「日本代表をW杯に出場させるために帰ってきました」
日本サッカーのプロリーグ化に際し、
プロサッカー選手のキング「カズ」さんが
ブラジルのプロチームから国内チームに移籍。
帰国した時の記者会見で言った言葉です。
その数年後。
日本は本当にワールドカップ初出場を果たしました。
が、そこに、日本プロサッカー黎明期における
最大功労者の一人であったカズさんの姿はありませんでした。
68年にも及ぶ長い間、
サッカーファンと関係者の夢であったWカップ出場を本当に獲得できるか!?
どうか?
という瀬戸際で、ギリギリの戦いが続く中、
思わぬ不振に陥ってしまった代表チームのエースを、
当時の世論と監督はチームのメンバーから外してしまったのでした。
その時、代表の遠征先から沈鬱な面持ちで帰国したカズさんは、
その気持ちとはウラハラの
まっキンキンに染め上げた髪の毛で記者会見にのぞみ、
こんなことを言いました。
「日本代表としての誇り、
魂みたいなものは向こうに置いてきた」
その後、サッカー日本代表は悲願のW杯出場を決めます。
サッカーが大好きでプレーヤーでもあった僕は、
この時のことはとてもよく覚えています。
前々回の記事で少し記しましたが、
僕の今年の初詣は出雲となりました。
出雲といえば多くの人が思い浮かべるであろう上の写真。
出雲の代名詞「出雲大社」。
国宝でもある本殿の天井には60年に一度、遷宮の時にしか公開されない
「八雲之図=やくものず」
というものが描かれています。
以下は大社の資料より......
この雲の姿は、時折、僕には魂の様にも、
炎の様にも見えてしまうことがあります。
そして、こんな「八雲の図」には不思議なことが一つあって。
それがその数。
「八雲」と記されているのに、その数は7つ。
さて、どうしてでしょうか?
この話は以前、
2013年の終わりに書いた
「8を巡る旅 」の「2」という記事の中で少し触れていたのですが......
「8」という数字に関しての話はこちらの方で......
「8を巡る旅」「2」「3」
この時は記事の主題とは離れた事柄であったので、
一旦、横に置いておきましたが。
今回は、その置いておいた「八雲の図」のお話となります。
「8を巡る旅」の続編ともなるのでしょうか。
そして、冒頭のカズさんの話というのは、実は、
今回の「八雲の図」の話ととても深く共振するものなのです。
個人的な話ではありますが。ええ。(^^)
さて、さて、
なぜ出雲大社の「八雲の図」の雲が7つなのか?というと、
残りの一つの雲は別のところにちゃんとあります。
それがここ。
「神魂神社」さん。
「神魂」=「カミのタマシイ」と書いて「かもす」と読みます。
カモスじんじゃ。
すごい名前です。
雰囲気もヤバし......
ここの神社の本殿の天井には「九つ」の雲の絵が描かれています。
ネットより貴重な写真を......
同じ出雲地域でも、
西の外れにある出雲大社とは真反対の、
東の方にある神社さんです。
もう何度も訪れている出雲ですが、実は、
この神魂神社こそが僕が出雲で一番最初に訪れた神社さんであって。
それは、仕事の合間に松江駅からタクシーでチュン!
と行ける距離にあったからで。
ただ、そんな軽いノリで行ってしまった反動のためなのか?
どーなのか、
その御敷地に一歩足を踏み入れた時の「エ」も言われぬこの神社の凄みには、
当時の僕はとても深く胸を打たれてしまい。
それから出雲という地にタマラナク興味を持ってしまった......
という個人的な歴史があったりもします。
僕にとっては「熊野大社」と共に、
出雲では外すことが出来ない特別な場所でもあります。
春は桜で......
神魂神社の本殿は、
出雲大社に代表される「大社造り」と呼ばれる建築様式では日本最古!
の建築物。
もちろん国宝!です。
本当に凄みのある社(やしろ)。
簡素且つ美麗。繊細。されど、力強い。
この社を見上げると、
いつもなんだかジーーン......と、してしまいます。
冬の雪も......ジーーーン......(´ω`●)......
古来より伝わる神事や祭りには、
時の為政者に対し、決して表立っては言えない、
禁止され、隠された様な事柄を、
なんとか後世に伝える方法は無いものか、
真実を伝える方法は無いものか......と、
そんな風にして作られていったものがあります。
出雲におけるそれは、例えば、
出雲国一宮、熊野大社の鑽火祭(さんかさい)。
その中の亀太夫神事(かめだゆうしんじ)という観光客にも人気の神事では、
訪れた出雲大社の宮司さんを熊野大社の宮司さんが
ケチョンケチョンにけなします。
出雲大社の宮司さんはそれに対し一切口答えをしてはいけない、
なんていう神事。
熊野大社の方が出雲大社より格上なのだということが
言わずとも暗に込められています。
神道や天皇陛下の重要な神事の一つに
新嘗祭(にいなめさい=収穫祭)がありますが、
出雲大社の新嘗祭はつい最近まで、
今回記す「神魂神社」で行われていました。
そして、決定的なことは、
出雲大社には古来より火継式(ひつぐしき)という重要な神事があって。
それは出雲大社の宮司さんが亡くなる時、
次の宮司さんに職を引き継ぐために行われる儀式であり、
魂に見立てられた?かどうかは分かりませんが、
熊野大社で起こされた「火」を出雲大社の神官達が受け取り、その後、
この「神魂神社」に寄って「宴」を催し、そうして後、やっと、
その火は出雲大社に運ばれる......という、そんな神事。
こんな多くの神事について、その意味をよくよく考えてみると、
熊野大社こそが出雲大社の元火があるところであって。
そのすぐ近くにある神魂神社は八百万(やおよろず)の神々が集まり、
その出立を祝い、承認もする場所。
そんなふうにも捉えられます。
出雲国の一宮「熊野大社」を首相官邸、もしくは皇居とすれば、
神魂神社は、いわば、国会議事堂。
それぞれの神事における関係を考察してみるとそんな姿が浮かび上がります。
この神魂神社から発せられる詔(みことのり)や勅(ちょく)的なものは
「神の言葉」として、政治的な決定事項として、
日本各地に飛んでいっていたイメージも湧いてきます。
そんな言葉を降ろしていたのは、おそらく、
「神の言葉の依代(よりしろ)となる主」=「事代主=ことしろぬし」
大王スサノオ(素戔嗚、須佐男)さんの血を引く神。
ならばこそ、
事代主が降ろす言葉は神上がりしたスサノオさんの言葉。
頭を失った国が荒れ、すさみ、まとまらなかった時、
その切り札として、
スサノオさんと縁の深いこの神魂の地より、
その血脈を受け継ぐ事代主によって
大王の言葉が降ろされていた様にも思えます。
その言葉は神話にあるように、
神無月に出雲の地に集まり、
会議を開いていた各地に住まう神々によって伝えられ。
そんな諸事や形式は為政者が変わろうとも、
そのまま新たに建てられた出雲大社に移され。
この国の暦としても、
「神無月」や「神在月」の意味としても、
今に至るまで伝わっているようにも思います。
そして、そんな神魂神社(かもすじんじゃ)の神紋は......
出雲系神社を表す亀甲紋(きっこうもん)に「有」。
そうです。
「有」は「十」と「月」。10月。
会合のため日本中の神々が出雲に集まると言われている月。
神無月。
出雲では神在月。
有名な「国譲り神話」において、
天津神々が出雲のオオクニヌシに
「国を譲ってくれません?」
と聞いたら、
「それは事代主に聞いてくれ、、」
と。そう答えたと書かれています。
それは、
「国津神党の議員さん達に聞いたら、
内閣総理大臣の事代主に決めてもらってくれ」
と答えられた......ということです。
神魂神社の天井の九つの雲の絵は、
描かれている雲の数から想像すれば、
本来の出雲の中心はココだったのだよ、と。
「出雲のタマシイは本来ここで皆に認められてから外に出ていくのだ......」
ということなのかもしれません。
同じ地にある熊野大社の威厳と共に、
そんなことを後世に残すために描かれた絵の様にも思えます。
九つの雲うち一つを出雲大社に運べば、
大社の絵は見事「八雲の図」となるわけです。
同時に、神魂神社の絵も「八雲の図」となるのでしょう。
どちらも完成するのです。
そして、完成とは時に死を意味します。
「8」の持つ意味も、以前の記事で書いた通り、呪術的には
「入口も出口も無く、延々と捻れた内側をループするエネルギー」
を表します。
ちなみに、これも以前書きましたが、
捩れのない内的ループを表す数字は「0」です。
どちらの雲の絵もそんな意味を持つ「8」にしなかったのは、
「どちらも完成させないため」
の様に思われます。
もっと言うと、
神の力や土地のエネルギーを動かし続けるために、です。
素晴らしい力を延々と内部ループする、
閉じ込められたエネルギーとしないため、です。
一部「古(いにしえ)の神封じ」のために建てられた出雲大社においては、
この天井の絵というのは唯一の希望であり、
仕掛けられた呪(しゅ)に対抗する呪でもあり、
大社の内に閉じ込められたエナジーを外に出す
変換装置となっている様にも思えます。
すごい絵です。
たまらんポンチです。
カウンターパンチです。
一つだけ雲が逆に書かれているのも、そういう意味です。
エネルギーは渦であり螺旋を描きますから、
一方向だけのエナジーでは渦とはなれません。
そんな閉じたエネルギーを作り出さんが為の「逆向き」の雲です。
そして、それは同時に、
この国の神の奥深い教えを描いている様にも思えます。
受けて、渡して、全になる。
一人では何ものにもならない。
何か欠けていることが、
飛び出していることが、
デコとボコとが世の在り様なのだ、と。
それらが合わさってこそ物事が成され、また、成るのだ、と。
それぞれ人は皆、完全ではないのだ。
だから合わさりなさい。認め合いなさい。
そんなことが、この二社の天井に描かれている様にも思えます。
天照大御神(アマテラスオオミカミ)を主催神とした新たな政権が、
それ以前の神々を隠そうとする中で、
古代日本における最重要地であったこのカモスのヤシロも、
やはりその対象になったのでしょう。
神と民とが一体となっていた古代出雲の「神都」から神だけを剝がし取り、
島根半島の西の端、今の出雲大社に移します。
移した距離は50キロ近く。
すると、当然、その主祭神に仕えていた神官......
出雲国造(いずもこくぞう、いずもくにつくりみやつこ)さん達も
大社の方に移らざるをえません。
神も地域主導者も他の地に移ってしまった意宇(おう)と呼ばれる
現在の出雲東部地域の弱体化は免れず、
気がつけばその地は新たな神々を擁立する朝廷に自然と好きなように占有もされ。
新政権最大の脅威であった「製鉄産業」と「技術」も奪われます。
八雲立つ国......とは、
「たたら製鉄」の煙が山々のあちこちから立ち上っていた国。
今でいえば、海浜の工業地帯の煙突から立ち上る煙の様なものでしょうか。
それこそが出雲の真実。
現、出雲大社建立、国譲り神話のバックストーリー。
しかしながら現在の出雲大社の地も、
決して意味なくここに大社を建てたわけではないとも思います。
知恵も霊力もあるモノモノが意味のないことはしないでしょう。
実際、そこに佇めば誰でもわかる、現、出雲大社の地の持つ強大な力。
出雲の神々の魂は、その中心が意宇(おう)にあった時と同様に、
いや、それ以上に、多くの人々に守り続けられ。
今もって、この国のあちこちや、
神魂神社の雲の絵の中にも存在している様に感じられます。
神の魂。かもす。
「意図的に」大仰で、格式を持たされた出雲大社が作られ、
時の為政者に多くの人々や神々が翻弄されようとも、しかし、
古(いにしえ)からの出雲の神の魂はここに「も」置いておく、と。
少々暗く、陰的な一つだが、必要な時に運び、使うのだ、と。
火は霊(ひ)。
新たなヤシロの魂すらも、
古のこの地の魂と合わせて一つとなるのだ。
全となるのだ。
足りない事もまた「全」であり、前に進む為の力なのだ。
その真実を守るのだ。
そのために、このカモスのヤシロは今も在り続けるのだ......
神魂神社とは、
僕にとってそういう神社なのです。
1998年にサッカーW杯に初めて出場した日本代表チームのメンバーは、
皆、カズさんの思いも魂も預かって、
カズさんと共に試合を戦っていたのではないかと思います。
そのチームはスタートした時とは監督も含めかなり違う編成となっていましたが......
それはまるで出雲大社と神魂神社の様に......
そんな感じだったのではないかと思います。
中山さんの気迫のプレーなど
「カズさんの分も!」
みたいな感じに僕には感じられていましたし。
そうでないにしても、
この時のチームは、
サッカーファンにとっては今も、
これからも、
忘れえぬチームではないかと思います。
偶然にも最初に踏み入れた出雲の神社がそんな神魂神社であったということは、
僕は今も本当に嬉しく思っていたりなんかします。
深い歴史を抱える出雲。
ここまで記したので、
こんなポンチキ記事に最後までお付き合いして頂いた
貴重なる皆様への御礼として、
おそらくネットだろうが、本だろうが、なんだろうが、
きっとどこにも記されていないであろう
「神魂神社の穴」についての話を、もう一回。
次回の「5」で記しておこうかと思います......
この穴、なんかヤベェェーーー!?( ̄д ̄;)ッス。
途中テキストリンクもしていますが、
今回の記事は「8を巡る旅」は勿論、
以下の記事さん達と合わせ見ていただくと、
よりポンチキ度が高まる!?
薄まる!?
かもしれません。
ひとつ。よしなに(^_^)
ここまで読むのにカナリ疲れたかと思いますが......
本当に感謝なのです。
お疲れ様です!
「未完」
「ウネリと螺旋」
「神在、神無、」
「お・ま・じ・な・い・☆」
「京都、一条、戻橋」
日本サッカーのプロリーグ化に際し、
プロサッカー選手のキング「カズ」さんが
ブラジルのプロチームから国内チームに移籍。
帰国した時の記者会見で言った言葉です。
その数年後。
日本は本当にワールドカップ初出場を果たしました。
が、そこに、日本プロサッカー黎明期における
最大功労者の一人であったカズさんの姿はありませんでした。
68年にも及ぶ長い間、
サッカーファンと関係者の夢であったWカップ出場を本当に獲得できるか!?
どうか?
という瀬戸際で、ギリギリの戦いが続く中、
思わぬ不振に陥ってしまった代表チームのエースを、
当時の世論と監督はチームのメンバーから外してしまったのでした。
その時、代表の遠征先から沈鬱な面持ちで帰国したカズさんは、
その気持ちとはウラハラの
まっキンキンに染め上げた髪の毛で記者会見にのぞみ、
こんなことを言いました。
「日本代表としての誇り、
魂みたいなものは向こうに置いてきた」
その後、サッカー日本代表は悲願のW杯出場を決めます。
サッカーが大好きでプレーヤーでもあった僕は、
この時のことはとてもよく覚えています。
前々回の記事で少し記しましたが、
僕の今年の初詣は出雲となりました。
出雲といえば多くの人が思い浮かべるであろう上の写真。
出雲の代名詞「出雲大社」。
国宝でもある本殿の天井には60年に一度、遷宮の時にしか公開されない
「八雲之図=やくものず」
というものが描かれています。
以下は大社の資料より......
この雲の姿は、時折、僕には魂の様にも、
炎の様にも見えてしまうことがあります。
そして、こんな「八雲の図」には不思議なことが一つあって。
それがその数。
「八雲」と記されているのに、その数は7つ。
さて、どうしてでしょうか?
この話は以前、
2013年の終わりに書いた
「8を巡る旅 」の「2」という記事の中で少し触れていたのですが......
「8」という数字に関しての話はこちらの方で......
「8を巡る旅」「2」「3」
この時は記事の主題とは離れた事柄であったので、
一旦、横に置いておきましたが。
今回は、その置いておいた「八雲の図」のお話となります。
「8を巡る旅」の続編ともなるのでしょうか。
そして、冒頭のカズさんの話というのは、実は、
今回の「八雲の図」の話ととても深く共振するものなのです。
個人的な話ではありますが。ええ。(^^)
さて、さて、
なぜ出雲大社の「八雲の図」の雲が7つなのか?というと、
残りの一つの雲は別のところにちゃんとあります。
それがここ。
「神魂神社」さん。
「神魂」=「カミのタマシイ」と書いて「かもす」と読みます。
カモスじんじゃ。
すごい名前です。
雰囲気もヤバし......
ここの神社の本殿の天井には「九つ」の雲の絵が描かれています。
ネットより貴重な写真を......
同じ出雲地域でも、
西の外れにある出雲大社とは真反対の、
東の方にある神社さんです。
もう何度も訪れている出雲ですが、実は、
この神魂神社こそが僕が出雲で一番最初に訪れた神社さんであって。
それは、仕事の合間に松江駅からタクシーでチュン!
と行ける距離にあったからで。
ただ、そんな軽いノリで行ってしまった反動のためなのか?
どーなのか、
その御敷地に一歩足を踏み入れた時の「エ」も言われぬこの神社の凄みには、
当時の僕はとても深く胸を打たれてしまい。
それから出雲という地にタマラナク興味を持ってしまった......
という個人的な歴史があったりもします。
僕にとっては「熊野大社」と共に、
出雲では外すことが出来ない特別な場所でもあります。
春は桜で......
神魂神社の本殿は、
出雲大社に代表される「大社造り」と呼ばれる建築様式では日本最古!
の建築物。
もちろん国宝!です。
本当に凄みのある社(やしろ)。
簡素且つ美麗。繊細。されど、力強い。
この社を見上げると、
いつもなんだかジーーン......と、してしまいます。
冬の雪も......ジーーーン......(´ω`●)......
古来より伝わる神事や祭りには、
時の為政者に対し、決して表立っては言えない、
禁止され、隠された様な事柄を、
なんとか後世に伝える方法は無いものか、
真実を伝える方法は無いものか......と、
そんな風にして作られていったものがあります。
出雲におけるそれは、例えば、
出雲国一宮、熊野大社の鑽火祭(さんかさい)。
その中の亀太夫神事(かめだゆうしんじ)という観光客にも人気の神事では、
訪れた出雲大社の宮司さんを熊野大社の宮司さんが
ケチョンケチョンにけなします。
出雲大社の宮司さんはそれに対し一切口答えをしてはいけない、
なんていう神事。
熊野大社の方が出雲大社より格上なのだということが
言わずとも暗に込められています。
神道や天皇陛下の重要な神事の一つに
新嘗祭(にいなめさい=収穫祭)がありますが、
出雲大社の新嘗祭はつい最近まで、
今回記す「神魂神社」で行われていました。
そして、決定的なことは、
出雲大社には古来より火継式(ひつぐしき)という重要な神事があって。
それは出雲大社の宮司さんが亡くなる時、
次の宮司さんに職を引き継ぐために行われる儀式であり、
魂に見立てられた?かどうかは分かりませんが、
熊野大社で起こされた「火」を出雲大社の神官達が受け取り、その後、
この「神魂神社」に寄って「宴」を催し、そうして後、やっと、
その火は出雲大社に運ばれる......という、そんな神事。
こんな多くの神事について、その意味をよくよく考えてみると、
熊野大社こそが出雲大社の元火があるところであって。
そのすぐ近くにある神魂神社は八百万(やおよろず)の神々が集まり、
その出立を祝い、承認もする場所。
そんなふうにも捉えられます。
出雲国の一宮「熊野大社」を首相官邸、もしくは皇居とすれば、
神魂神社は、いわば、国会議事堂。
それぞれの神事における関係を考察してみるとそんな姿が浮かび上がります。
この神魂神社から発せられる詔(みことのり)や勅(ちょく)的なものは
「神の言葉」として、政治的な決定事項として、
日本各地に飛んでいっていたイメージも湧いてきます。
そんな言葉を降ろしていたのは、おそらく、
「神の言葉の依代(よりしろ)となる主」=「事代主=ことしろぬし」
大王スサノオ(素戔嗚、須佐男)さんの血を引く神。
ならばこそ、
事代主が降ろす言葉は神上がりしたスサノオさんの言葉。
頭を失った国が荒れ、すさみ、まとまらなかった時、
その切り札として、
スサノオさんと縁の深いこの神魂の地より、
その血脈を受け継ぐ事代主によって
大王の言葉が降ろされていた様にも思えます。
その言葉は神話にあるように、
神無月に出雲の地に集まり、
会議を開いていた各地に住まう神々によって伝えられ。
そんな諸事や形式は為政者が変わろうとも、
そのまま新たに建てられた出雲大社に移され。
この国の暦としても、
「神無月」や「神在月」の意味としても、
今に至るまで伝わっているようにも思います。
そして、そんな神魂神社(かもすじんじゃ)の神紋は......
出雲系神社を表す亀甲紋(きっこうもん)に「有」。
そうです。
「有」は「十」と「月」。10月。
会合のため日本中の神々が出雲に集まると言われている月。
神無月。
出雲では神在月。
有名な「国譲り神話」において、
天津神々が出雲のオオクニヌシに
「国を譲ってくれません?」
と聞いたら、
「それは事代主に聞いてくれ、、」
と。そう答えたと書かれています。
それは、
「国津神党の議員さん達に聞いたら、
内閣総理大臣の事代主に決めてもらってくれ」
と答えられた......ということです。
神魂神社の天井の九つの雲の絵は、
描かれている雲の数から想像すれば、
本来の出雲の中心はココだったのだよ、と。
「出雲のタマシイは本来ここで皆に認められてから外に出ていくのだ......」
ということなのかもしれません。
同じ地にある熊野大社の威厳と共に、
そんなことを後世に残すために描かれた絵の様にも思えます。
九つの雲うち一つを出雲大社に運べば、
大社の絵は見事「八雲の図」となるわけです。
同時に、神魂神社の絵も「八雲の図」となるのでしょう。
どちらも完成するのです。
そして、完成とは時に死を意味します。
「8」の持つ意味も、以前の記事で書いた通り、呪術的には
「入口も出口も無く、延々と捻れた内側をループするエネルギー」
を表します。
ちなみに、これも以前書きましたが、
捩れのない内的ループを表す数字は「0」です。
どちらの雲の絵もそんな意味を持つ「8」にしなかったのは、
「どちらも完成させないため」
の様に思われます。
もっと言うと、
神の力や土地のエネルギーを動かし続けるために、です。
素晴らしい力を延々と内部ループする、
閉じ込められたエネルギーとしないため、です。
一部「古(いにしえ)の神封じ」のために建てられた出雲大社においては、
この天井の絵というのは唯一の希望であり、
仕掛けられた呪(しゅ)に対抗する呪でもあり、
大社の内に閉じ込められたエナジーを外に出す
変換装置となっている様にも思えます。
すごい絵です。
たまらんポンチです。
カウンターパンチです。
一つだけ雲が逆に書かれているのも、そういう意味です。
エネルギーは渦であり螺旋を描きますから、
一方向だけのエナジーでは渦とはなれません。
そんな閉じたエネルギーを作り出さんが為の「逆向き」の雲です。
そして、それは同時に、
この国の神の奥深い教えを描いている様にも思えます。
受けて、渡して、全になる。
一人では何ものにもならない。
何か欠けていることが、
飛び出していることが、
デコとボコとが世の在り様なのだ、と。
それらが合わさってこそ物事が成され、また、成るのだ、と。
それぞれ人は皆、完全ではないのだ。
だから合わさりなさい。認め合いなさい。
そんなことが、この二社の天井に描かれている様にも思えます。
天照大御神(アマテラスオオミカミ)を主催神とした新たな政権が、
それ以前の神々を隠そうとする中で、
古代日本における最重要地であったこのカモスのヤシロも、
やはりその対象になったのでしょう。
神と民とが一体となっていた古代出雲の「神都」から神だけを剝がし取り、
島根半島の西の端、今の出雲大社に移します。
移した距離は50キロ近く。
すると、当然、その主祭神に仕えていた神官......
出雲国造(いずもこくぞう、いずもくにつくりみやつこ)さん達も
大社の方に移らざるをえません。
神も地域主導者も他の地に移ってしまった意宇(おう)と呼ばれる
現在の出雲東部地域の弱体化は免れず、
気がつけばその地は新たな神々を擁立する朝廷に自然と好きなように占有もされ。
新政権最大の脅威であった「製鉄産業」と「技術」も奪われます。
八雲立つ国......とは、
「たたら製鉄」の煙が山々のあちこちから立ち上っていた国。
今でいえば、海浜の工業地帯の煙突から立ち上る煙の様なものでしょうか。
それこそが出雲の真実。
現、出雲大社建立、国譲り神話のバックストーリー。
しかしながら現在の出雲大社の地も、
決して意味なくここに大社を建てたわけではないとも思います。
知恵も霊力もあるモノモノが意味のないことはしないでしょう。
実際、そこに佇めば誰でもわかる、現、出雲大社の地の持つ強大な力。
出雲の神々の魂は、その中心が意宇(おう)にあった時と同様に、
いや、それ以上に、多くの人々に守り続けられ。
今もって、この国のあちこちや、
神魂神社の雲の絵の中にも存在している様に感じられます。
神の魂。かもす。
「意図的に」大仰で、格式を持たされた出雲大社が作られ、
時の為政者に多くの人々や神々が翻弄されようとも、しかし、
古(いにしえ)からの出雲の神の魂はここに「も」置いておく、と。
少々暗く、陰的な一つだが、必要な時に運び、使うのだ、と。
火は霊(ひ)。
新たなヤシロの魂すらも、
古のこの地の魂と合わせて一つとなるのだ。
全となるのだ。
足りない事もまた「全」であり、前に進む為の力なのだ。
その真実を守るのだ。
そのために、このカモスのヤシロは今も在り続けるのだ......
神魂神社とは、
僕にとってそういう神社なのです。
1998年にサッカーW杯に初めて出場した日本代表チームのメンバーは、
皆、カズさんの思いも魂も預かって、
カズさんと共に試合を戦っていたのではないかと思います。
そのチームはスタートした時とは監督も含めかなり違う編成となっていましたが......
それはまるで出雲大社と神魂神社の様に......
そんな感じだったのではないかと思います。
中山さんの気迫のプレーなど
「カズさんの分も!」
みたいな感じに僕には感じられていましたし。
そうでないにしても、
この時のチームは、
サッカーファンにとっては今も、
これからも、
忘れえぬチームではないかと思います。
偶然にも最初に踏み入れた出雲の神社がそんな神魂神社であったということは、
僕は今も本当に嬉しく思っていたりなんかします。
深い歴史を抱える出雲。
ここまで記したので、
こんなポンチキ記事に最後までお付き合いして頂いた
貴重なる皆様への御礼として、
おそらくネットだろうが、本だろうが、なんだろうが、
きっとどこにも記されていないであろう
「神魂神社の穴」についての話を、もう一回。
次回の「5」で記しておこうかと思います......
この穴、なんかヤベェェーーー!?( ̄д ̄;)ッス。
途中テキストリンクもしていますが、
今回の記事は「8を巡る旅」は勿論、
以下の記事さん達と合わせ見ていただくと、
よりポンチキ度が高まる!?
薄まる!?
かもしれません。
ひとつ。よしなに(^_^)
ここまで読むのにカナリ疲れたかと思いますが......
本当に感謝なのです。
お疲れ様です!
「未完」
「ウネリと螺旋」
「神在、神無、」
「お・ま・じ・な・い・☆」
「京都、一条、戻橋」