雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

へ?(  ゚ ▽ ゚ ;)

2024-07-16 00:06:56 | 初めに、タイトルの話
「ラジオ番組の話が来てるんだけどさ。
どうする?
螢。
やりたい?」



メジャーシフト後、
プチ・ブレイクの状態にあった14歳の少女詩人に、
全国キーのFM局からレギュラー番組のオファーが届きました。
2000年が始まる直前の頃?の話だったでしょうか。



「うーーーん、、、」

「やっぱり?
やめとくか?
ラジオは実は難しいしな。
螢はめっちゃ喋れるわけじゃないし。
プロモーションにはとても良い話だとは思うけどね」

「......」

「断っとくよ。
気にせんといて」

「やってもいいよ」

「え?
ナニ言ってんの?
マジか?」

「うん」

「なんでよ?また。そんな」

「私だから、深夜で、暗い時間ならいい。
それ以外だったらやらない」

「ま、そりゃそうだろよ。
螢が昼間に喋るなんて想像もつかんしな......
......って!
おまいさん!
未成年やんけ!
深夜に働かせるわけにはいかんぜよ!
ダメだな。
少なくとも生放送は」

「そうなんだ。
ならいい」

「録音番組なら大丈夫だぞ」

「そう。
それでできるならいいかも」



そんなやりとりから始まった螢のFM番組
「螢の星くず」
録音番組で、
ド深夜に女子高生がボソボソと暗いトーンで話し始めるという、
今考えても背筋が寒くなる!?ような番組。
聴取率などお構いなし!?
のドープな番組を厳しい局編成の方々がよくOKしてくれたものだと。
今でも不思議に思います。



「どんなのにしたい?番組」

「うーーーんんん。。
よくわかんない。
まかせる」

「そう。
ま、1人喋りでいいだろうな。
誰かと絡める子じゃないやろ。ほたるわ ( ̄∇ ̄)ニヤッ」

「それでいい」

「じゃ、基本それで進めるわ。
他に何かある?やりたいこととか」

「一つだけ。
番組はカラスの鳴き声から始まりたい」

「へ?(  ゚ ▽ ゚ ;)」

「カラスの声」

「へ?」

「......」

「いいか!?
ラジオだぞ。
女子高生♡の、1人喋り♡の」

「......(螢)」

「......(僕さん)」

「......(螢)」

「......(僕さん)」

「......(螢)」

「わーーーーーーかった!
りょーーーかい!
カラスね!カラス!
あい変わらず変わってんな!
おまえさん!」



この時の番組は、
そんな感じでスタートしました.....とさ♪(^^)



今日の記事は、
このブログがスタートした時から訪れてくれている方々との
約束の記事であり、
1年継続毎のマイルストーンとなるものです。

このブログを記し始めたのは2012年の7月14日。
その最初の記事は13歳の少女詩人のお話でした。
僕としては当時、部門で開発していたシステムの参考にしようと、
ブログのCMS(コンテンツ・マネジメント・システム)を
使いながらチェックするという目的だったのですが。
時も経ったし、
なんとなく軽い気持ちで書いた少女詩人「螢」の記事に、
彼女をよく知る皆さんからの思わぬ反応やメールまでが届いてきて。
僕はそんな皆さんと約束をしたのでした。

「......では、このブログが続くのであれば、
その1年毎のマイルストーンとして
彼女との四方山話を記していくことにしますね、、」

と、そんな約束の記事となります。

今年は2024年、ですか......

12年......

よく続いているものです......

12年は、
12という数字は、
ひとつの確固たる区切りに思います。
10とかよりも全然、本当に本当の、真の、
大きめのターム。巡り。
宇宙のリズム。

いつまで続くのか、
こんなアホブログ......

......ま、今は、
先のことはあまり考えないようにしておこうかと。

スタートから訪れてくれている方々は勿論、
いつも覗いてくれている皆様にも改めての深い御礼を。
心から感謝しております。
本当にありがとうございます。



螢唯一のインディーズ・アルバム「螢」
写真は背面ジャケットになりますが......そー言えば、
このアルバムの冒頭にもカラスの声が入ってます。
まさに「闇夜の鴉(からす)」と言いましょうか。
ええ。ええ。(^^)



☆「初めに、タイトルの話」カテゴリー記事リンク☆
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雲と螢 2
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自由さえも

2023-07-22 00:12:22 | 初めに、タイトルの話
インディーズからメジャーへステップすることを決めて、
そのサウンド感に関してはどうする?と、
当時14歳ぐらいだった少女詩人「螢」に尋ねてみると......



「どこか遠くでなってるようなオトがいい」

「んんーーー。。
あとは、痛みがある感じ」



と、そんな言葉が返ってきました。



「ふうーーーんん。。」



その時の僕はわかったような、
わからないようなナマ返事をして、後日、メジャー盤の
サウンド・プロデュースをお願いしようと決めていた
アーティストの「JTさん」と
全体的な音の方向性について話し合うことにしました。



「さすが!ホタルちゃん。
ヘンなこと言うねぇ(^^)」

「いやいやいやいや......
どーいうこと!?でしょうねぇ......」

「そうだね......」

「僕は、なんか、こう、
ブライアン・イーノのサウンドが浮かぶんですけど......

「あー、あー!
わかる!
そうだね。オレもそう」

「つーことわ、U2の音とかも射程距離に入るんでしょうかね」

「そうだね。
でも、どっちかっていうと、
もっとアンビエント寄りなんじゃない?
ポエトリー・リーディングだし」

「むむむ......」



そんな会話を経て、
二人で決めた螢のメジャー盤サウンドの方向性は、
このアルバムのサウンドをより磨いていくようなイメージでした。



ダニエル・ラノワ(Daniel Lanois)さんの
「アカディ(Acadie)」
知る人ぞ知る!?
ブライアン・イーノさんのエンジニアであり、
ピーター・ガブリエルさんや
「ヨショア・トゥリー」の頃のU2サウンドの要となっていた人。
その人が趣味的にリリースした少々マニアックなアルバム。

「Still Water」


「The Maker」


「uzmet君さ。
これ、ながーーーーい廊下の奥の方で鳴ってる感じなんだよ。
これ、イケると思うんだ。ホタルに」

「おお!
そうですね!
これですね(^^)」



螢のメジャー盤のサウンドコンセプトはこんな感じで。
長い廊下の奥の方で鳴っている音......
というイメージで作っていきました。
そして、
ある程度曲のアレンジがまとまったところで螢に聞いてもらうと、



「うん。いい」



と。
相変わらずの端的な一言。
アチキらの四苦八苦わぁぁぁ.......と、
僕らわ嘆いたとか、嘆かなかったとか.......



今回の記事は、
このブログを書き始めた時に読者さん達と約束をしたものであって。
もし、このブログが続くのであれば、
ブログタイトルの由来話であった
13歳の少女詩人「螢」に関するエトセトラを、
1年毎のマイルストーンとしてココに記し置いてみます、と、
そんな約束の記事になります。
そのスタート記事の日付を見ると2012年7月14日。
なんと、11年前。
4日に一度ぐらいというノロノロ更新ですが、
それでも、11年。
ちょっと驚きます。
よく書き続けてきたなぁ......と。
アホやなぁ......と。
今回に関しては数日遅れの記事ともなってしまい、
そこは申し訳ありませんでした。
お詫びします。
そんなこんなのマイルストーン記事は
「記事カテゴリー」の

初めに、タイトルの話

というカテゴリーや、
この記事の終わりにもまとめてあります。
ブログスタートのキッカケなども書かれているかと。
ええ。ええ。(^^)



「自由さえも不自由になっていく」

上にある螢のネガフィルムや紙焼写真が入っていた
DPEストアの袋に螢が書き残していた言葉。
......確か、彼女と一緒にインディーズCDの
ジャケット写真を選んでいた時に
彼女が書き殴っていたもの。
インディーズとはいえ、
初めてのCDを世に出すことになって、
その後、自分にどんな変化が起きていくのか......
そんな気持ちを落書きしていたのだと思います。
この言葉を見た時の僕は少し複雑で、
悲しい気持ちにもなって。
でも、とても印象的な言葉だったので、
今もそのまま書棚にとってあります。
最近の、
今の世の時勢を感じ見ていても、
僕にはちょっと気になる言葉でしょうか。



おまけ♪
スタイリストさんの持ってきたサングラスを
ふざけてかけている螢と僕さん。
懐かしのポラ!ショット。
アホやのーー。。


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ささやかに

2022-07-15 19:11:45 | 初めに、タイトルの話
「んんーーーーーーーー。。
上手く歌えない」



そんな言葉が、
ボーカルブースの中にいるから、
僕らのいるミキシングルームの方に返ってきました。



「むむむ。。。。
マジか、、、
どーしよかな、、
なんだろ?
なんか問題あるのかな?」



僕はSSLのマルチコンソールについている
トークバックのスイッチを押しながら、
ブースの中にいる螢に話しかけます。



「んんんん......
なんか、明るくて、おかしい。
歌えない。
暗くしていい?」

「そーかー。。
全然。
別に良いよー。
照明は勝手にいじってみて」



僕と螢がそんな会話をしていると、
卓(たく=コンソール)に座っていたエンジニアさんから



「uzmetさん。
こっちも照明落としましょうか?
その方が彼女にはよさそうですね」



「おおお!
そーですね。確かに。
そーしましょ。
ありがとうございます」



僕らは螢の入っているブースと窓を共用している
ミキシングルームの方の明かりも真っ暗に落とし、
それで、螢の望む、
夜のように暗いスタジオにしました。
コンソールやハードウェアのインジケーターの明かりが
夜空の星のようにキラキラと光って見えます。



「ほたるーー。
こっちも消したー。
どう?
こんなかんじわ?」

「うん。
よい。
これでやってみる」



ボーカルダビング再開。
しかし、何テイクか後、
また螢から話が......



「うんと、
ローソク。
欲しい」

「ろ?ローソク?
マジ?
ブースの中で?」

「うん。
もっと良くなると思う」



そんな感じで、
彼女の作品の中には真っ暗なレコーディングスタジオの中で、
ロウソクの炎を灯しながら録音したものがいくつかあります。
ボーカルブースの中にロウソクを入れて録音するなんて、
その時の僕にはちょっと思いつかなかったことでしたが、
やってみると、これがまた、本人の個性と声とに合っていて。
テイクの方もどんどん良くなっていきました。

歌は心。
上手い下手の前に、
その楽曲に必要な心が入っているかどうか。
小道具一つでも、
そんな大切な部分を創っていける。

些細なことがとても大事......

もっとも、
彼女の場合はポエトリー・リーディングの趣(おもむき)なので、
決して歌というわけではないのですが......
この後も様々なアーティストさんと仕事をしていく中で、
ブースの中にパソコンやDVDプレイヤーを入れて、
爽快な南の海の映像を見てもらいながら
歌ってもらったりしたことなどもありましたし。
ちょっとした香りを入れてみたり、
そんな工夫をするようなこともありました。が、
蝋燭(ろうそく)は、まぁ、
火事の危険もありますし!?
防火や防火設備との兼ね合いもありますし。
常識的にはどーなのか?的なことでもあって。
螢以外ではやったことはありません。
今や自宅のベッドルームでレコーディングも
ミックスもできてしまう時代ですから、

こんな工夫や方法も無限にあるとは思いますが......
螢のレコーディングワークにおいては、
今でも強く覚えていることだったりします。





今日の記事は1年毎のマイルストーン記事となります。
記事カテゴリーの
初めに、タイトルの話
という項目にまとめてありますが、
このブログのスタートの記事は
「螢」という13歳の少女詩人さんとのよもやま話で。
それが思いもよらない反応を生み。
その時に、

「このブログを続けている限りは、
彼女とのアレヤコレヤのお話を
1年毎のマイルストーンとして記してみます......」

と、
このブログを一番最初に見てくれた読者さん達と約束をしました。
その約束の記事でもあります。
そして「progress」という記事で記しましたが、
このブログは、元はと言えば、
仕事で使いやすいCMS
(コンテンツ・マネジメント・システム=Webのバックシステム)
の開発ディレクションをしなければいけなくなった時に、
そのコンセプト決めや使用感の見極めをしようと、

「先ずは世にあるブログシステムのCMSを
自分で片っ端から使ってみよう!」

と始めたことが本当のスタート理由であって。
そんな頃に、アノ、
東日本大震災も起こってしまい......
そこから色々と予想外にポンチキなことが!?
ブログを続かせる方向で働いて来たりもして。
当初の目的であったCMSの開発が完了した後には
すぐに閉じるつもりでもあったものが、
なぜか?ここまで
誰に望まれているわけでもないのに!?
ヌルヌルと続けてきてしまいました。



そんな最初の記事が2012年の7月14日。



今回の記事で、



ちょうど、



ピッタリ10年。



まったく、



驚きます。



10年。
よくも、まぁ、記して来たものだ、と。
数日おきの、のんびりとしたものではありますが、
ほんと、自分で信じられません。
10年もの月日が経つと流石に色々なことがあって。
沢山の出来事を潜り抜けてきているような感覚もあり。
それは、きっと、
この後もそんな事ばかりだとも思うのですが、
やはり、
10年というのは一つの区切りなのだろうな......
とは思います。
今後は続けるにしても、もう少しゆったりとした!?
ものに変化していくことになるかもしれませんが、
マイルストーンの約束も含め、
決めごとや妙な気負いは持たないようにして。
平々凡々と、
書けることを、
書きたいと思ったタイミングで、
もう少し記し置いていってみようかなぁ......
などと思ってもいます。
勿論、あくまで「今日時点」での考えではありますが。
そして、
もしかしたらこのブログは、



僕の、



遺書みたいなものでもあるのでしょうか。



そんなモノにもなり得る?



ものなのかな?と。



ボケボケと10年もの間記していたら、
そんな感覚も生まれて来ていたりします。



10年......

ナカナカに......

タフな毎日でした。

願わくば、

我、歩む未来は、

心身も健やかに、

喜びに満ちた日々を過ごしていけますように。

どうか、
奥さんのコニャや、家族や、
僕の身近にいてくれる大好きな人達や、
このブログを見に来てくれる、
支えてもくれる皆さんが、
心地よい日々を過ごしていけますように。
まだまだナニカト頑張らなければなぁ、、、と。

僕は、

皆さんに心から感謝しております。

10年に一度しか言えないような言葉ですが、

二度と言えないようなことかもしれませんが......

僕は皆さんのことを愛しています。

いつの日か、愛する誰かが
「アイツはこんなこと考えて生きていたのか......」
と、このブログを見つけてもらえたら、
それほど嬉しいことはありません。



2022年7月15日。
大好きな我家の目前を流れる、
麗しき多摩川のほとりにあるカフェにて。

一人、無一文で東京に出てきてから、
なんとか頑張っている自分を、
ささやかに、
ほんの少しだけ誉めてあげながら記しています。


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耽美

2021-07-16 00:03:00 | 初めに、タイトルの話
音楽作品に関わるアートワークを詰めていったりする際に
「コンセプトを明確化する」
ということが必要な時があります。
特に、年単位で継続的に進めていくアーティストや
プロジェクトなどに関しては、
最初にソノ中心となる「軸」をある程度定めておかないと、
毎回、何やらバラバラな印象を与えるモノとなってしまったり、
表現者の個性が茫洋としたものとなってしまったり、
本来リアクションされるはずの無いユーザー層に
商品が向かっていってしまったり......と。
そんな部分をしっかりと、
行きたい軌道に乗せるためにやる作業とでも言いましょうか。
音楽そのものを作るのは勿論、
パッケージ全盛のいにしえの時代においては、
この辺の作業もとても大事なものであったりしました。
このブログのタイトルの元となった13歳の少女詩人
螢(ほたる)」
に関しても、
メジャーデビュー前に同様の作業を行っていたことがあるのですが、
その時に、僕は彼女に

「君の好きなものは何?」

という質問を徹底して聞いていました。
ある晴れた日の午後。
東京、恵比寿にあるオフィスビルの会議室。
アートワークに関する作業なので、当然、
敏腕アートディレクターであり、
デザイナーでもある「ちーさん♀」も一緒。
床から天井まである大きな窓から差し込んでくる太陽の光の元で、
三人でのそんな会話は進んでいきます......



「......ふんふん。
なるほろぉぉーーー。
絵画だとその辺が好きなのね。ほたるわ。ふーーん。。
......他に何かある?
螢の好きなモノって」

「くすもとさん」

「???
なに?
なんて?ほたる?」

「楠本まき」

「????(o゜ー゜o) チンプンカンプン」

怪訝そうな顔をしている僕の横で、

「あーーーー。
そこね。
わかる。
螢っぽいわ。うん」

と答えるデザイナーのちーさん。

「ちーさん知ってるの?
なによ?
楠本まきって?
知らん」

「漫画家よ。
少女漫画系だからUZMETは知らないと思うけど、
最近人気なのよ。
ね。螢」

「うん。
私好きなの」

「へーーー。。。」

「黒が好き。
あと、死の匂いがするとこ」

「ほーーーー。。。
どの辺のものが良いの?
今から買いに行ってくるよ。読んでみる」

「えーーーと、、、、
絶対読んで欲しいのは
“ KISS×××× ”

“ 致死量ドーリス ”
他も、読めたら全部」

「りょーかい!」

「でも、私はマンマではないよ。
好きなだけ」

「うん。うん。
わかった。とにかくまずは読んでみるわ。
じゃないと話にならんからな。
ちーさん、この後、
本買うの付き合ってもらってよい?」

「いいわよ」





1990年代の後半頃だったでしょうか。
「ゴスロリ」
という言葉が世間にチラホラと出だしていました。
「ゴスロリ」とは
「ゴシック・アンド・ロリータ(Gothic and Lolita)」
の略称で、ファッションやポップロック音楽世界を中心に、
一部のカルチャーシーンに強烈な影響を与えていました。
一般的にわかりやすいロックバンドさんだと

MALICE MIZER(マリスミゼル)
L'Arc〜en 〜Ciel(ラルク アン シエル)
PENICILLIN(ペニシリン)
GLAY(グレイ)
LUNA SEA(ルナシー)
Plastic Tree(プラスティック トゥリー)

......などなど。
今は「ビジュアル系」などとも言われている方々でしょうか。
そして、その辺の人達に話を聞くと、
勿論、全部では無いですが、かなりの確率で、
必ずと言ってよいほど出て来ていた方の名前が
「楠本まき」
シーンでは教祖とも仰がれる?ような漫画家さんでした。
蜷川実花(にながわみか)さんや、
萩尾望都(はぎおもと)さんも賛辞を送っているような方。
僕は、最初は螢に言われて読むこととなったのですが、
その世界観や美意識にはとても感じ入り、
シビレルものがあったことを記憶しています。
ジャンルというか、哲学的には
「耽美主義(たんびしゅぎ)」
と言われるものの中にあるものでしょうか。
そんなモノが、
「マンマではない」
と話してくれた螢の言う通り、
僕とちーさんが彼女のアートワークの裏に
認識できないスパイスの様に振り込んでいたもの。



「この絵の意味は美そのものだ。
存在することだけが、この絵の存在理由なのだ」



耽美主義を語る際に必ず出て来る
アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーン
(Algernon Charles Swinburne)さんの有名な言葉。
とても潔い(いさぎよい)、良い言葉だなぁ、と。
そんなふうに覚えています。



実質、螢のメジャー唯一のアルバムとなる「わにがらヘビ」
片目が違う仕様。
下は、関係者のみに配られた貴重な!?
プロモーション専用ディスク。非売品。



このブログは2012年の7月14日から記し始めました。
最初はこのブログのタイトルの由来の話であって、
少女詩人「螢」にまつわるお話。
今回の記事は、それ以来、
9年を超えて10年目へと向かうものとなります。
よくもまぁ、続いているものだ、と。
思えば遠くにきたもんだ、と。
なぜか、とても他人事の様な気持ちなのですが、
スタートの時から見てくれている皆さんとの約束ですので。
1年毎のマイルストーン記事として、
今回も螢と過ごした時間の四方山話をそっと置かせてもらいました。
この後、10年!?続けられるかどうかはわかりませんし、
世知辛い世に出て働いている以上、立場上!?
書けることと書けないこととが半々ぐらいであったりもしますが。
これからも、ぬるく、軽く。
ぽよぽよとイイカゲンに頑張ってみます。
いつもクダラナイ記事を見続けてくれている皆さん、
本当にありがとうございます。
心から感謝しております。(^^)


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ギザギザ

2020-07-25 00:12:34 | 初めに、タイトルの話
「メジャー・デビュー盤のジャケットって、
何かイメージある?」



と、僕は、
向かい合って座っている14歳の少女に話しかけました。
いわゆる、レコード会社による、
レコード会社らしいビルの、
暖炉のあるロビー!に、
置かれている大きなソファーでの会話.......
だったような覚えがあります。
僕の横には美人デザイナーのちーさん
14歳の少女詩人「螢(ほたる)」の横には、
彼女の敏腕女性マネージャーさん。

今回のお話は、
このブログのスタートから見てくれている皆さんとの約束の記事。
ブログが一年経つ毎にマイルストーン的に記してみます、と、
話してきているもの。
このブログのタイトルの元となった、
「当時」14歳だった少女詩人「螢(ほたる)」
にまつわるエトセトラの話となります......



「うーんと、ね、、」

「お!?(゚ω゚)なにかある?」

「ギザギザしてるの」

「ギザギザ?」

「そう。ギザギザしていて、トゲトゲしてる」

「?」

「でもね、マルイの。
ギザギザ、トゲトゲした、丸いモノ。
それを持って写真を撮りたい」

「ほーーーー。。。
そーーーでっか。。。。。。
どーうお?
ちーさん?」

「わかるわ。それ」

「わかっちゃうの!?それで!?(@ 。 @)?」



その後、螢の話を聞いていると、その
「ギザギザして、トゲトゲした、丸いもの」
というのは、その時の彼女の心を表したようなモノであるらしく。
彼女の心は、どーも、そんなふうになっているらしいのです。



「ギザギザなの。でも丸いよ」



螢は大きな丸い目で、真剣に、そう言っていました。



「トゲトゲは時々血が出るの。
だからそれも必要」



そうも言っていました。



この言葉を受けたデザイナーのちーさんは、
その後すぐ、僕を連れて、東京、渋谷の東急ハンズに出かけていき。
いろいろな工作用具と用品とを一式買い揃えました。
僕の頭には依然

「?」

マークが洋服のタグのようにひらひらとそよいでいたのですが、
そんなこともお構いなしに、ちーさんは、
その買い揃えたモノモノ一式をオフィスの大部屋に持ち込み、
大きなテーブルの上に並べ。
ナニやらイソイソと作り始めました。
僕は彼女のアシスタントワークをしながら、
だんだんと姿を表してくる、そのヘンテコなものを見ていると、
それはバレーボールぐらいの球体で。
凸凹としたイビツな輪郭を持ったモノ。
素材は太めの、鈍い銀色をした針金(ハリガネ)で出来ています。
針金をぐるぐると円形に整形していき。
ボールの形になったところで、
部分部分に別で用意していた「有刺鉄線」を巻きつけていきました。
最後の仕上げには、
濃い茶色のスプレーラッカーを吹き付けていきます。

さすが、ちーさん。

彼女は美大出身のグラフィックデザイナー。
こんなこともお手のもの。
想像力も創造力も、螢に負けず劣らず......いや、それ以上!?か。
螢がポソッ......っと放った一言から、
ここまで作り上げるとは......流石!
としか言えません。

グネグネと歪んだ、
ダークブラウンの、
ギザギザとした、
トゲトゲとした、
硬い針金と有刺鉄線で出来たボール。
ココロ?......なのか.......



螢はこの出来上がったハリガネ・ボールを見ると、
ナニやらとても嬉しそうに笑いました。
この「ギザトゲ・ハリガネボール」を胸に抱いて、
外で写真が撮りたいと、
スタジオの中は嫌だ、と、
そう言いました。
僕らはいくつかの場所をロケして、
最終的に決め込んだ撮影場所は、
富士山の裾野にある、とある牧場の隅っこ。
出来上がったジャケットは、こんな感じ。
メジャーデビューシングルのタイトルも「ハリガネ」で決定。



この時は、
このギザギザのハリガネボールは、
どうも、
僕の中にもあるように思えていて。
これを即座に作り上げたちーさんも、
もしかして?
同じだったのではないのか?と。
だから彼女は、
すぐに理解できたのではないか?と。

僕らは時折、
こんなトゲトゲとした心を抱えて。
持て余して。
そうして暮らしていて。

自分も、
触れる人も、
傷つけて。

でも、
どうにもならなくて。

そんな心も、

流れゆく月日や経験や、

時折触れる優しさに、

丸く、

ピカピカに磨かれていくようでもあって。

螢の、

このギザギザ、トゲトゲのハリガネの心は、

2年後ぐらいには、

キラキラと輝く玉になっていた、ような......

気もしています(^^)



「ハリガネ/螢」。1999年の作品。
以前の記事でもリンクしていたと思いますが、
あらためて置いておきます。



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マイルストーン

2019-08-20 00:01:54 | 初めに、タイトルの話
このブログは2012年の7月14日から記し始めました。
あの、東日本大震災の後からです。
書き始めたのには幾つかの理由があったのですが、
その時からマイペースで、内容もグダグダのまま、
よくもまぁ続いているな、と、自分でも驚いていたりします。
ただ、サブタイトルにあることに関してはいつも大切に思っていて、
守り通せる様に頑張っているつもりではあります。

==========================
いつの日か、愛する誰かが
「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」
と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。
==========================

そんなブログの最初の記事は、
スタートの記事らしくブログタイトルの由来の話だったのですが、
それは「螢(ほたる)」という
13歳の少女詩人と僕とのエピソードが元となっているものでした。
以降、僕の覚えている彼女にまつわるエトセトラは、
このブログの一年毎の区切りと、
そのマイルストーン的な意味で記してきました。
それらの記事は、コメントなどにも残っているように、
初回記事から読んでくれている皆さんとの約束事でもあって。
それが今年は、
この「中断」や「やらかすよね。」という記事にある様なことに追われまくって、
必死にもなっていたのか?
足の痛みで思考がトンでいたのか?
あちこちを飛び回っているうちにスッカリと忘れてしまっていました。
そんな中、前回記事の「april」さんからのコメントや、
幾つかのメールなどでソレに気付くことが出来て......

本当に申し訳ありません。

遅ればせながら、
今回はそんなマイルストーン記事とさせていただきます。
以下はそんな過去記事をまとめたリンクとなりますが、
ご参考までに、なにとぞ。なにとぞ。



雲と螢
雲と螢 2
雲と螢 3
おちあがるように
平原の丘
少女の手
Klimt,Schiele,Hotaru
厳しいトコロだった
無駄な人数
みんな...



螢は当時、
神奈川県の八景島という場所のほど近くに両親と住んでいました。
そして、未成年だった彼女は、当然、
両親やマネージメントオフィスとの約束もあり、
帰りが遅くなったりする時は僕が責任をもって自宅までお送りする......
ということで色々な仕事をこなしていました。
そんな中、暑い夏が終わろうとする頃。
写真撮影の仕事を終えるとスッカリ日が暮れていて。
それで、
例によって僕が自家用車で彼女を自宅まで送り届けることとなりました。
この時は、撮影スタジオからそのままマネージャーさん(♀)と
デザイナーの「ちーさん♀」も一緒にお付き合いをしてくれて。
4人でワイワイとトリトメの無い話をしながら、
都内から八景島近くのインターチェンジへと向かっていました。
僕らは派手でカラフルな首都高の夜景を走り抜け、
横浜へと辿り着き。
そろそろ高速のインターを降りようとしていました。
その時。
助手席に乗っていた螢が突然、
こんなことを言い出しました。



「花火がしたい」



すかさず、
後ろの席に座っていたマネージャーさんと
デザイナーのちーさんは、



「いいわね」



と......

......

決定でちゅ。

プチ花火大会。

僕らは高速を降りた後、コンビニに寄り。
皆それぞれに好みの花火を適当に買って。
ライターも買って。
もう一度車に乗り込んで、一路、
「八景島シーパラダイス」
なるレジャーランド方面へと向かいました。
僕らはシーパラダイスの入口付近に広がる、
海沿いの広い芝生広場に目をつけ、そこに車を止め。
その広場の中を縦横に走る道の上で花火をすることにしました。

かなり深い夜更けの時間。

辺りに人影もなく。

目前の海辺には、
明日に備えて静かに眠っている大きなレジャーランド。
ブルーフォールなる高くて大きいタワーアトラクションの夜灯。
コースターの様な乗り物やミュージアムを縁取る灯り。
頭上には、綺麗に瞬く星々が大きく広がる夜空。
聞こえて来る波音も心地よく。
懐かしく。



「やるよー♪」



僕らは買ってきた花火をレジ袋から取り出し、
それぞれ思い思いにお好みの花火に火をつけて、
ギャンギャンと、
キャーキャーと、
花火を始めました。
かなりの数の花火に火をつけて、
辺りにモウモウと煙が漂い出した中、
ふと、螢を見ると、
何やらまた新しい花火をレジ袋から取り出しています。



「今度は何やんの?」



と聞くと。



「線香花火」



と。



「マジか!?そんなの買ってたの?地味じゃね?それ?」

「うん。でも、これがいちばん好き」

「あ、そー」

「私も好きよ。線香花火」

とちーさん。

「あ、そー。どこがいいわけ?せんこー花火の?」

と螢に聞くと、

「......なんか、好き」

「なんか?」

「うん」

「なんか?とかでいいわけ!?
詩人だろ?おまえさん。
もっと表現してみ?なんか。ええ!?
どうなのさ?」



と、ヘンな詰め寄り方をする僕さん。
すると、彼女はもう一度、こう言いました。



「なんか好きなの」

「ふーーむむ......」

「なんか好きは、なんか好きでいいの。
それでいいの!」



そう言う彼女の言葉を聞きながら、
僕は二人の会話を聞いていたであろうちーさんの方を見てみると、
彼女は



「( ̄ー ̄)ニヤリ......」



と、静かに下を向いて、
イジワルそうに微笑んでいます。



「ふーーむむ。。
なんか、好き、ね......ふーーーんんん。。」



確かに。
なんか好き以上の好きは、ないかもな。と。
僕はそんなことを思いながら、
海辺の公園にジワリと光る線香花火を見つめていました。



「そーだな。
なんか、俺も好きだな。
せんこー花火......」



最後は四人でまとまって、
しゃがみこんで、
それぞれが灯す線香花火をボーーーーーーッと、
眺めていました。
太い束になっていた全ての線香花火が一つ残らず無くなるまで、
一本一本、噛みしめる様に。
まるで小さな太陽の様な、
チリチリと火花を散らす炎の玉が全て地面にポトリ......と、
夕陽の様に落ちるまで。
僕らは一緒に淡い火を見つめていました。

それは、

なんか、

心地の良い、

夏の終わりの夜のひと時でした。

今もよく覚えています。



「地味なことばっかやってんじゃねぇどぉぉーーーーーっ!
おまいらに火ぃつけたるわぁぁーーーーっ!ヽ(`∀´ヽ) !!」

と、決して手に持ってはいけない大きな花火を持って
皆を追い回す、在りし日の大人げない僕さん。
右には呆れつつも笑っている大人の螢さん。
懐かしの撮りっきりカメラの紙焼き写真。
有罪決定。合掌。ちーん。(・ω・)


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2018-07-20 00:12:05 | 初めに、タイトルの話
当時働いていたメジャーレコード会社に許諾を頂いて立ち上げた、
少々実験的なプライベート・インディーズレーベル。
そこから世に出した最初の作品が13歳の少女による
「ポエティック・ミュージック」なる挑戦的なアルバム。
そして、とてもマニアックであったハズのその作品が、
僕自身驚くほどの売れ行きとなり。
CDの販促と流通をお願いしていた会社の社長さんがとても喜んでくれて。
お金持ちだったその社長さんは当時、東京、渋谷の一等地に
綺麗なビルを持っていたのですが......



「Uzmetさん。
ウチのビルの地下一階が今遊んでいて、何もないのだけど、
よかったら使います?
儲けさせてもらっているのでタダでいいですよ。しばらくは」



「使います( ̄+ー ̄)キラーン☆」



って事でお借りして。
レーベルのチームメンバーとカンカンガクガクの相談をして。
最終的にそのビルのフロアーは......



「チーム・オフィスとは名ばかりのカフェとして!
運営してみっぺ!
チームのみんなやアーティストやクリエーターさん達も遊びに来れるし。
俺は元バーテンだしね!
そだ!
そーしよー!(=´∀`)人(´∀`=)ウェーーイ☆」



となりました。
そして、デザイナーの「ちーさん」を中心に皆で手作り感溢れる様々な改装や準備をして。
看板も手作りし。
イザ!



「先ずはオープニングパーチーだ!
身内だけのお披露目会にしよーぜぇぇーーーっ!」



と、あいなりました。
ちょうどその頃のシーンでは、少女詩人「螢」のセンセーションと、
「叫ぶ詩人の会」なるユニットさん達がとても活躍していて。
ちょっとしたポエトリー・リーディングブームも起きていて。
そんなニッチなブームに興味を示していたチームのネットワーク担当、
ウェブ・エキスパートの「M山」さんが



「Uzmetさん!せっかく螢も来るんだし、“叫ぶ螢の会” にしましょう!」

「へ?な、なに?(・・;)ソレ......」

「イヤイヤイヤ。もう、それで。決まり!で。
ステージ作って、そこに一本だけマイクを立てておくんですよ。
詩や叫びたいコトが浮かんだら自由に!
ステージのそのマイクで叫ぶ!
ってな寸法で。
螢ちゃんにも是非!来てもらって、叫んでもらって。
ね!いいでしょ!?
盛り上がりそーでしょ!」

「いや、M山さん......ほ、螢は来るかわからないし、
来ても叫ばないと思うよ......」

「何言ってんすか!叫びますよ。絶対。マイクあれば。
叫ぶ螢!って一度見てみたいじゃないっすか。
そーしましょ。もう決定で。ね!
いいわ。それ。
じゃ、マイクセットしときますから。
よろしくーーーーー........」



そのインディーズチームは、全員、
それぞれ本職の仕事を持ちながら集まってくれていた
メンバーでもあったので、
開催は仕事が落ち着く頃であろう夜7時から夜中まで。
関係者のみ自由参加。
螢の両親やマネージャーさんにも......



「中学生にお酒など!絶対に飲ませませんので!
螢のヒット祝いの席でもありますので。
ええ。ええ。
お家にはいつもの如く、
僕さんが責任を持ってお送りしまちゅので!(`_´)ゞキリリ☆」



......なんてことで彼女の出席の許可もいただき。
そうして始まった渋谷のカフェのオープニングパーティ。
総勢で50人ぐらいいたでしょうか。
螢は勿論、沢山のクリエーターやアーティスト、
チームメンバーが入れ替わり立ち替わり集まって来ていました。



そして、

例の「叫ぶマイク」はというと、

まぁ、みんな、叫ぶ叫ぶ......で。。

入れ替わり立ち替わりでマイクを奪い合う大盛況。

言ってることは支離滅裂。ワケワカラン。

彼女や奥さんの悪口!?愚痴?

彼氏ムカつくー!旦那イラつくー!

社長のバカー!

とか、

酔いながら意味不明な詩を朗読し出す人も。

挙句、ギターの弾き語りで鬱憤を叫んでみたり。

ただひたすら、マニアックなギターを弾き続けるだけの人とか。

かと思いきやマイクの前で何故か?シャドーボクシングを始める人とか。

自分のこれまでの人生をボソボソとマイクで語り出す人も......いた、よーな......



とにかく、メチャクチャな開店飲み会。
誰が誰だかももうわからないくらいぐちゃぐちゃ。
そして、そんな中、
そんな大人達を見て笑っていた螢の側にM山さんが寄ってきて、
彼女をつかまえて僕はこう言いました。



「ここで!螢でしょ!ね!螢!みんな!」

うおおおおおおおおーーーーーーーっ!ほたるーーーーっ!

♪───O(≧∇≦)O────♪

なんか叫べーーーーーーーーっ!(=´∀`)人(´∀`=)

おおおおおおおおおおーーーーーーーーーっ!\\\٩(๑`^´๑)۶////



流石に酔った阿呆者の大人達の迫力に押された可憐な少女詩人の螢さんは、
その時、ちょっとためらいつつもカフェの隅っこからトボトボ......
と歩いてステージに上がり。
そして、おもむろに立ててあったスタンドマイクを握り。
辺りを見回し。
一言だけ「ボソ」っと、話しをし出しました。
とても騒がしかったフロアは一瞬で静まりかえります.......



「みんな......」



........ご、ゴクリ......
フロアーは一気にそんな雰囲気.......
螢の顔からは笑いは消えています.......



「な、なんかいうぞ。螢が言うぞ.......」



少々興奮気味のM山さんが僕の耳元でそんなことを言ってきます.......



「みんな.......バカ」



ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ ぱやややーーーーーーーーんん........!



まぁ、螢はいつも正しいわけなのです。
(*´-`)ええ。ええ。
そんな僕らのカフェは、
その後オープンしたものの1ヶ月で7日間程しか開けることができず。
3ヶ月目にして運営を諦めた僕さんは、
晴れてオーナーさんにフロアーをお返しすることにしました。



「すいません。。折角のご厚意を。。
本業が忙しすぎて誰も店を開けれる人がいませんでした。。
メニューも......カレーライスしか......出せませんでした......(T ^ T)ぐ、グスン......」



よく覚えているのは、そんなお馬鹿パーティーの帰り道。
皆との約束通り、
螢を横浜の自宅まで車で送っている時に彼女と交わした会話。
まだ、インディーズでデビューしたばかりの彼女でしたが、
既に多くのメジャーレーベルから契約のオファーも届いていました。
しかし彼女は、今のままのチームで、
僕のいるメジャーレーベルの方からメジャーに行きたいと、そう言います。
僕はそんな彼女に



「よく俺たちのようなバカ連中のとこに来てくれたねぇ、、、」



と。ポロッと。何気なく......チョット不思議に思っていた事を言葉にしました。
すると、サイドシートにチョコンと座っていた彼女はこんなコトを言いました。



「.......うん。
Uzmetさん逹だけだったの。
私のことを子供扱いしなかったのは。
私、わかるの。どんな言葉で言って来ても。
私を子供扱いしてるかどうかはわかるの。
学校もそう。みんなも、そう」



今年はとても暑い夏となっていますが......気がつくと、
このブログがスタートした時からの読者さん達との約束の回となりました。
それは、ブログの一年毎の区切りとして、
マイルストーン的に螢との記憶に残っているエピソードを記すという約束。
今年もこうして記せたことがちょっと嬉しくも、意外でもあります。
よく続いているなぁ、と。かなり驚きもしていますが、
また来年も記せるようであれば.......よいのかなぁ......
どーなんでしょうか?(^ω^)ね。



左端メニュー欄の「カテゴリー」にも纏めてありますが、以下にも置いておきます。
☆初めに、タイトルの話☆
雲と螢
雲と螢 2
雲と螢 3
おちあがるように
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少女の手
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無駄な人数

2017-08-14 00:09:00 | 初めに、タイトルの話
この世界に無駄なものなど一切ない......と、思います。

皆、全てが、必要があって存在している、と。

存在しているということそれ自体が、
何かや誰かに必要とされていることの証明であると。


ただ、音楽や芸能というのは、
時にそんな世界の真実を浮き立たせるための、
思い出させるための、
色がより鮮やかに見えてくるようにするための、
その為のカウンター的役割を担っているような時や
コトいうのがある様にも思います。
僕は以前、そんなコンセプトを裏に隠し持ったライブを
敢行していたことがありました。
カウンター故に、
全くもってマス......メジャー、大衆的......
なコンセプトではないので、
当時メジャーレーベルで働いていた僕としては、
そのコンセプトと水が合う
「インディーズ」という形態とチームを新たに作り、
取り掛かっていました。
結果としてそのライブは毎回とても実験的で、
挑戦的なスタイルとなって世に問う形となっていきました。

そんなライブのメインアクトは当時14歳の少女詩人。

螢。

活動の基幹となっていたCDパッケージ周りに関しては、
音楽は勿論、デザインやウェブも彼女の世界観に合うように、
皆エッジの立ったクリエーター陣で組んではいましたが、
彼女のやりたい事や伝えたい事がフィルター・レスで表現できて、
ファンにもよく伝わるライブの方は、パッケージとはまた違う、
彼女が何かと話をしやすいスタッフィングで臨んでもいました。
そんな彼女なりの世の中へのカウンターを詰め込んだステージは、
勿論、苦労も多かったのですが、毎回とても印象的で面白く。
様々な部分を一緒に創っていた僕でも、
見ていていつも鳥肌が立っていたことを覚えています。
会場となる場所に関しては

「あくまで彼女は詩人であって、音楽人ではないのです......」

という精神性を示す為、演劇系の劇場を選びました。
プロデューサーの僕としては、
彼女に劇場以外の会場はイメージできなかったですし、
ライブハウスなどの場合、ミュージシャンでもない彼女は必ず、
いろんな意味でステージで苦しくなっていくであろうと。
そんな考えもあり、チームみんなで話し合いながら、
初期の彼女のホームグラウンドはそんな劇場に決めていました。

東京、銀座小劇場。

一人芝居とポエトリー・リーディングと音楽と。

そういうものをミクスチュアした、
創っている僕自身もよく分かっていないまま敢行していたステージ。
忘れ得ぬ彼女のステージ。



なぜ?



今まで何本、何十本!?と見て、
作っても来た音楽やエンタメのステージの中で、なぜ?
彼女のライブが僕の中で今だ忘れられないモノであり続けているのか?
しかも、100人も入ればパンパン......となる様な、
古い民家の屋根裏の様な、うらぶれた小劇場のステージなのに......

それは......

僕が創って来たステージの中で、
観客から「一つの拍手も起こらなかった」ものは
彼女のステージしかないからです。

観客から「一度も声が聞こえなかった」ステージも
彼女のものしかないからです。

「歓声も拍手も望まなかった」ステージも
彼女のものしかなかったからです。

初のインディーズアルバムを発売した直後。
チケットも即完売したセカンドライブに至っては、彼女は......
その時集まった100人以上の観客達に向かってマイクを握り、
ステージの最後、
演出的にも一番注目が集まるところでこう言い放ちました......



「みんな死ねばいい」



彼女はそのままマイクを放り投げて、
ステージサイドに歩き去って行きました。

客席は水を打ったようにシーンとして、
誰一人、身動きをしませんでした。

舞台で詠まれた詩の延長上にある言葉の様でもあるし、
そうでないかも知れない。

14歳の少女が放ったこの言葉をいったい、
どう受け止めればいいのか?

誰もが、
そんなことを考えていた様に思います。

真っ暗闇となっていた会場で「死ねばいい」と言われ、
終演後も呆然と座り込む観客。
僕らは客電を必要以上に明るく点け、然りげ無く、
会場を出る様に......と促しました。



「......ご、誤解だヨォォォーーーっ!?(@。@)
螢わイイ子なんだよぉぉーーっ!



と、僕は心で叫びつつも、
PA卓辺りから見たその会場の様子は
未だに忘れられない光景となって心に残っています。
デビューライブからずっと追いかけてくれていた親愛なるライターさんが、
そんな彼女のライブの様子をある雑誌でこんなふうに書いていました。



==========================
「14歳の少女詩人・螢」は今や業界的にも
最注目の新人なんて呼ばれている。
だがその日、
暗幕を垂らしただけのごく質素でダークなイメージには
「いよいよこれから何かが始まる!」
なんて月並みな高揚感はかけらも無かった。
むしろ、何かを葬り去ろうという黒い意志。
それをよりどころに慎重152センチの小さなカラダは
闇の中に立っている様に見えた。
拍手なんか誰もしない。身動きもできない。
硬い椅子に座り、
じっと耐えるような気持ちでコトバに耳を澄ます。
全編80分の倒錯した夢みたいなライブ。
出口にはNHKのニュース番組のカメラが待っていた。
監禁から解かれた客たちの顔に笑顔は無かった。
==========================



こんなライブは後にも先にも、僕にとっては螢だけ。
大抵はいつも観客の拍手を望み、
笑顔を望み、
満足や幸福や希望を望み。
それがエンターテイメントの仕事。そんなものです。
そしてソレ故に、
彼女のステージは今も僕には特別なのです。
良い悪いを越えたところにあるものなのです。



このライターさんの記事や螢のことが特集で組まれた雑誌
「QuickJapan(クイックジャパン)」
ネットワーク社会以前、鈍い輝きを放っていた「サブカルチャー
シーンにおける代表的雑誌の一つ。
思えば、螢が表紙を飾った最初の雑誌でした。
今も自宅の書棚にストックされています。
この号の特集にはまた違う回のライブのことが書かれていて、
それは予想外の!?
CDの「メジャーリリース」が決定した直後のステージのこと。
インディーズ時代とはうって変わって、
必然的に様々な関係者や大人達が大勢押し寄せたライブともなったステージで、
また彼女は最後に皆を黙らせる一言を言い放ったのでした。
それが雑誌の表紙にもなってしまったコトバ。



「ムダな人数」



この後、僕はかなりのバッシングを直接的にも間接的にも受けたり、
人伝のモノ言いで耳にしたりもしましたが、
やはり、僕からすれば、
とても彼女らしい「愛すべき」立ち回り。
スタートからのコンセプトにも沿った!?名セリフ。

「俺達だけはなんとしても彼女を護らねば、、」

と。そんな悪戦苦闘をしていたことも覚えています。
良い悪いを越えたところで捉えて欲しいコトバ。



「......ご、誤解だヨォォォーーーっ!?(@。@)
螢わヤサスィー子なんだよぉぉーーっ!」



こんな感じの、
小さな少女の挑発的な言動を受けざるをえない
大人のインタビューアーさん達は、
人によっては受けて立ったり、戦ってみたり。
流してみたり。
見透かしてみたり。
子供扱いしてみたり。
すぐ近くで見ていた僕にとってはそれはそれで、この世の
「普段見えなくなっている何か」
を浮き上がらせてもくれる時間であったりもしました。
写真にあるこの本のインタビューの中でも、
彼女はこんな受け答えをしています。



===============================
学校は本当にきらい。ぜんぶ。
教科とかじゃなくてぜんぶ。
場所として嫌い。
なんにも言えなかったから、コトバに出来なかったから、
だからその気持ちを紙に書いた。



—————あの日は平日だったっけ?

うん。学校休んだ。



—————なんて言って?

ライブだからって。



—————先生はなんて?

あ、そうって。



—————この間、関係者の人が
「螢は学校では表現できなかったものを表現できる場を見つけた」
って言ってたんだけど当たってる?

うん。
......だって学校でどうやって表現なんかしろっていうの?



—————学校じゃ何も表現できない?

うん。



—————最近ちゃんと「おつかれさま」とか言うようになったよね?

言ってないよ。



—————言ってるじゃないですか。

べつに言いたい人には言うけど、言いたくない人には言わない。
良い仕事をした時だけ言うようにしてる。



—————自分の中で大体どれくらい先まで考えてる?

そんなの知らないよ。
===============================



ソーシャル・ネットワークの時代。
誰かと繋がりたいと思えば、いつでも繋がれて。
様々な表現が出来て。
とても幸せな時代だと思います。
しかし、それ故に生まれた闇も、
悩みみたいなものもあるのではないでしょうか。
特に、不器用な人にとっては本当に切実な話なども。きっと。
そんな人達の顔が今回の螢の話を記していて思い浮かんできました。
今は亡き、
敬愛する哲学者の池田晶子さんがこんなことを記し残しています。



「空虚な孤独が空虚な言葉で繋がって、
果たして繋がったことになるのかと疑う。
他人を求めるよりは、
自分を求めることのほうが、順序としては先のはずだ」

「この人の世では、人は人に好かれたいと必ず思い、
人に嫌われたくない、と必ず思っている。
好かれたくて嫌われたくないのが人の世の原理なのである。
やはりこれは凄いことではなかろうか。
他人にどう思われるかが、自分の行為の基準なのである。
実に多くの人がそうやって人生を生きていくのである。
端的に、これが社会というものである。
本当に驚くべきことだと私は思う」



池田さんのこんな言葉を省みても、
螢という少女と過ごした時間を思い出してみても、
世の中へのカウンターとしての音楽は大切にしなければ、と。
そんなことを思います。
カウンターとしての価値や意義はまだまだ、
しばらく失ってはならないと。
カウンターはいつも美しく、魅惑的なものであれ、と。
改めて、そんなことを思う次第なのです。



.......1年毎と約束していた螢の記事を待っていていくれた皆さん。
今年は遅れてしまい申し訳ありませんでした。
お詫びいたします。
「螢」の記事はサイト左にあるカテゴリー・メニュー
初めに、タイトルの話」に全て纏めてあります。
良き夏をお過ごしください!(^^)


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厳しいトコロだった

2016-07-18 21:19:34 | 初めに、タイトルの話
「わたし、羊が好きなの」
「羊に囲まれて写真を撮りたい」



その少女はただでさえ丸くて大きな瞳を見開いて、
僕にそう言いました。
とある晴れた日の午後。東京のオフィスビルの会議室。
天才少女詩人と謳われた17才の「螢」と、
彼女と僕が信頼する美人凄腕デザイナーのちーさんと3人で、
次にリリースしようとしていた彼女の作品の
「ジャケット写真」の打ち合わせをしていた時のことです。



「(  ゚ ▽ ゚ ;)エッ!!ひ、ひつじ!?
マジか!?
そう.....」



僕は少女の発言に少々の意外性を感じながら、
頭の中で、
その為に必要な経費をチロチロ.....っと計算していました。
け、けっこーカネかかりそーだな......これ......( ̄ー ̄; ......



「ほ、ほ、、ほたる様ぁ、、、えっと、エェーーーット。。
そのヒツジさんというのわぁぁ、
タアーーーーーックさんのヒツジさんですよね?
何十頭って感じの?」



「そう。何百頭って感じ」



「な!?ナンビャク!?ってか!? (゚ロ゚ノ)ノヒイィィィ!!!!」



「多ければ、多いいほどイイ」



「ほ、ほぉーーたるさま。。
エォーットおぉ、、
千葉のあたりにですね、、
なんとも良い雰囲気の牧場があってですねぇ、、
そこで羊の毛刈りショー!ジャジャジャジャァァーーン!
なーーーーんてっ!
ショーなんかもやっててですね、ええ。
そこなんかトォーーーーーッテモ、オススメなんですけど。
ええ。ええ。
羊ショーの隣でわジンギスカン食べれるレストランがあったりしてですね。
ええ。
さっきまで見てた羊ちゃうの!?これ!?
みたいな、
なんともクールなレイアウトなんすけど。ええ。
予算的にも。ええ。。クールで。ええ。A´ε`;)゚・゚アセアセ...」



「ふぅーーん。。千葉。。」



「!?σ( ̄∇ ̄;)??ち、千葉?じゃだめ?なの?」



「ううん。。でも、広いところがイイの」



「ち、千葉も広いよよよーーん!ヾ( ̄o ̄;)
なんてったってボーソーゾクだっているんだから。
広いよぉぉーーーーん。。」



「うん。。」



「お!?アッ!?
じゃ!じゃさ、ホッカイドーーーッ!てどう!?北海道!?
でっかいどぉぉーーーーっ!って!ね!ホッカイドー!
ど? ど?ヾ( ̄∇ ̄;)
ね!?
ちーさん!いいとこだよね!?ほっかいどー!ね?
ちーさんもそー思うよね!?ね!?
デザイナーとして。ね!
そーだよね!(;゜◆゜)σ スガルオモイ」



「......」



「ん!?? どなの? ホッカイドー!
そーしよーよ。ホタル!
ちーさんもヘアメイクだとかスタイリストだとか連れてくの大変だし。
俺もさ、ビデオクルーだけでもたぁぁーーーくさんいるし。
千葉か北海道あたりがイインじゃね?どよ!?ね?
二人とも。ね!ヾ(°∇°*) 」



「わたし......」



「ん!?ナニ?螢?」



「わたし、モンゴルがいい」



「ううぇウェウェェウェッッウェエエーーー!?Σ( ̄Д ̄lll)☆※▷▪️♩×!!
だ!?だ、、
か、海外わ、、ち、ちょっと、お、お金、、、じゃなく!
お時間が!
お時間!がさ、かかるからさ!
あ、あまりオススメで、できないなぁぁ。。
ほたるぅぅ。大変だよぉぉ。。
スタッフ全員のスケジュール難しいよぉぉ、、きっとぉ。。
ええ。ええ。
大変だよぉぉ。。
お化けだって出ちゃうかもよぉぉーー。
トイレも壊れてるかもよぉぉ。。
大変だよぉぉ。。( ̄▼ ̄|||) アハハハ...」



「......」



「ほ!? ホタル? ん? ね!
大変だよぉぉ。。
ね!
ちーさん!
そーそー!!ちーさん!ね!
ちーさんもそー思うよね!?デザイナーとして!ね!
国内がいいよね!ね!?(*゚∀゚)/」



「モンゴルいいわね」



「(☉∀☉)ちーーーーん。。



———————————僕らはその後、
モンゴルの大平原に一週間寝泊まりして、
螢初のDVD作品を撮りに行ったのですが......
まぁ、十年以上も前の当時、
まだ経済発展前だったモンゴルでの撮影は色々と大変なことばかりでした。
首都のウランバートルには、
暖を取るために道端のマンホールの中で暮らす人々もまだ沢山いました。
でも、なんだか、螢だけでなく、
その時同行した全てのスタッフさん達含めて、
とても良い経験となった撮影だったと思います。

遊牧民のゲルを拠点にさせてもらって、
色々な絵を撮ったりもしましたが。
肝心の「羊」はというと、
ただひたすらに続く広大な大平原では、
その存在は人々の命に等しく、大切に扱われていました。
遊牧民の人々はそんな羊がもたらす多くの恵みに寄り添って生きていました。
なので、彼らは、
普段の生活ではそう簡単に羊を屠る(ほふる)様なことはしません。
生きるための、必要最低限分だけです。
それでも彼らは、
しばらく滞在する僕ら客人をもてなす為だけに、羊さんを一頭、
僕らの目前で捧げてくれました。

彼らにとって、僕らへの最高のおもてなしです。

大空の下、純粋で透明な祈りを捧げられ、
屠られ(ほふられ)た羊さんは、
僕らには神様のように神々しく見えて。
そして、羊だけでなく、その命の先に見える全ての存在、
自然、地球、月、太陽、宇宙の恵みを感じました。
仕組みを感じました。

その肉は人々の体を創り、乳は勿論、飲み物であり、
お茶に混ぜれば時に甘いミルクティーに。
血は薬や虫除け、魔除けの塗り物ともなり。
骨や角はゲル......「家」を支えるパーツとなり。
獲物を捕らえる刃物や道具ともなり。
生活を助ける犬の餌にも、
牙を研ぐためにカジらせる餌ともなり。
そして毛皮は、家の断熱材や敷物となり、服ともなり......

何一つ余ることのない命の力に、
何一つ余すことのない人々の知恵と感謝に、
僕らは心底驚嘆し、ココロ、ひれ伏しました。

羊は、命です。

厳しき大地を生きる生命の代弁者です。

聖書に記されているキリスト教における「羊」の表現は、
だから、
僕個人としてはそのまま捉えてはいません。



......汝らは羊で、キリストや神父は羊飼いである......



旧約聖書<詩篇23篇1-2節>には、
ダビデ王が語ったこととして、羊を自分に、
恵み深い羊飼いを神に例えたこんな言葉が記されています。



====================================
「主(神=ヤハウェ。新訳ではイエス・キリストに転化)は私の羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます」

—————羊は牧草を食べて生きています。
牧者である羊飼いは、羊の群れを牧草と水のある所に連れて行き、
必要な物を十分に与え、羊たちを育てます。
人間が生きていくためにも多くの目に見える物と目に見えないものとが必要です。
良い牧者は羊飼いであり、その羊飼いである主、イエス・キリストは、
私たち羊に必要なものを十分与え、
私たちを養い育ててくださるのです———————
====================================



モンゴルの大地では、
羊さんは「動物としての人間の体そのもの」の様に僕には思えます。
空腹を思い、生きるために利のあることを反射的に考えてしまう
「動物脳そのもの」「生命そのもの」の様にも思えます。
僕らの中にはそんな生存の為の本能と、
それらを許し、制御もする理性があって、
そのさらに奥深くには魂があります。

主とは、キリストとは、牧師とは......
全ての人々の中にあるそんな魂や理性や霊性のこと。
全ての人の中に宿り、気付きさえすれば、既に自らの内にあるもの。
だから神と人は、牧師と羊......という、
そんな「分離」された関係ではなく。
ましてや、
動物としての羊と人とは全く違うように僕には思えるのです。

そんな分離された関係で神と人とを捉えている限り、
争いも、紛争も、戦争も、テロも、
いつまでも消えないようにも思えます。

羊を囲む「檻」とは、
組織や会社、
時に国や資本主義、通貨経済という様な
「生まれ落ちた世界そのもの」
の様にも思え、

誰かが作り上げた社会概念のコトの様にも思える時があります。
そう思うと、
人がその中で飼われている羊の様に思える時も......ありますが、
そういう時にはきっと、確かに、誰かに?何かに?羊飼いに......
飼われているのかもしれません。



でも、



だから、



僕らは羊ではありません。



ましてや、



羊飼いでもありません。



屠られた羊の喉元に素早く差し出されるバケツ。
そのバケツには羊の真っ赤な血が落ちていきます。
遊牧民の彼らは、この血すら、無駄に扱いません。
先に記したようないろいろな用途があります。
とても大切なものです。

それに気付かされる時、羊の血は、
途端に神々しいものに見えてきて。
その死には限りない感謝の気持ちが湧いてきます。
気持ちワリィィ......なんて、
とてもじゃないですが言っていられません。

あなたの命で、僕の命が繋がれます。。

モンゴルから帰って、
螢とちーさんと僕とで一生懸命に小さな写真集を作りました。
「マーブルビニィル」というDVD作品の
初回限定パッケージにのみ入れる特典写真集。
数多くの写真からバケツの写真を抜くことは僕達にはできませんでした。











あの、東日本大震災の後、
2012年の7月14日から記し出したこのブログ。
記し始めるにあたっては幾つかの明確な理由がありましたが、
それは一部、今も変わっていません。

一回目の記事に記した「ブログタイトルの由来」となっている少女の話は、
一年ごとのマイルストーンとして記す約束を読者としていますので、
今日の記事はその約束の記事となります。
4回目のマイルストーンですが、悪しからず。
(カテゴリーメニューの「初めに、タイトルの話」にまとめています)

写真集の中には螢の紡いだ言葉を手書きでレイアウトしましたが、
その言葉も、
今回のマイルストーンとしてココにも入れて置こうかと思います。
今見ても、なかなか......
彼女の感性にはいつも笑みがこぼれてしまいます(^^)
彼女はこの後、ヒマラヤにほど近い国の学校へと、留学を決意しました。



————厳しいトコロだった
人の歩く足の重みがちがってみえた

————モンゴルは物さしではかったような
まっすぐな線はほとんど見えなかった
たてものも 車も バスをまつ人も ひこうきぐもも
人のえがおも
私は それがけっこうすきになった

————厳しいトコロだった
生きるということが すごくシンプルにみえた
かいだことのないニオイがたくさんあった
日本でみつけられなかったものが たしかにそこにあった
すべての物に人の体温がかんじられた




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Klimt,Schiele,Hotaru

2015-07-20 02:19:45 | 初めに、タイトルの話
13才の少女が何故?
彼らの絵に惹かれたのか?はよくわかりません。

グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)と、
エゴン・シーレ(Egon Schiele)

でも、彼女が僕に語る彼らの話しは、
いつも憧れと敬愛に満ちていました。
その瞳は光に溢れ、楽しそうでもありました。



トアル理由があってチロチロと記し出したこのブログ。
一番最初の記事は「ブログタイトルにまつわる話」で、
その時触れた少女詩人「螢」のお話は、その後、
一部読者の方々との約束で

“もし” このブログが続くのであれば、
その一年毎の区切りの時に、
また少しづつ記していってみます。。


と、していました。
気がつくと、驚くことにこのブログもマル3年......続いたようです。
4年目もいけそうなので、
そんな印象深い少女との思い出を、また少し、
マイル・ストーンとして記しておこうかと思います。



彼女の好きだったクリムトやシーレは勿論有名画家でありますが、
一般的にはまだまだマニアックな部類にも入るのでしょうか。
「ウィーン分離派」と呼ばれる、
既成概念にとらわれない新しい表現方法の模索と、
提案に満ちた彼らの絵画は、
その後のグラフィックデザインやポスターなどの
商業デザインの領域に対しても大きな影響を与えたモノの
一つだとも思います。

僕らの世界で言えば、
ジャケットアートやポスター、
出稿デザインなどでしょうか。
時折彼らを意識したワークを目にしたり、
するようなこともありました。

彼らの特徴としては過激な性的描写やエロス、
感情を強く絵に入れ込みたいがための
異様に捻じ曲げられた構図やポーズなどが挙げられます。

多感でアートセンスのある13歳の少女は多分、
そんなことは当然理解していたように思いますが、
しかし、彼女が一番リアクションしていたモノは、実は、
評論家からもよく語られる、
彼らの絵の中に共通してあるもう一つのモノ......
「死」の匂いに対してだった様に僕には感じられています。

記事カテゴリーの「初めに、タイトルの話」にまとめている
彼女に関する過去記事を読んでもらえれば、
ソコはなんとなくの想像も出来るかとは思いますが、
当時の彼女を取り巻く過酷な生活環境や過去世の記憶?
......が、彼女を彼らの作品に
強く反応させていたようにも思います。



遠くにあって近くにあるもの。



「死」



彼女の場合、それは、
正確には「自己嫌悪」の気持ちの延長線上にあった
意識のようにも思います。



若く、生命力が溢れる中で考えるというのは、
老壮期のソレとはきっと違うハズで。
彼女の場合は、どうも、その当時の僕の感覚では、
なんらかの「自己嫌悪」から来る関心や感情に見えていました。



「クリムトとかシーレのような感じにしたいの」



ジャケットの打ち合わせの時によく彼女は言っていました。



敬愛する女性デザイナーのちーさん(仮名)と僕は、
そんな彼女の言葉をそれぞれの感性で理解して、
アートワークにさり気なく入れ込む努力をしていました。

その僕の理解というのが、実は、
上記した「自己嫌悪」だったりするのです。

多分、僕がクリムトやシーレの作品から感じていたものが、
実はこの自己嫌悪だったり、背徳だったり、
自堕落な自分への自己批判のようなモノだったからなのかもしれません。
「暗い」などではなく、「悩み」とか「絶望」とかでもなく。
それは自分の嫌なところも含め、
「なるべく真っ直ぐに自身を見つめてみる視線」
と言った様な感覚。空気感。
ソレは批評家の多くが彼らを評し、
語っている死や死生観といった様なものとは違い、
あくまで「イヤな自分を見つめる」視線であって。
僕はそんな雰囲気を螢のアートワーク全てに入れ込んだつもりです。



「ん。よいよ。これ。これがいい。」



そんなワークを彼女は知ってか、知らずか。
いつもちゃんと選択してくれました。
そんなアートワークは結果的に、
いつも不思議と彼女の「痛み」も表現していたように思います。

打ち合わせでクリムトやシーレに関して僕らが話していた時、
僕はよく思っていました。

自分とまっすぐ向き合うことの難しさ。
嫌なところを見てみないふりをしてしまう自分。
間違っていることも正当化してしまう自分。
だって、そんな自分をまっすぐに見たりなんかすると、
正当化しないと、
決まって気分は悪くなってくるし、
自己嫌悪も湧いてきて、
そして、なんだか死にたくもなるし。。
クリムトやシーレはこんな感じで絵を描いていたのかな......
なんて。
そんなことをよく思ってもいました。



クリムトやシーレの絵を見ると、彼女の書いた詩の中では、
僕は決まってこの詩を思い出すのです。



———テツゴク———

ドキドキ...いつもおもう
おもうとくるしくなるの
しにたくなるときも

でもしなない  いみをしらないから

あしたのユメをみるの
ふしあわせなユメ
あじけない話し声でめがさめる
つらいとかるくいうようでおこりたくなる


あたしはそまらない
あたしはそまれない


あたしはみんなのはずれのなか
ユメさえかなえられない


いたましい悪夢


なくすはずのないものがなくなって
「もうイヤだ」って
いつにだれがきづかせてくれる
「もうヤメなよ」って
いつにだれがいってくれる?

もぅ...ひとりではあるけない
もうキリにつつまれて何も見えない...



書棚にあるクリムトとシーレの本。
そして......





螢が僕にくれたスケッチブック。
中には彼女なりのクリムトやシーレの「絵心」
が沢山描かれています(^^)
アートワークのイメージを練るのに、
よく彼女やちーさんと眺めていました。
これも、僕の書棚にある宝物の一つです。


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少女の手

2014-08-14 17:26:26 | 初めに、タイトルの話
少女は深い闇の中で自分の手をマジマジと見つめてみました。
上から差し込むわずかな光に照らされて、
微かに見えた自分の小さな手は......
どうも......黒く見えます。



「その時の私は、
今の私よりちょっとだけ小さいくらいの歳だったと思う......
だから......13?4?......ぐらいの歳かな。。」



そう僕に話す彼女は「天才少女詩人」と呼ばれ、
世間から注目を集め出した15才の少女。
その時、彼女は高校1年生。
アーティスト名は「螢」。
僕等は彼女のCDブックレット用写真の撮影で訪れた、
広い撮影スタジオの片隅にある細長いテーブルを囲んで
話をしていました。

テーブルの上には撮影用の細かい機材がバラバラと並び。
他にはポテトチップスやチョコレート、
キャンディ、ビスケット......
色々なお菓子やコンビニのサンドイッチ、
おにぎりなども雑然と置かれていました。
スタジオのスタッフが煎れてくれる熱いコーヒーの入った
ステンレスシルバーの大きなポットも二つ。
そのポットの横には取っ手付きの黒いカップホルダーが
何かのタワーの様に沢山重ねられて置かれています。
それに挿して使う白いプラスチックのカップも
ホルダー同様に高く、
沢山積み重ねられて置かれていました。
僕らはその簡易型のコーヒーカップを組み立てて、
ポットの珈琲を注ぎ込み、
とてもリラックスしながら話をしていました。



神経の張り詰める写真撮影。
その合間のしばしの休憩。



僕と螢が話す、そのすぐ横には、
彼女が全幅の信頼を寄せるアートディレクターの
ちーさん(敏腕女性ディレクター、仮名)もいました。



「......なんとなく覚えてるのは、
ソコがとても深い井戸の底だったこと。
どうしてそんなトコロに落ちてしまったかはよくわからない。
誰かに落とされた様な気もするし、
自分で歩いていて落ちてしまったような気もするし......
よくわからない。
覚えているのは、とにかくそこに落ちて、
どうしていいかわからなくて、
体の半分ぐらい、腰のあたりまで水に漬かっていて......
冷たくて、寒くて、、真っ暗で、絶望的で、悲しくて......
そんな日がもう何日も何日も続いていて。
でも誰も助けに来てくれなくて。
私はこのままココで死ぬんだろうな......と思っていたの。
そんな感じでもう本当にどうしていいかわからず絶望してた。
そんな感じ。

それでね、深い井戸の底だから昼間も真っ暗なんだけど、
太陽が上の方に昇って来た時には少し明るくなるの。
光が射す時もあるの。
その時に私ちょっと自分の手を見たの。
その記憶はハッキリとあるの。
それでね、その手がね、真っ黒だったの。
それも覚えてるの。
私、黒人だったんだと思う。その時。
多分、アフリカとかケニアとか?
そんな辺りに住んでいた黒人の女の子だったと思う。
なんにもないところ。見渡す限り。
そんなところの。
それをよく覚えてるの」



彼女が僕とちーさんにしてくれたその不思議な話は、
自分の中にある「最古の記憶」の話し。
どーしてそんな会話になっていたのか?は、
忘れてしまいましたが、僕らはその時、
それぞれの中にある
「一番古い記憶って何よ?」
......という会話で盛り上がっていました。



「それで、私、死んじゃうの。そこで。」



「......ふーーん。。すげーな。
そんなこと覚えてんの!?マジで?
すげーな......」



「次に覚えてるのはお母さんのお腹の中。
私お母さんのお腹の中にいる時の記憶もけっこうあるの。
あまり人に話さ無いけど。
馬鹿だと思われるから。
でもあるの。
お母さんが聞いてた音楽も覚えてる。
お父さんと喧嘩してたことも」



「それも不思議だなぁー。
すげーなぁ。。」



「二人は信じるよね。わかるもん。。
それでね、なんとなくだけど......
黒人の女の子だった時と、
お母さんのお腹にいた時は繋がってる感じがしてるの。
うまく言えないけど。
そんな感じ」



「繋がってる、、、か、、、
今の螢とアフリカの螢を合わせると、
ちょうど俺らと同い年ぐらいやな。。
そっか、
それでオマエさんは老けてるわけだな!?
んん!?( ̄▽ ̄)そだろ!?ん!?」



螢が15歳にしては大人びているな......と感じていた部分が、
本人の話したこんな物語に起因しているのかどうか!?は、
当然分かりませんが。
いわゆる「輪廻転生=りんねてんせい」というものが、
もし本当にあるのなら、あり得ない話でもなく......
霊能者でもない僕らはその時、
大きな瞳の少女が話す物語をタダタダ興味深く聞いていました。
でも、なんとなく、僕は真実の話のように思えています。
勿論、今も。



お盆の季節です。
魂などというものが本当にあるのか?ないのか?
そんなことどちらでもいいよ.....というような人も含めて、
少なくとも現実に見えている世界では、
先祖の皆々様が彼方の世界から此方の世界に帰ってくる時期として、
このお盆というものが全国的に認知、
確立されているようにも思えています。
それは、ちょっと考えるとトテモ不思議なことなのですが、
実は多くの人々も魂というものの存在を心の奥深くでは認めている?
信じている?
感じている?
のではないかということの表れのようにも思えます。

考えてみるに、
最先端の脳科学でも未だ解明しきれない領域は確かにあって。
「お盆」という世俗的概念も含めて世界に広がる様々な宗教、
儀礼、祭事、神話、民話などの様子や概念等を見渡してみても、
人類が生まれてから今に至るまで一貫して変わらないコトの一つに、
実は、

「見えないものを信じている......」

ということもあるのではないか......という気もします。

「イヤイヤ、そんなもの信じてないよ......」

というような人でも、
愛や友情、信頼や根性!
恨みにツラミに奇跡や運命、幸運や悲運、偶然......
などと言ったコトに言及するような時、
実はそれも魂や霊、神様......
などと同様の「見えない世界」の話しでもあって。
それは不思議ちゃん噺(ばなし)と
さほど変わらないことのようにも思えます。
そして完全なる世界は、自然界は、
あまねく循環のシステムで回っている様にも思えます。
それが普通の様にも思えます。
マッタク同じもの、コト、
生命の誕生、出現の繰り返しなどは無いものとも感じていますが、
そんな部分も包括した魂の大いなる循環は、
当たり前で尊いシステムの様にも思えます。



このブログの一番最初の記事で
「タイトルの由来」
として記したのが、今回も触れた「螢=ほたる」と言う
アーティストにまつわる話しでした。

その時に思いもよらない沢山の反応をメール等でも頂いたので、
コメント欄ではついつい

「機会あればまた螢の話しを記しますね。
僕の手がけて来た中でも、
本当に色々面白い思い出があるアーティストですから......」


などと返してしまったのですが......
そんな返事もしてしまったし、ならば、
いい加減でめんどくさがり屋の自分のブログが「もし」続く!?
のであれば、初めての記事同様、
新たな年記のスタート毎に、
その軌跡の証石として

「彼女の思い出を少しづつ記す形が一番いいのかな......」

というふうに思っていました。
なので昨年、2年目に入った時に二つ目の記事を書いて、
今回が自分でもビックリ!の3年目に突入!の回ということで。
三つ目の記事とあいなりました。
内容は幾人かの方々から

「何故螢が大人びていたか?の話しが聞きたい。。」

というようなメッセージを頂いていたので、
今回はそれにまつわるお話としてみました。
話しが話しなので......
本人のコトも含め書くことに少しのためらいもありましたが......
最早むかーーし、むかし......の話しですし、
書く時期も遅らせて、
この「お盆」の時期であれば......!?
ナントナク書ける!?ような気がして......
ブログ2周年の日から僅かに遅れた時期とはなりましたが、
今回こうして記してみた次第です。



この「デジタル・ビデオテープ=DV」の中に、
この時の僕等の姿が収まっていると思います。
当時はマダこんなテープに!素材をストックしてました。
懐かしい(^^)

今日の記事に関してはリクエスト含め、
ブログ一番最初の記事からずっとお付き合いをしてくれている
「蓮華」さん「ながめ」さん。
それと「Monika」さんに、
ココに一言お礼を記させて頂きます。
ありがとうございます。



このブログのサブ・タイトルに偽りはありません。



......最後に。
「輪廻転生=リ・インカネーション=生まれ変わり!?」
等の話題が出る際に、
不可思議世界の諸々に「誤解」や「間違い」等が起らぬよう、
個人的に!
絶対に!
触れておきたいお話や書籍等があったりもするので、
次回は!
今日の記事の補足的お話を少し記しておこうかと思っています。

どか、今日の所はあしからず。

それぞれの世界観で。

あしからず。

また、お盆明けに。

(^^)オツカレマンボー



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平原の丘

2013-07-21 17:31:30 | 初めに、タイトルの話
幾つかの理由があって静々と書き始めたこのブログも、
少々驚くことに、
気がつくと一年という時間が経っていました。

今迄も幾度か記してきましたが、
このブログをツラツラと書き始めた理由の「一つ」は
サブ・タイトルの中に強く込められていて、
ソコから外れないように......という事だけは自分なりに
大事に守って来ていることです。

最近は、そんな自分が大切に思う人達や、
このブログを通して新たに知り合うことが出来た素敵な人達からも
色々なメールや言葉を頂いたりもしていて......
それは、なんだか、
スタートの時にはチョット思ってもいなかったような感じで......
一年という時間を経て、少しづつ、
このブログ自体が自分にとって「大切なもの」
に育って来ている様にも......
最近はそんなことも感じていたりしています。



改めて今日、
最初の記事を眺めてみると、
スタートの記事らしく

「何故このブログタイトルなのか?」

というような話しで。
それは、
昔プロデュースしていた「」というアーティスト、
詩人にまつわる話しでもありました。
3話+αの合計「4部」の記述形態になっていて、
その4部目の記事の冒頭に僕はこんなことを記していました......

「彼女とは印象的なことが沢山あったので、
今後も書けそうなことがあればまた書ければいいなと思います」

記事にコメントをくれた方々にもそんな事を返していて......
そんな一番最初に記したブログを見ていたら、一つ、また、
有り有りと浮かんできた彼女と過ごした時間と風景がありました。
それは彼女......螢......についての直接的な話し......
というわけではないのですが、
その頭に浮かんできた風景の話しを、少しばかり、
一年ぶりに記そうかと思います。



......いつだったか、彼女......
螢と撮影クルーを連れてモンゴルにロケに行ったことがありました。
ソレはプロモーション用のビデオとCDジャケット関係の撮影のためで、
螢たっての希望の地ということでモンゴルとなりました。
クルーは彼女と僕、デザイナー、ヘアメイク、映像監督、
ムービーカメラマン、アシスタント、スチールカメラマン、
制作会社のクルー、現地コーディネーター、ポーター......
なんだかんだで人数的には10人以上。
常時ロケバス一台と、
コーディネーター用マイクロバスの二台で連なって動くような感じ。
いわゆる「モンゴルの大平原」の真ん中で撮りたい映像や絵があって、
毎日毎日、一週間ぐらい広大な平原をアチコチ走り回っていました。



ある日。
その見渡す限りの大平原の真ん中で撮影をしている時に、
僕だけ少しフリーになれる時間が出来たので、
撮影現場近くにあった
「こんもりと小高い丘」
になんの気なしに登っていったことがありました。

その行動に特に意味は無かったのですが......

その丘は平原にポコッ!と突き出た、やや急斜面の丘で、
頂上に行くまで僕の足で15分ぐらいかかったでしょうか。
モンゴルの平原ですから、
そんな丘に登ったところで特段視界が変るといった感じでは無いのですが、
それでも登ってみると、
平原の小さなウネリを全て飛び越えて見渡すことが出来る分
下とはかなり違った風景で。
途轍も無く遠くまで.......
それは自分の視力が働く限りの彼方まで......
大地と空とがくっつく地平線まで......
まるで砂漠のようにも見える広大無辺で印象的な景色でした。



しばしそんな風景に見とれていた後、
僕はフト、自分が登って来た場所を振り返って見てみました。
イソイソと動き回る螢や、
撮影クルー達がかなり小さくなって見えています(^_^)
そのチョコチョコと動き回る撮影チームの少し先には、
放牧されている多くの羊さんの群れがこれまた小さく見えます。
その周りには素早く動く生き物が何匹か......犬......でしょうか。
羊の群れを追い立てて動き回っています。
馬に乗った遊牧民の方達も何人か見えます。
その日僕らが草原で何かとお世話になった家族の方達でしょうか。
「ゲル」と呼ばれる、
遊牧民特有の円形をした移動式テント住居も幾つか見えます。
そんな景色を小高い丘の上からぼーーっと、しばし眺めていた時、
僕はこんなことを思いました。



「あれ?今のコノ自分の視界の中で、
広大な大草原の中で、
動いているモノって、、、
俺達のクルーと羊さん達しかいないな。
まぁ、当たり前だけど。。」



そしてその後、
理屈のようなものではなくて、
心からわかった?というか、
腑に落ちた?というか、
こんな事を思ったのを強力に覚えています。



「ああ、そうか......
人間て、生き物って、、、
天と地の間に存在しているものなんだ......
間にしか存在出来ないんだ......きっと......」



勿論、風や雲は動いていますし、
でもそれは地球そのものに属していて。
モグラさんやミミズさんの様に
地中で生活している生物も沢山いると思いますが、
でもそれは、そんな地球という天体規模で見てみると
天に一番近い、とても薄い上層部分であって。
卵で言えば殻の部分や、
その殻の中で生きている、というようなわけで。
空を飛ぶ鳥さん達にしても、
酸素の無い大気圏まで飛んで行くようなコトはなくて。



「この地球上の生物って天と地の間に生きてるんだ。
決して天に属しているわけでもなく、
地に属しているわけでもない。
全てその間に属している、、、そんな感じがするな。。」



それがフト、僕が丘の上で思ったことでした。
それでまた改めて、
よくよく丘の上から草原の風景を眺めてみると。
大地を覆う草原の草木達も地表に生えて、伸びて、
風に揺れ動いていて......



「彼らもまた、
天と地の間に生きるものなんだなぁ......」



と。
その時に初めて、
そんなことを強く思いました。



昔、「金八先生」というテレビドラマの中で

「人という字は、
人と人とが支え合って生きているという意味で......」

みたいな有名な「台詞」があって。
ドラマを見ていた僕も、その時は何の疑問もなく、
そんなふうに理解をしていたりもしましたが、
コノ時......モンゴルの小高い丘に登った時以来、
僕は「人」という文字よりも「人間」という文字や
言い方の方を強くイメージするようになりました。
トテモ大事なことというのは、
「人間」という文字の方によく表されているのではないか......
と、そんな気が個人的にはしてしまうのです。



そこにある「間=あいだ」という文字。



モンゴルの丘に登って以来、
その「間」という文字自体が、実は、
「人」にとってとても大事なもののように僕には思えて来ました。
それは今に至るまで、そのままずっとそう思っています。



生命はきっと、
天と地の間に生きるもの。

天の存在でもなければ、
地の存在でもない。
その間の存在。

そして、故に、
天も地も生命によって初めて繋がれる。

だから「間」を大切にすること。
間を「全う」しようとすることも人間の一つの役割であり宿命。

ブッダや仏教の説く「中庸」ということの意味。
重み。
深み。

人と人との間。



このブログを記し出して一年が経ち、
最初の記事を眺め直してみて、
そして、思うのはそんなこと。



言葉。
言葉の重み。



普段生活をしていてとかく忘れがちなことではあるのだけれど、
「言葉」はそれ自体が創造の賜物であり、
アイデアそのものでもあるということ。
時にそれは「言霊」とでも言うのでしょうか。
ブログを記す中でも痛切に感じます。
ソレは「螢」という少女詩人に
強く教えてもらったことでもあります。
言葉を尽くすことはきっとアイデアを尽くすことでもあり、
人間を尽くすことの一部でもあるのかもしれません。

「人=ひと」を尽くすこと。

「間=あいだ」を尽くすこと。

「間=ま」を尽くすこと。

その為に「言葉」を尽くすこと。

当然、行動も尽くさねばいけないのでしょう。

行動のためにも言葉は尽くされないといけないのでしょう。

僕はまだまだ言葉も、行動も、人間も、
尽くすことはできていないようです。
それもこのブログを記し始めて、
今痛切に感じていることでもあります。



平原のど真ん中にある遊牧民の古い寺院を訪ねた時の写真。
紙焼きで制作資料と一緒に書棚に残ってます。
僧侶の子供さんと共に螢はなにやら......
オスマシですな( ̄ー ̄)ニヤリッ...
どことなく?彼女の中に流れる!?モンゴルの血?
みたいなものを感じまふ。
寺院はアマリに遠いところにあったのでヘリコプターで行きました。

「機材と人が全て載せられるヘリはコレしか無い......」

と、言われ、旧ソビエト軍から民間に降ろされたバカデカイ!
「軍用ヘリ」で行ったのを覚えています。(@。@)ヒエーッ!


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おちあがるように

2012-07-17 01:13:41 | 初めに、タイトルの話
いやー......びっくり!(*゜0゜)
「雲と螢」
なんだか沢山の方に読んでもらったようで。
とてもひっそりと記しだしたブログだったので、
ちょっとびっくりしました。
こりゃ調子こいて「雲と螢」の特別編的な話を、
もう一話だけ記しておこうかなぁ......
彼女とは印象的なことが沢山あったので、
今後も書けそうなことがあればまた書ければいいなと思います。
螢との作品作りは、
僕自身「作詩」という点においてはかなり影響をうけました。
特にmihimaru GTとの曲作りなどには、
とても影響が出ていたように思います。



さてさて。とある日の東京。
恵比寿駅のほど近くに建つビルの一階にある小さな会議室。
ガラス張りで明るい陽光が差し込む室内には
木製の大きな長方形のテーブル。
その上には白いマグカップに注がれたホット珈琲が三つと、
ペンとA4サイズの真っ白い紙。
おもむろに向き合って座っている少女......螢と、
ぽんぽこぷーライクな男(僕)。
そして、デザイナーのちーさん(素敵な大人の女性)。



「螢さ、メジャーで作品出したいんだけどさ、、」



とぽんぽこぷー。



「最初だから、
関係者だけに配る特別な限定盤CDを作ろうと思うんだけど、、よい?」

「よい」



と螢。



「よい!?、、そ、、、ありがと。。
でさ、、詩人だしさ、せっかくだからそこに一言
メジャーデビューに際しての螢の言葉を載せたいんだよね。。あっ!
でも詩じゃなくてもいいからさ、何でも、、、よい?」

「よい」

「おっ!? Σ(゜ロ゜ノ)ノ
、、じ、じゃぁね、、ここ。
この紙に書いてくれない?
この真ん中あたりに。
後でスキャンしてレイアウトするからさ。。。ん?
何か怒ってる!? ちみ!?」

「別に。なんで?」

「べ、別に。。」



ペンをとって、さらさら......と、
何やらおもむろに書き出す螢様......さらさら......
じっと見守る僕とちーさん(大人の女性様)。



「出来た」

「おっ!Σ( ̄□ ̄)イイね。。
なんだって!?んんーーーーと。。。」

「おちあがるように」

「!?!?!?!??
ち、ちみ、、や、やっぱ変わってるね。。」

「普通」



——— おちあがるように ———
それが彼女のメジャーデビューの時の言葉。



メジャーには、落ちる様に上がるのだと。
落ちることと上がることはさほど違いは無いらしい。
落ちる人が上がる。落ちながら昇る。
昇る人が落ちる。
昇る時は既に落ち始めている時。
だから上がる時は落ちるように登るんだと。
諸行無常。そんな感じか......



「私はあんまり売れないよ」

「分かってるよ。
だからわざわざインディーズレーベル作ったんだからさ。
でもさ、もっと広く送り出す意味はある気がするんだよね。
この言葉たちは。うん。
なんだかそんな気がするんだ」

「うん。そう思う」



もし今、少し落ち込んでる人がいたら、
少女によると「おちあがる」そうです。



写真は自宅の棚に残るその時作ったプロモーション限定盤です。
僕の宝ものです(^^)


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雲と螢 3

2012-07-16 01:26:32 | 初めに、タイトルの話
「一旦、辞めようか?」



その時彼女は15才。
高校進学を決め、
これから集中して勉強をしていこうとする彼女と、
僕はそんな話をしました。




あまい華はいつまでも咲けない。



そう。
本当は彼女は普通の女の子。
ボーカリストでもなければ作家でもない。
どんな子供でも大人になるまでに通る道があって、
その中でも最も多感と言える時期に偶然開花した才能は、
本当は誰にでもあるもの。
それはどんな人にでも必ずキラッと輝く瞬間は必ずあるということ。
彼女とはそんな話をしました。
彼女はそんなことの代弁者。証明者。普通の女の子の代表者。
どんなに一瞬でも「光りを放てれば」それだけでも十分に幸せな事。
光の色や眩しさ、大小は関係ない。価値も意味も無い。
放つ事が大事な事。
放とうとしたその意志と行動こそが価値も意味も持てる事。



「私、普通が良いの」



スパッとメジャーの舞台を辞めた彼女は海外の高校に留学しました。
一部の大人が、
その後もなんとか彼女をステージに立たせようとしていたようですが......
その辺りの事は僕は全く知りません。
僕は彼女に
「君の幸せの為には、今辞めよう」
と話した人間ですから。
いつでも祈っていたのは......そういうこと。



「雲は完璧な姿だと思うの。。私は雲の様に生きていきたい」



雲は水の一つの変容した姿でもありますが、まぁ、そこは、
「雲の形をとっている時の水」
ということでお許しを頂いて......r( ̄_ ̄;)スマンスマン

雲は地球の大気、空気に乗って、
その姿をいくらでも変えていきます。
風という無色透明で気まぐれな神様の行く手すらも邪魔しません。
そのくせ太陽の邪魔は出来ますし、
太陽を引き立てることも出来る。
存在感などなさそうなのに、
時に凛としたチカラを放ち立ち昇って来たりもします。
ドス黒く怒ったり、可愛く赤く染まってみたり。
いつも当たり前のように消えて、当たり前の様に現れる。
変幻自在で自由奔放。
それでも地球という共同体を乱すこともせず、
必要とすらされているようで。

雲のまったく無いピーカンの空も良いのですが、
無ければ無いでそれも寂しいし、
きっと飽きるような気もします。
適量の白い雲が浮かぶ晴れた空が一番綺麗。大好き。
彼女はいつもそんなことを言ってました。



「。。そうだね。。俺もそう思う。。」



僕の相槌は今も変わりません。
このブログのタイトルにはそんな物語と、
思いがあります。





(*゜0゜)ンマッ! You Tubeあるんだね...ハリガネ
14才の彼女のメジャーデビューPV。
徹夜ばかりしてたなぁ......懐かしい。


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雲と螢 2

2012-07-15 01:39:40 | 初めに、タイトルの話
血の色だ......これ......そんな衝撃、印象でした。



彼女は長い間、学校で酷いイジメにあっていたらしく、
その重く苦しい現実は彼女に独特の暗い雰囲気を纏わせていました。
それでも僕はその「暗さ」の中に「不思議な光」を感じていました。
それは暗闇だからこそ見えてくる
普段から心奥に佇んでいる魂の煌めきのようなものなのか、
暗闇で初めて磨かれ生まれた感性や才能の放つ光なのか......
その光の煌めく感覚は鮮明に覚えています。

とても頭が良くて、
13才にして既に大人びた人生哲学の様なものも持ちつつあって。
彼女の話す言葉には
余計な接続語や付帯語などは一切ありませんでした。
ぶっきらぼうなまでに切り詰められて話される言葉は
限りなく単語に近く。
含まれる感情も表情も最小限で、
本人に悪気は無くても相手に不快感を与えてしまう感じ。

小さなつくりの顔に浮かぶ大きな瞳は
目を合わせると人によっては恐さを覚える様な透明さを持っていて。
その恐さとは多分、
対面する人が自分の心奥を見透かされてしまうような
気持ちになってしまうことに起因していたと思います。

そういった全ての部分......
「個性」が学校という集団の中での彼女を特異化し、
集団を
「異物に対する抵抗表現としてのイジメ」
に向かわせていたように僕は感じていました。
彼女自身も苦しみの中で、
自分を取り巻く状況をそんなふうに冷静に理解していましたが、
それでも13才の少女にイジメという現実は辛く、厳しく。
彼女は毎日を必死に戦っていました。



「自殺は何度も何度も考えてるよ。。今日も。。」



そうボソボソと話す彼女の手首には刃物の傷跡らしきものもありました。
一日一日を耐えるように生き延びて、寝る前には
「今日もまだ生きているんだ、、」
と自分の生を他人事のように思う毎日。
そんな血の滲む様な毎日の想いが詩となって書き溜められ、
そのペンの色が赤になることは必然的なことだったのかもしれません。



その後、
僕らは当時海外を中心に一部マニアックなシーンを形成していた
ポエトリー・リーディングをベースに、
独自にポップロックと融合させた
「ポエティック・ミュージック」という表現方法を見つけ出し。
それを一人舞台とCDという、これもまた独特の枠組みを生み出して、
彼女と一緒に世に送り出していきました。
ソレらは彼女の年齢も含め、
あまりに前衛的なワークだったので、
僕は所属するメジャーレコード会社とは別に
インディーズのレーベルを独自に立ち上げる判断をし、
そこからプロジェクトを始めました。

CDは僕らにも意外なほどのヒットを記録し、
劇場で行われる一人芝居のライブは毎回満員。
一年後には彼女は14才のカルトスター、
メジャーデビュー、チャートイン......
というような階段を駆け上ります。
テレビや雑誌、新聞などは勿論、映画などにも出演。
学校ではイジメどころかサインをねだられる人気者に。



不思議なのは......
そんな日々の中で彼女の才能が段々と
消えていく感じがしていた事です。



周りに認められ、
彼女の中にあった哀しみや怒り、
ストレスが昇華されていくにしたがって、
思う様な詩が書けなくなってきている現実に僕らは気付いたのです。



「一旦、辞めようか?」



その時彼女は15才。
高校進学を決め、これから集中して勉強をしていこうとする彼女と
僕はそんな話をしました。

(o゜◇゜)ノ も少しつづくのだぁ



螢のメジャーデビューシングル「ハリガネ」(^_^)


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