雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

変わりタァァーィ!

2015-06-30 00:13:52 | 素敵...映画/音楽/珈琲
エンディングロールでは、

主題歌をまかされた「クリープハイプ=CreepHype」が

「痛い痛い痛い痛い痛い......」

と、ひたすらに連呼します。

「どうせ100円ていどのモノだから」

と言いながら、

主人公の一子(いちこ)は女子プロボクシングのリングに上がっていきます。

「好きじゃねんだよなー、一生懸命なヤツ見んの」

と、一子が想いを寄せる彼は自堕落な男そのものの姿で言い放ちます。



昨年、単館系スクリーンを席巻した武正晴監督の映画
「百円の恋」
はそんな感じ。
長々と全国の単館を回り終えた後、よーやく!最近!
DVDとなって発売されました。
レンタルも解禁。



タダでさえ上映館が限られる単館系の映画作品。
僕がこの映画の噂を耳にした頃には、
上映している映画館は既に僅かしかなく。
しかも一日一回の上映。
それも午前中の限られた時間帯。
劇場を覗き込んでは見たものの......
スクリーンはなんだかショボショボで......
そんな感じだったのでDVDを心待ちにしていた作品だったのです。
早速!借りて観てみましたが......いやいや、噂通り。

「(;_;)ホロリ」

的な、とても良い作品でした。
アチキの「お気に入り傑作集」の新入りさん!
としてDVDを買おうかどうかお悩みちう......
なくらい気に入りました。



タイトルに「恋」なんてついてますが、
全体的には恋愛映画というよりは、
懐かしの「ロッキー」などを彷彿させる感じ。
痛々しい気持ちになってしまう多くの描写と共に、
熱く胸を打ってくる作品。
「一子」役の「安藤サクラ」さんは、
もう女優魂のカタマリのような感じ。

「彼女無くしてはココまでの作品に仕上がらなかったのでは......」

とまで思ってしまうほど素晴らしい。
絶賛。
演技を超えてる演技。感動。
日本映画で女優さんにココまでシビレさせてもらった作品は
あまり記憶にありません。
個人的に、のお話ですが。
今後の彼女のキャリアの中でも
金字塔の一つとなって行く作品ではないかと。
それぐらい、
物語が進んでいくにつれ彼女の姿に釘付けになりました。
話に沿って目つきや顔つきがミルミル変わっていく様は本当にリアルで。
ソレは体重や体型、体の線にまで及び、

「結果にコミットしまふ!d( ̄  ̄) 」

みたいな。
映画という作品世界の事ではあるけれど、
そんな部分にもかなりの驚きがありました。



「人って、変わろうと思うと、
短時間でココまで変われるんだ。。」



そんな感慨も持たせてくれる彼女の演技。
本当に胸をたれまちた。。



「なんか変わりタァァァァーーーい!( ̄3 ̄)
でも、変われなァァァァーーーーい♪
理由は沢山あるの♡」



なんて思ってる人にはとて~も効く!?映画かもしれません。。



100円なんて、
お金の価値なんて、
本当は雲みたいなもの。

ぷかぷかと浮いていて、
実態なんかなくて。

そもそもさ、
おかしいだろ!?
為替とかってヤツもさ、
同じ人間が、同じ力使って、同じ作業してさ、
仮に「全く同じモノ」を作ったとしてさ、
その労務の価値が台湾だと◯◯円で、
中国だと◯◯円で、
ギリシャだと◯◯円で、
日本だと◯◯円で.......って、
ソレに大きな違いがあるなんて。
何処かで誰かが儲かるようになっている仕組みとしか思えないだろ?
違うの?

何を思い、何を成すか。
自分をどこまで成長させられるか。変えられるか。
自分に負けないでいられるか。

そーやって過ごしていく。
そーやって使っていく時間より価値があるものなんて無いんだよ。

そこにつける値札は100億だろうが100円だろうが、
いくらでもよいんだ。
差なんて無い。
そんなコトに値札なんて意味なんか無いんだよ。

100円使って恋を成就させるのか?
1億円を使って恋を成就させるのか?
どちらも得るモノは恋なんだ。
同じ恋なんだ。
学んだモノは恋なんだよ。



......そんなコトを思いながら見てしまう映画でした。
ナカナカに、
好きなのですね。これ。(^_^)


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道ありき

2015-06-26 22:15:53 | セツナイ
「時代がね。。」
そんな時代ですよねー。
「激変ですよ、もう。時代が。。」

怒涛の打ち合わせウィークをこなして、
今日はちょいとぐったりモードの僕ちんさん。
そんな週に僕の前を最も多く飛び交っていたフレーズというのが「時代」だった感じで。
なんだか今週は妙に沢山聞きましたの。この言葉。

今更の!?
いつもの!?

という感じの言葉だとも思いますが、そんな「時代」という言葉を聞きながら、
僕には幾つか頭に思い浮かんでいたモノというのがあって、
ソレは今週に限って、何故だか?有名なあの曲、この曲......ナドではなく、
ある小説の「冒頭部分」でした。
その小説というのが三浦綾子さんの「道ありき」。
いわゆる「名作」と呼ばれるモノでしょうか。



「箱庭の夢は微塵に砕けたり」

......そんな感じで始まるこの小説の冒頭部分は、
この作品に対する僕の印象を決定づけた大切な部分ではありますが......
折角なので、
ダイジェストした原文をココにチョコっと書き置いておこうかと思います。
以下、お時間ある方はどぞどぞ。
雨の夜に、よしなに。よしなに。(^^)



==================================
わたしは、小学校教員生活七年目に敗戦にあった。
わずかこの一行で語ることのできるこの事実が、
どんなに日本人にとっては勿論、わたしの生涯にとっても、
大きな出来事であったことだろう。

七年間の教員生活は、わたしの過去の中で、最も純粋な、
そして最も熱心な生活であった。
わたしには異性よりも、生徒の方がより魅力的であった。
「先生さようなら」「先生さようなら」
と、わたしの前にピョコピョコと頭を下げて、一目散に散って行く。
ランドセルをカタカタさせながら、
走って帰っていく生徒たちの後姿をながめながら、
わたしは幾度涙ぐんだことだろう。

(どんなに熱心に、どんなにかわいがって教えても、
あの子たちにはどこよりも母親のそばがいいのだ)

わたしは内心子供たちの親が羨ましくてならなかった。
わたしは、ずいぶんきびしい教師であったけれども、
子供達は無性にかわいかったーーーーーーーー



ーーーーーーー「人間である前に国民であれ」
とは、あの昭和十五、六年から、
二十年にかけての最も大きな私たちの課題であった。
今、この言葉を持ち出したならば、
人々はげらげらと笑い出すことだろうーーーーーー



ーーーーーーー敗戦と同時に、アメリカ軍が進駐してきた。
つまり日本は占領されたのである。
そのアメリカの指令により、わたしたちが教えていた国定教科書の至る所を、
削除しなければいけなかった。

「さあ、墨を磨(す)るんですよ」

わたしの言葉に、生徒たちは無心に墨を磨る。
その生徒たちの無邪気な顔に、わたしは涙ぐまずにはいられなかった。
先ず、修身の本を出させ、指令に従いわたしは指示する。

「第一項(ページ)の二行目から五行目まで墨で消してください」

そう言った時、わたしはこらえきれずに涙をこぼした。
かつて日本の教師たちの誰が、外国の指令によって、
国定教科書に墨をぬらさなければならないと思った者があろうか。
このような屈辱的なことを、
かわいい教え子たちに指示しなければならなかった教師が、
日本にかつて一人でもいたであろうか。

生徒たちは、黙々とわたしの言葉に従って、墨をぬっている。
誰も、何も言わない。
修身の本が終わると、国語の本を出させる。
墨をぬる子供達の姿をながめながら、わたしの心は定まっていた。

(わたしはもう教壇に立つ資格はない。近い将来に一日も早く、教師をやめよう)

わたしは生徒より一段高い教壇の上にいることが苦痛であった。
こうして、墨をぬらさなければならないというのは、
一体どんなことなのかとわたしは思った。

(今までの日本が間違っていたのだろうか。それとも、
日本が決して間違っていないとすれば、アメリカが間違っているのだろうか)

わたしは、どちらかが正しければ、どちらかが間違っていると思った。

(一体、どちらがただしいのだろう)

わたしにとって、切実に大切なことは、

「一体どちらが正しいのか」

ということであった。
なぜなら、わたしは教師である。
墨で塗りつぶした教科書が正しいのか。
それとも、もとのままの教科書が正しいのかを知る責任があった。
誰に聞いても、確たる返事は返ってこない。
みんな、あいまいな答えか、
つまらぬことを聞くなというような、大人ぶった表情だけである。

「これが時代というものだよ」

誰かがそう言った。
時代とは一体なんなのか。
今まで正しいとされて来たことが、
間違ったことになるのが時代というものなのかーーーーー



ーーーーーーー昭和二十一年三月、すなわち敗戦の翌年、
わたしはついに満七年の教員生活に別れを告げた。
自分自身の教えることに確信を持てずに、
教壇に立つことはできなかったからである。
そしてまた、
間違ったことを教えたかもしれないという思いは、
絶えずわたしを苦しめたからであった。
全校生徒に別れを告げる時、わたしはただ淋しかった。
七年間一生懸命に、全力を注いで働いたというのに、
何の充実感も、無論誇りもなかった。
自分はただ、間違ったことを、偉そうに教えてきたという恥ずかしさと、
口惜しさで一杯であった。

教室に入ると、受持の生徒たちは泣いていた。
男の子も、女の子も、おいおい声をあげて泣いている。
その生徒たちの顔を見ていると、
わたしは再び決して教師にはなるまいと思った。

無論、わたしも泣いた。
一年生から四年まで教えた子供たちに、限りない愛着を覚えずにいられない。
もう、ここに立って一人一人の顔を見、
名前を呼ぶこともできなになるのだと思うと、実に感無量であった。

わたしは決してやさしくはなかった。
きびしいだけの教師であったかもしれなかった。
けれども、弁当の時間、
漬物しか持ってこない子供たちには、自分のお菜一切れづつでも分けてやった。
分けてやらずにはいられないようなつながりが、
教師と生徒というもののつながりではないだろうかーーーーーーーーー



ーーーーーーー何だかやめていくことが悪いような気もした。
子供たちは、どこまでも、どこまでもわたしを送ってきて帰ろうとしない。
とうとう、二十二、三軒離れているわたしの家まで、
子供たちは送ってきてくれたーーーーーーーーーーー
====================================



「道ありき」



この本の中には、当然もっと沢山のことが描かれていますが、
時代」という言葉が飛び交った今週に、
なんだか、とても読み返したくなった本なのです(^^)


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天然でんねん

2015-06-22 01:11:26 | 凄い
雨ちゃんシトシトですよ。
やぱーり季節は梅雨なのですな。( ̄ー ̄)うむうむ。
しかし、こーー雨が降るとですね、
僕ちんの様な生粋の天然くるくるパーマ頭は
ソレワもう大変な騒ぎなのですよ。



「アレ!?爆弾でも落ちたの!?」

「鳥住んでる?」



ってなくらいブラジルのサンバカーニバルなんですのよ。
アタマが( ̄  ̄)ええ。ええ。
タダでさえ「くるくるリン」な感じなのに。中身も。
もう林家ぺーもパー子も真っ青ですわ。



以前ですね、
ある女性アーティストのレコーディングの時にですね、
スタジオでアーダコーダ......と、
歌詞の話を真剣にしていた時にですね、その

「素直を絵に描いたらこーなりまちた♪」

みたいな性格の女性アーティストさんが、僕に突然!
こう言うんですよ。
とても真面目な話の最中に......

「あれ!?uzmetさんって何パーマです?(・・?)」

ってね。

真顔でね。。

......

......

天然じゃぁぁーーーーーっ!ヽ( ̄д ̄;)ノ ボケェェェーーーーッ!

お主ソレ聞くの2回目やんけぇぇーーーーーっ!!!

分かってて聞いてんのかぁぁぁーーーーーっ!?o(`ω´ )oおぅぅ?

お主、

天然ボケの素直ちゃんだからって言いたいホーダイだなぁぁーーっ!!

われぇぇーっ!

雨の日わなぁ、

チミの想像以上にてぇーーーーへんなんだぞぉぉぉーーっ!

お、おみゃーさんになんか、

おみゃえさんになんか、

キャミの毛のお美しいおまえさんにニャンか!

俺のお気持ちなんて!

ワカルわけなかろーぞよぉぉぉーーーーーっ!

......ハァハァハァ.......( ̄◇ ̄;)

ってね。
ええ。
そんな感じなんすよ。ええ。
考えてた歌詞もぶっ飛ぶわけですよ。ええ。
もう慣れまちたけどね。そんなことも。
雨の日わですね、
僕の髪の毛はそーーんな感じなんすよ(T ^ T)グスン...



これ......「EuroSCHIRM=ユーロシルム 」の傘さん。オレンジ。
アチキのエース傘(^ω^)チョーお気にい入り。
アウトドア専用の傘として開発されたものですが、
街でも全然フィット。
台風に煽られても、裏返しになっても、
果てはトラックに踏み潰されても!
全く歪まない「高密度ファイバーグラス」製の傘。
しかも超!軽い。
超コンパクト。
コレを買おうと思ったキッカケになった宣伝用のビデオでは、
この傘を持ってワザワザ!?滝に打たれてみたり、
木と木の間に渡したロープの上に、
この傘を「横」にアテて「つかまり棒」にして、
大の大人がぶら下がりながらスルスルと渡って!みたり......と、
すげーっすの(@。@)
でも全然曲がらない。壊れない。



こんなメッシュの専用ショルダーケースも付いていて。
背負えたり、
パンツのベルトループに紐やフックで掛けてみたり、と、
とーーーっても便利 (*゜ー゜*)ノ

もう一つが、
コレはもう逸品中の逸品で有名ブランドとも言えますが......
「ブラント=BLUNT」さんの傘。
ニュージーランドのメーカーさん。
広げるとわかる逸品の風格。



星みたいな美しさ☆☆☆( * ´ ω ` *)
もちろん、
台風だろうがナンだろうが全く壊れないという優れもので、
このデザインの全てにそんな意図と意味が潜んでいます。
美しくて強い。最高。
コニャ(奥さん)の小ぶりな「LITE」と、大きめの「CLASSIC」の二本を持ってます。
こいつにもクールな専用ショルダーケースがあるのですが、
何といってもこの「小売パッケージ」が超クール!
なのでございます。
入れ物なのにでんでん捨てられない。



普段はコイツに入れて、車のラゲッッジルームや
玄関フロアとかに転がしてあるのですが、
ポスターでも入っているような感じで、
誰も中身が傘とは気づかない感じ。
それでも雨が降ればいつでも出動!ってな感じでトテーモ便利。
更に、もう一つ、
「メトロ=METRO」と名付けられた折り畳み型のモノもあるのですが、
最近の折り畳み系モデルの中ではチョット大きめ。
でも、その「やや大きい」という事にも理由があって。
ワンタッチでポン!っというのと、骨組みが......
やっぱり他とは決定的に違う。



揺るぎなく美しいのです......



もうお気づきかと思いますが......実は、ここだけの話!?
取っ手が「J」字型の傘は最近は使わないようにしているのですね。ええ。
どーも......あまり良くないみたいなのです。
神様的?運気的?に?わ。。
とてーーも天然な人達とお話しするにつけても。。
あの「形」が、どーも、「命」を傷つけてしまう
「釣り針」や「フック」などをイメージさせてしまうようで、
あまり良い「気」が寄ってこない様なのですね。どーーーも。
気のせい?かもしれませんが。ええ。
特に玄関周りなどにあったりなんかすると......ええ。まぁ。
なにかと。ええ。
ココだけの話。
天然な人多いし。ええ。

何はともあれ!

最近の雨の日にはオシャレでカワイイ
「ブーツ」の様な長靴さんを履いている女子などもよく目にしたりしますが、
そんな雨の日にしか使わない様なモノでも
「コダワリ」の品を選んだりすると......
雨の日でもちょっと楽しく、
待ち遠しくなったりもするのでしょうか(^^)


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三ケ日徒然

2015-06-18 00:17:57 | 感動
ニンニンニンニン!
忍者ハットリ君でござるだニン! ヾ( ̄3 ̄)/
忍法「木の葉隠れ!」でござるだニン!


......って、一部世代しかわからないフレーズだニン。
わかっちゃいけないよ!
ニンニン!( ̄^ ̄)


そんなハットリ君て「服部」と書くのですね。ええ。
で、その「服部」って、
よぉぉーーーーーーーーーーーーーーーく考えると......


......


......



読めなくね!?(・ω・)ノ


どう読んだって「フクベ」とか「フクブ」でしょ。


読めるニン!?
ニンニン!?(・◇・)/


服部さんというのはソモソモ忍者ではなくて、
伊勢神宮の内宮におわします現日本国の親神
天照大御神=アマテラスオオミカミ」さんの服を作り、
献上することが許された唯一の一族さんの事でして。
古代大和政権時代から最近に至る迄国神の服を作る部門の部長さん!
王室御用達ブランド!
というような感じだったのです。
なので服部門!
服の部!
という字を書くのですのね。ええ。ニンニン。

それで、そんな「服の部」が何故?
「ハットリ」などと呼ばれるのかというと、
古(いにしえ)の服作りというのは即ち「機織=はたおり」であって、
そんな機織りのエキスパートである「服」部門の方々をハタオリ......
ハットリ......
とアテで呼ぶ様になったのです。ニンニン。

ちょっとカンドーしてしまうのが、
そんな由緒ある全国の服部さんの大元であり、
アマテラス様に唯一衣服を納める事が出来る服部家の方の苗字なのです。
ええ。
その服部さんだけは苗字の上に「神」とつけても良い!
というお許しを伊勢の神様やド偉い方々から頂けたのだそうで......
その名を.......



「神服部=かんはとり」



と言うのです。
感動的なお名前です。
あちきにわ。



「俺も神ってつけてぇぇーーーっ!(ノ゜ο゜)ノ オオオォォォーーーイ!」



で、その比類なき苗字を受け継ぐ日本で唯一!
の御方にお会いしようと、先日、不思議な力を持つ!?
ポンチキーズの面々と共に、静岡県、浜松市は三ケ日にある
「初生衣神社=うぶぎぬじんじゃ」
にお伺いしたのです(^_^)ええ。



神服部さんはここの宮司さんで、
古来より今に伝わるイニシエの機織技法を今に、未来に、伝えん!
と奮闘している方。
伊勢神宮に納め続けた織物を今も昔と全く同じ技法で織り続け、
奉納もし続けています。

服の素材となる「絹=きぬ=シルク」は、
古来より「赤引きの糸」と呼ばれていて。
此方では今やとても貴重となった養蚕業者さんと
提携をして取り寄せているそうです。
蚕(かいこ)さんが吐くシルクを古代と同じ手法で纏め、ヨリ、
一本の糸にしていくのです。
蚕さんの餌となる桑の葉もキチンと木から採取しているモノだそうで。
年々の天候により必ずしも良い桑の葉が取れるわけでもなく。また、
その葉の質のよって蚕さんの吐く糸が微妙に違ってもくるのだそうです。
アマテラスさんに捧げる服の素材は、そんなシルクの中でも
神服部さんが納得するモノでないと使わないそうで。

そんな神々しい糸を縦、横、縦、横......と、
ひたすら丁寧に織り込んでいくのですが、
その機(はた)を織る機械というのも、
実は神服部さんが私財を注ぎ込んで復刻させた
古代そのままの機織機でもって織っているのです。
日本中でココにしか無いモノなのです。
なんか......この時点で、もう......

「涙コボルル(TωT)」

という僕ちんなのですが......
この日は、神服部さんにその古代の姿そのまま!
の機織機を見せていただいたのです。
カンドー&カンゲキの対面!



コレで織ってるのですね......
織ってたのですね......
アマテラスさんの服。
なんか優しいな......これ......
綺麗だな......
光ってんな......
スゲーなぁ......



(T_T)ぶぇぇ



古代の機織機は座って織るのだそうです。
ボートを漕ぐ時みたいに。
絵馬に描かれている様なこんな感じで......



織っているのは機織姫......ハタオリヒメ......オリヒメ。
ココを支える美しき女神
「天棚機姫命=あまのたなばたひめのみこと」
さん。別名
栲幡千千姫=タクハタチジヒメ
さん。織っている場所は、本来はこんな
「織殿=おりどの」
と呼ばれる社(やしろ)の中.......







国神、アマテラスさんに捧げる大切な神衣(かんみそ)。
習わしでは、
織っている途中は何人たりともこの社の戸を開けてはいけないそうなのです。
清らかな織姫さんが更に身を潔斎して入り、織り始める御服。
外からの邪気が入り込んでしまったり、
その貴重な技術が盗まれたりしないようにも定められた事なのだ思います。

.......そう......

「鶴の恩返し」という物語も、
この織姫さんのお話から生まれた物語なのだと思われます。

ここで織りあがった御衣(おんぞ=神衣=かんみそ)は、
三ケ日の地を出て、尾張を通り、津、松坂を抜け、伊勢の地に運ばれます。
その時、神服部さんは宮司として隊列の先頭をきって運送の先導します。
神社のパンフレットから......



僕らは6人でこの地を訪れたのですが、神社に着いた時、
神服部さんはパンフレットを持ってワザワザ鳥居の前に立って待っていてくました。

「こんなところまで来ていただいてありがとうございます。。」

なんて言ってくれて。
その後、神社の由来や成り立ちや誇り高き
「神服部家」と織物に関する沢山の興味深い話も丁寧に聞かせてくれて。
途中、何度も何度も感謝の言葉を述べてもくれました。
その時、境内の鳥達は、
まるで合唱をしているかの様に一斉に、ずーーと、
大きな声で謳っていました。

太陽の日差しはまるで白糸の滝の様に、
木々の間から心地よく差し込んでいました。

神社と、その横にある社務所ともなっている宮司さんのご自宅は、
見た所、全てにおいてとても質素で。
ギリギリの神社運営を長年に渡りされてきたコトを感じさせるものでした。
この神社では昔から氏子さんも持たない習わしなのだそうです。
そんな中で宮司さんは綺麗な境内を維持し続けて来て、
機織機まで創り、糸を創り、ハタを織り、宮司職も全うし。
ずっと、先頭に立って御服を伊勢に送り届けて来たのだと言います。
息子さんには時折、

「もういつまでもバカなことやってないで。。」

などと嘯(うそぶ)かれることもあるそうなのですが、
そんなコトを粛々と、
この国の神々と人々が大切にしてきた伝統を守り通すために
やり続けている方でした。



「私は織り殿の上に居ます、、」



同行していた不思議な力を持つプリリンねーさんが、
その場で織姫さんの言葉を降ろしてくれました。
織姫さんは更に、こんなコトを仰っていました。



「ここは、私の宝です」



この言葉に......僕は胸が熱くなりました。



デービッド・アトキンソンさんの著作
「イギリス人アナリスト日本の国宝を守る」
によると、世界GDPにおける観光業は9%。
それに対し日本の観光業はGDPのたった2%。
2014年の文化財保護修理予算はイギリスでは約500億円。
GDPの0.018%。
日本はわずかに81億5千万円。GDPの0.0017%。
ヨーロッパ諸国や多くの国々では
観光は大きな経済となっているという認識で、
予算も多く割いています。

観光都市と言われる「京都市」に訪れる外国人観光客数は年間約240万人。
「ロンドン」は1700万人。
「大英博物館」はたった一つの博物館で年間420万人が訪れるそうです。
ヨーロッパという、
多くの国々が隣り合って存在している地理的要因の違いもありますが、
「たった一つの建物」に訪れる観光客より
京都市に訪れる観光客が少ないという事実。

京都の街の風情を司る古風な「町家=まちや」造りの家は、
現在年間1000軒も壊されていっています。
現在の町家は4万7千軒ぐらい。
町家が4万軒を切った時、
京都の街はどんな雰囲気になるのでしょうか。

こんな状況でも、
この国の主たる国策に観光や文化財修復事業は未だに入っていません。

現政府は「地方創生」を掲げてはいますが......
しかしその中身はモヤッとしたまま地方にアイデアも丸投げ!?
で推し進めているようにも見えます。
公共事業や産業支援等に寄った旧態依然とした施策や思考のまま
進んでいるようにも見えます。

テレビでは、近頃日本人や独自文化をたたえる様な番組も多いです。
しかし、内実はこんな感じなのです。
褒め讃えながらも、
外国人を惹きつける日本文化の象徴物である建物の
屋根の修復すらままなりません。
貴重なる古の機織り機一つ造るのに......
1円の援助も差し伸べられません。
全国の神社の宮司さんの80%近くは、
宮司だけでは生活ができないので兼業をしているのです。

東京から島根県の出雲まで往復で5万円ぐらいの交通費がかかります。
その出費だけでも僕らにとっては十分に多いもの。
訪れた観光客は出雲大社では100円をお賽銭箱に入れるだけ。

一番利益を得ているかもしれない関東の鉄道会社は
文化財にはどれくらいの寄付!?をしているのでしょうか。
現地にある全国ホテルチェーンさんや大手旅行代理店さんは
文化財維持へどんな?貢献をしてくれているのでしょうか。

古都、鎌倉の文化財で一番「利」を得ているのは本当はどこなのでしょう?

その利を生みだしている「基」となっているものはなんなのでしょう?

政府は、僕らは、今のままの考えでよいのでしょうか?

今、僕は、
京都市を舞台にある大きなプロジェクトと実験をスタートさせました。
いつの日か、女神様が「宝」とまで言う社(やしろ)や、
神服部さんの様な高貴なる「志」を持った方々への良き助力となれるように、
しっかりとしたビジネスとしても成立出来るよう、
そのプロジェクトを磨き上げて行きたいと思います。
観光収益も日本国の一大収入源となれるよう、
その「基」となるモノモノを維持できる新しいシステムを作れないか......と、
そんなことも考えて動いています。
本業と共に頑張っちゃうのだ!(*`へ´*)ニンニン!


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意図満載

2015-06-14 22:14:51 | サブ・タイトルの話
まだ若い彼女は「あるモノ」の制作を主な仕事としていました。
なかなか個性的で、
好きなものと嫌いなものとをハッキリと分けるタイプ。
で、それが外にも伝わる。
ハッキリと顔や雰囲気に出てしまう。
本人は気付いていないのだけれど......いや、正確には

「気づいてはいるのだけれど、
それを変えることは自分否定に思える状態となっている」

という感じ。
そして、そんな形の業務言動を長年続けていたところ、
ソレは自然と体に染み渡っていってしまい。
自らの仕事領域のことだけでなく、
彼女が時々に思っていることの多くも、不思議と

「そのまま外に感じとらせてしまう」

という事態や個性に迄なってしまっていました。
特に否定的な感情や、
拒絶的な気持ちなどは強く人に伝わったりもするもので......
多くの仕事相手や仲間を信じるコトも少々難しくなっていたようで......
もちろんソレは、友人を信じる様なコトとは違う「信」で良いのですが......
そんな個性は体面する人々に彼女の真実とは異なる「誤解」を生んでしまい。
その誤解はやがて周囲の「事実」となり。
その事実と彼女の中にある真実とのギャップは、
時に彼女に辛い思いをさせていたりもしている様でした。
そんな自分の状況も彼女は冷静に把握できていないような感じもあって......
ケレドモ、そんなことはもしかしたら「素直」といっても良いことでしょうし、
そうすると悪いことなど......あるのでしょうか!?
世知辛い実社会という範囲に限って言えば、どーも......あるようなのです。

実際、彼女は常にトラブル続きでした。

「好き嫌い」や時に「主張」となる様なモノなどは
一歩引いてみると個人の趣味的な領域にあって、
決して「対象の否定」という気持ちなどとは一緒にしてはいけないように思います。
しかしながら、ソレはともするととても一緒にしやすいものなので、
僕達にとっては多分絵に描いたように陥りやすい「罠」なのだとも思います。
相手の食べ物の好き嫌いを知ったところでその人自体を嫌いになる......
なんてことは普段そうそうは無いように、ソレとコレとは全くの別物。
そんなコトは皆わかっています。
チャンと別々に分けて考えることができるもの。
彼女はそんな事々をとかく一緒にしてしまっていたようにも見えていました。

それは、

きっと、

仕事が好きだから......

なのだと思います。

僕の目にはそんな風に見えていた彼女が、

少し前、

会社を辞める決意をしました。

業務領域に自分の趣味領域が重なってくるような仕事では、
取り組む際の「意識」の持ち方に少々の注意が必要である様に思えます。
二つの領域を混ぜて捉え「過ぎて」しまうと、
ソレは時に素人的な仕事になってしまったり、感じられてしまったりもします。
「自分の趣味領域」というのは「個性」とも言えて、
「分けて考える領域」というのは、
クライアントやマーケットの趣味性や嗜好性、思考、要望、希望......
その他制限事項とも言えます。
社会というメンドーな!?世界における
「最大公約数的事項」や「社会規範」といったようなもの。
ソレらはどうしたって混じっては来ますが、
ちゃんと分けて表現することもできて。
そんな分けた中にも自分の趣味性や個性を嫌味なく、
自然に入れられるのがまたプロというもので。
そんなプロの現場で、
時折素人的に感じられてしまう様な出来事が彼女に関しては多々ありました。

プロのスキルがあるのに、プロの意識を持ち切れていない。

そんな階段の踊り場で悪戦苦闘して、苦悩して、頑張っている......という感じ。

プロとはなんだろう?

僕らは時折そんなことも考えます。

個性を突出させ、
爆発させていくのもプロ!


という人もいるとは思います、が......

そういう人は「アーティスト」なんだと思います。

じゃぁ、

アーティストとは一言で何だろうか?

芸術家?
それをもっと具体的に言語化すれば「自己表現者」とも言えて。
自己表現を極めんとする人」なのだと思います。
そういう意味では、人は皆、
なんらかの形で外に向かって自分を表現しているわけで。
「一億総自己表現者」であり、
そうすると生きとし生けるもの全てが芸術家である様にも僕には思えてきます。

一億総クリエーターです。

だからこそ、

プロフェッショナルとは違うと僕は思うのです。

極論、夢も何も無いことを言えば、

プロか?そうで無いか?を分けるものは実のところたった一つで......

「お金をもらえるか?もらえないか?」

なのだとも思います。

もし、人様から貴重なるお金を1円でも貰えれば、
それが自己表現であろうが何であろうが、
アートであろうが落書きであろうが、
その瞬間、それはプロの仕事となりますし、なれると思います。
初めてのお使いのお駄賃だろうが、
アルバイトだろうが、
路上で芸を見せようが、
10歳児だろうが90歳であろうが、お金を稼げたら、その時点で、
その行為はプロの「仕事」と呼ぶことができるのだと思います。
そんな仕事の先に「プロ中のプロ」とか「エキスパート」とか、
「スペシャリスト」などもあるのではないかとも思います。

だからプロの話しをする時には常に夢だけの話にとどまりません。

でも、だから「プロ」という言葉は職種に関わらず、
あらゆる職業人に充てる事の出来る言葉であるとも思うのです。
だから、お金を生んでしまったアートが、
時にプロの領域に入ってくるようなことも起きてくるのだとも思うのです。

サラリーマンと呼ばれる人々だって、
会社がその人に給与を払う価値を認めている限りは
「会社員という職業のプロ」
なのだと思います。中でも、
会社に利益をもたらす事ができる仕事を組織内で中心的に創造できる様な人は
「プロ中のプロ」と言えるのかもしれませんし、
そんな人を「ビジネスマン」と言うのだとも思います。
経営者やウチの父の様な自営業者、個人事業主といった様な職も、
リスクや覚悟の度合いの違いなどはあるでしょうが、根本的には

「自分はどう生きるか?働くか?稼ぐか?」

「やりたいことをどのような形でやるのか?やれるのか?」

という個人個人のライフテーマや、
価値観における道選択の違いがあるだけで。
多くのコトはそんなプロの話しと同じ線上にある話の様に思えます。

お金を稼ぐこと。

でも、

そのお金に振り回され無い事。

それはエゴを消すこと。

しかし自分の本質までは消さない事。

意図を消すこと。

でも、

意図を消しているのに、

周囲には「意図満載」に見せる事も伝える事も出来る事。

「プロ」って、

そーいう事なんだと僕は思っています。

彼女の仲間が開いてくれた送別会で、
僕は広い海の様な、少々茫洋としたイメージで、
皆の前でヒドク輪郭のボヤけたこんな話しをしました......

「——————自分を信じること。本当に自分を信じ抜くこと。
自分はいつもその真の意味を考えていて、自分に問い詰めて、努力している感じ。
他人や多くのものを信じれるか?どうか?は、
何時もそこにかかっているように思えてるんだよね———————」

かなりモヤっとした「霧」のような話しでしたが、
そこには沢山の意味を込めたつもりでもあります。
「霧」の中に置いた幾つかの本意の内の一つは、
今迄決して言葉にすることはありませんでしたが、実のところ、
こういうコトでもありました。



「いつの日かプロになってほしい」



そんなことを、
僕は意図を消しながら意図満載!で話したつもりです。



「そんな君にいつか会ってみたいんだ......」



と、そんなことを思いながらポヤポヤポヤーーーッ(= ̄ ρ ̄=) ......と、
話してみました。
そんな、僕にとっては実はチャレンジング!?な送別会の後、
意外にもスマホには彼女からお礼のメールが届いていて。
ソレはなんとなく、彼女の性格を考えるに、
そんなメール一つ打つのもとてもエネルギーが必要だったのではないのか?
とも感じられるのです。
僕が返信したのはホンノ一行......
このブログの過去記事アドレスだけでしたが......
いつだって、人との出会いや別れに際して
僕は返信したこの「女神の言葉」の記事のような気持ちでいたりします。
いつの日か、愛する誰かが、

「アイツはこんな事考えて生きていたのか。。」

と見つけてもらえたら、
そんな思いで今日もココに書き記しておきます。



送別会の翌日に訪れた京都の街で、
裏千家の素敵なお姉さんに心静かにお茶をたてていただきました。
限られた時間の中で作法のエッセンスを凝縮させた御手前を魅せていただき、
プロ!的な心を感じさせられました(^_^)
他人に話す言葉は、いつも、実は自分に向けられているものであって。
愛すべきこの街の風景は、そんなことも教えてくれます。


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和をもって

2015-06-10 01:55:36 | 面白い
ある人の「疑問」に関してメールをしたのです。
その疑問自体も、
僕の送ったメールの内容も、
全くもって異世界のお話ですから。
多くの人には退屈極まりない!?モノだとも思いますが......

梅雨の季節。

雨宿りで入ったカフェの窓際の席辺りで、
コーヒー片手に静かな雨音を聞きながら、
退屈しのぎ程度に読んでもらえればと。
それで十分な「お伽話し」とでもなれるでしょうか。
かるーく、あまーく、流していただければと。(^^)何卒。



して、
言葉尻や固有名詞等は少し修正してますが、
その疑問とメールというのはこんな感じでして......



「スサノオノミコトは絶倫だったのでしょうか。
1000人の子供がいたというのはスゴいことですね。
腹違いの子供達は、仲良く暮らしていたのかもしれませんね。
特にイソタケルとニギハヤヒは中心になる王子だったのかもしれません。

赤い綱は元々の綱で、
白い綱が別に出来たので争いが生まれたと言われて、
あぁだから、運動会も赤白で戦うのかな?
紅白歌合戦もあるしな。
お祝いをする時は、赤と白の水引を結びきりにするしな。
と、私はいろいろ思っていました。

魂には綿々と刷り込まれているのでしょうか。
交わらない赤の綱と白の綱があるということでしょうか。
でも、元々はスサノオノミコトの子供達だったのでしょうか。
疑問は沢山ありますね」



————————例えば、です。
奥さんが4人いて、
それぞれに3人の子供がいる王様がいたとします。
その王を倒して国を併合したとして、
奥さん方が皆勝者の王に従ったら......
その新しい王は一瞬にして4人の奥さんと
12人の子供が出来ることになります。

またある時は、
同じように沢山の奥様と子供がいる国の王と
話し合いや協定などで平和理に国の統合が出来たとします。
でも、新たな王としたら、
協定を結んだとはいえ元はライバル国であったわけで。
後々の反乱などの不安はなかなか拭えない。



そんな時YOU!ならどぉーーーしましょ?



その国の王家の子息をみな、自分の子供……
併合した側の国の王子として迎えるのです。
この形でも一気に12人の子供が誕生します。

併合された側の王家は新国の重鎮ともなれ、
また、子供達はいつか!?王の後継者となれるかもしれない。
その家系は、
今の天皇家で言えば皇族における「宮家」という様な立場ともなれます。
所謂「源氏」や「平氏」もこんな形とさほど変わりはありません。

可能性としては、
王を倒すと妻や子達は後を追ったりすることもありますし。
スサノオさんはこの平和理に国を併合していくことを
好んだのだと思うのです。
だからこそ子も圧倒的に多い。



「和をもって貴しとなす」



この国に伝わるこの言葉の奥に隠れている真実の一つだとも思えます。
それは「和をもって国となす」と言えるのかもしれません。



スサノオさんがイソタケルやニギハヤヒ(オオトシ)を
一番信頼していたのは、ただ強いだけではなく、
このスサノオさんのココロを
よく理解していた息子達だったからの様に思えるのです。
それは日本中回ればよくわかるのです。
九州の奥地からみちのく......東北の奥地まで、
とても多くの民達が彼らを祀っています。
何千年の時を越えて、です。
彼らもまた和を持って国々を治めて行ったのだと思います。
武だけではないのです。
それはスサノオの心奥に揺らめく青い炎の様にも思えます。
外からは見えにくい、強い「仁慈」の意志たる炎。
だからこの国の武は「武道」でなければいけないのです。

武は「道」なのです。

道のための武なのです。

支配のための武になってはいけないのです。

古代の神々は民を、皆、
我が子のように扱っていたのだと思うのです。
我が子のように思っていたのだと思うのです。きっと。
だから今に至るまで、
何度も何度も上から新しい神を被せられてきたというのに、
無くされもせず各地に祀られている。
仏教やキリスト教でも覆い隠せなかった。

奥さん方も......姫神様達もきっと、
とても大切にされていたのだと思います。
だからスサノオさんは「大王」なのだと。
何故だか!?????姫神に恨まれない神。
無理強い的なコトは一切しなかった......
スサノオさんをはじめとするコレらの神々からは、
そんなことが僕にはとても良く伝わってくるのです。

オオナムチも、
この偉大なる大王スサノオさんのやり方を見ていて
真似していたよう思えます。
沢山の政略結婚を繰り返し、妃を設けて国を広げる......
ただ、この神様だけは妃の恨みも買っちゃったのかもしれません......
どこかの芸能人!?みたいに。

人柄......イヤ、神柄なのか......



赤と白は、
スサノオさん直系の子供、子孫、一族か?
政略結婚などで併合した「養子的」子供や子孫なのか?
赤は血の色だから、直系。
白は白旗。新系。



涙出ません?



でも......ですね。
コレは、ですね。
カルマなんだと思います。
綺麗事だけでもなく、この国のカルマなんだと思うのです。
多くの人達はそんなカルマを少しづつ消していってる。
そういう宿命や能力のある人たちは皆そうしてる。
昔から沢山はいなかったろうけど......幾人もいた。
◯◯◯内親王しかり、空海さんしかり、特異な能力がある者や、
今に伝わる多くの人々、神々も皆そうなのではないか?と思います。
そして、
これからも、
僕達がこの世界を去った後も、
誰かかが同じようなことをやっていくんだと思います。



それぐらいこのカルマは大きいし、深い。



綺麗事では無いし、
派手なことでも、魅力的なことでも無いと思うのです。
僕達エンターテイメント世界の仕事と一緒。
この仕事を派手に美しく語る人はみな偽物。
だって、本当に地味で、ハードで、そんなことがあって初めて、
外に出た時にキラキラと輝く様な仕事なのですから。
世にいる多くのレーノー者や
ヒーラーさんなどもそうやって見てしまうのです。
僕は。
もちろん全部同じでは無いですが、だから

「神様と繋がった!わーい!うれしい!いいことある!」

という風にだけ?
霊能を捉える様なことは大きな間違いだとも思っているのです。
それは実のところカルマなんだと思います。
だからそれを偉大な力のように、神秘的で、
さも「特別」な力のように見せる人々を僕は苦手としてしまうのです。
それは真実が見えてい無いからこその振る舞いの様にも見えるのです。
ソレは特別なる自分を楽しんでるだけにも思えるのです。
エゴを満たして喜んでるだけの様にも感じられるのです。
もしかしたら、そんな心持ちでいると......
「嫉妬」や「支配欲」が生まれる。抜けない。
僕はこんな世界を生きています。
見ています。



先日、どうしても見たいモノがあって訪れた静岡県、
浜松市、三ヶ日の地。
その地の総社さんである
「浜名惣社神明宮=はまなそうしゃしんめいぐう」
にたなびいていた国旗。
青い空にあまりに美しく映えていたので、
しばらくボーッと見上げていました。(^^)

赤と白。

この国旗の美しさは世界に誇れるようにも思います。
2色がバランス良く配置され、デザインされてこその美しさ。
2色の和をもっての美しさ。

そー言えば、
この神社の鎮座地の名前は「大輪山」
きっと、奈良県の「三輪山」「大神神社=おおみわじんじゃ」
とも関係していると思います。
祭神も元は太田命=大田々根子命(おおたたねこ の みこと)。
隠された初代ヤマトの王
「饒速日=ニギハヤヒ」直系の子孫とされる神。

ニギハヤヒさんは、
天照大御神(アマテラスオオミカミ)の祀られる社の、
さらに上の山頂に......ヒッソリと、
名前を隠されて祀られていました。


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財布

2015-06-06 20:42:48 | 凄い
Sなのに!Mちゃんは、
何でも話せる貴重な友人の一人。(^_^)
ちょっと不思議な力を持っていて、
九州のトアル大きな神社で神職を務めながら、
時折、悩める人のお話を聞いたりなんかもしています。
不思議な縁で、僕がMさんに初めて会った時にも、
Mさんならではのとてもインパクトのある
忘れられないようなコトがあって......

ソレが「財布」の話し。

当時の僕は10年以上の長きに渡り、
お財布代わりにマルチツール付きのマネークリップを愛用していて。
普段はソレと小銭とをポケットにバラバラと入れ込んでいるような
とてもポンチキな感じだったのですが。
Mさんは出会った直後の僕に、
そんな僕のポンチキスタイルなど決して知っているハズなど無いのに、
「トアル神様が話された言葉」
としてこんなコトを言って来たのです......



「———————今はの、
男と申すもの、身につける財布にはこだわりを持たれよ、
と伝おてくれと申され、
影響されしはこの神が見てくれておる証じゃよ———————」

「へっ!?( ̄O ̄;)
Mさん、俺が財布持ってないの知ってる!?
......わけ......ないよね......」

「あぁ!?やっぱり持ってないんですか?uzmetさん。サイフ?
ナンカ◯◯◯◯◯◯の神様はそー言ってますよ。(^_^)ニコニコ」

「こ、コダワリが......
そ、そーですの、、うぅーーん。。。」



ソレで、更に不思議なコトに、
ちょうどこの時、
僕は街でプラリと見かけたアル財布に目を奪われ、



「これわスゲーなぁ。チョット欲しいかも。
久しぶりに財布でも持っちゃおうかなぁ。。」



なーーーんて!
思っていたような時だったのです。
なので、そのMさんの言葉を聞いた時に、
僕の頭にはスグその財布が!浮かんできていました......



「うーーん......実は、その言葉、
メチャクチャよくわかる気がしまふ。
し、しかし、、Mさん、スゲーのね。。( ̄◇ ̄;)どーも。。」



そーして、そんなワケで。
その後、僕が即買い!してしまった、
十数年ぶりに手にした財布というのが、この
「甲州印伝=こうしゅういんでん」
と呼ばれるお財布さん達なのです。



「甲州印伝」とは、
甲州=山梨県で400年以上にわたって伝承されてきた
鹿革に漆!(うるし)で模様付けした伝統工芸品。
そして、この「印伝屋=INDEN-YA」というメーカーさんは、
その総本家でもあり、
上原勇七という職人さんが創案した技法を
脈々と今に伝える家元さんでもあります。
この財布、個人的に最初にドォーーーン!と感動してしまったのは、
何と言ってもその手触り。
シットリとアッサリの両方を兼ね備えた「漆」独特の肌触りは、
もうなんとも言えない心地良さで。
ニタニタ......♪( ´▽`)と、
何度も手のひらをスリスリ......としてしまうような妖艶さ。
そもそも「漆=うるし」とは、
「潤う=うるおう」や「麗しい=うるわしい」
という言葉を語源としていて。
西洋では「ジャパン」とも呼ばれる、
日本の美を象徴するモノの一つでもあります。
そして、その漆が織りなす模様は
最早完成の域に達しているとも思われる、
古来より延々と受け継がれてきた日本独特の絵柄。
幾つかの種類があるそんな絵柄の全てには
深くシッカリとした意味も込められています。

それは、有名無名問わず多くの人々に大切にされ、
頼られても来た絵柄。

さらには、
どこまでも丁寧な職人仕事が伝わって来るステッチのクオリティ。
取り出しやすいようにと、
スリットが微妙にカーブしているカードホルダー。
裏生地のクオリティも素晴らしい。
トドメは鹿革そのものが持つ桁違いの柔らかさと軽さ。
その全てが日本人にしか作れないであろうと思える美しさ。

素晴らしいったらあーーりゃしない♪( ´▽`)

正直、海外高級ブランドに真正面からぶつけてもイケル。
誇れる!と思える様な仕上がり。
個人的に、ですが、マジでそう思います。

......ただ......

持ち方を間違えると色んな意味で
「お年寄り臭」が出てしまうリスクも否めず。
和モノ感の強いスタイルや
色などと合わせちゃうのわ要注意か。。(; ̄ェ ̄)
即「巣鴨行き!」の恐れもあります。
でもダメージ系のジーンズやスーツ、ジャケット、
デザイナーズ系のシックカジュアルには
とてもクールにフィットしてくれる感があるので、
特に外人さんには響く感じ。
海外で取り出したりするとカナリあちこちで突っ込まれるコトがあります。

「ソレは何だ!?」

みたいな。

「日本の宝だお!(・Д・)」

みたいな。

触らせた時の顔は毎回見ていて楽しくなっちゃう感じで。

しかし......

Mさんの一言から勢いで手にしてしまったこのお財布さん。
彼が言っていた◯◯◯◯◯◯の神様というのは、
何を隠そう!?
鹿さんをお使いにしている!神様だったりして......
しかも僕の産土(うぶすな)の神様で、
生家のすぐ裏にある神社の神様でもあって......
マサにこの財布が神様の言っていた僕にとっての
「コダワリの財布」なのかなぁ......などとも思いつつ、
今更ながらこの財布との出会いには不思議な縁と、そして、
有難さみたいなモノを感じてしまうのです。
ええ。ええ。(^_^)
かしこ。



上に記した初代インデンさんはカナリ長々と使い込んでいたので、
流石にヘタリ込んできてしまい。
つい先日、二代目!さんを買いに行ってきました。
初代と全く同じモノにしようかな......と、
東京、青山のお店に入ってみると、
今年1月に登場したという「新模様」の新作が!Σ( ̄。 ̄ノ)ノ

初代さんの模様は、
実は「青海波=せいかいは」と呼ばれる伝統模様の一つで。
海に波の波紋が広がってゆく様をデザインしたモノでしたが、
その意味は末広がりとか、
大海原の様に幸福が延々と拡がっていきますように......
という意味がありました。

小銭入れの模様である「トンボ」さんは、
甲州印伝の最初のモチーフであり、最も基本的な絵柄。
トンボは別名「勝虫=かつむし」と言われている様で、
古来より多くの武将が鎧兜や服などに織り込んでいた模様でもあるそうです。
で、今回新たに登場した2015年の新模様は.......



ナント!
よく見れば富士山!
突然チャージしてきたお店のお姉たま曰く......



「お客様はこの “赤富士” がお似合いだと思いますのよぉ。
おーーっほっほっ( ̄▽ ̄)
“たかね=高峰”という名前ですのよぉぉ。
裾野には末広がりってこともあるのですのよぉ。
赤はナカナカ買う人いませんけどぉぉ、
買っちゃえばよろしーですのよぉーーーーっ♪
おーほっほっ( ̄▽ ̄)」



ってね。

なんだかオネエたまのお言葉じゃないような気もしてですね......

買っちゃったんですのよぉぉーーーーーーっ♪

おーーーーほっほっ( ̄▽ ̄)

また安っぽくノセられちゃったんですのよぉぉ。

おーーっほっほっ(T 。T)


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オカワリ!

2015-06-02 22:18:06 | 美味い
ウシ怖い!(=゜ω゜)ノ


牛に襲われたの!


マジで!


死ぬかと思ったの!(=゜ω゜)ノ


なんの話かって!?


今度また話すね!(・Д・)ノ


だから、しばらくギュー肉は食べたくないの。
ギュ~ってなっちゃうから。
だから、ご飯はトンカツにするの。


豚さん好きなの!(=゜ω゜)ノ


ええ。ええ。
そんなこんなでご近所でお気に入りのトンカツ店を食べ歩き!
の巻ですよ。ええ。
体重重視ですよ。
お相撲重視ですよ。
コストパフォーマンスも重視ですよ。ええ。
お財布に優しい方向じゃないと、
美味しくてもイマイチ良いグルーヴが生まれませんから。
ええ。
安くて美味しい。
これ基本ね( ̄+ー ̄)ええ。ええ。
マズワ、っと......
ココ......





目黒「とんき」!
外せないっしょ!
基本の「キ」でましょ!

やぱーりね、
このお店何が有難いってですね、店員さんですのね、
混んでる時に店前でドレだけ列を外れてプラプラしていても!
チャーーーント!
順番通りに呼んで!
入れてくれるのですよ。

「き、記憶してるのですのっ!?(゜o゜;;」

ってね。
スゴイですよ。
でね、中に入ると、
広い店内の空いている席にバラバラと座らされるのですけど......
チャーーーント!
座った順番通りに注文聞いてくれるのですよ!(=゜ω゜)ノ
団体さんでアッチャコッチャに席振り分けられていてもチャーーント!
順番通りに!
オーダー聞いてくれるのですよ!

「お、覚えてんのかっ!?( ̄O ̄;)注文内容まで......」

スゴイですのよ。ええ。
完敗の乾杯ですよ。
お茶やご飯のおかわりなんかもね、ココぞ!って時に

「イカガッスカ!?」

なぁーーーーんて!聞いてくるんっすよ!
ドンピシャで。
しかもそんな御技がね、「さり気なさすぎる!」んっすよ。
惚れちゃうんですよ。
あまりのさりげない気遣いに。
プロのプロですよ。
有難いですよ。
白木の美しいカウンターや丸見えのオープンキッチンにもそんな
「さり気ない」有難さを感じるわけですよ。ええ。
外人さんが嬉しくって写真撮りまくるっつースンポーですよ。



ん!?
味!?

ソリャ美味しいですよ!(・Д・)ええ。モチロン。さり気なく。

続いて......
麻布十番という街さんで。ええ。
ここ。
「むら中」さん。



以前も記した、
山形県は「月山=がっさん」の恵みを受ける、
麗しの庄内平野にある「平田牧場」で育った三元豚さんのとんかつを、
とても美味しく食べさせてくれるのです。ええ。



なんかね、ここ、「コロモ=衣」に一味あるんす。
なんか、使っている油が違うというか。
ラード系というか。
でもソレともチョット違うのですよ。
三元豚のお肉も当然断然美味しい!のですが、
加えて、ナントモジューシーなコロモさんが魅惑的なのです。

ええ......
御察しの通りですわ。
ダンナ。
そーーですわ。
アチキわね......ここに来るとね......



コロモでご飯食べちゃうんですよっ!(=゜ω゜)ノ



タップリと!



脂ぎっちゃうんですよ!(=゜ω゜)ノ



身もコロモ(心)も!



ええ。ええ。
続いてですな、もいっちょ、お気に入りのお店さんで。ええ。
六本木ヒルズの地下にあるのですけど。
ココ.....「豚組食堂」さん。



またまた調理人が人目に晒されてしまうオープンキッチン。



良い仕事が丸見え。



キャベツはスライサーだけど、
値段と肉の質を考えると全くもって問題なし。

ランチだし。

オカワリ!

キャベツ!

大盛りで!

何故ならドレッシングがスコブルおいちーからっ!(=゜ω゜)ノ

でね、
ココは最初の一切れをお塩で食べてくれと、
そーーー自信たっぷりに訴えてくるお店さんなのですな。ええ。



塩もコダワリのヒマラヤンソルトだったりして。



確かにイケるのですな。一口目は、塩で。
自信の豚さんの味がウマウマなのですよ。
その時々で最も美味しいモノを選りすぐりしている様で。



このお店は近くで高級豚シャブ屋さんも経営しているので、
そこが美味しい肉を安く、
各種セレクトして提供できる秘訣なのですな。ええ。
そちらのお店も美味しいし。ええ。

そんなこんなで、
牛さんにはトテモ酷い目にあったので、
僕さんはしばらくわ豚さんラブ♡で過ごすのだす。

だって......

だって......

ウシってコエーーーーーーーーーーーンダゼッ!(;▽;)ノ


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