雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

嫌いではにゃい

2013-07-30 00:57:30 | 美味い
「金両=きんりょう」さんから、
美味しい「ダシ醤油」が届きまちたの!
ののののぉーーーっ!ヽ(´▽`)ノ ワーイ!



金両さんというのは、
瀬戸内海、小豆島(しょうどしま)に蔵を構える醤油の蔵元さん。
明治の昔から島で美味しい醤油を造り続けていらっしゃいます。
そんな金両さんの「醤油蔵」は築100年以上の歴史を持っていて、
国の「登録文化財」の指定を受けているほどの風格ある蔵。
勿論、丁寧に長い時間をかけて作られる醤油さんは、もう......
とても素晴らしいものです。

中でも、この「だし醤油」はとても人気者さんで。
商品化に至る迄、研究に10年を費やし。
製造には2~3年の時間と手間をかけて作られる醤油さん。
郵送パッケージひとつとっても、
そんな金両さんの長い歴史と「一途な愛」が伝わって来る感じで......
担当は塚谷さんですな。フムフム......



食にウルサイ友人のMさんが最近蔵元から直送してくれたのですが、
本当に嬉しまくりで感謝しまくり。(^^)
冷奴やら、おひたしやら、肉ジャガなどに使ったり。
茹で上げたうどんにそのままぶっかけたり。
和風パスタにもバッチリだったり。
嬉し美味しい逸品です。

こうなると、
僕のやるべきことはですね......

......先ず用意するのはこの忍者の里、
「伊賀国の赤卵」さん。(ノ-^0^)ノキャーキャー♪
近所でお安く買いまちた。



狙いわ!!
ホカホカのお米を炊いて
「卵かけごはーーん!」
でございますーっ!(≧∀≦)クーー!

俺ってちぃせぇーーーっ! (ノ゜ο゜)ノ オオオォォォォ

お米は、
この富山県産のコシヒカリさん。



北陸の某お寿司屋さんに入った時、
そのお米の美味しさに感激して以来、
「富山米ブーム」が最近のマイブームでございます。
そのお米をしっかり研ぎ研ぎして、注ぐお水はこの蒸留水、
「ピュアウォーター」にしちゃいマス。



ミネラルや様々な雑分がほぼ混じってい無い超純水に近い水でございます。
お米の味、調理の味がマンマ出てしまう正直者のお水さん。
普段はおコーヒー用でございます。
ソコに、タマタマキッチンにあった日本酒、
大吟醸「越後桜」をほんの気持ち、
キャップ一杯にも満たないくらいだけ入れて......



さらにこの「月の雫の塩」なる塩を、
コレまたホンの、ひとツマミ。
チビリと......



このお塩は日本海きっての名海岸
「笹川流れ」
にほど近い山形の海で作られているお塩さんで、なんと!
満月の夜に汲み上げた海水だけで作られる!という、
とても伝家の宝刀なお塩さんなのです。

まさに月のしずく。

そして最後に、

炊飯器の中にこの紀州の「備長炭」をポチッ、と置いて......



炊飯ボタンをポン!
あとは炊き上がりをじーーっと待つのでございます......



......そわそわ。。



あー、、ソワソワ。。。



まだでっかな。すんすん。。(´ω`)。。。



すんすん.....



「ピーーーッ!!♪」



キタ━━━(゜∀゜)━━━ !!!!!



出来たーーーっ!!



そうして炊き上がったふっくらご飯の上に先程の卵さんを載せ。
お待ちかねの!
とっておき「金両の出汁醤油」をかけて。
出来上がった「卵かけ御飯」様がこやつ様でございまして......



う~ん。。B級の僕にはタマラナク美味しそうでございます。( ̄ー+ ̄)ニヤリッ

こう見えて香川、三重、富山、新潟、山形、和歌山のハーモニー。

とても美味しく頂いたのでございます。

感謝でございます。

全部合わせても、
適当なワイン一本などより全然「お安い贅沢」でございます。
小市民の贅沢でございます。
コノ感じ、
決して嫌いではないのでございます。( ̄∇ ̄*)b イエーイ


にほんブログ村 その他日記ブログ 日々のできごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ややミステリアス

2013-07-27 00:21:55 | 面白い...パワスポ寺社
賤機山=しずはたやま。

賤の丘=しずのおか。

静の丘。

で、静岡。

で、先回の記事の続き。。

で、静岡で「タクシードライバーが選ぶラーメンナンバーワン!」となったのがこれ。





ウマソぉーーーーっすぅぅぅ!(≧∇≦)
麺はお店の手打ちぃぃーーー( ´ ▽ ` )ノ



うまいっすーーーーーーぅぅぅぅ!(ToT)/~~~
なんだか佐野ラーメンの美味しさにも似てるっすぅーーっ!
お店の名前は......



イタリア軒!?(O_O)
な、なぜにぃぃーーーっ!?イタリア?軒?



......そんな「ややミステリアス」な静岡の街。



静岡とは、
元々は「駿河国=するがこく」と呼ばれた国の
「国府」が置かれていた地であり、
「駿府=すんぷ」と呼ばれていました。
前回の記事でも記していた様に、
徳川家ゆかりの地でもあり。
徳川幕府が政権を新政府に移譲した「明治維新」の際には、
新政府に恭順する意思を明確に示すため、
駿府という名前も半ば強引に変更することとなり。
市内中心部にある駿府城の近くに佇む
「賤機山=しずはたやま」に因んで「静岡」と改名。
その名前が今に続いているようです。

賎機山は、徳川家康は元より、
それ以前の遥か古代よりこの地域に住まう人々から
霊山として信仰されてきた山であって。
その麓には今も地元の方々から厚い崇敬を受ける
「静岡浅間神社=しずおかせんげんじんじゃ」
がドシン!と構えています。
これがその神社さん。
楼閣造りの大拝でーーん!
重要文化ざーい!ヾ(´∀`*)ノ



この神社に関してとても面白く思うのは、
実はここに祀られている神々の名前。
拝殿の奥にある本殿に祀られているのは、
2100年の昔に、コノ地とコノ神社を開いたとされる
大貴己神(おおなむちのかみ)さんが祀られており、
富士山の神様でもある
此花咲夜姫(このはなさくやひめ)さんも祀られています。
他にも、境内に点在する社(やしろ)には......
八千矛(ヤチホコ)さーん。



少彦名(スクナヒコナ)さーん。



神大市姫(カミオオイチヒメ)さーん。



山頂にはなんとーっ!
大山祇(オオヤマズミ)さんもー!



こ、古墳までぇぇーーっ!



静岡の方々はこの神々のコトを知っているのでしょうか......
少し聞いてみたりしたくもなりますが......
コレはもう......



「出雲」オールスター!!(◎_◎;) でございます......はい。。



後の世に、
徳川家康が「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」
という神様として東照宮に祀られたように。
明治天皇と皇后を祀った明治神宮があるように。
世間に大きな印象を残した特異なる人物や統治者、
為政者、偉人、奇人!?の方々というのは、
時に、人々に「神」として祀られたりします。

それが遥か古代の、
人々の記憶も記録も薄くなっている時代に活躍した人々に関しては、
語り継がれて来た時間の長さの分だけミステリアスさも増し。
神様としての格も香りも崇高なる領域へと高まり、
変化もしていくものなのだとも思います。

この静岡浅間大社さんに佇んでいる中でトテモ良くわかることは、
静岡......賎機山周辺......には、
先住の人々が沢山いたであろう、ということと。
後の時代には、その先住民達の地に、
この神社の由緒にある神様......
「大貴己神(オオナムチノカミ)=出雲国の一族」
が移り住んで来て、
統治と国作りとを始めた......ということ。

更に、数々の歴史記録をつぶさに見れば、
その後は奈良県、大和の地から
「大和朝廷」を支えていた有力氏族である
「秦氏=はたし」が移り住んできたようで。
ソレ以前の時代と同じ様に、
浅間神社とその神々を崇拝し、守り。
家康さんがこの地に住われたのは、
そのさらに後世の話しであって......といった歴史となります。



「賤機山(しずはたやま」の「ハタ」は、
秦氏とも関係している呼称なのかも知れません。



この神社で分かることをまとめると、
大和朝廷を支えた氏族である秦氏がここに来た時には、既に、
それ以前からコノ地を統治していた出雲の民の神々が祀られていた......
ということで。
秦氏はソレ以前に祀られていたそんな神々をそのまま受け継ぎ、
崇拝していた......ということです。

静岡の歴史は、
先住民 → 出雲族 → 秦氏(大和朝廷)→
戦国時代諸々 → 徳川氏 → なう (^^)b
......となるということがわかります。

古事記や日本書紀、日本史の教科書などでは、
この日本国の最初の統治政府は、
初代天皇「神武」さんの「大和朝廷」としていますが、
果たして!?それは本当に正しいのでしょうか?

2100年以上?の昔。
コノ東海、静岡の地には既に「出雲」から来た
種族や国が治めていたという痕跡がちゃんとあって。
このブログでもタマタマ書いていた範囲で言えば、
埼玉県の山奥の秩父という地に至ってまで、同じ出雲の痕跡があって。
未だココには記していない!?
僕が日本を回って知り得てきた事実と重ね合わせてみても、
そんな痕跡は九州各地や瀬戸内、上越、長野、
東北の入り口に至るまで様々な所に沢山あって。
また、そんな事実達というのは、もしかしたら、
大和朝廷以前に既にこの日本という国土の多くを
「出雲」という国や種族が治めていたのではないのか......
そんな歴史を認めざるをえない......なんていうことを、
僕に強く語りかけて来たりもしちゃうわけなのです。



ああ、



やや、ミステリアス。



ああ、イタリア軒。



静岡にいても、



静岡浅間神社に佇んでいても、



「教科書というのは常に書き直さないといけないのだなぁ、、」



なんて、僕には思えていますのです。(^^)


にほんブログ村 その他日記ブログ 日々のできごとへ
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久能山東照宮

2013-07-24 21:28:07 | 凄い...パワスポ寺社
島一つ見えない大海原を、
遥か遠くまで見渡せる山の上。



漁師さんとか、
灯台の管理人さん!?とか、
サーファーさんとか、
そんな生業や仕事の延長上にある話などではなく。
ましてや住んでいる場所自体が
「そんな所ですよーん(^^)b」
......ということでもなく。
普段自分がいる世界と少し距離をおいた状況や心境で、
そんな大海を見渡せる小高い山の上に立った時、



人はいったいどんなことを思うのでしょうか。



幼い頃からそんな場所が身近にあって、
ソコに行こうと思ば直ぐに行けるような所に住んでいて、でも......
その住んでいる家は自分の生まれた家でなく。
見ず知らずの人の家。
母とは幼くして生き別れ、顔の記憶も無い。
唯一、傍にいた父からも、
父と敵対する見ず知らずの他人の元に
「親の保身の為」と差し出され。
人質として、他人の家で身の置き場もなく暮らしている......
そんな幼少時代を何年も何年も過ごしている少年が、
大海原を遥か遠くまで見渡せる小高い山の頂きに立った時、
彼は......
徳川家康は......
一体どんなことを思ったのでしょうか。



先日、静岡に行くことがあって、
「徳川家康」の故郷の墓領でもある
「久能山東照宮=くのうさんとうしょうぐう」に
ちょこっと立ち寄って来ました。
今日の話は、コノときの記事
急ぐべからず」の続き......という感じでしょうか。



徳川家康は亡くなる直前に家臣達にいくつかの遺言を残したそうです。
そのうち、自分の遺骸に関しては、
幼少期と隠居後の最晩年を過ごした故郷、
静岡の「駿府城=すんぷじょう」にと。
その近くにある、海を見渡せる小高い山の上......
「久能山」に納めた後、
一周忌をもって「日光東照宮」に移すように......と、
そう伝えたのだそうです。
一般的に家康の遺骸は「日光東照宮」の方にあるとされていますが、
久能山の宮司の方々に聞くと、こんなわけもあって
「こちらにも遺骸はあります。。。」
と答えられます。



どちらかが嘘なのか?



どちらも本当なのか......



「久能山東照宮」は静岡市内からほど近い、
太平洋が見渡せる海沿いの小高い山の上にあって。
日本平という所からロープウェイで行くことも出来ます。
が、しかし、基本は海沿いの道から1100段以上もアル!
ながーーーい、ながーーい階段を
「ひぃぃぃーーっ(@。@)」
と言いながら登っていくことになります。
こーーんな感じ......



ひいぃぃぃ。。。(><)



家康は幼少の頃、
静岡市の中心部にある「駿府城」に人質として囚われていました。
そこから、時折ココに来て海を眺めていたそうです。
囚われの身だった幼い家康はいったい、
どんなことを思いながらこの海を見ていたのでしょうか。



この神社は、当然、
家康が子供だった頃は家康自身を表す「東照宮」という名前ではなく、
普通のお寺だったそうです。
歴史の中では「城」として改修されたり、
少々の変遷もあったようですが、
家康が亡くなった後の久能山は、家康の遺言に従い、
当時の技術の粋を集めた壮麗なる神社へと生まれ変わり、
家康自身の遺骸も埋葬され、
今に至る「久能山東照宮」へと名前を変えたのだそうです。
なので、実はココが家康を祀った最初の神社......
全国東照宮の「元宮」でもあるわけです。
その山門や、国宝にも指定されている社殿等々......









日光に負けず劣らず、すげーーすげーーで......(*゜O゜)ノ ワオォ!!
徳川家「三つ葉葵=みつばあおい」の紋や家康さんの手形も......





静岡には「ガンプラ=ガンダムのプラモデル」で有名な
バンダイ工場の本社や、
タミヤ模型、ハセガワ、フジミ模型、青島文化教材......
といった有名大手模型会社が沢山あります。
その数々の模型会社の起源をさかのぼると、
実はこの「久能山東照宮」や、
家康の崇敬も厚かった「静岡浅間神社」の造営のために、
全国から優秀な職人さんが数多く
この地に集められたことにあるようなのです。

特に家康最初の墓領とも言える「久能山東照宮」の造営は、
当時、国の一大事でもありました。
そして、造営が終了した後も、
この静岡の地に残り暮らした職人さん達が沢山居たようで、
後に質の高い雛人形や竹細工の工芸品などを
名産品として産み出していったようです。

昭和に入ると、
新たにプラスチックモデルのマーケットなどが生まれ。発展し。
この静岡の地には、
そんな職人さん達が数多く住まうという基盤があった為、
今に至る名だたる「模型メーカー」が
生まれて来たということなのです。
なので「久能山東照宮」には、
そんな静岡の歴史を物語る模型メーカーさんからの
寄贈品も色々とあります。

「神社の中にガンダムが!?」

なんていう特殊な存在感を放っている神社さんだったりもするのです。
甲冑を着たバージョンのガンダムがぁぁーーっ!w(゜ロ゜)w オォーー!



この「久能山東照宮」で模型会社の寄贈品などを見ていると、
改めて、家康さんが基礎を築いた「江戸時代」というのは、
それ以前にあった日本という国の独自文化や技術などを磨き上げ、
熟成、発展させ、
今に至る国の「基礎」として完成させた時代だったのかなぁ......
などとも思ってしまいます。
偉大な時代というか、なんというか。
閉鎖的でありながら進歩的というか。
不思議で独特な時代。



そんな時代を作った家康が愛していたであろう景色というのは、
実際目にしてみると、
なんだかとても穏やかで、大きな景色でした。



個人的には......遺骸は、
きっと、日光と久能山の両方にあると思います。



自らの遺骸を、
人間性の根本に関わった故郷の地と、
もう一つ、
国の統治者として様々な苦悩や犠牲を経験し、
生き抜いた果てに眠ることになった日光の地と、
その両方に納めることこそが、その方が、
僕には家康という人物をよく表しているように思えるからです。
心の拠り所となっていた風景のある地と、
信念や裏切りや、
欲望や野心が渦巻く虚々実々の果てに辿り着いた地と。
民衆と統治者というか。
家庭と仕事というか。
日常と非日常というか。
久能山と日光というか。
海と山というか。
なんと言うか......そんな感覚。

幼い時と晩年の時。

その両時代。

ここに訪れた家康さんが久能山の上でどんなことを思っていたのか......

そんなことが幾つか心に浮かんで、消えて、

浮かんで、消えて......

それが僕の感じた久能山東照宮なのです。



地元名産のイチゴをたぷーーーーーり!
とマゼマゼしたイチゴソフトクリーーム!!
これが、僕の久能山東照宮( ̄ー+ ̄)ニヤリ


にほんブログ村 その他日記ブログ 日々のできごとへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平原の丘

2013-07-21 17:31:30 | 初めに、タイトルの話
幾つかの理由があって静々と書き始めたこのブログも、
少々驚くことに、
気がつくと一年という時間が経っていました。

今迄も幾度か記してきましたが、
このブログをツラツラと書き始めた理由の「一つ」は
サブ・タイトルの中に強く込められていて、
ソコから外れないように......という事だけは自分なりに
大事に守って来ていることです。

最近は、そんな自分が大切に思う人達や、
このブログを通して新たに知り合うことが出来た素敵な人達からも
色々なメールや言葉を頂いたりもしていて......
それは、なんだか、
スタートの時にはチョット思ってもいなかったような感じで......
一年という時間を経て、少しづつ、
このブログ自体が自分にとって「大切なもの」
に育って来ている様にも......
最近はそんなことも感じていたりしています。



改めて今日、
最初の記事を眺めてみると、
スタートの記事らしく

「何故このブログタイトルなのか?」

というような話しで。
それは、
昔プロデュースしていた「」というアーティスト、
詩人にまつわる話しでもありました。
3話+αの合計「4部」の記述形態になっていて、
その4部目の記事の冒頭に僕はこんなことを記していました......

「彼女とは印象的なことが沢山あったので、
今後も書けそうなことがあればまた書ければいいなと思います」

記事にコメントをくれた方々にもそんな事を返していて......
そんな一番最初に記したブログを見ていたら、一つ、また、
有り有りと浮かんできた彼女と過ごした時間と風景がありました。
それは彼女......螢......についての直接的な話し......
というわけではないのですが、
その頭に浮かんできた風景の話しを、少しばかり、
一年ぶりに記そうかと思います。



......いつだったか、彼女......
螢と撮影クルーを連れてモンゴルにロケに行ったことがありました。
ソレはプロモーション用のビデオとCDジャケット関係の撮影のためで、
螢たっての希望の地ということでモンゴルとなりました。
クルーは彼女と僕、デザイナー、ヘアメイク、映像監督、
ムービーカメラマン、アシスタント、スチールカメラマン、
制作会社のクルー、現地コーディネーター、ポーター......
なんだかんだで人数的には10人以上。
常時ロケバス一台と、
コーディネーター用マイクロバスの二台で連なって動くような感じ。
いわゆる「モンゴルの大平原」の真ん中で撮りたい映像や絵があって、
毎日毎日、一週間ぐらい広大な平原をアチコチ走り回っていました。



ある日。
その見渡す限りの大平原の真ん中で撮影をしている時に、
僕だけ少しフリーになれる時間が出来たので、
撮影現場近くにあった
「こんもりと小高い丘」
になんの気なしに登っていったことがありました。

その行動に特に意味は無かったのですが......

その丘は平原にポコッ!と突き出た、やや急斜面の丘で、
頂上に行くまで僕の足で15分ぐらいかかったでしょうか。
モンゴルの平原ですから、
そんな丘に登ったところで特段視界が変るといった感じでは無いのですが、
それでも登ってみると、
平原の小さなウネリを全て飛び越えて見渡すことが出来る分
下とはかなり違った風景で。
途轍も無く遠くまで.......
それは自分の視力が働く限りの彼方まで......
大地と空とがくっつく地平線まで......
まるで砂漠のようにも見える広大無辺で印象的な景色でした。



しばしそんな風景に見とれていた後、
僕はフト、自分が登って来た場所を振り返って見てみました。
イソイソと動き回る螢や、
撮影クルー達がかなり小さくなって見えています(^_^)
そのチョコチョコと動き回る撮影チームの少し先には、
放牧されている多くの羊さんの群れがこれまた小さく見えます。
その周りには素早く動く生き物が何匹か......犬......でしょうか。
羊の群れを追い立てて動き回っています。
馬に乗った遊牧民の方達も何人か見えます。
その日僕らが草原で何かとお世話になった家族の方達でしょうか。
「ゲル」と呼ばれる、
遊牧民特有の円形をした移動式テント住居も幾つか見えます。
そんな景色を小高い丘の上からぼーーっと、しばし眺めていた時、
僕はこんなことを思いました。



「あれ?今のコノ自分の視界の中で、
広大な大草原の中で、
動いているモノって、、、
俺達のクルーと羊さん達しかいないな。
まぁ、当たり前だけど。。」



そしてその後、
理屈のようなものではなくて、
心からわかった?というか、
腑に落ちた?というか、
こんな事を思ったのを強力に覚えています。



「ああ、そうか......
人間て、生き物って、、、
天と地の間に存在しているものなんだ......
間にしか存在出来ないんだ......きっと......」



勿論、風や雲は動いていますし、
でもそれは地球そのものに属していて。
モグラさんやミミズさんの様に
地中で生活している生物も沢山いると思いますが、
でもそれは、そんな地球という天体規模で見てみると
天に一番近い、とても薄い上層部分であって。
卵で言えば殻の部分や、
その殻の中で生きている、というようなわけで。
空を飛ぶ鳥さん達にしても、
酸素の無い大気圏まで飛んで行くようなコトはなくて。



「この地球上の生物って天と地の間に生きてるんだ。
決して天に属しているわけでもなく、
地に属しているわけでもない。
全てその間に属している、、、そんな感じがするな。。」



それがフト、僕が丘の上で思ったことでした。
それでまた改めて、
よくよく丘の上から草原の風景を眺めてみると。
大地を覆う草原の草木達も地表に生えて、伸びて、
風に揺れ動いていて......



「彼らもまた、
天と地の間に生きるものなんだなぁ......」



と。
その時に初めて、
そんなことを強く思いました。



昔、「金八先生」というテレビドラマの中で

「人という字は、
人と人とが支え合って生きているという意味で......」

みたいな有名な「台詞」があって。
ドラマを見ていた僕も、その時は何の疑問もなく、
そんなふうに理解をしていたりもしましたが、
コノ時......モンゴルの小高い丘に登った時以来、
僕は「人」という文字よりも「人間」という文字や
言い方の方を強くイメージするようになりました。
トテモ大事なことというのは、
「人間」という文字の方によく表されているのではないか......
と、そんな気が個人的にはしてしまうのです。



そこにある「間=あいだ」という文字。



モンゴルの丘に登って以来、
その「間」という文字自体が、実は、
「人」にとってとても大事なもののように僕には思えて来ました。
それは今に至るまで、そのままずっとそう思っています。



生命はきっと、
天と地の間に生きるもの。

天の存在でもなければ、
地の存在でもない。
その間の存在。

そして、故に、
天も地も生命によって初めて繋がれる。

だから「間」を大切にすること。
間を「全う」しようとすることも人間の一つの役割であり宿命。

ブッダや仏教の説く「中庸」ということの意味。
重み。
深み。

人と人との間。



このブログを記し出して一年が経ち、
最初の記事を眺め直してみて、
そして、思うのはそんなこと。



言葉。
言葉の重み。



普段生活をしていてとかく忘れがちなことではあるのだけれど、
「言葉」はそれ自体が創造の賜物であり、
アイデアそのものでもあるということ。
時にそれは「言霊」とでも言うのでしょうか。
ブログを記す中でも痛切に感じます。
ソレは「螢」という少女詩人に
強く教えてもらったことでもあります。
言葉を尽くすことはきっとアイデアを尽くすことでもあり、
人間を尽くすことの一部でもあるのかもしれません。

「人=ひと」を尽くすこと。

「間=あいだ」を尽くすこと。

「間=ま」を尽くすこと。

その為に「言葉」を尽くすこと。

当然、行動も尽くさねばいけないのでしょう。

行動のためにも言葉は尽くされないといけないのでしょう。

僕はまだまだ言葉も、行動も、人間も、
尽くすことはできていないようです。
それもこのブログを記し始めて、
今痛切に感じていることでもあります。



平原のど真ん中にある遊牧民の古い寺院を訪ねた時の写真。
紙焼きで制作資料と一緒に書棚に残ってます。
僧侶の子供さんと共に螢はなにやら......
オスマシですな( ̄ー ̄)ニヤリッ...
どことなく?彼女の中に流れる!?モンゴルの血?
みたいなものを感じまふ。
寺院はアマリに遠いところにあったのでヘリコプターで行きました。

「機材と人が全て載せられるヘリはコレしか無い......」

と、言われ、旧ソビエト軍から民間に降ろされたバカデカイ!
「軍用ヘリ」で行ったのを覚えています。(@。@)ヒエーッ!


にほんブログ村 その他日記ブログ 日々のできごとへ
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハンカチ理論

2013-07-18 00:09:34 | 面白い
いやいや、焦りますわ......
前回記事のコメントに、
大先輩の「ST」さんから突然のコメントが......(; ̄ー ̄A アセアセ...
いやいや、心の臓に悪いっすわ。ほんま。
まぁ、こんな地味なヘッポコブログなんぞに
そんな偉大なる大先輩がパトロールに来て頂いているということだけでも
トテモありがたく。
書けることと書けないことが......



イヤイヤ......( ̄。 ̄;)...いやおや、あたふた......



なので、僕の社会人としての師の一人でもある
そんなST先輩に昔された説教......いや!
お話を!
一つばかり記そうかと。ええ。
STさんの事は以前この
チャンス
という記事でも記しましたが、
本当に色々な事を教わった方なので、
そんな話しをココにもう一つ記し残しておこうかと思います。
本人は「そんな話しをした」なんていうことは
きっと忘れているとは思いますが。ええ。
間違いなく......



以前務めていたレコード会社で、
「宣伝会議」なるものが終わった後。
当時常務取締役だったSTさんと、
まだ若造社員で生意気盛りの僕さん達数人は



「ふぃーーっ(@.@)、、疲れまちタナぁーーー。。」



と、その会議室からワサワサ......っと出て行きました。
会議をしていた大きめの部屋の扉を開けてロビーに出ると、
目の前にはちょっとしたスペースがあって。
そこにはちょっと洒落てる!?
四角いテーブルとチェアが置かれてました。
たしか、僕の記憶では......「アルフレックス=alflex」製。



「まったくもう。バブリーやな。
俺の仕事椅子をイタリア製に変えてくれればいいのに......
ったくもう......ブツブツ......」



という感じで、
そのテーブルに僕も含めた生意気系社員数名が腰を下ろすと......
そこに同じ会議室から出て来たSTさんも、
ちょこんと、お座りになられまちた。



「おおぉ!?STさん!(゜ロ゜ノ)ノ」
「どしたんすか?」
「説教っすか!?」
「体おっきいすね!?横方向に!」



......なんてたわいの無い、
可愛気の欠片も無いやり取りがあった後、STさんは



「いやいや、、どうだったよ? ん? 会議は?」

「会議っすか、、うーーーんん。。疲れまちた。。」

「そうか、疲れるよな。会議は。
ヒット出すのは本当に難しいよなぁ(^^)」

「そうっすねぇ......」



と、その時、STさんはオモムロに
パンツのポケットから自分のハンカチを取り出すと......



「あのな、これ、、、」



と言いながら、
そのままイタリア製テーブルの上にフワリと拡げました。
こんな感じ......



「これ、ハンカチ。な。これ」



とSTさん。



「(・∩・)???」



「あのさ、このハンカチ、
今テーブルの上に四隅を付けて広がってるだろ?な」



「ええ。。」



「このハンカチの4隅をさ、
この今着いているテーブルからサッ!と離して、
一瞬で空中の高い所に持ち上げたいんだよ。
出来るだけ高い所に、一瞬で。
しかも “4隅同時に” だ。
一緒に4隅を全て持ち上げるんだ。
お前等ならどうする?」



「????」
「むーーんん。。。」
「4隅をこう、、両手でつまんじゃったりして、、、」
「上手くつまめんな、、4っつは、、」
「うーーーんんんんん。。」



するとSTさんはこう言いました。



「いいか、聞き方が悪かったかもしれないけどな、
簡単だよな、、、ほら、、こうして、、
ハンカチのど真ん中をチョット摘んで、、ぱっ!と。
上に持ち上げるだけだ。(´з`)ナノダヨ」



「うえぇぇーーーっ!?」
「なんかインチキくせーーっ!」
「ずりーーっ!」
「もっと痩せろーーーっ!」
「お地蔵さんに似てるーーーっ!」



「アホ!オマエラ気付かなかったくせに。(^^*)
いいか、
このハンカチの真ん中は楽曲で言えばその曲の一番良い所だ。
凄いと思える一点だ。
アーティストで言っても同じだ。
人間でも同じ。お前等もだ。

その曲、そのアーティスト、
その人の一番良い “一点” を見つけてな、
ソレダケを掴んで高い所まで一気に引っ張り上げる。
それがヒット作りだ。

いいか、
どんなものにも必ず良い所があるんだ。
それを見つけ、
その一点を高く引っ張り上げてあげれば、
その他の部分もこうやって、自然にテーブルから離れて、
高い所へ一緒に引っ張り上げられるモンなんだよ。

一点を伸ばせれば、
ソレにつられて他の部分も高い所に自然に引っ張り上げられるんだ。
そんなもんだ」



......この話しは、
その後、多くの場で使わせてもらっているということは......
STさんには内緒でございます。Ψ( ●`▽´● )Ψ ケケケ


にほんブログ村 その他日記ブログ 日々のできごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏のせい!

2013-07-15 00:22:11 | セツナイ
至極個人的な感覚の話しにはなりますが、
僕にとって「夏」というのは他の季節とはちょっと違って、いつも

「突然やってきて、突然去っていく」

という感じがしてしまう季節です。
やってくる時はいつも梅雨明け直後の最初の強烈に暑い日。
梅雨が終わったのか?終わってないのか?
気象予報士が発表に迷っているような時も......年も、

「完全に明けたか、明けていないか?」

ということは、
個人的にはある日を境にハッキリとわかります。

「あっ!梅雨、、終わった、な。」

と。

「夏さん、来た、、な。」

と。

そして去っていく時も、突然、

「今日から秋だな。。」

と。ハッキリと感じてしまう日が僕にはあるのです。
その突然感がまた、
秋のモノ寂しさをとても助長する様なところもあったりして。
至極「個人的な感覚」なので、
とても信じてもらえる様な話しでは無いかもしれませんが......
ソコは個人的でちっぽけなブログ......ということでお許しいただいて。
なんとなく野生的な本能?肌感覚?というような、
そんなモノでもって僕にはなんとなくわかる感じではあるわけなのです。



夏というのはある日を境に突然やって来て、



突然去っていきます。



とても不思議な季節です。



それが僕の夏に対する一番の印象。



そして、そんな初夏に決まって一つ思い出す事があって。
それが、ウチのコニャ(奥さん)の「草むしり事件!」
梅雨明けの、ある初夏の日。
とてーも小さな、
ワンさんが一匹飼えるくらいの「ホンの気持ちばかり」の中庭に、
元気な草がボウボウと茂ってしまっていました......



「あのさーー、ちょっと草がスゲー伸びて来てるからさ、
草むしりしたいんだけど、、俺ちょっと出掛けて、、帰ってからやるけど、
もし時間が有るようだったら少しでもいいから先にむしっといてくれないかな?
たのむわ。すぐ帰るから。。」



......で、お出掛けして一時間後ぐらい。家に帰って来て



「さて、、草でもむしろーかねぇ。。。」



と、僕は裏の庭にちょっと出てみました。
すると、あまり期待はしていなかったのですが、そこにコニャがいて、
暑い夏の日差しが照りつける中背中を丸めながら地面にしゃがみ込み、
何やらヨチヨチと......とても不器用そうに「草むしり」をしています......



「おーおー。やってんじゃん。なかなか偉いですなぁ。。」



と、思いつつ、自分も早速取りかかろうと近くに寄っていって、
良ーく見ると、何やらその手に「変な物体!?」が、握られています。



「ん??(・∩・)?」



はて......??
それでもって更に、
彼女が草をむしったと思われるエリアをよくよく見回してみると、
なんだかムシッたのだかムシってい無いのだか......
良く解らない微妙な背丈の草の「緑」が点々と......
まだら模様の様に沢山見えます......



「むむむ!??」



......よく見ると、彼女の手の中に握られていたものはナント「はさみ」......
それも普段キッチンに置いてある料理用のハサミ。。コレ......ね。。。(°◇°;) ゲッ



彼女は、草むしりを......
草の根元から上をハサミでチョッキン子!
していたのです。。Σ( ̄ロ ̄lll) ガビーン



「、、ち、、ちみ、、さ、、それ、、何やってんの?。。」

「ん!? 草むしり!(*^-^*)ニコニコ...」

「、、い、、いや、さ、、So、それ、、何持ってんの?」

「はさみ!( ̄▽ ̄)」

「.........」



......ココから先の会話は
我が家の消えそうな名誉の為にも今回は敢えて省略させて頂きますが、
まぁ、草むしりなど、その時30年以上生きて来た彼女の人生の中では
「一度もしたことが無かった」
のだそうでございます。。(o´д`o)=3 ハァ......僕に
「草むしりをしてくれ。。」
と言われ、正直どういうふうにやるのかよく解らなかったらしいのですが......
自分なりに一生懸命考えて編み出したスタイルがそのような斬新な技だったようで......
アントニオ猪木もビックリで......



つーかさ、せめて「植木バサミ」にして下さいましよ。。(T.T)



まぁ、東京、渋谷の片隅で生まれ、
その後、同じく東京の下町、葛飾区のマンションに移り住み、
それからずーーと都会のマンション暮らしなんていう育ち方をすれば
こういうことも有るのかもしれませんが......
しかし、何かと学ぶ機会などは無かったのだろうか!?んん!??
ニッポンの教育よ何処へ行くぅーーっ!? (ノ゜ο゜)ノ オオオオォォォォォォイイイ



......まぁ、いいや。今更。。
今ではちゃんと、しっかり根こそぎ、
土とたわむれながらの草むしりも出来るようにもなってますしね......



全ては......夏のせいです。



夏というのはいつも突然やって来て、
時に人を狂わせ、
そして突然去っていきます。



だから夏に起きた出来事というのは全て!
そんな季節のせいに!!しちゃってもよいのです。



夏というのはそんな季節でございます。



ちょっとおかしな出来事も、
あーーーんなことや、こーーんなことも、
ちょっと後悔する様なそんなことも、

「......やっちゃっターー。。。( ̄ー ̄;」

と、赤面する様な恥ずかしいことも、
みぃぃーーーーーーんなまとめて!

「夏のせい!」

に出来るのでございます。
特別な季節なのでございます。
ここから暫くは何が起っても

「夏のせい月間!」

てなことで。ひとつ、よしなに。
まぁ、なるべく、程々に、有意義に過ごしたいものではございますが。はい。( ̄。 ̄;A
人様や身内などに迷惑をかける様なことは決して夏のせいになど出来ませんが、ええ。
常識として。ええ。
ただこんな今日の記事も

「暑さでヤラレチマッタ!(@。@)僕の頭......」

「夏のせい!」

ってことで。
ひとつ、また、よしなに。
お見逃しを......


にほんブログ村 その他日記ブログ 日々のできごとへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

博多とんこつ

2013-07-12 00:13:59 | 美味い
久々!?のラーメン記事でしょうか。

これ以来?ですかね(^^)

イイ年こいて未だラーメンは結構食べ続けていて。
こりゃきっとマジでお好きなんだろうなぁ......
ぽやややーーーん。。。(*´ω`)
いかんのぉぉー......
ポテポテするのぉぉーー......



少し前に、所用あって福岡県、博多の方にお出掛けしていて。
その博多で例によってラーメンさんを食べていたら、なんとなく
「......ブログ書こうかな、、」
なんて、ちょっと思い浮かんだりもしたので。
なので、そんな博多のお気に入りのラーメン屋さんを
ちょっとだけメモるような感じで。(o-´ω`-)ウムウム
博多と言えば「豚骨=とんこつ」ですから、
そこは、どか、ひとつ。とんこつ嫌いな方も。
どか、よしなに。



さて。先ずは、最近友人から
「美味しいよ!」
と聞いていて、今回初めて!
「よっこらせ。。」
っと食べにいったのがココ。
「TAIZO=タイゾー」さん。
お店はっけーーーーん!(*゜▽゜*)ワクワク



なにやら「黒とんこつ」という、
黒いスープの豚骨ラーメンが美味しいらしく......
これーーーっ!
噂の「こってり黒ラーメーーーン!」(★´ー`)ノ初めまして~♪



勿論!の「博多とんこつ」のスープに、
ニンニクと香味野菜でつくられた真っ黒な
「マー油=麻油」さんがたっぷりのっかってます。
マー油さんというのはニンニクを揚げ、煮詰めた油さんのこと。
その香りとコクが食欲をそそりあげてくれまふ。
体重もしっかりとそそり上げてくれまふ。

マー油は、博多のご近所
「熊本系ラーメン」では定番の感もありますが、
博多のとんこつに合わせるとまたひと味違う感じがしますのですな。
麺はいつもの「バリカタ」で頼んでみやした。
ばりばりに硬いっ!てやつ。(・ε・)ヨロシク

味は、、、

もちろーーーん!

うまーーーいっ!(><)/

実は、個人的な「とんこつ」や「こってり」系ブームは
かなり前に過ぎ去ってしまっていたので、
「ちょっと飽きるかなぁ...... 」
などと少し心配して行ったのですが、意外や意外。
見た目と名前とは裏腹のアッサリ感が、
何だかとてーもお好みの味でした。
香ばしいマー油に博多らしい豚骨。でもスッキリ。
いやいや、なかなか、どーして。
とても美味しかったでやんす。(^^)ごちそうさま。



そして、
ここ何年間も僕が博多で一番好きなラーメン屋さんというのは、
実はここ。
「麺劇場 玄瑛=めんげきじょう げんえい」さん!
ですぅぅーーーっ!
ハイーーッ!ヾ(●´▽`●)/♪ 大好きでやんすーっ。
写真は古いでやんすけどぉーーっ。



「OPEN!」でなくて「開演」となっている看板が
「( ̄ー ̄)ニヤリッ」
という感じ。
雰囲気のある扉を開けて中に入ると、
すり鉢状に斜めになっている床にそって段々に並んでいるテーブル。
何だか「大学の講堂」のような造り。面白いです。
全ての席から一番下にあるラーメンを作っている厨房を
「じーーっ......」
と見渡せます。



まさに劇場。手抜きなんぞできまへんなぁ。厨房さん。
勝負してますなぁ。やりますなぁ。
出来たばかりの頃はかなりアチコチで話題にもなりましたが、
そんな見かけやチャラチャラ情報も関係なく絶好調に!
美味しい!(><)/
コヤツも古い携帯写真で申し訳なかとですが、
コレがとんこつ醤油味の「玄瑛流ラーメン」さん。



他にも大人気の「潮薫醤油ラーメン」などもあります。
何故醤油味系が多く、
それでもってちょい「プッシュ!」なのかというと。
先ずココのラーメンは全ての素材が天然モノで、
当然「化学調味料」なども一切使用していません。
そして、その醤油がまた、
店長さんがお気に入りの醤油の蔵元さんを何軒も訪ねて!
一つ一つ味見をしまくった中から選び、
直接卸してもらっているという一品なのでございます。
なので、その醤油を堪能するのには一番!?と思われる
シンプルな「卵かけ御飯」がサイド・メニューとしては大人気&お勧めで。
セットで頼むと、なんだか、ちょっと贅沢で御上品ですわぁ、奥様ぁ......
的ラーメンの感じなのです。(゜ω゜ )ウンウン
麺もお店の自家製麺で、
モチモチっとした食感がちと只者ではない感じでございます。
そんなエコ系ラーメンが
「とんこつなの!?」
というわけですから、なんとも、不思議な。はい。
最初食べた時は

「とんこつなのに塩ラーメンな気がするぅぅーーっ!
ドォーーーΣ(゜д゜)ーーーン!」

......という感じのラーメンで。
この感想が一番全てを伝えられる様な気がしてます。
です。はい。
アチキわ評論家向きではないのでやんす。ええ。
申し訳なし。
個人的には、全国でも
「指折りにお勧めしたい!」
ラーメン屋さんでございます。
絶品!の超B級でございます。



それと「定番」系といえば、深夜までやってるココ......は、
やっぱりメモっとくと良いのかなぁ。と。
ここ。「だるま」さんでふ。



スタンダード系、こってり&バリバリの
博多とんこつラーメンが堪能できます。
コイツは「炙りとろ肉チャーシューメン」さん。



チャーハンと小振りな博多餃子さんもちょっと美味しいのでふ。



このお店の中には有名人のサインが所狭しと並んでいて。
僕はいつもコノ席!絶対!(><)/



だって!正面に!
「飯島直子」さんがいてくれるのだものぉぉ。。(//∇//) テレテレ
「あーーん、、、」
なんて妄想して食べたりなんかして......(どん引きカモーン!)
ハッ!!Σ(゜ω゜ノ)ノ
よ、横には安室ちゃんもぉぉ。。。



あとは、博多と言えば「屋台」という人もいるかとは思いますが、
昔のように街中に屋台さんが並ぶ風景は条例?規制?施行後、
もうほとんど見られなくなってしまっていて。
そんな中で絶対外さない屋台さんはココ。
「おかもと」さんでしょうか。



ここはラーメンだけでなくて、
ほんと、全てのメニューが美味しいです。
とてーーも幸せになりますぅ。。ヽ(*´3`)ノ チゥゥゥ
やっぱり、屋台で幸せになるってのが博多っぽい
「食の幸せ」なのかなぁ......と。
いつも思ってしまうお店でやんす。
むかーし、初めて博多に来たときは、もう嬉しくて嬉しくて。
一晩に三軒のラーメン屋をハシゴしたもんでごぜえやすが。
ビンボー賞なもので。
上にも少し書いた様に、当時は街中に色々な屋台があふれていて、
浮かれて食べ過ぎてしまった僕は

「.....うぃぃーー......もうラーメンなんて、、
トンコツなんて見るのもいややぁ。。(o´_`o)ハァ......」

なんていう事態に陥ってしまい。
それでも沢山の屋台によって街中に蔓延していた
「とんこつのニオイ」からは、
街にいる限りまったくもって逃げることが出来ず。
こみ上げるエグイ気持ちと共にトボトボ......と、
中州のホテルに必死に帰っていったことも覚えております。
そんな頃の博多の街も懐かしいやら、
今の方が気持ち良い様な気もするやら、で、
ちょっと複雑な気持ちも。

でもも!!

変わらないのわっ!!

麺はバリカタでっ!(*゜▽゜*)/♪


にほんブログ村 その他日記ブログ 日々のできごとへ
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Generation C

2013-07-09 00:01:47 | 勇気
昭和の高度経済成長期の
「新・三種の神器」といえば、
カラーテレビ、クーラー、車......



Color TV
Cooler
Car



英語の頭文字をとり「3C」と呼ばれていたようです。
今、その「3C」と言えば......



Culture(カルチャー)
Creative(クリエイティブ)
Community(コミュニティ)



......だそうです。
もっと言えば、
「デジタル・ネイティブ」と言われる現在の10代から20代は
「Generation C = ジェネレーション・シー = C世代」
などと言われていて、
その「C」というのは



Computer(パソコン)
Community(共同体)
Connected(接続)
Create(創造)
Content(コンテンツ)
Communication(交流)
Collaboration(協力)
Change(変化)
Contribute(貢献)
Casual(気軽)



......といった世代の志向を表す「C」なのだそうで。
僕が身を置いているミュージック・ビジネスの世界も、
僕自身は勿論、
ユーザーの音楽の聞き方や情報の取り方もマサに「C」調で......

冒頭の「新・三種の神器」時代の音楽情報収集というのは、
きっと、
専門雑誌やらレコード店やらで色々とチェックしてみたり。
時には雰囲気のある「音楽喫茶」などでアナログ盤を聞き込んでみたり。
音楽に詳しいお店のマスターやら先輩方やら......
そんなウルサ方のお話や情報から
お気に入りの音楽を探し出していたのかもしれません。

そのうち、
ラジオが音楽シーンをリードする時代がやって来て。
そのラジオもAMからFMへ。
多くの音楽ファンが
「エア・チェック」などにいそしんでいた時代も。

やがてTVも一家に2台以上という時代になってきて。
若者が家庭内で家族に気兼ねなく
好きな番組を見れる時間が増えると共に、
そのメディアとしての音楽シーンへの影響力はドンドン......
と増して来て。

やがてミュージック・クリップの時代などもやってきて。
音楽専門のBSやCSのチャンネルも
アチコチに生み出していって。

そんな中、
街にはレンタル店がアチコチに沢山出来てきて。
レコード店にも沢山の視聴機が並び出し。

それが今やもう......
「YouTube」で好きな時に好きなだけ聞き放題!
な上に見放題!
という時代。



「C」の時代。



TVも「スマートTV」の時代がすぐソコまでやって来ていて。
アップルやらGoogleやら、
ソフトもハードも無い、全てが入り交じるマーケット戦争。
4月に発売されたパナソニックのスマートTV「ビエラ」は
TV局からCMを拒否されたり......



......本当に様々な思惑と戦いが入り乱れています。



音楽CDマーケットはひたすら下降線を辿り、
だからライブを沢山やって、グッズを売って......
古(いにしえ)の芸能活動的形態に戻るようなニュアンスに。

ライブにしても、
手軽なフェスの乱立によって中規模の
「ホール・スケール・ライブ」
が大きな痛手を被っていたりもして。

そんな変化の中で、
アーティストもスタッフも、
ソフトばかりかハードメーカーも、
今や様々な場所で様々な試行錯誤を繰り返して頑張っています。

そんな戦場の只中に身を置いていると、
それでも時代が流れていく方向......
多くの人々が最大公約数的に目指している「意志」みたいな方向......
は鮮明にとても強く感じてもいて。
きっと「C」の時代はD、E、F......と、
コレからももっともっと加速して変化していくのでしょう。

そんな変化の中で、
今や企業や組織がリードして市場を形成していくというようなことは
なかなか無い様にも思えていて。
今や市場を動かし、形成していくのは紛れも無く市場に住う個人個人。
ネットワークの進化によってそんな時代がもたらされています。

この「市場のコミュニケーション」の話しにも少し触れるとすれば、
コミュニケーションの古典的基本形態を「1対1」の関係とすると、
少し前のメディアとユーザーの形態は「1対N」の関係。
この「N」というのは
「Natural Number = 自然数の集合体 = 一般マーケット」
を表しますが、
「ネットワーク時代=Cの時代」は、
それがさらに「N対N」へと変化を遂げました。



うだうだ......も、言ってられません。



待った無し。



何時の時代も同じ。
常に新しきフロンティアに人々も生活も価値観も流れる。
進むべき所に行くしかない。

固定化された概念はそっと横に置いて、
仕舞っておいて、
無きモノとして進むしかありません。



それは一度「死ぬ」ようなもの。



そうして完全に「C」な生活......
デジタルな生活に身を置いてみると、
それはまた、まんざらでも無く。
なんとも新しい刺激と風景に満ちた日々にもなります。



横に置いた価値観は、
いつの間にかまるで蛇の抜け殻のようにも見えて来て......



そして、出会う人もまた、とても新鮮で未来的。
「C調」!?でもあります。
それもまた面白く、
とても有り難い話しなのかもしれません。



♪いつもいつもアンタに迷惑かける俺がばかですぅ。。。♪



近頃は完璧に「C調」で過ごしています。(^^)
とてもバカです。はぃ。



「TINY BUBBLES = タイニー・バブルス 」
いわずもがな、
「SOUTHERN ALL STARS=サザンオールスターズ」の名盤。
「C調言葉に御用心」という名曲!中の名曲が入っとります。
タイトルもすげえすぎる......
活動再開ですか!楽しみ(´∀`)


にほんブログ村 その他日記ブログ 日々のできごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四つの力

2013-07-06 01:10:52 | 願い
エジプトが荒れています。

「世界4大文明」と呼ばれる中でも、
この地上に最もインパクトのある遺物や遺跡を残して来た栄光の王国。
僕の大好きな国。

何だかとても気になります......

2011年にムバラク大統領の長期独裁政権に対する市民革命が起きた後、
それから今に至るまで、
なかなか安定しない社会、政治が続いていたようですが......
ココへ来てまた民衆の大規模なデモと、
それに後押しされての軍のクーデター。

なんだかとても荒れているようです......

ピラミッドを初めとする人類の貴重な遺産郡や広大な砂漠
その赤茶けた国土の中を悠々と流れる
「世界最長」の河川、母なるナイル川。
その「母なる水」のある河川流域だけに蒼々と繁る木々と作物。
緑ある部分と茶色い不毛な土地とがハッキリと
「線」を引いた様に分かれるコントラストは、
実際目にしてみると、
まるでこの世の天国と地獄を表してもいる様で......
そんな色彩もまた人々の心に独特の影響を与え、信仰を育み、
人類史上まれに見る数千年に渡る王国迄も生んだという地。
ナイルが地中海に注ぐ河口には
古代世界の「知」を全て集めた世界最大の図書館を有した街、
クレオパトラの街でもあるアレクサンドリアもあります。

チロッとだけ白状すれば、
僕がコニャ(奥さん)に
「結婚しましょうかね?」
なんてコトを迂闊にも言ってしまった、
シマッタ!という地でもありますし。
そんな土地でもあるので、やっぱり......
この国が荒れるとなんだかとても気になるし、
とても心配になります。
子供の頃から本当に大好きな国なのです。

そんな「4大文明」にかけて......という訳ではないのですが、
物理学において、この宇宙に存在する全ての「力」というのは
「4」つの種類に集約されます。
その「4」つとは......



①重力  (重力相互作用)
②電磁気力(電磁相互作用)
③弱い力 (弱い相互作用)
④強い力 (強い相互作用)



です。
この世界に起きる全ての現象は、実はこの4つの種類の力に集約され、
そして、この4つの力によって全て起きています。
普通に生活していたりする中では、
何だかもっと沢山の力が存在している様に思えるかもしれませんが、
僕等のコノ「体」は勿論、万物、宇宙に存在する物質の全ては「量子」......
「素粒子」という物質から出来ていて、そして、
その「素粒子」の間に働く力というのは、
この「4種類」しか発見されていないのです。



そんなわけで今の所!?
「この世界には4つの力しか存在していない」
ということになります。



①の重力は説明の必要も無いものとは思いますが、
②の電磁気力というのは電気や磁石の力。
わかりやすい所では夏の夜に響くカミナリ様などもそうです。
③と④はちょっと難しいので詳細は割愛しますが、
上にも記した物質の最小単位である「素粒子」同士を結びつけたり、
離したり......と、
そうやって物質を変化させたり新たに作ったりするような力です。
原子核の崩壊や新たな物質の生成なども全てこの
「素粒子間に働く相互作用の力」で起ります。
原子力発電などもこの力をエネルギーに変えて取り出す......
といった原理になります。

そして、イメージして頂ければ良く解ると思いますが、
この4つの力の中で一番「強い!」のは電気や、
カミナリに象徴される様な「電磁気力」なのですが、
逆に一番「弱い!」力というのは、実は......
①番の「重力」になります。

それでもって僕が本当に
「おもしろいなぁーーーー。。」
と思うことは、この大宇宙の隅々にまで行き渡り、
存在する全ての物質に継続的且つ強い影響を及ぼし、
様々な法則を「支配」もしているであろう1番の力というのが、
他でもない「一番弱い力=重力」であるということなのです。

ニュートンの理論にしても、
アインシュタインの理論にしても、
ニールス・ボーアプリゴジン、ヒッグス、
そして猫さんや犬さん、僕等まで、必ず影響を受けていて、
支配もされている力というのが「重力」なのです。
当たり前すぎるくらい当たり前の話しですが、それでも
「弱いながらも最も広く、強く」
影響を受けている力なのです。



宇宙の摂理を司っている力というのは、実は、
「一番弱いとされている力」
なのです。



エジプトの民衆は権力者をその座から引きずり降ろしました。
為政者も権力者も、時に弱々しいと思われるかもしれない
民衆一人一人の力によって潰されたりします。
詰まる所、物理の法則同様、
社会を支配しているのはそんな民衆一人一人なのかもしれません。
故によくよく考えれば、
そんな一見一番弱いと思えるような力、
「多くの民衆一人一人の在りよう」
が、実は
「強い力の在りよう」
も決めているわけで。勿論
「そんな理屈は不本意だ!」
と思う人も沢山いるとは思いますが、
一国の為政者、トップというのは、
そんな民衆の在りようが現れているということも
きっと事実なのだとも僕は思います。



クーデターを起こしているエジプトの民衆一人一人の人にも、
そんなコトも理解して進んでもらえるような事を今は切に願いつつ。
そのリーダーをタダとっかえひっかえする様な国にならなければいいなぁ......
とも思います。
翻って我が国日本も人ごとではなくて......
近年はむしろ「そのまんま」とっかえひっかえの国でしたし......
それは、当然僕もそんな国を表す?小市民の一人ですから、
そんな宇宙の法則、摂理、を今一度シッカリト心に留め直し、
この国がもっと良い国に成れる様に
自分に出来る事をなんとか頑張りたいとも思ったりなんかもします。



「日本のリーダーは凄いね!!」
と、そんなふうに世界に誇れる人をリーダーに送り出せる様にするには、
僕等一人一人が
「凄いね!」
と言われる様にも成らなければいけないのだろうな......
などとも思いつつ、
大好きなエジプトにもそんなリーダーが現れてくれる事を
今は切に願っています。



エジプトで買ってきた金のカルトゥーシュ。
裏側には僕の名前が古代エジプトの象形文字
「ヒエログリフ」で刻んであります。
うふうふ(´ω`*)
白い石はエジプトの聖なる白石「アラバスター」の原石。



こちらはパピルスに描かれた太陽神「ラー」の目(@。@)
「ホルスの目」とも言われます。
厄よけ厄よけ。うふうふ。。

そういえば、イスラム教徒でもあったツアーガイドさんが
ナイル川のクルーズをポヨポヨ。。とのん気にしている時に、
僕にこんな話しをしてくれたのを覚えています。

「......あなたが私の靴を踏んだとします。
すると、コーランの本当の教えではですね、
足を踏まれた私が、
足を踏まれるべき悪い事をあなたに何か、
何処かでしていたのでしょう、と。
そう考えるのです。
だから、踏まれた私が踏んだあなたに謝るのです。
ごめんなさい。。。と。
それが真のイスラムの教えなのですよ。。。」


にほんブログ村 その他日記ブログ 日々のできごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大人になったら

2013-07-03 15:16:42 | 願い
自動車免許を取得して、初めて手にした車はバリバリの中古!!
の黒いトヨタ「クラウン」で......
若造だった僕が運転して、街中を走っていると、いつも人々の
「冷ややかな視線」がヤワ肌に突き刺さるのを感じていました......(@.@)

サングラスを好きになったのもこの頃です......

この辺りの話しには沢山のドラマもありまして......

お警察の方々から御招待状なども届きそうですし......

今はそっと、

胸の奥に仕舞っておきたく......

今回は触れずにスルー......

その後、二十歳の時に、そんな鬱憤!?を晴らすべく!
アルバイトを頑張って買ったのがトヨタ「セリカ」さん。
色は......赤......(/。\)イヤン!ハズカチイ......
また別の意味で「冷ややかな視線」が突き刺さるのを感じていました......(T . T)



サングラスのレンズの黒さが一層濃くなっていったのもこの頃です......



幼い頃から「なんとなく」車が大好きで。
小学生の時には「サーキットの狼」という
「池沢さとし」さんが描く漫画にのめり込み。
そこから高度成長期の日本に巻き起こった時ならぬ
「スーパーカーブーム」なるものを経験し......
未だに、なんだか車が......
特にスポーツカーが......
大好きなのです。ハイ(* ´З`*)))オハズカシイ......
その少々お騒がせな赤い「セリカ」さんから、
僕は幾つかのスポーツ・カーさん達を乗り継いで来たりもしたのですが、
そんな自分の車以外にも、長い間、色々な車に乗せてもらったり、
アチコチでお借りしてみたり。
友人のものを

「オリャーっ!(><)」

っと、乗り回してみたり、と。
カナリ沢山のスポーツカーを運転させてもらう
機会にも恵まれました(●´3`)♪ゴキゲンゴキゲン
最初の頃は

「スポーツカーは速い!かっこいい!」

なんていう単純なコトだったり。

「1センチハンドルを動かすとタイヤが!......いや!車も!
1センチ動くんだよぉぉぉーー(><)/」

......的な、操る楽しさにシビレテみたり。

「デザインがクール!」

とか、

「美しい!」

とか。
それはまったくもって子供じみた魅力を感じていたりもしたのですが、
ある頃から、僕の中でもう一つの

「スポーツカーにとって最も大事なモノの一つなのかもしれない......」

と思える魅力を認識しました。



それは、



「ブレーキ」



最初の頃は全く気付いていなかった魅力、力、価値観でしたが、
車に乗れば乗るほど......世界でも評価が高くて

「素晴らしい!」

と多くの人に言われるような車に乗れば乗るほど、
早く走ろうとすればするほど、
そのブレーキ性能の凄さや利き方、力強さ、意味......を、心底思い知らされました。
それはまた、僕の中に自然と組み上がって来た「スポーツ・カー論」において、
今や最も大切な「スポーツ・カーの条件」ともなっていたりします。
こんな話は、しかし、
バカヤロー!な僕が、
街で「冷ややかな視線」を浴びていたような僕が、
大好きな車さん達から学んだ最も大切な事でもあって。
スポーツカーさんに気付かされた「大切な哲学」でもあるのです。



「良いスポーツカーは良いブレーキを持っている」



これは仕事をしている自分や、
大切な人に相対している時の自分や、
他のスポーツや趣味に没頭している時の自分などに対しても、
常に持ち込んでいる大切な「モノサシ=物差し」ともなっていて。
そして、同時に、



「まだまだ良いブレーキを持ててないな、、、俺、、」



と、日々自分に突きつけられ、嘆いている事でもあります。
僕は未だ
「ぽんこつスポーツカー」
そのものなのでありますの。(T . T)ぶぇ。
そして、そんなスポーツカーにおける「ブレーキ」の意味などを考えていくと、
神様は良くしたもので、

「自分に最も足りない!と思えるものを教えるが為に、
この自己満足的なやっかいな趣味を神は俺に放り込みやがったのか!?」

などと落ち込みもして。
時折、天を嘆く様な事などもあったりなんかしちゃいますが......もう一つ、
僕がスポーツカーに自己満足的にコダワッテ乗り続けている理由があるのです。
それはやっぱり、僕が自分自身に対して日々投げかけているようなことであり、
手かせ、足かせ!?のようなものともなっていることなのですが。
そんな「投げかけ」というのは、
実はこんなコトです......



大人になっても。
そして、これから先、ヨレタ爺さんになっても。
それでも俺はスポーツカーに乗り続けられるのか?
スポーツカーに乗っている「ソノ感じ」が、
外の人達から見て「普通におさまる」感じで、お前はいられるのか?
お前はそんなジジイになれるのか?んん!? ヽ(゜Д゜)ノ コラコラァァア!!



それは幼少の頃。
最初に記したようなスーパーカーブームの洗礼を受けている中で、
決して裕福ではなかった家庭で育った僕の、
その小さな小さな「子供心」の中で生まれた小さな目標でした。
そして、小さな「夢」でもありました。



「大人になったらスポーツカーの似合う人になろう!」



それが「ブレーキの哲学」を含めた、
僕がスポーツカーを愛する理由の「全て」なのです。





昔、憧れのスポーツカーだった「トヨタ2000GT」。
当時、世界の並み居るスポーツカーの中においても、立派に誇れる
「日本最高のスポーツ・カー」
であることに、子供心にとても感動していました。
野茂英雄さんや、イチロー、香川真司、オリンピックのメダリスト......
日本代表選手やチームなどを誇らしく思える気持ちと同じ感じ......と言えば、
少し伝わるのでしょうか。。(^^)


にほんブログ村 その他日記ブログ 日々のできごとへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リンクバナー