雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

意味論への入り口

2013-04-28 02:33:42 | 面白い
ジョン・レノン(John Lennon)が「LOVE」を歌う時。
「Love is real......」と歌う時。
それはマサに「愛」を歌っているのだと思います。

彼が「WOMAN」を歌う時。
「I love you now and forever......」と歌う時。
それは多分「愛情」を歌っているのだと僕には思えます。



言語学の中に
「semantics=セマンティクス=意味論」
という領域があります。



その研究範囲というのは何やらとても広いらしく、
言葉ソノモノの意味や語彙を研究する分野から、
数学における証明理論にまで及ぶ部分。
さらには、
言葉の用法における倫理観や方法論などを扱うような
「哲学的」な部分に至るまで、
とても幅広い研究領域を持った学問のようです。
1900年代の半ばから末期にかけて
「アルフレッド・コージブスキー(Alfred Korzybski)」さんや、
日系の偉大なる言語学者
「サミュエル・イチエ・ハヤカワ(Samuel Ichiye Hayakawa)」
さんが研究、確立させた
「一般意味論=general semantics」
などにしても、とても興味深く、面白い領域に思えます。
ただ、研究領域がかなり広い故に
少々複雑で小難しい部分もあったりして......
彼らの本を読んでみたりすると、

「わけわかんなーーいっ!?(T . T)」

......となったりするような事もしばしばで。
そんな中でも、僕なりに、素人的に、
そんな「意味論」の内の「語彙論」的部分をシンプルに記すとすれば、
それは......



「言葉は、その表す対象がある故に存在する」



ということでしょうか。
全くのシンプル。
もしかしたら、学問的には間違っている理解なのかも?
しれませんが、
複雑怪奇で多岐に渡る意味論を、
僕はシンプルにそんなふうに捉えています。



意味論的に言えば「愛」と「愛情」とは言葉が違うので、
この2つは、きっと
「違う意味を持った言葉」
であるハズです。
表す対象がソレゾレ違う為、
表したい事が違う為、
その違いをちゃんと表したいが為、
ソレゾレ別の言葉が生み出されて存在している......と、
そんな理解になります。



この2つの言葉が表そうとしている対象物は
「何らかの違いがある」
ということです。



言葉が「違って存在している」ということ自体、
ソレゾレの言葉が表したい「モノ」や「感情」が
ちゃんと別々に存在している......
ということの「証」にもなるのだと思います。



ジョン・レノンが「WOMAN」を歌う時。
「WOMAN」で「I love you now and forever......」と歌う時。
それは多分、世界に存在する全ての女性に捧ぐ
「愛情」を歌っているのではないのか......
と僕には思えるのです。
「愛情」というのは、多分、
注いだものと同じ量の見返りなどが無いと、
「愛」に付随している言葉の部分......「情」の部分......
が色々なものに変化してしまい。
時折、厄介なことになるリスクをはらんでいるような、
そんな感情に思えます。
それは、時に怒りだったり不安、悲しみ、
恨み、辛み、妬みや嫉妬など......
だから、この曲のアレンジや歌にもどこかそんな
「変化する部分=情=なさけ」的な優しさや暖かさ、
思いやりなども詰め込まれているように
僕には感じられるのです。

かたや、
冒頭に記したジョンレノンの名曲「LOVE」というのは、
きっとそのまま「愛そのもの」の歌なのかな......と、
僕にはそんなふうに響いて来るのです。
そこかしこに有りそうで、しかし、
もしかしたらこの世界で一番見つけづらく、
分かりづらいモノかもしれない。
だからアレンジや歌に込められている情感などにも
どこかそんな不確かさや曖昧さ、
切なさや寂しさなどが入り込んでいる曲のように
僕には感じられるのです。



「愛」というのは、多分、
その感情を注ぐ対象が何であれ、人間は勿論、
可愛いペット、野生動物、木々や草花、
さらには車やカメラ、時には珈琲カップやハンドバッグ、
アクセサリーや食べ物、川や山や空、
もしかしたら宇宙に至るまで、
存在する全てのモノに「無条件」に注ぐことが出来る、
一方通行でも成立させることが出来る、
そんな感情に思えます。
注いだ分量に見合う見返りが無くても、
その差異分が決して他のモノや感情に
変化してしまうことが無い感情に思えます。



変化をしてしまう余計な付属部分が無い感情ということです。



故に、くつけられる言葉も色々とあるワケで。
様々なモノモノと結びついて存在することも出来る......
という、そんな感情にも思えます。



「愛」は「愛情」とは似て非なるもの。



シンプルに言えば、愛とは
「親が子供に注ぐ無条件の感情」
といったような感じなのでしょうか。
それは、決して見返りなどは求めずに、
タダ一心に余計な「付属言葉」も「付属感情」も無く、
一方的に注ぐ事が出来るようなもの。
それ故に反応が見えないようなものにも......
上記もした物質的な「モノモノ」から自然物や地球そのもの......
と言ったようなものにまで等しく注げるのではないかと思います。



「LOVE」と「WOMAN」両曲で歌われている
「love=ラブ」という言葉は、
同じジョン レノンの言葉、曲であっても、
僕の中ではソレゾレ決定的に違う言葉であって、
曲でもあるのです。



日本語では表す意味の違いを持って
ソレゾレ個別に存在している「愛」と「愛情」という言葉も、
英語では「love」という単語しかなかったのでしょう。
だからジョン・レノンはどちらの曲にも、
その「love」を使うしかなかったのだと思います。
英語を始めとした西欧圏の言語というのは、
とても「記号的」な言語であって、
基本的には26文字のアルファベットの組み合わせで出来ています。
一方で日本語はひらがなだけでも46文字。
カタカナ46文字。
中国から輸入された漢字は常用だけでも1900以上。
さらにはアルファベットなども普通に取り込んでしまうような隙間や懐
感覚までも持ち合わせている言語。
他にも「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」......
「私」という表現一つとっても、英語では「I=アイ」。
日本語では私(わたし)、わたくし、
僕、俺、ワシ、オイラ、ウチ、あたい、小生......
それぞれに違った意味合いとニュアンスを持っているような
トンデモナイ言語だと思います。



もしかしたら日本語で表せないものはないのではないか......



「意味論」に照らし合わせて考えれば、
日本人というのはコレだけ多くの言葉を持っているくらい、
表現したい対象物をソレゾレの違いを持って認知や
認識出来ているのではないのかと。
それこそが豊かな感受性の証明になっているのではないのかと。
そんな気がします。
もしかしたら、
日本人は世界で一番多くのモノや存在等を
感じ取っている民族なのではないか.......
そんな考えや思いにも繋がっていくことなのではないのか、と、
時折思ったりなんかもします。
たまに歌詞などを書いたり、
こんなブログや楽曲や商品の宣伝文句やコピー等を考えたりする様な時には、
僕はツクヅク、心底、
「日本語というのは凄いんだなぁ......」
と感じてしまったりすることもあるのです。



なんだかダラダラ......と記して来てしまいましたが、
こんな会話をタマニ友人達とするような事があったりします。
つい最近も居酒屋で、よぱらーーい(# ̄ ▽. ̄#)......
ながら話していた事でもあるのですが、
その時はさらに深く突っ込んだ意味論的「愛」や
「愛情」「責任」の話しだったでしょうか。
男女間でよくありがちな「じゃんけんぽん!」的な
「モツレ」の話し。
この話しはまたいつか......
「つづく」な感じにしておこうかな。と。
今日は。
ええ。ええ。
明日はちと早いのだす......(´ρ`)ハゥゥゥ......
おやすみさまぁ。。



ジョン・レノン......( ̄○ ̄)さ( ̄◇ ̄)い( ̄o ̄)こ( ̄ー ̄)ノう♪


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GoGo!プレッツェル

2013-04-25 00:06:25 | 美味い
プレッツェルというと、
グリコの「プリッツ」をなにやら「∞」のように捻った感じの......
靴紐の結び目みたいなヘンテコな形で、
塩をちょこっとまぶしたようなスナック......
というイメージでした。
ポリポリと、映画などを見ながら
なんとは無しに食べる固めの焼き菓子というか、そんな感じ。
そんな「おこちゃまスナック菓子」の店なんぞに

「なんで?こんなに人が並んでんのさ!?(・_・)ン?」

と気になって。
チロッと覗いてみたのが
「Auntie Anne's=アンティ・アンズ」
さんとの最初の出会い。
アメリカのペンシルバニアからブレイクしていったプレッツェル屋さんでした。
なにを今更!?の有名店だとは思いますが、
覗いたお店の中からは何やらとて~も香ばしい、
良い香りが漂ってきていて。
思わず

「にゃふ~り。。。」

と入ってしまいました。
そこで初めて「アンティ・アンズ」さんのプレッツェルを食べたのですが......

「こ、こ、これわ......(◎_◎;)
......これもプレッツェルさんなのか!?
んんん!?!」

「や、やわ、やわらか~いでわないか。
お、お菓子でわ無いやんか、、」

「パンじゃないの?これ?
パンさんちゃうの?( ̄◇ ̄;)!?ぱん!」

「ねぇ、そうだろ!?
きっとそうだよね!
これ、パンだよね!?
そうだと、、、ねぇ!
そうだと言ってくれよぅ!パトラーーーーッシュぅぅ!」

という心の声。
そして、同時に巻き起こる

「は、初めましてぇ━━━━━━━(ノ゜ο゜)ノ━━━━━━━っ!」

という初心者代表、魂の叫び。
それからというもの、
僕は「ソフト・プレッツェル」のちょいファンになってしまい。
お家でDVDを見る時などに買い込んでみたりなんかしています。
アンティ・アンズさんは

「プレッツェルにも色々あるんだねぇ......」

ということを

B級マスターじゃ!

などと吠えていた僕に厳しく教え諭してくれたお店なのです。
特にお気に入りなのが基本中の基本である、
この「オリジナル」なるものと......



それに「クリームチーズ」をつけて食べるパターン。
( ̄ー ̄)うふうふ。
クリームチーズは店頭にある時とない時があるので残念無念の時もありますが、
下の写真は、そのチーズ・ディップがある時にお持ち帰りにしたもの。
小さな白いカップ君が、そやつ
「クリームチーズ・ディップ¥100!」
なるものでございます。



さらにこの「レモネード」と一緒に食べるのが
ご機嫌なのでございます。( ̄▽ ̄)うふうふ。



僕はフレッシュ・レモネードは「ソーダ」の方を好んでいるのでございます。
そして、ハズセナイ!
のがソーセージを巻いてオイリーに揚げてある
「プレッツェル・ドッグ」



コイツにもクリームチーズが抜群に合うのでございます。( ̄∇+ ̄)vキラーン
たぷーーり♪とつけて召し上がればドハマリでドフトリの逸品♫
あなたも憧れのアメリカン・ボディーが手に入ります。

最近は「Wetzels Pretzels=ウェッツェル・プレッツェル」 という
カリフォルニア発のソフト・プレッツェルのお店も
日本に進出して来ているらしく。
とても人気があると聞いているのですが、ソレはまだ食べた事が無く。
B級調査委員会としたら、
そろそろパトロールに出かけないといけないと思っておりますのです。
はい。

つい先週も某アーティストが子供を連れて
おポ◯シェなんぞで近所に遊びに来ていたので、
アンティのプレッツェルを必要以上に買い込んで、
ヤツの子供(♀)と共同戦線をはって、
綺麗な車内を

「これでもかーーっ!!」

と、メタクタに食い散らかしてやりましたわ!
┌( ̄0 ̄)┐ワーッハッハッ!



その時の、
我ら「食い散らかしタッグチーム」の様子はこんなイメージか!?
やっちゃえー!GoGo!


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がんだるふ 2

2013-04-22 00:05:10 | 不思議
—————このお話、も少しあるので......「続く」かな。。
お気に入りのビールでも飲みつつ、
ユターリとお待ちいただきたくうぅーー!(><)
何卒!




「爺ちゃんに相談て言うのはさ、実はココからなんだけど......
......なんか俺、
その松の木の龍神さんとか背負って来たりしてないかな?
変な話しなんだけど、なんかそんな気がしてしょうがないんだ......
すげーー強い!?龍さんがついている様な?
なんかさ、そんな感じがして......爺ちゃんに見て欲しかったの。
間違いかもしれないけど、どうかな?
やっぱりそんな感じ?後ろ、龍さんいる???どう?」



「......RURUな。確かに背負ってるよ。憑いてるよ。。」



「w( ̄Д ̄;)wワオッ!!やっぱり!? 
凄くない?強力でしょう?その龍さん!?違う?
なんかスゲー気がすんの!!」



「。。。」



「え?違う?
綺麗に掃除もしたからさ、もしかしたらそのせいかと思って......
違うかな?」



「。。。」



「な、何???ち、ちがうの??」



「RURU。。ダメだ。。」



「ふぇ!?(◎_◎;) 」



「お前背負ってるのな、龍さんじゃなくて、、、狐さんだ。
確かにつよぉーーい、とても強い狐さんじゃ。
それも、めちゃくちゃ怒ってるぞ。
言いたい事があるらしい。怒ってるぞ。。」



「えぇ!?工エエェ(゜〇゜ ;)ェエエ工ーーーーーーぇ???
どして?なんで??
龍さんじゃないのぉーーっ!?!?
えええええーーーーーっ!???」



「あのな、良く聞け。RURU。
あのな、お前の入ったとこな、確かに龍さんがいる。
松の木にいる。
だけどな、それはな、
もうお前なんかマッタク想像もつかない様な、な、
まったく違う次元にいる神様だから。
その龍さんは蒼くて、本当に凄い龍神さんだから。
おまえなんか目に入ってないよ。まったく。
それでな、龍さんはな、
ちゃんとあっこに意味があっていてるんだよ。
強く護ってるものがあるんだよ。

......それは、扉、、、かな。
アチラの世界への扉があるんだな。きっと。そこは。

それとな、
今お前がしょってるモノとはな、全く違う。
それはな、あの龍さんと一緒にその林を護ってる大きな狐さんだよ。
お前が見たという台座はな、、昔お稲荷さんがあったところや。。
お前はな、そのお稲荷さんがジッと護っていた場所に
土足で入ってしまったんだよ......」



「ええ??、、ぜっ、絶句、、、( ̄□ ̄;)、、」



「そのな、お前の後ろの稲荷さんな、
正神の使いの稲荷さんだから、、とても強いで、本当に。
大変だ。。
でもな、言いたい事があるから聞いて欲しいんだ。
ええか?RURU」



「は、はい。はい。。r( ̄_ ̄;)。」



「RURUな、あそこの土地はな、
今、町の緑が開発でドンドン無くなってるだろ?
その開発で無くなっていった緑の大地に住んでいた
沢山の木々や草花の精霊さん達がな、
居場所が無くなってしまってな。それでな、、、
あの林があの辺では唯一残された、
人の手がマッタク入っていない自然のままの林でな。
そこに皆で集まって、寄り添って住んでらっしゃるんだよ。
RURUはな、そこに足を踏み入れてしまったんだよ。
分かるか?
コノ意味がわかるか?」



「(* ̄□ ̄*;。。。」



「......狐さんはな、こう言っとるぞ。
お前は掃除したからいい気持ちでいるようだが、それは違う。
お前の掃除は我らの地を掃除することによって
何かいい事があるやも知れぬ、
そういう気持ちで掃除をしている。
それは自己満足であり、それこそ偽善だ。
そんな掃除などいらぬ。

あの地は確かに普通の人から見たらタダの林だ。
木は木にしか見えない。
それがお前にはちゃんと違って感じられるのだろうが、
だからといってコノ地に立ち入るのは何も分かっていないことと一緒だ。

しかもお前はその靴で入った。

古来、人々は我らの地には裸足で入り来ていたのだ。
何故だかわかるか?
お前が掃除と称して踏み出したその靴の下で
どれだけの小さな生き物達が踏みつぶされ命を失っていると思うのだ?
わかるか?
お前のその踏み出した一歩でコノ地の生命の連鎖が微妙に変ってしまうのだ。

その微妙な変化は、その先の虫達や小動物、大きな動物から草木、
あの松に至るまで、全てに大きな変化をもたらす事になるのだ。
それは自然のままに回っていた生命の循環を乱すことになるのだ。

もし、お前が太古の人々の様に裸足で踏み出せば、
その事の重みが、
お前の足の裏の感覚を通して少しはわかるであろう。
しかし、その厚い底がついた現代の靴では、
そんな命の重みを感じる事など出来まい。
分かるはずなど無い。

よいか、
神の前で、神の為と言いながら己の為に掃除をしていて、
その踏み出す一歩一歩の靴の下で、
その神が護り通しきている自然の息吹と循環とを、
お前は乱してしまっているのだ。
壊しているのだ」



「......す、すいません。。
ぼ、僕は、、
その貴重で綺麗な所が汚されてしまっているのを何とかしたい、、
とも思いまして、、」



「よいか。
お前が踏み入ったあの地は、
人々が己の思うままに開発をしているこの地に、
元々住んでいた多くの生き物や精霊たちにとって、
最後に残された、人の手が入っていない、
ありのままの自然の姿が残る地なのだ。
貴重で大切な地なのだ。

それでも人々はこれからも土地の開発をやめないであろう。
それをお前の力で止められるのか?
お前が我らの地を護る事が本当に出来るのか?

出来まい。
それが出来ないお前が、我らの地を本当に護りたい、
大切にしたいというのであれば、
お前の力ではどうとも出来ないあの地でお前が出来る事はタダ一つだ。

何もしないことだ。
一切の余計な関わりをしないことだ。
ほっとくことだ。ほっとくのだ。

お前は黄色い棒も片付けたという。
しかし、あの棒が投げ込まれようと、なんだろうと、
そのままにしておくことだ。
その棒を片付けようと歩き回る
お前の靴の下で失われる命の方がはるかに大きな損失なのだ。
わからんのか。

我々は覚悟と意味を持ってあの地を護っている。
やがてあの地も失われるやも知れぬ。
しかし、それでも我々は護るのだ。

お前がそれを助けられるというのであれば、この話しは無い。
だが、そうでない限り、ほっておくのだ。
関わるでない。

お前は、お前の力の及ぶ範囲で出来る事を精一杯やっているのか?
本当に我々や自然の為に何かをしたいというのであれば、
その自分の力の及ぶ範囲でゴミを捨てない、出さない、
減らす、無くす、片付ける、綺麗にする。
お前に出来る事は沢山あるであろう。
それをしっかりやる事だ。
そちらが先のことだ。
それも出来ていない様なものが
我らの地を護ろうなどというのは大きな間違いだ。
我らの地はほっておいて、己に出来る事を精一杯やるのだ」



「(´_`。)グスン、、ご、ごめんなさい。。」



お爺さんによると、
RURUさんはその時涙ぐんでいたそうです。
後ろにいた狐さんは、その後、
RURUさんが狐さんの話しを「心から」理解した時にスッ......と消えて、
その身を削って護っている貴重な原生林の中に戻って行ったそうです。



「あっ!(゜o゜;) 、、い、いま、いなくなったよね? 
ね?爺さん?」



「うむうむ。今帰って行ったぞ。
お前、今、、ちゃんと理解したようだの。
あのな、お前は好奇心が強すぎる。
好奇心も程々に、と、そうも言っておったぞ」



その日、
ガンダルフのようなお爺さんから僕が聞いたお話しはこんなお話でした。
以前記したコノ記事に少し似ているところもあるかもしれませんが、
なんだか不思議で。
人によっては信じがたく、よっぱらぁーーい!?
的な話しにも思えるかもしれません......が、
僕は、聞いていて......何だか自分が叱られているようで、
お爺さんは自分の為にお話をしてくれているようで......
そんな感じで聞いていました。
そして、あらためてこんな風にも思いました。



—————世界というのは、
本当に深くて、広くて、深遠なるものなんだな。



—————まだまだ、
学ばなければいけない事ばかりなんだな、と。



考え事をする時に良く行く川沿いのお気に入りの場所。
今僕が住んでいるこの街も、
どことなくお爺さんの住む町と似ている所があるような気がします。
駅前の再開発工事ももうかれこれ5年以上も続いてます......



今一度、
自分が住む......住まわせてもらっている......
コノ地に深い感謝を捧げようと思います。


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がんだるふ

2013-04-19 01:04:52 | 不思議
つい先日、ひょんなことで、
関東平野の端の方にある小さな街に住むお爺さんと
お話をする機会がありました。
お爺さんは、ちょうど映画「ハリーポッター」に出て来る
「ガンダルフ」さんが髪をスポーツ刈りにしたような風貌。
真っ白い長い顎ヒゲに、真っ白い短髪と長い眉毛をしていて、
一見すると短髪の神様!?みたいな感じ。
「ナンダカ真っ白い人やな(・_・; ......」
というイメージ。
お会いすると、
ちょっと不思議な雰囲気を醸し出しているような人です。



そのお爺さんが僕にちょっと面白いお話をしてくれました。



不思議小話?にもなるので、
話半分の酔っぱらいトークレベルで受けとめてもらえればと(^.^)



お爺さんの住んでいる街は、
まだ「村」が少し大きくなった感じの小さな「町」だそうです。
それほど遠く無い所に見える山々の姿はとても美しく、
町の真ん中には澄んだ水が集まる綺麗な川も流れていて。
その川の周りには田畑が一面に広がっているような所。
お爺さんはその川のことがとても好きだと言っていました。

そのお爺さんの好きな川の土手には色々な草木が生い茂っていて、
町のアチコチにも色濃い緑の木々が沢山ある感じだそうです。

車の走る道もどの道もとても広く、
スーパーマーケットなどはトテモ広い駐車場の中にドーン!と、
大きな平屋で建っている様な感じ。

ただ最近は、
そんなコジンマリとしていた町にも色々な事情で
多くの人々が移り住んで来ていて。
マンションやらデパートやら、
コンビニエンス・ストアやら病院やら学校やら......
建物も急激に増えてきている状況だそうで。
昔からある心地良い緑の林などがドンドン......と、
開発などで急激に、
目に見えて減っていってるそうです。



お爺さんは、たまに、
そんな町の変化をちょっと寂しい想いで眺めているそうです。



その町には皆から「RURU=ルル」と呼ばれている
二十歳ぐらいの若いお兄さんがいて、
お爺さんの家の直ぐ裏に住んでいるのだそうです。
お爺さんとRURUさんとは、
RURUさんが子供の頃から互いに家族ぐるみのお付き合いをしていて。
そんなRURUさんは、お爺さんにとっては、
まるで本当の孫の様に可愛がってきた人でもあるそうです。

そのRURUさんがつい最近、
お爺さんに不思議な相談をしに来たのだそうです。

聞けば、なんでも、
お爺さんはご近所でも有名な「不思議さん」のようで。
普通では見えないようなものが色々と見えたり。
近所の人達に不思議な出来事があったりすると、
相談にのってあげたりするような事も良くある......という事でした。
勿論RURUさんは小さな頃からそんなお爺さんの事はよく知っていて、
今迄も色々な四方山話しをして来たそうです。



「......なるほど。
このお爺さんが身に纏っている
ナントナク不思議な空気感というのはそのせいか?」



と、その話を聞いた僕は思いつつ、
何やらとても面白そうな話しの予感もして来たので、



「フムフム......」



と、そのまま僕はお爺さんのお話に耳を傾けていました。
RURUさんは近所に住む、
そんな「不思議お爺さん」の影響もあって?なのか、
不思議な世界を「それなりに」信じていて。
信心深く、神社仏閣などもとても好きな人でもあり、
特に神様のことがとても好きなのだそうです。



「......爺さん。あのね、俺さ、
ずっと気になっている場所があってね。
◯◯◯ってとこ。
あの低い生け垣に囲まれている狭い林。知ってるっしょ?
あそこさ、
その狭い林の中にトテモ大きな松の木が二本たってるじゃん。
古い松。昔からある感じの。
あれさ、俺、
昔からなんだかとても気になっていてさ......ナントナク......
実は ‘‘龍神’’ さんに見えるんだよね......違う?かな?」



「ふーーーむ。。」



「......まぁいいや。
でね、今日ね。傍を通りかかってね。
思い切ってさ、そのズット気になってた、
囲まれている垣根の中に入ってみようかと思ったの。
で、よく見てみたらさ、
林の周りを囲んでる生け垣が真ん中辺りで
一カ所だけ途切れて開いている所があったんだよ。
そこから林の中に入れる感じだったんだ。
その松の真下の所まで。
それで俺、そこから中に入って、
入ってすぐ左に曲がった先にある、
気になってた松の木の根元まで行ってみたんだ......」



「。。それはなぁ。。。」



「......?なんか変?やっぱり?」



「ふーーー、、む。。」



「うーーんと......まぁいいや。
それでね、俺、行ってみてさ。
やっぱりその松本当に凄い!
と思ったんだよ!
とても衝撃的に!
その林の中一帯がとても不思議な空気感でさ。
イワユル、パワースポット!?という感じとも少し違うって感じで。
なんか、こう、不思議としか言えない様な空間。

でも、ナントナクとても神聖な気がしてさ。
礼をして、手を合わせて、松から離れて、
入って来た入口に戻って帰ろうと思ったの。
そしたらさ、その入口の所に戻ったら、
松の木のある方とは反対側の奥に何かが?
あるような気がして来てさ。
入口を出ないで通り過ぎて、
松の木とは反対側の奥の方にも行ってみたんだよ。

そしたらさ......

そしたら、本当にビックリ!したんだけどね.......

林の奥にね、
昔、社(やしろ)があったような古い石垣の台座が!
あったんだよ!

その台座の前にもさ、
もしかしたら神社の狛犬?
とかが載っていた様な左右対称の同じ様な石造りの台座もあったんだよ。
マジ!
凄いパワーとさ、何か凄い感じがあってさ。
それ、明らかに昔何かが祀られていたような跡なんだよ!」



「ああ、、、それか、、、」



「?何??やっぱり?
なんかついて来ちゃってるかな?
もしかして?」



「......」



「......俺さ、そこでね、その小さな狭い林が、
更にとても神聖な場所のような気がして来てさ。
その社跡(やしろあと)の前でも両手を合わせて、礼をして、
もうそこを出ようと思って、
また入り口の方に戻っていったんだ。
でもね、なんかとても神聖な気がしていたから、その途中で、
なんだかその林の中に紛れ込んでる紙のチラシやゴミやらが
やたら目についちゃってさ。
それを綺麗に拾って。
工事用の黄色いバーみたいなものも転がってたりしたから、
それも隅に片してね。
ちょっとした掃除もして出て来たんだよ」



「うーーーーーんんん。。」



「爺ちゃんに相談て言うのはさ、
実はココからなんだけど......」



—————このお話、も少しあるので......「続く」かな。。
お気に入りのビールでも飲みつつ、
ユターリとお待ちいただきたくうぅーー!(><)
何卒!




タイ土産でもらったお気に入りビールの「Chang=チャーン」
「チャーン」とはタイ語で「象」さんの事だそうです。
タイのビールでは一番好きかも。(= ̄▽ ̄=)♪♪イエーイ!


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木花咲耶姫 2

2013-04-16 00:02:50 | 美味い...パワスポ寺社
さて、お腹も満たされたところで、
時刻はまだまだお昼の12時を少し回った頃。
彼女をもう少し元気づける為、
外すコトの出来ない

「ボケッと!珈琲ターイム!」

を満喫しようと、神社から一路、
よく立ち寄るお気に入りのカフェさんを目指して出発です。
気持ちの良い朝霧高原を抜けて、
帰りの高速インターにも近い河口湖方面に向けて車を走らせま~すっ!
つづく~(^^)/




「富士山本宮浅間大社=ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ」
の主祭神
「木花咲耶姫=木花之佐久夜毘売=コノハナサクヤヒメ」
さんにしっかりと御挨拶をして、
名残を惜しみつつ、
すぐ傍を通る国道139号線......通称「富士パノラマライン」にのります。
そこからは、
右手間近に雄大な富士山をずーーーっと見ながらの心地よいドライブ。
30分もするとこんな、思わず寄りたくなってしまう
「道の駅 朝霧高原」
が見えて来ます。



ここで売られている、
絞りたての牛乳で作られたソフトクリームはとても美味しく。
それをチロリと味わったらまた出発。
ホンの少し先には富士五湖の一つ「本栖湖=もとすこ」に入る道があり。
そこをチョット入って湖畔の道端に車を停めると、
こんな富士山が見れます。(^^)



以前、この記事でも載せた写真ですが、
この日もこんな素晴らしい景色でした。
本栖湖の富士対岸から見るこの富士山の景色には、
裾野に原生林の樹海が広がる方角でもあるからなのか
僕はいつも何とも言えない独特の「神秘」さを感じます。

本栖湖というのは富士五湖の中でも
精進湖や西湖の様にどことなく「陰」という感覚でもなく。
かといって河口湖や山中湖の様な明るい「陽」の気というわけでもなくて。
それは「神秘的」という言葉が一番しっくり来る様な気がします。
そんな神秘さを湛える深い青色をした湖越しに眺める富士山も、同様に、
何故かとても神秘的なオーラを纏っているように見える気が......
してしまいます。

見る方向や角度や天気、
季節や時間によってありとあらゆる姿を見せる富士山。
タダ単に美しい、高い、雄大というだけではなく、
その本質には、
相対する深遠な「厳しさ」と「鋭さ」を内包している様に思えます。
だからこそ、それを「神秘的」と感じられるのか......
この本栖湖からの風景には、
そんな富士山の奥底に潜んでいる部分を一番強く感じられる様な気がします。

彼女はここの雰囲気がカナリ気に入った様子で。
パシパシと沢山の写真を撮っていました(^_^)

そんな神秘的な空気と景色にひとしきり浸った後、
僕らは再度クルマに乗り込み。
青木ヶ原原生林のハジっこを30分ほど走ります。
時刻は1時過ぎ。
富士山本宮浅間大社からは1時間程度で、河口湖の湖畔、
「北原ミュージアム」傍にあるお気に入りのカフェ
「ハッピー・デイズ・カフェ」に到着します。



ここは......何が美味しいという事ではないのですが......
このカフェがある一帯がなんだかとても気持ちよく。
いわゆる「気」が良い土地!?
なのではないかという感じがしていて。
タダ此処にいるだけで妙に落ち着き、
心身が元気になる様な感じがしてしまうのです。
不思議。
湖に向かうテラス席は勿論、
店内の席からも河口湖が見渡すことができ。
ココで珈琲とともに過ごす時間は本当に大好きなのです。
そして、ひとしきり、
そんなカフェでひとしきりユッタリしたら、
折角なので富士山の見える温泉にでも寄って帰ろうか?と。
そんな話しとなります。
で、僕らは、カフェまで辿って来た道を少しだけ戻り。
「鳴沢」という地区にある立ち寄り温泉
「富士眺望の湯 ゆらり」に寄ることにしました。
ここーっす。。(^^)



お風呂からの景色はこんな感じ。
サイコー♪



五右衛門風呂からもー。
ひとりじめぇー( ̄∇ ̄)さいこー♬



そんなお湯をユッタリと楽しんだ後、
僕らは広い畳の休憩所で待ち合せて、
じゃぁ、ソロソロ本格的に帰りましょうかね......と、
その総仕上げに!
甲府名物の「ほうとう」でも食べてから帰ろうか!
などとなったりして。

はいー。(^^)
コレはもうフルコース!ってヤツですのな。

「ゆらり」の近くにあるお気に入りのほうとう屋さんというと、
結構あるにはあるのですが、
インターチェンジにも近く、
一般的にも有名なところとなると、おそらくココ。
「ほうとう不動」東恋路店。



コレも少し前に行った時の写真ですが、
このお店を一躍有名にした、
あまりに異質で斬新な雲を思わせる建物は世界的にも有名。
建築家「保坂猛=ほさかたけし」さんの代表作でもあります。
中はこーーんな感じ。オサレ!(><)



「ほうとう」はこれぇーー。
しっかり美味しいですぅー(^^)



ちなみに男性トイレの空間構造、デザインは面白いっす。
何としても手を洗いに!行きたくなる空間。
そして、そんなほうとう屋さんを夕方4時過ぎぐらいには出立し。
東京まではもう、一直線に帰るだけ。
都心には夕方6時ぐらいには着いてしまいます。
勿論、こんな何かとフルコース!?
のメニューでなければもっと早く帰れます。



日も落ちて、
多くの人で溢れかえる東京、吉祥寺駅のほど近く。
一日一緒に過ごしてくれた彼女を送って行って、そこで、
彼女は車から降りて......
僕は声をかけます。



「さんきゅー!楽しかった。どもども (゜ー゜) 」

「うん。。なんだか、、、とっても元気になりました!
ありがとうございます。また!です!」



そう言って笑った彼女の顔は......
どことなくコノハナサクヤヒメさんのようでした。
きっとまた彼女は、
彼女が愛してやまない大好きな美しい南の島に......
帰るのでしょう(^_^)


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木花咲耶姫

2013-04-13 00:57:35 | 美味い...パワスポ寺社
美しい海に囲まれた、
遠い南の島に住んでいる友人が
3年ぶりぐらいに東京に帰って来ていました。
旧知の女性友達なのですが、
このところ大変な事が色々と重なっていたようで。
少しの間島を離れたいと思い、
期間はハッキリ決めずに帰京しているようでした。



「そーーかぁーーー。。
じゃぁ、気晴らしに、
島ではなかなか味わえない感じのドライブにでも行くか?
元気が出るかどうかは分からないけど、、ん?」



......ということで、つい先日、
「超個人的!温泉&美味しいドライブベストテン!ご近所編!」
のメニューから彼女が直感で
「トテモ気になる!」
と 選んだ
「コノハナサクヤヒメと富士宮焼きそばの旅」
にお出掛けする事とあいなりました。
とても彼女らしいセレクトです。(^^)



当日。
僕のドライブでは最早お約束となっている早起きさん!を敢行。
朝8時に待ち合せ。
有難いことに天気の方はなんだかとても良い感じで、
絵に描いたようなドライブ日和。
気持ちよく、
そのままブイッと東名高速「世田谷インター」に乗り込みました。
いつもなら、
途中「足柄サービスエリア」で雄大な富士山を眺めながら

「朝の珈琲タイムを満喫ぅー!」

......なんて流れになるのですが、
この日は道が余りにスイスイの空き空きさんだったので、
そのままSAはスルーして、
一気に走って一時間半ぐらい後にはもうお目当てのインター、
静岡県富士宮市「新富士インターチェンジ」を降りていました。

インターを降りて二十分も走れば市内中心部。
先ずは第一の目的地、僕の大好きな神社の一つ
「富士山本宮浅間大社=ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ」
に到着です。時刻は未だ10時ぐらい。
神社も空き空きです。(^^)

ここの主祭神は富士山の頂上に祀られる、
富士山ソノモノともされる女神様
「木花咲耶姫=木花之佐久夜毘売=コノハナサクヤヒメ」さん。
花が咲いてしまうくらいの!?
咲き誇る花のような美しさ!?
と言われるような女神様。
全国で1300社以上もある「浅間神社」の総本社でもあり、
タレントさんやモデルさん、
女優さん達の間でも密に名を馳せている神社さんでもあります。
富士山が綺麗なのもこの女神様のおかげか!?
最初に迎えてくれる神社の鳥居はこーーーんな感じ。
直ぐ後ろには間近に富士山......コノハナ姫さんがドーーン!
と控えてます。
いつ来てもお美しい......



そこから伸びる参道や境内に佇む木々も、
社殿も山門も女性的で繊細な美しさ。
気品と高貴さも感じられる神社です。





楽しい一日になりますように、と、
彼女がまた元気に島に戻れますように、と、
本殿でご挨拶と感謝も込めたお祈り。
その後は本殿横の門を出て、本殿裏手にある摂社、
菅原道真=天神様を祀る「菅原社」にもご挨拶。
ココは.......
後ろの森のパワーがヤバすぎます!(><)にゃーーっ!



そして、ここのすぐ横には、
富士山が長い年月をかけて濾過した水が
「これでもか!」
と湧き出る名水!ということで有名な
特別天然記念物「湧玉池=わくたまいけ」があります。
澄み切った名水が神社の東方をぐるりと取り囲んでいます。





神社から湧き出るこの名水は、
近所、遠方に関わらず、
汲みに来る人が毎日絶えないので、
池の片隅にはさりげなく整備されたこんな水汲み場もあります。



湧玉池の中には稲荷さんの社や厳島神社さんも佇んでいます。
厳島神社に祀られているのは勿論!
「市杵島姫=イチキシマヒメ=弁天様」です。
ここはマサに
「清らかさ極まる!」
という感覚の場所。
気持ち良いことこの上ない杜(やしろ)。
社を取り囲む池と、
そこから流れ出る川には大きなニジマスさんや



カモさん達も沢山住んでいて、
彼らのゆったりと暮らす姿を眺めながら池を散策出来ます。
真っ白いアヒルさんも弁天様の社の元でくつろいでたりします。
ココもこの神社のマストスポットです(^^)



ひとしきり池で心地よく過ごした後は、
もう一度本殿に戻り

「ありがとうでございます!また来ます!」

などとコノハナさんに挨拶をして、
元来た参道をテケテケ......と帰途につきます。
時刻はちょうど11時過ぎたぐらい。
早起きですからお腹もグーグー......と鳴り出す頃。
そこで!
先程の鳥居の袂に軒を構える
「ここずらよ」さんでユターリと一休み、

「富士宮焼きそばタ~イム!」

となるわけでぇ~すっ♪( ´▽`)



この「ところてん」や
「味噌おでん」なんかもたのんじゃったりして。
ムフムフ。



とても美味しいのです。B級の幸せ~ぇぇヽ(´▽`)ノワーイ♪
全国B級グルメの祭典「B–1グランプリ」を2連覇!
したことで、最早、B級の「殿堂入り!」
を果たしたとすら言える「富士宮焼きそば」は、
ココ以外にも美味しいお店は市内に沢山あるのですが、
この神社参道にお茶屋然として佇む
「ここずらよ」さんも全然問題無く。
いや、むしろ十分美味しい焼きそば屋さんではないかと。
お店の軒下に並ぶ「青空テーブル」では、
最初に載せた写真の様な、
鳥居越しの富士山を眺めながらの食事が堪能できる......
というのが一番の魅力でもあります。

さて。さて。
お腹も満たされたところで、
時刻はまだまだお昼の12時を少し回った頃。
彼女をもう少し元気づける為、
外すコトの出来ない

「ボケッと!珈琲ターイム!」

を満喫しようと、神社から一路、
よく立ち寄るお気に入りのカフェさんを目指して出発です。
気持ちの良い朝霧高原を抜けて、
帰りの高速インターにも近い河口湖方面に向けて車を走らせま~すっ!
つづく~(^^)/


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( ̄△ ̄)ちーーーん。。

2013-04-10 00:06:03 | 嬉しい
長年一緒に暮らしているブルーの愛車ちゃん。
先日、そのリモコン・キーの「ロック」が
突然かからなくなってしまいまちた......
 
 
 
「はわわ!?( ̄△ ̄;)何ゆえ?」
 
 
 
試しにサブ・キーの方でやっても全く同じ症状で、
オープンの方はちゃんと反応してくれるのに、
ロックの方の反応が全くありません。
 
 
 
「こりゃ入院だね、、」
 
 
 
ということで、数日はお仕事でイソイソしていたので、
そのままガレージに放置プレイにしてやった後、
お休みの日になったので、
いよいよ近所の病院に連れて行ってあげなきゃ、、、と、
シートに座りキーをスタートさせたところ......
今度は「ウンともスンとも」言いません。。
 
 
 
「なっ!?なにおーーっつ!?∑( ̄Д ̄;)ナンジャコリャ!!」
 
 
 
くすぐっても、息を吹きかけても、
全く何の反応も示さなくなった愛車ちゃん。
 
 
 
「にょにょにょ!?(・・;)更なるトラブル!?もしかして?」
 
 
 
......ってコトで、恐らくは、
この状況はバッテーリーが完全にアガッテしまっている感じ。。
とりあえず外の電源からブースター・ケーブルを繋いで
「ブブーーン!」
と、応急処置でエンジンを再スタートさせ。
しばしの間バッテーリーの充電をしつつ、
エンジンを止めるとまたかからなくなってしまうのがちょっと怖いので、
そのまま当初の予定通り、近所の病院......
カー・ディーラーさんにコロコロと乗りつけました。
そこは、歩いても自宅から10分くらいのところにある、
いつも何かとお世話になっている馴染みのディーラーさん。
到着すると
「どもども。。」
と、いつものエンジニアさんがニコニコと出て来てくれて。僕は
「カクカクシカジカ......」
と、ココ数日に起きたコトの詳細を説明しました。
 
 
 
「フムフム。。。バッテリーとキーのロックですかぁ。。」
 
「そーなんスよ。。
多分、バッテリーは新しくて強力なヤツを載せてるので、
そっちはルームランプの消し忘れっぽい感じだと思ってるんですけど、
キーの方がカナーリ心配なんスよねーー。。
メインキーでもサブキーでも同じ症状が出るって、、
キーというより、ちょっと本体のセンサーとか、
そっちの方になんかトラブルがある気がして。。」
 
「なるほどー。。」
 
「どーっすかね?」
 
「......そうですね、、うーーん、、、やっぱりロック出来ませんね、、
コレ確かに本体の問題かもしれませんので、
電子部品なので調べるのにちょっと時間がかかりますけど......
しばらく車預かってもいいですか?」
 
「もちろんす!入院させますよって、
なんとか可愛い我が子を頼みまする...(´ω`)...」
 
「了解しました。見積もりどうします?」
 
「細かいところが分かってからでいいっス。。
ちなみに......
センサーとかそういう感じだったら結構 “¥” かかります?」
 
「そーですねぇーー、、、
けっこう ――――――― カカリマス(・_・)キッパリ$キッチリ」
 
「ら、、らりるれろ、、(¥。¥)。。」
 
 
 
そんなこんなで、
スポーツカーな愛車ちゃんはしばらく入院する事とあいなりました。
 
 
 
翌日、一度ディーラーさんから電話がかかって来ましたが、
やはりバッテリーの方は問題は無かったようで、でも、
キーロックが出来ないという問題の方は未だまったく原因が分からないらしく。
エンジニアさん曰く、
「更に細かくセンサーや車全体の電気系統を調べています、、」
との事。
 
 
 
「も、もしかして!?
かなりマネーかかるんとちゃうーーーーんん!? ヒィィィ!(゜Д゜||)」
 
 
 
そんな不安な気持ちでもう一日が過ぎ、
お仕事中に携帯電話が「ぷるぷるりーーーん♪」と鳴りました......
 
 
 
「あっ!ディーラーさんだ!
やばいなぁ、、ケッコウな手術にでもなるのかなぁ、、、」
 
 
 
と、ビビりながら電話をとると......
 
 
 
「どもども。uzmetさん。あちきです。はい。
原因やっと分かりましたよ!キーロックの!」
 
「あっ!?、やっぱり、、そののの。。。電気系統とかですか?。。。」
 
「いやいや、、私達もまったくウッカリしていまして。。。」
 
「はぁ。。」
 
「タダのトランクの閉め忘れでした!どこも悪くありません!」
 
 
 
「 ( ̄△ ̄)ちーーーーん。。」
 
 
 
つーことで、故障していたのは僕の頭でちた!
トランクの閉め忘れにはご注意おお!
キー・ロックも出来ず、バッテリーもアガリます......[岩陰]_・。)チラッ
 
 
ケッコウ調べたのに。。。(TωT)ウルウル
良かったけど。。
 
 
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ZERO & 1900

2013-04-07 00:03:13 | 勇気...映画/音楽
1900年を迎えたばかりのある日。
アメリカ大陸とヨーロッパを結ぶ大型蒸気客船
「バージニアン号」のパーティールームにあるグランドピアノの上に、
生まれたばかりの赤ちゃんが一人、
レモンの木箱に入れられ、捨て置かれていました。
その子を拾ったのは、
バージニアン号の機関室で毎日、毎日、
全身を石炭と油で真っ黒にしながら、
ただひたすらに蒸気機関を燃焼させる重労働をしている
大柄な黒人乗り組員。
彼はその赤ちゃんを自分の子として、
船の上で働きながら育てていく決心をします。
その黒人機関員の名前は「ダニー・ブードマン」
赤ちゃんが入っていたレモンの木箱に書かれていた商品名は
「T.D.レモン」
ダニー・ブードマンが自分の分身として赤ちゃんに付けた名前は......



「ダニー・ブードマン・T.D.レモン・1900」

「ダニー・ブードマン・T.D.レモン・ナインティーン・ハンドレッド」

「このくそったれな新世紀の最初の年の、
最初の月に見つけた子なんだ!
だから名前は、、1900!
ナインティーン・ハンドレッドだ!」



機関室の中でダニーはそう叫んでいました。
船のピアノの上に置き去りにされていた子供は、
機関室でひたすら石炭をくべる仕事をするダニーと、
その仲間達に、船をゆりかごにして育てられていきます。
そして、船に置いてあったピアノを、
物心がついた頃からの唯一の友達とおもちゃにして、
やがて船上の「超凄腕」ピアニストに育っていきました。
そんな彼の事を、人は皆



「天才ピアノマン!
ナインティーン・ハンドレッド!」



と、そう呼びます。
......そんな話しが、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の映画



「THE LEGEND OF 1900
(ザ・レジェンド・オブ・ナインティーン・ハンドレッド)」



邦題は



「海の上のピアニスト」



名作ばかりの彼の映画の中で
「ニューシネマ・パラダイス」
「マレーナ」
と並ぶ3大傑作の一つだと僕は思っています。
大好きな映画です。



そして、
この映画には一つだけ、少し気になる事があります。
それは、冒頭に記したダニーが叫んだ台詞(せりふ)。
「1900年」というのは、
ダニーが劇中で言うような新世紀の始まりの年......
「20世紀の始まりの年」ではありません。
学問的に正確に言うと、
その前の世紀......「19世紀の最後の年」になります。
ダニーの言った20世紀というのは、正確には

「1901年から2000年までの100年間」

のこと。
現在の僕らが暮らしている21世紀は
正確には2001年から始まっていますし。
例えば、5世紀といったら401年から500年まで。
1世紀といえば

「西暦元年である1年から100年までの間」

を指します。
なので......

「このくそったれな新世紀の最初の年の、
最初の月に見つけた子なんだ!
だから名前は、、1900!
ナインティーン・ハンドレッドだ!」

という台詞は、
正しくは

「このくそったれな世紀の最後の年の、
最初の月に見つけたの子なんだ——————————」

という感じになります。



名匠トルナトーレが間違える!?



ううーん......



最後まで見て行くと......
それは恐らく確信犯だと思います......が。
それでも見ていると、その
「間違えている台詞をスッと受け入れてしまう」
くらい、現在の「世紀に関する定義」には、
人が数字に相対した際の自然な感覚との
「大きなズレ=100年のズレ」
があるように思えるのです。
個人的にはダニーの台詞の通り

「1900年が新しい世紀の始まり!」

とする方がしっくりと来てしまう派でして。
1900年代は19世紀!と表したい派!
なのであります。はい。
1世紀と言ったら「百○○年」と思う感覚のほうが
自然じゃないかと思えますし、同様に、
5世紀と言ったら400年代ではなくて、
500年代で言われる方が自然な数字感覚に近いのではないかと思えます。
20世紀と言ったら、
本当は2000年から2099年までの100年間!
と定義してもらう方が分かりやすいのではないでしょうか。
しかし、実際は、20世期は1901年から2000年までのこと。



ヤヤコシイ。



どうしてこんな事に?



......それは「ZERO=ゼロ」の概念が含まれていないからです。



他にも幾つかの理由があるのかもしれませんが、
西洋において現在のような「世紀の定義」が出来た一番の大きな理由は、
「西暦」や「紀元」、「世紀」というものを記し出した時には、
未だ数学的な「0=ゼロ」という概念が無かったからです。
「ゼロ」という概念が最初に数学や算術の中に持ち込まれたのは、
実は6~7世紀頃のインドからでした。
もし、西欧で「紀元」や「世紀」の考え方が生まれた時に、
そのゼロの概念があったなら、
今のキリストが生まれたとされる西暦の1年は西暦0年となります。
そして歴史年表にも「ゼロ世紀」という表記が加わり、
0年から99年までの100年間を、
そんな「ゼロ世紀」と呼ぶ事になります。
すると、1世紀は100年から199年まで。
200年からは2世紀というふうになります。
個人的にはこの方がなんだかスッキリ!するのです。
冒頭紹介した映画「THE LEGEND OF 1900」でダニーが叫んだ台詞も
間違いでは無くなりますし、文字通り、
「1900年は19世紀の始まりの年!」
ということになるのでしょうか。



ゼロという概念は、
一般には「無」や「空」に近い感覚で
理解されているのではないかと思います。



面白いのは、
最新の物理学では、
真空で何も無いと思われていた「無」であるはずの宇宙空間が、
多くの微細なる物質で満たされている......
という事が分かって来ました。
それは一昔前に一度否定された「エーテル」的なもので。
今は「ダークマター」などと呼ばれているものです。



これは、
「無」や「空」は、
そのままの意味での「無」や「空」ではないということです。



「ゼロ」という概念自体は、
インドでの発明を待たずとも、
古代から世界中の人々の中にちゃんと存在していたハズだと思います。
そんな感覚は、
太古の昔から多くの人々はちゃんと理解していたとも思います。
そして

「何かがソコから生まれる」

からには、
ソコには

「有的な何かがきっとあるはずだ」

と。

「有を生む無は完全なる無では無いはずだ」

と。
そんな感覚は現代人でも何となく感じられている事だとも僕は思いますし、
今よりも強く自然や地球と結びついて暮らしていた太古の人々が、
そんな感覚をわからないハズが無いとも思います。
タダ単に、人々が昔から感じてきていたそんな太古の感覚や事実が、
数学や算術という学問的なモノの中に最初に持ち込まれたということが
インドで起きた......
というような表現がコトの真相でもあるのかと思います。



「ゼロ」というのは、
つくづく偉大な発見であり、発明であると思います。



年代の記述や世紀の話しのように、
ゼロの概念が組み込まれるだけで、
色々なモノゴトがスキッと整理出来てきます。
そして、そんな「ゼロ」という言葉や記号や概念があるという時点で、
その、ゼロ自体の実在性を証明しているとも思いますし、
故に、ゼロというのは「無」や「空」ソノモノのことではなく、
僕にはなんだか......

「何かを生む為の根源的な種子みたいなものを含んだ世界」

のように感じられるのです。
だから何かを

「ゼロにする」

というのは、真の意味では

「新たな息吹を宿らせるための作業」

ではないかと。
そう思える時があります。
何かを「ゼロ」にするというのも、
きっと悪い事ではないのでしょう。
時に必要な事でもあるのでしょう。
それは、きっと、また何かを生み出す為に。



「THE LEGEND OF 1900」のDVD。
コノ映画も人それぞれ色々な捉え方や感想があると思います。
最近は色々なレビューもアチコチに溢れていますが、僕の場合......
ダニーの台詞が確信的なものではないか......という事や、
少々映画とは関係ないように思われるかもしれない、
この記事の途中から後半にかけてのお話しが、実は、
決して映画と無関係の話しでは無いのではないか?
という事も、見ると分かってもらえるかもしれないな......と。
とにかくコノ映画は内容は勿論、音楽が......
素晴らし過ぎるのです。(T.T)

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フロス/メイデイ

2013-04-04 00:05:00 | 凄い
♪ちゃーーぱねっと、ちゃーーーぱねっとーーぉーー♫
夢のチャパネットォーーーーー♩


(⌒o⌒)b こんちわわ!
「ちゃぱねっと多摩川!」
本日はイタリア、フロス社製のインテリア・ランプ
「MAYDAY=メイデイ」をご紹介します!
ブログはそのままで!


( ̄0 ̄)  ほえ!?なんですか?それ?
美味しいのですか?


(⌒o⌒)b そうですね!当然の質問ですね!
先ずは「フロス社」さんの紹介からさせていただきますね!
ほほっ!
世界でも最も有名な照明ブランドというのが
イタリアのフロス社さんなのです。
ほほっ!


( ̄0 ̄)  マジっすか!?
食べれないンすねっ!?
マジ有名なんすか!?


(⌒o⌒)b  ほほっ!
FLOS=フロス社は1962年にディーノ・ガッヴィーナと
チェザーレ・カッシーナによって、
モダン照明を作ることを目標にしてミラノに創設されました。
なんだか舌をかみそうなお名前さん達ですね!


( ̄0 ̄)  でで!?


(⌒o⌒)b 設立以来、
デザイナー「Castiglioni=カスティリオーニ」兄弟による
歴史的名作「ALCO=アルコ」を初め、
世界の第一線で活躍する多くのデザイナー達と共に
数々の傑作照明を世に送り出し続けている、
今やモダン・インテリア照明のパイオニアとして
確固たる地位を築いているメーカーなのです。

 
( ̄0 ̄)  ほーー。。


(⌒o⌒)b その中でもこのランプは、安い、、ご、ゴホンゴホン......
いえいえ、、
このランプはですね、、、
なかでも「ちゃぱねっと多摩川」が自信を持ってお勧めする
傑作中の傑作なのです!


( ̄0 ̄)  ......

   
(⌒o⌒)b あらためてのご紹介です!
メイデイ!良いです!
ほほっ!



( ̄0 ̄)  ほー。。


(⌒o⌒)b 「メイデイ」という名前は
「国際救助信号」という意味です。
なんだかおしゃれさんですね!
2001年にはイタリア工業デザイン界最高の賞の一つでもある
「コンパッソ・ドーロ賞」=「金のコンパス賞」を受賞しました!
ほほ!
デザイナーは「Konstantin Grcic =コンスタンチン・グルチッチ」さん。
胃腸薬が欲しくなる名前ですね!
ミニマルデザインの香りが漂うフォルムですね!
現在、MoMA=モマ=The Museum of Modern Art, New York=
ニューヨーク近代美術館の
パーマネント・コレクションにも選ばれている!
という名作中の名作!ランプなのです。
凄いのです。


( ̄0 ̄)  ふぅぅーーーん。。。


(⌒o⌒)b 何が凄いって、まず、
上の写真の様に床に置けたりもします!
そして、カーテンレールなどにも、、、掛けられます!



(⌒o⌒)b さらには!
壁などにこんなフックなどがあると、
上向きに引っかけられます。





(⌒o⌒)b 立てかけたり転がしたりも出来て、
間接照明にも!
ほほっ!



(⌒o⌒)b 天井から吊り下げも!



(⌒o⌒)b 手に持ってウロウロ......だって出来ちゃいます!
グルグル振り回せば「国際救助信号!」でしょうか!?



(⌒o⌒)b  便利ですねぇー。
やりますですねー。
何処にでも簡単に持ち運べます。
色はオレンジ、黒、青の3色!
uzmetさんにいたってはカナリのお気に入りになってしまったようで、
お頭の方も少々虚弱気味の方ですから、、、
なんと!3つも!
お買い上げ頂きました!



(⌒o⌒)b 友達にプレゼント!
なんてことも結構今までしちゃったりしたようで。
それもいいですね!
ほほっ!


( ̄0 ̄)  ふぅぅーーーん。。。じゃ、俺にもくれや。


(⌒o⌒)b また来週!


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Imagine

2013-04-01 00:22:27 | 勇気
小学生の頃。
通っていた学校の図書館に「推薦図書」なんていう肩書きで
「ファーブル昆虫記」
という本がシリーズでズラリと書棚に並んでいました。
推薦!?なんていうことだったので、
好奇心の強い僕はそのシリーズ全てを
試しに借りて読んでみました。
昆虫にソレホド興味があったわけでもなかったので、
内容は......



ほとんど覚えてましぇーん (・ω・)ノ ハローー!



......ただ、
一つだけ強烈に覚えている一文があります。
それは、



「極小は極大を含む」



という言葉。
一文。
よく両親が



「大は小を兼ねるから。。」



なんてことを言っていたので、
ソレに反するようなこの言葉がなんだか不思議で、
ことさらに僕の記憶に刻み込まれました。
その言葉は、
生涯をかけて昆虫という小さな生き物と、
それを取り巻く小さな世界とを観察し、
研究していたファーブルが不屈の研鑽の中で手に入れた、
一つの揺るがない真理で哲学のようでした。



「極小は極大を含む」



彼は小さな虫たちの世界や振る舞いや摂理の中に、
果てしなく大きな宇宙の姿を重ね見たようでした。



よく、誰かが誰かを励ましたりする時や、

「ちょっと悟った感じで世界を語ったりなんかしてみるぅ!?」

なんていう時に耳にするのは

「......この広い宇宙や世界に比べればさ、
人間なんて、自分なんて、
ホンのチッポケな存在なんだよ......」

なーーんて!いうセリフ。
今現在、そんな広大無辺とも思える宇宙の謎を解き明かす為に
物理学世界で行われている最先端の研究というのは、
実のところ「量子=りょうし」という、
宇宙最小の物質や粒子の謎を解明することでもって進んでいます。
そんな量子世界の法則や振る舞いというのは、
これまでの物理学の考え方では理解がとても難しく。
人々が暮らしている通常世界の常識では
不可思議過ぎてオバケ話のようなもの。
その難解さは、
時に研究者達自身をもノイローゼに追い込んでしまうような世界。
故に、これまでの物理学は古典物理学と言われる様にもなり。
しかし、実は、
そんな量子論的考え方のほうが宇宙の根本原則なのだ......
ということも近年ハッキリとわかってきました。
人も万物も、
そんな不可思議な法則で造られているということがわかってきたのです。



極大的な宇宙の謎を解くヒントは、
極小物質である量子の性質や在り様、力学の中にあるようなのです。



極小の物質である量子のフルマイは、
この宇宙の誕生の秘密まで解き明かそうとしているのです。
コレは紛れもない最先端科学であり、この世界の実相です。



ファーブルの本が世に出てから130年以上。
やはり、彼の言葉通り、
「極小は極大を含む」
ようなのです。



面白いのは、宇宙の謎を解き明かす、
そんな量子というモノの目線でこの世界を見たとしたら......
ということを考えた時です。
僕らの体や万物の全てを創り出している
「材料」の視点からこの世界を見たら......
ということを考えてみた時です。



たった一グラムのアルミニウムである一円玉でさえ
「2.6×10の23乗」個の「原子」で出来ています。
それはもう、コノ一行では書き記せないくらいの途方も無い数です。
そして量子とは、
その原子を形作る「更に小さい」粒子、波動、モノとなります。
想像してみてください。
一グラムどころか、何十キロ!?もある僕らの体は、
少なくとも60兆個以上!の細胞から出来ていて。
その細胞はいったい幾つの?分子から出来ているのでしょうか。

その分子はもっと小さい???個もの原子から出来ていて。

その原子はさらに小さい???個もの、

無限大?もの量子から出来ていて......

想像してみてください。

綺麗な夜空に広がる数えきれないほどの星達。

その星達の数。

宇宙の彼方まで果てしなく広がる星達の数と、

僕らの体にある原子の数があまり変わらないかもしれない......

という可能性を、

想像してみてください。

僕らの体の中には宇宙があるのかもしれません。

僕らの体はこの大宇宙を写した縮図なのかもしれません。

想像してみて下さい。

その想像から一つ気付くこと。

それは、

量子という万物全てを創り上げている物質から比べれば、

細菌や虫たちの世界から見てみれば、

僕らの体は「トテツモナク大きい」という事実。



きっと、僕らは途轍も無く大きいのです。



「......まぁ、さ、俺達なんてさ、
ホンのチッポケな存在だからさ、、、」



もし、そんなコトを言われ、
それでも元気が出ないようなことがあったら、
そんなふうにも考えてみてください。



僕達は......

いや、

貴方は。

とても大きな存在なのです。

それは、

宇宙をそのまま映し込んだような、

大きな大きな、

途方も無く大きな、

そんな存在なのです。

あなたはとても大きな存在なのです。

あなたは宇宙そのものなのかもしれません。



小さい頃読んだジャン・アンリ・ファーブルの本。
やっと、今頃、
その凄さを感じている僕なのです(^_^)



近所のとあるブロック塀の上に咲いていたとても小さな花。
ブロックの継ぎ目にあるホンの僅かな隙間に咲いていました。
なんていう花なのでしょうか......?
雑草のような感じで、手の指ぐらいの背丈で
とても小さくて可愛いらしかったので
思わず撮ってしまいました。(^^)
自分の「大きさ」を感じる瞬間でもあります。


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