......そんな国武さんのお話はもう少し続きます。。
実は、
ハワイのコーヒー農園のうち70%以上は日系人の経営する農園なのだそうです。
時代は江戸幕府の末期から明治にかけて。
「産業革命」を成し遂げた、
欧米を中心とする「列強国」が世界中に植民地を有し。
広大なプランテーション(単一作物の大規模農場)事業を推し進めていました。
いわゆる「帝国主義」と呼ばれる時代。
世界大戦前の時代。
不足していたのは拡大するプランテーションで働く労働力。
イギリスのバックアップを受けハワイ諸島を統一した
カメハメハ大王から連なる王族が治めていた当時の「ハワイ王国」でも
欧米列強国主導の「サトウキビ」プランテーション事業が展開され、
慢性的な労働力不足に陥っていました。
そんな中、
当時からその勤勉さと誠実さが世界中で評判となっていた我々日本国には、
労働力を必要とするそんな国々から「移民要請」が沢山届くようになります。
正式にハワイからも届いたそうです。
ハワイからの移民要請が最初に届いたのは、
倒壊寸前だった末期の江戸幕府。
幕府は移民を了承しましたが、その直後「明治維新」が起こり。
日本国は新たに「明治政府」となったため、
新政府は幕府がハワイと結んだ移民契約は
「いったん無し!」
としました。
それでもハワイ移民の斡旋者であった在日ハワイ領事官
「ユージン・ヴァン・リード」さんは
「正式な契約は済んでいる、、、」
と、強引にハワイ移民を決行。
1868年。明治元年。
153人の日本人が最初の移民としてハワイに渡ります。
世に言う「元年者」とは、
この最初のハワイ移住者のこと。
コレ以降も多くの移住者がハワイに渡りましたが、
当時日本からハワイまでの道程は船の旅だったそうです。
チープな船の狭い船室にギュウギュウ詰めにされて、
太平洋の荒波を揺られ揺られて......
だいたい11日以上の時間がかかったそうです。
船は一旦オアフ島、ホノルルに着いて、
そこからさらに小さな船に乗り換えて、
また一昼夜かけてハワイ列島のソレゾレの島へ出航していきました。
サトウキビのプランテーションは港からさらに離れた遠い内陸地にあって、
上陸してからも大きな荷物を担ぎ、
徒歩で長い距離を歩かされたと言います。
「もう日本には帰らない。
船で何日も酔って、歩かされて、、こんなに辛い旅はもう嫌だ。。」
農場に着いた時にそう思った人も沢山居たといいます。
国武さんのお爺さんとお婆さんもこの頃移住した人達でした。
「安定した収入!」
「暖かい楽園生活!」
「夢の移民生活!」
などと謳った移民募集の広告は、
明治維新前後の不安定な日本社会で多くの人達を魅きつけたそうですが、
イザ!ハワイの農場に着いてみると、
ソコでは過酷な労働地獄が待っていました。
何処の農場でも労働は朝6時から夕方5時まで。
休憩は昼食時のわずか30分ほど。
南国ハワイの炎天下の中「11時間労働」が当たり前の世界だったそうです。
それでも手に出来る賃金はわずか数ドル。
全てがギリギリの生活。
それでも多くの日経労働者は家族を養うために、
過酷な農場仕事を切り上げた後も裕福な白人家庭のアルバイトを
月数ドルで請負ったりしていたのだそうです。
それは「夢の移住生活」とはほど遠い「奴隷」に等しい扱い、
生活だったようです。
過労で倒れたり、
栄養不足で病気になったり、
亡くなったり......
それでも祖国は遠く離れ、助けや援助も届かず。
幾人か帰国出来た人々もいたそうですが、
多くの移民は祖国に帰ろうにも全財産をつぎ込んでの移住だったので
旅費を工面することも出来ず。
逃げる事も戻る事も出来ず......
そんな毎日を送っていたそうです。
その後、
市場動向と価値に大きな影響を受けるプランテーション事業は、
ハワイではサトウキビからより人気の高まった「珈琲」に変わり。
その珈琲プランテーションも市場での浮き沈みを繰り返しながら、
1900年初頭には市場価格の暴落によって壊滅的な状態に陥ります。
すっかり「厄介物件」と化してしまった「珈琲農園」は
投資家や裕福なオーナー達から小規模に分けて
安く叩き売りされるようになりました。
この時、日系移民の方々は
「小さくても、
タダの労働者から自分の畑と出来るのだから。。」
と、
働きながら少しづつ貯めたお金で小分けされた農場を買い取り、
自分の農場としていきました。
これが現在の日系の皆さんが営んでいるている
珈琲農園のスタートとなります。
言い方を変えれば、
コーヒー農園を無くさずに、
危機から立て直したのはそんな日系移民の方々だったのです。
世界大戦を始め、
様々な世界情勢に左右されながら世界のコーヒーマーケットは、
その後も乱高下を繰り返しましたが、
その度に日系移民の方々が買い取って。
家族で経営する小規模農場の数は増え続け。
それで今ではハワイのコーヒー農園の70%以上が
日系の方々の経営になっていると言うわけです。
ココまでの詳しい話しの全てを国武さんから聞いたわけではありませんが、
前回記したお店で交わした会話の中で
僕が国武さんから感じたメッセージは
「ソレだけコナ・コーヒーを好きだったら、
コーヒーの歴史も良く知って欲しい」
「コナ・コーヒーがこれだけ美味しいのは、
我々日系移民の多世代にわたる長き努力や苦労、
そして農場やコーヒーに対する強い思いがあることも知ってほしい」
というようなことでした。
「異国で根を張って生きる!
と決めた日本人の強い覚悟と決意。思い。
それでも失わなかった愛国心。
そんな事も分かってほしい」
僕とコニャ(奥さん)は、
そんな国武さんとひとしきりのお話をした後、
自慢の「カントリーサムライ」珈琲を幾つか買って。
そして、国武さんと約束した通り、
ホテルに戻ると、
頂いた無農薬のライムとスターフルーツを切って、
ビールと一緒にいただきました。
「ハワイにいる間分あげるよ!(^。^)」
と、ペーパーバッグに沢山入れてくれた
国武さんのライムとスターフルーツは、
ハワイ島からオアフ島に移ってからも毎日食べれるほど。
海が見渡せるテラスに座り、
スターフルーツをかじり、
ライムをたっぷりと絞ったビールを飲んでいると、
国武さんが話していた言葉が耳にコダマして来ます......
「―――――――私の両親やお爺ちゃん、お婆ちゃん、
本当に凄いのね。
だから、
日系の先祖達は凄いのね。
だからだね。うん。皆ハワイで苦労した。
とても辛い思いした。
だから凄いのね。うん———————
———————この歳でやっと日本に行けた!
———————これからも沢山行こうと思ってる!
———————天皇陛下に会った時は、だから私とても感動した。
だから写真はズットお店に飾ってる————————」
そんな風にして飲んだビールは、
ハワイの風景を今迄とはマッタク違ったものにしてくれました。
それは、今まで僕が見たことの無かったハワイの風景で、
今まで知らなかった味がしました。
「starfish and coffee/PRINCE(スターフィッシュ & コーヒー/プリンス)」
この記事を書いている間中、ズット頭の中で鳴っていた曲♪
ロック史に燦然と輝くアルバム!
「SIGN "O" THE TIMES/サイン・オブ・ザ・タイムズ」
に入ってます(^^)
♪If U set your mind free, baby
Maybe you'd understand
Starfish and coffee
Maple syrup and jam
もし君が心を自由にしたならば、
きっとわかるよ。
スターフィッシュとコーヒー。
メイプルシロップとジャム♪♪
実は、
ハワイのコーヒー農園のうち70%以上は日系人の経営する農園なのだそうです。
時代は江戸幕府の末期から明治にかけて。
「産業革命」を成し遂げた、
欧米を中心とする「列強国」が世界中に植民地を有し。
広大なプランテーション(単一作物の大規模農場)事業を推し進めていました。
いわゆる「帝国主義」と呼ばれる時代。
世界大戦前の時代。
不足していたのは拡大するプランテーションで働く労働力。
イギリスのバックアップを受けハワイ諸島を統一した
カメハメハ大王から連なる王族が治めていた当時の「ハワイ王国」でも
欧米列強国主導の「サトウキビ」プランテーション事業が展開され、
慢性的な労働力不足に陥っていました。
そんな中、
当時からその勤勉さと誠実さが世界中で評判となっていた我々日本国には、
労働力を必要とするそんな国々から「移民要請」が沢山届くようになります。
正式にハワイからも届いたそうです。
ハワイからの移民要請が最初に届いたのは、
倒壊寸前だった末期の江戸幕府。
幕府は移民を了承しましたが、その直後「明治維新」が起こり。
日本国は新たに「明治政府」となったため、
新政府は幕府がハワイと結んだ移民契約は
「いったん無し!」
としました。
それでもハワイ移民の斡旋者であった在日ハワイ領事官
「ユージン・ヴァン・リード」さんは
「正式な契約は済んでいる、、、」
と、強引にハワイ移民を決行。
1868年。明治元年。
153人の日本人が最初の移民としてハワイに渡ります。
世に言う「元年者」とは、
この最初のハワイ移住者のこと。
コレ以降も多くの移住者がハワイに渡りましたが、
当時日本からハワイまでの道程は船の旅だったそうです。
チープな船の狭い船室にギュウギュウ詰めにされて、
太平洋の荒波を揺られ揺られて......
だいたい11日以上の時間がかかったそうです。
船は一旦オアフ島、ホノルルに着いて、
そこからさらに小さな船に乗り換えて、
また一昼夜かけてハワイ列島のソレゾレの島へ出航していきました。
サトウキビのプランテーションは港からさらに離れた遠い内陸地にあって、
上陸してからも大きな荷物を担ぎ、
徒歩で長い距離を歩かされたと言います。
「もう日本には帰らない。
船で何日も酔って、歩かされて、、こんなに辛い旅はもう嫌だ。。」
農場に着いた時にそう思った人も沢山居たといいます。
国武さんのお爺さんとお婆さんもこの頃移住した人達でした。
「安定した収入!」
「暖かい楽園生活!」
「夢の移民生活!」
などと謳った移民募集の広告は、
明治維新前後の不安定な日本社会で多くの人達を魅きつけたそうですが、
イザ!ハワイの農場に着いてみると、
ソコでは過酷な労働地獄が待っていました。
何処の農場でも労働は朝6時から夕方5時まで。
休憩は昼食時のわずか30分ほど。
南国ハワイの炎天下の中「11時間労働」が当たり前の世界だったそうです。
それでも手に出来る賃金はわずか数ドル。
全てがギリギリの生活。
それでも多くの日経労働者は家族を養うために、
過酷な農場仕事を切り上げた後も裕福な白人家庭のアルバイトを
月数ドルで請負ったりしていたのだそうです。
それは「夢の移住生活」とはほど遠い「奴隷」に等しい扱い、
生活だったようです。
過労で倒れたり、
栄養不足で病気になったり、
亡くなったり......
それでも祖国は遠く離れ、助けや援助も届かず。
幾人か帰国出来た人々もいたそうですが、
多くの移民は祖国に帰ろうにも全財産をつぎ込んでの移住だったので
旅費を工面することも出来ず。
逃げる事も戻る事も出来ず......
そんな毎日を送っていたそうです。
その後、
市場動向と価値に大きな影響を受けるプランテーション事業は、
ハワイではサトウキビからより人気の高まった「珈琲」に変わり。
その珈琲プランテーションも市場での浮き沈みを繰り返しながら、
1900年初頭には市場価格の暴落によって壊滅的な状態に陥ります。
すっかり「厄介物件」と化してしまった「珈琲農園」は
投資家や裕福なオーナー達から小規模に分けて
安く叩き売りされるようになりました。
この時、日系移民の方々は
「小さくても、
タダの労働者から自分の畑と出来るのだから。。」
と、
働きながら少しづつ貯めたお金で小分けされた農場を買い取り、
自分の農場としていきました。
これが現在の日系の皆さんが営んでいるている
珈琲農園のスタートとなります。
言い方を変えれば、
コーヒー農園を無くさずに、
危機から立て直したのはそんな日系移民の方々だったのです。
世界大戦を始め、
様々な世界情勢に左右されながら世界のコーヒーマーケットは、
その後も乱高下を繰り返しましたが、
その度に日系移民の方々が買い取って。
家族で経営する小規模農場の数は増え続け。
それで今ではハワイのコーヒー農園の70%以上が
日系の方々の経営になっていると言うわけです。
ココまでの詳しい話しの全てを国武さんから聞いたわけではありませんが、
前回記したお店で交わした会話の中で
僕が国武さんから感じたメッセージは
「ソレだけコナ・コーヒーを好きだったら、
コーヒーの歴史も良く知って欲しい」
「コナ・コーヒーがこれだけ美味しいのは、
我々日系移民の多世代にわたる長き努力や苦労、
そして農場やコーヒーに対する強い思いがあることも知ってほしい」
というようなことでした。
「異国で根を張って生きる!
と決めた日本人の強い覚悟と決意。思い。
それでも失わなかった愛国心。
そんな事も分かってほしい」
僕とコニャ(奥さん)は、
そんな国武さんとひとしきりのお話をした後、
自慢の「カントリーサムライ」珈琲を幾つか買って。
そして、国武さんと約束した通り、
ホテルに戻ると、
頂いた無農薬のライムとスターフルーツを切って、
ビールと一緒にいただきました。
「ハワイにいる間分あげるよ!(^。^)」
と、ペーパーバッグに沢山入れてくれた
国武さんのライムとスターフルーツは、
ハワイ島からオアフ島に移ってからも毎日食べれるほど。
海が見渡せるテラスに座り、
スターフルーツをかじり、
ライムをたっぷりと絞ったビールを飲んでいると、
国武さんが話していた言葉が耳にコダマして来ます......
「―――――――私の両親やお爺ちゃん、お婆ちゃん、
本当に凄いのね。
だから、
日系の先祖達は凄いのね。
だからだね。うん。皆ハワイで苦労した。
とても辛い思いした。
だから凄いのね。うん———————
———————この歳でやっと日本に行けた!
———————これからも沢山行こうと思ってる!
———————天皇陛下に会った時は、だから私とても感動した。
だから写真はズットお店に飾ってる————————」
そんな風にして飲んだビールは、
ハワイの風景を今迄とはマッタク違ったものにしてくれました。
それは、今まで僕が見たことの無かったハワイの風景で、
今まで知らなかった味がしました。
「starfish and coffee/PRINCE(スターフィッシュ & コーヒー/プリンス)」
この記事を書いている間中、ズット頭の中で鳴っていた曲♪
ロック史に燦然と輝くアルバム!
「SIGN "O" THE TIMES/サイン・オブ・ザ・タイムズ」
に入ってます(^^)
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Maybe you'd understand
Starfish and coffee
Maple syrup and jam
もし君が心を自由にしたならば、
きっとわかるよ。
スターフィッシュとコーヒー。
メイプルシロップとジャム♪♪