銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

婦人公論(セックス優先)か、婦人之友(家事優先)か

2010-09-24 11:08:46 | Weblog
 前々報、パンドラの箱、および、それの改稿である、大原氏で始まる人名の羅列の章の続きは、もちろん、書かないといけません。

 が、昨日上げた中で出てきた、略奪婚という言葉が気にかかります。あの二行だけでは、みなさまは、怪訝な思いがするだけで、どうして、このライターは、こんな下品な言葉をここで使うのだろうとご批判も抱かれるでしょう。
 で、ここで、急遽、前章を昼間だけの公開にして、こちらの文章を、アップします。まだ、『大原光孝、平山郁夫、柄沢斉、・・・・・』というタイトルの方をお読みに頂いていない向きは、どうか、下へスクロールするか、または、左のカレンダーの23日のところをクリックして、そちらもお読みくださいませ。そうして頂けますと幸いです。

 で、今日はどうして、その言葉を確信を持って使うかを説明をさせてくださいませ。これも、鎌倉春秋社社長の伊藤玄二郎が、すでに、26年前に確定的に、瀬島龍三から、選ばれてエージェントとして動いていたことを証明する目的で描くものです。
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 私は、前報では、藤本夫人の悪口を言ったみたいですが、この山の住民の中で、また、彼女の人生すべてを見渡しても、私ほど、愛情を持って、彼女を眺め、受け止めてあげた人材はいないと自負しています。

 私は彼女を、丁寧に注意深く、扱い、その自尊心を満足させてあげることに努めました。それが、一番安全で、かつ、この山が平和になることだったからです。

 イーリアスというホメロスの叙事詩は、「アガメムノン王の怒りを鎮めよ」で始まるわけですが、ともかくにして、誰かが怒っていて、それが、正当なものであれば、ただただ、優しくしてあげて、その怒りを、時とともに、忘れるように導くほかは無いのです。

 でね。私が道路掃除をしている時とか、彼女が庭で彫刻の作業をしているときとかは、生垣越しによく会話を交わしたものです。まさきの下側が、当時すでにすけ透けであり、顔を見ながら、落ち着いて、話し合うことができました。

 で、彼女が吐いた、言葉群のうち、もっとも、印象に残っているのは、「ここは、小市民社会だから」と言うものです。

 この山には、駐車場が無いので、その分安くて、1980年当時3000万円から、5000万円であって、今でも、その程度でしょう。だから、サラリーマンでも買って入ってくることができます。上流階級ぶっている人もいるが、実際は、ささやかで質素な暮らしをしている人が多いのです。
 で、いうなれば、『婦人之友』という雑誌に象徴される世界が展開している谷なのです。そこには、白州正子のエッセイや、幸田文の小説と、家事全般の情報が出ていますが、セックスに関する記事はありません。

 その小市民社会の価値観の中で、きわめて異質だったのが、安野夫人と、石川和子女史です。で、二人は内心で他のメンバーに対して、劣等感を持っていたでしょう。それを覆えすための行動が、例の大声の威信・誇示的な、井戸端会議でした。
 
 この山で、一番上になれるのは、客観的な条件から見れば、石川和子女史です。彼女は誇張もあるだろうが、私に「200人の生徒を抱えている」といいました。三、四箇所の公民館で教えていて、かつ自宅で週に二回、別々の生徒を教えているから、噂話を外へ撒くとしたら、相当広い範囲に、悪口が伝わる可能性がありますので、それを、みんな分かって恐れていて、道を明け渡すところがありました。そして、彼女自身、猫のことでごたごたする以前は、『噂なんか撒いたら、結局は自分の損だ』という、たしなみももっていたでしょう。

 でも、100%の善人でもありません。そのふてぶてしい態度と、芸術ごころとは、程遠い下品さに、怒りを感じたのが、最初の会長の故・古沢氏です。古沢氏は全国的な規模で展開する俳句結社を持っている紳士ですから、自信もある人で、石川和子の態度が、頭に来て、彼女をこの地域から排除しようとまでしたのです。

 「陶芸釜が、木に接しすぎているので、火事になる恐れがある」といって、一回彼女を責めたらしいのです。で、その後で、反対に復讐をされたらしくて、しばらくの間、古沢夫人は、そこに生徒として、通っていました。ご苦労様です。石川和子を慰撫し、「その下に、立ちましたよ」というサインを示すためです。

 こういう実例を見るので、伊藤玄二郎に、やくざっぽいところがあることも分かります。
 
 彼は、『星座』という短歌の雑誌を出版しています。これなども、古沢氏に倣ってはじめたことかもしれません。これが一種の結社形式で、季刊(一年四冊)なのに、誌代が三万円以上です。それは、古沢氏の俳句誌より、ずっとずっと高いでしょう。ともかく、彼は金儲けの達人で、次から次へとアイデアを創出します。

 今は『鎌倉検定』に取り組み中。鎌倉検定は、この不景気で、私費出版の顧客が少なくなった彼にとって、今の、最大の金づるでしょう。で、元に戻れば、
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 そんな強力な支援を受けている彼女でさえ、安野夫人には、頭が上がらず、支配をされていました。でも、喧嘩には、ならないように、二人の間を上手に、調整したキーは、こどもの数だったのです。安野家には、三人の子供がいます。いまどき、子供が三人いるのは、優越ポイントになります。で、安野・石川、両女は力関係的にバランスが取れてきて、和気藹々と、仲良し振りを誇示することと成りました。この二人が結びついているから、あの井戸端会議軍団が、強い力をもったわけです。それは辺りを睥睨し、音による土地の持分以上の環境支配をし、みんなが迷惑をこうむっているのに、それを誰も注意できません。

 二人の通底には、『私たちは、小市民派ではない』という自覚があり、それが、秘密結社めいた結びつきを生んでいたと思われます。どこが小市民的ではないのかというと、その年代にしては、セックス優先の気配が、濃厚なことでした。普通ですと、すでに子育て優先で、油が抜けてくる年齢です。が、二人はまるで違いました。
 ここで、いうなれば二人だけは、婦人公論(恋愛やら、セックスの記事を売り物にしている)を象徴する世界の人だったのです。
 石川和子女史は、鎌倉春秋社社長伊藤玄二郎との、下半身の結びつきから生まれる支援を誇っていた雰囲気があります。まず、看板だけでも揮毫を、里美とんに頼んだものと思われる、おなじ筆跡で、春秋とありますし。
 しかも結婚ですが、野菜の配達人をくわえ込んだ結婚です。古い世代からいえば、野合と成ります。それをまた、隠さないところが大物です。もちろんのこと、面倒見のよい、伊藤玄二郎か、瀬島龍三の世話で、サラリーマンへと夫・柳沢某は変化できました。でも、一週間ごとに夜勤がある形態です。ただし、ここに、このように書けば、さらによいところへ、転職がある予想もつきます。

 ここが六本木なら、かまいません。リエママとして生きるのなら、それもかまいません。が、ここは、小市民社会で、中流の上の階層が、静かに暮らす環境ですから、彼女のその結婚も、古沢氏など古い世代の癇に障ったことでしょう。
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 ここで、上の数節が、古いブランド気質に満ちていると、嫌な思いをなさる方もおありでしょうが、私はすさまじいいじめを多方向にわたって受けていますので、どうしても、こういう言い方に成ります。柳沢某の、ゴルフ場の会員権が、誤配達を偽装して、我が家のポストに入っていたこともあり、常に、「お前は、ゴルフ会員権などもっていないだろう。貧乏人ではないか」と言われ続けていますから、どうしても表現が悪口めいてしまいます。

 だってね。後で、銀行のカードにさまざまな細工もされます。三菱東京UFJ銀行のカードを使おうとしたら、画面に「このカードは三等位です。格が低い」という表示がでて、それ以上、先へ進めないので、銀行の人を呼び出したら、入れこめられたバグが、どうしても解けなかったらしくて、すでに夜で、カウンター業務をやりたくないであろう時間帯なのに、「新しいカードへ作り直しました」といわれました。

 また、普段使いをする湘南信金のカードにも、ひどいバグがしかけられていたこともあります。それは、一回につき、必ず4000円ほど、おろすことに決めていた時期に、青山でおきました。カードが利かなくなったのです。これも、もちろんいたずらだとは分かりましたが、帰りの電車賃もないかと、一瞬、パニックに陥りました。敵にとってはそれが、狙いです。ともかく『辱めを与えて、心労を導き出し、それによって自滅して、書くことができないようにしていく』というのが、これらの、繰り返される攻撃に、共通に見られるパターンなのです。

 きちんと、計画的にお金を使うつもりですが、画廊で本を買うと、すぐお金がなくなります。画廊においてある本は、一週間単位で引っ込んでしまうので、よい本がおいてあったらすぐ買うのですが、画家の本はエッセイでもお高いのです。

 しかし、すぐ、考え直して、7000円と変更しました。するとカードが有効と成りました。で、これは以降、役立つバグ開放システムのひとつとして、この考え方が身につきました。びっくりするような悪さも、パソコンへのしかけなら、ちょっと、パスを変えると解けるのです。

 湘南信金は小さい銀行ですが、三菱東京UFJ銀行は、大きいし、鎌倉支店は、日本一、預金高が多いそうです。で、こういういじめは警察がやっているか、CIAがやっているだろうと推定することと成ります。苦労は果てしが無いですが、その苦労の結果、日本社会の真実が見えてきます。

 特に振り込めさぎ予防の大キャンペーンは、かえって、警察のスパコン支配の実態を明らかにしています。裏(スパコンまで)を支配しているからこそ、表向きも、銀行に警察が過剰に出入りしたいのです。それでは、日本人の自由はまったくなくなりますが、国民総体として、どのくらいの預金残高があり、それをどう奪っていくかの判断のために、その支配が必要なのです。リーマンショックとか、何とかというのは、国民の預金残高がある程度たまった時点で、仕掛けてくることでしょう。で、ここで、『警察も、国際的軍産共同体の手下であろう』と言う推測が成り立ちます。安野夫人や石川和子の存在と行動のおかげで、そこまで見えてきます。
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 ところで、私がなぜ、安野夫人は略奪婚であろうと推察したかですが、彼女が主婦としてはしゃぎすぎだからです。私は八月にここへ引っ越して来ましたが、10月の末には、すでに『彼女は、主婦としても、母としても、この山がデビュー舞台なのであろう。それ以前には、安野氏とは、同居をしていなかったのだろう』と判断しました。回りに迷惑をかけきっている、井戸端会議の主催は、それ以前に、別の地域での、主婦体験が無いことを示唆しています。『ご主人が前の奥様との離婚調停に手間取って、彼女はアパートかマンションの一人暮らしをしながら待っていたのだろう。としたら、このはしゃぎすぎもありえる。し、中学生や高校生を持っているのに、こんなに外へ出ていられるのも、ありえる。母としてのこの時期の義務を知らないのは、それ以前の母の経験がないからだ』とも判断しました。また、この山で一番に成りたがるのは、女として、前夫人に勝ったことの快感が忘れられず、引き続き、それを味わいたいという欲求の表れだと、推察もしました。

 だから、彼女という、たった一人の他人の、生活形態の特殊さが原因で、対等であるべき、私の方が、山を盗まれたり、私道の花畑を盗まれる(それは、崖がゆがんできたので、本当に大変なことなのです。それが、当時から、予測がついていましたので)ことには、猛反対をしました。が、影に瀬島龍三がいて、それゆえに、こう言うすさまじい理不尽さが、実行をされてしまったことが、やがて分かってきます。

 それは、「国立大学、新設ラッシュの件」を考えているうちに、答えが出てきたものでした。以前一回、『それが、石川和子の、面子を回復するために、国費が乱費されている例だ。内実は、お茶大付属高校などの、伝統ある国立大学付属高校のエリート性を薄めるためだ』と、もうしあげました。

 あんまり理不尽にしつこく、彼女が「猫を再び貸せ」と命令するから、私が怒って、「あなたみたいなひとは、私の友人の中にはいなかったわ。特にお茶大付属時代には」と言ったから、面子をつぶされたと、伊藤玄二郎に愚痴ったのでしょう。

 でもね、これは、彼女の方が異常にわがままだから出たせりふなのです。それは、やがて、あの夫婦が、警察官さえ、私的に使役することで証明をされます。

 そして、それを明瞭に、こと上げし始めた私を恐れて、『トカゲの尻尾きりとして、彼女をプロが抹殺をした』か、または、やっとですが、『伊藤玄二郎に叱られて、初めて、自分の未熟さ等に気がつき、恥ずかしさのあまり、ストレスが過剰になって、癌死したか』の、どちらかでしょう。

 『ああ、やはり、天はすべてをお見通しであり、悪すぎる人間の方を成敗してくださる』と思い、ある意味でほっとしたのは、事実です。これはちょう度、その一年後に、大銀杏が倒れて、再びのみしるしとして、神の私へのご支援を感じ取ることができましたし。

 が、それで、終わらないのが、人間世界です。いじめと被害がさらに拡大する状況なので、分析を続けることと成ります。国際的軍産共同体の真実の姿をです。
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 それは、なんと、すでに26年前から顕現をしていたのでした。1986年の三月のある午後、安野家の玄関先で、「国立大学付属高校への入学おめでとうございます」という声とともに、菓子折りを差し出す石川和子を、見せ付けられたときにです。

 その日に、強烈な違和感を抱きました。で、考察を続けることとなったのです。

 国立大学の付属とは、寮を持っていなくて原則として、自宅通学のはずです。菓子折りを持参して祝福するほどの名誉ある国立大学の付属とは、鎌倉からですと、現在の筑波大学の付属しか考えられません。学芸大学だと遠すぎる。
 ただ、筑波大学の付属は高校時には、少数しか取らないはずなので、神奈川県で、トップレベルの成績でないと入れないはずなのです。
 そこに安野さんのお子さんが合格したのなら、鎌倉中で評判になるはずで、御成中学から情報がすでに私へ入っているはずなのに、一切入っていません。

 一方安野君の成績を考えると、国立大学の付属はありえないと成ります。彼は、学校中のペットみたいな存在で、冠言葉として、おいちにおいちにのあひるさんと呼ばれていました。どうして、ペット化してしまったかというと、これもお母さんのせいです。非常に頓珍漢な要求を、学校側にしてしまうので、先生方はあきれています。つまり、今で言う雅子様と学習院みたいな関係です。

 で、学校側は困惑をしているのですが、安野夫人には注意をしません。どうしてかというと、彼女が、通常の意味でのコミュニケーションが取れないほど、勝気な人であることは、誰にでも直感として分かるからでしょう。優雅でしなを作り、若尾文子みたいに振舞う人ですが、何かをすり合わせて妥協点を見つけようとする時には、彼女の方が折れないので、かみ合うべき、端緒が見つからない人なのです。

 で、先生方は一種の鬱憤がたまるので、安野君をペット化したわけです。で、同級生たちも五歳ぐらい下の弟・風に扱っていました。でね、その冠言葉とは、五段階評価で言って、一と二だけだということを示しているから、筑波大学へ途中(高校から)入学できる成績ではないのです。

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 ところで、ここで、安野君自身は、よい子だとお話をしておきましょう。彼は海上保安庁へ就職したので、船の上にいるはずで、自由に帰省をできません。でもね、27歳のときに割りと長い夏休みを取って、帰省をしていました。そのときになんと、我が家に自分のことで謝罪に来てくれたのです。

 うちの子は照れくさかったらしくて、外出してしまいました。が、真実は、中学時転校生特有の、いじめリンチに出会ったらしくて、安野君はそのときの手下として、うちの子へ暴力を振るったのでした。でもね、ちゃんと、謝罪に来てくれるのは、すばらしいことです。海上保安庁に入って、人間として、自信がついて、ご自分で善悪の判断ができるようになったのです。

 しかもそのあとで、ご自宅の屋根の、ペンキ塗り直しをしていました。我が家より、8メートルぐらい低いところにあるので、それがよくみえました。『えらいなあ』と思ったものです。かれの親への感謝の印でしょう。

 ところで、その謝罪時に、何度もこられないからといって、お母さんに我が家にアポを確認に見えたのです。それについては、真実を知った後では『よいお母さんだったなあ。本当のお母さんだ』と感じました。でも、男の子って何も詳しいことを言わないので、私は息子の外出をとめませんでした。安野君は二人でやってきて、あえないことを、ひどく残念がりました。

 この事情の真実は、娘がのちに、結婚前のしずかな二人だけの話し合いのときに、しみじみした雰囲気の中で、ふとという感じで打ち明けてくれたのです。「おにいちゃんは、半そでのワイシャツの下とか、ズボンの中に、すごい怪我をして帰ってきたの。ああいう子たちって、たちが悪いのね。外に見えないところを狙うのよ。でも、おかあさんには、言うな。心配するからと、とめられていたの。それに相手三人を自分ひとりでやっつけて帰ってきたから、その後ではいじめられなかったしね」といってくれたので、事態が、すっかり正しく飲み込めたのでした。これはすべて少年期特有の現象です。

 大原さんに、そのことは感謝しなくては成りませんが、「お宅のお子さん方って、美形ですね』といわれたことがあります。私は顔がよくありませんが、子供たちは雰囲気のよい顔をしているので、それで、転入時に狙われたのでしょう。『人気が出たら大変だから、いま、しばいといてやれ』という発想を、前から住んでいた子が抱いたのです。
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 でもね。私、その菓子折り提出の儀式に対しては、本当に怒りました。アジサイ畑欺もう事件は、藤本夫人に謝罪して、夫人を慰撫すれば起こり得なかった事件なのです。それを中谷氏に話しても、中谷氏は、夫人たちをそういう風には誘導できませんでした。

 『まあ、あの連中は、礼儀知らずで、何にも分かっていないのだから仕方がない。菓子折りを持って謝罪にいくのなどできないのだ』と思っていましたが、この入学祝の菓子折り贈呈式を見せ付けられたあとでは、『なになの、それ。こっちは二千万円を越すかもしれない犠牲を払っているのに。今それをするのなら、二年前のあのころ、どうして、その礼儀が藤本夫人を相手にして、発揮できなかったのですか?』と、思い、怒ったのです。

 しかし、その後、最近になって、国立大学の付属高校の新設が続いていて、やっと真相が分かってきたのでした。当時から、我が家には、室内盗聴が仕掛けられていて、私が何時に外出をするかは、玄関の鍵のしまる音・他で、感知されていた模様です。

 で、タイミングを狙って、あの贈呈が行われ、『安野夫人の方がお前より上だよ』と知らせるのが、この儀式の狙いだったのです。それは、国立大学の付属高校というキーワードで、私がダメージをうけるはずだと見た瀬島龍三の案でしょう。石川和子女史は、伊藤玄二郎から、因果を含められて、この作業を実行したのでした。だから当時から、瀬島龍三の手下として、彼や石川和子が動いていたこととなります。

 そういえば、石川和子女史は、斜め下の、私の方を見ながら発言をしていました。最近まで延々と続く、一連の被害は、この一点に集中していて、常に、私を悲しませ、勇気を失わせようとする方向で、貫かれています。

 で、後で分かったのは、安野君は舞鶴にある海上保安学校へ行ったのです。それは、御両親が見つけた学校だったかも知れませんが、一方で、瀬島龍三が一種の諜略として、見つけてきて、あらゆる便宜を図って可能にした入学だったかも知れません。と思うと、これも、整合性があります。
 今、海猿といって、海上保安庁を舞台にした映画が連続して製作をされています。そして、安野君はそこに勤めているでしょうから、親は、誇りが高いでしょう。となると、『こちらを、へっこませてやるぞ』という、瀬島龍三の考えが、見事に通ったということと、成ります。その当時は、市川に住んでいた井上ひさしが、この原案を作ったとは思えません。

 ところで、付け加えれば、当時は日本は経済が活発で、就職はたくさんあり、収入も将来とも右肩上がりであろうと、みなされていて、それゆえに、みんなが大学進学をしようとしていて、普通高校へ進学することが、優先をされ、そちらが、より普通の進路でした。で、一種の職業高校である、海上保安学校は、今ほどは人気が無かったのです。

 また、たまたま、海上保安大学校が呉にあるので、そちらの評判も耳に入る私ですが、そちらも地元の人には、人気がないとのことです。でも、安野夫人と、石川和子女史は、『最高の学校へ入学できた』と、言う雰囲気で、お互いを祝っていました。その、『私たちは、あんたより、上だよ』というメッセーjの発信は、今でも続いています。

 私がお茶大付属高校の出身であるからこそ、それを誇りとして、威張ることが無いようにするために、全国的に、たくさんの、国立大学付属高校を作って、お茶大付属高校や、筑波大付属高校のエリート性を薄めようとしているのです。

 皆様、ご気分が悪いかも、しれませんが、この山で起きたことが、全国的に敷衍していくという、ひとつの事例として、上のエピソードを上げました。つまり、国家予算は安野夫人と、石川和子女史のプライドを満足させるために、いくらでも拠出されるということです。

 一方で、大相撲が壊滅作戦にあい、その切符を裁いていた、やくざっぽい会社が排除されきって、それゆえに、満員御礼が少なくなったという現象等もあります。そして、それをさらに正当化するために、『やくざは悪い』という大合唱が起きて、鶴岡八幡宮から露店や屋台が一切消えました。一軒だけ、形としては露天商だが、地元の人が、やっているらしい、一筆かきのお店は引き続き出ていますが。

 ともかく、伊藤玄二郎と、それに連なる人たちへの、あまりにも優遇振りが、普通のことといえましょうか。かれが国際的軍産共同体にかわいがられている人間だとしても、八幡宮とか、大相撲という、日本古来の伝統文化さえ、彼一人に左右されている理不尽さを、皆様におしらせしたいです。それを平気なことといえましょうか? 
 無論のこと、私は、「そこまでは、支配はされたくない」と思っています。それに、彼らがそれほど、ひいきされる一方で、私側は、子供を含めて、大変な被害や損害をこうむっています。これを、自分の力では正すことができず、ただ、我慢をしているわけです。

 それをきっと、天は『気の毒だなあ。かわいそうだなあ』と思ってくださり、大銀杏を倒すという形で、まず、鶴岡八幡宮に対して、『伊藤玄二郎(=国際的軍産共同体)の悪い教唆に従わないように』という忠告を下されたのだと思います。

 ただ、今日、このように書くと、今度は、八幡宮様に対しては、別のルート、たとえば、神社庁などを通じて、悪い教唆が入る可能性はつよいです。
 
                      2010年9月24日     雨宮舜
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