銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

有馬稲子さんの恋愛を、教育心理学的に解いて行こう

2010-04-15 11:29:50 | Weblog
 最初にお断りをいたします。以下のお話は、興味本位に、見えるかも知れません。しかし、主たる目的は、教育心理学的な考察にあります。ハイレベルの誠実さとは、どうすれば、獲得できるのか、または、失われるのかの、問題に挑戦するために、有馬稲子さんの過去の恋愛履歴を採用させていただいているのです。人間の誠実さは親の愛によって、育まれるのですが、それが、ない人も居るのです。その不思議さを解いていきたい。よろしくお願いをします。
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 私は、先週は忙しかったために、急に昨日から新聞を読み始め、有馬稲子さんの日経新聞連載中の『私の履歴書』の痛々しい部分に気がつき、あわてて、過去分も見直しました。

 それは、不実な恋人に裏切られる話です。今まで一切を知りませんでした。本当は今の私には、読むのがきついぐらいのお話です。実は50代までは、人間の深奥を探るためによく、犯罪記録書(主に外国ものの翻訳書、飛鳥新社などから出ている厚手の本)を読みましたが、今現在は、軽いものを読みたい感じです。苦しい話は、気の毒で読めない感じですね。

 でも、それを読んで、あわてて、いろいろインターネット等を探ると、川本三郎さんという方との彼女のインタビュー記事が、採録されています。会話体を簡略な一種の文語へ直してありますが、それを読むと、有馬稲子さんは、発表するエッセイの類は、すべてご自分でお書きになるようで、『これを書くのは相当エネルギーが要ることだったろうなあ? まあ、年齢から考えるとえらいです』と、まず感じました。
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 有馬稲子さんはご自分で『自分は喧嘩っぱやいから、損をした』とお書きになっていますが、家庭の事情から、おばさんに育てられたというのも、ひとつには関係しているかもしれません。おばさんが悪い人だったとか、愛情不足だったというわけではありません。そうではないのですが、昔ながらの普通の家庭で育つことが、子供というか、人間にとって相当に大切なことであるのを感じます。私だっていろいろあります。

 が、有馬稲子さんは、不実な恋人に裏切られっぱなしで、しかも相手方が、業界の、地位としては上の人です。これは、相当に苦しい状況だったと思います。有馬稲子さんが『理論家肌であり、文句の多い人だ』との風評もありますが、相手方の関係者から流された可能性もあるのです。もちろん、ご本人にもその素質はあったわけですが、それでも、『これは、相手が、悪人だったなあ』と感じます。

 で、損をしていることがわかっていながら、逃げられない関係(ずるい男性を相手の不倫の関係)をずるずる継続をしたのは、何故かということです。なかなか、断れなかったというか、切れることが出来なかったとういか、清算が出来なかったのは、何故かという点です。恋愛は不条理なものですが(知ったかぶりをしてごめんなさい)それでも、状況を考えると有馬稲子さんがあまりにも不利で、その不利が、なぜ起きたかに興味があります。

 私の推測ですが、戦前、戦時中に有馬稲子さんの実の両親が左派の活動家だったことも大きいでしょう。戦後自由になったとはいえ、ながらく、その件で、ご自分がプレッシャーを感じてきたことは、彼女に、他人には容易には見えない、ある種の控えめさと、自信のなさを植えつけてきたと思われます。だから、都合のよい女として、扱われています。

 非常にきれいな方で、スターなのに、本日書かれている部分を読む限り、精神的には、こき使われる奴隷です。気の毒です。利用をされていた感じがしました。つまり、男性にとっては、17歳も年下の若い女性との恋愛は、仕事を活性化させる趣があるわけで、それを目指した恋愛だったと思われます。とくに芸術方面は、そういう性向を持っている人のほうが成功するわけで、あながち、悪いこととも思われません。

 しかし、有馬稲子さんが、ご自分の意思で最終的には関係を切った後では、この不倫関係は、タブーとなっていた・・・・・(特に相手の男性を中心とする、同じ業界の、ある派閥の中では)・・・・・と、インターネットの世界でありましたので、それが、さらに、いやな感じを与えます。不都合な真実を、葬り去ることに、大勢の人が協力をしているのが、見えるからです。そこには、力関係しか存在せず、誠意とか、愛情は見えません。

 しかし、縁は異なもの。ここで、まっすぐで誠実な男性が白馬の騎士として現れて、彼女は別の路線に入り込みます。それから、先はまだ読んでいませんが・・・・・
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 ここで、非常に大切なことは、『天は、すべてをみそなわす』ということです。若い女性だからと、甘く見ていらっしゃった、相手の男性は、『まずい』と今、墓の中で思っていらっしゃるでしょうが、90歳以上という長生きをなさったみたいでも、先に亡くなっています。そうなると、書く方(この場合は、有馬稲子さん)が、行動において、自由になります。死んだ人は、抗議が出来ませんから。普通なら、外野から見ていると、『それはいやなこと』になるのかもしれません。いわゆる大人の恋愛(不倫をさす)のルール違反だと思われるかな?

 だけど、人間はすべて平等なのです。不条理に扱われ、失礼を通り越す、不利と不安を与えられたら、それは、書く事ぐらいでしか、あがなえません。償えないのです。ご本人から誠意ある謝罪があれば、よいのですが、なかったわけですからね。

 こういう現象は、・・・・・風評被害で、言論弾圧を、され続けている・・・・・・私には、非常に共感を得やすい構図です。有馬稲子さんに深く同情をします。有馬稲子さんは、稲子さんなりにたたかってきて、今日があります。彼女は修練をして、ちゃんと文章を書けるようになっていて、それを、道具として使っています。その文章を復讐的勝利というのはあたりません。ここまでのことを不倫相手の男性にやられたら、若い女性としては、耐え難く、悲しいことです。

 特に、新しい男性との門出を邪魔して、悩ませきっておきながら、次の日に、プリンスホテルのプールで、奥さんと子供と泳ぎながら、別の業界内セレブ(女性)に、『昨日、は、やりすぎちゃったかもしれない』と照れながらいったというのは、男性側の、本当に、いけない、かつ汚い心情を表しています。

 その事実は、男性には、<<<有馬稲子さんには知られるはずがないだろう>>>と、思う油断があって、出た言葉だったでしょうが、不思議と神様はいるもので、秘密を命じられていた有馬稲子さんがたまたま、相手の自殺を心配して、電話を掛けまくったために、彼女にも、伝わったのでした。これが、不思議中の不思議で、天(というか、神)が存在していることの証となっています。

 もちろん、誰にだって欠点はあります。有馬稲子さんには、順当なご家庭に育ったおっとりしたところがなかったので、家庭婦人としては向かないと、相手方が考えた可能性はあります。でも、巷間うわさされているより、有馬稲子さんはずっと、純情で控えめな人です。『秘密を守れ』と命令されていることに、従順でした。それが、相手を、付け上がらせています。外野から見ればそうなります。

 でね。有馬稲子さんは相手の名前を明かしておられませんが、推定できるので、インターネットで、調べてみると、相手方のWIKIPEDIAの中に、不思議な、項目がありました。

 つまり、相手の男性も、『母ときょうだいとともに、親戚の家をあっちこっち、流浪をした』とあります。家庭の中に、ある劣等感が隠されているひとだったのです。
 相手の男性は、私にいわせれば、不誠実な人の模様なので政治的な発言をしないし、ご自分の履歴を詳しくは明らかにしたりもしない模様です。映画の監督ですが、製作手法も明らかにしないらしい。フランス人監督が、ファンになってインタビューをしているのに、はっきりした答えがないので、いらいらしたとあります。

 だから、上の記述は、ほんの一行の短さです。詳しいことはわかりません。父君は戦死されたのかもしれません。ほかの理由かもしれません。生存していても、一緒に暮らし、経済的な保護を与えられなかったのかもしれません。

 だけど、ここに謎解きの答えがあります。普通の家庭、で、育つことの妙味は、普通のレベルの誠実さを養うことにあります。しかし、親戚に寄留するような肩身の狭い思いをしていると、気兼ねが多いので、単純な意味での、誠実さが育ちあがりません。有利不利の損得で、判断しがちになります。

 誠実ということの意味を、自分に得になる相手にだけ、ハイレベルで発していて、自分が、損をするかもしれない相手というか、自分より目下の者に対しては、誠実さのレベルを下げて、『これくらいでいいだろう。大丈夫さ』と甘える発想。つまり、相手の尊厳を踏みにじっても、なんら痛痒を感じない、という発想。

 このケースでは、妻にだけは誠実で、不倫相手であった、有馬稲子さんには不誠実となります。でも、有馬稲子さんは、ある程度以上にその相手の才能を、評価しているので、結局は、泣き寝入りしたもようです。そして、何十年もたってから、一種の遺書として、これを書いていらっしゃるのでしょう。舞台は、日経新聞の私の履歴書です。立派な舞台が用意されました。それも、天の配剤というものです。

 最後になって、教育心理学というよりは、宗教論みたいになってしまいましたね。だけど、教育心理学的に分析しただけでは、有馬稲子さんの苦しみが癒されないからです。
                 では、2010年4月15日      雨宮舜
コメント (2)
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