雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

差し入れ!

2014-01-30 00:26:11 | 美味い
「うちのオーディオ聞きに来ませんかぁー!?」

と、お誘いを頂いていたので、

「行きますよぉー (*゜o゜)ノ 」

と、そのマルチクリエーター「S君」のお家にチロリとお出掛けしてきました。

伺ってみると、S君のシステムは今時珍しい真空管のアンプと、
DD(ダイレクト・ドライブ)ではないBD(ベルト・ドライブ)の
重量感のあるアナログ・プレイヤーをメインとしたシステム。
クルクルと回る漆黒のドーナツ盤の溝から
「針」で丁寧に拾われて行くアナログの音というのは、
ちょっと懐かしい香りのする、濃密で情緒感のある音でした(^^)ウンウン

スピーカーの特性やタイプもあって、
流石に再生レンジ(周波数帯域)の狭さは
聴く音楽をかなり選ぶような部分もありますが。
デジタルの様にデータ間に刻まれた細かい「隙間」や「溝」を持たない
「繋がった音」というのは、
人の耳にはしっとりと自然に馴染んで来る特質がある様に感じられます。
我が家にもアナログ・プレーヤーはありますが、カートリッジから何から、
オーディオというよりは殆どDJ仕様の「楽器」に寄ったスタイルのものなので、
久々にピュア・オーディオな、
アナログ・ターンテーブルの音を聞くことが出来ました。

折角のことだったので、
当日はS君の近所に住む男性アーティストさんや
音楽作家さん達三人を引き連れて、
ワサワサ.....と、超迷惑!?な感じで伺ったのですが、
ドイツもコイツも......
しばらくスタジオからは遠ざかっているハズの僕ちんも......

「業務リスニング!?」

というスタイルがどうも体に完璧に染みついてしまっていて。
オーディオ・システムさんに面と向かい、対峙してしまったりなんかすると、

「ムムムっ!チェックしちゃうでっ!負けへんで!(`ヘ´#) 」

......なーーんて。
なかなか「ピュアオーディオファンの心」になれない、ならねば、なるべきで......
という三段活用的、病的体質を嘆きあったりなんかもしちゃったりして。

(T.T)ぶぇ

なるべく向かい合わない様にして聞かねば!みたいな......

マスタリングかっ!?(マニア向け発言。。)

最近のアナログ盤は「音溝」を彫る
「カッティング」職人さんが少なくなってしまったせいか、
盤によっては、ですが、
アナログなのにまるでファイル音源のような、システマティックで画一的で、
平べったい感じの音に感じられるモノなども時折あって。
高度にオートメーション化されたカッティング・システムで
溝が切られているのだとも思いますが、そんな盤を感じたりすると、
やはり改めてカッティング職人さんの「凄さ」というものに
深い敬意の念を持ってしまったりもします。
一緒に連れて行ったアーティストさんも少し思い出していたようでしたが、
彼にも昔、メジャー・デビュー前に

「アナログを知ることで、
きっとスタジオワークにも違いが出てくるとも思うからさ、、」

なーんていう話しをして、
小鐵徹(こてつとおる)さんという僕の憧れの
「アナログカッティングの巨匠」さんに世界屈指!
のカッティングの技を見せて頂いたことなんかもあったりして......
まだビクターの「マスタリング・スタジオ」が
横浜の子安にあった頃だったですなぁ......そー言えば。なんて。
懐かちぃ。。



やはり、
僕にとって「エンジニア」さんというのは、
それがどんな業種であれ、
いつも敬意を払うべき偉大な人達なのですな。うーむむ(●´∪`)。。



で、そんなふうにマニアックに音楽を聴く!
なんていう時わですね。
勿論!
美味しい差し入れ!
でございまひょ!(><)/ニャーッ!



今回勢いで持って行ってしまった差し入れさんわですねぇ。
そんな僕が四六時中スタジオに籠っていた頃に、
時折頂いたりしていた「差し入れ」さん達の中で、ですね。

「にゃんだこりわわわわーーーーーーっ!オォォーーー!! w(゜ロ゜;w 」

と、個人的に一際印象的だったスコブル美味しい「いなり寿司」さん!

「S君にも音を聞きながら食べさせてやっぺ!」

と、ポチポチと買って行ったのでございまする。
そのすこぶる特別な「いなり寿司」さんを出してくれるお店というのが、ココ。
「呼きつね=こきつね」さん。



東京、西麻布の路地裏の片隅にヒッソリと佇む
「テイクアウト専門」のいなり寿司屋さん。
マサに!敬意を払うべき「職人!」の一品!(●´ω`●)クゥゥ..♪



なんだかですね、
だし汁にジックリとつけ込まれたスコブル美味しい油揚げさんがですね、
まるで細巻きの海苔巻き寿司の様な感じで、
ご飯をクルリと上品に包み上げているのでございます。

ああ、うまそ。

正直ですね、
一口サイズの小ぶりさんですから........
下品な僕は20個わいけます!(*`・ω・´)ゞデシ!

しかも8個入りのタイプだと
こんな大きな本物の「竹皮」さんに包まれたパッケージでやんして......



中にはいくつか「胡桃=くるみ」バージョンさんも入っていたりして。
笹の葉さんも入っていたりして。
これがまた美味しさを増幅するってな感じで。あぁ、うまそ......
久々に食べれて嬉しかったのぅぅっ!(嬉´∀`嬉)ノ

このお店。
以前はポン!と行って並んでいても、
少し待てば買うことが出来たと思うのですが。
最近はもう大人気!の様でして。
作り置きもしない、というコダワリもあるので。
予め電話をして個数をお伝えして、
それが出来上がった頃に受け取りに行く......なんていう感じ。
本当に美味しいので、まぁ、ソーなりますわなぁ。うんうん。
すげーですなぁ。
オーナーで職人の方がお一人で切り盛りしている
とても小さなお店なのですが、
聞く所によると、昔は役者さんなどをやっていた様な方らしく。

「楽屋などでいただくと最高に嬉しくて、美味しい一品を作ってみたい、、」

ということで、この「いなり寿司」さんを考え。
その味やスタイルを研鑽してこのお店を始めたのだそうです。
いやいや、確かに、「差し入れ」などには最高の一品!ではないかと。
僕も思うのでございまする(^^)
やぱーり、
職人さんは素晴らしいですなぁ。
いつも尊敬してしまうのでございまふ。。(*´∀`*)クゥゥ


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こ、これわ。。。

2014-01-26 00:19:00 | 美味い...珈琲
「Clever Coffee Dripper=クレバー・コーヒー・ドリッパー」
最近、コーヒー好きの人達の間で話題になっているので、
少し前に買ってみました。
小さいサイズのもの。

僕の好みのコーヒーの煎れかたはとてもシンプルな形で。
紙フィルターをワンホール・ドリッパーにセットして、
コーヒーカップの上に載せ、
あとはトポトポ......とお湯を注ぐだけ。
ドリッパーから直接マグカップに落としていく感じ。
手早く出来て、
紙フィルーターの特徴であるとても「スッキリ」とした味で仕上がります。
一日に結構な量を飲む僕にはこの
「スッキリとした軽さ」
というのが結構大事なコトで。
その上でコクや香りもしっかりと感じられる......なんていうところに
メチャクチャなコダワリがあったりなんかしています。
紙フィルターで薄まりがちな「コク」や「クセ」は
コーヒー豆のタイプやクオリティー、
相性や挽き方とのバランスを見ながら好みの味に調整して行くのですが......
どーも、このクレバーコーヒードリッパーさんというのは、
そんな「スッキリ系仕上がり」という紙フィルターの特徴はそのままに、
その上で失われがちな豆のコクやクセ、
個性などを上手く煎れ込める!!なんていう特徴があるようで、
まるで楽天のマー君を待つニューヨーク・ヤンキースの様な期待満々!(><)/
の心持ちで我が家のキッチンにお迎えをいたしましたのでござる。ええ。

契約金は!

¥1800!(*・ω・)ノぐらひ!

早速!

お気に入りの、

ピカイチ!に美味しいハワイコナさんでドリップしてみました。

......フムフム......と、(*゜ー゜)oワクワク......

紙フィルターをセットして、

ここまでは普通のドリッパーと同じですな。フムフム......

で、

トポトポ......と、お湯を注いで......

ここまでも同じやな。うんうん......

で、

ここで、このドリッパーさんは底の穴にストッパーがついていて、

注いだお湯がそのまま溜まる!ってな寸法なんですな。うんうん......(・w・)

さらにわ!

こんなフタ!がついているでやんすから......

それをドリッパーの上に被せて......



「蒸らす!」ってなマニアックなコトが出来るわけでやんすな!

(*゜Д゜*)ふぅぅ~ん......なるほどー......

で、一分ぐらいしたらフタをとって掻き回してみたりして......



なんか、このパターンだと、
この「所作」を加えた方がキット美味しく仕上がるでやんす。
きっと。経験的に。間違いなく。(´O`)ナノダァ~
で、もう一回フタをして、もう一分ぐらいお待ち遊ばして。
お湯を注いでからちょうど3分ぐらいしたところで、いよいよ!
ドリッパーをコーヒーカップの上に載せるのでやんす!
蒸らして、
掻き混ぜられたコーヒーさんをカップに落とし込むのでやんす!

ええーーーーーーーいいっ!!

ダ━━━━(`∀´)ノ━━━━━━!!!



でけた!



......どかな。。



良い感じかな......どかな。。



ひとくち。。



とぴっ......っと。。。



うーーん。。。



うまっ!!( ゜д゜)ンマッ!!



ひひーーーん!!((((*゜θ゜)ノノ ウマ!



これわ......



かなりいい感じですな。。



こ、この気持ちわ......



「幸せ」と呼ばれるものなのか。。(。・_・。)?



紙フィルターの軽さと、
フレンチプレスや、
ワイドなスチールメッシュフィルターで煎れたときの様なコクや旨味が
程よいバランスで溶け込んでいて。
豆本来の味と軽さが「高い次元」で両立出来ているような感じが......
とても良いですなぁ......これ。(゜ω゜)
水出し的というか。
噂通りですなぁ......コレ。
これからは暫く、
コヤツが我が家のエース!ドリッパーに成りそうですなぁ......

ウーーン......

美味しい。

ということで!

契約金は決して高くは無かったですわん!

わんわん!!((((*゜υ゜)ノ イラッシャ---イ!


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just make it possible

2014-01-22 01:30:24 | 勇気
「さんま・玉緒のお年玉!あんたの夢をかなえたろかSP」という、
視聴者の夢をTVがかなえちゃいます!
的番組を最近チロリと見たのですが、
その中で小学生の少年が、憧れの
「アンソニー・ロブレス=Anthony Robles」
というアメリカのレスラーに
レスリングを教わりたいという夢がありました。

「おお!?(*゜0゜)!!アンソニー?マジ!?」

と、一部スポーツ好きの間では
数年前にとても話題になっていた彼を強く記憶していた僕は、
そのコーナーにかなり真剣に見入ってしまいました。
少年が憧れていたこのアンソニーさんというレスラーさんは、
生まれつき右足が付け根のほうから無くて。
そんな「片足」というハンデのある体で
ハードな格闘技でもある「レスリング」の選手となった人。

しかも!

めっぽう強い!

ハンデキャップのある人々の大会ではなく、
健常者の集まる通常の公式大会で
何度もチャンピオンに輝いたというまだ若い凄いレスラーさん。
少年が憧れるのも良くわかります。
その少年が一人アメリカに渡り、
憧れのアンソニーに会い、話し、技を教わり、
一緒にレスリングをして、夢を叶えて、帰国。
夢を新たにしてまた大会に進んで行く......
という姿を追いかけた映像には、ちょっと心熱くなるものもあり......
なんだかとても良い番組でした。(^^)ヨイヨイ



この時の番組では放送されなかったアンソニーさんの生い立ち部分を
もう少し詳しく記すと、
彼の生まれ育った家というのはいわゆる「母子家庭」で、
色々な事情で彼が生まれたときには父親はもう既に家に居なかったそうです。



母親の名前はジュディさん。
彼女はそんな不在の父親分まで必死に働いて、
同時に父親の様な厳しさや強さも持ち合わせながらアンソニーを育てました。
ジュディさんは片足だったアンソニーを特別扱いする様なことは決してしなくて、
強く大きな人間に成る様に......と、
常に厳しく、色々な事を話し、聞かせ、叱り、育てたそうです。
そんな母親とアンソニーは
子供の頃から取っ組み合いのケンカをする様なことはしょっちゅうだったらしく、
そんなこともアンソニーをレスラーの道に向かわせた要因の一つともなりました。

子供の頃、
片足で走れなかったアンソニーは学校で仲間外れにされることも多く。
そんな走れない自分に嘆き、
落ち込んでいたアンソニーに、ジュディさんは

「決して諦めないように」

「アンソニーだって絶対に走ることは出来るから......」

と、そんな励ましをしてきたのだそうです。
そんな母の励ましを受けたアンソニーは、
その後松葉杖を使って走ることをマスターしました。すると、
今までバカにして仲間はずれにしていた周りの人達も
次第に彼の傍へ寄って来て、友達も出来たそうです。

アンソニーがレスリングを始めたキッカケは、
彼が高校に入学し、体育館でレスリングを見学していた時に、
たまたまソコにいあわせたコーチから声をかけられたのが
最初だったのだそうです。
松葉杖や片足であることを補う為に
自然と鍛え上げられた上半身を見抜いたコーチが

「一度試してみたらどうか。。」

と、そんな誘いだったようで。
しかし、誘われたけれど......

「自分のような体で、果たして、
レスリングなど本当に出来るのだろうか......?」

と、家に帰り母ジュディさんにそのことを相談すると、
彼女は

「やるべきだ」

と答えました。

「今までよく取っ組み合いのケンカをして来たじゃない。。
ソレと同じだから向いてるハズだよ。。」

と、そんなふうに彼女はレスリングを勧めたそうです。
そんな母親の勧めもあって、
アンソニーはレスリングを始めるコトを決意したのですが、
子供の頃から母親と「取っ組み合いのケンカ」をしてきた彼にとって、
その「取っ組み合い」ソノモノのようなレスリングというスポーツは、
どんな障害があっても決して負けない様に厳しく叱ってくれたり、
勇気づけてくれた「母の愛情」そのもののように感じられたのだそうです。

ソコからの彼は、
一心不乱にレスリングに取り組み、体を鍛え上げ、
常人には考えられないくらいのあらゆる障害を乗り越えました。
特別な技術をマスターし、
得意技も編み出し。
そして、高校3年生の時。
遂に州大会のチャンピオンにまで上り詰めました。
その実力が認められた彼はその後アリゾナ州立大学への奨学金も獲得。
たった一人、アンソニーの為に必死に働いて来た母にも
あまり負担をかけることも無く大学に行けることになり、
彼は大学進学を決意します。

入学後、アンソニーが大学二年生だったある日のこと。
そんな大切な母であるジュディさんが倒れてしまいました。
奨学金を獲得していたとはいえ、
母子家庭の生活というのはとても厳しく、貧しかったそうです。
ジュディさんは生活費を稼ぐために休みなく働き、
それでもお金が足りない時は1回35ドルの献血などをして
生活費を工面していたのだそうです。
そんなことを長年続けていた無理がたたって、
彼女は体調を崩してしまいました。
その時アンソニーはジュディさんに

「大学を辞めて働く、、、」

と言ったそうなのですが、ジュディさんは

「レスリングはどうするの?」

と聞き返して来たそうです。

「諦めずに何とかする方法を考えよう。。」

と、そうアンソニーに言ったそうです。
彼女は自らの体のことより何より、
最愛の息子の夢を絶つようなことだけは絶対にしたく無かったのです。
彼女と話し、色々と考え抜いたアンソニーは、
先ずは毎日の練習をメニューはそのままにスピードだけ上げ、
切り上げ時間を早くして、
その後自分が出来る「アルバイト」を始めました。
母の「決して諦めない」という信念と気持ちはアンソニーにも伝わり、
その精神もちゃんと彼に受け継がれていたようです。
やがてジュディさんの両親もそんな二人に色々な援助をしてくれて、
なんとかアンソニーは大好きなレスリングも大学も、
辞めずに続けることが出来ました。

そんな大学2年生の時の全国大会の成績は4位。
翌年はアルバイトとの両立に苦労したためなのか!?7位。
そして迎えた2011年、NCAA。
大学4年、最後の全国大会。
彼はついに全米アマチュアレスリングの全米チャンピオン!に輝きました。
その決勝戦の観客席では、
退院したばかりの母ジュディさんも見守っていたそうです。
その彼女の目の前で、
健常者の集まる通常の大きな大会で、
片足のアンソニーが勝利したのです。



スゲーです。。



その年彼は「シーズン36戦全勝!」なんていうことも記録して、
全米No.1のスポーツ専門ネットワークチャンネル
「ESPN」が主催するアワード「ESPY AWARD」で、
年間で最も活躍した障害者アスリートに送られる
「最優秀障害者男性アスリート賞」と、
不屈の努力を称える「ジミーV賞」という賞をダブル受賞しました。
冒頭に記した

「スポーツ好きの間でちょっと話題になった、、、」

というのは、
実はこの時に彼が行った受賞スピーチのことでもあり、
それは見るもの全てにとても感銘を与える様な、
素晴らしい言葉達でした。

イチローさんの言葉ではないですが、
「何を言ったか」とうより「誰が言ったか」というところにも
大事なポイントがある言葉だとも思いますが、
記した様な人生を歩んで来たアンソニーが語った言葉というのは
なんだかとてもピカピカと輝いて響いて来ます。

さんまさんの番組でもこの時のスピーチの様子が
「少し」だけ流れていましたが、
話している彼の姿は神々しいまでに堂々としていて、
その立ち居振る舞いにも僕は感動してしまいます。

短いし、
折角ですのでココにも全文を記しておこうと思いますが、
例によって!?You tubeなどでも探せば映像も見れると思います。
冬の夜長に珈琲でも飲みながら......どぞどぞ(^^)
スゲーです。



“Thank you. Thank you very much.
It's an honor to be here.
The reason most of us are here tonight isn't because what we've accomplished.
It’s because of the sacrifices and encouragement that
certain people have given us at critical times in our lives.
You just saw who sacrificed for me and encouraged me.
That was my mom, Judy Robles.

ありがとうございます。本当にありがとうございます。
この場に立てて光栄です。
今夜受賞した人のほとんどが何かを成し遂げたからではなく、
周りの人が犠牲を払ったり、
激励してくれたお陰でこの場にいる事ができるのです。
私の場合それは母のジュディでした。


When I was born,
my birth daddy immediately bailed --– I was born with one leg and
my mom could have walked away and given me up for adoption but she didn't.
She taught me to never let what I cannot do interfere with what I can do.
And she didn't protect me from pain and failure
because she knew it would make me stronger.

私が生まれた時、
私の父は既に居なくて————私が片脚で生まれた時、
母は逃げ出すこともできました。
しかし彼女はそうしませんでした。
彼女は教えてくれました。「決して諦めてはいけない」と。
そして彼女は私を痛みや失敗から決して守ってはくれませんでした。
何故なら彼女は知っていたからです。
それが私を強くするのだということを。


Even when my mom got sick at the beginning of my sophomore year in college,
and my step dad walked out on the family,
and we lost our home and I wanted to quit wrestling to get a job to help pay the bills,
my mom refused to let any of us give up and here I am today – national champion.

大学2年の始めの時、母は病気になり、
私たちは家を失いました。
私は仕事をしてお金を稼ぐ為にレスリングをやめようとしました。
でも母はそれを決して許しませんでした。
そうして今日、ここに、私は全米チャンピオンとして立っています。


I must also thank Arizona State University – Sun Devils –
for giving me one of the finest educations in the world, and my friend,
Chris Figgy and my high school coach, Bobby Williams,
who took me under their wrestling wings to push me every step of the way.
And now as I go forward with so much more to do.

そして世界一の指導をしてくれたアリゾナ州立大学———
サン・デビルズ———と、友人のクリス・フレイジェ。
私をレスリング世界へ導いてくれた高校時代のコーチ
「ボブ・ウィリアムズ」に感謝します。
そして、私はこれからもさらにもっと前進して行きます。



This is my message―――――

これは私のメッセージです――――――



Every soul who comes to Earth,
with a leg or two at birth,
must wrestle his opponents knowing
it's not what is,
it's what can be that measures worth.
Make it hard, just make it possible
and through pain I'll not complain.
My spirit is unconquerable.
Fearless I will face each foe,
for I know I am capable.
I don't care what's probable,
through blood, sweat, and tears,
I am unstoppable.

―――――Thank you.


この地球上に生を受けた全ての人間は、
脚が1本であれ2本であれ、
困難に立ち向かわねばならない。
どう生まれたかではなく、
どれだけ価値のある者になれるか。
たくましくあれ、可能性を高めよ。
そのために痛みが伴おうとも私は不満をこぼす事はないだろう。
私の魂は決して屈する事はない。
どんな敵に立ち向かおうとも私は恐れない。
私は自分の可能性を知っているから。
血と汗と涙があれば、
可能性がどれだけあるのかなど私は気にしない。
誰も私を止めることができない。

―――――ありがとうございました。



このたたずみかたわ......
この人は可能性を高めようとしてるなりか!?(@゜o゜)make it possible...


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1月17日

2014-01-18 03:31:55 | 勇気
19年前の今日。
僕は大阪府、豊中市の「曽根」という街に一人で住んでいて、
「阪神淡路大震災」に遭遇しました。



20代前半。
社会人になって数年がたった頃。
僕は週末の休日と月曜日迄をくつけて休み。
大好きなスキーを

「フワフワのパウダースノーで楽しもう!」

と大阪から飛行機で青森県の鯵ヶ沢(あじがさわ)
というスキー場にポンポコと出掛けていきました。
そこでヘロヘロになるまで滑りまくり、

「筋肉痛だぁ......」

などと言いながら、
当時はまだ大阪の空の玄関として機能していた伊丹空港から
自宅に戻って来た、その夜に、
僕はその地震に遭遇しました。

住んでいた街は大阪地区の中では比較的神戸寄りのところで。
宝塚や伊丹にもほど近い場所。
地殻の構造なども関係してなのか、
地震の揺れは大阪エリアの中では一番大きかったようです。
公式な記録では
「震度6前後であろう」
とのことでした。

震源地が地盤の真下にある、
いわゆる「直下型」の強烈な揺れというのは、
例えればジェットコースターのピークからドーン!
と落ちていくアノ瞬間と全く同じような感覚のもので。
それは本当に大げさな表現でもなんでも無く。

「恐怖心を瞬時にあきらめに変える」

ような、どうにもならない「縦揺れ」でした。
その揺れの感覚は19年経った今でも
僕の体と記憶に深く刻まれています。
「釧路沖地震」も札幌で経験していたソレ迄の僕の人生においても、
「東日本大震災」を経験した今この瞬間迄においても、
「大地の揺れ」ということに関しては最大の、
決して忘れることの出来ない揺れでした。

子供の頃から不思議と?
地震の前には寝ていても必ず目が覚めてしまう僕は、
その日も長旅とスキーとでボロボロに疲れていたにも関わらず、
やはり、地震の十分ぐらい前にはパチリ......
と目が冴えてしまっていました。
ただ、大抵は、それが

「なんで眠れないのか?」

ということまではマッタクもって分からず。
勿論、タダ単に体調的に眠れないという時も、
何かを考え過ぎていて眠れない......
というような時も沢山あるので、
殆どの場合は、地震が来た時になって、初めて

「ああ、これだったか......」
「体調の方じゃなかったのね......」

などと思うような始末。その程度。
そんなレベルの「カン」だとマッタクもって
何の役にも立たたないタダの野生的本能であって。
この時も当然

「なんで眠れないのか?」

ワケも分からずにいて。
翌日の仕事のことも考えて、とにかく

「早く寝なきゃ、寝なきゃ、、」

と、夜明け前ぐらいまで布団の中で格闘をしていました。



そんな時に、
その強烈無比なる揺れがやってきたのです。



その時の僕の住んでいたマンションは5階建てぐらい。
揺れている間は、
フローリングの床に「ベタ置き」して使っていた
分厚いベッドマットレス越しに床が捻れ、波打つという感触を
寝ながら背中で感じ取ることが出来ました。
そんな歪んで波打つ床だけでなく、天井、壁、窓、ドア......
住んでいた建物全体から今迄聞いたことも無いような、
まるで建物の悲鳴のような、
唸り声のような轟音が響いて来て。
さらに、その轟音に混じって、低くて深い

「ゴーー......」

という地鳴りのような音も聞こえていました。
その音は建物の下、地中深く、
大地の底の方から響いて来ていて。
何か巨大なものが下から襲いかかってくるような、
体全体でそれを聞きとっているというような、
そんな低音でした。

逃げようと起き上がろうとするも、
揺れでまったく身動きが取れず。
どうにもならず。
そんなバケモノのような揺れの中で異様に軋み、
歪む天井を見ながら僕はこう思いました。

「ああ、アノ天井が落ちて来たら俺は死ぬんだな、、
しょうがねーな......
俺、死ぬのかな......」

そんなふうに自分で自分の「諦め」と
「非力さ」とを客観的に眺めながら、
そんな冷静な自分に少し驚きながら、
僕は布団の中でただ「ジッ」として何もせず、
天井を眺めていました。
ジッとするしか出来なかった......
というのが正確なことかもしれません。
その時間は数分だったハズですが......
途方もなく長く感じたのを覚えています。

揺れが治まると、
建物が壊れなかったことに少しの幸運を感じつつ、
僕はベッドから起き出し。
メチャクチャを通り越して跡形もなくなった部屋を眺め。
歪んで開かなくなった部屋のスライドサッシを無理やり開け、
外の様子を見てみました。
窓の向かいにあった木造の一軒家は半壊していました。
住んでいた人達は無事のようで、
三世代の家族が皆、
表に出て自分たちの家を呆然と見つめていました。
その異様な光景を目にして、
急いで付けた部屋のTVやラジオからは
地震に関する詳しい状況や情報は
地震直後にはまったく流れてこなくて。
その様子からも

「尋常ではないコトが起ったのだな、、」

ということは直ぐに察っせられました。
で、馬鹿げたことに......
ここで急に強烈な眠気に襲われた僕は、
余震が続く中でウトウト......っと、
気がつくとそこから少し眠りに落ちてしまいました。
しばらくして

「ハッ!?」

と気がつき。
迂闊なウトウトから目を覚ますと、
僕は急いで服を着替え、靴を履き。
滅茶苦茶になっている部屋や廊下を横切り。
ひどく歪んでいた玄関のドアをこじ開け、
薄らと明るくなった早朝の世界に飛び出して、
近所の様子を走って見て周りました。
近所にあった木造の古い家の多くは向いの家と同様に半壊、
もしくは倒壊をしていました。
丈夫な建物にも何らかの損傷があることがハッキリと見て取れます。
道路には所々車が落ちてしまいそうな大きな窪みが出来ていて、
大きく陥没したり、
道ソノモノがネジ曲がったりもしていました。
つい数時間前迄いた「伊丹空港駅」もペシャンコに潰れていました。
それが駅だったのか?どうか?
も知らない人にはわからないような感じ。
まるでゴミの山の様になっていました。
夜が明けてからはメディアからも徐々に詳しい情報が入って来て。
部屋に戻り、TVを付けると、
震源地は神戸から淡路島の辺りのようで、
色々な場所のリアルタイム映像も写し出されています。



画面に映る慣れ親しんでいた神戸の街は
巨大な炎と黒煙に包まれていました。



僕は新入社員で、いきなり大阪赴任を言い渡され。
社会のこともロクに分からない上に、
何もかもが見知らぬ土地で仕事を始めたのですが。
そんな中で、
まるで母の様に親切に僕に色々なことを教えてくれて、
助けてもくれていた、
恩義あるデスクの先輩女性が家族と共に住んでいた
見覚えのある茶色いマンションが、突然、
TVに大きく映し出されていました。

芦屋にあるそのマンションの横には......

信じられない光景が......

太くて大きなコンクリートの柱の根元から横倒しになった
高速道路が映っているのです......

彼女のマンションは、
そんな巨大地震の象徴的光景となった高速道路と共に
TVに何度も何度も写し出されます。

戦争を知らない世代ですが、
それはまるで爆弾が落とされた後の街のように見えました。

彼女のマンションは何度も何度も映し出されるのに、
肝心の、その彼女の安否はまったく分かりません。
一切の連絡方法が機能せず、
何も出来ないまま、
僕はTVに映し出される横倒しになった高速道路と
彼女のマンションとを延々と見ていました。

見えているのに、
僕には何もすることが出来ません。

「もしかしたら彼女達がテレビ画面に映るんじゃないだろうか......」

「無事でいてくれ......」

そんな気持ちでTV画面を見続けていました。

やがて、マスコミのヘリコプターが数多く飛びだして。
そこから届けられる映像で、
神戸駅のほど近くも映し出されました。
延々と燃え広がる火災。
上空を飛んでいるヘリコプターにまで届く、
モウモウ.......と立ち昇る黒煙。

本当に火の海。

そして、

その火の海となっている場所には—————

その場所には—————

その時僕がつき合っていた大切な彼女が住んでいました。

大阪オフィスの同僚達も皆知っている僕の彼女。

その大好きな彼女が住む街が燃えています。

彼女の街が燃えています。

彼女はそこにいるハズなのです。

見えているのに、

相変わらず僕は何もすることが出来ません。

僕には何も出来ません。

連絡が......つきません。

皆、連絡がつかないのです......



——————ソレから後のことは......
ナカナカ記すことが出来ません。
いつか僕の中でしっかりと整理された言葉が生まれてくれば、
ちゃんと記すことが出来るのだと思います。



いつだったか、東日本大震災の後、
僕が統括していた部のスタッフ全員が集まった時に
「一度だけ」
この阪神大震災の話しをしたことがあります。
愛する人達の行方が分からなかった時、
その後僕がどんなことをしたのか?という話し。
幸い二人とも無事だったのですが、
それが分かるまで、大切な人達を見つけに行こうと、
僕がどんなコトをして、
どんな風景を目の当たりにして、
どんなコトを思ったのか?
思っていたのか?
......という話し。

その時は、
こんな時だからこそ阪神淡路の時の経験を、
大事なコトを、
僕の中にある知識を話そうと......したのですが、
話しているうちになんだか色々な記憶や思いが頭に浮かんで来て。
それが被災された東北の人たちの姿とも重なって。
ちゃんと纏まった話しとして話すことが出来ず。
酷いことに、最後には、
話しながら多くの部員達の前で涙が溢れて来てしまいました。
会議のような場でとても恥ずかしいことだと思います。



もし、今日の記事を見ている人の中に、
その時、その場にいたスタッフさんがいたら、
改めてお詫びをしなければいけないのかな......
すいませんでした。



本当は、
その時僕が言いたかったこと、
阪神淡路大震災の時に思ったコト、
起きた出来事、というのはとても沢山あって。
だからとても一度に話したり、
書き記すようなことは出来ないのですが。
そんな事というのは、みな極々当たり前で、
常識と言えるようなことばかりにも思えています。
......そんなもの?なのでしょうか。



命は宝物だということ。

明日死んでも後悔の無い様に生きなければ、ということ。

大切な人の安否が分かって、
初めて次の心配も行動も出来るんだ、ということ。

異常な災害時には、
人間それぞれの本質が表れてくる
ということ。

そして、改めて、

強く生きたい、

強くなりたい......ということ。

そんな当たり前のことばかり。

でも、そんな当たり前のことも成すのは難しいということ。

当たり前に生き抜くということも大変なことなのだということ。



阪神淡路大震災以来、
1月17日にはその時噛み締めた色々な思いを
ちゃんと思い起こそうと努力してみます。
あの時を目前にし、
あの時に一緒に過ごした途轍も無く辛い思いをした人達。
今もそんな思いをし続けている、
なかなか癒えない傷を負った多くの人達のことを思ってみます。
電気やガスが街に戻るまで、
僕のワンルームで窮屈な思いをさせながら数ヶ月一緒に暮らした
3人の人達のことを思ってみます。
ほんと、ダメな僕は、毎日の生活にまみれる中で、
そんな思いもついつい薄れてしまっていたりする気もして。



改めて、命に感謝して、大切に、強く生きねば、と。



当たり前の日々に感謝をしなければ、と。



1月17日にはそんなことを思い直したりします。



梅田のホテルから眺めた大阪の街。
この街には色んな想いが刻まれています。
僕にはとても大切な街です。


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天上天下唯我独尊

2014-01-14 00:03:36 | 凄い
漫画「スラムダンク」で、主人公の一人、
天才!流川楓(るかわかえで)は周りの皆から、
確か、こう言われていました。



「天上天下唯我独尊=てんじょうてんげゆいがどくそん」



B型のこと!?



......いやいや、
そもそもこの言葉の語源は仏教の伝説にあって。
開祖「釈迦(しゃか)=釈尊(しゃくそん)=仏陀(ぶっだ)」
が生まれた直後に右手で天を指し、
左手で地を指して言い放ったという有名な言葉。



とてもキワドイ言葉だと思います。。



最初にこの言葉を聞いた時は



「えっ!?
本当にこんなワガママで傍若無人、
自分勝手で自己中!みたいな言葉を
慈愛の象徴でもあるようなお釈迦様が言っちゃうわけ!?」



......などとも思いましたし。
少し信じられないような気持ちもありました。
しかし、その後、自分なりの人生を歩んで、
それなりの経験をして。
それなりの機微も味わって。
それで思うのは、確かにこの言葉は凄いな......と。
釈迦が言ったというのは本当のことかもしれないな......と、
そんな感じ。
更には、この言葉の意味を「文字通り」に捉えてしまい、
全く理解出来ていなかった自分という人間の浅はかさや
未熟さも思いました。
今は、この言葉にはとても深くて
様々な「意」が込めらているのだろうな、と、
そんなふうに思っています。



今、映画でも大ヒットしているようですが......
最早、言わずと知れた百田尚樹さんのベストセラー小説
「永遠の0=永遠のゼロ」
巻かれている宣伝帯を見るとかなり前のものになりますが、
最初にコレを読んだ時は確かカフェに居て、
人目を気にしながらも......
僕ちゃん号泣。。。・°°・(>_<)・°°・。ビエェェーーン
映画で泣けるようなコトは時たまありますが、
本でココまで泣けるなんて......どの本以来のことだろうか?
......とても強い印象が残っている作品です。

この小説に込められている様々なコトやメッセージを考えると、
映画のような2時間という制作制限がある作品には
全てを盛り込めるようなイメージが
僕にはちょっと持つことが出来なくて。
実際、マスコミに関してのとても重要なくだりも
カットされていたりするようですし。
なので、なんとなく映画の方は未だ見ていない状態で。
今は少し寝かしていたりします。
それでもこの本のことを少しでも多くの人に知ってもらえる
キッカケが増えるということはとても素晴らしいことに思えますし、
そんな映画がヒットしているということも、
この作品のファンとしてはとても嬉しくもあります。



「天上天下唯我独尊」



釈迦が残したと伝わるこの言葉の意味を問われた時、
僕はこの「永遠の0」という本を読むことをつい勧めてしまいます。
この本の主題とは少しズレることなのかもしれませんが、
それでもこの本が一番分かりやすく、
この言葉の真意を伝えることが出来るような気がしていて。
特に「戦場」を生きた主人公の
宮部久蔵(みやべきゅうぞう)の生き方というのが、
この言葉の一つの答えなのではないのかな......と、
そんなふうに思っていたりします。
取材を重ねた事実を元に創造された物語上の人物だとは思いますが、
ソレも含めてそんなふうに思います。

釈尊にまつわるこの言葉が生まれた経緯のお話しというのは、
古来より伝わる「伝説」ですから、
それをそのまま真実と捉えてしまうことは
少々迂闊なことなのかもしれません。
生まれてすぐに立ち上がって
言葉を話す赤ちゃんもチト恐いですし。。(゜ω゜)

ただ、この話しの中で僕がとても大事に思うことは、
仏教における開祖が生まれた瞬間の話だということ。
それはキリスト教であればキリストが生まれた瞬間でもあり、
その宗教や教義にとって最も大事な瞬間や出来事の一つでもあるわけで。
その大事な瞬間に重ね合わせて伝えられて来たコトという部分には、
僕は途轍も無い重みを感じますし、
とても大事な教義や奥義とリンクする言葉なのではないのかな?
とも思えます。

そこに含まれている意味というのは
「最も大切なことなのだ」
と言っている様にも思えるのです。

釈迦が生まれた当時のインドはカースト制という完全差別社会でした。
生まれながらにしてその身分は決まっていて、
それが変わることは生涯ありえないという世界。
そんな中で生まれた言葉......



......天にも地にも我一人。
我ありて初めて宇宙あり。



自分という人間はこの宇宙でたった一人の貴重なる存在。
だから自分が一番大切。
だからまったく同じ重みであなたも大切。
互いに大切。
一人一人の存在がとても大切なのだ、ということ。
自分の存在の重みを理解し、
自分のことを心底愛せる人しか、
同じ重みを持って他人を愛することなど出来るはずがない。



「唯我独尊」



......そこに含まれる「我」と言う文字。
その「我」は故に「我=ワレ」であってワレでなく。
それでも中心は「我」であって。
ワレは同時に他者でもあるということ。
ワレが特別な「我」であれば、
同時に他者も特別な「我」であるということ。
そんな諸々の関係性の中で見つけなければいけない人生という名の「道」。
釈迦の言う「天上天下唯我独尊」とは、
そんな見つけるべき「道ソノモノ」のことの様にも思える時もあります。
「永遠の0」の主人公「宮部久蔵」はそんな難しい、
見出しづらい「細道」を周りから、組織から、
国や時代から何と言われようと、
何と罵られようと歩き抜いた名も知られぬ市井の人。
「唯我独尊」そのものの人。
著者の百田さんも、もしかしたらそんな方なのかもしれません。



自分の命を護れない人が何の命を護れようか?
もし、愛する人がいるならば何を持って護るというのだ。
命を捨てて......など、そんな簡単に言うことなど出来ようか?
命の真価は、
そんなコトが分からない人に見出せるようなものではないハズだ。



命をかけるのが戦争。
命を捨てるのが戦争。



ソレは理(ことわり)。



しかし、
自らの国の兵の命を大切に出来ないような国が、
勝てる戦(いくさ)などあるのだろうか?
それも理(ことわり)ではないのか?



「天上天下唯我独尊」



キワドイ言葉だと思います。
ただ、故に、
タブンそこには見出さなければいけない真実があるように思います。
それすらも読み取る者に委ねられるという言葉。
いつだって本物の言葉は、
そんな表裏、両面を含んでいるようにも思います。
だからこの言葉は、
確かに偉大なる魂を持つ人が言った言葉なのではないのかな......
とも思います。
もしくは、そんな「人達」が創造し、
語り継いで来た言葉なのではないかと思います。
ちゃんと噛み締め、
理解を間違わず、深め、
我がものにしなければいけない言葉なのだと思います。


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どんど焼き

2014-01-10 00:02:13 | 素敵
お正月というのはどーも気分をぬるーり......としてくれます。

なんか好き。

僕は、お正月は断然の国内派。

すっからかーんで、
時間が止まってしまった様な都心をゆるーーりとドライブしてみたり。
普段セカセカ食べているような食事もとてもゆたーりと食べてみたり。
コーヒーもゆたーりと飲んでいたり。
コタツに入ったら一歩も動かなくなってしまったり。
本も映画もゆたーりと追いかけてみたり。
だんだん寝てる時間と起きてる時間の違いがあま~い感じになってきたり......
あま~いモノがとまらなくなったり......



ふと気づいたら......



大惨事。



そんな時に、
忘れていたパスポートの更新を新年早々しにいって、
その証明写真に写った姿たるや......



大惨事!



大寒波!



ぞぞぞぞぞおぉぉーーーっ!!(◎_◎;)



なんや!?



この世の生き物とわ思えないモノが写ってるやんけ!



こいつスターウォーズに出てたヤツやんな!? んぁっ!?



出てたやんな!?



しかも、
パスポートケースに以前更新した時の写真の残りが一枚入っていて。
それと見比べたりしちゃったりなんかしたら......もう大パニック!
のタイタニック!



使用前&使用後!



お肉2倍のバーゲンセール!奥様大喜び!



この写真とコレから何年もおつきあいするわけぇぇぇーっ!?



ああ無常.......(T . T)



......近頃わ、多摩川でランニングの日々を送っております。
ヨガなんてのもやってみたりしてね。ええ。首痛めてます。
その家の裏を流れる多摩川さんのランニングコースに
いつもお正月明けにお目見えする、
こーーんな不思議な巨大な藁(わら)の塔。
てっぺんには何故か?ダルマさんがぶら下がっております。
ふしーーぎ。。( ゜д゜)



去年わこーんな感じ。
ダルマさんの位置がチト違う感じ......



お正月に家の門や玄関などに下げるお飾りや門松、
お札や注連縄(しめなわ)とか、
そんなモノの処分に困ったことがある人などいるかもしれませんが、
この「塔」は、

「そんなお正月グッズをみーーんなまとめて、
感謝と希望の祈りで皆で気持ち良く “お炊き上げ” して送り出そうぜぃ!」

......ってな塔なのです。
近所では「どんど焼き」と呼ばれています。
昔は日本中、彼方此方で近隣の人達が集まってやっていた、
新年に無病息災を祈るお正月行事だったようなのですが、
こんな事をやっている地域は最近ではもう数えるくらいしかないようです。
田舎の実家みたいに広い庭などがあれば、
そこでお正月グッズをお炊き上げ......
なんてことも出来るのですが、マンションやアパート、
東京都心の窮屈な住宅事情ではそんなこともそうそう出来るわけもなく。
近所にちゃんと受けてくれる神社などがあれば良いのですが、
そんな環境も身近に無かったりなんかすると、
縁起迄も思い計ってしまうようなお正月グッズを、
普通のゴミと一緒に出したりするのはなんだかちょっと......
気持ち悪いような、違う?ような......
そんなこんなで「どんど焼き」って、なんだか素晴らしいな、と。
とてもそう思うのです。(^^)
お正月の伝統があるのなら、
コレも一緒に引き継いで行くべきものじゃないかな......
なんて思ったりもします。
毎年15日前後の休日。
今年は12日かな。
この巨大な藁の塔に皆のお飾りが添えられて、火がついて、

「ボワワワァァァ~~~」

と天に届きそうな勢いで炎が燃え上がっていく姿は迫力満点で、
なんだかジット見つめてしまいます。
集まった近所の人達や消防士さん、

「キャッキャ!」

と走り回る子供達には甘酒なども配られたりして。(^_^)
年が明けて、7日経って。
お家のお飾りを外して。まとめて。
そんな「どんど焼き」さんに持って行って。
感謝の気持ちを捧げて。

「良いおしょーがつでしたぁーー、良い年になりますよーにーー、、」

とお伝えして。
お家に帰って「鏡餅」の入った「七草粥」を食べます。

それでお正月は終わり。

とても自然に、スッキリと気持ちが入れ変われます。

新たな気持ちで新たな毎日、生活、仕事に入っていけます。

どんど焼き、最高。

コレからも絶対続けていって欲しい。

うん。

よい。

ココに住んで良かったな。

ありがとう。



さて.......



走らねば!(@_@) ヤセネバー


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だから、大人のみなさん

2014-01-06 00:32:11 | 願い
世界中のメディアがセンセーショナルに伝えていましたが、
昨年の12月中旬頃、南米、ウルグアイのムヒカ大統領が
世界で初めてとなるマリファナ=大麻の栽培、販売、
使用を解禁する法案を定めました。
ウルグアイは長年に渡り慢性的な「病」とも言える
マリファナを巡る様々な問題に苦しめられて来た国のようで、
そんな中で考えられ、下した決断だそうです。



以前ココでも記した......こんな......
高潔なる「ムヒカ大統領」が決断したことですから。

きっと様々なことを思い計り、考え抜いた末の判断なのでしょう。



こんな法律を定めざるを得ない国で、
マリファナが社会にどれほど暗い影を落としているのか?は、
僕には想像を絶っする世界ではありますが、
禁止しているからこそ栄えてしまう諸々の商売や犯罪や問題に対しての
「最終兵器=リーサルウェポン」!?ということでもあるようで......
吉と出るか、凶と出るか。
今年、多くの国々が注目している試み、法律です。
「禁酒法」を廃止した時のアメリカの様な話となっていくのか?
ソモソモ根本から全く違う問題であるコトが明瞭となっていくのか?
注目です。



前出の文中にテキストリンクもした通り、
リオ会議で「天晴(あっぱれ)なスピーチ」をしたムヒカ大統領。
そのスピーチの日のほんの少し前に、
同じ南米のベネズエラという国のテレビ番組インタビューでは
こんなコトを話してました。



「政治というのは哲学の分野を差し置いてはいけません。
哲学がなければ、めざす道がないのです。そこに大きな違いがあります。
もっと良い世の中の目指すということは、
中古車を集め、乗客率を倍にするということではありません。
そんなことやっていたら水の泡です。
人生を生きる時間を倍にするのです。」

「―――――生きる時間とは何でしょうか?」

「自分が自由に使える時間のことです。
やりたいことをやる時間のことです。
ある人にとっては、それはサッカーをすることかもしれないし、
別の人にとっては釣りをする時間かもしれないですし、
木の下にいることかもしれない」



このムヒカ大統領のスピーチが行われた2012年の「リオ会議」というのは、
その前身が国連の主催により1992年に開かれた
「環境と開発に関する国際連合会議=
United Nations Conference on Environment and Development=UNCED」
というものになるらしく、
それから毎回ブラジルのリオデジャネイロで開かれていて、一般には
「地球サミット」
「環境サミット」
という名前で知られる会合のようです。
僕の家の書棚には一冊だけ、
この「地球サミット」から生まれた本があります。
ソレがこれ。「あなたが世界を変える日」



最初に行われた「地球サミット」で、
当時12才だったカナダの少女
「セヴァン・カリス-スズキ=Severn Cullis-Suzuki」さんが
世界中のメディアや国連大使に向かって堂々と!
スピーチした言葉が絵本的にまとめられています。
その後、世界中で「伝説のスピーチ」とまで言われることになった、
その時の彼女の姿は、
本の中の写真で見るとこんな感じ......



ムヒカ大統領のスピーチ同様、
現在はこの時の映像含めてネット上にも沢山あると思いますが、
スピーチ時間にして約6分程度の短い文なので、
ココにチロリと記しておこうと思います。

1992年から早20年。
セヴァンさんも大人になって。働いていて。
僕達が暮らす世界は、
少女の語っていた世界から果たしてどれくらい変ったのでしょうか。
変れた!?進歩した!?のでしょうか。それとも......

新しい年。
まだ年始モードの人も多いと思いますが......
多くの人にとって良い一年となりますように!(^^)



===================================
こんにちは、セヴァン・スズキです。
エコを代表してお話しします。
エコというのは、
子供環境運動(ECO: Environmental Children's Organization)の略です。
カナダの12歳から13歳の子共達の集まりで、
自然環境を守るための活動をしています。
あなたがた大人達に、どうか生き方を変えて頂くよう、お願いするために、
自分達でお金を集めて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。

今日、私達が話すことは、すべて嘘のない本心の言葉です。
なぜって、私達が環境運動をしているのは、私達自身の未来のため。
私達子共が、自分の未来を失うことは、
あなたがた大人が選挙で負けたり、
株で損したりするのとは次元の違う問題なのです。

私達がこれから話すことは、未来に生きる子どもたちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。
そして、もう行くところもなく、
死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちの泣き叫ぶ声は、
あなたがた大人の耳には届きません。
どこにも行くところがなく、
次々と絶滅して行く数え切れないほどの生き物たちのことも同じです。
だから、
世界中の子どもたちや生き物たちに代わって、私たちが話すのです。


太陽のもとにでるのが、私はこわい。
それは、オゾン層に穴があいているから。
呼吸をすることさえこわい。
空気にどんな危険な化学物質が混じっているか分からないから。
お父さんと一緒に、よくバンクーバーで魚釣りに行っていました。
数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまでは。
そして今、
毎日のように動物や植物たちが絶滅していくのを、私たちは耳にします。
一度絶滅してしまった生き物は、もう永遠にもどってはこないのです。


私には小さいころからの夢がありました。
それは、いつか野生の動物たちの群れや、
たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルや熱帯雨林を見ることでした。
でも、私は見ることが出来ても、
私の子どもたちは、見ることができるのでしょうか?
あなたがた大人は、私ぐらいの年令の時に、
今の私と同じように、未来の自分の子どもの心配したことがありますか?

こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、
私たち人間ときたら、
まるでまだまだ余裕があるようにのんびりと構えています。
まだ子供の私には、
この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。
そして、あなたがた大人も、本当の解決法など持っていないと思います。
だから、せめて、
「本当の解決法など持っていない」ということだけは、自覚して欲しいのです。

あなたがた大人は、
オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか知らないでしょう?
死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか知らないでしょう?
絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか知らないでしょう?
そして、今や砂漠となってしまった場所に
どうやって緑の森をよみがえらせるのか知らないでしょう?


だから、大人のみなさん、
どうやって直すのかわからないものを、壊し続けるのはもうやめてください。


ここに集まっている大人のみなさんは、いろいろな国の政府の代表者や、
企業や団体の代表者、そして、報道関係者の人たちです。
でも本当は、
あなたがたもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、
兄弟であり、おばさんです。
そしてあなたがたの誰もが、誰かの子共なんです。

私はまだ子どもですが、
ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。
そうです50億以上の人間からなる大家族であり、
3千万種類以上の生物からなる大家族です。
いろいろな国の政府や国境が、どんなに分け隔てをしようとも、
私たち地球で生きるものたちが1つの大家族だということは変えようがありません。

私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、
ひとつの目標に向けて心をひとつにして
行動しなければならないことを知っています。
私は、今のひどい環境を見て、怒りで心が震えていますが、
それでも、自分を見失ってはいません。
私は、今のひどい環境を見て、恐怖で体が震えていますが、
それでも、自分の気持ちを世界の人たちに伝える勇気を持ち続けています。

私の国での無駄使いは大変なものです。
買っては捨て、また買っては捨てています。
そして、そんなにたくさんの物を無駄にしている北の国は、
物が不足している南の国と分かち合おうとはしません。
物がありあまっているのに、
私たちは自分の富を、少しでも手放すのがこわいのです。
カナダで暮らす私たちは十分な食物と水と住まいを持つ恵まれた生活をしています。
食べ物も、水も、お家も、何でも十分にあります。
時計、自転車、コンピューター、テレビ、
私達の持っているものを数えあげたらきりがありません。

2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、
私達はショックを受けました。
一人の子どもが私たちにこう言ったからです。

「ぼくが金持ちだったらなぁ。。。
もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、
住む場所をあげるのに。
それから、やさしさと愛情もね」

住むところもなく、今日、食べる物もない一人の子どもさえ、
自分のことだけでなく、みんなと分かちあうことを考えているのに、
全てを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、どうしてなんでしょうか?

この子ども達は、私と同じぐらいの年齢でした。
私は、自分と同じくらいの年齢の子ども達が、こんな生活をしていたことが、
とてもショックで頭から離れません。
同じ人間なのに、同じ大家族の一員なのに、
どこに生れついたかによって、こんなにも人生が違ってしまう。
もしかしたら、
私がここブラジルのリオの貧民窟に住む子どもの一人だったかもしれないのです。
そして、飢えに苦しむソマリアの子どもだったかもしれないし、
大人たちの戦争の犠牲になった中東の子どもだったかもしれないし、
インドで乞食をしている子どもだったかもしれないのです。


もし世界中の国の大人たちが戦争のために使っているお金を全部平和のために使えば、
環境や飢餓の問題のために使えば、この地球がすばらしい星になるでしょう。
私はまだ子どもですが、それでもこのことを知っています。


小学校で、いや、幼稚園でさえ、
あなたがた大人は私たちに、世の中でどうふるまうかを教えてくれます。
例えば、

*争いをしないこと
*話しあいで解決すること
*他人を尊重すること
*ちらかしたら自分でかたずけること
*ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
*分かちあうこと
*そして欲ばらないこと

ならばなぜ、あなたがた大人は、
私たち子どもに「するな」ということを、自分達はしているのですか?


みなさんは、今日、何のためにこの会議に出席しているのか、
どうか、そのことだけは忘れないでください。
そしてこのような会議をいったい誰のためにやっているのか。
それはあなたがたの子ども、つまり私たちのためなのです。
あなたがたはこうした会議で、
私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めてようとしているのです。


親たちはよく
「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」
といって子ども達をなぐさめます。
あるいは、
「できるだけのことはしてるから」
とか、
「この世の終わりじゃあるまいし」
と言いますよね。
だけど今の地球の環境を見たら、
もうこんな言葉を自分の子どもに向かって言えないと思います。
わたしたち子どもの未来のことなんて、
みなさんの議題の中にすら入っていないじゃないですか。
みなさんは、私達子共の未来のことを本当に考えてくれているのですか?

私のお父さんは、いつも、
「人間の価値は、何を言ったかではなく、何をしたかで決まる」
と言っています。
でも、私は、
あなたがた大人がこの地球に対していることを見て、泣いています。
それでも、あなたがた大人はいつも私たち子どもを愛していると言います。
本当なのでしょうか?
もしそのことばが本当なら、どうか、本当だということを言葉でなく、
行動で示してください。

最後まで私たちの話をきいて下さって、ありがとうございました。
===================================


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うま

2014-01-02 00:23:36 | 面白い...映画/音楽
明けました!
おめでとうございます。
新年を当たり前の日常として、
こんなふうに迎えられることにとても幸せを感じます。
感謝なのだ!♪( ´▽`)
今年も頑張るのだっ!!



今年は「午=うま=馬」年さんですか。。



便宜的な記号でもある「干支=えと」に、
無理やり何か意味を見出そうとするようなことは
ナンセンスで意味のないことですが、
そんなことも含めて、
昨年の頭や末にチョロっと記していたお話は
こんな感じだったでしょうか......



「ウネリ」や「螺旋」。
それは「蛇」や「8」でも現される強大なエネルギーの充足と捻れ、
閉じ込め——————。


そんなふうにエネルギーは内に強くあるのに
動いている様で動いていない、
停滞しているかの様な焦れったい状況————————。

そんな昨年の「蛇年」というのは、しかし、
色々なことを勉強したり学んだりするのには良い年で。

今年はそんな状況や内に溜めたエネルギーが
お馬さんに乗ってドドドド......っと走り出す年なのでしょうか。



せっかくですから良いお馬さんに乗りたいものですな。
ポンポン(・ω・)



「ショーシャンクの空に=THE SHAWSHANK REDEMPTION」
忘れえない、僕の中では最高の映画の一つです。



無実の罪で、
長い年月に渡り刑務所に服役することになってしまった主人公の男は、
高く聳える絶望的な塀の中で、
「それでもいつか必ず外の世界へ出て行く!」
と願い、信じ、動き続けます。
彼の積み重ねる毎日は、
そんな「嘆きの壁」の外に出て行く為に、
外の世界で生きる日の為に、
諦めずに粛々と織り連ねられてゆく日々。
同じ様な絶望の中で生きている多くの牢獄の仲間達には
「そんなことは夢物語だ、馬鹿げたことだ。。」
と揶揄されて、疎まれて。それでも彼は、
ひたすら塀の外の世界で生活することをイメージしながら
不自由な毎日を生き抜きます。
そして、色々なことが起きて。あって......
幾人かの仲間達とともに、ある日、
彼は念願の塀の外の世界へと出ていくことになります。
それは、塀の中で人生を送っていた者達にとっては
自由で光に満ちた世界であるはずの世界。
そして、その時......
それぞれが塀の中で過ごして来た時間や考え、
心や現実が突き付けられていきます————————————



————————そんなお話。



この映画を見ると、自由や希望、そして、
時に人としての尊厳のようなものまでも奪って行く
圧倒的に高く聳える絶望的な刑務所の壁やシステムというものが、

「おいらわ自由だぜ!ヘイッ!(*`へ´*)ノ」

......などと思いながら塀の外で暮らしている僕にも
全く関係の無い世界の話と思えなくなって来てしまいます。
それは、正確に表現すると

「もしかしたら!?
この世界ソノモノが既に牢獄なのではないか!?」

という感覚。錯覚。

「もしかしたら!?
当たり前に思っている今いる環境ソノモノが、
自らの思考や嗜好そのものが、
既に牢獄なのではないか......!?」

という気持ち。

家。家族。友人。知人。仕事。職場。会社。
自治体。都道府県。日本。国家。世界の国々。
社会主義。民主主義。資本主義貨幣経済。宗教。哲学。文学。数学。物理学......
大地。水。風。空気。空。大気圏......地球......重力......

逃げようとも、逃げれない。
高い絶望的な壁のようなこの星の重力。。

もし地球の外に出たら、即、死んでしまうようなこの体......

もしかしたら、

不自由の象徴かもしれないこの体。

牢獄の象徴かもしれないこの体。重力。

もし、そんなことがあろうとも。
この体一つ、お馬さんに乗って。
この星の向こうに、
重力の彼方に、
パカパカと走り出して。
きっと、必ず、全てのモノから解放される、
そんな自由を感じるために。
そんな真の自由を手にするために。
もし、ソレを既に手にしているのなら、もう一度、
深い感慨と感激と愛と尊厳を持って「再発見」するために。
共感と一体感を持って誰かと、何かと、
共有したいがために。
この映画や原作は
幾つか大事なことを伝えてくれているように思えます。

それは、

「未来を描いている人だけが、ちゃんと未来へ行ける」

ということ。

「塀とは何なのか?
その塀の外を君はちゃんと見ているのか?」

ということ。

お馬さんに乗って走り出すのでございます。( ̄^ ̄)ゞキリリ

よい新年をお過ごし下さい。(^_^)



沢山の白馬さんが空を駆けている!?
かのような年末年始の空。。



真ん中にはフェラーリの跳ね馬マークみたいな白馬さん!?も。
みんなの家に新年の挨拶にでも行っているのかな。。

雲は相も変わらず完璧な姿です。(^。^)

誰かが決めたお正月。
宇宙や地球のリズム、サイクルで考えると
「冬至=1年で最も昼が短く、夜が長い日」
の翌日がお正月にピッタリの様な気がしますが......
その日から昼の時間が毎日少しづつ長くなっていくわけですし。。
今年も「再発見」しなければいけないことは沢山あるように思います。


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コメント (2)
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