—————拝啓。
先日、2年もの間ずっと停滞している君の仕事の話を
オフィスの会議室で伺いました。
君は都度都度、
会社も違う僕の様なポンチキ阿呆者のところに
飛び込んで来てくれるので、
それは嬉しくもあり、ありがたくもあるのですが、
流石にここまで長く進まない仕事のこととなると......
今回はかなり厳しい話をしたと思います。
君は涙を流していましたが、
僕はそれを全く意に介さずに話しました。
本当にひどい人間だと思います。はい。
なので、
そんなヒドイ人間ついでに、
時々君が覗き見てくれているというこの場所にも、
妙に広いオフィスの会議室では話す必要のなかった、
上手く行かない仕事話の外側にある諸々を
「番外編」
として記し置いておくことにしました。
勿論、君にとって必要の無いこと、
理解し難いことであれば、
この記事はいつでも修正もしますので、
その時はなんなりと教えてください。
何卒。
さて、ココには
「コンプレックス(complex)」
なるものに関する与太話を置いておこうかと思います。
それと、
「偶然と運命」
の違いのお話。
もう一つは、
「迷路」
のお話。
の、3本。
ふんがっふっふ!(by サザエさん)
先ずは「偶然と運命」のお話から。
内発的な感覚で捉えられるものは運命。
それは自己の魂(≠心)から感じるもの。
外発的な感覚でとらえられるものは偶然。
自分以外の何か、何モノか、の力を感じるもの。
この2つがあることをよく観察しましょう。
そして、
この論旨から導かれる大切なこととしては、
こんなことがあるのではないか?
と僕は思うのです。
偶然は徹底的に無くす努力をして、
運命は運命として、
そっと自分の心の棚の上に置いておく。
このことは、仕事は勿論、
芸事やスポーツの上達?などにおいても
とても大切なことではないかと思っています。
そして「コンプレックス」のお話。
劣等感。
人である以上、誰でも必ず持っているもの。
なので、
「みーんな同じなんだねぇぇ......(o-´ω`-)ポヤヤヤやーん」
なんていう心持ちでいることが先ずは一番大切なことかと。
そして、この厄介なコンプレックスなるものの正体とは、
おそらく、自分がいつも
「足りない、足りてない、、、」
と思っているもの。
もしくは、
「欠けている」
と思っているもの。
当たり前ですが、人は皆未熟です。
足りないものや欠けがあるからこそこの世に生を受けるのでは?
と思えるほど、皆、当たり前に何かが欠けています。
この欠けを埋めるために人は生きている......
という側面もあるのではないでしょうか。
そして、人は常に本能に近い生理的反応でもって、
この「欠け」や「足りないもの」を埋める何かを追い求めます。
これが「欲」なるものの正体であり、
源泉かとも思われます。
「欠け」を「欲」で埋めていきます。
しかし、それは本当の埋め方では無く、
体に異物を埋め込んで整形した様になっている感じでしょうか。
欠けや足りないものを「真に」埋めるには、
「自然治癒」「自己再生治癒」しかない様に思われます。
実は、これが人生の大問題であり、
コンプレックスの面倒なところでもあるでしょうか。
欲なるものの一番厄介な部分。
さらに厄介なのは、
この自然治癒や自己再生治癒なるものの方法というのが、
歯が浮く様な、
気持ち悪くなる様な、
虫唾が走るような!?
そんな方法でしか完遂出来ないということ。
それが「愛」なるもの。
これ以外に欠けや足りないものを埋めることは
出来ないようなのです。
この不確かな!?愛なるものだけが
副作用や崩壊の危険性などが無い真の補修剤のようなのです。
この材料以外で欠けを埋めた場合......
いつか、必ず、また壊れます。
崩壊します。
欠けた部分は何度でも露わになります。
嫉妬で埋めるのか?
暴力で埋めるのか?
酒で埋めるのか?
金品で埋めるのか?
人を貶め、他人より優位に立つ心地良さで埋めるのか?
世の中にはこの補修工作が素晴らしく上手い方も沢山!
いちゃったりします。
だから、その見事な腕前に惚れちゃったり、憧れちゃったり。
師匠!なんて仰いでしまったりすることも。
違法建材を使っている棟梁なのに!?です。
補修剤は原料が大切なようなのです。
そもそも「欲」なるものは、
志(こころざし)なるものともとても似ていて。
混同もしがちで。
欲を志のように語ったり、志を欲として語ったり。
しかし、志(こころざし)というものには大小はなく、
違いがあるだけです。
質の違いもあるとしたら、
「崇高な志」「高い志」
などという表現はあってもいいかとは思います。
「少年よ大志を抱け」
なんて有名な言葉があるので、
この辺が少々おかしな理解を育んでしまっているような気もしますが。
この言葉は元々外国人さんが言った言葉ですし。
翻訳都合というか、言葉のボタンの僅かな掛け違えというか。
志を「大小の文脈」で使うのであれば、
「目標」とか「夢」とか「野心」などという言葉に
置き換えたほうが良い様にも思います。
それであれば「大小」をつけても良いかと。
そして最後に「迷路」とは、
そんなコトゴトがわからないまま、
永遠と同じことを繰り返すことを言います。
もっと正確に表現すれば、
欠けや不足......
それは記した様にコンプレックスなるもの......
を、埋めるという作業を、
欲でもって埋めるという作業を、
他人の中に求めようとする行為のことです。
欠けや不足の探しや、
それを埋めるという作業を自身に求めず、
周りに求めてしまうこと。
それが迷路です。
自分の外に出来てしまったこの迷路の中に長いこといると、
いつも他人を優先してしまう妙な癖がついてしまったり。
自分という大切な個性を必要以上に押し殺してしまったり。
自分に自信が持てなくなってしまったり。
迷路を自分の中に引き戻そうとしても、
その言動が妙にイビツで不器用なものになってしまったり、と。
様々な副作用も現れてくるわけです。
他人の中にある自分を大切にすることなど出来ないわけです。
自分を大切にできない人は、
誰一人大切にできないわけです。
さて。
今や「星の時代」です。
今一度、気づいて欲しいことは、
実はたった一つのことなのです。
君は、
自分が思うよりずっと美しいのです。
ずっと素敵で、賢く、
愛に満ちているのです。
どうか、
君の夢である素敵な仕事が大きく前に進み出します様に。
僕に出来ることなどが、もし、あるのであれば、
これからも頑張らせていただきます。
——————敬具。
酸っぱ過ぎて食べにくいレモンも、
甘くて美味しいレモネードに変えることが出来るみたいです。
このブログのサブタイトルに嘘はありません。(^^)
先日、2年もの間ずっと停滞している君の仕事の話を
オフィスの会議室で伺いました。
君は都度都度、
会社も違う僕の様なポンチキ阿呆者のところに
飛び込んで来てくれるので、
それは嬉しくもあり、ありがたくもあるのですが、
流石にここまで長く進まない仕事のこととなると......
今回はかなり厳しい話をしたと思います。
君は涙を流していましたが、
僕はそれを全く意に介さずに話しました。
本当にひどい人間だと思います。はい。
なので、
そんなヒドイ人間ついでに、
時々君が覗き見てくれているというこの場所にも、
妙に広いオフィスの会議室では話す必要のなかった、
上手く行かない仕事話の外側にある諸々を
「番外編」
として記し置いておくことにしました。
勿論、君にとって必要の無いこと、
理解し難いことであれば、
この記事はいつでも修正もしますので、
その時はなんなりと教えてください。
何卒。
さて、ココには
「コンプレックス(complex)」
なるものに関する与太話を置いておこうかと思います。
それと、
「偶然と運命」
の違いのお話。
もう一つは、
「迷路」
のお話。
の、3本。
ふんがっふっふ!(by サザエさん)
先ずは「偶然と運命」のお話から。
内発的な感覚で捉えられるものは運命。
それは自己の魂(≠心)から感じるもの。
外発的な感覚でとらえられるものは偶然。
自分以外の何か、何モノか、の力を感じるもの。
この2つがあることをよく観察しましょう。
そして、
この論旨から導かれる大切なこととしては、
こんなことがあるのではないか?
と僕は思うのです。
偶然は徹底的に無くす努力をして、
運命は運命として、
そっと自分の心の棚の上に置いておく。
このことは、仕事は勿論、
芸事やスポーツの上達?などにおいても
とても大切なことではないかと思っています。
そして「コンプレックス」のお話。
劣等感。
人である以上、誰でも必ず持っているもの。
なので、
「みーんな同じなんだねぇぇ......(o-´ω`-)ポヤヤヤやーん」
なんていう心持ちでいることが先ずは一番大切なことかと。
そして、この厄介なコンプレックスなるものの正体とは、
おそらく、自分がいつも
「足りない、足りてない、、、」
と思っているもの。
もしくは、
「欠けている」
と思っているもの。
当たり前ですが、人は皆未熟です。
足りないものや欠けがあるからこそこの世に生を受けるのでは?
と思えるほど、皆、当たり前に何かが欠けています。
この欠けを埋めるために人は生きている......
という側面もあるのではないでしょうか。
そして、人は常に本能に近い生理的反応でもって、
この「欠け」や「足りないもの」を埋める何かを追い求めます。
これが「欲」なるものの正体であり、
源泉かとも思われます。
「欠け」を「欲」で埋めていきます。
しかし、それは本当の埋め方では無く、
体に異物を埋め込んで整形した様になっている感じでしょうか。
欠けや足りないものを「真に」埋めるには、
「自然治癒」「自己再生治癒」しかない様に思われます。
実は、これが人生の大問題であり、
コンプレックスの面倒なところでもあるでしょうか。
欲なるものの一番厄介な部分。
さらに厄介なのは、
この自然治癒や自己再生治癒なるものの方法というのが、
歯が浮く様な、
気持ち悪くなる様な、
虫唾が走るような!?
そんな方法でしか完遂出来ないということ。
それが「愛」なるもの。
これ以外に欠けや足りないものを埋めることは
出来ないようなのです。
この不確かな!?愛なるものだけが
副作用や崩壊の危険性などが無い真の補修剤のようなのです。
この材料以外で欠けを埋めた場合......
いつか、必ず、また壊れます。
崩壊します。
欠けた部分は何度でも露わになります。
嫉妬で埋めるのか?
暴力で埋めるのか?
酒で埋めるのか?
金品で埋めるのか?
人を貶め、他人より優位に立つ心地良さで埋めるのか?
世の中にはこの補修工作が素晴らしく上手い方も沢山!
いちゃったりします。
だから、その見事な腕前に惚れちゃったり、憧れちゃったり。
師匠!なんて仰いでしまったりすることも。
違法建材を使っている棟梁なのに!?です。
補修剤は原料が大切なようなのです。
そもそも「欲」なるものは、
志(こころざし)なるものともとても似ていて。
混同もしがちで。
欲を志のように語ったり、志を欲として語ったり。
しかし、志(こころざし)というものには大小はなく、
違いがあるだけです。
質の違いもあるとしたら、
「崇高な志」「高い志」
などという表現はあってもいいかとは思います。
「少年よ大志を抱け」
なんて有名な言葉があるので、
この辺が少々おかしな理解を育んでしまっているような気もしますが。
この言葉は元々外国人さんが言った言葉ですし。
翻訳都合というか、言葉のボタンの僅かな掛け違えというか。
志を「大小の文脈」で使うのであれば、
「目標」とか「夢」とか「野心」などという言葉に
置き換えたほうが良い様にも思います。
それであれば「大小」をつけても良いかと。
そして最後に「迷路」とは、
そんなコトゴトがわからないまま、
永遠と同じことを繰り返すことを言います。
もっと正確に表現すれば、
欠けや不足......
それは記した様にコンプレックスなるもの......
を、埋めるという作業を、
欲でもって埋めるという作業を、
他人の中に求めようとする行為のことです。
欠けや不足の探しや、
それを埋めるという作業を自身に求めず、
周りに求めてしまうこと。
それが迷路です。
自分の外に出来てしまったこの迷路の中に長いこといると、
いつも他人を優先してしまう妙な癖がついてしまったり。
自分という大切な個性を必要以上に押し殺してしまったり。
自分に自信が持てなくなってしまったり。
迷路を自分の中に引き戻そうとしても、
その言動が妙にイビツで不器用なものになってしまったり、と。
様々な副作用も現れてくるわけです。
他人の中にある自分を大切にすることなど出来ないわけです。
自分を大切にできない人は、
誰一人大切にできないわけです。
さて。
今や「星の時代」です。
今一度、気づいて欲しいことは、
実はたった一つのことなのです。
君は、
自分が思うよりずっと美しいのです。
ずっと素敵で、賢く、
愛に満ちているのです。
どうか、
君の夢である素敵な仕事が大きく前に進み出します様に。
僕に出来ることなどが、もし、あるのであれば、
これからも頑張らせていただきます。
——————敬具。
酸っぱ過ぎて食べにくいレモンも、
甘くて美味しいレモネードに変えることが出来るみたいです。
このブログのサブタイトルに嘘はありません。(^^)