雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

アイラ

2016-01-28 01:43:13 | 面白い...パワスポ寺社
更に禁断のエリアに踏み込むとすれば、
日向三代の話とは「赤」と「白」の話でもあり、
それはこの国の国旗の色でもあり、血脈の話でもあり......
伊勢においては外宮と内宮の色とも言えるものでもあるのです。
......Maaさんのリクエスト話から、
こんなトコロにまで辿り着いてしまったので、
次回は、そんな日向三代のお話を少しだけ。(^^)ええ。ええ。
どもども。




記紀(きき=日本書紀と古事記)によれば、
この国の初代天皇は「神武=じんむ」。
九州、日向の地から奈良、ヤマトに入り、
現日本国へとつながる王朝を打ち立てた......と記されています。
なので、記紀では神武以前の時代は神代(しんだい)とされ、
神話的な物語が描かれています。

その神話の中で、
この地上を治めるために現天皇家の祖神
「アマテラスオオミカミ=天照大御神」の孫が天上界から
「日向国=ひゅうがこく(現在の宮崎県から鹿児島のエリア)」
とされている地に舞い降りた......
という物語が「天孫降臨=てんそんこうりん」の物語。
天皇家の起源を伝える物語でもあります。
そんなアマテラスの孫というのが「ニニギノミコト=瓊々杵尊」であり、
そのニニギから数えて三代目の神が、
大和に移ったと言われる「神武(じんむ)」。
神武以前の三世代に渡る神々は、総称して
「日向三代=ひゅうがさんだい」
と呼ばれています。
皆、九州、日向の地に深い縁を持つ神々。



初代/ニニギノミコト(アマテラスさんのお孫さん)

二代/ヒコホホデミノミコト(別名、ホオリ。山幸彦。ニニギさんのお子様)

三代/ウガヤフキアエズノミコト(ホホデミさんのお子様)

神武天皇(初代天皇。日向から大和へ東征。神世から人世へ物語が移行)



神話にはそう記されています。が、
どこまでが本当の話か......?
このブログを見てくれている方であればもう、
様々な見方が出来るな......と感じているとは思いますが。はい。(^^)
ポイントは二代目の「ホオリ」さん。
通称「山幸彦」
あの有名な?海幸彦、山幸彦の逸話の山幸彦さん。



—————————ある日、
山の猟が得意な山幸彦は、
海の漁が得意な海幸彦とそれぞれの道具を交換して漁に出ます。
しかし、山幸彦は海で兄に借りた大切な釣針を失くしてしまいます......
困り果てていたところ、
プラリと現れた塩椎神(しおつちのかみ)に導かれ、
小舟に乗り竜宮城とも言われる海の宮殿、
綿津見神宮(わたつみのかみのみや)に行くことに。
そこで海神、大綿津見神(おおわだつみのかみ)に歓迎された山幸彦は、
その娘の美しき豊玉姫(とよたまひめ)と結婚までしてしまい。
綿津見神宮で楽しく暮らしていました。
気がつくと、針のこともすっかり忘れ、
あっという間に3年の月日が経っていました。
山幸彦は地上へ帰らねばならず、豊玉姫とも泣く泣くお別れ。
別れ際、豊玉姫は山幸彦に彼が失くした釣針と、
霊力のある玉「潮盈珠(しおみつたま)」と「潮乾珠(しおふるたま)」
をお土産にもたせます。
山幸彦は国へ帰るとその玉を使って海幸彦をこらしめ、
その後自分への忠誠を生涯にわたり誓わせた—————————



という物語。
よく考えればわかるように、この物語はとても変です。
針を失くした山幸彦が大事な道具を失くされてしまった被害者とも言える兄、
海幸彦を懲らしめるなんて......奇妙過ぎます。
きっとこの話は、
日向初代、天孫ニニギノミコトから日向国を受け継ぐ際に
「ひとモメ」や「ひと騒動」があったことを
暗に表現しているようにも感じられます。



だいたいそうです。



記紀神話において、
ちょっと理不尽な所がある時はだいたい何かあります。
つじつまを合わせる無理が出ている。
その無理とは何を表しているのか?
何を隠しているのか?
いや、あえて匂わせているのか......

いつもの手口です。

ここで、
天皇家の血脈は少々変わっているのではないのでしょうか。

その他にも血脈が変わったところといえば、
初代大和国の王でありアマテラスでもあった天津・国津統合の王
ニギハヤヒ=饒速日」が亡くなった後でしょうか......
その後継者争いで奈良を中心とした国が乱れに乱れた
大和大乱」の時。
あとは、天皇家のクーデターでもある「大化の改新」。
その後は———————————



王の権力、後継者の椅子を巡っての血脈の争い。



山幸彦(ホオリ)と海幸彦(ホデリ)は兄弟とされていますが、
神話にはもう一人兄弟がいることになっています。
名は「火須勢理命=ほすせりのみこと」
彼は......どこに行ってしまったのでしょうか?
彼も王の座を後継出来る人間の一人だったハズです。
彼に関しては、書には僅かに名が記されているだけで......
いったいどこに......
行ってしまったのでしょうか。
なぜ名前ぐらいしか書き残されていないのでしょうか。
後継者争いで消されてしまった......
なんて物語や可能性など......ないのでしょうか?
それは、九州の地をよくよく巡ると......何かが......
見えてきます。

王座の争いはいつも血の争い。

それは「赤」の争い。

血統は赤で表され、

それを変えるものは白で表され......

不思議と、
血液には赤血球と呼ばれるものと、
白血球と呼ばれるものが含まれていて。
赤血球の方が圧倒的に多い。
でも、少ない白血球にはとても大切な役割があって、
少しでも損なわれれば重大な病ともなります。
僕らの体はそう出来ています。
筋肉も主に赤筋肉と白筋肉に分かれていて。
白筋は速筋と呼ばれ、瞬発力を司り、
赤筋は遅筋と呼ばれ、持久力を司ります。
理想の筋肉とはその赤と白の筋肉バランスが最良にとれていること。



体とは......国か?



平家は赤で、源氏は白で。源平合戦。
騎馬戦は紅白で戦って。
お正月のNHKは紅白歌合戦。
争いつつも、綺麗にまとまると美しき国旗ともなって。



赤と白。



陰と陽。



それは......何を表すのでしょうか?

何かを表しているのでしょうか?

いや、何か、

伝えたいことでもあるのでしょうか?

お米は白。お肉は赤。

弥生が白で縄文が赤。

天津神は白。国津神は赤。

全国に祀られている神々も「血球」同様、赤の方が圧倒的に多い。

出雲は赤。伊勢は白。

伊勢神宮の外宮は古い地元の神で赤。その実は国津神の宮。

内宮は天皇家の宮。天津神の宮。

その元は九州。

「白」の元も九州?

その九州の地に佇むウガヤフキアエズさんの墓陵......

「吾平山上陵=あいらさんじょうりょう」

それが伊勢神宮にそっくり。

もし、赤と白が混じることがあるのであれば、

色は桃色。ピンクとなります。

ピンクの時代とは、国とは......

有りや?無しや?



先週記した、
「どう見ても伊勢神宮の元はここでしょ。。。」
という宮内庁に厳重管理されている
「吾平山上陵=あいらさんじょうりょう」に眠られている神とは、
この日向三代目「ウガヤフキアエズ」さんとその奥様と伝承されています。



吾平=姶良=アイラ



この名前......
僕は女性を感じます。
アイラというと、
神話では「あいらつひめ=吾平津姫」という女神様が記されています。
初代天皇「神武」の奥様と記されていますが......
「津」という文字が加わっていますから、また別人かもしれません。
でも。
僕にはアイラとは女性の名前にしか感じられません。
遥か、沙漠の彼方。
シルクロードのオリエンタルな響き。
そんな名前。美しき女性。
砂漠の民の、赤い匂い。

ウガヤフキアエズさんの奥様って......
本当にタマヨリ姫?
タマヨリとは「玉依り」で「霊依り」。
巫女さんと同じ意味、肩書きかもしれません。
本名は別にあると思うのです。
古代、奥様は1人ではないと思うのです。
ウガヤさんの墓陵とされる場所の名前が「吾平=あいら」。
鹿児島市の横にある
「姶良=あいら」という地名も元を辿ればこちらとなります。



ウガヤさんの奥様の本当の名前って......アイラさん!
じゃね!?



なーーーんて。ね。(^^)ええ。



日向三代の物語というのはとても興味深いものなのであります。
伊勢神宮の内宮は天皇家の宮であり、天津神の宮。
その原形は初代天皇、神武の故郷、九州に。

白の故郷、九州。

その九州の地に佇む、
神武の父ウガヤフキアエズさんの墓陵「吾平山上陵」
それが伊勢神宮になんだか似ている。
宮内庁直轄の日向三代の三つの御陵の中でも一際美しく、
力強くもああります。
この神代御陵の「大傑作」に似ていて、
まったく引けを取らない場所を探したいと願った、
天皇に使える巫女さんがもしいたとしたら......
なんだか、そぉーーーんな感じなのです(^^)ええ。









美しき「吾平山上陵」



禊場の有り様も伊勢、内宮の五十鈴川にそっくり。
参道も......







ヤバ過ぎて涙コボルル。。(T 。T)ぶぇ。
高千穂峡みたいな雰囲気のところも。



御陵の御霊が移され祀られている鵜戸神社(うどじんじゃ)。
御陵のほど近くにあります。



鳥居も社(やしろ)も、なんと!
赤と白!





花も赤白。
石碑には平和の文字が。。



上記もしたように、
「もし」ウガヤさんの父である「山幸彦=ホオリ=火遠理」さんの時に、
王の座を巡る何らかの争いがあったのであれば、
その息子であるウガヤさんはソレを見ていたのでしょうか。
どんな気持ちだったのでしょうか。

赤と白の融合を願っていたとでも言うのでしょうか。

記紀以外の幾つかの古史古伝の書では、
ウガヤフキアエズ(日子波限建鵜草葺不合)とは一柱の神ではなく、
数十代に渡る長き王朝だったとも書かれています。
その名は「ウガヤフキアエズ王朝」。
赤と白が綺麗に混じる平和な時代であったから、
そんな国を願う王が治めていた国だったから、
だからこそ長く続いたのでしょうか。

紅白歌合戦とか......もう十分なのかな......
馳せる思いはなんとなく、
桃色に染まったりするのです。


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外宮徒然

2016-01-24 01:21:51 | 面白い...パワスポ寺社
「uzmetさーん!
毎年恒例なんですが、、、
伊勢の質問していいですかー??(´・ω・`)

外宮の横の道ってどこですか??
今年はそこ見てみたくて!」



......なんていうことで、
何かと質問を頂ける今日この頃。
なんだかとてもありがたいことでやんす。
そんな毎年恒例だという!?
伊勢大好き!なMaaさん(♀)からの質問ということで。
今回もこの時と同様に、彼女が行ってみたいと言っている伊勢、
外宮のマニアック・ポイントのお話を
ココにチロリと記しておこうかと思います。(^^)
今月末に行くということですので、
今日あたりのお返事というコトでよろしいでしょうかね。
ええ。ええ。

で、今回彼女が行ってみたいと言っている伊勢、
外宮の「横の道」というのは、
外宮の本殿の裏の方に伸びていく「トアル一本の道」のことで。
その道沿いには、実は外宮屈指の「圧倒的な」楠の大木が立ち並び、
二つばかりの摂社、末社がひっそりと佇んでもいます。
この道は神宮の「公式マップ」にも載っていなくて、
Maaさんのようによっぽど
「行こう!」
という明確な気持ちがない限り、
決して訪れるようなこともないであろう場所となります。
普通はマズ知らない場所のハズ、なのですが......
そんな外宮の公式境内マップがこちら......



まずわ、豊受大神宮というのが外宮の正式名称となります。
「トヨウケ」と読みます。
そして外宮。
「げぐう」と読んでいたりする人も多いようですが、
正式には「げくう」。
「くう」でございます。
神様は穢れ(けがれ)......「濁り」を嫌います。
「濁点」はできれば避けたい......という感じでしょうか。(^^)
「内宮」も正式には「ないくう」。
そういう感じ。
例の道は、上の地図では巫女さんの絵が描かれている、
御守りや御札の売場となっている中央の
「神楽殿=かぐらでん」から上の方に行った
「北御門鳥居=きたみかどとりい」と
「御厩=みうまや」の側に、
ヒッソリと細く小さな口を開けています。
北御門口の駐車場近くの鳥居から入った場合、
すぐ右手に見えてくる道。

「この小道には簡単には入らないようにね......」

と、
道の入口付近はそういう声が聞こえて来るかのような佇まい......



この道や、ここにある摂社や末社が
外宮の地図にちゃんと記載されていないのには、
キット「幾つかの理由」があるのだとは思いますが......
少なくとも、僕が歩いた感覚では、
このゾーンに関しては陰陽入り乱れる、
かなりカオスなエネルギーが満ちている様な場所で。
人によっては重々しく感じたり、キツく感じたり。
ハマりすぎて異様な力を感じてしまったり......と、
ナカナカ一般的とは言えないゾーンであることも
理由の一つになっているのではないかと思います。
他にも、現在の神宮ができる以前から伊勢の地を守り、
この地で神を祀ってきた氏族である
「度会氏(わたらいし)」
の祖霊を祀る社(やしろ)があるという事や、
あまりに強力なパワーを発する大木達に利己的で勝手な物やら何やら......
を置く様な人が後を絶たないという理由などで、
ココにはあまり人を入れたくないのかもしれません。
更には、この道の突き当たりには、
もしかしたら外宮で最も大切な場所の一つでは無いか?
とも思われる「上御井神社=かみのみいじんじゃ」がある
ということにも関係しているのかもしれません。

絶対に荒らせない神宮の水源
「上御井(かみのみい)」

伊勢神宮内に捧げられる全ての供物に使われる水は、
実は毎朝この井戸から汲まれ、運ばれているのです。
そして、地図にも載っていて、
誰でも訪れることのできる外宮境内の井戸が
「下御井神社=しものみいじんじゃ」
という名前のワケは、
この「上=かみ」があるからであって。
この道はそんな大切な井戸の真裏に出てしまう......
という、そんな道。
綺麗な水を保つため、
なるべく原生の植生をそのまま保ちたいという場所。
絶対に荒らされてはいけないエリア。
神宮を守る方々のそんな感覚も感じられます。
そしてこの道は、
その井戸の手前で錠前が厳重にかけられた扉と、
周囲を覆う金網の柵で行き止まりとなります。
金網の横にはこんな......
ちょっと絶句してしまうような大木さん達が
辺りの守護についています。
もう神様です。ええ。





こちらは、外宮と共に
「度会神道=わたらいしんとう」
の聖地とも言える「度会国御神社(わたらいくにみじんじゃ)」。



上記もしましたが、
伊勢の地の宮は元々この外宮が最初であるのだと、
渡会氏は長年主張してきています。
現在の伊勢神宮が建立される以前より、
この地で神を祀り守り通して来た由緒ある氏族の大切な宮。
伊勢での参拝順序が
「内宮より外宮が先である」
とされているのはそういう訳でもあります。
もともとこの地にあった原初の神社が外宮なのです。
そこに、この地があまりに素晴らしかったため、
後に天皇家が内宮を建立したというわけです。
天皇家の祖神とされる「アマテラスオオミカミ=内宮」
を中心とする国家神道において、
あまり表立って語られることの無い歴史の真実でもあります。
この社(やしろ)には心して向かい合わねばいけません。
このゾーンではケータイとは言え、
まともにレンズを向けれないのであります.......
わたくし......
そんな地を通る道沿いにある異様な力を感じる大木さん達は......
やっぱり神様です。ええ。







できればそのままそっとしておいて欲しいとも思われ......
写真は人によってはあまりジーーッと見ないほうが良いとも思われ......
根元に何か置いたり、捧げたりするとかはやめたほうが賢明とも......
思われます。ええ。
エグいっす。
此方はこの道沿いにあるもう一つのスゲー社(やしろ)。
「大津神社=おおつじんじゃ」



内宮の中を流れる五十鈴川の河口にある、
港町の守護神でもある
「葦原神=あしはらのかみ」
を祭っています。

津とは海。
この辺りも古代、海に囲まれた葦の原だったことを思わせる
大切な社だと僕は思います。
そしてこの裏参道からは、
深い神宮の森越しに外宮の背中をチロチロと見ることもできます。
まさに裏道。
内宮を伊勢の表の顔とすれば、外宮は裏の顔。
そのさらに裏の道。裏の裏。
それは、もしかしたら表!?なのか。
そんな大木さん達と小さな神社さん達と小道さん。

———————外宮。
この地の神々がいかに古く、そして、
伊勢の大元の神々が住まう地だということを感じて頂けるでしょうか。
そして、折角ですので最後にもう少しだけ。
現在の伊勢神宮のさらに大元と思われる場所のことを
少しだけ記しておこうと思います。
それが、ここ。
「吾平山上陵=あいらのやまのうえのみささぎ」
またの名を
「あいらさんりょう」
「あいらさんじょうりょう」



場所は九州、鹿児島。大隅半島(おおすみはんとう)の中程。
日本列島の最南端といっても良いような場所。
宮内庁直轄の要地であり、常に厳重に管理されている所。
日向三代(ひゅうがさんだい)として日本神話にその名を残す
「ウガヤフキアエズ=天津日高日子波限建鵜草葺不合命」と、
その妻「タマヨリヒメ=玉依姫」の墓陵と比定されています。
「比定」と書くのは、
ウガヤフキアエズの墓陵としては他にも幾つかの候補があるからです。

現伊勢神宮を定めた倭姫命(やまとひめのみこと)は、
この時の記事に記した通り、
2世代の長きにわたって天照大御神(アマテラスオオミカミ)
が住まうのにふさわしい地を探し、西日本を転々とします。
何度も何度も場所を変え、移動し、
しかし、そんなことの裏には

「ここではないかもしれない......」

と、そう判断させる何かが......
理想像や物差しのようなものが......
あったのだと思うのです。
そんな物差しが明確であったからこそ、
今の伊勢に落ち着くまでに時間がかかった、
ということもあるでしょうし、
伊勢の地を見て

「ここだ!」

と確信的な決断も出来たのだとも思えます。
要は、一度でも伊勢神宮を訪れたことがある人が、
もしこの吾平山上陵に踏み込めば、
今の伊勢神宮の「造り」や「有り様」、「土地のイメージ」など、
その原型の全てがこの吾平山上陵にあることを誰でも、
明確に感じられると思うのです。
伊勢とあまりに似ている佇まいを実感できると思います。

日向三代を継いだ初代天皇「神武=じんむ」は、
九州の地から奈良に入った......と。
九州から関西に渡ってきたと。
神話にはそう記されているわけです。

更に禁断の話的エリアに踏み込むとすれば、
日向三代の話とは「赤」と「白」の話でもあり、
それはこの国の国旗の色でもあり、血脈の話でもあり......
伊勢においては外宮と内宮の色とも言えるもので......
......Maaさんのリクエスト話から、
こんなトコロにまで辿り着いてしまったので、
 次回は、そんな日向三代のお話を少しだけ(^^)ええ。ええ。
どもども。



 

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光と、白と青と

2016-01-20 23:50:20 | 感動
東京に久方ぶりに降った雪は、
機械的に進む都市の日常には少々の混乱をもたらしたようです。
それでも雪は雨と同じく、いや、雨以上に、
大気中に散らばる細かい塵などを
その白い体に優しく包み込んで大地へと舞い降りてくるようで。
降りやんだ後に晴れ渡った東京の空は、
いつもより格段に透き通った青で輝いていました。



「綺麗だなあ。。」



彼方此方に降り積もった雪から反射してくる光もとても眩しくて。
僕はそんな気持ちで住み慣れた街の空を眺めていました。



「東京とかは、たまに必要だよな。こんな雪。。」



きっと、
毎日除雪に追われるような雪国では
こんな気持ちになるようなことなどは無くて。
そんな場所では、むしろ逆に、
暖かい陽光が降り注ぐ貴重な晴れの日に感じられる気持ちなどと似て、
重なるようなものなのかもしれません。



「こんな雪の日には、
無理していつもの日常をこなす必要なんか無い社会になっていて。
仕事とか学校とかお店とか公共機関とか、
電車やバスとか、
そんなとこもちょっと休みになったり、
何かが免除されたり、
それが皆に許されたり、
そんなことが社会全体で自然と理解されていたりするような、
そんなノリとか空気とか、
文化とかルールとか法律とか......
ま、難しいだろうけど......
でも、そんな社会にはもうなれないのだろうか?
......なれないよなぁ......」



なんて、
プチ混乱している電車の駅の様子などを目にすると、
身勝手にも僕はそんなことまで考えてしまいました。



「これくらいの雪で混乱する都市って......
混乱してしまう集中するオフィスって、
エリアって、仕事って......
人口や経済の偏り方って、有り様って......」



ちょっと複雑な感情も湧いてきて、でも、
そんな気持ちも綺麗に消し去ってしまうほど格段にキラキラな
陽(ひ)の光には不思議と感謝もわいてきます。
灰色で埋め尽くされた巨大な街の中にいても、
この星の美しさに改めて気付かされたりもする、
そんな東京の雪の日と、青い空と光の輝き。



親しい友人に勧められたのがキッカケで読み始めた漫画
「海街diary=うみまちダイアリー」
映画にもなっている吉田秋生(よしだあきみ)さんの人気漫画ですが、
つい最近、その最新巻が出たというので早速買いこんで、
雪の日のカフェで一人ユッタリと読みふけっていました。
巻ごとに付けられているその最新巻のタイトルが
「あの日の青空」でした。
ちょっと気に入ってしまったこの漫画
描かれているのは鎌倉を舞台にした4姉妹を取り囲む物語で、

「どんな人にも深くて尊い物語があるのだ......」

ということを改めて教えてくれる作品のように感じています。
舞台がご近所でもある鎌倉ということもあり、
よく知っているあの場所も、この場所も、沢山出てきたりして。
そんな部分にもなんだかとても魅かれてしまいます。
そして、この漫画全体を包むトーンというのも、なんとなく、
青と白と、
ピカピカに光る陽(ひ)の光のように思えていたりもします。

白は無垢とか、汚れない、
染まらない「尊さ」みたいなことを象徴しているのでしょうか。

青は海とか空とか、
そんな命の根源、
ミナモトみたいなコトを表しているのでしょうか。

陽の光は、
どんな時も前に進める希望とか前向きな気持ちみたいな、
そんなコトの象徴なのでしょうか。

この漫画にはそんなものが沢山描かれていて、
それでこんな印象を受けるのでしょうか。

物語には時折、キーアイテムとして登場するようなものがあって。
その一つが登山家が生死をかけて登頂に挑んだ世界最高峰の山、
エベレストの山中で撮られた一枚の写真。
僕はこのキーアイテムを巡って交わされる会話や描写が
この漫画の中ではひときわ好きです。
なかでもとても印象的だったものが、
愛すべき登場人物の一人、
「山猫亭」という喫茶店の無愛想なマスターが関西弁で話していた言葉......



「......ええ写真や。
ピントは甘いし
構図はムチャクチャ

けど
あの場所に行ったもんしか撮れん写真や。

すごい空やろ。

あそこはエラい空気が薄い
だから
よけい青が鮮やかになる。

まさに群青(ぐんじょう)や......」



雪が綺麗にした空気がまだ汚れていない翌日。
羽田から福岡へと向かう飛行機の窓から撮った写真。
あまりに綺麗だったもので、つい、パチリ、と。



富士山も。綺麗。



光は澄んだ空気が好きなんだと思います。
雲は空が好きなんだと思います。
白は青が好きなんだと思います。
青も白が好きなんだと......そう、思います。



昔、大学時代。
全国のスキー場を一つ残らず制覇する!
という自己満足この上ない目標を達成した後、
その達成記念!として、
2人の親しい友達と3人で片道の航空券だけ押え。
他はホテルも何も押さえず、
ただ熱い気持ちだけで乗り込んでしまった憧れのカナダのスキー場
「ブラッコム=BLACKCOM」
上の写真は超古い撮りっきりカメラの紙焼きと、
電子化の波に押され今や死に絶えている、そのスキー場のリフト券。

ブラッコムは「ウィスラー=Whistler」という
北米大陸最大のスキー場の隣にあって。
ソコには当時も今も、
世界のモーグルチャンピオンがトレーニングをしている
スーパーなコースにかかる
「7th Heaven=セブンス・ヘブン」
というマニア垂涎のチェア(リフト)があります。
スキーにどハマりしていた僕らは、とにかく、
そのコースとチェアに乗ってみたくて、
はるばるカナダはロッキー山脈の頂上まで行ってみたのでした。
行ってみると、そのチェアより更に上の世界があって。それは

「もし死んだら全ては自分のせいでございます。そーろー。。」

というサインを書かないと決して乗せてもらえない、
ヘリコプターでしか行けない世界。
山頂の氷河に降ろされ、そこから滑り降りるという、
いわゆる「ヘリスキー」の世界。
山で植物や森林が生える限界高度......「森林限界」を超えた高さとなると、
その様相は見渡す限り岩と空しか無い様な世界となります。
そんな世界が雪や氷河に包まれると、
そこは見渡す限り雪と空しか無い世界。



色は白と青しか無い世界となります。



白と青。



そして、クリスタルの様に輝く光の波。



それしか無い世界。



僕らはそんな世界で雪に寝転んで空を見てみました。



嘘でなく、



地球が回っていることが感じられたりします。



白と青しか無い世界。



光の世界。



僕は、



あの日の青空は、



きっといつまでも忘れないと思います(^^)


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お賽銭

2016-01-16 21:18:01 | セツナイ
バッチバチ!の激しめな仕事トークの後、
そんな熱くなった心身を冷やそうと、
スタッフのSさん(♂)と共に入ったオフィス近くのカフェ。



「イヤイヤ、
キッツイこと言っちゃって悪かったのぉぉーー。。」

「イエイエ、
キッツイこと言わせちゃってすまなかったっすぅぅーー。。」



なんて会話の後、
しばしウダウダなトーク時間になっていたのですが。
その中で、
以前からこのブログをかなり読み込んでくれているらしいSさんから
こんな話が出てきました......



「初詣行ってきましたよ(^^)ニコニコで。
僕は神社ではあまりお願いとかしないんですよ。
いつも感謝で。
そういう方がいいって聞きますし。
そうですよね?」

「うーうー。。それわんん......
イイと思うよんんんん......モグモグ.......」



と、そんなことを答えながら、実は1人して、
最近とてもお気に入りのアンパンを食べているワタクシ。
上島珈琲店の
「十勝あずきのミルク珈琲あんぱん」
なんだかうまひの...... (= ̄ ρ ̄=)



「......でもさ、お願いしちゃいけない、、、
ということでもなくてさ。
だって、
それだと神社とかお寺さんとか行く意味もあまり無いじゃん......
モグモグ......
......あまりに高潔過ぎじゃん?
だいたいアチキらのような不出来な悪人だとさ、
そりゃ、何かと叶えたい願いや思いも、
欲しいものとかもあったりするじゃん......モグモグ......」

「そーっすねぇぇ。。確かに。。」

「正確にはさ......モグモグ......
うめーな、コレ......もぐもぐ......」

「ハイハイ??」

「.......正確には、だよ。
感謝とかは当たり前でさ、
もし何か願いがあったら、その宣誓!ってな場なんだよ。
神社さんは......モグモグ......」

「せんせー!?」

「そう。せんせい。
アチキはコレコレこういうことがしたいと思うので、
とーっても頑張っちゃいます!
だから神様!
何卒!
応援よろしくお願いしまちゅっ!( ̄^ ̄)ゞキリリッ!
ってね。そんな感じ。
甲子園の選手宣誓あるじゃん。アレよ。アレ」

「ほーー。ほーーー。。
そうっすね。。
そっか。そっか」

「うん。そーいうかんじ。
綺麗事だけじゃ世界は渡れないしね。
でもね、綺麗でなければいけない。
だからさ、そーいうかんじ。
自分で自分に、神様の前で誓うんだよ。
頑張っちゃうよぉぉーー。
だからおうえんよろしくねぇぇ。。
汚い手は使いませんからぁぁ( ̄+ー ̄)キラーン☆
ってさ。
そーいうかんじ」

「なんかスッキリしました!(゜O゜)なるほど」

「うんうん......モグモグ......で、さ、
じゃ、さ、、」

「ハイ?」

熊さん、、じゃなくてSさんはさ、
お賽銭とかあげるの?」

「?????」

「あげるでしょ?」

「ええ」

「いくらあげんの?お賽銭。普通」

「ええ!?
うーーんと。。。」

「わかんないよ!
わかんないよ?!
いろんな人がいるからさ。
一万円とか百万円とかあげるような人もいたりするし。
寄付とか。
でもさ、普通わさ、だいたい10円とか100円とか、
ご縁がありますよーにぃぃぃ。。なんてさ、
5円あげたり、50円あげたり。
そんなカンジじゃない?ふつう。
熊さん、、じゃなくてSさんとかでも。
違う?」

「そうっす。確かに」

「そーだよね。だいたい。見てると。
俺もそうだもん。ふつうわ。
ふつうじゃ無い時もあるけど......モグモグ......
食べ終わった!( ̄▽ ̄)おいちぃー☆!」

「ふつうじゃ無いことあるんすか?」

「いやね、お賽銭てさ、
神様には感謝!
なんて言っている熊さんはどういう意味であげてるの?ん?」

「やっぱり感謝とか、お礼の気持ちとかですねぇ。。」

「うぇぇぇぇぇーーーーーー!?
ほんとぉぉぉぉぉぉぉーーー!?( ̄  ̄)」

「え!?ほんとっすよ。ほんと!」

「そんな毎回願い叶っちゃってんの?マジで?
お礼のお金あげたくなるほど?マジ?ほんと?」

「あっ!?Σ(・□・;)た、たしかに、、
そうっすね。。」

「らろ!そーでしょ!?
そんな簡単に願いがかなうわけ無いし。
世知辛い世の中で。
でさ、じゃぁさ、そのお賽銭、
なんで “毎回” あげんのよ。神様に。
何かしてもらったわけでも無いような時まで。
ソレってみんながそうしてるから?ん?
それであげてんの?
自分が住んでる場所のいつも世話になってる神様ならともかく、
はるばる伊勢神宮とか行ってさ、お賽銭あげるでしょ。
年に一回とか、滅多に行かないような神社でも」

「ええ。たしかに......」

「それよ。ソレ。
それはなんのためにあげてんの?
どんな理由で?」

「うーーーーんんんんんん.......」

「素晴らしい神社とかだとさ、
お賽銭の意味とかはだいたいこんなふうに書いてあると思うよ。
——————賽という字は元々
「報賽」「奉賽」という言葉からくるもので、
神様からいただいた幸福に感謝する、とか、
神恩感謝とか、そういう意味だ——————
とかって。
元々は幣帛(へいはく)とか、
初めての実りや収穫を捧げる意味の初穂だった......
とか。
そんなかんじ」

「。。。」

「でさ、本当はね、というか、
神職の友達とかに教えてもらったり、
俺自身の感覚や論理とも重ね合わせて
お賽銭というものを理解してみるとね、
俺的には
“神様と会わせて頂けるような貴重なる場所を
維持する為にかかる経費の足し”
っていう感覚なんだよね。
だからお賽銭をあげるときにはさ、
この貴重な神社を維持していただくために、
どうぞ少しでも役立ててください。
使ってください......ってね。
そういう気持ちであげるの」

「ふぅぅーん。。そうかぁ。。」

「そう。個人的にはコレで正しいと思ってるよ。俺は。
だってさ、
神様はお金なんて “へ” とも思ってないと思うし。
お金なんて何の役にも立たない世界で存在している人たち?
だとも思うし。
でさ、沢山のレーノー系のナンチャラさんとか、
そんな人達もさ、
いつもそんなかんじのこと言ってるじゃん。
神様はお金じゃないよ!
世界はお金じゃありませんよ!( ̄Д ̄)ノ
なんてさ。
言ってるじゃん。
だからさ、願い叶えてもらったお礼にしても、
神様に対するお礼としたらさ、
そんなお金であるハズがないでしょ?
もしそうならさ......話が矛盾してるじゃん。
おかしいじゃん」

「ですねーー。たしかに」

「でしょ。だから神様には常に真心を捧げるんだよ。
その真心がさ、
できれば綺麗でピカピカとしていれば喜んでもらえそうだし。
だからいつもそれを磨いてさ、がんばってさ、
そんな頑張りを届けに行くんだよ。お礼として。
あとはお酒とか食べ物とかさ。
神様が実質的に喜んでもらえそうなものはお礼には良いと思うよ。
有機的で人と自然の調和と協調の中で採れた様なものって
ソレに相応しいじゃん。
マサにメグミだし。
神社を汚さないように気を使わないとダメだけどね。
ソコワ。マジで。
寺社の利益となるようなお守りとか、
お札とかグッズとかを買うのもお賽銭だと思うし。
お祓いとかも。
でもさ、
そんな神様と会わせてもらえる、
繋いでもらえるような貴重な場所を維持することって
とても大変でさ。
あんな文化財的な建築とか、
チョイと直すだけでいったいどれくらいかかると思う?
宮大工なんてそうはいないんだぜ?
敷地の掃除とかだって誰かがやってるハズじゃん。
寺社で働いてる人達もさ、
みんなそれなりにお金がかかる。この世では。
そんな場や建物や宮支えの人達が
少しでも楽に運営できるように、
その時の自分が出来るだけのお金を寄付するんだよ。
それがお賽銭なんだと思うよ。俺わ」

「ふむふむ。。」

「昔はさ、
そんなお金を国や偉い武将さんや役人さんやらが
出してくれたてりしてたんだけど、
今やそんな運営の支えとなる税金すら削られてさ。
もはや、税金を免除するくらいしか
国がしてあげられることって無いカンジで。
地域居住者のコミュニティだってどんどん都会的!?
になっていってるし。
皆で土地の神様を支えていこう!
なんて感覚は場所によってはドンドン薄れていってるじゃん。
ちなみにさ、
神社に限って言えば今全国で何人の神職の人がいると思う?」

「わかるわけないっす!( ̄3 ̄)/」

「神社の数が全国でだいたい8万ぐらいなんだよ。
それで神職の人はだいたい2万人ぐらいらしい。
幾つかの社(やしろ)をかけ持つ形が多いみたいなのね。
それでその2万人の内、
神職専業で生活できている人は15%弱とかという
データもあるみたいよ。
コレ、ちょっと切ない話じゃね?
俺なんかさ、ちょっと複雑な気持ちになるんだよ。
ちょっと、ね。
宮司さんとかさ、
農業とかお店とかアルバイトとか、
時に会社員や公務員とかしたりしながら、
その合間で神社に来る多くの人達のために神職業をこなしてるんだよ。
本当は宮支えが本職なのに、
そっちだけだと神社の建物すら維持できない状況のようでさ。
それでも神様やそこに集まるみんなのために頑張ってるんだよね。
神職さんたちは。
俺、すげーことだと思うの。
それ。尊敬するっちゅーか」

「。。。」

「お賽銭てさ、だからとても大事でね。
この素晴らしい神社と崇高な精神文化と、
それを護る神職の皆様に少しでも役に立ちますように.......って。
いつ来てもこの社が立派に、綺麗にココに在りますように......って。
そんな思いで捧げるの。
だからさ、
大きな神社やお寺さんとかだとあちこちに社や偶像とかがあって、
御賽銭箱とかもたくさんあったりするじゃない。
そういう時、俺はどこか一箇所、、、
だいたい真ん中のメインの御賽銭箱にマトメテあげるの。
お賽銭。
広い所だとそれぞれの箱の数足したぐらいにするとか。
そんなカンジで。
だいたいさ、
月のお小遣いが千円とかの小さな子供が
真剣に10円とか出してたりしてたらさ、
せめてもだよ。100円は入れるよね。
働いてる俺としたら。
あまりに寂れて(サビレテ)て、でも、
誰かが頑張って支えているような感覚を受ける神社とかだと
コインじゃなくて紙の方で行っちゃったりしてね。
歯を食いしばっちゃったりして。出す時に。ええ。ええ。
涙ながらに......
いつも神社全体を見て判断してるんだ。俺。毎回。
お賽銭てさ、そーいうもんなんだと思うんだ。
うん。きっと」

「なるほどぉぉ。。なんかよくわかりました!(^^)」

「あっそう!?じゃさ、こうしない!?」

「なんすか!?」

「俺にお賽銭くれ。アンパン分( ̄ー ̄)ニヤリッ」



出雲大社の日本一の大注連縄と拝殿。。
この部分を作るだけで、
縄を取り替えて飾るだけで、
いったい幾らかかるのでしょう......

神世は人世に通ず。

富や財の偏在が極端になってきているこの国で、
神社もまた歩みを共にしているように思います。
お金が沢山集まる神社、そうでない神社。
そうでない神社は全国にいったいどれくらいあるのか。
ひっそりと朽ち果て、
無くなっていく神社があるということは、
そこに神の降りれる場所がなくなるということで、
この国や星からまた数柱の神がいなくなる......
ということにもなるのでしょうか。

平等とは、
そのままの意味では幻だと思います。

その上で、
お金とは何か。
富とはどう配分されるべきか。
国とは、どうあるべきか。
僕らはまだ当分、悪戦苦闘していくのでしょうか。


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ボウイ哀悼

2016-01-12 00:32:34 | 感謝...映画/音楽/珈琲
アルバム「ジギー・スターダスト」
音楽ビジネスの世界で長く暮らして来た中で、
僕が最も影響を受けたアルバムの一つです。
原題は
「The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars」
直訳すれば
「ジギー・スターダストの成功と没落、そして火星から来た蜘蛛達」
という感じでしょうか。
ロックスター「デヴッド・ボウイ(David Bowie)」の名声を
確固たるものにしたアルバムだと思います。
そして、
僕という個人の中での彼の存在をスーパーなものにした一枚でもあります。



そんな彼が、つい先ほど、
亡くなったのだそうです。




僕の音楽体験の中心は1980~90年代にあるので、
冒頭にある1972年に出された、
この彼のアルバムとの出会いというのは決してリアルタイムではなく。
「レッツ・ダンス=Let's Dance」というアルバムがきっかけとなって、
彼のアルバム全てを遡って聞いていった......
という時に出会った作品でした。

最初に聴いた時は、
音質やレコーディングに若干の古さを感じたものの、
そんなものを簡単に吹き飛ばしてしまう楽曲クオリティーの高さと
駄曲の無さに脅かされました。
一聴するとバラエティーに飛んでいる楽曲群を、
纏まりと一貫性を感じさせながら聞かせてしまう圧倒的な存在感のボーカル。
アルバム構成の上手さ。コンセプト。
ビジュアルの斬新さ。
ファッション性。
アート感。
聞いていると何故か?感じられる、
地上を離れた宇宙的な空気感。浮遊感。
どこから切り込んでみても素晴らしい作品に思えました。

後に、
僕の大好きな映画「2001年宇宙の旅」などにも
インスパイアされていたような事実も知るのですが。
そんな「宇宙的」なコンセプトも一聴した瞬間に伝わってくるくらい、
全体のサウンドの中にしっかりと編み込まれているアルバムでした。
僕はそんなこのアルバムの全てに魅了され、
そのまま全ての曲を歌えるくらいまで聞き込んで。
そして今でもドライブや部屋で時折聞いてしまう
「かけがえのない」アルバムとなってもいます。

音楽のパッケージが若者文化の頂点に君臨していた時代。
先端的なアートもヘア・メイクもファッションも、
カメラも写真もイラストレーションもグラフィック・デザインも。
言葉も楽器もハードウェアも。
そんな全てが一つの音楽パッケージの中に集まって表現され、
発信もされていた時代。
音楽が様々な分野のトップアーティストやクリエーターや
エンジニアまでもが集う場であった時代。
だから僕は
「絶対!音楽プロデューサーになってやる!」
と思った、そんな時代。
そんな時代のスーパースター。
カルトスター。



そんなボウイをこんな陳腐なところで語ろうなんてしても......



グラムロック、マーク・ボラン、ロキシーミュージック、ルーリード
戦場のメリークリスマス、ゲイカルチャー、アンディ・ウォーホール、
あの沢田研二だってサディスティックミカバンドだってBOOWYだって。
坂本龍一だって、忌野清志郎だって、THE YELLOW MONKEYだって、
ミック・ロンソンだってクィーンだって、
フレディー・マーキュリーだって、
カルチャークラブだって、ボーイ・ジョージだって、
デュランデュランだって、
ナイル・ロジャースもブライアン・イーノも......
あの人も、この人も、
あの音楽もあの文化も、
あの映画も、ファッションも......
ライブだって、ステージだって......
もう、これから、
何百、何千の人々やアーティスト、
作家や批評家やメディアが、
哀悼と敬意と悲しみと慈しみと愛に満ちた言葉を綴り、
発信していくのだと思います。
それはきっと、
この星の時空に深く刻み込まれていくものだとも思います。
だから僕は、僕なりに、
考えて、考えて、考えて、考えて、
それで、わずかな言葉が浮かぶので、
今日はそれをここに記し残しておきたく思います。



寂しいです。
ボウイのいない世界が、
なんだかとても寂しいです。
ずっと素晴らしい音楽を届けてくれて有難うございました。
あなたの音楽は僕の体の中で永遠に鳴り続けていく宝物です。



「FIVE YEARS/David Bowie」
Pushing thru the market square, so many mothers sighing
News had just come over, we had five years left to cry in
News guy wept and told us, earth was really dying
Cried so much his face was wet, then I knew he was not lying

I heard telephones, opera house, favourite melodies
I saw boys, toys electric irons and T.V.'s
My brain hurt like a warehouse, it had no room to spare
I had to cram so many things to store everything in there
And all the fat-skinny people, and all the tall-short people
And all the nobody people, and all the somebody people
I never thought I'd need so many people


A girl my age went off her head, hit some tiny children
If the black hadn't a-pulled her off, I think she would have killed them
A soldier with a broken arm, fixed his stare to the wheels of a Cadillac
A cop knelt and kissed the feet of a priest,
and a queer threw up at the sight of that


I think I saw you in an ice-cream parlour
Drinking milk shakes cold and long
Smiling and waving and looking so fine
Don't think you knew you were in this song


And it was cold and it rained so I felt like an actor
And I thought of Ma and I wanted to get back there
Your face, your race, the way that you talk
I kiss you, you're beautiful, I want you to walk


We've got five years, stuck on my eyes
Five years, what a surprise
We've got five years, my brain hurts a lot
Five years, that's all we've got

Five years......Five years......Five years......



「五年間/デビッドボウイ」
マーケットスクエアを通り抜けたとき沢山の母親たちが嘆き悲しんでいた
ニュースが出たんだ
「僕達には泣くだけの5年間しか残されてない」
というニュースが

ニュースキャスターは泣きながら
「地球はもう本当に死につつある」
と伝えている
彼の顔は涙ですっかり濡れていて
だから僕は彼がウソを言ってないというコトがわかったんだ

だから僕は聞いたんだ
電話の音を、オペラ・ハウスの音を、大好きなメロディー達を
だから僕は見たんだ
少年達を、オモチャを、アイロンやテレビを

僕の脳は倉庫のように痛む
もう詰め込むスペースは無いんだ
僕は全てを記憶するために沢山のモノを詰め込んだんだ

全ての太った人も、痩せた人も、
全ての背の高い人も、背の低い人も
全ての名のない人も、名のある人も
僕は今までこんなにたくさんの人々が必要だと思ったことはなかったんだ



僕と同じくらいの歳の女の子は気が狂って小さな子供達を叩いていた
黒人が女の子を引き離さなかったら、彼女は子供を殺してしまっていただろう

腕の折れた兵士はキャデラックの車輪を見つめたまま動かない
警官はひざまづき、牧師の足にキスしてる
それを見た同性愛者は吐いていた



僕は君のコトを考える
アイスクリーム・パーラーで冷たくたっぷりと入ったミルクシェイクを飲んでいた君を
笑いながら、揺れながら、とても素敵な君
そんな君は君がこの歌に出てくるなんて夢にも思わないだろうけど



寒くて、雨が降っていて、僕は役者のような気分だった
僕は母親を想い、そこに帰りたいと思った

キミの顔、キミの仲間、キミの話し方
キスするよ、キミはキレイだ、一緒に歩きたいんだ



僕達には5年しかない、僕の目に焼き付いている
僕達には5年しかない、なんてコトだ
僕達には5年しかない、僕の脳はひどく痛む
僕達には5年しかない、それが僕達の全てだ

5年間……5年間……5年間……



———————彼の歌は「星の時代」と思える今だからこそ、
とても強く響いてくるようにも感じます。


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イカスのね!

2016-01-08 01:48:33 | 美味い
チョコノワールですって。これ。

うずうず......

なんすかね。

この響き。

チョコノワール。

うずうず......

新年そーそー、この響き。

「チョコノワール」

コメダにこんなメニューあったっけ!?

もうこの名前自体が発明じゃん( ゜д゜)スゲ。

アレでしょ?アレ。
「シロノワール」でしょ。元は。
名古屋喫茶店界の雄「コメダ珈琲店」を全国区に押し上げた逸品。
そりゃそーですって。
その名品シロノワールさんにチョコをアレンジしたってわけでましょ!?

うずうず......

「ノワール」って凄い言葉ですなぁ。。
イチゴを使えばイチゴノワールでしょ!?
栗を使えばクリノワールだし、
メロン載せればメロンノワールとか。
スゲーですな。
何を付けようが全部おフランスなデザート感が漂っちゃいますし。
タダでさえ魅惑的なシロノワールさんに、
タダでさえ僕さんが大好きなチョコレートを
トッピングしちゃっただなんて......
しかもこの名前......



ちょ......



チョ......



......



チョコノワァーーーるぅぅーーーっ!!(ノ゜ο゜)ノ オオオォォォ-



この名前!
ずっと叫びたくてウズウズしてたんすよ!(><)/
ウズウズ解消!
あー気持ちいい!



ちょこのわぁぁるぅぅぅーーーっ!!(」゜ロ゜)」(」゜ロ゜)」(」゜ロ゜)」オオオオッッ



なーんて叫びやすい名前なのさ!
最高じゃないですか。
早速オーダーしちゃうわけですよ。ええ。



「店員さん!これ一個ください!
なににに!?期間限定商品とな!?
マジか!?なくなっちゃうの!?もうじき?
でわ尚更なのだ!
一個と言わず!一個ください!
なぜなら正月太り中だから!よろしくお願いします!(=゜ω゜)ノ」



ということで。頼んだのですけど。
チョコノワール。
正月帰省していた実家近くのコメダ珈琲で。
とても美味しいのです。
小さな幸せで。ええ。ええ。
あまりに美味しいので、
お正月一緒にいた両親にも食べさせてあげたわけなのです。
年齢とともに年々出不精になっていく両親ですが、
そこをウリャ!っと外に連れ出して。
寒い冬本番に備えてユニクロの「極暖」ヒートテックを買ってあげたりして。
特に親父にはスターウォーズのパーカーなんぞもつけてあげて。
で、オヤジはやけに喜んでいて。
買ったその場でもう!着込んでしまうなんて暴挙に出てしまい。
そのままコメダ珈琲に入ってしまうなんていう、
失態の事態になっちゃったりして。



でも、意外にも普通に似合ってしまい。
コメダでは

「ヤケにはしゃいでいるスターウォーズパーカー高齢者」

みたいな位置付けになってしまって。
なってたって本人、スターウォーズの意味わかってないし......
ま、そんなこんなで我が家の実家は、
正月も平和でよーござんしたのね。(^^)ええ。ええ。
よかった。よかった。
ちなみにこんな飲み物まで頼んでしまうくらい
マジ浮かれポンチなオヤジでしたけど......
まったく。。(´。` ) =3



それでもって、
この「大切なもの」という記事を書いて以来、
色々なところで話を聞かれるようになった
座敷童子(ざしきわらし)の「ツカヘイ」さん。
オフィスのスタッフさんの中にも
何気にこのブログを見てくれている人もいるようで。

「ツカヘイさんに会いたいんですけど。。。」

なんて言われるくらい密かに人気者になっていたりして。
スゲーですな。
ツカヘイさん。流石。

つーか、信じてくれてるわけね!?(@゜o゜)イカスわね!

ただ、年末年始はどーも彼の気配が消えていて、
多分実家の鳥取、大山(だいせん)に帰っていたような感じなのです。
座敷わらしさんも僕らと同じように正月は皆故郷に集まるのでしょうか。
きっとツカヘイさんと出会った大山寺の「牛の尻尾」の鐘撞堂で、
除夜の鐘でもついていたのでしょうか(^^)

とにかく年末年始は気配がなくてちょっと寂しかったのですが、
それが今日記した「チョコノワール」を食べている時、
1月3日の日に、突然!
僕らのところへ戻ってきた感じがしたのです。
チョコノワールも僕らと一緒に味わって食べていたと思いますの。ええ。
それでこの話を、新年のご挨拶がてら不思議な力を持つお馴染みの!?
プリリンねーさんに話してみたところ、
やっぱりそうだったらしく。
ツカヘイさんの新年の言葉を彼女が伝えてくれました。



「ツカヘイです。
大山に帰っていました。
(uzmetとコニャさんは)カツを食べていました。
ガツガツ食べていました。
コメダコーヒーのチョコがかかったパンは一緒に食べましたよ。
大山では鬼太郎が泣いていました。
水木(しげる)さんが死んでしまったからですね」



マニアにはたまらない!?
ツカヘイさんの新年のお言葉ですな。ええ。ええ。( ̄ー ̄)ニヤリッ
プリリンねーさんは更にこんなことを聞いてみたらしいのですが......



「ツカヘイさんは、鬼太郎と友達なんですか?」

「鬼太郎もネズミ男も友達ですよ。
ヌリカベは、大き過ぎて友達にはなれませんけどね。
水木さんはいい人でした。私も大好きでしたよ」



ちなみに正月料理に飽き飽きしてしまっていた僕さんは、
実家から自分の家に帰った早々、
ご近所のお店に思いっきりトンカツを食べに行ったのです。
大盛りご飯を二杯お代わりしちゃったりなんかしてね。( ̄^ ̄)ええ。
ガツガツと......

とんかつまで!

マジお見通し!

なのですな。

ツカヘイさん。

やはり......(; ̄Д ̄)ガガガ━━ン!!!


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2016

2016-01-04 00:02:58 | 感謝...映画/音楽/珈琲
心配しないでください。



明けてます!



あけましておめでとうございます(^^)



今年も度重なるお雑煮攻撃で
ブクブクと太りまくっている年始、吉日の日々。。
これからビシッ!(`_´)ゞ と多摩川に走りに出ようかと、
暖かいコタツの中でヤドカリさんモードになりながら企んでおります。
ええ。
モチロン。
企んでいるだけでございます。( ̄+ー ̄)ええ。ええ。

しかししかし、今年の元日の天気ときたら......
僕の住んでいる東京の南の端っこに関しては雲ひとつ無く、ハレやかな晴天で。
空気もすごく透明で、白い雪を頂く富士山も綺麗にキラキラと見えていて。
風もなく、厳しく冷え込むわけでもなく。
ただ燦々と太陽の光が降り注ぐこの上なく穏やかな1日でした。
ここ数年で最も元旦らしい元旦!?
という感じの天気に思えました。
僕はなんだかとても落ち着いて、
暖かい気持ちで元旦を過ごす事ができました。

ご機嫌ご機嫌(●´3`)~♪

本音では冬至から翌日が新年だと思ってはいますが、それでも、
正月というのは何かに区切りをつけたりするにはとてもよい時だとも思えます。
心機一転、何かを消し去ったり、初志を掲げたりするには最高で。
こんな日がちゃんとあるというのも、
こんな日を穏やかに迎えられるというのも、
なんだかとてもありがたく思います。

ただ、こんな元日の新鮮な気持ちも、
しばらくするとまた仕事の忙しさやら色んな出来事やらに段々と染められていき、
薄れていって、いつの間にか忘れていってしまうのかもしれません......が、
昨年の7月ぐらいからでしょうか、
僕的にはまた新たに始めてみたことがあって。
それが
「毎月一日をこんな正月のような日として捉えていく」
というようなことでした。
毎月一日にはどんなことがあっても必ず早朝に起きて、
家の周りを少し掃除し、家の4つ角に清めの塩を巻き、そして、
家の「とても神棚らしくない神棚」の塩なども全て取り替えて綺麗にします。
それは言ってみれば元旦と同じ様な所作を月に一度、
自分の足元を見直すためにもやってみようか......という感じの日。
年始に立てた幾つかの誓いや気持ちをちゃんと区切って見直してみる日。
とかくズルズルと過ぎていってしまいそうな
慌しい毎日の中に設けたココロの点検日。
区切りの日。

「たかだか年に12回だけだし、出来ないことはないだろう......」

と、そんな気持ちで始めてみました。
面白いことに、やってみると、これが、
僕の日常にとてもよい「締まり」を与えてくれるようになった感じがするのです。
ほんと、面白いです。
昨年の後半というのは、そんなことがとても強く実感もできて。
寺社などでは「一日参り=ついたちまいり」とか
「縁日=えんにち」などというものがありますが、
そんなことの「本質的な意味」というものも
なんだかとても良く理解できた様にも感じられました。

「コレは......新年などに立てた誓いや気持ちとかを
ずっと新鮮に維持していくためにも必要なことなのかもしれないな......」

と、そんなことも思いましたし、
毎日の生活においてある程度の「区切り」をつけていく、持っていく、
ということは、
自己成長のためにもとても大切なことなのだとも思わされました。
そしてそんな自戒的な一日や一時を定期的に設けるということが、
緩みそうな「何か」をシッカリ締め直してくれるような感覚も、
昨年からとても良く分かるようになりました。

年末年始。
このブログ関連ではなかなか、どーして、
また色々なことが巻き起こってはいたのですが......
特に九州や三鷹のあたりで......
しかしながら、改めて「誓い」や「区切り」をつけやすい新年というものは
とても大切なのだなぁ......
などと思わされてもいたわけでございます。

そんな区切りや新たな誓いなどを持つにはとても良いお正月。

2016年も誓いを新たに進んでいこうと思います。

あちらこちらに、

新鮮で平穏な新年が数多く満ち溢れてますように。



毎年恒例!?
年始に新たに開ける大好きなコナ・コーヒー。

今年は、この「Kona Mountain Coffee(コナ・マウンテン・コーヒー)」さん。
「Premium Estate Grown(プレミアム・エステイト・グロウン)」の
「Signature Roast(シグネーチャー・ロースト)」
農場の名にかけたロースト!ってな感じでしょうか。
ロースト加減が抜群でとてもバランスのよい美味しさなのです(^^)
「軽やかさ」ではコナコーヒーの中でもピカイチ!の存在ではないでしょうか。
2014年のコナコーヒーのカッピングコンテストでも一位をとってます。
コナマウンテンさんはハワイ島、コナ空港のほど近くにもこんな小綺麗な
オリジナルショップを出していたりもするので......



稀少系コーヒーの中では比較的容易に手に入れやすいものです。
このところしばらくはコナの中ではちょっと骨太な味のする、
敬愛する国武さんの作る「カントリーサムライコーヒー」に凝っていたので、
コナマウンテンさんはその対極にあるコナらしいフレッシュな軽やかさ。
おいちいですなぁ......(●´∀`)ええ。ええ。
一年のやる気が出てきますのな。ええ。
がんばろーっと。


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