銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

増山麗奈の2・・・・・超がつく美人なのだが、実力はある。確かに・

2010-04-12 15:17:51 | Weblog
 さて、前報は、古い文章なのですが、アクセスランキングとか、解析をみると、丁寧に読んでくださった方が多い模様で、それは、ありがたいことでした。その際に、『美人は損をする』というタイトルをつけていますね。

 一見すると、華やかでしたが、(だって、上半身は、ピンクのガーゼで出来たブラだけのバニーガールスタイルですから)お顔をしっかり見つめると、大変、上品なかつ和風の美人だったのです。
 しかし、個展というものは大体誰にとっても、同じなのですが、期待した数のお客様がいらっしゃるものでもありません。

 それゆえに、これほどの、エネルギーをかけて、彼女は報われているのだろうか? という疑問が起こり、それが、主導のエネルギーとなって、あの文章がかけました。タイトルも美人は損をするとなっていますね。今日は続きを出します。

 が、そこには、AERAの見出しどおり、『おや、彼女はちゃんとした力量のある画家なんだわ』と気がついたいきさつを書いています。で、よかったら、続編としてお読みいただきたく。

続・『美人は損をする』

 
 しかし、その本にはおまけとして、似顔絵が付いてくるそうです。それを薦める彼女の口調がただ事ではないのです。迫力があります。私はお金がないのでひやひやします。具象画を描く事は結構な重労働であり、それは、対価を払わなければなりません。すでに、本を出している画家ですから、ある種のアドバンテージが付いているはずで、結構なお値段のはずでした。だから注文をしたくないわけです。しかし、彼女は「二百円で描きます」と言うのです。それで、私は『それならきっと簡単な絵だろうし、払う金額も安いから、ここで断るのは無礼と言う事になるでしょう。結局断る事はできないわね』と覚悟を決めて、いすに座りポーズをとりました。

 さあ、それからなのです。彼女をだんだんと見直し始めたのは。思いがけないほど、彼女は時間をかけます。しかもいすに座っている私と、同じ高さから描くために、彼女はしゃがんで描き始めました。大変無理な姿勢です。すぐその事は察しましたが、まだ、その時点では簡単に終わるだろうと思っていて、立つことを提案しなかった私が、途中で後悔し始めるほど、彼女は時間をかけます。
  
 私はつらくなります。実は、彼女は出産後一ヶ月ちょっとしか経っていないそうです。大変、無理な姿勢で、しかもとても寒かったその日に裸に近い格好なのですよ。

 しかも自らを真性の芸術家として生きている彼女は、昨夜は、ローリングストーンを聴きに行ったそうです。『いったい、大丈夫なの。あなた?』と、お母さんじみた心配を内心で抱きました。昔は産後一ヶ月は、本も読まないようにすすめられたものです。それが、個展と言う大変な任務をこなし、かつ、自分の裸をさらしているわけで。

 『ううん、ううん』、と更に心の中で後悔をする私は、彼女をねぎらいたく、「その絵は、後で見るわね。ほら、今見ちゃうと、ここで批評をしなくてはいけないでしょう」と言ってみます。しかし、彼女の自然な腕の動きのせいで、ぱらっとその絵が見えました。大変な力作でした。しゃがみながら、しかもおしゃべりをしながら、私の現状を見事にとらえていました。疲労困憊している私、そして、父親似のつもりだったのに、ぐんぐん母に似てきた私、それを見事にとらえてありました・・・・・あまりびっくりしたので、ほめ言葉も出ないほどでした。そして、彼女が疲れるのもいとわず、やはり、一種の批評を始める私でした。

 「あのね、この目の下のラインが、私のラインではなく、あなた(増山麗奈)の目のラインね。作家って、人間を描くとどうしても自分に似たところが出てくるんですって。・・・・・と、言いながら、しっかりと彼女を見つめなおすと、非常に典雅な古風な日本美人でした。目が涼やかで、上品なのでした。

 すでに最初の男性とは別れたと宣言し、ピンクのビキニを身にまといながら目の前に立っているわけですが、そんな奇矯な姿なのに、ずいぶんと清潔な生活をしている事が、こちらに、びんびんと伝わってきました。この清潔と言う意味は、真実の愛に殉じているかどうかと言うポイントで言っています。私にはそれだけ判っただけでも十分でした。彼女をこれ以上は疲れさせたくなく、そのまま急いで帰途につきます。

 ただその前に、ちょっと、展示方法などにいちゃもんをつけて。やはり、見巧者向けの展示と言うのもあるからです。彼女には四才の子供がいて、その子育てには近所の子供も巻き込んで一生懸命。しかも新しい恋愛をして、次の子を妊娠して出産する。また、その傍ら反戦運動をする。そして、個展をしながらローリング・ストーンを聴きに行く。

 これでは、他の個展を参考にするために、銀座の画廊めぐりをするなどと言う事はできないでしょう。だから、彼女の思い通りの作品展示であり、それはやや雑駁でかつ欲張りでありました。結果として美しく見えず、彼女が誇りたいであろう傑作も、他の不成功な作品の中に埋もれてしまって、効果が薄いのです。

 しかし、彼女を疲労させたくないと言う一点で、あんまり帰りを急いだので、署名を忘れたらしいのです。それをオーナーが惜しんでくださったのか、呼び戻されました。私はそんな些細な現象にも、何かの意味を感じる人間です。そこですこし落ち着いて、先ほどから類似点を感じていた、草間彌生が初めてブレイクした個展のことを、語り始めました。

 「あなたは、千のボートショー(ニューヨークでの個展のこと、真ん中にひとつの作品を置き、それを写真に撮って、天井・壁・床に繰り返したので、数として千と、タイトルをつけたもの)の時の草間みたいね」と。

 彼女はそれをすぐには頭に思い浮かべられなかったようなので「ほら、ペニス状のぬいぐるみが一杯つけられた、ボートのそばで、彼女が全裸ですっくと立っている写真よ。見たことない。でも、彼女はあれでブレイクしたのよ。その前に散々苦労をしたのだけれど」と話します。

 そう話しながら、私はそのひと、増山麗奈のことをすでに、いとしくも痛々しくも思い始めているのでした。『なんと、身を挺した個展だろう。なんと、わが身を捨てているのだろう。その結果としては、大きなものを狙っているのだが、途中はなんと、激しくも一途だろう』と。

 その激しさはやはり、純潔なものの発露だと思います。ぐだぐだした、退廃の中には生まれない激しさです。私は彼女を励ますと言うか慰めると言うか、何かをしたくなって、とうとうお歌を歌うことにしました。成功の見込みは寸毫もありませんでした。疲れすぎていました。だけど、この画廊の階段ホールは大きく長くて残響があるらしいのです。ためしうたいの交響曲「田園」のひとふしが、結構、聴き応えがあるようだったので、例のトリノ・オリンピック金メダリストの荒川静香で有名になったトゥランドットからのアリア「誰も寝てはならぬ」をふたふしぐらい歌いました。

 そのとき、私は増山麗奈と自分との間に、確かな気の交流を感じました。芸術家同士の間の、無償のギフトの交換を感じました。彼女の似顔絵に対する返礼としての、お歌でした。

 この項目は原文としては、さらに続きます。が、本日はここまでで、終わりましょう。
         2006年3月26日に書き、ブログで送るのは、2010年、四月 12日           雨宮舜
コメント (6)
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