銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

京都烏丸の読み方(司馬遼太郎ー7)

2010-04-29 22:56:31 | Weblog
 延々と、司馬遼太郎の一冊の文庫本にこだわって申し訳ございません。だけど、それが、19年前の観察でありながら、ほとんど、色あせておらず、しかも、そのあとで、新聞がフォローしたようなこと・・・・・コロンビア大学に、おける日本文庫(角田先生という方のコレクションが元になっている)のことなど、この文章が初出であることもたくさんあります。

 でも、前にも言ったように、逐一、それを、解説していたのでは、このブログの読者にもうしわけないので、本日で終わりますが、私が、全頁中、もっとも、ほほえましいと感じたエピソードはバーバラ・ルーシュ教授に関するエピソードです。

 その方は、ドナルド・キーン教授の後を引き継ぐ、日本語科の教授のようですが、その研究中(修行中)のエピソードがすばらしいのです。彼女の専攻は日本中世の物語のようですが、その原本を、プロの間では、奈良絵本というそうです。この言葉は私は知りませんでした。

 そのコレクション先として、ダブリンに、チェスター・ビーティという図書館があるそうです。その私立・図書館の存在については、名前も知らない、英国の商人(日本の骨董を扱う人)と京都市内の喫茶店で、会話を交わす機会に情報を得たそうです。これは、私もよく通りがかりで出会った、一期一会の人と会話を交わすようになっていて、そういう人と、すばらしい心の交流があるので、わかるのですが、特に京都の喫茶店で、外人が二人だけだったら、どうしても、会話を交わさざるを得ず、そういう機会に、一生を通じて大切になる、情報を与えられるというのも、天というか、神の存在を証明しているように思われます。

 もちろんのこと、司馬さんはそういう宗教が絡んだ形でのまとめ方はなさっておられませんよ。だけど、私は、そういうものだと思っているのです。

 とても、大切なものが偉い人、から、与えられるものでもないと。そうです。コロンビア大学の教授に関するエピソードに触れながら、上のようにいうのは一種の矛盾ですが、大学院へ行ったから、最高のものを得られるわけでもない。ただし、そのたびで、司馬遼太郎さんが接したアメリカ人たちは、現在のアメリカに存在する、もっとも良質な人たちだったのも確かです。
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 その女性教授とのエピソードに入るきっかけとなっているのが、京都烏丸どおりの読み方にあったのです。

 司馬遼太郎さんは、関西の人ですから、もちろんのこと、京都には詳しくて、この読み方が、カラスマと読み、最後の「ル」を発音をしないことはご存知です。

 しかし、コロンビア大学で、講演をするときに、ふとですが、カラスマルと、「ル」を入れた方がよいような気がして、ルを入れた発音で、その地名を講演されました。

 すると、終わったあとで、ルーシュ教授が、それを、すぐ指摘されたそうです。これは、日本通としては、看過できなかったポイントであり、しかも、きつい指摘というよりは、お互いに、知識の豊富な間柄としての、親しみを込めての指摘でした。

 いえ、私も、今の日本の地名変更がばかげていると思っているし、京都には昔からの、地名が残っていて、北へ向かうのを、あがるといい、南へむかうのを、さがるというのもすばらしいことだとんがえているのです。

 そういえば、ニューヨークでも、北をアップタウンといい、南をダウンタウンといいますね。この感覚が共通します。
 ところで、司馬さんが、ふと、そのときに、カラスマルと読んでしまったのは、外人の日本通に、音便がわかるかなあ?という戸惑いが浮かんだのだと感じます。

 普通のレベルの日本通だったら、漢字が読めることだけでも、すばらしい達成ですよね。そういうレベルの人に、『最後のるを発音をしないのだ』ということを求めても、それは、求めすぎだとお考えになったのでしょう。ここらあたりの、心ばえの見事さを、私は素敵だと思うのです。

 そして、そういうルーシュ教授とのやり取りでも見つけられた微妙なこころのやり取りを、数ヵ月後の、文章化の際まで、忘れないでいられるほど、奥様がすばらしい秘書役をしておられるということも感心しました。いつも、一緒に行動をとられている(特に、ニューヨークまで行くというような日には)模様ですが、ご主人の感性が発揮されるのに、邪魔にならない奥様なのです。

 長い年月を付き合ってこられたからだといえば、それまでですが、夫婦って外国へ一緒に行くと、旅そのものに疲れるので、結構夫婦喧嘩をしやすいのです。ともかく、足手まといになる夫婦関係が多い中で、その姿さえ、文章には一切登場しない奥様は、立派です。

 ところで、日本語には、音便という美しい柔らかな表現があったのに、それが、どんどん、失われている模様で、それが、残念です。

 江戸時代まで、文明の中心地は、京都で、京都から、言葉は、同心円を描いて、日本中に広まりました。音便が最も発達したのは、京都だったと思います。

 ひとつだけ、今でも私がこだわっている、発音の言葉があります。

 確執です。カクシュウと、読むのが私の習慣でしたが、このごろ、カクシツと読むのが普通のようです。残念です。では、今日はこれで。2010年4月29日   雨宮舜
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ハロウィンデーの解釈、それぞれ、(司馬遼太郎-5)

2010-04-29 00:55:58 | Weblog
 司馬遼太郎氏のニューヨーク散歩(街道を行くー39、朝日文庫)は、構成力とかアイデアには、驚嘆するほど、注意が行き届いている文章です。ただ、服部剛丈君が銃で撃たれたのは、ハロウィンデーではなかったし、ご両親の集めた署名も今では、80万人ではなくて、70万人といわれています。前者は、多分2週前の普通の日だったということが正しくて、後者は、データが改竄される可能性があるので、司馬遼太郎氏のおっしゃる80万人という方が正しいでしょう。

 この二点は書物の傷としては、たいしたことではありません。

 私は司馬遼太郎氏の『これこそ、現地における、観察ゆえの記述だ』と感じたのは、ハロウィンに対して、そのお祭りの起源、および現状にまで、触れられていることです。特にハロウィンの日がとても危険な日であることを、教えてくださっているのには驚きました。これは、司馬遼太郎さんが、ご自分に自信がある方だからいえたことかもしれないし、そういう点にぴんと来られた感性もさすがです、
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 さて、ここから先は、その著作から離れて、私自身の経験へと入ります。というのも文庫本一冊分を逐一ご紹介するのも、文章としては、芸がなさすぎますので。

 まず、私は1999年のお昼にクイーンズ(アメリカでは、中流の下と思われる、新参の移民が入っている地帯、ただし、ヨーロッパからの入居者が多くて、まだ、荒れておらず、すみやすい地域である。五嶋節さんも最初は、ここを頼って、お住まいになったはず)で

 お昼に出かけたところ、(新聞も読まず、テレビも見ないし、大学院の同僚は忙しくてハロウィンなんかに関心がまったくないので)突然、街に子供たちがあふれかえっているのに気がつきました。

 午後一時半ごろですから、安全です。大通りにはかわいい子供たちがいっぱいいます。このお祭りがキリスト教とどう関係があるかまで、司馬氏は、ヨーロッパでの起源への推察もこめて、深い分析をなさっておられますが、私が感じたのは、『あ、家にヴィデオカメラを置いて来てしまった。残念だ。来年はこの子達をフィルムに収めよう』でした。

 そして、アパートから、駅までの歩き、15分間にいろいろな子供たちを観察したのです。その中に6歳ぐらいの妹にはお姫様の格好をさせて、8才ぐらいのお姉ちゃんには魔女の格好をさせているお母さんがいました。その魔女の方ですが、なんと、こわいこわいメーキャップまでしてあるのですよ。それがなければ、きっとかわいい小さな子が、まるで、魔女に見えます。

 ふと、『このお母さんって、偏愛の人なのではないかしら?』と感じました。長女より次女をひたすらかわいがる。路傍の人のほんの小さなサインにも、ある種の象徴を見る私です。地べたを這うような観察から、心理学的な問題やら、哲学的な問題へ、移行をします。特にそこは、男性ではなくて、女性だから気がつくことでもあります。といっても、ここではさらっと次の現象へ向かいます。
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 で、次の年、2000年に早めに用意しておこうと思ったのに、やはり、テレビも見ないし、新聞も読まないので、また、気がつかず、なんと、工房で午後の作業中に、「今日がハロウィンだ」と同僚の若い子から知らされます。『また、ヴィデオカメラを、アパートにおいてきてしまった。残念だなあ。だけど、何か、このマンハッタンで、見つけられないかしら。面白いことを』と思います。
 工房のあるところは、アパートのあるクイーンズ(郊外)ではなくて、都心も都心、ウエスト9番地です。真ん中が、東西一番地なので。

 「なにか、面白いものを見たいなあ。ここマンハッタンで」というと、ジョン(仮名)という若手の男の子が、「3rd Ave.で夜七時からパレードがあるはずだよ」と教えてくれます。で、『あ、よかった』と大喜びします。こういうことこそ、必ず工房に所属をして毎日出かけているから手に入る情報だと思って。

 が、スザンナ(仮名)という奥様アーチスト(70歳ぐらいで、余裕のある生活をしている上品な人。週に二.三回、版画を作りにくる。マンハッタン島のアッパーサイドで、コンドミニアムにでも住んでいる人。アメリカのもっともよい雰囲気を伝えている人)から、
「だめよ。あんなところに行っちゃあ。危険だから」と注意されてびっくり仰天。

 そのときには、この『街道を行く、文庫、39番』など、まだ、読んでいないのでハロウィンが危険な日だなどということは一切知らず、びっくりしましたが、スザンナという女性を尊敬していたので、彼女の言うことを信じました。

 日本で商業的に、導入されているハロウィンのお祭りがニューヨークでは、その日、やりたい放題の、悪さをする日と変化してしまっていることを、彼女から生涯で初めて知らされます。で、「そうなの?」とびっくりして、七時に3rd Aveに行くことはせず、いつものとおり、夜の十時半ごろまで、版画を作ってから、工房を出ました。すると、マディソンスクエアー(公園)そばの、23stの駅を降りてきたらしい、仮装(コスプレとは言えない)の背の高い若い男女が楽しそうに、話し合っています。ここらあたりで、お酒を飲む場所に入っていくつもりでしょう。この23stと、24stあたりは、アーチスト向けのクラブというか、バーがある感じです。

 西に行くと、ミートマーケット(現在はウエスト・チェルシーの画廊街になっている)だから、どうも、それ関係の若い人が、来易い場所なのです。が、中心街のここでは、画廊はなくて、立派なオフィスビルと、小さなふるいビルに入っている、クラブ(ただし、男女同伴で行く場所で、女性が待っているわけではない)がある辺りでした。それらの男女はスリムで背が高いです。いかにもニューヨーク住まいの白人の若者という感じで、しかもそれほど、悪くはなさそうです。そうすると、スザンナが言うほど、今では、怖くはないのかな?
 
 とは、思うものの、郊外のクイーンズで見た、こども中心の穏やかなお祭りでもなさそうです。そして、それが、2000年のことで、今、その10年後に、1992年に滞在し、1993年に文章化した司馬遼太郎さんの、ハロウィンに対する分析を読んでいるわけです。

 比較すると、司馬さんの滞在した1992年当時よりも、2000年の方が、落ちついて来ている感じがします。若者たちの荒れようというのが、落ち着いて来ているのです。まだ、リーマンショックやサブプライムローンの影が存在するときでもなく、かつ、9.11も経験していないニューヨークです。

 どうして、司馬さんの滞在時より落ち着いているかですが、ふとですが、ジュリアーニ市長の功績ではないかと思いました。彼は、ちょうど、司馬さんが訪れたそのあたりから、私が滞在していたころまで市長だったはずです。そしてニューヨークの美化に努めました。地下鉄のいたずら描きを消したことだけでも、犯罪が減ったといわれています。

 これは、ものすごく大切なことでしょう。最初から汚れているところは、汚しやすいです。でも、きれいなところは汚しにくいです。Nラインが、クイーンズからマンハッタン島へ入る直前のトンネルあたりは、レンガやコンクリートの壁に、まだ、いたずら描きが残ってましいたが、車両そのものはきれいでした。プラスチックでできている椅子も駅の壁も。

 政治家が立派であることは大切です。ジュリアーニ市長は、自己顕示欲が強いし、妻を、取り替えた(がんで入院中に看護をしてくれたナースに、ぞっこんになってしまった)ことやらで、大統領の目は消えたみたいですが、政治家としては、大型の人間だと感じました。

 日本でも同じようですが、『真実をいって、あの人に首長をしてほしい』と思う人が、トップをうかがうことができるわけでもありません。国民にできることといえば、「あの人は困るなあ」という発言ができるぐらいです。国民ひとり、ひとりの力は小さいですね。だけど、無視されたら、もしかしたら、それは、大きな力となります。きっとそうですよ。「あ、は、は」と、ここは豪快に笑っておきましょう。それが庶民の力というものです。

 なお、下(前報)は、乱れがあり、「よくわからなかった」とお思いの方が多かったでしょう。ごめんなさい。今、すべて直しました。意味が通るようになっていると思います。よかったら、下もご覧ください。カレンダーでは28日のしたとなります。

 なお、もうひとつのお断りです。この文章の事実上のアップから、24時間後もう一度下を点検したら、直っていませんでした。不思議ですが? 今、29日の午後、1時、もう一度直しておきます。
                    では、2010年4月28日深夜 雨宮 舜
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