「あの、実は......今年になってから、
荒熊の大神様からずっと言われていたことがあるのです」
「はぁ。。」
「今年、東から、私を助けるものが来る......と。
そう、荒熊の大神様は仰っていたのです......」
「は、ぁぁ!?...(゚ω゚;A)...」
......意外に長い今回の「徒然話」。
もう少しつづいちゃいます......
僕らは、その宮司さんの言葉にちょっと面食らい、
とても驚きもしましたが、
やっぱり荒熊の神様は今まで長いこと封じられていて、本当に、
やっと出る事が出来たのではないか、と。
改めてそう思いました。
ただそれは、
ちっぽけな人間である僕ら二人の動きがそんなことに繋がった......
なんていうこととはマッタク違った思いであって。
自惚れ的にそんなことを思っているというわけでもないのです。
正確には、それは、
「広い世界。そういう不思議なこともあるのかもしれない。。」
なんていう、とてもシンプルでフワッとした、
どこか他人事のような感慨。
そんな御伽噺の様な不思議話をバカみたいに受け止めて、
楽しむ様に信じてみるのもまた、
毎日の生活にちょっとしたアクセントみたいなものを
与えてくれる様な気もしていて。
どこか「趣味」にも似た感じで捉えてもいて。
スポーツが上手くなった、
ゲームでいいスコアを出した、
良い買い物が出来た......とか、
そんなこととまったく同じような感覚。
すごく個人的で、とても小さく、コジンマリとした自己満足。
そんな感じ。
決して特別なことでもなんでもなくて、
身近な日常の、お使いさん的な感じ。
僕らはその後も宮司さん達3人と和気藹々と色々な話をして、
気がつくと二時間以上。どっぷりと荒熊神社さんに留まっていました。
すると、実はココは人気の神社なのか!?
次の予約の方々も見えられ。僕は
「あっ!僕ら、もう一箇所行きたいところがあるのです。
ソロソロこの辺でおいとまして。ええ。本当に。
色々とありがとうございました」
と話し。
僕らは荒熊神社を後にする事となりました。
宮司さん達は最後まで本当に優しく送り出してくれて。
そして、またいらして欲しいと、そんなコトも言ってくれました。
出来れば今度、つぶて浦の鳥居が立つ時にでも、ぜひ来て欲しいと。
そんなありがたいことも言ってくれました。
僕らはなんだかとても温かい気持ちで
「ぽっくり弘法大師」なる社務所を出ました。
狐さん達も祭壇の脇で尻尾をピン!と立てた、
凛とした座り姿勢で見送ってくれました(^^)
さて、もう一箇所。
この日僕が行きたかったところというのは、
そんな荒熊神社から半島をさらに奥に向かった知多半島最南端の地、
羽豆岬(はずみさき)。
そこにある「羽豆神社」
荒熊神社さんにかなり長いこといたので、そこに着いた時には、もう、
夕暮れ間近の午後4時過ぎでした。
空も、昼間とは打って変わって雲が多くなっていました。
羽豆岬はナカナカパワー感のあるところで、
岬上の神社から見下ろした海はとても神秘的な雰囲気を漂わせていました。
ここも、実はとても意味のある地なのだと思います。
そんな地に、ナゼか!?しっかりとあるSKE48さんの歌の碑。
秋元康さんというのは、やっぱり、何か持っている?人なのでしょうか。
面白いです。
僕らは羽豆神社の参拝を終えると、
今日1日の出来事を思い出しながら、
境内から見える遥か先の海、伊勢神宮の方の海を眺めながら一休みをしていました。
すると、その海の先に、
なんとも大きな、神々しい光の柱が立ち出でて来ました......
巨大な光の柱は、雲の間から海の上にまっすぐに舞い降りていました。
僕とプリリンおねーさんはしばしの間その美しさに見とれていました。
いつものごとく、僕は望遠の一眼レフカメラでないこと恨みつつ、
なんとか携帯写真を......と......その時、ふと、
何かを感じたおねーさんは、さっと、必殺の振り子トークセットを取り出し。
そのまま羽豆神社の境内で、
光の柱を見せてくれた神様の言葉を預かっていました。
「よくやってくれたわ。お礼の柱よ。」
「どなたですか?」
「クシナダよ」
光の柱はクシナダヒメさんからのお礼のシルシのようでした。
僕の中にある個人的事実としては、の話ですが、
クシナダさんは荒熊の神様の祖母にあたる女神様......ともなるのでしょうか。
なので、彼女もとても喜んでくれた様で(^^)
なんだか生涯忘れ得ぬ夕暮れとなったのです。
ええ。ええ。
帰りの新幹線で読ませていただいた、
荒熊神社宮司「清水清元」さんからいただいた彼女自身の著書
「女行者一代記 -神に仕えて五十年-」
社務所で伺った話しの通り、
宮司さんの壮絶な半生が実直に書かれていました。
後日。封印の解けた荒熊の神様から改めて、
ねーさんが言葉を預かってくれました。
知多半島の旅以来、今は荒熊さんの言葉も降りる様になったようで。
荒熊さんはかれこれ3,000年ぐらい不自由をしていたと、
そう言っていました。
南知多徒然旅。
御伽噺(おとぎばなし)の最後には、
不思議な荒熊の神様と、
「つぶて浦」の写真にも顔を出してくれた、その姉神様、
羽豆神社の女神様でもある玉姫(たまひめ)さん。
それと、御大!?
クシナダヒメ(奇稲田姫=櫛名田比売)さんの言葉も記しつつ、
一旦の締めとしたいと思います。
初冬の肌寒い夜に、暖かい部屋におこもりしながら、
暖かいお茶に添える甘いお菓子の如く読んで頂けたら......
ありがたく(^^)かしこ。
————————————————————————
荒熊の神だ。
清水(宮司さん)のところに行ってくれて、ありがとう。
東から来る人が、助けてくれると言ったのは、私だ。
清水は本当に、私に仕えてくれた。
普通では出来ないことだったと思う。
だから、今日「ふるべの鈴」を求めるように言ったのだ。
清水の息子にも、私は教えている。
つぶて浦の鳥居のことも、私は伝えていたよ。
利他の心でいればいいよ。
「骨使い」に、なったのだろう。
古代の神が、沢山自由になったよ。
uzmetに、ありがとうと伝えてくれ。
知る人ぞ知るスサノオノミコトの、系譜だからな。
————————————————————————
————————————————————————
荒熊の神だ。
二人で来てくれてありがとう。
清水(宮司)は、50年以上の長きに渡り、私を信じて仕えてくれた。
修行は、大変だったと思う。
せーーーーいーーーーしーーーーを、さ迷ったからわかってくれたのだ。
普通では、死んでいたからな。
劣悪な暮らしの中でも、信じてくれたから、
私は清水に降りることができた。
祓えどの大神達が、来てくれたから、私の封印は解けたよ。
もう、3000年も眠っていた私の眷属(けんぞく)達も起きることが出来た。
妙福寺は、ツカだったからな。
シネ、ツカ、タマも、わかったそうだな。
富士のツカが、開いてなければ、私も出られなかったと思うよ。
宝だと神達が言っている二人だから、
こーーーーだーーーーいーーーーの寝た子が、起きているのだな。
変わらないでいてくれよ。
三鷹のアメノウズメにも、私は挨拶出来たよ。
私にとっては、祖母だからな。
「骨使い」になったと聞いたよ。
眷属達も、スゴい人が来たと私に言ってきたよ。
二人は、忘れないよ。また来てくれよ。
「ふるべの鈴」は、体の悪い所に効くからな。使ってくれ。
————————————————————————
————————————————————————
タマヒメです。
荒熊の神の姉ですよ。
「骨使い」のツカが開いたので、
クシナダヒメ様が、柱を立てていましたね。
羽豆神社に、来てくれてありがとうございます。
私は、猿田彦の娘です。
荒熊の神の、姉でもありますよ。
母は、サルメですよ。
私も、憑いていいですか?
荒熊の神は、やっと出ることが出来ました。
清水(宮司)が、言っていたでしょう。
東から来る人が助けてくれると。
荒熊の神は、墨を塗られていたのです。
————————————————————————
————————————————————————
タマヒメです。
疑いがないので、話が出来てうれしいです。私も巫でしたから。
「ねーさん」は、クシナダヒメ様との厚い信頼があったから、
柱が立ったのですよ。
あんなことは、ありませんからね。
私も感動して見ていました。
羽豆岬は、最近人が来るようになりましたが、
荒熊神社は、地元の人しか知りません。
宣伝してくださいね。私からもお願いします。
つぶて岩が大事だと、わかったuzmetさんは、大した人です。
アメノウズメが、言ってきたのですよ。
だから、雲になって出たのです。
————————————————————————
————————————————————————
クシナダよ。
(光の柱を)立てたのは、奇跡だと思うわ。
あの時間でないと見えなかったし、
あの場所でないと見えなかったわ。
「ねーさん」は「骨使い」になった御祝いよ。
「骨使い」は、古代のモノノベとインベにしかわからなかったことよ。
どちらも、フジワラに、墨を塗られてしまったわね。
魂の記憶が、わかってきたということは、
「君の名は」のヒットでわかるわ。
魂の記憶は、墨を塗っても消せないのよ。
それがわかってくれる人達だから、柱を見せたのよ。
「ねーさん」とuzmetは、これからも頼むわね。
もうすぐ会議(出雲の)が始まるから楽しみだわ。
————————————————————————
この記事を記している最中、
プリリンねーさんは荒熊神社宮司の清水さんと電話で色々と話したそうです。
僕らが帰った五日後、
清水宮司は荒熊の神様からこんなことを言われたそうです。
「二人によく話を聞くと良いぞ。
清水が生きているうちに会わせられて嬉しかった」
神社では今、
僕らのブログをプリントアウトして氏子の皆さんに配りつつ、
荒熊神社の由緒を猿田彦の甥から「息子」に変えるかどうか、
皆さんで話し合っているのだそうです(^^)
☆続き記事☆
「南知多徒然 5」
「南知多徒然 6」
荒熊の大神様からずっと言われていたことがあるのです」
「はぁ。。」
「今年、東から、私を助けるものが来る......と。
そう、荒熊の大神様は仰っていたのです......」
「は、ぁぁ!?...(゚ω゚;A)...」
......意外に長い今回の「徒然話」。
もう少しつづいちゃいます......
僕らは、その宮司さんの言葉にちょっと面食らい、
とても驚きもしましたが、
やっぱり荒熊の神様は今まで長いこと封じられていて、本当に、
やっと出る事が出来たのではないか、と。
改めてそう思いました。
ただそれは、
ちっぽけな人間である僕ら二人の動きがそんなことに繋がった......
なんていうこととはマッタク違った思いであって。
自惚れ的にそんなことを思っているというわけでもないのです。
正確には、それは、
「広い世界。そういう不思議なこともあるのかもしれない。。」
なんていう、とてもシンプルでフワッとした、
どこか他人事のような感慨。
そんな御伽噺の様な不思議話をバカみたいに受け止めて、
楽しむ様に信じてみるのもまた、
毎日の生活にちょっとしたアクセントみたいなものを
与えてくれる様な気もしていて。
どこか「趣味」にも似た感じで捉えてもいて。
スポーツが上手くなった、
ゲームでいいスコアを出した、
良い買い物が出来た......とか、
そんなこととまったく同じような感覚。
すごく個人的で、とても小さく、コジンマリとした自己満足。
そんな感じ。
決して特別なことでもなんでもなくて、
身近な日常の、お使いさん的な感じ。
僕らはその後も宮司さん達3人と和気藹々と色々な話をして、
気がつくと二時間以上。どっぷりと荒熊神社さんに留まっていました。
すると、実はココは人気の神社なのか!?
次の予約の方々も見えられ。僕は
「あっ!僕ら、もう一箇所行きたいところがあるのです。
ソロソロこの辺でおいとまして。ええ。本当に。
色々とありがとうございました」
と話し。
僕らは荒熊神社を後にする事となりました。
宮司さん達は最後まで本当に優しく送り出してくれて。
そして、またいらして欲しいと、そんなコトも言ってくれました。
出来れば今度、つぶて浦の鳥居が立つ時にでも、ぜひ来て欲しいと。
そんなありがたいことも言ってくれました。
僕らはなんだかとても温かい気持ちで
「ぽっくり弘法大師」なる社務所を出ました。
狐さん達も祭壇の脇で尻尾をピン!と立てた、
凛とした座り姿勢で見送ってくれました(^^)
さて、もう一箇所。
この日僕が行きたかったところというのは、
そんな荒熊神社から半島をさらに奥に向かった知多半島最南端の地、
羽豆岬(はずみさき)。
そこにある「羽豆神社」
荒熊神社さんにかなり長いこといたので、そこに着いた時には、もう、
夕暮れ間近の午後4時過ぎでした。
空も、昼間とは打って変わって雲が多くなっていました。
羽豆岬はナカナカパワー感のあるところで、
岬上の神社から見下ろした海はとても神秘的な雰囲気を漂わせていました。
ここも、実はとても意味のある地なのだと思います。
そんな地に、ナゼか!?しっかりとあるSKE48さんの歌の碑。
秋元康さんというのは、やっぱり、何か持っている?人なのでしょうか。
面白いです。
僕らは羽豆神社の参拝を終えると、
今日1日の出来事を思い出しながら、
境内から見える遥か先の海、伊勢神宮の方の海を眺めながら一休みをしていました。
すると、その海の先に、
なんとも大きな、神々しい光の柱が立ち出でて来ました......
巨大な光の柱は、雲の間から海の上にまっすぐに舞い降りていました。
僕とプリリンおねーさんはしばしの間その美しさに見とれていました。
いつものごとく、僕は望遠の一眼レフカメラでないこと恨みつつ、
なんとか携帯写真を......と......その時、ふと、
何かを感じたおねーさんは、さっと、必殺の振り子トークセットを取り出し。
そのまま羽豆神社の境内で、
光の柱を見せてくれた神様の言葉を預かっていました。
「よくやってくれたわ。お礼の柱よ。」
「どなたですか?」
「クシナダよ」
光の柱はクシナダヒメさんからのお礼のシルシのようでした。
僕の中にある個人的事実としては、の話ですが、
クシナダさんは荒熊の神様の祖母にあたる女神様......ともなるのでしょうか。
なので、彼女もとても喜んでくれた様で(^^)
なんだか生涯忘れ得ぬ夕暮れとなったのです。
ええ。ええ。
帰りの新幹線で読ませていただいた、
荒熊神社宮司「清水清元」さんからいただいた彼女自身の著書
「女行者一代記 -神に仕えて五十年-」
社務所で伺った話しの通り、
宮司さんの壮絶な半生が実直に書かれていました。
後日。封印の解けた荒熊の神様から改めて、
ねーさんが言葉を預かってくれました。
知多半島の旅以来、今は荒熊さんの言葉も降りる様になったようで。
荒熊さんはかれこれ3,000年ぐらい不自由をしていたと、
そう言っていました。
南知多徒然旅。
御伽噺(おとぎばなし)の最後には、
不思議な荒熊の神様と、
「つぶて浦」の写真にも顔を出してくれた、その姉神様、
羽豆神社の女神様でもある玉姫(たまひめ)さん。
それと、御大!?
クシナダヒメ(奇稲田姫=櫛名田比売)さんの言葉も記しつつ、
一旦の締めとしたいと思います。
初冬の肌寒い夜に、暖かい部屋におこもりしながら、
暖かいお茶に添える甘いお菓子の如く読んで頂けたら......
ありがたく(^^)かしこ。
————————————————————————
荒熊の神だ。
清水(宮司さん)のところに行ってくれて、ありがとう。
東から来る人が、助けてくれると言ったのは、私だ。
清水は本当に、私に仕えてくれた。
普通では出来ないことだったと思う。
だから、今日「ふるべの鈴」を求めるように言ったのだ。
清水の息子にも、私は教えている。
つぶて浦の鳥居のことも、私は伝えていたよ。
利他の心でいればいいよ。
「骨使い」に、なったのだろう。
古代の神が、沢山自由になったよ。
uzmetに、ありがとうと伝えてくれ。
知る人ぞ知るスサノオノミコトの、系譜だからな。
————————————————————————
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荒熊の神だ。
二人で来てくれてありがとう。
清水(宮司)は、50年以上の長きに渡り、私を信じて仕えてくれた。
修行は、大変だったと思う。
せーーーーいーーーーしーーーーを、さ迷ったからわかってくれたのだ。
普通では、死んでいたからな。
劣悪な暮らしの中でも、信じてくれたから、
私は清水に降りることができた。
祓えどの大神達が、来てくれたから、私の封印は解けたよ。
もう、3000年も眠っていた私の眷属(けんぞく)達も起きることが出来た。
妙福寺は、ツカだったからな。
シネ、ツカ、タマも、わかったそうだな。
富士のツカが、開いてなければ、私も出られなかったと思うよ。
宝だと神達が言っている二人だから、
こーーーーだーーーーいーーーーの寝た子が、起きているのだな。
変わらないでいてくれよ。
三鷹のアメノウズメにも、私は挨拶出来たよ。
私にとっては、祖母だからな。
「骨使い」になったと聞いたよ。
眷属達も、スゴい人が来たと私に言ってきたよ。
二人は、忘れないよ。また来てくれよ。
「ふるべの鈴」は、体の悪い所に効くからな。使ってくれ。
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タマヒメです。
荒熊の神の姉ですよ。
「骨使い」のツカが開いたので、
クシナダヒメ様が、柱を立てていましたね。
羽豆神社に、来てくれてありがとうございます。
私は、猿田彦の娘です。
荒熊の神の、姉でもありますよ。
母は、サルメですよ。
私も、憑いていいですか?
荒熊の神は、やっと出ることが出来ました。
清水(宮司)が、言っていたでしょう。
東から来る人が助けてくれると。
荒熊の神は、墨を塗られていたのです。
————————————————————————
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タマヒメです。
疑いがないので、話が出来てうれしいです。私も巫でしたから。
「ねーさん」は、クシナダヒメ様との厚い信頼があったから、
柱が立ったのですよ。
あんなことは、ありませんからね。
私も感動して見ていました。
羽豆岬は、最近人が来るようになりましたが、
荒熊神社は、地元の人しか知りません。
宣伝してくださいね。私からもお願いします。
つぶて岩が大事だと、わかったuzmetさんは、大した人です。
アメノウズメが、言ってきたのですよ。
だから、雲になって出たのです。
————————————————————————
————————————————————————
クシナダよ。
(光の柱を)立てたのは、奇跡だと思うわ。
あの時間でないと見えなかったし、
あの場所でないと見えなかったわ。
「ねーさん」は「骨使い」になった御祝いよ。
「骨使い」は、古代のモノノベとインベにしかわからなかったことよ。
どちらも、フジワラに、墨を塗られてしまったわね。
魂の記憶が、わかってきたということは、
「君の名は」のヒットでわかるわ。
魂の記憶は、墨を塗っても消せないのよ。
それがわかってくれる人達だから、柱を見せたのよ。
「ねーさん」とuzmetは、これからも頼むわね。
もうすぐ会議(出雲の)が始まるから楽しみだわ。
————————————————————————
この記事を記している最中、
プリリンねーさんは荒熊神社宮司の清水さんと電話で色々と話したそうです。
僕らが帰った五日後、
清水宮司は荒熊の神様からこんなことを言われたそうです。
「二人によく話を聞くと良いぞ。
清水が生きているうちに会わせられて嬉しかった」
神社では今、
僕らのブログをプリントアウトして氏子の皆さんに配りつつ、
荒熊神社の由緒を猿田彦の甥から「息子」に変えるかどうか、
皆さんで話し合っているのだそうです(^^)
☆続き記事☆
「南知多徒然 5」
「南知多徒然 6」