前章で、ベンツを乗り回す白人でサッチャー元首相(または、夫人と呼ばれる)に似た、女性不動産屋に、言葉による説明を、まったくやらないという形で、無視された団地に関する、新しい章です。
私は、この団地があまりにも気になったので、それ以降も、この手の団地に出遭えば出遭うほど、観察を激しくするようになりました。
今、ニューヨークにおいては、画廊が集中している地域が、ソーホーからウエストチェルシーへ、移動しています。ソーホーは南部で、倉庫街だったのです。それが船からトラックへ、または、飛行機へと変る流通の形の影響で、空きが出てきて、家賃が安いものですから、現代アートを専門にしている人たちが集まり始め、画廊も出来始めたのですが、人気のある街になったら、今度は、一種の銀座、もしくは表参道化し始めて、今では地価も再び高くなった模様で、画廊はどんどん、ソーホーより西北にある、ウエスト・チェルシーへ移っています。
私は2000年には、24stの9番地と言う真ん中も真ん中で毎日版画を作っていたのですが、版画と言うのは待つ時間もあるのです。で、そういう待ち時間には西へ向かって、15分~30分歩いて、現在の画廊の中心地である、ウエスト・チェルシーにはよく出かけていました。
そこに、この、例の白人女性が、もろ、軽蔑をした団地があったのです。金網に囲まれています。ビルは赤いレンガ造り。これは、100年ぐらい前のニューヨークでは極く、当たり前のビルだと思われます。今現在きれいな灰色もしくはベージュの石で、壁が覆われているビルも裏に回れば、それこそ、ヒッチコックの映画『裏窓』の世界であり、極く普通の建築様式でしょう。
マンハッタン島の中にしては、棟と棟の間に余裕を充分にとってあり、木が勢いよく茂っています。しかし、樹下には、何の手入れもされていません。日当たりが悪いといっても、日本ですと、芝生を植えたり花壇を作ったりするのが普通なので、そういう意味では、団地と言うか、マンションとしては、住民に地域を愛する気持ちが無いようにも見えます。
ある日の午後、ここにおいてある、バスケットのハーフコートで、少年たちがバスケットの練習をしていました。かごが一つしかないので、チームとしては、日本で言う三角ベース(簡素にした野球)みたいなやり方で遊んでいるのでしょう。
元気で、年齢がさまざまな少年の遊びの模様は、ふと、ウエストサイド物語を思わせ、(実際にそのハーフコートは、マンハッタン島の中心からは、相当西側に位置していますし)
私はほほえましくそれを、見ながら横を通り抜けました。
でも、このときもまだ、なぜ、あのサッチャーもどきで、ベンツを乗り回している女性が、この団地を軽蔑するのかが分かりませんでした。
~~~~~~~~~
この滞在の最後のころ、品の良い画家から個展の案内状を貰い、私は関係から考えて、いくべきだと思い、最後の頃で、非常に忙しかったのですが、午後五時にその日は切り上げ、なんとか、ストリート11番地と書いてあるそちらに出かけ、画廊を探しました。
どうしても見つかりません。で、その辺りには、開いているレストランもないので、この形の団地があったのを幸い、だれか、住人に聞いてみようと、庭を横切って、棟の間を歩いていきました。するとある棟の玄関で二・三人の人が集まって井戸端会議をしている雰囲気があり、そこを目指してみました。そこでの、音声が聞こえなかったら、二階にまで上がって、どこかの棟のどこかの家のドアベルを押してみるはずでした。そうすれば、エレベーターが、設置してあるかどうか、また、おうちのドアーの感じとか、あけてもらった玄関の感じで、いろいろな事がわかります。
でも、そこまでする必要は無かったのです。六時近くなので、井戸端会議をしていたのは、主婦ではなくて、男性でした。お勤めから帰宅した男性が、二人で、何かを仲良く話し合っていたのです。
そのとき、一人の男性が、たくさんのクリーニング済みの洋服を持っていました。持っている人は体格のよい、アフリカンの人で、話し相手も体格のよい、お顔もしっかりしたアフリカンの男性です。私は、『ああ、アフリカンの人が住む事が多いから、ここが貧しい団地として軽蔑をされるのかなあ?』とか、『でも、さすがマンハッタン島の内部だ。二人とも相当立派な職業についているはずだ。だって、10枚も服をクリーニングに出すのはなかなかの出費だからだ。
ただ、スーツをびしっと決めて、高層ビル内で、ビジネスマンと言う形で働くケースは、少ないだろうが、地下鉄の運転手や駅員等の公務員関係に従事している人は多いはずだ。
その次の世代は、格好が良くて、それこそ、ビジネスエリートを生む可能性はある・・・・・と、そのように、2000年に考えたのです。それが、2008年にまさしく、その代表である、細身で格好良いオバマ氏が、大統領候補として登場して、ああ、10年弱でこれほど、変ったのか、ただ、オバマ氏は、奴隷の子孫ではないし、混血としてのハーフだし、もしかすると、当選するのかしら?と思っていたら、彼が大統領になりました。
~~~~~~~~~~~~
と言う、わけで、アメリカは、ものすごいスピードで変っている国ではありますが、しかし、そのオバマ大統領も、全米・黒人の人権を守る会[名称ははっきり覚えてはおりませんが]の100周年記念大会で、「まだ、本当の平等は達成されていない」と仰ったそうですが、そのとおりなのでしょう。
実は、この差別の件は、単にアメリカ社会の評論的な観察には、とどまらないのです。2001年の夏に、私が知っている同年齢のアーチストが孤独死をしたという知らせがメールで私に入り、その件で、私はさまざま考え込みました。彼が、最後を迎えた住まいが、どういうものだったかを知りませんが、ともかく、一戸建てではなかったでしょうし、それこそ、こういうレンガ製のマンションだったかもしれないのです。
で、その死は、一冊の本に仕上げてしまうほどの、ミステリーでありました。彼(仮名エドゥアルド)は、別れる際は、健康そのものに見えたからです。それが、たった数ヶ月で亡くなってしまいました。
それゆえに、こういう・・・・・豊かな白人からは、軽蔑をされている住宅地(または、マンション群)の事は、私には大きな、課題として、考え込む題材の一つとなったのです。
たまたま、オバマ大統領も、まだ、まだ、差別は残っていると仰っていますしね。この差別の問題は、表に出てくる事が、奴隷制度のなかった他の国では少ないのでしょうが、しかし、無いわけではなくて、あらゆる国に見られる現象です。
人間が普遍的に持っている、悪い性向の一つで、あらゆる国の、会社などの下部組織にも、見られるのです。人間が住んでいるところであるなら、あらゆる集団内に、見られる現象なのでしょう。
エドゥアルドの事は、メールではとても書ききれませんが、もしかしたら、将来は、連続ものとしてここで、さらすかもしれません。そのときはよろしく。
2009年7月20日 雨宮 舜
追伸、最後の最後、蛇足も蛇足ですが、今日の睡蓮は、主人が撮った写真です。普通の日はブログ・パーツは、ほとんどが私が撮った写真を使うのですが、このときは大船植物園の池の中の睡蓮を撮りたいと思い、それに挑戦していました。アップの方が良い写真が撮れるのですが、池に身を乗り出すのを、私は、ちょっとためらったのです。既に若くは無くて、体の敏捷性が失われています。体のバランスがとりにくくなっているのも確かだし、買いたてのi-phone を、手に持っています。もし水の中にそれを落としたら大変だと思っていて、良い写真が撮れず、この一枚だけは主人の写真を採用させてもらっています。著作権は主人に属します。
私は、この団地があまりにも気になったので、それ以降も、この手の団地に出遭えば出遭うほど、観察を激しくするようになりました。
今、ニューヨークにおいては、画廊が集中している地域が、ソーホーからウエストチェルシーへ、移動しています。ソーホーは南部で、倉庫街だったのです。それが船からトラックへ、または、飛行機へと変る流通の形の影響で、空きが出てきて、家賃が安いものですから、現代アートを専門にしている人たちが集まり始め、画廊も出来始めたのですが、人気のある街になったら、今度は、一種の銀座、もしくは表参道化し始めて、今では地価も再び高くなった模様で、画廊はどんどん、ソーホーより西北にある、ウエスト・チェルシーへ移っています。
私は2000年には、24stの9番地と言う真ん中も真ん中で毎日版画を作っていたのですが、版画と言うのは待つ時間もあるのです。で、そういう待ち時間には西へ向かって、15分~30分歩いて、現在の画廊の中心地である、ウエスト・チェルシーにはよく出かけていました。
そこに、この、例の白人女性が、もろ、軽蔑をした団地があったのです。金網に囲まれています。ビルは赤いレンガ造り。これは、100年ぐらい前のニューヨークでは極く、当たり前のビルだと思われます。今現在きれいな灰色もしくはベージュの石で、壁が覆われているビルも裏に回れば、それこそ、ヒッチコックの映画『裏窓』の世界であり、極く普通の建築様式でしょう。
マンハッタン島の中にしては、棟と棟の間に余裕を充分にとってあり、木が勢いよく茂っています。しかし、樹下には、何の手入れもされていません。日当たりが悪いといっても、日本ですと、芝生を植えたり花壇を作ったりするのが普通なので、そういう意味では、団地と言うか、マンションとしては、住民に地域を愛する気持ちが無いようにも見えます。
ある日の午後、ここにおいてある、バスケットのハーフコートで、少年たちがバスケットの練習をしていました。かごが一つしかないので、チームとしては、日本で言う三角ベース(簡素にした野球)みたいなやり方で遊んでいるのでしょう。
元気で、年齢がさまざまな少年の遊びの模様は、ふと、ウエストサイド物語を思わせ、(実際にそのハーフコートは、マンハッタン島の中心からは、相当西側に位置していますし)
私はほほえましくそれを、見ながら横を通り抜けました。
でも、このときもまだ、なぜ、あのサッチャーもどきで、ベンツを乗り回している女性が、この団地を軽蔑するのかが分かりませんでした。
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この滞在の最後のころ、品の良い画家から個展の案内状を貰い、私は関係から考えて、いくべきだと思い、最後の頃で、非常に忙しかったのですが、午後五時にその日は切り上げ、なんとか、ストリート11番地と書いてあるそちらに出かけ、画廊を探しました。
どうしても見つかりません。で、その辺りには、開いているレストランもないので、この形の団地があったのを幸い、だれか、住人に聞いてみようと、庭を横切って、棟の間を歩いていきました。するとある棟の玄関で二・三人の人が集まって井戸端会議をしている雰囲気があり、そこを目指してみました。そこでの、音声が聞こえなかったら、二階にまで上がって、どこかの棟のどこかの家のドアベルを押してみるはずでした。そうすれば、エレベーターが、設置してあるかどうか、また、おうちのドアーの感じとか、あけてもらった玄関の感じで、いろいろな事がわかります。
でも、そこまでする必要は無かったのです。六時近くなので、井戸端会議をしていたのは、主婦ではなくて、男性でした。お勤めから帰宅した男性が、二人で、何かを仲良く話し合っていたのです。
そのとき、一人の男性が、たくさんのクリーニング済みの洋服を持っていました。持っている人は体格のよい、アフリカンの人で、話し相手も体格のよい、お顔もしっかりしたアフリカンの男性です。私は、『ああ、アフリカンの人が住む事が多いから、ここが貧しい団地として軽蔑をされるのかなあ?』とか、『でも、さすがマンハッタン島の内部だ。二人とも相当立派な職業についているはずだ。だって、10枚も服をクリーニングに出すのはなかなかの出費だからだ。
ただ、スーツをびしっと決めて、高層ビル内で、ビジネスマンと言う形で働くケースは、少ないだろうが、地下鉄の運転手や駅員等の公務員関係に従事している人は多いはずだ。
その次の世代は、格好が良くて、それこそ、ビジネスエリートを生む可能性はある・・・・・と、そのように、2000年に考えたのです。それが、2008年にまさしく、その代表である、細身で格好良いオバマ氏が、大統領候補として登場して、ああ、10年弱でこれほど、変ったのか、ただ、オバマ氏は、奴隷の子孫ではないし、混血としてのハーフだし、もしかすると、当選するのかしら?と思っていたら、彼が大統領になりました。
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と言う、わけで、アメリカは、ものすごいスピードで変っている国ではありますが、しかし、そのオバマ大統領も、全米・黒人の人権を守る会[名称ははっきり覚えてはおりませんが]の100周年記念大会で、「まだ、本当の平等は達成されていない」と仰ったそうですが、そのとおりなのでしょう。
実は、この差別の件は、単にアメリカ社会の評論的な観察には、とどまらないのです。2001年の夏に、私が知っている同年齢のアーチストが孤独死をしたという知らせがメールで私に入り、その件で、私はさまざま考え込みました。彼が、最後を迎えた住まいが、どういうものだったかを知りませんが、ともかく、一戸建てではなかったでしょうし、それこそ、こういうレンガ製のマンションだったかもしれないのです。
で、その死は、一冊の本に仕上げてしまうほどの、ミステリーでありました。彼(仮名エドゥアルド)は、別れる際は、健康そのものに見えたからです。それが、たった数ヶ月で亡くなってしまいました。
それゆえに、こういう・・・・・豊かな白人からは、軽蔑をされている住宅地(または、マンション群)の事は、私には大きな、課題として、考え込む題材の一つとなったのです。
たまたま、オバマ大統領も、まだ、まだ、差別は残っていると仰っていますしね。この差別の問題は、表に出てくる事が、奴隷制度のなかった他の国では少ないのでしょうが、しかし、無いわけではなくて、あらゆる国に見られる現象です。
人間が普遍的に持っている、悪い性向の一つで、あらゆる国の、会社などの下部組織にも、見られるのです。人間が住んでいるところであるなら、あらゆる集団内に、見られる現象なのでしょう。
エドゥアルドの事は、メールではとても書ききれませんが、もしかしたら、将来は、連続ものとしてここで、さらすかもしれません。そのときはよろしく。
2009年7月20日 雨宮 舜
追伸、最後の最後、蛇足も蛇足ですが、今日の睡蓮は、主人が撮った写真です。普通の日はブログ・パーツは、ほとんどが私が撮った写真を使うのですが、このときは大船植物園の池の中の睡蓮を撮りたいと思い、それに挑戦していました。アップの方が良い写真が撮れるのですが、池に身を乗り出すのを、私は、ちょっとためらったのです。既に若くは無くて、体の敏捷性が失われています。体のバランスがとりにくくなっているのも確かだし、買いたてのi-phone を、手に持っています。もし水の中にそれを落としたら大変だと思っていて、良い写真が撮れず、この一枚だけは主人の写真を採用させてもらっています。著作権は主人に属します。