銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

カインとアベルの物語、・・・・・菅夫人の2、ぜひ疲労を避けてください

2010-06-23 14:28:45 | Weblog
 下に、いつもより早めに、更新した記事があります。菅夫人の一で、あろうことか、三鷹で起きた、大事件、一種の『カインとアベル』物語を思い出したとも、最後の方に、書いています。

 菅夫人と私は、ほとんど、同世代です。この世代は、高卒のお母さんと、大卒のお母さんが交じり合って生きている時代で、地域によって、そのパーセンテージは違うが、いろいろな価値観のぶつかり合いの中で、競争意識も持ちながら、生きてきた時代です。

 で、特徴的なことがあって、一般的にいえば、高卒のお母さんの方が、子育てが上手です。大卒のお母さんは子育てが下手です。自分の子供に何らかの問題を抱えているケースが多いです。子育て期間中、問題が出ていなくても、就職後とか、結婚後、問題が出てきたりします。

 優れた女性は、動物的感覚から離れすぎてしまうので、自分の子供だけが大切だという感じがないのです。それが、どうも、災いをしているのかもしれません。自分の子供だけが大切だというのは、時に、暴力的な子供を生みます。教室社会でいじめを、する子供には、『親が、悪い人だなあ。客観的じゃあないなあ、地域社会で親もボスをやっているわ』と思うケースもよくあります。でね。心理学などをマスターした親は、そうは行動できないので、冷静で公平であったりします。
 理想的な母親みたいです。ところが、実際は、子供が安心できないのかもしれないのです。母の懐で安心して育つという気分を味わえないのかもしれないのです。だから、後で問題が出てくるのかもしれません。

 子供を受胎するとか、出産するとか、子育てをするとか言うことは、きわめて動物的なレベルのことなのです。本能に基づいて行うべきですが、その本能が、受験やら、勉強やらで失われがちなのが、四年制大学、特に有名な大学を出た女性なのです。受験勉強という鍛錬を、自分に課さないといけないから、それで、本能やら、動物的部分が壊れるのでしょう。一見すると、理想的な母だったりしますが、母と対等に渡り合えない年齢の子供たちにとっては、困った存在なのかもしれないのです。

 AERAの広告で見ただけで、本文は読んでいないのですが、菅夫人が、お子さんの不登校で、目覚めて、ご自分が変わったとおっしゃるのは、立派なことです。そこで、人間として自分が着ていたよろいというか、殻を破られたのでしょう。それが相当なプラスになっているはずです。
 その経験がなかったら、例の長男による、次男殺しの家みたいなことにさえ、なりかねないのです。その一家のほうの特徴はお母さんの、正しい自覚がなかったことにあります。

 ここで、菅夫人から離れて、そちらの事件の方に入ると、その事件後の報道がまるでないので、お母さんや、お父さんが、その後、どう変わったのかがわかりません。

 別の地域でのことですが、東大教授のお孫さんが、自分をかまいすぎる祖母を殺して、すぐ自殺をしてしまった事件がありました。そのときはお母さんが手記を発表されたりしたのです。手記を読んでも、救いようがないけれど、それでも、手記でも書かなければいられないというお母さんの気持ちは、本当の母のそれでしょう。それ以前は、実母、(つまり自殺した少年の祖母)に、子育てのほとんどを、依存していたから、事件がおきたわけですが、事件が起きた後で、なくなった少年との間の母性を獲得するための手記でした。
お母さんがなぜ、育児を放棄していたかというと、脚本家になるためだったと思います。インテリ女性の最終ポイントは、自分の職業で輝くことであり、自立をして、お金も稼げることという価値基準が世の中を覆っていた時期です。ある意味で、そのお母さんは、それらの時代における流行意識の犠牲になったともいえます。

三鷹の事件の方のお母さんは、その後、どういう風に生きていらっしゃったのか、興味はあります。本当は階級が高くて、事件そのものが報道をされず、伏せられておくべき家庭だったと推定されますが、最初の段階で、どっと事件の報道が出たのは、お兄ちゃんが外部からの犯行を示唆したからです。つまり、逃げたかったのです。弟を殺しても、発覚しないとでも思ったのかしら。

そのポイントで、お兄ちゃんの方の精神的な成長が、遅かったというか、ほとんど、中身がなかったと言うことがわかります。学校の偏差値(いわゆる成績)がよいことだけを追跡してもだめなんですよね。今、学校社会で、よい先生がいると、情緒の発達も大切だと認識をされて、読書などを奨励しているみたいですが、そのごくごく基本は、家庭で育てられます。

この事件では、お母さん(またはお父さんも)は、次男のほうがかわいいと思っていたのに、次男はこの世から消え去り、嫌いだった長男だけが残ったのです。その後、どうするのだろう。ここでは、母が反省して、長男を愛する方向で、育てなおす以外、救いはないように思えますが、まったくといってよいほど、追認報道が出ないので、何もわかりません。もしかしたら、このお母さんは、以下のように考えているのかもしれません。

いつも、いつも、いらいらとさせられていた長男が目の前から消えたのを、本能的に楽になったと思い、『かわいい次男がこの世から消え去ったのは残念だけど、いつまでもそれを引きずっていても仕方がないわ。私は事件というものを、実例として体験したのだから、弁護士としては優秀な仕事人となれるでしょう。これから、がんばります。これほどの、恥を味わい、苦痛も味わったのだから、天もバランスを取って、私が立派な弁護士となっていくことを、許してくださるでしょう』と。これでは、大転換点がおきたとはいえません。そして、少年院か、刑務所へ入った少年を見舞うのは、実母か、姑かに任せきったかもしれないのです。

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 その同じ地域で、「不登校が起きたから、自分は変わった」とおっしゃる菅夫人は、クールです。時代の風潮は同じとき、同じ、場所です。菅夫人のほうは一種の専業主婦でくらしてこられたのです。弁護士をしているお母さんのほうが、一見すると成功をしているみたいですが、事実上の成功者は菅夫人の方でしょう。

 別にお互いが知り合いだったとは思わないけれど、結構、知り合いだったりするものです。地域社会で目立つ人は、目立つし、類は類を呼ぶので、インテリ同士として、事件の起きる前は知り合いだった可能性はあります。特に菅氏が選挙活動をするわけですから、菅家には、地域の情報が集約している可能性もあるし。

 小沢さんに向かって「少し、静かにしておいてください」といったご主人にならって言えば、「奥様、少し、静かになさって、疲労回復に努めたほうがよいですよ。家庭の中心たる主婦は、疲労過剰では、だめです」と、おせっかいながら忠告をしたいです。
というのも、この六月の初めに、菅夫人に関する大量の記事が週刊誌の世界で、出現したからです。これは、日本の首相としては、非常に珍しいです。はじめてだと思う。

それだけ、菅夫人には実力があるということでしょうが、首相在任中だけでも、背後に回って、ディフェンダーに徹しられたらよいと感じます。日本の首相は大邸宅に住んでいるわけでもないです。公邸に入れば、少しは、世間からは遠ざかるかもしれないけれど、世間の風から、100%遠ざかるなど、無理でしょう。だからこそ、この場は、引っ込んで、休息を十分に、とられたほうがよいと感じます。

決して嫉妬して言っているわけではなくて、この現象からすぐ、三鷹の大事件を思い出したからです。あちらも、お母さんが、もう少し、育児の諸般の深い部分に気がついていて、休息をとっていたら、防げたかもしれないと思う事件だからなのです。母とか、主婦というものは、一見すると怠けていると見えるぐらい、余裕を持っていないとほかの家族を支えきれないからです。           2010年6月23日  雨宮舜
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心理学をマスターしている、菅夫人

2010-06-23 01:39:02 | Weblog
戦後に始まったことだと思います。首相の奥様が、週刊誌とか、テレビに登場なさるのは。

池田隼人首相の奥様、佐藤栄作首相の奥様、安部晋三首相夫人、鳩山由紀夫首相夫人、
そして、菅直人首相夫人、

夫の印象が強いのに、表に出てこなかったのは、
田中角栄首相の奥様・・・・・秘書が第二夫人のごとき立場だったと知られていますが、そちらも、出ようとして出てきたわけではないと感じます。マスコミに追われて、無理に引っ張り出されたのです。この件はマスコミの餌食になっていらっしゃると感じました。

同じく、小泉首相の元奥様、・・・・・きれいな方ですが、出てきたことは、夫の足を引っ張る方向でしたね。これも、マスコミに利用をされていらっしゃると思います。

夫が首相になりたいが、そこまでいかれなかった方としての、三木夫人や安部晋太郎夫人も目立ちました。特に後者は岸信介首相のおじょうさんだから。

私はそれらの奥様に対して、本当のことを言えば、いままで、あれこれ、感じてきたのは確かです。だけど、それを文章に書く前に、ほかの事を、皆様へは書き送りたい気持ちがあり、ご主人のほうはともかくとして、奥様については、思っていることに、深く、触れたことはありません。

そういえば、鳩山夫人の占い好きについて軽く触れたことがありましたね。
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 で、これからしばらく(?、いや、長いかも?)は菅夫人の時代となったわけです。
たま、たま、本日はほとばしるように、書きたいことが他にはないので、菅首相夫人について述べましょう。ただ、私はそれほど、菅夫人については知らないのです。

だけど、結論としていえば、「あ、はじめて、知識人といえる、女性が、首相夫人になった」と言う感じを得ました。

どこで、それを感じるかというと、心理学の素養があって、それを、マスターした上での発言がある模様だからです。

以前の首相夫人が、馬鹿だったとか、言う話ではないのですよ。
そうではなくて、知識人としての、四年制大学を出た女性が、日本のセレブの地位につくことが珍しいなあと、思うのと、それがなぜ可能だったかとかを考えることに、今日の目的が意味があるのです。

夫を助けて、夫を一流にすることと、ご自分が、自分を生かすことは、どんな女性にとっても、難しいことです。両立はとても難しいです。

日本の有名人の一人として、ナベツネこと、渡辺恒雄氏が、上げられると思いますが、氏は恐妻家を名乗っておられます。だから、奥様の形骸に接したいけれど、奥様はきっと、お利口さんなのでしょう。一切外に出て来られない模様です。

東大、慶応、早稲田などの有名大学をでて、奥様をなさっている女性で、夫が、有名人だと言う人は多いでしょうが、同時に自分をも、マスメディア・レベルで輝かせている人は少ないでしょう。

菅夫人が、どうして、ここまで、ご自分を生かしながら、かつ首相夫人にまで、上り詰められたかというと、ご夫婦がいとこ同士の結婚であるということと、

夫である、直人氏が、この結婚に積極的だったと聞いていることも、関与していると思います。つまり、最初から妻の地位が高かったのです。
いわゆる友達結婚の一種で、最初から、対等で、生活を送られたと想像することができます。仕えるとか、支えるという意識を、表層に出さないですんだのでしょう。

でね。とてものびのびとしていらっしゃるのです。
発言もぱっ、ぱっとできるし、女性としては、弁が立つというほうでしょう。

私なんか、文章を書かせると、非常にのびのびしているみたいですが、実際の人間関係の中では、長らく、おとなしかったですよ。つい最近です。人間を相手にしての、現場でも、はっきりとものをいえるようになったのは。

だから、私を含めて、この国の半分を占める、女性たちは、菅夫人を見るとき、
「あ、素敵だな」という思いを持ってみるのではないかしら?

特に、自他、を含めて、人間観察が鋭いみたいだし、冷静で、公平な感じがします。
大学は津田塾だそうですが、そこで、学ばれた教養が身についている感じがします。

ただ、首相をやるのも難しいし、首相夫人も非常に難しい立場です。これからは、夫をサポートなさって、しばらく、静かになさったほうがよいような気がします。日本の首相って、本当に難しい立場ですから。

以上は何も、直接的な知識がないまま、ただ、週刊誌の見出し(新聞広告やら電車の中吊りだけ)で判断をしたことです。

最後になりました。温和で、さしたる特徴もないことを、上に書いたのは、菅夫妻が、三鷹住まいだということに、ある種の感慨があったからです。

三鷹には、昔大事件が起こりました。ありえないと、当時は思われていた事件です。

しかもその事件がおきた家の、お父さんと、お母さん、両方が社会的な地位が高いと推定され、事件は、追認報道が少ない(つまり、週刊誌等が後追いをしない)ものでした。

が、私は、大学時、三鷹に住んでいたから、いわゆる土地勘があって、それゆえにその事件に大きく注目をしました。

簡単に言えば、兄弟・間・殺しです。記憶が薄れていますが、お兄ちゃんが、弟を殺したのです。これも、見てきたようなうそをいいですが、裏に偏愛の問題と、お母さんの忙しさからくる、子供への接触の少なさ等の問題があったと思います。お母さんは弁護士だったのです。

お母さんは自己実現ができました。社会的にも収入が高くて、気持ちが高揚する立場だったと思います。でも、疲労はたまる生活で、つい、家族にあたってしまうということはあったと思います。または、家のことは二の次になるというか。

どこのご家庭でも、事件が起きる前までは、これは普通のことであり、自分たちはなんら、間違ったことをしていないと思っているはずです。

だけど、忙しいお母さんは、おとなしい方の子とか、自分に歯向かってこない方の子とかを、無視しがちだったり、反対に超・簡単にしかったりしてしまいがちです。それが突然に、爆発することがあるのです。加害者はその直前までは、被害者だったのです。

平野の中にあり、新興住宅地の一種であり、サラリーマンが多く住んでいそうな町であると感じていた、あの三鷹で、そんな切ない事件が起きたことに、私は震撼し、

普通のレベルで、生活を遂行し、人生を終えることがどんなに、難しいかにも気がついたのです。そんな人生において、ともかく、強運というか、なんというか、首相夫人の地位にまで到達をされた菅首相夫人に祝福の言葉を送りたいです。遠くから、そして単なる国民の一人からですが。がんばってください。夫を、支えるという方向で。
                         2010年6月23日    雨宮 舜
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