・・・・・電車の中で、若い女性に忠告をした話・・・・・その前置き
実は、以下の文章は、私が既に出した本の中の一章です。その章のひとつ前には、現代(---特に五年前ぐらいには---)
としては、信じられないくらい貧しい服装をしながら、裕福そうな男の子を、電車の中で(---ほとんど、キスせんばかりに濃密なかたちで---)抱く、不思議な少女の話をしています。
で、以下のように続くこととなります。
前章で、あまりにも純粋な恋の話をしました。これからお話をするのは、現代では普通の話。普通の恋の話です。しかし、結末はちょっと恐ろしい。
驚くべき事件が、ひょいと隣で起きる現代です。そんな、時代を彷彿とさせるエピソードなのですが、ちょっと、前段を置かせてください。前段の方に登場するのは、円熟した主婦たちです。しかし、彼女たちに出会って、私が人生の諸相を考えたからこそ、次の本題にあたる若い女性たちに、電車の中で声を掛ける勇気ができたわけでした。そして、もしかしたら、ある若い女性が殺人事件にあうのを助けたのではないかしら。
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二〇〇五年六月二十三日のお昼頃です。東横線の車内で、ちょうど私を囲む形で、四人の五、六十才代の女性が立ちました。で、どうしても避けられない形で彼女らの会話を聞いてしまったのですが、すこぶる感じの良い会話です。映画の話などですが「ミリオンダラー・ベービーのクリント・イーストウッドは、テレビ・ドラマ『ローハイド』の一番若いカウボーイだったのよ」とか、・・・・・
それで見かけからだけではなく(それを私も見たので)年齢も判ってしまったのですが、でも、すべて、文化に関する話でした。他人の悪口とか噂話ではないのです。「で、観察をするともなく、し始めると良い体格、良い服装、高そうなメガネ、何もかも満たされている人たちです。背も高くアマゾネスみたいなのだけど、その親しさが度を越えない程度の奥ゆかしさもあって、私はどう言う人たちなのだろうと、たちまちに興味しんしんになりました。
それで例のごとくいろいろと質問をしました。すると、「あ、そうか」とすこぶる納得ができたことに、朝日カルチュアーセンターかどこかのお教室で一緒で、しかも、『ちぎり絵』を習っているグループで、中のお一人が先生だったのです。先生もご一緒だから、会話が乱れない、そして、ぞんざいにならないわけですね。しかも、ちぎり絵と言う所がまたまた納得です。だから美を志向している人たちで、そう言う心理的なかつ抽象的な世界で、遊ぶ事ができるひとは、やはり物心両面で余裕があり、しかも志の美しいヒトが多いわけです。
ただ私の方は、身を削って新しいもの、個性的なものを作っているから、彼女たちとは、まるで体格が違ってしまっています。私だって、この百六十センチを越える背の高さですから、本当は六十五キロは、体重がなくてはならなのですが、一生を通じてほとんど変わらず四十五キロ前後ですから、・・・・・
それに、高島屋で、シーズンごとに新しいお洋服を買うというような生活を、止めてから既に十年は経っているので、着ているものも彼女たちとは、まるっきり違ってしまいました。
でも、彼女たちの事は彼女たちの事で、本当に尊敬をして、更に、聞くともなく聞いていると、私に、「これから、石井ふく子さん(テレビのドラマのプロヂューサー)の講演を聴きに行くところなのだ」と教えてくれました。で、私はあるお一人から、名刺を頂き(それも、ちぎり絵のデザインを使ってあった)、のちほど、第二エッセイ集「れすとらん・ろしなんて」を送るつもりになっています。
(後日の話でした、すぐきれいな封書が届いて、中に、礼状と切手が入っていました。電車の中で直感を抱いたとおり、礼儀正しい奥様たちだったのです)
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さて、上の話は、主婦としては、『功成り、名を遂げた』グループの話です。人生に満足して、もう既に安定をし切っている人たちの話でした。
しかし、その三時間後、今度は山手線の中で、驚くべき話を聞き、たまらずこちらも、私が相手とかかわってしまったという話なのです。
それが、若い女性が殺されるかもしれないという話なのです。もったいぶっているようですが、全部を流すと非常に長くなるので、その一番肝心なところは明日お話をさせてくださいませ。
別にドラマではないので、殺人事件が目の前で起きたわけではないのですが、電車の中で、心底ドッキリとするような話を聞いてしまったのです。いや、今では、こんかつと言う事が盛んなので、よくなったと思います。あのころは、結婚しないでセックスに入るという風潮があって、若い女性が男性(---特に悪人たる人間---)の餌食になりやすい時代だったのです。
今はかえってよくなりました。若い人が真面目に結婚を考えるようになったので、不毛な恋愛を重ねないからです。セックスを伴う、結婚へと結びつかない・・・・・不毛な恋愛は、女性(このときのお嬢さん)の方が、結果として不利なのです。そのお嬢さんは、ほんの21か、22歳に見えました。本当に危ない状況だったと思います。
うちの猫も「そうだよ。そうだよ。おかあさん」と、哲学者みたいな顔をして同感してくれました。
それでは、また、明日、お目に掛かりましょう。2009年7月13日に
五年前に山手線の中で聞いた話を思い出しながら・・・・・
雨宮 舜
実は、以下の文章は、私が既に出した本の中の一章です。その章のひとつ前には、現代(---特に五年前ぐらいには---)
としては、信じられないくらい貧しい服装をしながら、裕福そうな男の子を、電車の中で(---ほとんど、キスせんばかりに濃密なかたちで---)抱く、不思議な少女の話をしています。
で、以下のように続くこととなります。
前章で、あまりにも純粋な恋の話をしました。これからお話をするのは、現代では普通の話。普通の恋の話です。しかし、結末はちょっと恐ろしい。
驚くべき事件が、ひょいと隣で起きる現代です。そんな、時代を彷彿とさせるエピソードなのですが、ちょっと、前段を置かせてください。前段の方に登場するのは、円熟した主婦たちです。しかし、彼女たちに出会って、私が人生の諸相を考えたからこそ、次の本題にあたる若い女性たちに、電車の中で声を掛ける勇気ができたわけでした。そして、もしかしたら、ある若い女性が殺人事件にあうのを助けたのではないかしら。
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二〇〇五年六月二十三日のお昼頃です。東横線の車内で、ちょうど私を囲む形で、四人の五、六十才代の女性が立ちました。で、どうしても避けられない形で彼女らの会話を聞いてしまったのですが、すこぶる感じの良い会話です。映画の話などですが「ミリオンダラー・ベービーのクリント・イーストウッドは、テレビ・ドラマ『ローハイド』の一番若いカウボーイだったのよ」とか、・・・・・
それで見かけからだけではなく(それを私も見たので)年齢も判ってしまったのですが、でも、すべて、文化に関する話でした。他人の悪口とか噂話ではないのです。「で、観察をするともなく、し始めると良い体格、良い服装、高そうなメガネ、何もかも満たされている人たちです。背も高くアマゾネスみたいなのだけど、その親しさが度を越えない程度の奥ゆかしさもあって、私はどう言う人たちなのだろうと、たちまちに興味しんしんになりました。
それで例のごとくいろいろと質問をしました。すると、「あ、そうか」とすこぶる納得ができたことに、朝日カルチュアーセンターかどこかのお教室で一緒で、しかも、『ちぎり絵』を習っているグループで、中のお一人が先生だったのです。先生もご一緒だから、会話が乱れない、そして、ぞんざいにならないわけですね。しかも、ちぎり絵と言う所がまたまた納得です。だから美を志向している人たちで、そう言う心理的なかつ抽象的な世界で、遊ぶ事ができるひとは、やはり物心両面で余裕があり、しかも志の美しいヒトが多いわけです。
ただ私の方は、身を削って新しいもの、個性的なものを作っているから、彼女たちとは、まるで体格が違ってしまっています。私だって、この百六十センチを越える背の高さですから、本当は六十五キロは、体重がなくてはならなのですが、一生を通じてほとんど変わらず四十五キロ前後ですから、・・・・・
それに、高島屋で、シーズンごとに新しいお洋服を買うというような生活を、止めてから既に十年は経っているので、着ているものも彼女たちとは、まるっきり違ってしまいました。
でも、彼女たちの事は彼女たちの事で、本当に尊敬をして、更に、聞くともなく聞いていると、私に、「これから、石井ふく子さん(テレビのドラマのプロヂューサー)の講演を聴きに行くところなのだ」と教えてくれました。で、私はあるお一人から、名刺を頂き(それも、ちぎり絵のデザインを使ってあった)、のちほど、第二エッセイ集「れすとらん・ろしなんて」を送るつもりになっています。
(後日の話でした、すぐきれいな封書が届いて、中に、礼状と切手が入っていました。電車の中で直感を抱いたとおり、礼儀正しい奥様たちだったのです)
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さて、上の話は、主婦としては、『功成り、名を遂げた』グループの話です。人生に満足して、もう既に安定をし切っている人たちの話でした。
しかし、その三時間後、今度は山手線の中で、驚くべき話を聞き、たまらずこちらも、私が相手とかかわってしまったという話なのです。
それが、若い女性が殺されるかもしれないという話なのです。もったいぶっているようですが、全部を流すと非常に長くなるので、その一番肝心なところは明日お話をさせてくださいませ。
別にドラマではないので、殺人事件が目の前で起きたわけではないのですが、電車の中で、心底ドッキリとするような話を聞いてしまったのです。いや、今では、こんかつと言う事が盛んなので、よくなったと思います。あのころは、結婚しないでセックスに入るという風潮があって、若い女性が男性(---特に悪人たる人間---)の餌食になりやすい時代だったのです。
今はかえってよくなりました。若い人が真面目に結婚を考えるようになったので、不毛な恋愛を重ねないからです。セックスを伴う、結婚へと結びつかない・・・・・不毛な恋愛は、女性(このときのお嬢さん)の方が、結果として不利なのです。そのお嬢さんは、ほんの21か、22歳に見えました。本当に危ない状況だったと思います。
うちの猫も「そうだよ。そうだよ。おかあさん」と、哲学者みたいな顔をして同感してくれました。
それでは、また、明日、お目に掛かりましょう。2009年7月13日に
五年前に山手線の中で聞いた話を思い出しながら・・・・・
雨宮 舜