銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

増山麗奈の3、林真理子と比較して

2010-04-13 14:54:22 | Weblog
 増山麗奈さんについて書いた2006年当時の私の文章は、もっと、先へ続くのです。このブログを読んでくださっている方が、もし、昔からの知り合いを含んでいる場合には、私の三冊目の本『電車の中で』の60頁から63頁にかけて書いてありますので、それを読んでください。

 それは、ずいぶん前の話で、現況の私が、今、それを、再録してさらすのは、ちょっと、気恥ずかしいので、ごく簡略にまとめますと、増山麗奈さんのほとばしるエネルギーが、私を大きく動かして歌が自然に出てきてしまったということに、なります。

 さて、これから先ですが、歌の問題へ入って行くことも出来るが、有名になるかならないかの問題へ入っていくことも出来ます。どちらにするか、その選択は、私が決めることですが、昨晩、予定稿をつくって居た段階では、前の方へ流れるつもりであったのに、本日は、後ろの方へ流れる気分となっています。
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 ユーロスペース(渋谷にある一種の文芸映画館、だが、相当にモダンな建築であり、運営方法も主張がある映画館だ)のホーム頁を開くと、レートショー(21:00-22:55)で上映とあります。

 その広報の中に彼女の映画内のスナップが載っていますが、きれいな人です。でも、東京の映画館中一館だけの公開であり、しかもレートショーというのでは、まだ、ブレイクとして万全ではないともいえます。

 これは、芸術家にとってブレイクする・・・・・イコール有名人になる・・・・・ということが避けられない命題だから、ここで、それを言うのですが、増山さんとしては、山にたとえれば6合目あたりに存在しているということでしょう。

 でね、すでに頂上まで達しているだろう、林真理子さんと比較して、どちらが、素敵だろうかなあと考えるわけです。勝手にですが、有名であることにこだわり、絶対的な勝者であることにこだわっている林真理子さんと、非常に動きが大きく、エネルギーの発露が過剰であるが、それに対して報われるポイントがまだ、少ない増山麗奈さんと、どちらが、素敵であろうかなあと、考えるわけです。

 というのも、最近の林真理子さんは、『美人は得をする』という路線でご自分を売り出していらっしゃる模様なのです。しかし、私が2006年に初めて増山麗奈さんに出会い、感想を抱いたときは
『なんと、この人はかわいそうなのだろう。こんなに美人で、しかもこんなに努力しているのに、それが正当に報われているとは思えないなあ』というものが主で、文章のタイトルも、『美人は損をする』となっています。だから、比較例として上げさせていただきます。
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 私にとっては忘れられない光景というのがあるのですが、それは、多分、2001年か2002年のことで、南側からマガジンハウス社前に向かったら、大垂れ幕が、ビルの側壁に下がっていたのです。コピーは「2001年すべてを手に入れた林真理子」というものでした。ご本人も宣伝の世界にいらしたそうですし、「こういう宣伝をしますよ」ということはマガジンハウス社から内諾を乞われていると思いますから、彼女自身がこれを、承認していると推定されます。

 そのときに、『まずいなあ。これは。彼女はヨブ記を読んだことがないのであろうか?』と思いました。つまり、人間として天をあざ笑うほどの、強気の広告だからです。

 私は彼女の本は小説を、一冊しか読んでいなくて、『ごめんなさいだけど、これってぜんぜんつまらない。新刊本として正規の値段を出して買って損をした』と思いました。『世の中にはいろいろな人が居るのに、そういう世の中全体を、なめた姿勢だなあ。この広告コピーは。悪いことが彼女の身の上に起きなければよいけれど』と、思いました。

 私生活を知らないので、悪いことが起きたかどうかを知りませんが、どうも、最近のお顔には生気がない。感情も見えないのです。2005年ごろまでは、週刊文春の二頁のエッセイ『今夜も思い出し笑い』を読んでいましたが、イラストレーターが変わったあたりから、余裕がないという感じで、笑うこともありません。自虐的なユーモアが売りポイントだったと思うのに、それも、なくなってしまった。

 今、勝間和代さんが、一種の対立論を生んでいますが、それは、公明正大で、明るい感じがします。だけど、林真理子さんが、なにかの対立を生む際は、明るくないです。公明正大な戦いではないという印象を受けます。

 でも、これを、書く前に、一応ですが、インターネットサイドも開いたし、過去にもあれこれ、新聞記事やら、週刊誌の記事を記憶をしているので、それを思い出して検証しているのですが、『復讐的勝利感を達成したひとだ』と、あっちこっちに出ています。

 それは、いいんです。創作者とは、どこか、他者に対する違和感を持っているから、創作という苦しい作業に向かえるのですから、過去に、失敗やら、いじめやら、劣等感を抱かされる機会があったというのは、別にかまわないのです。

 実は著書を読むと、増山麗奈さんの過剰な動きも、少女期にいろいろあったということが書かれていて、『なるほど、それが、原動力なのですね』とうなずけます。

 ただし、本を売らんがために、ご自分の成功を賭けて、それを過剰に誇っては、だめです。それは、自明の理として、大勢の人が知っていることでしょう。でも、林真理子さんは、ご自分の判断では、その線引きが出来ないで、いらっしゃるのかなあ?
 わかりませんが、増山麗奈さんが、健やかな成長をなさるのを、期待しています。

 ただ、今の過剰な活動ぶりはお子さんの将来にどういう影響を与えるかなあ? 母親がゆっくりしている機会というか、時間も必要です。そういうときに子供は、自分が抱えている、いろいろ困難なことを打ち明けてきます。それがあるかどうか、そこがちょっと心配ですね。老婆心ながら申し上げます。どうか、そこには、気をつけてくださいませ。

 とここまで書いた途端に、すれ違いで、増山さんからのコメントが届いたことを、お知らせいただきました。下の文章についていると思います。どうか、読者の皆様も、それを、ご覧くださいませ。彼女は非常に賢い人です。そして、上品な人です。育ちもよいです。
       2010年4月13日                 雨宮舜
コメント
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