前回で、雑誌CREAの企画をほめています。人間関係の悩みの中にママトモづきあいからおきる、悩みも入れていたことです。会社でのこと、恋愛のこともありましたけれどね。
それは、子供をきちんと育てようとするときには避けられない人間関係なのです。でも、そこには、お金が絡んでいないし、社会的な上下関係も規範も絡んでいないので、今までは軽視されてきたのです。学問的に研究されているものでもないし、したがって、教科書に載っているわけでもないし、テレビで識者が、薀蓄を傾けるものでもありません。
そして、社会が経済的に発展をしているときは、そういう、お金に換算できない物事は軽視されました。
その結果、現在社会で、子供を育てることが、難しいという認識が親側になくて、それで、普通に学校にいかせていれば、なんとかなるさと、いう感じで、大切な中学時代→
・・・・・これは、物理的には、楽な時代です。別に子供のほうがべたべた親に引っ付いてくるわけでもないし、食事だって、なんとか、用意しておけば自分で食べてくれるし、果ては、お金さえ置いておけば、何かを買って済ませてくれるでしょう。・・・・・
→ に、放っておかれるようになりました。放っておかれても、子供はたいていの場合は反抗をしません。特に親側に愛情がないと見ると、かえって反抗をしないのです。親に捨てられるという恐怖が小さいときからあるので、その延長で、子供は反抗しないのです。親が厳しいから反抗するのではなくて、優しいから、反抗するのです。捨てられないと安心しているから、反抗します。が、家の中で、反抗しない子ほど、結果として怖いものはありません。普通の形で、育たない部分は、社会的に外へ向かえば少年犯罪となるし、うちに向かえば、自殺やら、引きこもりへなります。
それが、他者への加害となります。で、その典型として、女子高生コンクリート詰め殺人事件というのが起こりました。
40日間も何も因果関係のない、女子高生をさらってきて痛め続けたのです。特に性的に痛めつけたのでした。今日、復習のためにインターネットを開いたら、あるサイトで、「日本犯罪史上、最悪の事件」と規定されていましたが、私もその意見に賛成します。
こういうサディスティックなことをするのは、必ず、自らの性的な興奮を喚起するためですから、この少年グループには主犯の愛人格の少女も含まれていたのでした。なんとおぞましいことでしょう。被害者は、目の前にいる別の少女の欲望喚起の、道具として、サディスティックな被害を与え続けられたのです。
でも、社会の人が、この事件を聞いて、一番震撼したのは、主犯の両親が、いわば中流家庭の上の階級の人だったからです。別に社長であるとか、重役であるとか言うわけではありませんが、証券会社(当時の証券会社は人気職種でした)づとめの父親と、ピアノ教師をする母親の元に育ったと聞いたからです。今回のブログのタイトルが、上流夫人となっています。それはちょっとした誇張が含まれています。
が、ピアノ教師になるためには、音大を出る必要があり、この少年の年齢から考えて、そのお母さんは、1940~45年あたりまでに生まれた人ですから、音大へ進学できるのは、実家が裕福であったと思われます。芸術系の大学は学費も高いし、そこへ入学するまでの準備にも多大な、お稽古料がかかります。途中で発表会等もあって、それも贅沢な世界です。
並みの家庭では、当時はまだ無理だったのです。そんな恵まれた家に育ったお母さんの子が、こんなことをしでかすなどと、誰も想像もしていなかったことだったからです。
しかも主犯、または、従犯の少年たちの親の誰かが、警察の調べに対してでしょうか「うちの子に限って(そんなことをするはずがありません」といったそうで、それは、流行語になりました。でも、単に面白がって、人々が流行語にしたわけではなくて、社会中が、震え上がったから、流行語になったのだと思います。自分の子供を、親の方がきちんと把握していないことに、みんながびっくりして、『もしかしたら、わが子も影で悪いことをしているのではないか』と思って震え上がったのでした。
私は心理学や哲学のことに興味があるので、このお母さんと主犯の少年の間に実際にあったことを、数限りなく想像をいたします。そして、それを、例の見てきたようなうそをいいで再構築をしてみたいのですが、今日は長くなりますのでやめましょう。
ともかくも、CREAという派手な雑誌が、育児の悩み(親同士の付き合いもその中にふくまれています)を正面きって取り上げるのは、非常によいことだと思います。本当に、大切なことに、みんなできちんと向き合うのは、拍手したい姿勢です。あのリンチ事件がおきたのは、1988~9年にかけてで、その裏には、女性の社会進出と、女性の間に、格差をつける風潮が、隠されていたと感じます。つまり、かっこいい、仕事についている女性は優れていてえらくて、平凡な主婦はみっともないのだという価値観。それについても述べたいのですが、それも後で。
2010年6月15日 雨宮舜
それは、子供をきちんと育てようとするときには避けられない人間関係なのです。でも、そこには、お金が絡んでいないし、社会的な上下関係も規範も絡んでいないので、今までは軽視されてきたのです。学問的に研究されているものでもないし、したがって、教科書に載っているわけでもないし、テレビで識者が、薀蓄を傾けるものでもありません。
そして、社会が経済的に発展をしているときは、そういう、お金に換算できない物事は軽視されました。
その結果、現在社会で、子供を育てることが、難しいという認識が親側になくて、それで、普通に学校にいかせていれば、なんとかなるさと、いう感じで、大切な中学時代→
・・・・・これは、物理的には、楽な時代です。別に子供のほうがべたべた親に引っ付いてくるわけでもないし、食事だって、なんとか、用意しておけば自分で食べてくれるし、果ては、お金さえ置いておけば、何かを買って済ませてくれるでしょう。・・・・・
→ に、放っておかれるようになりました。放っておかれても、子供はたいていの場合は反抗をしません。特に親側に愛情がないと見ると、かえって反抗をしないのです。親に捨てられるという恐怖が小さいときからあるので、その延長で、子供は反抗しないのです。親が厳しいから反抗するのではなくて、優しいから、反抗するのです。捨てられないと安心しているから、反抗します。が、家の中で、反抗しない子ほど、結果として怖いものはありません。普通の形で、育たない部分は、社会的に外へ向かえば少年犯罪となるし、うちに向かえば、自殺やら、引きこもりへなります。
それが、他者への加害となります。で、その典型として、女子高生コンクリート詰め殺人事件というのが起こりました。
40日間も何も因果関係のない、女子高生をさらってきて痛め続けたのです。特に性的に痛めつけたのでした。今日、復習のためにインターネットを開いたら、あるサイトで、「日本犯罪史上、最悪の事件」と規定されていましたが、私もその意見に賛成します。
こういうサディスティックなことをするのは、必ず、自らの性的な興奮を喚起するためですから、この少年グループには主犯の愛人格の少女も含まれていたのでした。なんとおぞましいことでしょう。被害者は、目の前にいる別の少女の欲望喚起の、道具として、サディスティックな被害を与え続けられたのです。
でも、社会の人が、この事件を聞いて、一番震撼したのは、主犯の両親が、いわば中流家庭の上の階級の人だったからです。別に社長であるとか、重役であるとか言うわけではありませんが、証券会社(当時の証券会社は人気職種でした)づとめの父親と、ピアノ教師をする母親の元に育ったと聞いたからです。今回のブログのタイトルが、上流夫人となっています。それはちょっとした誇張が含まれています。
が、ピアノ教師になるためには、音大を出る必要があり、この少年の年齢から考えて、そのお母さんは、1940~45年あたりまでに生まれた人ですから、音大へ進学できるのは、実家が裕福であったと思われます。芸術系の大学は学費も高いし、そこへ入学するまでの準備にも多大な、お稽古料がかかります。途中で発表会等もあって、それも贅沢な世界です。
並みの家庭では、当時はまだ無理だったのです。そんな恵まれた家に育ったお母さんの子が、こんなことをしでかすなどと、誰も想像もしていなかったことだったからです。
しかも主犯、または、従犯の少年たちの親の誰かが、警察の調べに対してでしょうか「うちの子に限って(そんなことをするはずがありません」といったそうで、それは、流行語になりました。でも、単に面白がって、人々が流行語にしたわけではなくて、社会中が、震え上がったから、流行語になったのだと思います。自分の子供を、親の方がきちんと把握していないことに、みんながびっくりして、『もしかしたら、わが子も影で悪いことをしているのではないか』と思って震え上がったのでした。
私は心理学や哲学のことに興味があるので、このお母さんと主犯の少年の間に実際にあったことを、数限りなく想像をいたします。そして、それを、例の見てきたようなうそをいいで再構築をしてみたいのですが、今日は長くなりますのでやめましょう。
ともかくも、CREAという派手な雑誌が、育児の悩み(親同士の付き合いもその中にふくまれています)を正面きって取り上げるのは、非常によいことだと思います。本当に、大切なことに、みんなできちんと向き合うのは、拍手したい姿勢です。あのリンチ事件がおきたのは、1988~9年にかけてで、その裏には、女性の社会進出と、女性の間に、格差をつける風潮が、隠されていたと感じます。つまり、かっこいい、仕事についている女性は優れていてえらくて、平凡な主婦はみっともないのだという価値観。それについても述べたいのですが、それも後で。
2010年6月15日 雨宮舜