——————そんなことがあった日の2日後。
僕はみゆきちゃんとねーさんのグループラインに
こんなポンチキ事を入れることになります......



「今、大きな神様?
龍神さん?
が家に来た。。」

みゆきちゃんの返信は......

「ここ何日かめちゃ大きな神様?いますよね☆
タケミナカタさんとは違う、、、」

ねーさん曰く、

「阿弥陀如来だったみたいだよ。
南無阿弥陀仏はパワーのある言葉だと教えてくれた」

「そうだったんですか〜!
大きいですね〜( ゚д゚)
南無阿弥陀仏、はかりしれない光、はかりしれないいのち。
いい言葉ですね!」

みゆきちゃんの家のリビングで数日前に起きたことと同様に、
自宅で異様に大きな神仏の存在を感じた僕さんは
背中を押されるようにして、ねーさんの行っていた特別展
「法然と極楽浄土」
に向かうことを決めたのでした。
場所は上野、東京国立博物館。







何故?
空海さんの寺院である川崎大師
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」の札が配られているのか?
を勉強すると、
密教教義によれば密教の教主たる大日如来さん
「普門万徳の尊」という全ての徳を備えた法身仏であり、
全宇宙を体現する仏であって、
全ての仏様を統率する存在でもあるとされています。
よって阿弥陀如来さんもそれらの仏の1つであり、
そのチカラは大日如来さんの万徳の一部を表すものであるとのこと。
実際、真言宗の両界曼荼羅(りょうかいまんだら)にも
阿弥陀如来さんはしっかりと描かれていて、
そのような理解となっているのだそうです。

ただ、お釈迦さま(ブッダ)の説くところによれば、
阿弥陀如来こそが最高仏であり、
大日如来の先生でもあるので、
衆生を救おうと目覚めた大日如来の姿を
いつも一歩引いてみているのだ、と。

また、仏教における仏の3通りの在り方=三身(さんしん)の中で、
大日如来さんは法身(ほっしん)で、
阿弥陀如来さんは報身(ほうじん)であるとも。

川崎大師に関しては長い歴史の中で宗派の違う寺院も
とり込んで来ているような感じもそこかしこに見られ。
境内には時宗、浄土経の「清浄光院」や、
神道っぽい稲荷堂や龍神さんの降りる社などもあります。
時代のトレンドに合わせながら
懸命に寺院を維持して来たのでしょうか。

そんな新たな学びの中で今回一つだけハッキリとして、
何よりも勉強になったことは、
阿弥陀如来(あみだにょらい)さんというのは
とにかく大きな御姿で現れるということ。
それは本当に大きく。
なるほど、阿弥陀如来とされる鎌倉の大仏さんや
牛久(うしく)の大仏さんなどが巨大に作られてしまうのも
そういうワケだったのか......と。
阿弥陀如来さんを感得された方々は、きっと、
その異様な大きさをよく知っていたのではないかと。
そう思わされた次第です。

そして「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」という言葉は
宗派や諸教義を超えて、
唱える人に頑張れるチカラをもたらしてくれる言葉のようでして。
法然さんはかくも偉大な方だったのだなぁ、と。
そんなことも改めて思い直させられた数日間でした。

それと、何故かは?よくわかりませんが、
この時から今に至るまで、どうも、
阿弥陀如来さんの存在を強く感じています。
いつまでこんな風に感じられるのか?はわかりませんが、
その間、この星のナニカが大きく変わっているような感じ。
特に5月30日から6月1日にかけては
節目的なエネルギー変化を強く感じました。





上の写真は僕が上野の特別展を見て、
家に帰る途中に撮った写真。
日輪の真ん中に......こんな感じで......





阿弥陀如来さんではなく......コチラは大日如来さん?
が映り込んでいるかと思います。
ええ。ええ。(^^)





そー言えば、明石家さんまさんて、
数々の名言とかおおらかさとか人間の大きさとか、
個人的には阿弥陀如来さんをとても強く感じる人です。
「アミダばばあ」キャラも偶然ではなかったのか!?
なんて。ね。
古過ぎて一部の人にはわからんポンチ話ですのぉぉ......(*´ω`)


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南無阿弥陀仏

2024-06-02 00:24:22 | 面白い...パワスポ寺社
視覚的なポンチキ能力において、
みゆきちゃんの才能の高さにはいつも驚かされているのですが。
最近はそのチカラに更に磨きがかかっている感もありまして。
特にいつも驚かされるのは、僕が

「今日は神様が動いてるなぁ、、、
降りてるなぁ、、」

なんて感じていたり、
神棚の前で毎日の祝詞を上げている最中にそんなことを
感じた時などには、もう、ホボ100%。
確実に。
そんなことを思った直後に。
ねーさんとのグループLINEに
撮れたてのポンチキ写真が飛んできて

「今、神様が来てますぅぅーーー!
なんでしょーかぁーーー?」

的なことが起こります。
この辺はこのブログを見てくれているかもしれない?
ねーさんのコメントフォローなどがあったりしたら

「嘘じゃないのよん♡」

感も少しは厚く出来るのかもしれませんけど......
まぁ、ホント、
彼女の能力にはいつも驚かされていますのです。



つい先日も。
そんないつもの一連の流れの中で!?
みゆきちゃんから奇妙なラインが届きまして......



「あの、、、
家に足元だけ見える大きな巨人のような神様?
がいるのですが、、、(@_@;)
こちらを向いている感じなので、何か伝えたいのかな?
という感じです」



後で話を聞くと、
この時はみゆきちゃんが家に帰ると、
リビングのお部屋いっぱいに巨大な人の足首があって。
目線の高さには「くるぶし」があったらしく。
足の上方を見あげてみるも、
その姿は家を遥かに突き抜けて
アタマなどは全く見えないほど巨大だったそうで......

ダイタイ、

普通、

そんなモノが見えていて
ノーマルな精神状態でいられることが凄いと思いまちゅけど。ね。
ええ。ええ。
そんなことは能力者の悩みの種であって、
生活をしていて嫌になっちゃうようなことでもあり。
現実的なメリットなんて特に無く。
そんなことを普通にキャンキャン♪
と平然と見て話してくるみゆきちゃんには
畏敬の念すら湧いてくるのでございます。

「そんな感じで世界が見えていたら生活も大変だろうに......」

的な。
ソレでもって、
そんなラインに真っ直ぐに返答するねーさんもねーさんで。
この時は

「タケミナカタみたいだよ。
諏訪から来たらしいよ

なんて。
ま、確かにタケミナカタさんは飛び抜けて大きい神様であって。
僕さんはこの時に

タケミカズチさんじゃね?もしかして?」

なんて返しているくらい、
鹿島のタケミカズチさんと諏訪のタケミナカタさんは
別格に大きな姿の神様ではあるのです。
しかし、
そんなねーさんのポンチキ返答に対するみゆきちゃんの返答が、
またまたポンチキ道をまっしぐら!
という感じでして。

「タケミナカタさんですか!
ありがとうございます m(_ _)m」

あ、ありがとう、、、って......
お部屋いっぱいに足首あんでしょ?いま。なう。
焦らんの?
大丈夫なの?
アホやな......
的な。
ええ。ええ。
いつもそんな感じの日々なのでやんす。



で、この時の「お部屋いっぱいの足首事件」のお話は、
その後、少しばかり続いていくこととなったのでございます。
この一件の3日後だったでしょうか。
僕さんのLINEに突然、
あるアーティストさん(♂)から以下のようなラインが
写真付きで届いたのでした。



「たまたまゲット出来ました!!(^^)
なんか急に川崎大師に行きたくなって行ったら、
10年に一度の赤札配ってて、並んでみました w(^^;)」



このラインを受けた僕さんは
川崎大師の赤札なるモノを初めて見て、知って。
こんな疑問がわいてきたのです。

川崎大師で?
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)の札?
それって法然さんじゃん。
浄土宗やんけ。
なんで?
空海さんの密教寺院で南無阿弥陀仏なのよ?」

このポンチキ話はもう少しだけ続きます(^^)


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開経偈(かいきょうげ)

2024-05-09 00:08:40 | 面白い...パワスポ寺社
この「東寺」という記事を書いて以降、
なんだか空海さん周りのお話しが多くなっていますが......



世に「真言(しんごん)」なるモノがありまして。
Wikipediaあたりの説明文を簡略化しつつまとめてみると、
こんな感じでしょうか。



==========================
真言とは、
サンスクリット語のマントラの訳語で
「(仏の)真実の言葉、秘密の言葉」
という意味。
「大日経」などの密教経典に由来し、
浄土真宗を除く多くの大乗仏教の宗派で用いられる
呪術的な語句である。
漢訳経典では「真言」の他に「密言」「
「明呪」等とも訳され、
法華経では呪術的な語句が使用されている。

仏の真実の教えは、
この宇宙の真理(法)や隠された秘密を明らかにするもので、
本来は人間の言葉で表すことはできないが、
方便として世俗の文字や言語を借りて盛り込み、観想し、
心を統一することでその教えに触れ得るようにしたものが
密教における真言であるとされる。
空海は真言について

「真言は不思議なものである。
本尊を観想しながら唱えれば無知の闇が除かれる。
わずか一字の中に千理を含む。
この身のままで真理を悟ることができる」

と著書に記している。
仏尊ごとに真言があり、
それぞれ出典となる経典が存在する。
==========================



そんな真言を唱えたり奏上する前に、実は、
以下の「開経偈(かいきょうげ)」なる文句を唱えると、
その効果が大きく変わるなんて感じが僕さんにはありまして。
仏様への言葉の届き方の違いを実感していたりもします。
なのでココにもちょっと記しておこうか......なんて。
ヨケイナお世話なるものっす。
ええ。ええ。
ちなみに「開経偈(かいきょうげ)」とは
仏教各宗で法要などを行う際に、
経典を読む前に奏上する偈(げ=詩句)のことであり、
開経文と呼ぶこともあるようです。



==========================
無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう)
百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)
我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅじ)
願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ)
==========================



少々お話は変わりますが、
若かりし空海さんが修行を積んでいた地と伝わる
御厨人窟(みくろど)というところがあります。
高知県は室戸岬にある洞窟で、

「ここで明星が口に飛び込んで来て悟りが開けた、、」

なんていう伝承がある聖地。
洞窟から見える風景は空と海だけで、
ここから「空海」の法名を得たと伝わってもいます。
過去記事ではこの辺りにチロチロと記していましたでしょうか。

室戸徒然
室戸徒然 2
室戸徒然 3
室戸徒然 4
室戸徒然 5

訪れてみると、
上記した真言に関する空海さんの

「この身のままで真理を悟ることができる」

という言葉そのままのような場所。
そして、少し前に「猫玉」という記事を記した時に、
フト、僕はこの場所のことを思い出していたのです。
訪れた時のスマホ写真を見返していたりして......





空海さんが籠っていたという洞窟の中から
光が飛び込んできたという外の海の方を見てみると......





本当に洞窟の中に光が飛び込んでくるのですけど......
口を開けていたりなんかしたら本当に朝日が......口に......
......で、
入口の形がなんだか猫っぽいのです......





口に飛び込んだという光の玉は!?

猫玉!?

だったのきゃ!?

なーんて......

気のせーかなぁーー......

ピカチュウっぽくもあるしなぁ......





イケメンな神様の顔かなぁぁ......

他の星のおかた?

猫のいる星の?





とりとめのない話しだにゃぁぁーーんんん....

もう寝よぉぉっと......(*´ω`*)



☆関連過去記事☆
東寺
五鈷杵
猫玉
猫玉 2
猫玉 3
猫玉 4
カメさんとカエルさん
きゅうり
ツカヘイさんの予告
朱の女神
朱の女神 2
朱の女神 3


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東寺

2024-05-01 00:25:09 | 面白い...パワスポ寺社
身は高野、
心は東寺に納めおく

みはこうや、
こころはとうじにおさめおく



—————晩年の空海さんが京都の住居を離れ、
高野山の金剛峯寺へと身を移した際に詠んだ......
と伝わる歌。
その後、空海さんは高野山の奥之院で入定します。



若くして遣唐使という形で唐にわたり、
帰国後は高野山を開いて様々な活動をしていた空海さん。
その活動が時の天皇(嵯峨天皇)にも認められ、
皇都である平安京(現京都市)の
鎮護のための寺として下賜(かし)されたのが東寺
その後、東寺は空海さんが教え広めた
真言密教の根本道場として発展し、今に至ります。
実質的に最盛期の空海さんの住居であり、
執務に勤しんだ地......ということになります。





敷地内にある五重塔などは、
今や京都に訪れる誰もが見知る、
街のシンボルの一つではないでしょうか。
そして、そんな東寺に踏み入った時、
真っ先に向かいたくなる場所がこちら。
国宝「御影堂(みえいどう)」



この御影堂が平安京における空海さんの住居であり、
執務室。事務所。
「大師堂(だいしどう)」とも呼ばれています。



御影堂の中央には空海さんの像が祀られているのですが、
その空海さんの像とピタリと、
背中合わせとなるように背後に置かれている像があります。
一般公開はまずされないという秘仏中の秘仏となっている
不動明王像がソレです。
空海さん自らが掘り、
生涯の持念仏としていたと伝わる像。
空海さんの最も近いところには、
背後には、
いつもこの不動明王像があるというわけです。
ですので、御影堂の真後ろには、
連なった一つ屋根の下、
真逆の向きに間口が開いた不動堂があります。



僕としては過去記事......

不動明王
続、不動明王
続々、不動明王
続々々、不動明王
摩利支天
摩利支天 2
摩利支天 3

などに記してきた通りで、
不動明王さんは北極星を表している存在だと思っています。
なので、空海さんが伝教し、
創設もした真言密教の秘技や奥義というのは、
もしかしたら大日如来ではなく
不動明王にあるのかもしれないな、と。
奥義は北極星にある......
ということなのではないのかな、と。
そんなポンチキで独特な呟きを残しつつ、
こんなお話はこのブログと、
机の引き出しの奥にそっと仕舞っておこうかと。
ええ。ええ。

遣唐使の時代。
この国から海を渡り大陸に行くという行為は、
当時の船の構造の拙さもあって命懸けの旅であったようです。
多くの船が難破してしまう旅。時代。
空海さんにしても、
そんな船の難破危機に直面したようですが、
そんな航海の最中で、
天空で唯一動かない星である北極星の存在というのは
特別であったのだろうと思われます。
常に航海の道標(みちしるべ)であったのだと思われます。
暗闇の中に輝く希望の光であったのだと思われます。

少し前。
僕は東寺で売られていた
ミニチュア「五鈷杵(ごこしょ)」を買ってみました。
空海さんがよく手にしていたもの。
よいことあるかな!?
なんて。
ええ。ええ。(^^)


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座間徒然 2

2024-04-03 00:00:08 | 面白い...パワスポ寺社
......しかし、

スサノオさんは?

いずこ?

HS君はそんな話をしている
ポンチキ極まりない僕さんとYUさんとを引き連れて、
鈴鹿明神社の周辺を案内するからと、
神社の御敷地を出ていきました。
お話は次回に続きます。




鈴鹿明神社の周辺は清廉な湧水があるところで、
「鈴鹿の小径(すずかのこみち)」
という名前になっていました。





螢も生息しているという清水
「龍源水(りゅうげんすい)」
もう一箇所、コチラは
「番神水(ばんしんすい)」
という湧水。
ふむふむ......
お稲荷さんもいるのですな......



源泉の直守護は白ヘビさんと弁財天さんのようで。
真っ白で金運が上がりそーですな。
ええ。ええ。



流石に強力な神社さんが鎮座する地。
とても良き場所。スゴイ。
神社はこんな貴重な湧水を守るためのものでもあるわけで。
そんな場所なので寺院もあったりするのですな。
ふむふむ......神社の真裏に、ですかぁ......
「龍源院(りゅうげんいん)」さんとな。
ま、ココも元は鈴鹿明神社の境内だったのではないかと。
仏教が流行った時にお寺に変えられちゃったのでしょうかね。



おおおお!
でった!
日輪さん!
神社の屋根の方やのー......
ありがたし(^^)



......と、いうことは......



......んんんーー、、と、



ああああ!



やっぱり!



ここやん!



見つけた!



スサノオさん!



どもどもーーー(^^)/



閻魔堂(えんまどう)。
閻魔様。
エンマ様。
......そうですね。ええ。
仏教が来た時に変えられちゃったのではないかと。
元はスサノオさんの社(やしろ)のハズで。
ココにいらっしゃったのですな。
神社の本殿の真後ろ。
やっぱり。ええ。



HS君!
ここよ!ここ!
鈴鹿明神社さんの元はココね。
後ろにスサノオさん控えてる。
そりゃ、スゴイ武神さんが本殿に居るわけだねー」

「!?!?!
そう?なんすか!?
いや、でも確かに、
地元ではこのエンマ様が神社の元だという話もあって、、、」

「そーだろね。うん。
日輪も出てるし。
ほら。空。見てみ」



その後も僕らが座間を散策している間は、時折、
大きな日輪さんが出てくれていました。
スサノオさんやイザナギさんでしょうか。(^^)





ある時、この国に仏教が伝来して来て。
その時に古来の神々が仏様に置き換えられていった......
なんていうことは数知れずあって。
わかりやすい所では
市杵島姫(イチキシマヒメ)さんが弁財天さんだったり。
大国主さんが大黒(大国)さんだったり。
事代主さんが恵比寿さんだったり。
猿田彦さんがお地蔵さんだったり。
くくり姫(菊理姫)さんが十一面観音さんだったり。
他にもなんやらかんやら、と。
ま、そんな感じなんス。
勿論、名前が変わると存在や在り様も変わってしまいますけど。ね。
元もあるわけなのです。

座間という地にしても「坐摩徒然」という過去記事に記していた通り、
元は大阪の海辺からこの地に入ってきた方々が居たはずでして。
彼らが祀っていたのは故郷の
「坐摩(イカスリ)」の神であったはずで。
ソレは、その実、
国常立之大神(クニトコタチノオオカミ)さんであり。
もっと言えば、
クニトコさんはスサノオさんの後見人でもあって、
とても近しい存在なわけです。
なので、ここ座間の地の重要な神社さんにも
スサノオさんが控えているというわけです。

座間という地はあちこちから綺麗な水が沸く本当に良き地で。
海も近くにあって。
富士山も大山も箱根も丹沢も奥多摩も見えて、
風景も素晴らしく。
とても力があって気持ちの良い所なのです。
敗戦後、アメリカさんに押さえられてしっまったところは
いつもそんな良きところばかりな感じで。
その辺がモヤッと、
いつも色々と思うことがありますけど......
まね。
またの機会にでも。
ええ。ええ。
おつかれザマー(^^)


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