雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

南知多徒然 4

2016-11-27 00:05:58 | 不思議...パワスポ寺社
「あの、実は......今年になってから、
荒熊の大神様からずっと言われていたことがあるのです」

「はぁ。。」

「今年、東から、私を助けるものが来る......と。
そう、荒熊の大神様は仰っていたのです......」

「は、ぁぁ!?...(゚ω゚;A)...」



......意外に長い今回の「徒然話」。
もう少しつづいちゃいます......




僕らは、その宮司さんの言葉にちょっと面食らい、
とても驚きもしましたが、
やっぱり荒熊の神様は今まで長いこと封じられていて、本当に、
やっと出る事が出来たのではないか、と。
改めてそう思いました。
ただそれは、
ちっぽけな人間である僕ら二人の動きがそんなことに繋がった......
なんていうこととはマッタク違った思いであって。
自惚れ的にそんなことを思っているというわけでもないのです。
正確には、それは、



「広い世界。そういう不思議なこともあるのかもしれない。。」



なんていう、とてもシンプルでフワッとした、
どこか他人事のような感慨。
そんな御伽噺の様な不思議話をバカみたいに受け止めて、
楽しむ様に信じてみるのもまた、
毎日の生活にちょっとしたアクセントみたいなものを
与えてくれる様な気もしていて。
どこか「趣味」にも似た感じで捉えてもいて。
スポーツが上手くなった、
ゲームでいいスコアを出した、
良い買い物が出来た......とか、
そんなこととまったく同じような感覚。
すごく個人的で、とても小さく、コジンマリとした自己満足。
そんな感じ。
決して特別なことでもなんでもなくて、
身近な日常の、お使いさん的な感じ。
僕らはその後も宮司さん達3人と和気藹々と色々な話をして、
気がつくと二時間以上。どっぷりと荒熊神社さんに留まっていました。
すると、実はココは人気の神社なのか!?
次の予約の方々も見えられ。僕は



「あっ!僕ら、もう一箇所行きたいところがあるのです。
ソロソロこの辺でおいとまして。ええ。本当に。
色々とありがとうございました」



と話し。
僕らは荒熊神社を後にする事となりました。
宮司さん達は最後まで本当に優しく送り出してくれて。
そして、またいらして欲しいと、そんなコトも言ってくれました。
出来れば今度、つぶて浦の鳥居が立つ時にでも、ぜひ来て欲しいと。
そんなありがたいことも言ってくれました。
僕らはなんだかとても温かい気持ちで
「ぽっくり弘法大師」なる社務所を出ました。
狐さん達も祭壇の脇で尻尾をピン!と立てた、
凛とした座り姿勢で見送ってくれました(^^)



さて、もう一箇所。
この日僕が行きたかったところというのは、
そんな荒熊神社から半島をさらに奥に向かった知多半島最南端の地、
羽豆岬(はずみさき)。
そこにある「羽豆神社」
荒熊神社さんにかなり長いこといたので、そこに着いた時には、もう、
夕暮れ間近の午後4時過ぎでした。
空も、昼間とは打って変わって雲が多くなっていました。





羽豆岬はナカナカパワー感のあるところで、
岬上の神社から見下ろした海はとても神秘的な雰囲気を漂わせていました。
ここも、実はとても意味のある地なのだと思います。
そんな地に、ナゼか!?しっかりとあるSKE48さんの歌の碑。
秋元康さんというのは、やっぱり、何か持っている?人なのでしょうか。
面白いです。



僕らは羽豆神社の参拝を終えると、
今日1日の出来事を思い出しながら、
境内から見える遥か先の海、伊勢神宮の方の海を眺めながら一休みをしていました。
すると、その海の先に、
なんとも大きな、神々しい光の柱が立ち出でて来ました......





巨大な光の柱は、雲の間から海の上にまっすぐに舞い降りていました。
僕とプリリンおねーさんはしばしの間その美しさに見とれていました。
いつものごとく、僕は望遠の一眼レフカメラでないこと恨みつつ、
なんとか携帯写真を......と......その時、ふと、
何かを感じたおねーさんは、さっと、必殺の振り子トークセットを取り出し。
そのまま羽豆神社の境内で、
光の柱を見せてくれた神様の言葉を預かっていました。



「よくやってくれたわ。お礼の柱よ。」

「どなたですか?」

「クシナダよ」



光の柱はクシナダヒメさんからのお礼のシルシのようでした。
僕の中にある個人的事実としては、の話ですが、
クシナダさんは荒熊の神様の祖母にあたる女神様......ともなるのでしょうか。
なので、彼女もとても喜んでくれた様で(^^)
なんだか生涯忘れ得ぬ夕暮れとなったのです。
ええ。ええ。



帰りの新幹線で読ませていただいた、
荒熊神社宮司「清水清元」さんからいただいた彼女自身の著書
「女行者一代記 -神に仕えて五十年-」
社務所で伺った話しの通り、
宮司さんの壮絶な半生が実直に書かれていました。

後日。封印の解けた荒熊の神様から改めて、
ねーさんが言葉を預かってくれました。
知多半島の旅以来、今は荒熊さんの言葉も降りる様になったようで。
荒熊さんはかれこれ3,000年ぐらい不自由をしていたと、
そう言っていました。

南知多徒然旅。

御伽噺(おとぎばなし)の最後には、
不思議な荒熊の神様と、
「つぶて浦」の写真にも顔を出してくれた、その姉神様、
羽豆神社の女神様でもある玉姫(たまひめ)さん。
それと、御大!?
クシナダヒメ(奇稲田姫=櫛名田比売)さんの言葉も記しつつ、
一旦の締めとしたいと思います。
初冬の肌寒い夜に、暖かい部屋におこもりしながら、
暖かいお茶に添える甘いお菓子の如く読んで頂けたら......
ありがたく(^^)かしこ。



————————————————————————
荒熊の神だ。
清水(宮司さん)のところに行ってくれて、ありがとう。
東から来る人が、助けてくれると言ったのは、私だ。
清水は本当に、私に仕えてくれた。
普通では出来ないことだったと思う。
だから、今日「ふるべの鈴」を求めるように言ったのだ。
清水の息子にも、私は教えている。
つぶて浦の鳥居のことも、私は伝えていたよ。
利他の心でいればいいよ。
「骨使い」に、なったのだろう。
古代の神が、沢山自由になったよ。
uzmetに、ありがとうと伝えてくれ。
知る人ぞ知るスサノオノミコトの、系譜だからな。
————————————————————————



————————————————————————
荒熊の神だ。
二人で来てくれてありがとう。
清水(宮司)は、50年以上の長きに渡り、私を信じて仕えてくれた。
修行は、大変だったと思う。
せーーーーいーーーーしーーーーを、さ迷ったからわかってくれたのだ。
普通では、死んでいたからな。
劣悪な暮らしの中でも、信じてくれたから、
私は清水に降りることができた。
祓えどの大神達が、来てくれたから、私の封印は解けたよ。
もう、3000年も眠っていた私の眷属(けんぞく)達も起きることが出来た。
妙福寺は、ツカだったからな。
シネ、ツカ、タマも、わかったそうだな。
富士のツカが、開いてなければ、私も出られなかったと思うよ。
宝だと神達が言っている二人だから、
こーーーーだーーーーいーーーーの寝た子が、起きているのだな。
変わらないでいてくれよ。
三鷹のアメノウズメにも、私は挨拶出来たよ。
私にとっては、祖母だからな。
「骨使い」になったと聞いたよ。
眷属達も、スゴい人が来たと私に言ってきたよ。
二人は、忘れないよ。また来てくれよ。
「ふるべの鈴」は、体の悪い所に効くからな。使ってくれ。
————————————————————————



————————————————————————
タマヒメです。
荒熊の神の姉ですよ。
「骨使い」のツカが開いたので、
クシナダヒメ様が、柱を立てていましたね。
羽豆神社に、来てくれてありがとうございます。
私は、猿田彦の娘です。
荒熊の神の、姉でもありますよ。
母は、サルメですよ。
私も、憑いていいですか?
荒熊の神は、やっと出ることが出来ました。
清水(宮司)が、言っていたでしょう。
東から来る人が助けてくれると。
荒熊の神は、墨を塗られていたのです。
————————————————————————



————————————————————————
タマヒメです。
疑いがないので、話が出来てうれしいです。私も巫でしたから。
「ねーさん」は、クシナダヒメ様との厚い信頼があったから、
柱が立ったのですよ。
あんなことは、ありませんからね。
私も感動して見ていました。
羽豆岬は、最近人が来るようになりましたが、
荒熊神社は、地元の人しか知りません。
宣伝してくださいね。私からもお願いします。
つぶて岩が大事だと、わかったuzmetさんは、大した人です。

アメノウズメが、言ってきたのですよ。
だから、雲になって出たのです。
————————————————————————



————————————————————————
クシナダよ。
(光の柱を)立てたのは、奇跡だと思うわ。
あの時間でないと見えなかったし、
あの場所でないと見えなかったわ。
「ねーさん」は「骨使い」になった御祝いよ。

「骨使い」は、古代のモノノベとインベにしかわからなかったことよ。
どちらも、フジワラに、墨を塗られてしまったわね。
魂の記憶が、わかってきたということは、
「君の名は」のヒットでわかるわ。

魂の記憶は、墨を塗っても消せないのよ。
それがわかってくれる人達だから、柱を見せたのよ。
「ねーさん」とuzmetは、これからも頼むわね。
もうすぐ会議(出雲の)が始まるから楽しみだわ。
————————————————————————



この記事を記している最中、
プリリンねーさんは荒熊神社宮司の清水さんと電話で色々と話したそうです。
僕らが帰った五日後、
清水宮司は荒熊の神様からこんなことを言われたそうです。

「二人によく話を聞くと良いぞ。
清水が生きているうちに会わせられて嬉しかった」

神社では今、
僕らのブログをプリントアウトして氏子の皆さんに配りつつ、
荒熊神社の由緒を猿田彦の甥から「息子」に変えるかどうか、
皆さんで話し合っているのだそうです(^^)



☆続き記事☆
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南知多徒然 3

2016-11-23 00:48:52 | 不思議...パワスポ寺社
「こんにちわぁ。。
あの、上の神社さんを参拝させてもらった者なのですが、
こちらで鈴がいただけると聞きまして、、、ココで良いのでしょうか?」



この後僕らは、この家のような社務所で、
荒熊神社の宮司さんからちょっと驚く話を聞かされることとなるのです……
つづく。






「なんなの?あんた?この辺で見ない顔ね。なんの用?んん!?
なんか売りつけよーーーなんてヤカラじゃないだろーね!?」



雰囲気としてはそんな感じで、
足元から頭頂までをチェック&チェックされた僕さん。



「あーー。鈴。。ありますけど。。では、中へお入りください」

「いいんですか?」

「どうぞ......」



その「ぽっくり弘法大師」なる家に入る時、
僕等と入れ違いで大人数の子供連れの家族の方々が出て行ったのですが、
その時に耳にした皆さんと巫女さんとの会話から察するに、どーも、ココは、
日々、色々な祈祷や祈願をしている場所で、
ご近所の方々以外にもアチコチから信者さんなどが予約をして
やって来るトコロの様でした。
そんな所にヒョッコリと、通りすがりで現れた僕らは完全アウェー状態。
先客の皆さんと入れ替わる様にして縁側に面した明るい
大きな畳張りの居間に通されましたが、しばし、なんとなく、
お部屋には気まずい空気が流れます。。

そんな空気の中、広い畳部屋の奥の方を見ると、
壁際にはとても大きな神棚と祭壇が据え置かれていました。
その祭壇の右横には不動明王さんの祭壇も見て取れます。
そして、そんな複雑怪奇なフォーメーションの祭壇の前には
大きな座椅子が置かれていて。
そこに、御年を召した、
白髪の女性宮司さんらしき方が座られていました。
一瞬、僕は......



「もしや、、、やっちゃった!?かな?ここ。オレ......!?」



......なんてことも思ったのです、が。
その高齢の女性宮司さんと、
案内をしてくれた巫女さんには穢れなき純粋なオーラがあります。
何より、巫女さんに促されて座った大きな居間テーブルの上には、
美味しそーな出雲の!
お茶菓子が!
その時、僕がねーさんに小声で囁いていたことは......



「お茶菓子、、出雲のだよ。
スサノオさんまたお茶目な登場の仕方で(^^)笑うねぇ」



ということと、



「キツネさんがさ、いっぱいいる。
なんだかグルグル部屋を走り回ってるよ。
祭壇の複雑さは彼らのせいだな。うん。
俺らに?めちゃくちゃ慌ててる。
なんか、、めっちゃ可愛い(^^)
良い狐さんだ



ということ。
どーーも、そのお家は、
長い間封じられていた「荒熊の神様」を時を超えて「護らん!」と、
日夜奮闘する眷属さん達に守護された、
宮司さん一家の住まわれている家、兼、社務所のようでした。



やっぱり、悪い気はしません。



そして、ただ鈴を買おうと寄っただけの僕たちは、
そのまま居間で丁重に美味しいお茶などを出していただき、
先ほど入れ替わりに出て行った家族の方々が持ってきてくれたという
出雲土産のお茶菓子も薦められて......そして、
巫女さんから一つ質問をされました。



「どちらからいらしたのですか?」

「東京です(^^)」

そう僕が答えると、巫女さんはちょっと驚いた顔をして、

「え?東京から?いらしたのですか?」



と、言いました。
その言葉の外側には明らかに「ナニカ違うモノ」が含まれていました。
そこに高齢の女性宮司さんが山頂の拝殿の中にもあった
荒熊神社オリジナルの「鈴」が入った箱を二つ持って来てくれて、
僕らは芳名帳のような用紙に住所と名前を書くように促されました。
どうやら鈴をもらうにはこの用紙に住所と名前を書いて、
宮司さんの正式なご祈祷も受け、
それで初めていただける......といった形のようです。
僕らはその紙に素直に住所と名前をカキカキ......としていると、
すると、その様子を覗き込んでいた女性宮司さんが、
さっきの巫女さんと同じ反応をしました。



「ほーーー。。。東京からねぇ。。」



宮司さんは同時に相槌を打った巫女さんと顔を見合わせて、
何かアイコンタクトをしながら少し驚いた様子で言いました。
勿論、知多半島南端の小さな神社に
東京からワザワザやって来る様な人は滅多にいないのでしょうが。
僕はこの時も、
宮司さんの言外に異質な響きがあることを感じ取っていました。

それから宮司さんと巫女さんは、
はるばる遠くから来た僕らへの労いの言葉と、
荒熊神社の成り立ちのお話を丁寧に、ゆっくりと話し聞かせてくれました。
なんでも、女性宮司さんは御歳91才!とても見えん!若い!
70代かと思ったくらい!らしく。
大病をして死の淵を彷徨って、医者にも見放されたのに、
ここの神様が助けてくれのだ、と。
それで、こうして長い間、
人生の全てをここの神様に捧げ、仕え、神社を守って来たのだと。
若い時には、男達に混じり、
女行者として壮絶でとても苦しい修行も長くしてきたのだ、と。
そんな話も聞かせてくれました。
その間、20分ぐらい。
宮司さんと巫女さんは色々な話しをしながらも、どこか、
僕ら二人の素性を見定めようと色々な気を配っていました。
僕にはそれが明瞭に感じられちゃうのでございまする。



「こちらには元々、豊受さんも祀られていまして。
そこに伏見の稲荷大社からも神様を勧請(かんじょう)しております」

「あ!やっぱり伏見さんなのか。。
豊受さんのところは行きましたよ!(^^)
この下の道の脇にある小さな神社さん」

「あら!?行かれましたか?
よく気づかれましたね。。」

「車を止めさせてもらったのですよ。そこに。
ええ。ええ。」

「く!?車を?はぁ。。そーですか。。」

「あと、つぶて浦という、
海に鳥居が立っているところにも寄ってきました(^^)
あそこ、スゴイっすね。
カンドーしてしばらく佇んでました。僕ら。ええ。ええ」

「つぶて浦も!?そーですか。。まぁ。。」



宮司さんはそう言うと、そこで再び巫女さんと顔を見合わせました。
その後も僕らはさらにいくつかの質問を受けたのですが、いよいよ、
宮司さんが鈴に力を込めるご祈祷をしてくれるということで、
僕らは白い装束を身につけるように促され、それを着て、一人一人、
それぞれ宮司さんのご祈祷を神妙に受けていました。

宮司さんの唱える祈祷文言は神道の祝詞から般若心経、
陰陽師の呪文や九字の印、
マジナイ系に至るまで多岐に渡っていて。
さらには密教の真言までもが織り込まれている様なものでしたが、
その祈りの最中。
宮司さんの前に置かれ、
祈りと力を込められていた手の平大の「鈴」の周りには、
正神の使いの狐さんが数匹、色々な奇跡を起こさん!と、
何やらぐるぐると走り動いていました。
その姿はとても一途で、真剣で、可愛らしくもあり。
なるほど、この鈴はこうやって「力」が込められるのだな、と。
その祈り最中に僕はそんなコトを思っていました。
祈りが終わると、
僕はそのことをその場で、ひっそりとねーさんにも話しました。



「いや、いろんなものが混ざってるね。。
ココはこの地域に住んでいる人達の色々なコトの心の支えになってるんだと思う。
すげーいろんなことを受けて、頑張ってるんだろーね。
なんだか感動するよ。
狐さん達にも」



こうして僕ら二人の祈祷は終わり、晴れて!?
神様が言っていた鈴をいただく事が出来ました。
ここまでで既に、
荒熊神社さんに着いてから一時間半ぐらいの時間がたっていたと思いますが、
祈祷を終えた宮司さんはその後も、祈祷の最中に見えた事々や、
神様から頂いたと言う言葉を僕らに話してくれました。そして僕に、



「あの、○○○がチラチラと沢山見えていたのですが......
失礼ですが、どんなお仕事でしょうか?」



僕はそこで少々、
ちょっと説明しづらい自分の仕事のことを話し出したのですが。
その僕の仕事の話を聞いていた宮司さんが、
紹介したい自分の息子さんがいるとのことで、
その息子さんを奥のお部屋から呼んでくれました。
息子さんは、
僕らが祈祷を受ける少し前に家に戻られていたようなのですが、
改めて、居間にやってくると、
僕らに丁寧に名刺を差し出してくれました。
お話を聞けば、彼は地元の町会議員でもあるということで、
雰囲気も言葉もとてもしっかりとした印象。
町内でも信頼されているいわゆる「名士」的な方のように僕には思えました。

宮司さんはそんな息子さんに、
僕らがつぶて浦や豊受姫さんの神社にも寄って来たということも話してくれて。
僕はもう一度、息子さんにつぶて浦がとても素晴らしいところで、
いわゆるパワースポットでもあるし、
この地域にとってとても大事なところだと思う......という話をしました。
できれば、
古くなって一部剥げ落ちていた赤い朱色を綺麗に塗り直してもらえたら、
もう最高なんじゃないか!?
などと、そんな話をしました。
すると、それを聞いていた息子さんは



「そうなんです。僕もそう思うんです。
でもお金がなかなか集まらなくて.....
ただ、実は今年、
突然、伊勢神宮から遷宮の廃材を頂けることになりまして。
それで、やっと今年建て替えられることになったのです。
その新しい鳥居はもう出来上がっていて、
この家のすぐ裏の方で寝かしていまして。
今、乾燥させているところなのです」

「あらら!マジっすか!
ソレはソレは。。スゲーですね!(^^)サイコーです。
そしたら本当に良くなりますね。この神社。
あの “つぶて浦” からここまでは、
本来は一本の道が通っていたと思うんですよ。僕。
道なんかも整備しちゃったりして。。なんて。ね。
でもよかったっす。新しい鳥居ができて。
凄いですねー」

「そうなのですか。。私もそう思うのです。はい。」



宮司さんの息子さんは、
そう言ってちょっと嬉しそうな顔をしてくれました。



「鳥居の再建には結構色々なこともあったので......よかったです。
鳥居を建て替えることにして、、」

「大せーかいですよぉぉーー。よかったっすー(^^)
荒熊の神様も喜ぶと思いますよーー」



僕らのその話を聞いていた宮司さんは、



「長年ここで神社をやってきていて、
伊勢から廃材を頂くのは今回初めてなのです」



とも、話してくれました。
そして、荒熊神社を建てるまでの様々な苦労話や、
それらをまとめた宮司さんが記した貴重な本なども
奥の部屋から出して持ってきてくれて。
僕らにプレゼントしてくれました。
なんだか、
短時間で荒熊の神様から神社の色々な歴史を教えてもらっているようでした。
そしてここで、僕が発した言葉が、
そんな風に和んできた場の空気を変えることとなったのです。



「ここの神様って、荒熊の大神様?って、ですね、
実は猿田彦さんの息子さんですから。
だから伊勢神宮もほっておけないんだと思いますよ。
それで、今回、廃材を回してくれたのだと思います」



この僕の話を聞いた宮司さんと巫女さん、
息子さんは少し顔色が変わり。
そして、
老齢の女性宮司さんは改まって僕にこんなことを言いました。



「そうですか......猿田彦様の息子、、ですか?」

「そうです。息子さんです(^^)キッパリコン」

「......そうですか。。
あの、実は、ここの荒熊の大神様は、
伊勢の皆様からは猿田彦大神様の甥っ子と、
そう伝わり聞いているのです、、、が、その、
ここの神様が猿田彦様の息子さんだと、
お二人はどうしてご存知なのでしょうか?」

「んん??あ、そーですね。。エーーーット。。」



僕はねーさんと顔を見合わせ、少し考え、
思い切ってここで、本当のことを話そうという決意をしました。



「そーですね......いえ、実は......
僕らがココに来るキッカケというのは、
その猿田彦さんの息子さんである荒熊の神様がここに長い間封じ込まれているので、
行ってその印をといてやってほしい、、と、アル神様に言われまして。
それでここに来たのです。僕ら。
ホントーわ。ええ。ええ。
途中、妙福寺なんてお寺に寄ったりなんかもして。。ね!?
ねーさん!?」

「神様に来て欲しいと言われたので来ました(^^)キッパリ」

「そーですか。。」



僕らのその言葉を聞いた宮司さんはちょっと考え込み、
少しの沈黙の後、
こんな驚く言葉を僕らに言いました。
それは「東京から」という僕らの言葉に妙にひっかかっていた
宮司さんと巫女さんのこれまでの反応を
僕らに理解させるものでもありました。



「あの、実は......今年になってから、
荒熊の大神様からずっと言われていたことがあるのです」

「はぁ。。」

「今年、東から、私を助けるものが来る......と。
そう、荒熊の大神様は仰っていたのです......」

「は、ぁぁ!?...(゚ω゚;A)...」



......意外に長い今回の「徒然話」。
もう少しつづいちゃいます......



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南知多徒然 2

2016-11-19 01:14:24 | 不思議...パワスポ寺社
「これ、だれかなぁ。。鳥居もピカピカに光ってるなぁ。
後でねーさんに正確な言葉で聞いてもらおうかね、、、
女神、、さんだな。。」



僕はそんなことを思いながら、ねーさんと「つぶて浦」を後にして。
そのすぐそばにある目的地、荒熊神社さんに到着しました。
珍道中「南知多徒然」のポンチキ話は、もう少しだけ、続きます(^^)




行ってみると、
荒熊神社(あらくまじんじゃ)さんは海に面した小高い山の上にあって、
下からだとかなりの角度で見上げるような感じ。
真っ青な空の下、
こんもりと茂った濃い緑の山の尾根には沢山の赤い鳥居や看板が並んでいて、
とても雰囲気のある神社さんでした。
本殿までは170段以上の階段を登り参拝するようです。
悪い感じは全くしません(^^)



「ねーさんや。」

「?」

狐さんでございますな。でも、悪い狐ではないですな。
正神のお使いさんで。ちょー頑張ってる。
伏見の稲荷さんみたいな感じ。
荒熊さんを護ってるのかな......」

「そぉう?」



駐車場は山の麓にあるようなのですが、そこに行く途中、
チラリと見えた近道的な横道に僕は車をスルリと滑り込ませました。
入ってみるとそこは道ではなく、小さな神社の境内で、その瞬間、
僕は、どーもその神社さんに呼ばれた様な気がしました。
その山の麓にあった小さな神社さんは、
荒熊さんの本殿に行く前に必ず挨拶をしないといけない社(やしろ)
のようにも感じました。なので僕らは



「導かれたんじゃね!?」



......なんてノリで車を境内の隅に停め、
そのまま小さな拝殿に参拝をすることにしました。
小さな拝殿に向き合ってみると、
そこには「豊受比賣=とようけひめ」とあります。



「なるほど。。狐さんだしな。。ナルホド」



ここでまた、
僕の頭にはちょっとしたイメージが浮かんできました。
先に記した様に
この荒熊神社さんのある地というのは海を挟んだ伊勢神宮の対面(といめん)。
その地にある伊勢、外宮と同じ豊受大神(とようけのおおかみ)さん。
伊勢神宮の正式参拝における決まりゴトは内宮より先に外宮から。
その外宮のイメージが湧いてきます......



「ねーさんや。
ここも妙福寺と一緒ですの。
順番としては先ずはここから挨拶せねばいかんですな」

「そうぉ?」

「そうでございますのよ。でわわ。いきますよー......
......本日はこちらまでお導き頂きありがとうございます。
ここに車をしばし置かせて頂きますが、どうぞお許しください。
この後、荒熊さんの本殿の方に伺わせて頂きます。
何卒、良き参拝となる様、お力添えをよろしくお願いします。
心ばかしのお酒をお持ち致しました。
どうか、境内にいらっしゃいます全ての神々の皆さんと、
眷属の皆さんでお召し上がりください」



朝イチの熱田神宮から妙福寺、つぶて浦、
そして豊受さんのいる小さな神社......
それは乃野神社という名前でしたが、
やっと、これで、荒熊神社さんに登れます(^^)
僕らはテクテクと山を登り、頂上の本殿前に立ちました。





「イヤ〜......景色サイコーでんな。ココ(^^)
だーれもいませんし」

「綺麗だね」



頂上の社(やしろ)はまだ最近立て替えられたばかりのようで、
ピカピカと美しく、白木の良い匂いが漂っていました。
拝殿の前からは、海を挟み、遥か伊勢神宮の港、二見浦が見えます。
ここは、古代、伊勢湾入口の関所の一つで、
湾内に出入りするモノモノを伊勢側の社(やしろ)と共に
鋭くチェックしていた要所なのだとも実感できます。
きっとチカラのある人......神が居たに違いありません。



「中、入れちゃいますな。自由に。行っちゃう!?でしょ。とーぜん」

「そーだね」

「でわ、失礼して......」



僕らは誰もいない、
真新しい綺麗な拝殿の中に靴を脱いであがりこみました。
そして祭壇の前に佇むと、そこで、ちょっと驚くものを目にします。
それは、まさに、数日前、
「ここに来るべし!」
と僕らに言ってきた神様が最初に話してくれていた、アノ!
「ふるべの鈴」なるもの?が!本当に!
目の前にあったのでございます......



「うぇぇーーーっ!?!?ま、マジか!?Σ(゜ロ゜;)!!」

その鈴を見た瞬間、
僕らは驚きのあまり一緒に大きな声をあげてしまいました。
神様からはいつも、あまりに突飛なことを言われるので、
自分達でも言われたコトを実際に目にしたり、
情報として知るまではナカナカ信じられないのでございます。
常に自らの感覚の正誤を半分疑い、半分試しながら、
自らを審神者(さにわ)しながら動くということもありますし、
故にネットなどの情報も極力見ず、調べず。
調べても分からないことの方が殆どだったりもします。
それで言われた通りのことごとが目の前に展開されたりなんかすると、
毎度のことながらも、やはり、かなりの衝撃があるのでございます。



「ほ、ホントにあった......な......鈴。しかも、、ふ、二つ。並んで。。」

「すごいねー」

「マジあったんだ......すず......」

「......」

「イキナリ言われた神社がホントにあっただけでも驚くのにな......」

「そーだね」

「ねーさんやっ!」

「ん?」

「でかした!」

「そぉう?」

「でわわ!この鈴を!イザ!..................どーすんのさ!?(*・ω・*)?」



そこで改めて、万全には万全を期すべく、
この後はどーしたらベストなのか?を、
ここまで導いてくれた神様にその場で、
人格的思考を極力排除できる必殺のフリコ・トークでもって
ねーさんに聞いてもらいました。実のところ、
「次はココに行くのだ〜!」
と僕らに話してくれていた神様というのは荒熊神社の神様というわけではなく、
また別のとても格の高い神様で、
僕は数ヶ月前の富士山の上でも言われていたコトなのです。
その時もねーさんや一部の人達にはそのことを話してはいたのですが、
面白いのは、
「長〜〜いこと封印されているよーっ!」
という荒熊の神様とは、ここ迄、
ねーさんでも話すことは全く出来ませんでした。
この辺がやっぱりオネエ様の素敵な感じで、正確な感じ。
ホント、感心しちゃいます。



「神様なんて言ってる?」

「えーーっと......この鈴を二人で頭の上に掲げて振って欲しいんだって。
それで、その後、祝詞とフルのコトを挙げて欲しいんだって」

「鈴を!?頭の上に?」

「そーみたい」

「インド人みたいにか!?(・Д・)?」



僕は、つぶて岩、豊受さんと繋いできた同じお酒を、
荒熊さん用に持ってきた紙コップに注ぎ、祭壇前の台の上に差し上げ、
残りも全て酒瓶ごと捧げ、
そして導きの神様に言われるがまま、大きな宝珠型の鈴を僕が、
小さな鈴をねーさんが両手でそっと包むようにして持ち上げて、
祭壇の前に2人して立ち並びました。
二つの鈴はそのままそれぞれの頭上高くに、
まるで武道館のタマネギの様に掲げられ、
僕らはインドのダンサーが首を左右にクイクイと動かす時の様なポーズで、
フリフリと頭上の鈴をしばらく振ってみました。
二つの鈴は

「カラカラカラ〜〜ン♪」

と、乾いた、いかにもセトモノと言った風合いの音を、
音程の高低差を持って奏でました。
もし、この時の姿を外から見た人がいたならば、きっと、大至急!
救急車を呼んだに違いありません。ええ。
山の上で、誰もいなくて、ホントーに良かったのでございまつ。
ええ。ええ。

そして僕らは、鳴らし終えた鈴を二つとも元の敷物の上に戻し。
改めて祭壇に向かい直し。
姿勢を整え。
フーーーーッと、深い息を吐きました。
僕はさらにユックリとお腹の深い所で呼吸を整えて、
神様から言われた通り、
アマテラスさんから降ろされた秘伝の!祝詞と、
物部の「フルノコト」を捧げました。
全てを唱え終わり、拍手と礼をすると、
僕らには自然と神様の言葉が降りてきました。
例によってねーさんがそれを正確にトレースすると......



「ありがとう。ツカは開いた。
下に “ふるべの鈴” があるから求めるといい」



拝殿の空気が一変したので、僕はなんとなく、
「荒熊の神様は出れたのかなぁ......」
と、感じていましたが、
イザ、神様から言葉をもらうとやはり安心します。
しかし、



「あれ?下に社務所なんてあったけ?」

「なかった気がする」

「そーだよね。。何処にあるんだろー。。」

「ココ出たすぐ横の所に、
閉まってる小さな小屋があったから見てみようか。
何か張り紙があったと思うよ」



ねーさんはそう言うと、本殿の外に出て、
本殿の入口側にあった小さな、
もう閉まっている社務所を覗き込みました。



「社務所の地図が貼ってあるよー。
下に降りてちょっと行ったとこにあるみたい」



そうして僕達は山を降り、
そのまま地図に書かれていた場所まで歩いて行きました。
途中。強い力を感じて本殿とその山の方を振り返って見てみると、
雲も無く晴れわたっていた神社の上の空に、
山の頂上からモクモクと湧き上がって来た不思議な雲達が放射状に、
青い空に向かって大きく広がり出ていました。



その姿は、
山の頂上から空に向かって何かが飛び出して行っているようにも、
何かが僕らに手を振ってくれているようにも感じられて。
僕はその美しい風景を見ながら確信しました。



「ねーさん。色々と出て来てるね。よかったな(^^)」

「そーね(^^)」



山を降り、数分歩いた僕らは、張り紙にあった場所に着きました。
着いてみるとそこは社務所というより、
ごく一般的な木造二階建ての民家で。
広い庭にはいくつかの物置や車が置かれていました。
色々な植木もあちこちに植えられています。
何処からどーみても普通の家。
それでもソコを
「ココだな、きっと、、」
と思えたわけは、家の庭先に
「ぽっくり弘法大師」
という大きな看板が掲げられていたからです。



「なんか、神社だか寺だかわからん打ち出しやな。
不思議じゃ、、」



僕はそんなことを呟きながら、
ねーさんとその家の玄関に向かいました。
玄関のスライドドアの前に立った僕は、
ドア横にあるピンポンボタンを
「ピンポコリーーーーーン♪」
と鳴らしました。
すると、ドアがガラガラ......と開き。
奥から白と薄水色の巫女装束に身を包んだ
神職の中年の女性の方が怪訝そうに顔を覗かせ。
そのまま僕を足元から頭頂までジジジッ......っと、
スキャンするようにして見ていました。



「こんにちわぁ。。
あの、上の神社さんを参拝させてもらった者なのですが、
こちらで鈴がいただけると聞きまして、、、ココで良いのでしょうか?」



この後僕らは、この家のような社務所で、
荒熊神社の宮司さんからちょっと驚く話を聞かされることとなるのです……
つづく


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南知多徒然

2016-11-15 23:54:41 | 不思議...パワスポ寺社
愛知県、名古屋市の南方に知多半島(ちたはんとう)という半島があります。
その半島の南端辺りというのはちょうど、
伊勢神宮の海を挟んだ対面(といめん)あたりに位置します。
半島をど真ん中にしてキャプチャーしたGoogleマップ......

 

そんな半島に、例によって、例のごとく。
富士山登頂以来しばらく落ち着いていた神様からのお呼び出し!?が......



「ちょいと用事があるから来てくんろー( ̄∇ ̄)/ヨロピクー」



そして例によって、例のごとく。
プッチンプリリンのおねーさんに正確な言葉へと変換してもらうと......



「次は、知多半島の荒熊神社の猿田彦の、子供を出してほしい」

「個が大事だよ。個が大事だ。
一人一人の平和な思いが大事だということだ。
“ふるべの鈴” が知多半島にあるからな。
行ったらいいよ」



なーんてことに......マジか!?偶然なのか!?必然なのか?
そんな言葉を降ろされた次の週に、
僕は名古屋だミャーに行くんだミャー的な用事があるんだぎゃぁ......
つーことは!?



「仕組まれてる!?( ̄▽ ̄;)」



そんなこんなで今回は、むかーし、むかし。
トアル勢力に封じられたトアル神様の封印を解くべく、
南知多徒然(みなみちたつれづれ)旅の巻!となるのでございます。
ええ。ええ。
例によって「大人のおとぎ話」 ということで。
今回も広い心でお許しを。何卒。



「あ。もしもしりんこ!?アチキです。あちき。
ええ。ええ。
ねーさん?どもども。
名古屋だミャーに来てくれれば駅に迎えに行くでミャーよ。
あんかけスパでも食べながら。ええ。ええ。
えっ!?あっ、そ!来る。駅に。 そーですか。そーですか。
じゃあ、名古屋駅の新幹線口に朝っぱらから待ち合わせで。
ええ。ええ。よろしこー。だみゃーーー♪」 



で、プリリンねーさんを名古屋駅でピックアップ。
そのままレンタカーでブイイーーン!と、朝一の熱田神宮へ
そこでねーさんの地元のトモダチーズ3人が合流。
知多半島に伺う前にみんなで神宮一周の旅をして、
地元の大ボス神様にご挨拶完了。
その帰り際。まだ午前中。
開店早々の神宮名物 「宮きしめん」をみんなで食べて
マンプクプーの満足プーに。
オススメの一品。
とてもおいしかりけり(●´∀`) 





その後、トモダチーズとは一旦のお別れで。
イヨイヨ!神様の待つ!?
知多半島へとねーさんと2人、車を走らせたのでございます。

そもそもの話。
まず驚くのは、知多半島に「荒熊神社」という神社が本当にあったということ。
こんなふうに何気にカキコしていますが、
二人とも関東の外れに住む人間。
知多半島の南端の神社なんて知るハズもなく。
勿論、当然、名前などもってのほか。
でも、神様の言葉をもらってネットをグググッ!と調べてみると......



「あ、あるねぇ。。荒熊神社( ̄ー ̄;
オネイサンはい、いつも正確でんな......」

「そうぉ?」



そして、さらに神様に伺うと、
半島に入って先ず寄るように言われたのがココ。
半島の付け根辺りにあるお寺「妙福寺」さん。
荒熊の神様を世界に戻すには先ずここの印を解かねばなんねーぞ!
とのことで。
これがまた、言われるままに行っちゃうと本当にあったりするから.....
驚き桃の木メルシーボクー(@_@;)





「ここですか。。」

「ここですね」



着いた瞬間わかったこの寺の御本尊。
毘沙門天(びしゃもんてん)様。



「なーるほろ。。」

「なにが?なるほど?」

「毘沙門天さんつーのはですな、ねーさんや。
大抵は鬼を足元に踏んづけた姿で表されているのですな。
ええ。ええ。ツーことはですよ。
鬼を下に封じてるわけでやんすよ。このお寺さんは。しかも!」

「しかも?」

「この寺の位置はですな、荒熊神社の北東。ほぼ北。 
荒熊神社がねーさんのいう様に何らかの神様を封じた場所とした場合、
その封印の力をより強固にするには、
神社の鬼門から北にかけてのこの位置を押さえると、
その封印はより強固となるわけですな。
半島の付け根だから半島を本土から孤立させる
関所的な役割とすることもできる。
そんな場所に毘沙門天さんなんざ、、、
封じた時期は神様の時代からすると縄文の昔なんだろーけど、
となると、ここは元は神社か古墳的な塚だったハズで。
その後、仏教ブームの時あたりに寺となって。
それでも、この地の元々の本意である北門鎮護!
だけは代々伝わっていて。
その象徴の毘沙門天さんに崇敬対象が変わって行ったのだと思われまするのな。
要は、ここにも沢山の神様が封じられてるというわけでやんす。
きっと。
たぶん荒熊さんの眷属の皆さんじゃないかな」

「ホーホー」

「じゃ、御参りなどすっぺかね」



そうして僕らは、僕ら以外は誰もいないマニアックな堂内に入り、
二人で本堂に向かうと、入り口の戸は開いていて。
本殿の中には誰でも自由に入れる様になっていました。
僕らは本殿で基本の参拝を済まし、その後、
やたらと強い気を発している方へと目をやると、本殿の廊下が、
そのまま毘沙門天さんの祀られているであろう奥の院の方へと
繋がっていました。



「イケますな」

「イケますね」



行ってみると、そこには大きな毘沙門天さんの像と、
これまた巨大な提灯(ちょうちん)さん達が
院内に所狭しと並んでいました。



勿論、ここに連なる沢山の提灯の数は、
この地にどれだけ多くの神々が封印されているのか?
を表す様なイメージで。



「ソートー多いでっせ。ここ」

「そうぉ?」



その場でおねーさんは御本尊の毘沙門天さんと
不思議〜なポンチキバナシをして、
さらに細かい情報を聞かせてもらい。
僕らはその毘沙門天さんのガイドに従ってイザ!
お祈りを捧げようとしました。
その時!フト!僕が気づかされたのは、朝、
熱田神宮を一緒に回ったねーさんのトモダチーズからもらったお酒のこと。
この地に出かけて来る直前に神宮で頂いたお土産のお酒のこと。
それが院の中に持ち込んだ僕さんのリュックに入っちゃってる!
ということを思い出したのです......



「ねーさんや。お友達のお酒。
ここで使うというワケですな。
それで朝からみんなで熱田神宮に......なるほろー......
それでねーさんのお友達さん達も
ワザワザ来てくれたというわけですな(^^)
使えますなぁ。このお酒。ありがたいでやんす」



僕はその頂いたお酒をリュックから取り出し。
毘沙門天さんに丁重に捧げて。
トアル「マル秘」のお祈りをすると、
院内の大きな提灯がユレユレに揺れだしたのです。
勿論、風などありません。
目前の祭壇前に灯っているろうそくの火も揺れていないのに、
馬鹿でかい提灯だけがユラーリと揺れちゃうわけなのです。



「ねーさんや。キテますな」

「成功ですね」

「そーですな」

「サスガ、毘沙門天さんね」

「ですな」



そんなこんなで僕らは、
神々が下の方から出てくる感触をリアルに感じつつ妙福寺を後にしました。
鬼とは、時として神を指すのです。
敵対する消したい勢力を、時に鬼と呼んだりもするのです。
桃太郎が退治した鬼も鬼ではないのです。
auのCMの鬼ちゃん!と同じなのです。友達です。
ただ、権力保持に都合の悪い人々を
「鬼」として皆や後世に伝える様なケースが今も昔も沢山あるわけなのです。
本当の鬼もいるけどね!?
さてさて。
僕らはその後本日のメインイベント会場となる!?
荒熊神社へと向かいました。
その途中。車の運転中。
僕はとてつもない眠気に襲われました。
その眠気を正確に表すと、
運転している意識......顕在意識......ではマッタク眠くはないのですが、
本能的な奥の意識=潜在意識の方に絶え間なく、
繰り返し押し寄せてくる大波の様な眠さなのです。
なので、思考して運転している意識とは別のところにおいて
眠気の様なものが止まらず。
アクビが際限なく出て来て止まらなくなる感じ。
あまりに続くその大あくびのせいで、
僕の目は涙でグチュグチュになり。
鼻水はチョチョギレて......



「ダイジョーブ?」



そのあまりに異様な僕の姿に、
さすがのプリリンねーさんも心配の言葉をかけてくれました。



「いやね、これさ、
妙福寺に封じられていた神様達が起きてるんだよね。。今。
いまさ、
荒熊さんに使えていた人たちが列になって寝ている姿が見えててさ。
それがどんどん......と、
一人一人、ムック、ムックと体を起こしてね、
起きて来てるんだよね。
列を作って起きて来てる感じ。
あ〜〜〜、、また起きた!
フワワワワァァァ〜〜(´Q`)。oO〜」



そんな異常な状態が妙福寺を出た後30分ぐらい僕の体に続きました。
そしてそんな中、僕にはもう一箇所、
荒熊神社に行く前にどうしても寄らなければいけない......
と感じている場所があることをねーさんに伝えました。
そこは、荒熊神社のある一帯の地図を見た瞬間、
僕にはとても重要な場所に感じられたところでした。



「フワワワワァァァ〜〜(´Q`)。oO〜。。
ねーさんや。実わ、ですのぉぉ。。
神様には言われてなかったけど、もう一箇所、
どうしても寄りたい場所が個人的にあるのでやんすよ。
そこ、寄ってもいい?」

「そうぉ?いいんじゃない」

「じゃ、行くよ。神社のすぐそばなんだけど。
そこ、重要な場所なんだよ。たぶん」



僕らは荒熊神社に行く直前、その重要と思える場所......
「つぶて浦」という海岸に寄ることにしました。
近くのコンビニで新しいお酒を買って、その海岸に行ってみると、
そこの砂浜には赤い朱色が所々剥げ落ちた、
古くて大きな木製の鳥居が海に向かってドン!と立っていました。
その鳥居の下の砂浜には大きな丸々とした岩がゴロン......と、
強烈な存在感を持って横たわっていました。
その岩は地元では「つぶて岩」と呼ばれているようでした。



この鳥居が向いている方向、海を挟んだ向かい側には、
伊勢神宮の海の玄関口、二見浦がぴったりと位置していました。
本来、

「伊勢神宮へはここから入るのだ!」 

ということになっていた夫婦岩でも有名な海岸。
その二見浦の真反対に位置する場所というのが、この「つぶて浦」。
どうも......ここは......神様の通り道。
海から来た龍神さんや神々は、この鳥居から上がって、
そのまま真っ直ぐ参道を通って......
それで、その先に......荒熊神社があるように思えました。
思えました、とは、その時の僕に見えていた参道であって、
どこか茫洋とした幻想的な風景。
現実には海沿いに立ち並ぶ家々やアスファルトの道路に分断されていて
存在していない様な道。
しかしそれは、古代、確かにそこに存在しいたであろう、
海から社(やしろ)に向かう美しい参道なのです。
そしてソレは、伊勢の神々も往来していたであろう、
神々の道の様に僕には感じられるのです。



「なるほど。。猿田彦さん。か。」

「伊勢神宮にも猿田彦神社があるものね」

「そーですな。確かに。
やっぱり荒熊さんというのは猿田彦さん関連の神社なんだろーね。
ココが荒熊さんの正面玄関ですな。
ねーさんの言葉は......流石でございますな」

「そうぉ?」

「この岩にお酒を注ぐのですよ。ええ。ええ。先ずは」



僕らは買って来たお酒をその大岩に注ぎ、手を合わせ。
そして、あまりに綺麗な鳥居と、
雲ひとつないキラキラとした海の風景にしばしの間、
その場にボーーーッと佇んでいました。
すると、僕は海からくる神の気配を感じて、ツイツイ、パシャリ!と、
携帯写真を撮ってしまいました。
その日、その時、海岸に着いた時には、
確かに雲ひとつない晴れ晴れ過ぎる天気だったハズなのですが、
僕らが海岸にいる間に湧いて来たのか?どーなのか。
写真の鳥居のすぐ側には、不思議な、
顔の様にも見えるとても大きな雲が写っていました。
正確には、その瞬間だけ現れて、1分ぐらいで消えていった雲......
なのです。



「これ、だれかなぁ。。鳥居もピカピカに光ってるなぁ。
後でねーさんに正確な言葉で聞いてもらおうかね、、、
女神、、さんだな。。」



僕はそんなことを思いながら、ねーさんと「つぶて浦」を後にして。
そのすぐそばにある目的地、荒熊神社さんに到着しました。
珍道中「南知多徒然」のポンチキ話は、もう少しだけ、続きます(^^)



南知多には神社など全く興味のなかった頃に幾度か訪れているのですが。
今回は改めて、美しい場所だなぁ......なんて、思いました。
昔はこんな気持ちで知多の風景を見れなかったと思います。
次回の記事更新まで、

「ハヨ続きを書きなはれよー!」

とか、

「夜な夜なおヒマなお時間があるのですなぁ、、」

なんていう風変わりな方!?には、
以下の「徒然シリーズ」や、
「猿田彦」さんのお話でも見てもらいながお待ちいただけたらと(^^)
今日も一日お疲れ様でした。
おやすみなさい。


三鷹徒然
鳩ノ巣徒
三ケ日徒然
芝公園徒然
能登徒然 2
鎌倉徒然
猿田彦ミステリー


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衝撃!?

2016-11-11 21:37:27 | 面白い
ドナルド・トランプさんが次期アメリカ大統領に決定しました。
マスコミは「衝撃」という報道を繰り返しています。



果たしてそうなのでしょうか?



またまた「マスコミ独自の価値観を基軸とした伝え方」によって、
僕たちの目と耳が曇らされてはいないでしょうか?
チリーン♪と自己点検せねばと。
_φ( ̄ー ̄ )ええ。ええ。
どーでしょう。
僕は株や為替で「直接的に」生計を立てているような人ではないですし、
いたってフツーの人なので、点検をしてみても、
実は、フツーに、特に衝撃はないのです。
勿論、そんな金融産業などの影響を
間接的に受けないわけはないのですが、
でも、普通の感覚で、
普通にネットを見ていて、
普通にテレビを見ていて、



「トランプさんは面白いし好きだけど、
この人だと色々混沌としちゃうんだろーな」

「でも、ヒラリーさんの信頼しきれないコノ感じは
イッタイなんなのだろうか?」

「アメリカは今、とても変わりたがってるのかな」

「現状を変えたい人が沢山いそうなのは確かっぽいな」

「なんか、閉塞感があって辛いのだろーな。
日本もそーだし。。」



と、全体的に伝わり来る
そんなアメリカ国民の雰囲気が真剣であれば、



「結果は自然とトランプになるんじゃね?」



なんて感じられていた人達もとても多かったのではないのでしょうか。
ユーも、ゆーも、Youも!?実わそーじゃね?
みたいな。
大きなメディアから流れくる情報から
恣意的で意図的な部分を抜いて見ると、
僕の手にはそんな感触がチリーン♪と残っていました。
ただ、唯一「衝撃」という言葉がとてもフィットすることは、



「それでも最終的には、
世界の既得権益層が非常手段を使ってでも潰しにいくんだろーな」



ということに対して勝利した!
という驚きだったりして。w( ̄Д ̄ w オオオォォォ!
それがマスコミの伝える「衝撃」の正体なのではないかと
思っていたりします。
この時代......ネットワーク化の時代......
メディアの情報コントロールが上手く効かなくなったということの
表れの一つなのかもしれない......
なんて受け止めてみるのもまた一興かなぁ、とも思ったりして。
そしてこの場合のマスコミとは当然、既得権益層や政界、
財界などを静かに反映している......
という意味でのマスコミであって。
例えばサッカーや野球で

「ご贔屓(ごひいき)のチームの方が勝つ!」

と言ってしまう自分がいるように。

「自分が買った馬が勝つ!」

なんてツイツイ競馬で言ってしまうように。

メジャーでマスなメディアさん達や人々は、
ここ数十年のアメリカの延長上にあるアメリカを望み、
その代弁者であるヒラリーさんを望んでいたのかもしれません。

変化を嫌っていたのでしょうか......

でもそんなことは、
冷静にメディアを眺めている人々からすると
全てわかっていたことだとも思います。
もしソレが「わからない」と言うような人がいたとしたら、
ソレはもしかしたら自分でも気づかないうちに!?
何らかの馬券を買っていた!?
のかもしれません。
そんな見方をしてみると、
ヒラリーさんを応援していたアメリカのメディアや人々に共通する香りが、
どこかセレブ系で、
既に大きな利権を手にしている筋の人達のように
感じられていたこともスッキリと理解できるように思えます。
そういう人達というのは大抵、
大義名分を打ち出すのがとても上手だったりもしますし。



「ヒスパニックを排除するなんて!
人種差別だ!
移民差別だ!」



なんていうトランプさんへの非難も、
別の側面から見た言葉で紡げば、
労働力として安くて、
大人しく利用できる人たちが減ることを恐れている。
会社や組織の営業利益が減っていく。
企業や業務マネジメントが厄介になっていくことを恐れている......
なんて、そんな恐ろしい、



「人で無し!」



な言葉になったりする可能性もあるわけで。
でも、そんな角度での報道の仕方ナドはこれっぽっちもなかったですし、
終始「トランプ悪」に偏った報道が多かった印象が僕にはあります。

本当のところはどうなのでしょうか?

よくわかりませんが、

大義名分というものはとても恐ろしいものです。

大義が命や人権を押し殺すこともあります。

コワイっす。

そして、そんな大義と名分を背景になされた報道が多かったとしたら、
今回の結果が「衝撃」となるのも当然のことだと思えたりもします。
ヒラリーさんのそんな大義的で名分的な主張より、
実直さと分かりやすさで闘ったトランプさんの方が、
既に出来上がっているソーシャルメディアネットワークの世界においては、
その特性にとてもフィットしていたのだとも感じられます。
なので、今回のアメリカ大統領選挙の結果における「衝撃」という言葉は、
大災害の時に飛び交う「想定外」という言葉と限りなく同義のように
僕には見えてくるのです。
そもそもの話ですが、
メディアや報道が「真にフラット」であったならば、
どんな結果であっても「衝撃」という言葉は使わないようにも思いますし。



「株が乱高下しています」

「為替変動が激しくなっています」

「経済の先行きが不透明となりました」

「日米安保やTPPはどーしましょ!?」



選挙後にこの国で伝えられるそんなニュースも、
この国のフツーーに働く人々で株や為替を持っている人が
果たしてどれくらい?いるのでしょうか。
アメリカ軍の駐留を必要、歓迎している人々はどれくらい?
いるのでしょうか。
トランプさんに票を入れたアメリカの人達のイメージを
この国の人々に比して言えば、
そんな金融やら何やらの世界の影響を
遠くに感じている人達なのではないか?
とも思えます。
そして、そんな人達が



「国民に仕事を取り戻そう!」



とシンプルに言ってくれる人に投票したのではないか......
とも感じます。
現実にはそんな人々の方が多いのだ......
ということなのではないでしょうか。
それって衝撃!?なことなのでしょうか。
いたって民主的で普通の話に思えなくもありません。



「ヒラリーは私たちが嫌う政治そのものです」



あるニュース番組のVTRで一人のアメリカ国民が言っていた言葉。
僕は、この言葉が多くのことを表している選挙だったように思えました。
そして今回、
「衝撃」と表されている言葉が内包しているもう一つの意味が、
きっと「混沌」なのだと思います。
現状維持、既定路線、大義名分的なグローバル化。
これらが示すこととは実は「秩序」であって。
その線がトランプさんによって断たれたということは、
僕らの前には秩序とは反対的な、
少々の「混沌」が待ち受けているというのも自明なわけです。
これを衝撃と表す向きもありますが、
上記もした通り、
僕的にはトランプさんとは混沌を象徴するものでもあるわけです。

チョロチョロとこのブログを記し出して以来、
毎年末に記してきた
「翌年をちょー勝手に占う!」
という記事。
昨年末に記したのは、この
SIGNAL
という記事。
今一度、その最後部分を以下に。
なぜなら、今回のアメリカ大統領選の結果は、
この時記したことの大トリの一つでもあるからです。



============================
「混」が内包する意は、いつだって進化です。
ここ最近の人類の進化とはコンピューターの進化による
ネットワーク化やデジタル化......
そんなコトゴトによって押し寄せてくる人々の価値観の大きな変容。
社会構造の変容。

グランズウェル」以降。「ジェネレーションC」の時代。

時間と空間は縮められ、意味も薄められ、
情報や金融がデジタルで国境を楽々と越える時、
物理的な国家領土は意味を失ってきています。

グローバルな企業や巨大なSNS企業はもはや国家的な領域に入ってきました。
そこには国家を超えた人々のコミュニティが多数存在してきています。
共感や価値観を共有する新しい形の国民、
国家が誕生していると言っても良いのかもしれません。

僕らは集団への帰属意識や生活の保障をそんな企業群やネットワーク社会、
コミュニティなどに求めるようになって来ているようにも思えます。

旧来的な国家が持つ最後の武器は
もはや法的権威、権力ぐらいのものとなるのかもしれません。
しかしそれすらも最早いつ新たな波の中に消え去るのかわからない
状況にも思えます。

二世、三世と、世襲のごとき形で受け継がれる政権の中枢を担う政治家群は、
最早「職業」的で、会社員的体質ともなっているようにも感じられ、
真のリーダーたる資質、本質を有している......という様な者は、むしろ、
グローバルな企業やアグレッシブな企業群、
個人などの中に見出せるようにも思えます。

僕らは国家と企業、
コミュニティの「混」にも立ち会っているのかもしれません。

そこでは、混乱や混濁、混戦などとならないことを望みますし、
願わくば混合や混成となっていくことが「星の時代」らしくて良いのでしょうか。

そして「申年=猿年」のサルは、
「去る」と響いてきたりも......するのです。

============================



J.D.ヴァンスが書いたベストセラー本
「Hillbilly Elegy=ヒルビリー・エレジー」
その本にかかれている「ヒルビリー」と呼ばれる人々。
ソレは低賃金の白人労働者の人々をさす言葉らしく、
彼らの特徴としては、
困難に直面した時に典型的にしてしまう対応が、怒る、
大声で怒鳴る、
他人のせいにする、
困難から逃避する......
ということなのだそうです。
今回の選挙でトランプを応援した人達が、もし、
このような人達であったならば、
このあとアメリカはしばしの混沌の後、
混乱となるのかもしれません。
しかし、作家ヴァンス自らがそうであったように、
ヒルビリーなどと呼ばれながらも、
ハードワークと最後までやり抜くことを真摯に学び、
それを達成することで自尊心を育める様な人達が
トランプの支持者であった時は、
アメリカの未来はより強固なものになるのかもしれません。
そんな国に対するある程度の覚悟は......
この日本という国や僕らにも必要なのでしょうか。

アメリカは変わりました。

いや、

「変わりたい」という意思を一旦示した状況のように思えます。

日本はどうなのでしょう。

ユーロもイギリスの脱退表明によって変わりました。

アジアはどーなのでしょう。

フィリピンもトランプさんのように率直で正直な物言いをする
ロドリゴ・ドゥテルテ大統領によって変化しています。
韓国も、もう、
政治システムの根本が揺らぐような大統領問題に揺れています。
ロシアのプーチンさんも、どちらかと言えばトランプ系。
どーも、
大義名分的な世界は終わりを迎えているようにも思えます。
日本はどんな道が最善なのでしょうか。
政界やマスメディア、
エネルギーの供給はどうなってゆくのが良いのでしょうか。

「トランプだと、日米同盟の根幹が揺らぐ可能性がある。
日本は足元を固めなければいけない」

なーーーーーんて報道もヤタラと見ましたが、コレって、
実は当たり前のことの様にも思えます。もしかしたら、やっと、
「敗戦」「アメリカの属国」
なんていうニュアンスを払拭できるチャンス!?
がやってきたのかも?しれません。

「トランプさん。
あなたがそ~いうスタンスなら、
我々はこーいうスタンスでいきますんで。
ひとつ、よろぴく〜」

みたいな。
まぁ、いつものパターンとしては

「しばらくは様子見で」

なんていうことになるのでしょうけど。ね。。





アメリカさんはデカイっすのねぇ。。
車で走る道はいつも真っ直ぐだけど、まとまるのかしら。。



最後に一つ。
今回のアメリカ大統領選挙において、
個人的に1番の衝撃!だったのは......
新大統領夫人!
ファースト・レディ!
となる人なのですな( ̄ー ̄)ボクチン。
トランプさんのアキレス腱とわわ......?!?ポヤヤヤ〜ン...


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子、いわく 2

2016-11-07 00:05:26 | サブ・タイトルの話
「よぉ。( ̄ー ̄) uzmet。ちー。
今、部屋出たらさ、下に明かりがついてたから誰かと思ってさ。
お前ら、こんな日に、、まーだいたのか」


「あ!!!?
しゃちょー!!Σ(゜ロ゜ノ)ノ 
M子さんまで!
ドーーーしたんすか?こんな時間まで。
今日、ビル最後の日っすよ!?なんかあったんすか!?」

「おー。
そーだよな。もう最後の日だな。
最後だからさ、俺も色々片付けごとがあってさ。
その日ももうこんな時間だしな。
このビルのこんな時間まで仕事やってるっつーのはさ、
やっぱりよ、
お前らなんだよな。そーだよな。
お前らいつも遅くまでやってるもんな。そーだ。そーだ。
嬉しいよな。ほんと。サイコーだ。
こんな最後の最後に、ココでお前ら二人に会えるなんてさ。
サイコーだよ。
なぁ!?M子」

「そーですね(^^)」



突然現れたN社長と秘書のM子さんは、
ガランとしたオフィスで侃々諤々(かんかんガクガク)と
やりとりをしていた僕と女性デザイナーのちーさんに
そんな言葉をかけてくれました。
勿論、N社長特有の持ち上げトークであるとも思いましたが、
率直で正直な物言いのN社長にそんなふうに言われると、
僕らはなんだかとても嬉しくもありました。



「M子さ。上の冷蔵庫にさ、
お客さん用のビールあったろ?何本か。
あれさ、全部持ってこいよ。
もう今日が最後だしよ。
ココで飲もうぜ。4人で。な!乾杯しよう。
サイコーだ。そーしよう。
な。サイコーだ(^^)」

「いいですね。わかりました。
すぐ取ってきます。。」



そう言って、
秘書のM子さんは缶ビールを取りに行ってくれて。
その後、僕ら二人が打ち合わせをしていた、
ガランとしたオフィスフロアの真ん中のテーブルで、
4人で缶ビールを開けました。



「よし。じゃあ、乾杯だ。
そーだな。
これからの会社に、未来に乾杯だ(^^)いいか?」

「はい!」



僕ら三人はN社長の言葉に少し感激しながら、
同意しました。



「おー(^^)。じゃ、乾杯!」

「カンパーーーーーーーーイ!」



それからのひと時は......多分、
深夜12時ぐらいまでの40分ぐらいだったでしょうか。
社長と僕ら3人は、結構色んな話をしていたと思います。
N社長はやたらとサイコーだ、という言葉を使っていました。
全てを覚えているわけではありませんが、
僕はなんだか寂しくもなって、
こんなことをN社長に言いました。
この部分は明瞭に覚えています。



「いや、シャチョー。。
俺、なんだかとても寂しいっす。このビル離れるの。
ツーか、このビルで働くのが好きなんすよ。
ココが好きだったっす。
なんか、寂しいっす。ここ離れるの。。」



ちーさんとM子さんは僕の話にウンウン......
と頷いてくれていました。
ビールは......本当は美味しいはずですが、なんだか、
その時の僕には味がわからなく、
水のような感じがしていました。



「俺、このビルが出来た時はマダ大阪支店だったんす。
だから、
この本社ビルには最初は会議の時ぐらいしか来れなくて。
来ても、みんな暖かく迎えてくれるけど、でも、
自分のデスクとか、椅子とか、
この綺麗なビルには無かったんすよ。
同じ会社なのに、本社のみんながうらやましかったんす。
支店て、沢山の他社レーベルとか、
店舗営業のみなさんとかと
一緒のフロアに入ってるじゃないっすか。他社さんに間借りしてるわけで。
だからこんなスゲービルの、
クリエイティブな雰囲気とかはマッタクないんですよ。
椅子にしてもデスクにしても営業所全体に合わせないといけないし。
そうするとなんか自然と古びちゃったりもして。
それで、東京で、このビルで、
こんな風に働けた時って、俺、とても嬉しかったんす。
それはエリアから来たヤツしかわからない話かもしれないっすけど。
だから余計にこのビルには愛着があるんすよね。
ここで働けることにとても誇りも喜びもあったんす。。」

「おー、おー。そーか(^^)
まぁ、な。そーだよな。
俺も寂しいよ。寂しい。もちろんな」



N社長が寂しくないわけがありません。
全てを自分で背負って造ったビルです。
この世界の誰よりも辛くて、悲しい思いも、
借金とか金策とか、人間関係とか、このビルだけでなく、
会社が外資系企業に買収されるまでの間だって
とんでもなく大変なことが沢山あったはずです。
そんな事々もこの時は、
未だ何もカタがついているハズなどなくて。
それでもこうやって、僕らのような現場のスタッフに気さくに、
いつも声をかけてくれて、
一緒に物作りを考えてくれる人です。
ビルを失う、そんな日に、これからの未来へ乾杯!
......なんて言ってくれる人です。



「なんか、マダこのビル出たくないっす。俺。。」



4人は、少し黙り込みました。
この時が一番、
ビルの天井の高さと空間の広さをズシン......と、
感じました。



「こんな広かったっけ、このビル......」



僕はほんの少し出来た4人の会話の空白の中で、
そんなことを思っていました。
そこに、N社長がこんなことを言いました。



「uzmetよ。あのさ。俺もこのビルは好きだ。
愛着もある。
だけどよ、それは愛着だ。執着じゃない。
似てるけどな。愛着と執着は違うんだよ。
俺はよ、このビルに愛着はあっても執着はない。
だから、めでたいんだよ。俺たちには未来がある。
また渋谷のビルに行ってもやってやろうぜ。な。(^^)」

「......」



それから、僕ら4人はもうしばらく、
そのガランとしたオフィスフロアのど真ん中のデスクで飲んで、
そして、深夜12時ぐらいに、そろそろ帰ろうか......と、
缶ビールを片付け。
長年親しんだ我が家のように思えるビルを出て行きました。
デザイナーのちーさんと僕との仕事は未だ途中ではありましたが、
その日、その時は、もう再び仕事をしようとする気持ちは起きず。
社長と一緒にこのビルを出ていくことが一番なんだと、
二人してそう思いました。
この4人でこのビル最後の時間を過ごせて本当に良かった、と。
僕はそう思いました。

社長についてフロアの出口に向かって、
M子さんとちーさんも出て行き、
僕はダーーーーレもいなくなったフロアの方を振り返って。
一度、フロアの全てを見渡して。
ちょっと涙が溢れそうになって.....
それをこらえながら、
出口のそばにあった照明のスイッチを消しました。

フロアは、なんだか、
永遠の眠りについたような暗さに包まれました。

僕らはそのまま社長について行って、
ビルの通用口から外に出て。
その通用口付近の明かりの電気も、最後に、
僕は消しました。



「いつか、この明かりを、
俺がもう一度つけてやる」



その時僕は、そう強く思いました。
それは、自分の力があまりにも不足していて、
結局全く叶わなかったことでしたが、
その時の想いだけは今もしっかりと思い出せます。

今でも僕は、
N社長や敬愛する先輩方が造った美しいビルの中に入るイメージを、
働いているイメージを、
有り有りと思い浮かべるコトが出来ます。

僕らがあの素晴らしいビルで働くことはもう二度とありませんし、
同じメンバーで思いや目的を共有できるようなことも無いかもしれません。
あのビルは、最高のレコード会社が最高の仕事をする為に作ったビルです。
家族の様なスタッフが苦楽を共にする為に作った空間です。
僕ら以外には絶対に使いこなせません。
〇〇部、〇〇課.......
そんなふうにフロアを壁やパーティションで仕切っただけで、
階と階とに違う目的や夢を持った組織や会社が入っただけで、
あのビルのは損なわれるのです。
ビルの構造を見て、
そんなことがわからない人達がいくら頑張って使ったところで、
あのビルは目を覚ますはずもありません。
現在のビルの前を通りかかっても、
僕の目にはビルは眠っている様にしか見えません。
僕は、犬の遠吠えの様ですが、今も、これからも、
そんなコトを思っています。
でも、僕は、
4人で過ごしたこのビルの最後の夜のひと時から
とても大きなものを受け取って。
そして、
それを継承していこうという挑戦と努力を毎日しています。



その大きなものとは、ism。



イズム、



です。



皆が愛したビルやスタジオや会社がなくなろうとも、
愛着のあった暖炉や椅子やテーブルがなくなろうとも、
この世界から音楽産業というものがなくなろうとも、
その形態が変わろうとも、
色々な人々が去っていこうとも、
世界が滅びようとも、
僕がN社長から頂いたものは決して滅びないものです。

それは「ism」です。
それ以外のナニモノでもありません。

それだけは今も、
働いている時には御守りのようにして僕の心奥にあります。
そんなモノを一人でも多くの
今の僕のスタッフさん達に感じ取ってもらえればいいなぁ、と。
受け取ってもらえればいいなぁ、と。
そんなことも毎日頑張っていたりします。
明かりは、また必ず灯せると思っています。



「師、曰く。またやってやろうぜ。」



です。
孔子も真っ青!?なのです(^^)



昔、この自社ビルは「小田ビル」なんて呼ばれてもいましたが......
決して「ラブ・ストーリーは突然に」だけで建ったビルではないのです。
けど。ね。
写真はその曲が入った小田和正さんのミリオンヒットアルバム
「Oh! Yeah!」
小田さんの活動は、
今もN社長のビルで苦楽を共にした仲間が支えています。

N社長は勿論、この会社の皆さんとお会いする時は、
僕は今でも、いつでも、どこまでいっても
「永遠にクソ生意気な若手社員」
となります。
本当は、僕らの世代や立場でしか話せないような、
見えないような事や、
故郷のみんなに話したいお土産話しの様なものも
沢山あったりはするのですが。
ソコは、やはり皆の期待は裏切れないので、
昔ながらの大人気ない傍若無人なキャラクターを
しっかりと演じきって!?おります。
それもまたよし、かと。(^^)ええ。ええ。
とても幸せなことです。

このブログのサブ・タイトルに嘘はありません。

いつの日か、愛する誰かが
アイツはこんな事考えて生きていたのか。。
と見つけてもらえたら。
僕は、いつも、そんな思いで書き記しています。


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子、いわく

2016-11-03 17:07:01 | サブ・タイトルの話
孔子の「論語」なる本に、
以下のような有名な一節があります。

「子曰、知之者不如好之者、好之者不如樂之者」

書き下すと......

「子いわく、
これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」

さらに、
現代語風に書き下せば......

「孔子は言いました。
コレを知る人も、コレを好む人には勝てない。
コレを好む人も、コレを楽しむ人には勝てない。」



以前、そんな論語の一節を理念として、
そのまま会社組織にした様な
理想郷的な音楽レーベルカンパニーがありました。
今はもう無いその会社は、大学生だった僕が憧れ、大好きだった会社。
チョイと荒くれていた!?僕のようなチッポケな男が
世間に出て最初に働かせてもらった故郷のような会社。場所。
このブログではこれまでも時折ちょぼちょぼ......
と記していたとも思いますが、
つい先日、そんな伝説の会社の!?
何十年ぶり!かの大同窓会があったので、
今日はそのパーティ会場で思い出していたことを、一つ、
書き記しておこうかと思います。



今回ちょっと記したくなったのは、
上に書いたような理念を持つ会社が建てた「自社ビル」のこと。
その自社ビルは経営が厳しくなって来た時に、
渋谷や札幌に持っていた大きなレコーディングスタジオと共に
どうしても売り払わざるをえなくなってしまったビルでしたが、
その後もいくつかの会社やオーナーの手の中を転々としながら、
今も変わらず、
建てられた時と同じ場所に、同じ様な姿で佇んでいます。



仕事は楽しくなければいけない。
楽しければ無理も無理とは感じない。
厳しいことも厳しいとは思わないし、乗り越えられる。
この会社ではそんな仕事をしよう。
寝食を忘れて没頭出来るようなことを頑張ろう。
頑張って結果を出している人にはとことん居やすく、
そうでない人にはトコトンいずらい、そんな会社にしよう。
だからこそ苦労を共にしている社員のみんなは
もう一つの家族の様であって欲しい。
そんな家族の集まる会社は
もう一つの家の様なものであって欲しい。



N社長のそんな理念を柱とする会社が建てた自社ビルは、
それをそのまま形にしたような建物でした。
地上3階、地下3階に等しい2階!建て。
居心地を考え、天井を高くしよう。
空調が最も大事。
働く仲間の顔が見えるよう、
フロアはなるべく仕切らないようにしよう。
違う階で働く人の顔も少しでも見えるように、
ガラス張りの吹き抜けの空間を広く取ろう。
最高の機材を揃えた録音スタジオも、
ライブも出来る大きなホールも。
バーカウンターをしつらえた広いレセプションロビーも作ろう。
泊まり込みになってしまう人の為に仮眠室も作ろう。

レコード会社が、
レコード会社の仕事のために本気で作ったビル。

ビルの外観は上質な漆喰の様な素材で覆われていて、
然りげ無い、ベージュがかった茶白色に輝いていました。
そんな外壁の所々には天然木材が美しく組み合わされていて。
洋風モダンでありながらドコカ「和」の風合いを併せ持ち。
メイン・エントランスに至っては、
そんな和風レトロモダンの大きな格子扉!になっていました。
格子扉の間口は車二台が並んで入れるくらい広くて大きく、
扉全体には、
設計者のきめ細やかなセンスを感じさせる上品なカーブがついていて。
そんな淡い「R」を描くエントランスの格子の向こう側に目をやれば、
地下階から空までビルのフロアを突き抜ける円形の中庭があり。
中庭には京都の祇園を思わせる様な雰囲気で、
竹やらなんやらの植木が空に向かいワサワサと茂っていました。
ビルの受付に辿り着くには、
そんな吹き抜けの中庭を玄関からぐるりと回り込むことになりますが、
受付にたどり着いた暁に、
真っ先に目に飛び込んでくるのはカワユイ受付のオネーさん......
でわなく!?
エントランスロビーのド真ん中にドン!と構える、
ナニカの映画で見たような?
天然木材を燃料にしたドデカイ暖炉さん!( ̄。 ̄;)
フロアのアチコチに置かれているソファーやチェアやテーブルは
全てアルフレックス。



どっから見ても.......



オ、オフィスビルに見えない......(・・;)



つーか、思えない。。



ほ、ホテル!?



りょ、料亭!?



に、2名様ですが。。



空いてます!?席.....( ̄▽ ̄;)



みたいな。



あちこちで
「クレイジーでバブリーなビルだな......」
なんてコトを山ほど言われたり、
色々な非難を浴びたりもしましたが、
中にいる僕ら社員は冒頭に記したN社長さんの思いや理念、
会社創立以来の夢も心底理解していたので、
皆の家のようなビルが......
新しい我が家のようなビルが......建った......
という気持ちで誇らしく思えていたと思います。
そうで無いとしても、
少なくとも僕はそう思っていました。



「サイコーにバカやんけ」



「やってくれたな。オヤジ」



「もっと頑張らなあかんな」



都心に今もあるそのビルの前を通りかかると、
今でも僕は危うくその中に入りたくなってしまいます。
昔、学生の頃に住んでいたアパートメントを久々に見た時の
感慨の様なものが胸に湧き上がってきたりもするのです。
普通、自分が働いている、いた、
会社なんてものは見るのも嫌なものですが......
とてもおかしな話です。



そんなビルと会社には沢山の思いと愛着とが僕にはあって。
そんなビルの向こう見ずなおバカさ加減を、
いつも圧倒的に上回ってしまいます。



冒頭に記したその会社の大同窓会には、
日本全国からは勿論、人によっては海外からも、
100何十人もの元社員が集まっていました。
都合が合わず来れなかった方々からも
ちゃんとメッセージなどが寄せられていて。
確か、当時の社員は200人ぐらいだったはずで......
無くなってから20年以上経つ会社の大同窓会にこれほどの人が集まるなんて、
こんな会社、他にどれくらいあるのだろうか?と。



とてもおかしな話です。



さて、そんな会社を象徴するビルが無くなってしまう日。
次のオーナーに建物を引き渡さなければいけない、
その最後の最後の日。
実は、僕は、
そのビルのオフィスに灯る最後の明かりを消させてもらいました。

誰もいなくなって、
しつらえのオフィスデスクやチェアなどの他には何もなくなった、
ガランとしたフロアに、最後までいた人の一人となりました。
それは仕事の都合上、偶然にもそうなってしまった訳でもあるのですが、
その時のことは今も鮮明に覚えています。



もはや、次のビルへの引っ越しも全て完了していて、
ダーーーーレもいなくなったそのビルのメインのワークフロアで、
僕はアルバムのジャケットを仕上げるべく、
エース女性デザイナーのちーさんと二人で

「あーでもねーこーでもねー......」

と、入稿締め切りとの戦いの作業をしていました。
レコーディング終わり後の作業。
時間は夜の11時を少し回ったぐらいだったでしょうか。
そこに、もうビルにはいないかと思っていたN社長と秘書のM子さんが、
プラリと、突然現れたのです。



「よぉ。( ̄ー ̄) uzmet。ちー。
今、部屋出たらさ、下に明かりがついてたから誰かと思ってさ。
お前ら、こんな日に、、まーだいたのか」



......つづく



僕が「このビルで全ての作業を完結させた」作品は、
これが最後だったと思います。
レーベルを移籍する直前だった斉藤和義さんのアルバム「Collection “B”」

「このアルバムだけは絶対に、
このビルとこのビルのスタッフだけで完成させてやる......」

その時、僕はそう思ってました。
なので、ブックレットクレジットの一番最後には、
想像できるN社長や、
今も敬愛してやまない先輩方の思いも込めて、
こんなふうに記しました。

—————We will keep Supporting you, Kazuyoshi!



今も僕の心に残る一枚です。


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