雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

Yonda?

2015-02-26 01:49:59 | 嬉しい
所用あって、先日、
東京都、中野区の中野という駅に行ったのです。
それで、用事が終わって、
さて、久々に中野に来たんだから......と、北口駅前の
立ち食い蕎麦屋「かさい」さぁぁーーーーん!ヾ= ̄∇ ̄)ノ バンザーイ♪



ちくわ天を載せちゃったりしてね。



ココは我が心の
「東京立ち食い蕎麦屋選手権」
で常に上位に食いんでくるお店なのです。
とてもお好みのお蕎麦屋さんなのです♪ええ。( ̄ー+ ̄)
中央線繋がりということもあって、
テイスト的には山梨の山賊蕎麦的な感じで。

満足の満腹で。
して、その満腹マンボーなお腹を抱えつつ、その横にある商店街
「中野ブロードウェイ」に突入するわけなのでやんす。



もちろん目的は!アノ!
「まんだらけ」
おたく文化を長い間牽引しまくっている元祖!秋葉原!
みたいなお店。



もともと中古の漫画本屋さんだったのですが、
あれよあれよと言う間に大きくなって。
今や漫画だけでなく、
マニア向けの同人誌やアニメ、ゲーム等に関するエトセトラ。
音楽や映像のソフト、
わけのわからない!?おもちゃやグッズやコスプレ衣装なども。
もうありとあらゆる「ジャンルレス・マニア商品」を取り扱っているお店。
「中野ブロードウェイ」を日本屈指の「おたくの聖地」
へと成長させたお店でもあって、
ココの下取り価格が全国価格の基準となってしまっている......
という様なところでもあります。
最近ニュースで話題になった
「万引犯の画像をブログに公開!」
したというお店もココでございます。
ただ、僕は特段「おたく」でも「マニア」でもないですし。
この日は久々に昼間に中野の街に来たので、
ただなんとなく、
特に目的もなくプラプラとこのお店の雰囲気を
散歩的に楽しむ感じで入り込んだだけなのです......が......
中でも、やはりこのお店......



最上階、4階にある「変や」さん。



飽きさせませんの!(*・ω・)/ ゥィゥィ♪
すごいすごいで。
見るもの全てヘンテコリン。
価値や魅力など僕のような輩ではよーわかりませんが、
とにかく気持ちはアガる。不思議。
普通一般売りしない企業のノベルティグッズ、宣材グッズ、
昭和のレトログッズ、アンティークグッズ、
ヴィンテージ系のおもちゃなど、なんだかカオスな品揃え。
しかし......



よーわからん!(@。@)

わかんなくてたのすぃ!(; ̄Д ̄)

それでもって......

その「変や」さんをチロチロと覗いていた時に......

思いもよらない事態が僕に襲いかかって来たのです......



こ!これわわわわわわわわわわわわわわ!!!!Σ(゜ロ゜;)!!

よんだ?ぱんだ!

本屋さんに住む「Yonda?パンダ」さんでわないですかぁぁぁあっ!!

( ̄□ ̄;)ナニーッ!!

だ、大好きでわないのかぁぁぁぁぁぁっっ!!じぶーーん!

ほ、ほすぃ......
とてもほすぃ......
しかもこれは間違いなく幻の販促ノベルティ品。
絶対に売り物でわない......
何処ぞの本屋さんからの流出品と見た!
ドコゾの絵画展の時ような
「三千万です。。」
なんて......
間違ってもアリエナイとわ思われるが......( ̄ー ̄;)
こ、これわ......
おいくらするのであろうか......
ね、値段が見えないのが......あ、怪しすぎる......
聞くか!?
聞くのか!?
よし!
聞くのだ!



「す、すいませぇぇぇーーんん。。
これ、おいくらでしょうかぁぁ。。。」

「あ、値段出てませんか?見えなくなってるのですね。
ええーーと、ちょっと待ってください......
ええーーっと、、あ、¥3,000ですね」

「三千円!三千万じゃないのですね!
安いっすね!
ん!?? 
安いの!?
よくわかんないのですが......」

「ええ。安いですよ。
だいぶ値下がりしました。
以前は¥6,500で出してたんですよ。
ヨンダパンダはもうキャンペーンが終わってるんで、
かなり安いんですよね、、」

「まじっすか!じゃ買います!ええ。
おねがいしまっすっ!ヾ(*・ω・)ノ」



と、ノリノリで買ってしまった、
時節外れの「よんだぱんだ」くん。
もともとは新潮社の読書キャンペーンのキャラクターなのですな。
大貫卓也(おおぬきたくや)さんが生みの親らしく、
本屋さんとかでこんな風に......
ポップとかがよく置かれていたりなんかしていたのですね。



なんだかとても好きだったのですね。ええ。このキャラ。
なので早速家に持ち帰ってリビングルームの一角にある
「えええーーーい!」
と、勢いで買ってはみたものの、
ナカナカ読めずにいる本さん達の「山積み山」の上に
陣取ってもらいまちた......



なんだか......ご機嫌で( ̄∇ ̄)ニヤッ

しかし......

泣くなよぉぉぉ。。( ´・ω・`)

わかったよぉぉぉぉ。。

ちゃんとよむからさぁぁ。。

わかったよぉぉぉ。。

泣くなよぉぉぉ。。(# ̄ー ̄#)よんだぁぁ~


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「青き炎」大和編

2015-02-22 18:35:23 | 不思議...パワスポ寺社
全国に長谷川(はせがわ)さんとか、
長谷部(はせべ)さんとかいらっしゃるじゃないですか。
サッカー日本代表の不動のキャプテンさんとか。
その「長谷=はせ」の部分というのは、文字通り、
山間に流れる河川と共に「細長く連なる谷」のことで。
その呼称のルーツを辿ると、
奈良県「三輪山=みわやま」の南麓の地にたどり着くのです。



青き炎」でも記した
「饒速日命=ニギハヤヒ」さんが打ち立てた古代大和王朝。



その王朝の信仰と執政の中心地
「大神神社=おおみわじんじゃ」の南麓。南側。



地域的には現在の「桜井市」という市の中に入っていますが、
地名は「初瀬=はつせ」と書いて「ハセ」と呼びます。
「長谷=はせ」ではないのですね。
そもそも「長谷」はどう読んでも「ちょうや」とか
「ながや」「ながたに」とかですし......
元は「初瀬=はせ」で、
後から意味を表す漢字でもって充て込まれたのですね。
そんな初瀬の地というのは「大和川=やまとがわ」という、
奈良盆地を潤す貴重な河川の上流域に位置していて。
山奥から流れ出す清水の流れと、
ソレに連なる細長い山合いの谷は緑も濃く、深く、美しく。
心地良い風もスラリと抜け通る豊かな地です。

大和川もこの源流部分では、

地名と同じく「初瀬川=はせがわ」と呼ばれます。

きっと長谷川さんの故郷ですな(^ω^)

モチロン全員では無いでしょうけど。

長谷川さんは初瀬川さんだったわけです。

長谷部さんはこの初瀬川沿いに清々と広がる
美しき集落のことでしょうか。



初瀬の川、上流部。(^ν^)



古文献や和歌などからも長谷よりも「初瀬」の名の方が古く、
大元だということはキチンと分かっていて、
弥生時代はもちろん、
縄文時代の遺跡や土器まで沢山出てくる歴史ある地です。
そこには巨大観音像で有名な大寺院
「長谷寺=はせでら」さんもあって。(^^)



この長谷寺の「長谷」も、
元は「初瀬」であったことが容易に想像出来ます。
何かと心地よし......





本堂は国宝なのですね(^^)







長谷寺と言えば、またピン!と来る人がいるかと思いますが、
関東、神奈川県、
鎌倉市にあるコレまた有名な「長谷寺」さんも同じ系列のお寺さんです。
伝承的にもこの二つの寺院はシッカリと繋がっていて。
鎌倉の長谷寺さんは、元はこの奈良の長谷寺を関東の地に勧請し、
移したもの。
奈良の本院と同じく巨大な十一面観音像が安置され、
多くの人々から崇敬されています。



この長谷寺の総本山のある、
奈良「初瀬」の地の名前の由来を更に掘り下げていくと、
古代都市や古代大和王朝における大事な交易や、
情報の要の「道」が、
当時は「河川」であったことがわかります。
グーグルマップなどで見てもらえればさらに良く分かると思いますが、
「大和川」というのは、
本州の奥まった盆地にある奈良の都と
大阪湾や瀬戸内海を繋ぐ貴重な河川であり。
現在の堺市近くの河口からこの川を遡っていくと、
時間的にも

「あっ!」

という間に大和、大三輪の地に着いてしまいます。
そんな人や物資を乗せた船が進める限界の場所であり、
辿り着く最奥地が「初瀬」の地であって。
多くの荷物や人や情報が交換される地でもありました。
この大和川の存在が三輪山を
ヤマト国の中心地とさせた理由の一つでもありますし、
古代の王、
ニギハヤヒさんの一族が住んでいたことも容易に想像がつきます。



古代大和の地で様々な荷や人、
情報が「初めて」積まれ、出て行き、
辿り着きもする「川の瀬」でもあったので、
この地は「初瀬=はせ」と呼ばれていたわけです。
「泊瀬」と書かれていた時代もあったようですが、
この場合も「船が泊まる瀬、地」という意味であって、
同音、同意で文字が異なるだけだと思われます。

「......なにしろ、ソノ話だけでこんなブログ20回は
タップリコと書けそうなくらいなので......」

と記した「青き炎」のシリーズ記事をスパッ!と
4回で切り上げたにも関わらず、
こうして今回の記事も含め、追加で2回も!
書かなければいけなくなっていること自体に、やはり、
スサノオさんやニギハヤヒさんの途轍も無い力を
感じてしまう次第なのですが......
(^_^;)ヒヤヒヤ......

実は、今回の記事を書くことになったキッカケというのが、
前回の「番外編」で記した
「草場一壽=くさばかずひさ」さんの展覧会にあった

「虹色の龍神さん」でして。
僕は、その「虹龍さん」を幾度となく感じ取っていた?
見ていた?
というようなこともあったもので......



......あぁっ!(*゜ロ゜)



アチキわいたって普通の人ですのよっ!



ケーキ好きだし!(=゜ω゜)ノ



ピザ食べた後に蕎麦食べに行っちゃう人だし!(=゜ω゜)ノ



いたって不思議なノーマルくんだおっ!



......ってなことで。
前回記した絵画展に一緒に出かけてくれた
「フシギーズ前頭筆頭」のゴージャスプリンなお姉様に

「実わ、、
この絵の虹龍さんの写真があるんだけど見ちゃう?
ね?どや!?」

などとお見せしたところ、

「あー、、本物ですよ。(^^)
龍さんがこんなこと言ってます......」

なーーーんて、なって。
それでまた今回、引き続きの「青き炎」大和編!
なんてことになってしまっているというワケなのです。
まぁ、全国の長谷寺ファンの皆さんのためにも、
長谷川さんや長谷部さんファンのためにも、
ココわひとつ!奮起して!記そうかと。ええ。
それでもって、
これが僕が長谷寺に行った時に写り込んでくれた虹龍さん。
左上に虹色の鱗......など!?見えるでしょうか......



「何かの光の加減じゃん!」
「気のせい!」
としてもらっても何の問題もなく。ええ。勿論。
で、下が鎌倉の長谷寺から
江ノ島に遊びに来てくれていた時の虹色の龍神さん。
奈良の長谷寺の龍さんと同じ龍さんです。(^^)
写っているのは尻尾の方ですな。ええ。



プッチンプリリンのお姉さんと虹龍さんとの
フシギーな会話を聞いていたりなんかすると、
虹龍さんは最近「トアル事情」があって。
鎌倉の長谷寺の方に本拠地を移しているのようなのです。
が、奈良の方にもちょくちょく帰っているとも思われ。
この美しき虹色の龍神さんは、古代大和朝廷やこの国の創生を、
陰で支えて来てくれた大きな力を持つ龍神さんで。
前回記した「草場一壽=くさばかずひさ」さんの描いた龍神さんも、
この龍神さんではないかと思うのです。
今、この瞬間も、
この国を力強く守ってくれている龍神さんだと思うのです。
きっと。(^^)ええ。



そんな奈良、三輪山の南、初瀬の地には「出雲」という地名が
今もシッカリと残っています。
よく見るとこの標識にも......虹が写ってるのですが......
龍さんとずっと一緒!?(@_@)
「青き炎」で「少し」記したことが、
ここにも毅然たる事実として、足跡として、
残っているように思います。
出雲を故郷とする初代大和の王「ニギハヤヒ」さんの家臣や末裔が
住みついた地なのでしょうか。
大和の交易や経済の最重要地を管理、護っていたのだと思います。



ちょっと不思議好き!?な人たちの間や、
中でもマニアック?でフシギーズ!?
と思われる人々の間で時折話題に上る
「瀬織津姫=せおりつひめ」という名前の女神さんがいます。
古代日本で隠された最高の女神......と噂される女神さん。
そんな伝承には好奇心や能力者!?
のプライドみたいなものがそそられるのでしょうか......
わかりませんが、その封印され、
あらゆる角度であらゆるミステリーが語られまくるこの女神様に関しても、
僕はキット、ここ、
初瀬の地にいらっしゃったのではないかと思っています。
北に祭祀と執政の中心地である三輪山を背負い、
太陽に南面する地の高台。
目前には清廉な川が流れ、田畑や多くの山々も近い地。
陰陽道風水的にも完璧なる地。
未だ発掘調査されていない古代遺跡や城跡らしき遺構も沢山あります。



では、姫神はなぜ封印されたのか?



それは「青き炎」で記した様に、
古代の権力者達が最も消したかった偉大なる名を冠した神様
「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」
=「あまてる くにてる ひこ ほあかり くしたま にぎはやひ の みこと」
の奥様だったからです。

わかりやすいところで言えば「明治神宮」などでもそうであるように、
古代の神様を「本当に」祀る寺社では、
男性神であれば必ずその奥様......
正妻の方も一緒に祀られる形が多いのです。
当たり前の話ではありますが、
ニギハヤヒさんの足跡を消そうとした時、
そんな奥様の足跡も消さなければ業務オーダーの完成!とは相成りません。
当然、奥様の痕跡からニギハヤヒさんを辿ることも出来てしまいますので。
「もし」そんなことで封印されたと考えると......
瀬織津姫さんという美しき女神様は......僕は......



「ニギハヤヒさんの奥様!」



だったのだと思うのです。
何より、初瀬(ハセ)の地の、
その「川の瀬」から船で降りて行って「港=海=津」に出る......
大和川の瀬を下り、
津に出て行く出発の地を護る清らかなる水の女神様......



瀬を降りて津に向かう女神様......せおりつ......瀬織津姫。



「織り」は「降り」「下り」



誰が文字を変えたのでしょうか。まったく......



ちなみに、書籍やネット、
不思議なる能力を持っているとおっしゃっている様な人達も含め、
このコトをわかっている人に僕は今迄一度も出会ったことが無かったのです。が、
「青き炎」を記し出した時から起きている不思議な出来事の中の一つに、
このことを理解している人との貴重な出会いがあったのです。
先日、草場さんの絵画展に一緒に行ったプッチンプリリン♡お姉さんズのお一人は、
驚くことに、このことをとても普通にわかっていました。
龍神さんとも話せちゃいますし。
透明なる力を持った本物さんでございます。
恐れ入りまちた!(*゜ω゜*)/

あっ!

これまでセオリツ姫さんの話を一度もしていなかっただけで、
我が心の友、九州の「Mさん」や、
北陸の「Yさん」は本物中の本物ですのでトーゼン知ってますのね。
間違いなく。ええ。
そういう人たちは皆、
ちゃんと社会でしっかりお仕事をして暮らしています。
不思議~!?な力でお金を稼いでたりなんかしていません。
僕らと同じように毎日汗水垂らして、
愚痴の一つや二つもこぼしながら働いています。

これ、
とても大事なことです。

そんなこんなで、
この女神様が祀られている場所の多くが
清らかな清水の湧き出る地であるわけで。
有名どころで言えば、
京都、下鴨神社の最奧にある湧水地や、
名古屋、熱田神宮の最奧で、
これまた清水の湧き出る「清水社」の裏山に祀られていたり。
その多くが人々にとって大切な河川の源流域に祀られていることが多い......
という事実にも深く納得がいくというワケなのです。はい。

これまたイッポン!

座布団一枚!

失礼いたしやしたぁぁぁあぁ。。

また来週ぅぅぅーーーっ!( ´ ▽ ` )ノ

☆「青き炎」シリーズ過去記事☆
青き炎」「2」「3」「4
大和編
海賊編」 「2
番外編
氷川編
素粒子編
首塚編」「2」「3」「4


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「青き炎」番外編

2015-02-18 23:51:45 | 凄い
青き炎」なる記事を
2月頭からツラツラと書き出してから、何故だか!?
とてーーも不思議なことが!?
身の回りに相次いでいて......
ちょっとビックリ!&アセアセ......な感じで。(@_@;)ぁせぁせ
そんな幾つかの出来事を事細かに書いたりなんかすると

「あのヤローわちょっとポンチキなんじゃねーの!?」

などとも思われてしまいそうなので、
その辺りのことは少々の自粛をしつつ......
もう手遅れっ!?( ̄ー ̄; かもしれませんが......
それらを大まかに記すと、



@とてーーも不思議な縁で、

@トテーーモ嬉しい人との出会いがあって。

昨年の「新価値創造」という記事でチョコッと記した、
世界遺産を始め、
日本を代表する様々なモノを最も多く持つ都市、
京都市さんとの大きな取り組みゴトが正式決定したり。

@粛々と進めて来ていた某九州の
テーマパークでの新アトラクション企画を
ようやく世間に正式発表することができたり。



さらには、



@「青き炎」を記していた最中だし、
そんな諸事が続いた御礼を......
と向かった京都、祇園の「八坂神社」さんで、
特に祈祷などのお願いをしたわけでも無いのに、
ダーーレもいない本殿にポツンと特別にあげてもらって、
ユッタリと佇む事が出来た!り......



それだけでも感動的だったのに、



@「青き炎」を宿す偉大なる神様
「素戔嗚=スサノオ=須佐之男」さんと
八人の子供を祀る八坂神社さんの特別なお土産まで!
帰りに頂いてしまったり......(◎_◎;)マジッ!?と。



勿論お受け取りで( ̄+ー ̄)



2月に入ってからの2週間少しというのはこんな感じで過ぎていき、
日々の生活全てが「青き炎」の記事と共に過ごしていたような
期間ともなりました。
そして、そんな「青き炎」にまつわる諸々の
「大トリ」みたいな出来事がもう一つありまして。
それが......



@偶然のお誘いを受け、
以前から気になっていた某画家さんの展覧会に出掛け、
そこで出会った一枚の「絵」



それは、
上にも記したスサノオさんの京都の本拠地
「八坂神社」さんへのお礼参りから帰った翌日に
起きた出来事でもありました。
そして、その展覧会へ行くキッカケというのも、
トテーーモ不思議な縁で、
トテーモ嬉しい出会いをいただいた......
と記したゴージャスプリン!?
なレディースさん達のお誘いを受けて......
というなんとも驚きの流れでした。
そもそも、そのレディースさん達は
トテーモ「不思議ちゃん」な力を持っていたりもして。
それでもって、
気になっていた画家さんの個展に出会ったばかりの人に誘われる!
なんていうこと自体がなんだか強い縁を感じるようなことでもあり。
そんなこともあってイソイソと出かけて行ったワケなのですが、
また改めて

「縁とは不思議なものだ......」

と強く思わされもした次第です。
そんな僕が少し前から気になっていた画家さんというのは、
最近になって徐々に名前が知られてきた様な感じの方で。
一般的にはまだまだマニアック!?
な領域にいる人だとは思うのですが、その画風......
イヤ、「絵画手法」は独特などという言葉を通り越し

「こ、これは、、絵なのだろうか!?(゜ロ゜)。。」

という領域にあるものでもあります。
その画家さんの名前は
「草場一壽=くさばかずひさ」
さん。佐賀県武雄市に
「今心工房=いまじんこうぼう」
というアトリエを開いて創作活動をされています。
何故佐賀の地にあるのか?というと、
草場さんの生誕地がソモソモ佐賀県ということもあるのですが、
そんな草場さんの描く絵というのが、なんと、
絵でありつつも「焼き物」でもあり。
佐賀県のアノ!
「有田焼」の手法を独自の絵画手法へと発展させ、
完成させたものだからなのです。
それは現在「陶彩画=とうさいが」と呼ばれ。
キャンパス的な薄い平らな素地の上に描かれ、
焼き付けられた絵画は、
油彩や水彩の絵具とは全く違った陶器独特の光彩と存在感を放ち。
同様に、陶器特有の絵画表面の凹凸加減からは従来の絵とは違った
不可思議な立体感や艶かしさを醸し出すものとなっているのです。
通常の絵画でも、本や写真や映像などで見ていた感じと、
実物との違いには誰もが驚嘆させられるとは思うのですが、
この「陶彩画」における「ソレ」はもう段違い!の印象。
陶器ならではの強烈な濃淡陰影と艶やかさは
これまでの絵には無い質感。
圧巻の彩光と迫力。
久方ぶりの新鮮な感動を覚えました。
因みにこの作品が僕が草場さんを最初に知った作品。
ネットから拝借いたしますが、虹色の龍なんて......
それだけでもう、感嘆です......



写真でも寄りのモノだと少し伝わるのでしょうか......
通常の絵とは違った独特の質感......



草場さんは生まれ育った地元佐賀の有田焼で、
なんとか絵画を描けないものか?
と有田焼の窯元を訪ね歩いたそうです。
その突拍子もないアイデアには、どの窯元でも

「実現不可能だ」

と断られ続けていたそうなのですが、そんな中で、
最後に訪れた世界的に有名な絵師、葉山有樹さんだけが

「これは面白い」

と草場さんを受け入れてくれたのだそうです。
草場さんはその葉山さんの元で働きながら陶彩画の研究を始め、
ようやく、
これまでの有田焼の常識では考えられない色彩の表現に成功。
その技法は白い陶板に釉薬(ゆうやく)で絵付けを行い、
描かれていくものなのですが、
絵付けと焼成を10数回も繰り返しながら色彩を表現するものであり。
焼かれ、溶け合った釉薬は陶彩画独特の色彩を放ちます。
有田焼における従来の焼き付け限界回数は3〜4回であったので、
それは常識を打ち破るものでもありました。
焼き付け時の窯の温度や時間配分までを綿密に計算し、
更には、仕上がりの「偶発性」をも考慮しながら
窯の中で仕上げられていくという絵画。
「偶発性」とは焼き付けのことですから、
最後の仕上がり具合は神のみぞ知る!?
というような領域が残されているということです。



それは、
草場さんが20数年に渡る研究の末に開発し、
完成させたもの。



陶磁器と同じ特徴をもつ「陶彩画」は、
経年劣化も起こしにくく耐候性にも優れているそうです。
見に行ったのはそんな絵です。



さて。
今回は「青き炎」の番外編、です。



この日、今までの個展では一切出展していなかったという
草場さんの初期作品が初めて出展されていました。
それは僕も全く認識していなかった絵で、見た瞬間、
僕はその絵の前で数分間呆然と立ちすくんでしまいました。

「コレを見るために来たのかな......今日。もしかして......」

画像はネットからちょいとお借りして......



この絵は......まさに僕がイメージしていた、
イヤ、僕の中にしっかりと思い描いていた
「青き炎」そのものだったのです。
深き深海の底で静かに揺らめく青き炎。
揺れる命の炎。
灯火。
スサノオさんのエネルギーそのものの姿に感じられたのです。
しかも!草場さんがつけていたタイトルが......「神話」......
そのタイトルに追加で5分!(;゜0゜)
僕は立ちすくむこととなります......
そしてあまりに感動してしまった僕は、
とてもこの絵が欲しくなり、
黒服の女性スタッフさんを呼んで値段を聞いてみました。



「これ、いくら?です?欲しいのですよ。かなり。完璧に。
はうまっち!?

「はいーー。
えーーっと、この絵はですね、
個展には今回初めて展示したのですが......
初期の作品で、本人的には手放したくないものらしく」

「ほーほー......して?おいくら万円?」

「はいーー。
えーーっと、以前、
この虹色の龍の絵が1千万で出していたのですが、、
売れてしまったのですね」

「ドォォ━━━━(∂△∂;)━━━━ンンん!?!?
い、い、、いっせ、、ん、、、」

「その売れた絵も初期作品の一つでですね、
本人的にはあまり売る気が無かった絵だったようなのです。
それで、この値段なら売れないだろう。。と。
1千万の値段で出していたそうで、、、
それが売れてしまったので、それで、この絵は、、、」

「は、はぁ......はぁ......( ̄▼ ̄|||)......
お、おいくらで......ハァ......」

「ええ。3千万で」

「ぽ、ぽすとかーどわありますかね!?(=゜ω゜)ノ」



......いや、もう、さんぜんまんとわ......
既に、すごいのでやんすね。。
もうブレイクやん。
絵に住めるやん。
しかし、まぁ、それくらいするですよね。これ。。
すごいもの。実際。見ると。焼き物だし。絵だし。
それくらいするですよ。ええ。きっと......
海外で個展なんかしたらもう5千万でも売れそうだもの。
ブレイクですな。こりゃ。
時が経ったら、もう、億イク!?絵なんだろうな。

でも。。

ほすぃ。。

とてもホスィ。。

「青き炎」とても欲すぃ。。

スサノオさん欲しい。。

かくなる、うえわ......

んんん......

nnnnnn......

......

......

......

ルパーーーン!o(* ̄○ ̄)ゝおしごとよぉぉぉぉーーーーっ!



展覧会のパンフレットも虹色の昇り龍さん(^^)
草場さんの龍さんが凄いのは、なんと!爪が5つ!の龍なのです。
これは......龍神さん達の中でもハンパない龍神さんだったりします。
こんな龍を描く人など......本当に珍しいでやんす。ヤバイです。
草場さんの絵というのは神々の絵を描いているものなども多く、
そんなところも含めて、作品を見ているとドレも

「この人実際に見えちゃってるのでわわわ!?」

なーーんて思うくらい凄くリアリティがあって、
よく見ると実は独特で。
特に天照大御神(アマテラスオオミカミ)さんの絵なんて、
僕が今まで見たアマテラスさんを描いた絵の中では最高!
の一枚。描写。
個人的にその辺りにも感激してしまうのです。
気がついたらプレミアムカードなるモノも買っちゃった......し。
スキスキ(^^)


でも......


三千万かぁぁ......


うーーーーん......


☆「青き炎」シリーズ過去記事☆
青き炎」「2」「3」「4
大和編
海賊編」 「2
番外編
氷川編
素粒子編
首塚編」「2」「3」「4


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青き炎 4

2015-02-14 18:07:36 | 面白い...パワスポ寺社
その石上神宮に主祭されている神は3柱。



・布都御魂大神 (ふつのみたまのおおかみ)
・布都斯魂大神 (ふつしみたまのおおかみ)
・布留御魂大神 (ふるのみたまのおおかみ)



こ、この名前わぁ......
出雲から?だれがぁ?やってきたのかぁ......?
「日本最古の神宮」にぃぃぃぃぃ!?
授業で教わった初代天皇「神武東征=じんむとうせい」って、
九州からじゃなかったっけぇぇ!?
ソレとコレとは違うのかぁぁ!?
ムムムのムゥゥゥーーーーーーーーーッと、やっとこさ!
最終回「フルとフツ」のお話につづきます。。




仏壇や神棚を祀ったり、お墓などを持つ時は、
通常、多くの家では、当たり前ですが、
身近で縁のある神仏や祖先の皆様方を置かれると思います。
それは、全て、
この世界から離れたところにおられるであろう方々のハズで。
そんな方々に命や世界を繋いで来てくれたことの感謝を捧げ、
同時に、今を生きる自分達にも何卒の
見えない加護をお願いするようなこともあるかと思います。

そんな仏壇や神棚やお墓の存在意義を考えると、
ソコに今現在生きて頑張っている人や、ましてや、
自分自身を祭ったり置いたりすることなどはマズ無いかと!?
思います。

石上神宮というのは記録に残る「日本最古の神宮」であり、
古代大和朝廷が最初に神宮の称号を与えた宮。
その場所は古代大和の中心地
「三輪山=大神神社=おおみわじんじゃ」の北。
風水思想陰陽道では根元の力を置く方角。場所。
お墓や仏壇、神棚を置くにも最善とされる場所。
そこに石上神宮はあります。



きっと大神神社に祀られる神様の祖先であるはずです。



そして、その大神神社に祀られる神は
「大物主神=おおものぬしのかみ」。
古代大和朝廷の中心に聳え、
全てを見渡す大神山そのものを神格化し、
その山に宿るとされる偉大なる神。
この「おおものぬし」を辿れば、
九州や出雲に多くの痕跡を残す
「大歳=おおとし=大年」
という神と同じであるということに辿り着き。
その諡(おくりな)であろう別名を記せば



「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」
=「あまてる くにてる ひこ ほあかり くしたま にぎはやひ の みこと」



更なる別名は「饒速日尊=にぎはやひのみこと」



三輪山に鎮まる古代大和王朝の最初の王。



それは、スサノオの打ち立てた
「原初出雲=九州王国」を奈良の地、大和にまで広げ。
古代大和朝廷を打ち立てた張本人。
偉大なる神。



記紀や民族史を語る際、
とかく「天津」「国津」と分けて話される神々や民の系譜。
しかし、
ニギハヤヒはその両方の名を冠している唯一の神でもあります。



その意味はとても深いと思います。



「アマテル、クニテル......」とは、



きっと統合の証。



それは天津も国津もなく。
天も地もなく。
原住民も移住民もなく。
支配も被支配もなく。 
鶴と亀で表されるものの統合。
それは陰陽統合の証。



初代国祖アマテラス」の可能性。



「大化の改新」というクーデターの正当化と、
民心掌握を狙った歴史改竄書とも言える
「記紀」の物語の綻び(ほころび)は、
全てがこの神を隠すことの「無理さ」に帰結されます。
偉大なる大王スサノオの志を継ぎ、既この時代、
東北地方も含めた一大国家統一を果たしていたこの神の足跡は、
最早、隠そうとしても、隠しきれるものではありませんでした。



それは「民の心も含めて」です。



石上神宮はその三輪山の神と国の氏神を祭った神社。
原初においては、
生きて活躍していた「ニギハヤヒ」さんが祭っていた
祖国出雲の神々以外には考えられません。
そして、それは自らの父であり祖先であったに違いありません。
そう考えるのが「普通」のことです。
前回記した出雲「宇美神社」や「石上神社」に伝わる由緒



==============================
社号 “宇美” の起因は、祭神 “布都御魂神” が出雲国にご来臨の際
海上より御上陸になったところからこの社号ありと伝えられ......
古代の神名帳には「宇美神社、塩津村、海童」と記されていて......
==============================



に書かれていることや、その他、
日本各地に残る史跡や寺社の由緒などから考えてみるに、
主祭三神のうち
「布都御魂大神 =ふつのみたまのおおかみ」というのは
「海童=スサノオ」の父。

「布都斯魂大神=ふつしみたまのおおかみ」は
「斬る」という文字が入っている以上、
この神宮に伝わる国宝でありご神体でもある
「十拳の剣=とつかのつるぎ」
を指すであろうことは自然で明白。

その剣は、
その名前よりスサノオの父「フツ」の持っていた剣でもあり。
若かりし頃のスサノオが
「ヤマタノオロチ」
を切り刻んだ時に使ったとされる伝説とも照らし合わせれば、
それはスサノオが父「フツ」から受け継いだ?
または借りた!?
強力無比なる名刀であったことも想像できます。

そして、
残る「布留御魂大神=ふるのみたまのおおかみ」は、勿論、
ニギハヤヒの父で、フツノミタマの子
「素戔嗚=スサノオ」ということになります。
石上神宮に残る伝えでは「フルのみたま」に関して



==============================
天璽十種瑞宝(あまつしるし とくさのみづの たから)
に宿られる御霊威を称えて布留御魂大神と申し上げます。
天璽十種瑞宝とは、饒速日命(にぎはやひのみこと)が
天津神(あまつかみ)から授けられた
十種の神宝で、それらには
”亡くなられた人をも蘇らす”
というお力が秘められておりました......
==============================



と書かれていますが、
ニギハヤヒが大和に入る時、
父スサノオからその「大王家の証」として授けられたものが
「十種神宝」であり、
彼が父や祖国の象徴として大切にしていた宝......
と考えるのが自然と思われます。
なにより、前回記した通り、この神社は本来、
伊勢神宮が出来る以前の天皇家の氏神の宮であり、
記紀神話編纂の際に徹底した宝物、
書物資料の没収と「由緒の改ざん」を受けた
2つの神社の内の一つです。
現在の公的由緒を僕は「そのまま」受け取ることはできません。

ニギハヤヒは尊敬していた
偉大なる建国の御祖(みおや)である父と祖父とを、
自らが執政を振るっていた地の北方に祭り。
そして、自らが天帰した後には、
その三輪山の地に子孫や民の手によってそのまま鎮まり。
今に至るまで数千年にわたりこの国の歩みを見守ってきた......
三輪山とは元々は
「三室山=みむろやま=御諸山=みもろやま」
であり。
父、スサノオの居住地であった出雲の「須我神社」の主山
「三室山=みむろやま=現在は八雲山と改名された!?」
と同名なのです。
それはヤマトの王「ニギハヤヒ」が奈良の地に入った後、
父スサノオゆかりの地を想ってつけた名前でもあったはずです。

さらに記せば、
記紀の編纂時に徹底した改ざんと宝物の没収を受けた2社のもう一つが、
何を隠そう、
この「大神神社=おおみわじんじゃ」さんなのです。
主祭神の「おおものぬし」とは、おそらく、
その時に朝廷から変えさせられた名前であり、
元はアマテル、クニテル、ニギハヤヒであったはずです。
この辺り、一つ一つをこんなブログで
「どこの神社の何にコレがあって......」
「ドコドコにはこういう記述があるけど実はこうで......」
などと記しているとあまりに長文かつ、
話が複雑にもなってしまうのでここわ!ひとつ!

「ドドドーーーーーン!とハショリまちた!(=゜ω゜)ノ」

のですが、これが全国の寺社をくまなく周り、
それなりの勉強をして、
それなりのカンを働かせて、
それなりに「普通」に考えてみた時に見えてくる
この国の真の歴史であり、
権力者によって隠された真実なのです。
コレが神々の真実であるように僕には!思えるのです。



いつの時代も、
政治家のコメントやマスメディアから流れくる言葉より、
人々の生活の中に真実はあるのだと思います。



フツ、フル、トシ=オオトシ。
それぞれの物語やハショッタ部分は、これまで通り、
この先もパズルが埋まっていく様なイメージで記していきたく思いますが、
この名前の響きには多分に大陸の匂いを感じとることが出来ます。
それは出雲の地から隠岐島や日本海を辿り、わたり、
辿り着いたあたり......
北朝鮮の端から中国国境の辺り......満州......
そのさらに奥地、
シルクロードを辿ってモンゴルの平原から古代オリエント世界に至るまで。
少なくとも「シルクロード」は
記紀成立の数千年前からシッカリとありました。

そんな道を辿り日本海の荒波を越えてきた人々はいない、
などとは言い切れません。
太平洋を対馬海流や黒潮に乗ってやってきた人々はいない、
とは言い切れません。



4回にわたりグダグダと記してきた「青き炎」という小話は、
最初は横綱「白鵬」さんの話から始めました。
もう一度、
そこにも少しの意味を見出してもらえたりすると......
興味深くなるかもしれません。

相撲という唯一無二の競技を創り、
磨き上げたのは紛れもなくこの日本国に生きた人々です。
それは疑いようも無い事実です。
ただ競技として確立される前のルーツなどはあるのか?となったら、
その「一部は」もしかしたら海の向こうにもあったかもしれません。
僕らが生まれた時には、
お尻に「蒙古斑」と呼ばれる青いアザが付いていたりもします。
それはDNAが語る何かのメッセージかもしれません。



縄文時代。
人々がまだ石器や脆い鉱物を使い、
狩猟中心の小さな集落単位で暮らしていた時代。
その時に、
強い鉄の剣や武器を持った人々が何処からか乗り込んできたら......
迎え撃つこの国にも、
同様の知恵と技術を持った一部先進的な民がいたとしても、
しかし、その相手が大陸をも制した武器を持ち、
馬に乗って戦う
「騎馬戦法=きばせんぽう」
を用いるような手練の戦士達が集うような部族だったとしたら......
「一騎当千=いっきとうせん」
とは、馬上で戦う戦士一人は千人の歩兵に匹敵する力だということ。
そんな騎馬部隊を率いれる偉大なる武将が
もし出雲の地にいたとしたら......

様々な神社に馬が祀られている意味は?

狛犬がライオンであることの意味は?

神社仏閣を巡る旅というのは、

僕にとってはそんな古代日本の姿を思い、知る旅でもあります。

それをタダの好奇心というのか、浪漫とするのか......

それぞれですが。

そして、そんなコトを知ったところで、
毎日の生活に大きな影響をもたらす様なコトは無い......
というのもマタ確かでございまふ(´・ω・`)

「古事記」が出来て、
そのリイシュー版である「日本書記」が完成した時より
13年後。
心奥に「青き炎」を宿していた「大王スサノオ」の偉大なる軌跡を、
時の権力者によって
「荒ぶる神」
「天照に会いたくて泣き、叫び、高天ヶ原を追放された神」
などと無理やり捻じ曲げられてしまったその末裔達が、
さりげなく、
しかし力強くシッカリと記した「出雲国風土記」には、
「素戔鳴」さんのことがこう書かれています。



「須佐之男は仁慈の名君であった」



「青き炎」
一旦、仕舞わせていただきます(^^)





スサノオさんが正妻「櫛名田比売=くしなだひめ」や、
妻姫達との間で授かった8人の子供達は、
それぞれの夢と出雲の誇りを持って全国に巣立っていきました。
古代ヤマトの王となった饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)の活躍は勿論のこと、
皆それぞれ連携しあって日本各地で伝説的な偉業を成していきます。

上の写真は、その昔、
スサノオさんがそんな子供達の成長に満足もしつつ、
最晩年に隠居的に暮らしていた所ではないかと想像も出来る
島根県、出雲、須佐(スサ)の地。
出雲の中でも一際美しく、豊かな山間の里。
そこに今もひっそりと佇む「須佐神社=すさじんじゃ」
主祭神はもちろん「須佐之男=スサノヲ」さん。
横には奥さんのクシナダさんも(^^)必ず。



海の王らしく「亀」さんも祀られています。
伊勢や天津系の「鶴」に対する象徴の意味もあるでしょうか......
御神木の大杉と裏庭一帯は......パワーハンパ無し!(@_@;)グルグル。。。





境内にわ!(敷地は区別されていますが)
絶品蕎麦屋も温泉も!ありますぅ~♪(´▽`)



出雲須佐温泉「ゆかり館」と、
「味処すさのお」さん。



大王「スサノオ」とは、
晩年の「須佐の地の王=須佐の王」に由来するのだと思います。
そしてイワユル「八王子=はちおうじ」とは、
スサノオさんの8人の子供達のことなのでございますの、ね。(^^)


☆「青き炎」シリーズ過去記事☆
青き炎」「2」「3」「4
大和編
海賊編」 「2
番外編
氷川編
素粒子編
首塚編」「2」「3」「4


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青き炎 3

2015-02-10 20:34:34 | 面白い...パワスポ寺社
神話に「偉大なる神」「荒ぶる神」と記されている
スサノオ(素戔嗚、須佐之男)さんは本当に実在していたのか!?
いたとして、いったい、どこから来て?どこに居たのか?

「そんなの出雲じゃね!?当たり前じゃん!」
「オマエ、前、この記事で書いたじゃん!( ̄Д ̄)ノ 」

......という知見あるツッコミも含めて、
そんな一般的に話される神話の先に見え隠れする世界に
乗り出してみようかと。
せっかくですし。

そんな訳でこのお話は、次回、
その「鼻」のお話へと続いていくのでございます。(^ω^)




スサノオさんにまつわる神話は、
言わずもがな「出雲国風土記」に拠るところが多く。
しかもその逸話の多くをスサノオさんが占めているような状況。
それはもう「風土記界の主演男優賞!」という感じ。
そして、その出雲系の神話というのは、宇宙や世界、
神々や日本国の成り立ちまでもをツラツラと書き記す現日本最古の書物
「記紀=きき」において、なんと!
全体の1/3以上!を占めるものとなっています。
ということは、スサノオさんというのは、もう

「神話界におけるスーパースター!」

という感じなのでございます。
さらに記せば、
全国津々浦々に散らばる神社というのは現在3000社以上もあるのですが、
その内、出雲大社に代表される、
いわゆる「国津神系」と呼ばれる神々を主祭する社(やしろ)は、
なんと!
その70%以上!
を占めるのです。

伊勢系に代表される「天津神系」の神々を主祭とする神社は意外にも少なく、
全体の20%ぐらい。
その他の神々で残りの10%という感じ。



この事実はいったい何を示すのでしょうか。



そして、
そんな全国に散らばる多くの神社の中でも中心的に祀られる
出雲のスター「大王スサノオ」さんの生誕地は、
その逸話が最も多く残されている出雲の地ではないか?とも目され。
実際にスサノオさんの生誕や天帰にまつわる逸話なども
幾つか残っている地でもあります。



そんな中での「鼻」です。



そんな出雲の地で鼻とは?



なんでしょうか。



グーグル・マップ等で島根県、出雲地方にズーム・インしていくと......
有名な出雲大社のある出雲の地というのは、
列島から日本海に突き出た半島のようなところで。
内陸側には陸に囲まれた湖のような二つの大きな内海
「宍道湖=しんじこ」と「中海=なかうみ」があります。
その二つの内海の外側の半島が海と接している海岸線部分にドンドン......
とフォーカスし、ズームインしていくと......
アルことに気づきます。
半島が日本海に接する海岸線はリアス式海岸の様に複雑に入り組んで、
小さな入江や岬が幾つも織り連なっています。
その「岬=みさき」と呼ばれる部分は全てこう書かれています。



「◯◯◯◯鼻」



この例を地図上から記すともうキリがありません。
出雲大社の直ぐ左には「赤石鼻」なんて岬があります。
さらに海岸線を辿っていくと大きな所では「十六島鼻」
さらには「長尾鼻」「地蔵鼻」「若松鼻」「生須鼻」「犬堀鼻」......
この海に突き出た岬を「鼻」と呼ぶのは何も出雲地方だけではなく、
山陰、山陽、四国、九州、関西、中部、北陸、新潟......
いたる所で見受けられます。

そうです。

記紀神話で「イザナギの命の鼻」から生まれ、
「海を治めなさい」といわれた素戔嗚の命は、
海に突き出た岬である「鼻」、
もしくは「鼻の近く」で生まれた、
と暗に言っている可能性があるのです。

しかし、わたくしめわ学者さんじゃあーーりません。
ここわ一般ピーポーのポンポコブログですし。
ええ。
権威も責任もありません。( ̄∇ ̄)
霊感一本!のお気軽極楽で、もう言い切っちゃいますが......



スサノオさんは半島の「岬」で生まれた、もしくは、
海の向こうから渡ってきて育った、のです。



しかし......まぁ......「もし」そう考えると、
記紀神話」とはなんとナメタ話!?なのでしょうか。
この作者さんは読む人を馬鹿にしてますのかぁぁ!?( ̄ー ̄;)ってね。
そんなふうに勘ぐりたくなるぐらいポップでチープなファンタジーです。
そしてこの沢山の「鼻」が並ぶ出雲の半島の中でも、
日本海に突き出たエリアの中に、幾つかの理由から
(それはこの先の最終回!あたりで少し記すとして......なにしろ、
ソノ話だけでこんなブログ20回はタップリコと書けそうなくらいなので......)

「ここわ!
スーパースター素戔嗚さんの生誕に関係する場所なのでわわわ!?」

と思われる神社が内海と外海との間ぐらいにある内陸に見つけられます。
場所が海のそばでは無いので怪しさも半分......なのですが、ただ、
何と言っても、その神社の名前が「海の王」を連想させるくらいの!
思わせぶりな名前だったりもするのです。
その名も......



「宇美神社=うみじんじゃ」



その由緒にはこんなことが書かれています......



================================
出雲国風土記に当地は楯縫郡沼田郷と有り、
当社は「宇美社」として記される古社であります。
社号 ”宇美” の起因は、祭神 ”布都御魂神” が出雲国にご来臨の際
海上より御上陸になったところからこの社号ありと伝えられ......
================================



主祭神は素戔嗚でなく「布都御魂=ふつのみたま」



「祭神がスサノオじゃないじゃん!コラッ!( ̄△ ̄)ノ」



という熱い叫び声も、
詳しくはマニア向けに予定している最終回で説明するとして。
この「布都御魂」というのは、
辿っていくとどうもスサノオさんのお父さんのようなのです。
本筋とは別に、この話が衝撃!?
な方もいるやもしれませんが......
教科書にも出てきませんし。
記紀やどんな書物にも全く書かれていませんし。ええ。

でも一旦この部分は最終回に譲るとして、
強行突破で話を続けると、
この宇美神社はスサノオさんのお父さんが海の向こうからやって来て、
住まわれていたかもしれない地、家......
それはスサノオさんが生まれ?過ごしていた実家......
的な匂いもプンプンとしてくるのです。

しかしながら、
数千年に渡り秘されてきた素戔嗚さんにまつわるコトゴトは
まったくもって複雑難解で。
この宇美神社に関しても更に詳しく調べてみると、どうも、
現在神社が建っている地というのは、
元々この神社があった場所というわけではなく。
出雲風土記に記される更に前の時代には神社は別の場所に建っていて、
そこから現在の場所に移されて来た......ということがわかるのです。
そして、その元々在った場所というのが、
宇美神社から程近くにある、
日本海に面するとても小さな漁港で。
立地的にはまさに沢山の「鼻」が入り組む地のど真ん中......
その名は



「石上神社=いそのかみじんじゃ」



磯の神!?神社!?



出雲市、塩津村というとても小さな漁港にある小さな神社さんで、
出雲大社の後ろの山を日本海側にグルリと抜け出た先にあります。
神社は海に面した小高い丘の上にひっそりと、
しかしとても大切に扱われ、佇んでいます。
その由緒にはこんなことが記されています。



================================
社号を石上神社と称し、祭神を布都御魂とし、
そして式内宇美神社であると伝えている。
(中略)
やがて大和国石上神宮に仮托して、
旧祭神海童(海津見神)を布都御魂命とするに至ったというのである。
「式内社調査報告」
================================



シンプルに言い換えれば、
この神社は古代の神名帳には「宇美神社、塩津村、海童」と記されていて、
古代より祀られる「海童」とは「海神」を意味している、と。
その海神とは、
もしかしたらスサノオの父「フツノミタマ」かもしれませんし、
「童=わらべ」という字を考えると、
神話に記される「海の王=スサノオ」の少年時代かも?しれない。
先に記した現在の「宇美神社」の由緒と合わせて読み込んでみると、
地理的にもココがスサノオの父
「フツヌシノカミ=フツヌシノミタマ」
が海を渡って来て辿り着いた......いや、流れ着いた!?
地なのかもしれない。
スサノオの最初の家があった地なのかもしれない......



アァ。。。



あああぁぁぁ。。。。



ロマーーーーーン!+。:.゜ヽ(●´∀`)ノ゜.:。+゜



みやざきはやおぉぉぉぉ。。(○´▽`)♪



こんなジブリちっくなお話の部分部分がたとえ「妄想」だとしても、
確実に言えることは、この島根県、出雲半島の外海側のどこかに、
スサノオの家族が日本海の荒波を越えて辿り着いた「岬=鼻」
があるということは確かの様で。そして
「あんた変わってるね」
という冷たい視線を浴びまくりながら、
全国の神社をスサノオさんの足跡を追いながら徹底的に回ってみれば、
スサノオさんの父の名は「フツヌシ」であるということにも辿り着きます。
さらには、この出雲の「石上神社」と同じ名前で、
同じ主祭神を持つ奈良県、天理市、布留(ふる)の地にある、
「石上神宮=いそのかみじんぐう」
の由緒をつぶさに調べてみれば、記録に残る限り日本最古で最初の
「神宮=じんぐう」号を持つこの神社の創建物語や、
祭神達の名前や、
神宮のある土地の名前からも、
若き日のスサノオさんの名前が「フル」であったということまで
想像できるのです。



恐らくは「若き日のスサノオ=フル」さんは、
「父=フツ=布都御魂」と共にこの出雲の地を支配し、治め。
良き国として育てていくのです。
それは誰でも想像することが出来るお話なのです。
その名がどこか大陸風の響きを持っていることも、
海の向こうからやってきた神という記述との符合も、
誰もが想像できることなのです。



なんといっても、
現日本国の創建にまつわる貴重な歴史資料の一つであり、
教科書にも出てくる「記紀」の編纂(へんさん)に関しては、
その作業当時、
時の朝廷は日本中から集められるだけの歴史書や風土記、
多くの神社の由緒や、
名家や有力氏族の系図までもを徹底的に取り寄せ、編纂した......
ということが史実として記録されています。



その目的は何か?



後世のためにその時点での歴史を纏める......
という目的だけだったのか?



時の権力者の皆々に都合良き物語となって、
民心も掌握できる物語となるような編集目的などは無かったのか?



全国から集めた貴重なる歴史資料は、
その後何処へ行ったのか?



全てはクーデター的に立ち上がった新政府を正当化し、
永続させるための方策ではなかったのか?



そのクーデターとは、
ココでは世に言う「大化の改新」のこととして記してはいます、が......
そんなふうにして「虚実入り乱れ」ての編纂が成され、
どうしてもつじつまを合わせられないところに至っては

「ええぇーーい!
もうこうなったらミステリアスなファンタジーにしてしまえーい!」

というような感じで仕立てあげられ!?
ロマン溢れる神話として書かれた部分もかなりあるのではないか?
というのが「記紀」という書物の正体なのだと思います。
そしてそれは、全国の寺社をくまなく回った者であれば、
誰しもが直ぐに感じられるであろう事実であって。
決して「真実」を全て覆い隠すことが出来ない「嘘の力」の限界と現実。
更には、
そんなふうにして編纂された時の権力者直轄!の業務の中でも、
特に!徹底的に!
由緒や宝物の没収、隔離、調整をさせられた神社というのが
「2社だけ」あったのです。
そのウチの一つが、実は今日記した
「日本最古の神宮=石上神宮」でもあるのです。
因みにあの伊勢神宮も古名は「磯宮=いそみや」と言います。
その石上神宮に主祭されている神は3柱。



・布都御魂大神 (ふつのみたまのおおかみ)
・布都斯魂大神 (ふつしみたまのおおかみ)
・布留御魂大神 (ふるのみたまのおおかみ)



こ、この名前わぁ......
出雲から?だれがぁ?やってきたのかぁ......?
日本最古の神宮にぃぃぃぃぃ!?
授業で教わった初代天皇「神武東征=じんむとうせい」って、
九州からじゃなかったっけぇぇ!?
ソレとコレとは違うのかぁぁ!?
ムムムのムゥゥゥーーーーーーーーーッと、やっとこさ!
最終回「フルとフツ」のお話につづきます。
なんだか疲れまちたな......今回。。
流石スサノオさん(*・○・)=3 ポンポン






ここが出雲の奥地、





海を眺めながら佇む「石上神社」
この神社の前の海を小高い丘上からこんなふうに眺めていた時に......



僕はワケもなく涙が溢れ出てきました。
それは、どんな涙なのか......しばらくは止まりませんでした。
僕は戸惑いながらも、温かな郷愁と、切なさと、しかし、
とても強い勇気みたいなものを感じていました。
それは、今になって振り返り、例えてみれば、
深い海の底で静かに揺れる「青き炎」のような勇気だったと思います。


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青き炎 2

2015-02-06 22:56:52 | 面白い...パワスポ寺社
そして、「青き炎」とは、
また、なんともスサノオさんに似合う言葉、
タイトルだなぁ......と、
そんなことも勝手に思いつつ、
この国の創生神話において、
意図的に秘されて来たと思われるこの神様のお話は、しばし!
続くことになるのでございます。(^^)




この国に残る最古の書物
「記紀=きき=古事記&日本書紀」
に記される神話によれば、
国の「象徴」とされている天皇家は、
この世界を創った神々の直系とされています。
こんなふうに、一国の王や統治者が神話という形で
神々と結びついているような事例は世界中に沢山ありますが、
現存する国家の中で、
今現在に至るまで君主として君臨し続けている国というのは、
日本が「世界で唯一」となります。



実は凄いことにゃのか!?



なんか意味があるのか!?



考えすぎ!?



か!?



そして、曖昧な神話などとは別に、
史実として確認出来る事柄からでも、
天皇家というのは現存する全世界の王族や皇族の中で
2番目に古い歴史を持っていることが実証されてもいます。
世界一は史実を紀元前10世紀にまで遡ることができる
エチオピア国王の系譜になるらしいのですが、
仮に「神話をまるまる信じる」としたならば、

「日本が世界最古!」

となっても来るようなのです......が......
そこは今後、考古学的発見などがあるのか!?
無いのか!?
ちょっと楽しみなところでもあります。(^ω^)

そして、そんな神話によれば、
現天皇家の「初代」は神武天皇とされていて。
神武さんは太陽神「アマテラスオオミカミ=天照大御神」の孫である......
ともされています。

この話から天皇家は神の系譜と謳われ、
現在、国家の本宗(ほんそう)である伊勢神宮
内宮(ないくう)が
天照太御神を主祭神としているということもこの神話によります。
そんな国神であり太陽神でもあるアマテラスさんの奥には、
更に偉大な神々が連なり居て。
その「生まれ」にまつわる話としては、
日本書紀より一層古い「古事記」には、
だいたい、こんなことが書かれています......



————————多くの島々や神々を産んだ
伊邪那岐(イザナギ)、伊邪那美(イザナミ)の命。
その後イロイロとあって、
奥さんのイザナミさんが死んじゃった!(;゜ロ゜)

イザナギさんは黄泉の国に行ってしまったイザナミさんを
連れ戻そうと追いかけたのですが、
あちらの世界で変わり果てた姿となっていたイザナミさんに驚き、
おののき。
」を投げつけながら!
黄泉の国から慌てて逃げ帰りました。

帰ってきたイザナギさんは、
黄泉のケガレを洗い、清めるために
「小戸の阿波岐原=おどのあわぎはら」という場所で
「禊ぎ=みそぎ」祓いをしました。
が、この禊ぎの最中にも沢山の神々が生まれます。
その中で、最後に生まれ出た三柱の神というのが
天照大御神(アマテラスオオミカミ。太陽神)
月読命(ツクヨミノミコト。ツキヨミノミコト。月神)
素戔嗚命(スサノオノミコト。海神。荒ぶる神)

アマテラスさんはイザナギさんが左目を洗った時に生まれました。

ツクヨミさんは右目。

そして、

スサノオさんは......

鼻を洗った時に生まれました。

イザナギさんはこの三神の誕生にはひときわ喜び。
アマテラスさんには神々の国、
高天原(タカマガハラ、タカアマハラ)を支配しろ、と。
ツクヨミさんには夜の世界を支配しろ、と。
スサノオさんには海を支配しちゃいなさい、と、伝えます。
この時から彼等は「三貴神」と呼ばれ、
この世界を統治していくことになります————————



このお話は、
着物を着たりする時に左が前に来るようにしたり、
女性は左側が良いですよー、とか、
ブレスレットは左手にしたほうが良いよー、とか。
左手は清浄で、右手は不浄だから、とか。
そんな事の起源にも多分に関連しているものとも思われ。
特に太陽神で女神ともされているアマテラスさんの
「左目生まれ」
というのはとても影響大!な感じで。

北を背に、
南中する真昼の太陽と向き合った時。
太陽は「左=東」の方角から昇り、
「右=西」の方に沈んでいく......
ということを重ね合わせてのこととも思われます。
太陽が沈んだ後の世界は夜。
月が支配する世界。
右目にツクヨミさんというのもよくわかります。



しかし、スサノオさんは......



強き、青白き炎を宿すスサノヲさんは......



「イザナギの鼻から生まれた......」



と書かれています。



鼻から生まれた。。



なんじゃそりゃ!?



この部分は「三貴神」の出生にまつわる記述です。
神々の根本的なことが隠されているかもしれません。
神々の謎......
この国の創生の謎.......
を、解く鍵が隠れているのかも?しれません。
ただ......



悪ふざけ!(・ω・)ノ



......かもしれません。



しかし、もし、
長嶋さんやマイケル・ジャクソンさんが
遠い未来世界で人々から神と崇められている!?
かもしれない?
のと同じようなイメージで、
神話の神々も神となるソノ前に、
この世界を僕らと同じように毎日毎日懸命に生きて、
泣き、笑い、感動し、感激し、
時に落胆し、嘆き、悲しみ、それでも前を向き、
大志を持って歩みゆくような人生を送っていたとしたならば、
太古の世界で活き活きと生きていたかもしれない......
としたならば、
スサノオさんにも確かなる足跡が残っているハズで。
そしてソレが偉大で大きな足跡であればあるほど、
後の世の支配者が都合の良いように隠し、
歴史を書き換えていたとしても!?
それらは隠しきれないハズで。

さて、

神話に「偉大なる神」「荒ぶる神」と記されている
スサノオ(素戔嗚、須佐之男)さんは本当に実在していたのか!?
いたとして、いったい、どこから来て?
どこに居たのか?

「そんなの出雲じゃね!?当たり前じゃん!」
オマエ、以前、この記事で書いたじゃん!( ̄Д ̄)ノ 」

......という知見あるツッコミも含め、今回は、
そんな一般的に話される神話の先に見え隠れする世界に
乗り出してみようかと。
せっかくですし。

そんな訳でこのお話は、
次回、その「鼻」のお話へと続いていくのでございます(^ω^)


このマニアックな方向性はドンドン!と、
ページアクセスを落ち込ませていく!?
のでございまつ......(´・_・`)ええ。きっと。セレナーデ。





もし、三貴神さんがこの世界に実際に生きて、
存在していた神々だとしたならば、
イザナギのパパが禊祓いした
「小戸の阿波技原(おどのあわあぎはら)」という地も......
実際に存在する可能性があります。
上の写真は色々な説がある中で僕の思う
「オドノアワギハラ」
の地。九州は福岡県(筑紫)、姪浜の小戸という地にある
「小戸大神宮=おどだいじんぐう」。
バーベキューや海水浴もできる綺麗な入江にポツン......と、
隠れるようにして「小さくて真っ白い宮」が置かれています。



敷地も、何もかもがとても小さく。
この社(やしろ)しか無いのに......
「大神宮」とされています。
日本中の神社で毎朝、毎日、祭祀や結婚式、
七五三や厄払いなどでも必ず唱えられる、
神道における最重要文
「大祓の祝詞=おおはらえののりと」。
そこで、イザナギさんが禊(みそぎ)を行うくだりに、
こんな文が含まれています。


——————つくしの、ひむかの、たちばなの、
おどのあわぎはらに、
みそぎ、はらひたまうときにあれまする、
はらえどの、おおかみたち———————


筑紫の、日向の、橘の、小戸の、阿波岐原で、
禊祓い給う時に......


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青き炎

2015-02-02 21:12:31 | 面白い...パワスポ寺社
「怒り」というのは確かに「強いエネルギー」だと思うのです。
しかも、最も強いエネルギーの一つ。
物理で言えば、
自然界に存在する「4つの力」のうち、
最も強いとされる「電磁気力=雷など」のような。

もし「怒り」もそんなエネルギーなのだとすれば、
大切で必要なものでもある......とも言えますし、
自らの力として上手く使うことが出来れば、
無理して消したり、無くしたりしなくとも、
とても強力!且つ、有用!で、
心強い味方になってくれるものとも思えます。
勿論「怒り」ですから、
持て余したり、
困ったり、
困らせたり、
傷ついたり、
傷つけられたりするようなこともあるかとは思いますが......
そして、この世界には

「異なる状態における、
それぞれのエネルギー総量はどちらも同じである」

なんていう「エネルギー保存の法則」という保存則もありますので。
「怒り」がソノ姿を様々なモノに変化させたとしても、
強烈な強さは維持したまま色々な物事に作用することが出来る......
とも思えます。
それでも亀さんが空を飛び続けたり、
鳥さんが水中を泳ぎ続けたりは出来ない様に、
種には、種として変化できる限界や領域特性もあるのでは......
とも思います。



「怒り」のエネルギー特性として
「コレには変化できるけど、コレには変化出来ない」
というようなことがあると思われる......
ということです。



そんな「怒り」が変化出来そうなものの中で
ポジティブ系のものを挙げれば、
「負けない気持ち」や「挫けない気持ち」、
「夢の実現」や「何かを成さん!」
とする時の努力やエネルギー、
「明日を生きようとする力」などがあるかと思います。
そして、そんなエネルギー変化をした後でも、
「怒り」の持つ力強さは
「保存則」によって全く変わることがなく。
他にも、そんな「怒り」と似た変化をするものには
「コンプレックス」と呼ばれるものなどもあるように思いますが、
どちらのチカラも強力なポジティブ・エネルギーにも、
ネガティブ・エネルギーにもなりえる......
というところまでとても良く似ているように思います。



時折出会う「強いエネルギーを感じる人」というのは、
そんなエナジーが、
ともすれば「強烈な怒り」という形で発露するかもしれない
というリスクをも併せ持っているでしょうし。
しかし、そんなエナジーを内的に、
精神的にコントロール出来る状態であれば

「強力な発電所を内側に持ち、制御して使っている......」

という凄味や雰囲気が外に伝わり出る......
というようなことにもなるのだとも思います。
そして、ポジティブに変化したこんな強いエネルギーは
「神道=しんとう」などでは
荒御魂=あらみたま」「荒神」
などと表現されていることもあります。



因みに......



この力の象徴である神様は、
偉大なる出雲の神「素戔嗚=スサノオ=須佐之男」さん......ですが......



スポーツ選手格闘技
勝負の世界を生きる人などには、
よく「この種のエネルギー」を感じる人が多いのですが、
こんな「荒ぶる」系のエナジーというのは、
僕には時折「炎」の様に感じられることがあるのです。
わかりやすい表現で言えば仏像の「不動明王」さんが後ろに背負っている
アノ炎のような感じでしょうか。
もしくは、胸のあたりに「ポッ」と、
灯火のように揺らめく火のような......
写真は千葉県、成田山にある、
炎のような石に刻まれた不動さんですが......



その炎は「荒ぶるエナジー」故の力の大きさや
それをコントロールする技術?具合?によって、
僕の目には「青白い炎」と見えたり、
青だったり、
蒼だったり、
赤く感じたり、
オレンジだったり、
白味がかった黄色だったり、
黄色だったり......と、
まるで夜空の星々の色のように様々です。
最近、大相撲の横綱「白鵬=はくほう」関が
歴代最多優勝記録を更新するという「偉業」を成し遂げましたが、
この白鵬関にも、ヤハリこんな感じの「強いエナジー」を
炎のようなイメージで感じることがあります。



ソレは「須佐之男=スサノオ」的な力とでも言いましょうか......



面白いのは、
白鵬関の炎の感じというのは「青系の色」に感じられることで。
それが、僕には「横綱クラスの強いモンゴル系力士」が持つ
特有のエナジーのようにも見えるのです。
朝青龍(あさしょうりゅう)さんもそうでしたし、
皆不思議と?青い、蒼い......印象を受けます。
ただ、朝青龍さんなどは何かと荒ぶり!?
世間の話題になっていたような時には
「赤い炎」に見えていたことも良くありました。
相撲の時でも赤でとっている時と、
青でとっている時とがある印象......なのです。
一方で、白鵬関にはどんな時も青いエナジーから変わる様な
イメージを持ったことがありません。
そこが朝青龍さんと決定的に違うところでしょうか。



で、

その色の話です。

青。

青い炎の話し。



以下は、一般的に「色温度」と呼ばれる表です。
単位は「K=ケルビン」と呼ばれる熱力学的温度を用います。
左からエネルギーの低い順に並んでいます。



温度を上げると発せられる光のエネルギーが上がり、
放つ光の波長は短くなります。
青い炎というのは赤や黄色よりエネルギー値が高く、強烈です。
当然波長も短い。
青のさらに上は紫。
人間に見える光のうち一番波長が短いのが紫色の光です。
これより温度を上げると、紫外線、X線、ガンマ線......
という種類になっていきます。
人間の目には見えない領域です。



どうも......
ここまで記してきた事柄から考えるに......
ボボッ!とよくよく放たれる抑制感のない強いエネルギーは
「怒り系」であり「赤系」の色で。
同じ「怒り系」でも、よく制御され、貯蔵され、
圧縮された高密度のエナジーになっているものの方は、
どうも「青系」の色を帯びていくのか?
......などと感じ入る次第なのです。
故に青い炎というのは「無くされる」こともなく、
むしろ「より強く」増強、増幅もされ、それでいて
「よく制御され、コントロールされた怒り」
ということかもしれないな......と。
僕はそんな思いにも至ってしまうのです。
あの恐ろしく強かった朝青龍さんと白鵬さんの違いに関しても、
僕は唯一点、
本人達から時折放たれるこの強力なる炎の色彩感や制御感、
圧縮感の違いでもって感じている次第なのです。



「青き炎」というのは、
もしかしたら「怒り」の変形なのかもしれませんが、
僕にとってはどこまでも静かで、深く、
その強さは底の計り知れない
畏怖すべき力=エネルギー
であるような気がするのです。



そして更に言えば、
それこそがスサノオさんの力ではないのか?
本質ではないのか?
という気もするのです。



このブログにも過去幾度か登場していますが、
九州の著名な神社で神主をしながら、
日夜多くの人々の様々な相談にも乗っている、
とても「不思議な力」を持った
釣り人!?Mさんに、少し前



「神様には ”怒り” という感情は無いのだろうか?」



というような質問をしたことがありました。
その時彼から帰ってきた答えは



「神様も怒り、めちゃくちゃありますよ~
(中略)
イザナミ様だってウジだらけの体を見られ、
あんなに怒ってたじゃないですか。
そしてイザナギ様に当たりまくった!
そう考えると怒りの根底には ”愛” があるのかも知れませんね~
(中略)
スサノオ様だって怒りは見えにくいのですが、
青白く深い怒りを持たれた方で、
そんじょそこらの赤い炎(怒り)とはまた違った、
それよりも熱い怒りですね。
その怒りで自身にも他人にも厳しい感じがしてます。
月読様も完全に同じタイプの怒り。
あとは———————」



Mさんの言っていたこんな言葉と、
つい最近、伝説の大横綱「大鵬=たいほう」の
優勝回数記録を破った白鵬関の偉業を目にしていたりしたら、
なんとなく......
プラリと始めたこのブログも、
気がつくと2年を超えて続いていたりもするし......
今回の記事は......
満を持す......
とは言わないまでも、
そろそろ......
偉大なる、神々の中の神!
神界のスーパースター「スサノオ」さん!
のお話を少し記しても良い頃合いなのだろうか......

と。

そんなことをグググッ!と思ってしまった次第なのです。
そして、「青き炎」とは、
また、なんともスサノオさんに似合う言葉、
タイトルだなぁ......と。
そんなことも勝手に思いつつ。
この国の創生神話において、
意図的に秘されて来たと思われるこの神様のお話は、しばし!
続くことになるのでございます。(^^)



こんなマニアック!?で地味なブログにも、
最近は4桁のIPアクセスがあるような日があったりなんかして......(;゜0゜)
IPが千以上あるとなると、
PV(ページビュー)などは2000から3000とかになってますし。
そんなトコロでまたこんなポンチキな!?
記事を書き出したりすると......
またおパンツが、
おジーンズの中でズレズレちゃいそーですなぁ。。(@。@)Kyaaaa~


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