「こ、これ、
や、邪馬台国(やまたいこく)の......
わ、若神子社(わかみこしゃ)やん......
あ、アノ場所そのままやんか......
またドス黒い、は、、鼻血とか!?( ゚ ▽ ゚ ;)
出たりなんかしないだろーな......
ちょっとビビるんすけど......
御田の森(おたのもり)?
というの?
ですか......」
新年の干支話はもう少しだけ続きます......
島から帰った後に調べたことなのですが、
種子島では田園の中に「ガロー」と呼ばれる
種子島特有の自然信仰の森が点在しているそうなのです。
その聖域の森には神が宿るとされていて、
特に南種子町は「十八ガロー」と呼ばれるほどの
多くの聖なる森があり、
中でも「御田の森(おたのもり)」は
種子島宝満神社(ほうまんじんじゃ)さんの御田植祭で、
赤米の苗に神を降ろすという神事が行われる最も重要なガローとのこと。
御田植祭では海水と海砂で清められた神田に
神の力を宿した赤米が植えられるのだそうで、
神田では四季折々の祭礼も執り行われているようです。
秋には願成就祭(がんじょうじゅさい)と奉納踊りで
収穫した赤米の俵を宝満神社に奉納。
種子島では黒潮がもたらした南洋文化が赤米の伝統行事と混じり、
神の力を得た赤米を媒体として、
神と人とが共存する自然信仰が受け継がれてきたのだ......と。
また、「ガロー」は訛っていき
「ガラン」とも言われるようになり。
「廈檣」「夏檀」「伽藍」などと表記もされつつ、
宝満神社に祀られる玉依姫が種子島に降臨した時に
随行して来た神々と称されるようにもなったのだとか。
宝満神社周辺の「十八ガロー(十八ガラン)」とは、
その随行して来た神々のことで、
後にそれぞれが独自のガローを祀るようにもなり、
そんな有力士族を「門(かど)」というのだそうです。
「ひとかどの人物......」
などの「かど」にしても、
ここから来ているとのこと。
陰陽師などの元となっている
「土御門家(つちみかどけ)」
なんていう氏族のルーツにも関わっているのではないかと。
そんな「ガラン」という言葉に関しても、
時代を経て神仕えの修行者が集まり
修行する場所のことを指すようになって。
やがて寺院または寺院の主要建物群を意味するようにもなった......
という伝承もありました。
仏道における伽藍(ガラン)の起源は、
通説ではサンスクリット語の音写であり、
「僧伽藍摩(そうぎゃらんま)」が略されて
「伽藍」となったと言われていますが......
果たして......!?!?!?
宝満神社や御田の森で執り行われる祭事は
知れば知るほど伊勢神宮における諸祭事の原型感があり。
天皇陛下が宮中で行っている諸祭事の元となっているような
ニュアンスも感じられます。
ガローの有りように関しては「邪馬台国徒然」で記した、
東北地方の真ん中にある荘園での古代祭祀形態とも
重なるイメージもあって。
やはり、この島は、
この国における稲作の原型が培われた地なのではないか......
稲の原種の種の入り口となった島なのではないか......と。
そんな思いが湧き固まっても来ます。
「種子島。
タネの神。
名前、そのままやん......」
「御田の森」の前には「舟田(ふなだ)」と呼ばれる、
玉依姫(たまよりひめ)さんが稲穂を携えて乗って来た
舟の形を模したと伝わる三角形の田んぼが。
「稲=古代米=赤米」の種が黒潮に乗ってやって来た
船によってもたらされたことを想像させられます。
玉依姫さんからお願いもされていたので、
鼻血が出たらどーしよぉぉ.....と緊張しまくりながら、
礼を尽くして「御田の森」ガローに入らせていただき。
お酒を一瓶捧げさせていただきました。
とても清廉で張り詰めた空間......
決して無礼があってはなりませぬ......
「鼻血は......
大丈夫。
......そうか。
なるほど。
邪馬台国と違って、
ココでは巫女や人を埋めたりとか、
生贄的な間違ったことはしていないのだな。
本来の、というか、健全な正しい形だ。
きっと、列島に稲作が伝わっていく中で色々なことがあって、
どこかでオカシナことになっていってしまったのだろうな。
つーか、僕さん、
未だ宝満神社に行けてないのでちゅけど......
行く前からもう大変やん......」
もはや完全に飽きられてしまっているであろう、
干支を巡る年初のお話は、
もうチビっと続きます。。
☆邪馬台国や若神子社、鼻血のお話はコチラ☆
「邪馬台国徒然」
「邪馬台国徒然 2」
「邪馬台国徒然 3」
「邪馬台国徒然 4」
「邪馬台国徒然 5」
「邪馬台国徒然 6」
「邪馬台国徒然 7」
「邪馬台国徒然 8」
☆シリーズ過去記事はこちら☆
「一巡」
「一巡 2」
「一巡 3」
「一巡 4」
「一巡 5」
「一巡 6」
「一巡 7」
や、邪馬台国(やまたいこく)の......
わ、若神子社(わかみこしゃ)やん......
あ、アノ場所そのままやんか......
またドス黒い、は、、鼻血とか!?( ゚ ▽ ゚ ;)
出たりなんかしないだろーな......
ちょっとビビるんすけど......
御田の森(おたのもり)?
というの?
ですか......」
新年の干支話はもう少しだけ続きます......
島から帰った後に調べたことなのですが、
種子島では田園の中に「ガロー」と呼ばれる
種子島特有の自然信仰の森が点在しているそうなのです。
その聖域の森には神が宿るとされていて、
特に南種子町は「十八ガロー」と呼ばれるほどの
多くの聖なる森があり、
中でも「御田の森(おたのもり)」は
種子島宝満神社(ほうまんじんじゃ)さんの御田植祭で、
赤米の苗に神を降ろすという神事が行われる最も重要なガローとのこと。
御田植祭では海水と海砂で清められた神田に
神の力を宿した赤米が植えられるのだそうで、
神田では四季折々の祭礼も執り行われているようです。
秋には願成就祭(がんじょうじゅさい)と奉納踊りで
収穫した赤米の俵を宝満神社に奉納。
種子島では黒潮がもたらした南洋文化が赤米の伝統行事と混じり、
神の力を得た赤米を媒体として、
神と人とが共存する自然信仰が受け継がれてきたのだ......と。
また、「ガロー」は訛っていき
「ガラン」とも言われるようになり。
「廈檣」「夏檀」「伽藍」などと表記もされつつ、
宝満神社に祀られる玉依姫が種子島に降臨した時に
随行して来た神々と称されるようにもなったのだとか。
宝満神社周辺の「十八ガロー(十八ガラン)」とは、
その随行して来た神々のことで、
後にそれぞれが独自のガローを祀るようにもなり、
そんな有力士族を「門(かど)」というのだそうです。
「ひとかどの人物......」
などの「かど」にしても、
ここから来ているとのこと。
陰陽師などの元となっている
「土御門家(つちみかどけ)」
なんていう氏族のルーツにも関わっているのではないかと。
そんな「ガラン」という言葉に関しても、
時代を経て神仕えの修行者が集まり
修行する場所のことを指すようになって。
やがて寺院または寺院の主要建物群を意味するようにもなった......
という伝承もありました。
仏道における伽藍(ガラン)の起源は、
通説ではサンスクリット語の音写であり、
「僧伽藍摩(そうぎゃらんま)」が略されて
「伽藍」となったと言われていますが......
果たして......!?!?!?
宝満神社や御田の森で執り行われる祭事は
知れば知るほど伊勢神宮における諸祭事の原型感があり。
天皇陛下が宮中で行っている諸祭事の元となっているような
ニュアンスも感じられます。
ガローの有りように関しては「邪馬台国徒然」で記した、
東北地方の真ん中にある荘園での古代祭祀形態とも
重なるイメージもあって。
やはり、この島は、
この国における稲作の原型が培われた地なのではないか......
稲の原種の種の入り口となった島なのではないか......と。
そんな思いが湧き固まっても来ます。
「種子島。
タネの神。
名前、そのままやん......」
「御田の森」の前には「舟田(ふなだ)」と呼ばれる、
玉依姫(たまよりひめ)さんが稲穂を携えて乗って来た
舟の形を模したと伝わる三角形の田んぼが。
「稲=古代米=赤米」の種が黒潮に乗ってやって来た
船によってもたらされたことを想像させられます。
玉依姫さんからお願いもされていたので、
鼻血が出たらどーしよぉぉ.....と緊張しまくりながら、
礼を尽くして「御田の森」ガローに入らせていただき。
お酒を一瓶捧げさせていただきました。
とても清廉で張り詰めた空間......
決して無礼があってはなりませぬ......
「鼻血は......
大丈夫。
......そうか。
なるほど。
邪馬台国と違って、
ココでは巫女や人を埋めたりとか、
生贄的な間違ったことはしていないのだな。
本来の、というか、健全な正しい形だ。
きっと、列島に稲作が伝わっていく中で色々なことがあって、
どこかでオカシナことになっていってしまったのだろうな。
つーか、僕さん、
未だ宝満神社に行けてないのでちゅけど......
行く前からもう大変やん......」
もはや完全に飽きられてしまっているであろう、
干支を巡る年初のお話は、
もうチビっと続きます。。
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