銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

稼げる学部(医学部など)か、好きな学部か?

2010-04-08 00:49:33 | Weblog
 6日の朝日新聞(夕刊だったかな?)に聞き書きで阿刀田さんの進学希望履歴が載っていました。簡単に紹介しますと、医学部、薬学部、化学科、などの変遷を経て、仏文学科への進学となったとあります。

 その際に、・・・・・・父上に『実学でなければだめだ』と言われていたが、父上が、55歳で亡くなってしまっていたので、反対されることもなく、仏文学科に進学することが出来た・・・・・と仰っています。

 自分のケースとよく似ている上に、個展の会場(画廊)で、夜リラックスした、会話があって、その際に、上の記事と同じことを話したばかりだったので、印象が強く残りました。
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 私が、1942年生まれ、阿刀田さんが幾つだろう。ともかく、第二次大戦(特に敗戦)に出会った親世代は、理科系のうまみを信じているのです。戦争になっても、エンジニアーは兵隊にとられることが少なかったのです。我が家でも父は一応戦争に徴兵されましたが、前線で、働くことはなく、短期で返された模様です。「お馬さんの世話をしただけだった」と言っていました。

 でも、文学部等を出た人は、早め(若い時期)に徴兵をされて、(まあ、尉官にはなれるが)、戦場で、人を殺す指揮を取ったり、自分が殺されたりしたのです。それを目の当たりにしているから、
「絶対に、理工系に進学しなければだめだ」ときつく、父から私も言われていました。

 たまたま、中学(横浜国立大学の付属)の入試で一番だったので、高望みもされてしまって、「医学部へ行ってほしい」といわれていました。だけど、その入試が難しいからいやだったのではなくて、医者という職業にまったく魅力を感じなくて、
 抵抗して、結局は、今では、アーチストです。

 ただし、大学進学時には、「実学(それで、生活が出来ると思われている学部・・・・・工学部系統、医学部系統、薬学部系統、そして、法科とか、経済学部とか、商学部・・・・・で無いと進学してはだめだ」と言われていました。

 実学の反語として、虚学という言葉は無いです。どんなに、文脈が重なっても、さすがに『虚学』という言葉は人聞きが悪いですからね。

 ただ、一般的に、芸術方面や、文学部等は、大学を出ただけでは稼げない分野だと考えられていて、そこを出ても、別の職業(たとえば、学校の先生をする)ということを前提にして、進学をするみたいです。

 でも、社会の状況如何で、これもまた、変わってきます。経済的に好況で、親世代がいくらでもお金を稼げる時代は、子供が、そういう学部へ進学するのが容易だったでしょう。でも、最近は違うと思う。
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 さて、どうして、医者が、自分はいやで、親が好んでいたかですが、今でも、この仕事が職業として、ブランド力を保っていて、社会的な尊敬が大きく、かつ、給料(または収入)が高いということが最大の理由です。

 で、親が心理的に未熟(?)だと、そういう科目に進学してほしいと思いがちなんです。現在でも東京の私学(中高一環教育の、有名校)に学んでいる中の素直な生徒は、『自分は医学部へ行こう』と目指しているでしょう。週刊朝日の今週号に大きな活字で、「医学部へ、進学した数の多い高校名が特集としてでている」との見出しがありました。
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 ここで、挿入ですが、この種の記事は、サンデー毎日オリジナルだったのに、(だから、そのシーズンはサンデー毎日の読みでがなくなる)いつの間にか、週刊朝日もそういう種類の記事を載せるようになったのです。AERAとか、プレジデントは、その前の受験の段階の、親向けの記事を載せています。

 ずいぶん、素直な設定だと思いますが、(40年前だったら、ありえない記事です。もっと高潔な望みを抱くべきだ・・・・・やせたソクラテスになっても、太った豚にはなるな・・・・・と、東大総長が、卒業式に訓示を述べた時代なので・・・・・と、みんなが信じていたから)

 これも、階級が、しっかり確定してきて、下流になるおそれをみんなが抱いているからでしょう。
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 元に戻って、医学部進学云々の話に入りましょう。私は、高校時代には考えが甘かったと思います。社会のことをよく知らなかったのです。でも、よく知っていたとしても、医者にはなりたくありませんでした。

 これから先に言うことは、お医者様に実際になっている人には、大いに怒られることでしょうが、
『繊細な人間だと、患者が死亡することに、何らかの責任を、感じて、まず耐えられない』と、感じます。私は責任感が強いし、繊細なほうかもしれません。だから、一ヶ月に一人でも患者がなくなったら悩むと思います。

 その次に、私が『絶対に、それは、いやだ』と思ったのが、『忙しすぎる』という点です。体が丈夫なら耐えられる。それに現実主義だと、そういう世界に向いている。だが、私は結構体が弱い上に、夢想家です。考えるということが一番好きで、何かにとらわれたくないのです。

 だけど、親に抵抗するのは大変でした。でも、抵抗したから、ここまで無事に生きてこられたのです。それに、人間って、好きなことをやるのが一番です。『好きなことばかりは出来ない』とよく言われますが、できるだけ、好きなことの周辺にしがみついていると、元気になります。

 そして、工夫も生まれます。ブログとかメルマガを読んでくださっている方が、「あっち、こっちよく出歩いていますね」といってくださったりしますが・・・・・それは、好きなことをやっていると、工夫をするから、次に何をすべかの目標が自然にわかってくるのです。

 でも、こどもが高校生くらいの、時のおやって、だいたい、40代なので、あっさり言うと、未熟なんです。65歳を過ぎると、人生がわかってきて、達観をしますが、それより前って、未熟なんです。だから、高望みをしやすいのです。
 そんないきさつで、また、次世代が未熟になったりします。では、今日はこれで、
                          2010年、4月7日    雨宮 舜
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