銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

柄沢斉、日経新聞連載小説、貝塚あや子、石塚雅彦

2010-09-28 13:15:45 | Weblog
 前報、に続いている文章です。

 鎌倉ドメスティックに集中するか、大原光孝→柄沢斉 のラインに気がついた途端に頭に充満してきた、東京圏、または、日本全国、および、世界中をまたにかけた、国際的軍産共同体の言論弾圧の実態に入るかはなやむところですが、後者に入ります。これには、以前から、気がついていたのですが、どこで、発表するかは決めていなかったことですが、大原さんが猫をいじめるために、サッシをじゃーっとをじゃーっと強く開け閉めしたときに、すべてのパンドラの箱が空き、そして、真実にも到達し始めました。

 今朝、2010年9月28日の朝日新聞朝刊のどこにも、「アラタニス」のアイコンがなかったので、確信を深めました。

 ウエブ上ではまだ、運営をされていますが、紙の新聞の読者にそれを大宣伝する方向は抑えられてきたわけです。私はこれを、激しく批判してきています。産経新聞と毎日新聞の力を弱くする結果になり、言論弾圧の一種として役立つので『悪辣だなあ』と思っています。つまり、戦時中の大政翼賛会に似たものであり、しかも私の文章が真実過ぎる?から、それを弾圧するために、起案されたと感じています。
 で、この頁を管理し、運営するのは若手社員でしょうが、アイデアを出したのがだれかが柄沢斉氏と、大原光孝ラインで、私が月刊ギャラリーの連載をストップされたと推定すれば、解けてくるのです。

 それは、日経新聞元論説委員、石塚雅彦氏であるような気がします。

 石塚さんと、私は袖摺りあうも他生の縁というものがあるので、ここにこういう断言をするのを躊躇していて、この過去一年間、三度ほど、電話をご自宅にかけています。ただし、警戒をされているみたいで電話をおとりにならないです。で、この想像がほぼあたっていると考えるにいたりました。
~~~~~~~~~~

 私を、ノイローゼにして、自滅させて、物をかけなくして、それで、日本全体に、真実が行き渡るのを阻止しようという大きな流れがありますが、それはパソコンへの妨害を、除けば、具体的に人間が動いているのです。

 簡単で下世話な言葉で言えば、いじめるための、役割を果たしている人間の後ろに誰かがいるということです。その人たちが、アイデアを提供しているから、被害がおきるわけです。実際に動いて、いじめてくる大原さんなどより、枢要な人材であります。電車遅延など、すべてこれと関係がありますので、日本全体から見ても、それが大切だとなります。

 でね、その一番目は、瀬島隆三であり、二番目が井上ひさしであり、(この二人は死亡したこととなっていますが、両方とも、私はその記事が出た途端に、偽装だろうと思いました)、三番目が伊藤玄二郎であり、四番目が酒井忠康氏であり、

 五番目が石塚雅彦氏であろうと、今、ここで、結論をつけます。

 これらの名前は、そのアイデアが採用をされた結果、私側の被害が大きくなる順で、並べました。
~~~~~~~~~~~

 とっぴな言論だと言われるといけないので、筋道を立てて、お話をしていきたいと思います。柄沢斉氏は、今をさる3、4年前に大個展が美術館でも開かれ、マスメディア露出が大きかった版画家で、その上等なカタログは、日経新聞のサポートで出版されています。

 また、現在、日経新聞夕刊で連載中の『無花果の花』にも、挿絵をかいていらっしゃるが、そこにも大いなる暗喩が含まれています。ここの欄の小説は、私になんらかのダメージを与えるために、利用をされているのですが、数回前の連載は、諸田紀子さんのもので、美術界が舞台でした。

 そのころ、私は『伝説のプレス』という銀座の画廊街で拾った話を集めた本を企画していたか、すでに出版済みでしたが、

 この本をつぶしてやろうという動きは各方面から重層的に出ていて、『あれ、あれ、こんなに、攻め立てられるのは、自分の本が思いがけず、重要で影響力があるとみなされているのだなあ。私費出版で、しかも自分が出版元だから、小さな仕事なのに、これだけ、警戒されていると、かえって自信を持ってしまうよ』と思ったぐらいなのですが、

 そんな、みなさまにとっては不遜というに等しいことを申し上げるのは、今回の小池百合子さんの作品にも、数回前のその美術界を舞台にした諸田紀子さんの作品にも、『これは、私が知遇をもっている、あの画家だな』と思われる人物が登場するのです。エピソードは小説ですから、まったく変えてありますが、風姿風采、ものの言い方が、そっくりに、実在の人物が採用をされています。

 今回は、舞台は大崖(大垣市か?)です。そこに八重子さんという老女流画家がいます。元は、学校であった建物を改造したアトリエにです。そこに夫から逃亡中のヒロイン、新谷泉がお手伝いとして逃げ込むという設定です。この画家のモデルが、それこそ、私の知り合いである貝塚あや子さんであると思えます。
~~~~~~~~~~~

 ここで、政治評論からは、離れてしまいますが、貝塚さんについてお話をさせてくださいませ。この人と私は1985年ごろから2003年まで上野の都美術館や、横浜関内市民ギャラリーを発表場所とした公募団体展で、薄い縁を結んだわけですが、
 それ以前に、北久里浜で、濃密な関係を結んでいます。で、私の電話が長期にわたり盗聴をされているとすると、この人を重用することが、私を圧迫する意味が出てくるわけなのです。

 どうしてかというと、私が、決定的に彼女を批判をしているからです。だから、敵の敵は味方となって、彼女を高く上げることが、私を憂鬱にさせるのに、有意義だとみなされています。彼女も知り合いたちに、「八重子は私がモデルなのよ」といって、すでに威張っているいるかもしれませんし。
 彼女は中卒でNTTに入り、職場のサークルで絵の才能を磨き上げ、独立という団体と東京と横浜で女性だけの団体に出品をしている人ですが、独身で太っていて、かつ容貌が魁偉な人です。現在80歳前後。で、私から見ると、『余裕がないなあ。いろいろな意味で』と思われる人ですが、その結果、かえって、力強くも、思い込み激しく『ご自分はすばらしい人物だ』と、認識していて、自信満々な人です。その点では迷いが少なくて幸せなひとです。若尾文子みたいに優雅に振舞う安野夫人とは、風姿はまったく違うが、性格的なタイプはおんなじです。

 それだけでも、私としては肌合いが会わないのですが、こどもを貝塚さんのお絵かき教室に通わせているときに、大きな決裂がありました。それを、軍産共同体が盗聴により、つかんでいて、そのエピソードを、ここで、つかってっきていると感じますので、その詳細を述べさせてください。
~~~~~~~~~~~
 真夏の土曜日の午後、私は直径三十センチぐらいの花束を作って、こどもに「先生にあげなさい」と渡しました。花の種類はポピーと、矢車草です。北久里浜の家は、鎌倉の家より日当たりがよいので、花や野菜は育ちました。敷地も60坪あり、トラックで黒土を数台分運んでもらって入れていましたし。

 ポピーはよく、ルドンがパステルで描いた花で、貝塚さんの画風をまだ、知らなかった時代には、画家なら好むだろうと思ってプレゼントとしたわけです。貝塚さんの画風とは、非常に怪異なものです。それが小説『無花果の花』には文章としてよく出ています。

 二時間後、こどもがべそをかきながら、しおれた花を持って帰り、「先生が要らないといった」といいます。びっくりして、家から七分程度離れているお絵かき教室に向かいました。すると、小一のうちの子より、上の年齢の子たちが勉強していましたが、先生が、意地悪にも私に対応をしてくれないので、仕方がなくて、炎天下の外で待っていたわけです。

 二時間近く、そのまま放っておかれたので、仕方がなくて、ずっと、観察することとなりました。すると驚いたことに、先生は子供の絵をすべて、指導して描かせています。「○○ちゃん、そのお袖、お花入れたらかわいいよね」とか。

 黒板には、「交通事故キャンペーン、ポスター、歩道橋を描こう」と文字が書いてあり、子供たちは、まったく同じ構図の絵を描いています。先生が、黒板ではなくて、別の大きな紙に下描きを描いて、「こんな形はどうかなあ?」と指図した可能性すら感じました。

 で、さらに注目をすると、先生はポスター制作組にばかり手をかけていて、反対にまったく省みられていないグループもありました。差別とひいきの現場を見てしまったのです。
 お絵かき教室としては、そこで放ったらかしにしておく方が、よい先生なのですが、その差別を見ているうちに、夏休み前に配られた申込書の意味が歴然としてわかってきたのです。

 ポスターを制作をするか、夏休みの宿題を制作するかを親が選ぶこととなっていました。私は子供といえども競争はよくないと思っている人間なので、宿題の方を選んでいましたが、目の前で展開している上の学年のクラスを、さらに注意深く観察すると、ポスター組は有力者の子供が多いことに気がつきました。

 私はその前に、こどもが450人は通っているマンモス幼稚園のPTA会長をしていたぐらいですから、地域社会では情報通で、『どの家のお母さんがやかましい』とか、『意地悪だ』とか、『難しい』とか、『お父さんがお金がある』とか『ない』とか、『地位がある』とか『ない』とか、ほとんど、全部知っています。先生は、ひいきと差別の極地の人だったのです。処世術というものを身につけている人でした。あとで、思えば、それは、生きるために、仕方がない方法だったのですが、

 私は、そういう態度を忌避すべきものと考えました。でも、念のために、夜電話をかけて「どうして、お花を返されたのですか?」と質問をすると、「私はプレゼントをもらったって、ひいきはできないよ」と怒鳴り返されたので、すぐ子供をやめさせました。小遣いというか、生活費が豊かな家庭で育つと、見返りなんか期待しないで、プレゼントをしたいと思うものです。母もそうでしたが、友達にもそういう人がいます。でもね、先生の解釈は違うわけです。これでは、尊敬も信頼もできませんし、誤解は引き続き生まれるでしょうから、子供がかわいそうです。
 すると、うちの子に倣って、4、5人がすぐやめました。

 先生は、私が根回しか教唆をしたと考えたみたいですが、ぜんぜん違います。子供って賢いです。先生の態度の中にある残虐性を嫌ったのです。それと、うちの子が活発で明るいから土曜日の午後は自由に遊んだほうが楽しいよねということとなったのでしょう。

 で、先生は引っ越していきました。私は、『敵が、目の前から急に消える』という経験は過去に、多く目にしています。だから、石川和子女史が急死しても、驚かなかったわけです。アメリカでも大学院の教授(女性)が嫉妬からか、私を苛め抜きましたが、それを見ていた学生から、うわさが広まったらしくて、次学期、だれも受講をする学生がいなくて、先生の方が大学院をお辞めになったそうです。ま、それは余談として、

 この件を仮名で、一種の教育評論として、かつ、下書きとしてパソコン内で描いています。それをハッキングして、電話盗聴と付き合わせると、モデルが誰のことか、わかるから、貝塚あや子さんが、私の敵の敵として、国際的軍産共同体が、その命運を握っているメディアのひとつである、日経新聞の今回の夕刊連載小説のモデルとして、推薦されたのでしょう。
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 その小池百合子さんに、「そうしたらよいですよ。かくかくしかじかの画家を取材なさいませ」と教えたのは、阿刀田さんか、井上ひさし氏でしょう。阿刀田さんと私との小さな縁が、敵には非常に重要視されているのは、阿刀田さんがテレビに出る時期でわかります。
 ただし、それは、今は、というか、ここでは、完全にオミットします。文章が長くなりますので。

 で、この日経新聞の夕刊小説という舞台が、『例の、川崎千恵子(=雨宮舜)が悲しむはずだ、場面』用舞台として、利用をされているのは、確かですが、その大構造の、アイデアを練ったのが、誰であるかが問題です。

 突然ですが、一年ぐらい前、『石塚雅彦(元論説委員)さんが、重要なエージェントとして機能しているのではないか? 特に、私向けには』と感じ始めました。

 そして、それは、ここに発表する前に、一応確かめてみるべきだと感じました。実は、石塚さんと私との間には、相当な縁があるといってもよいからです。で、過去の一年間に電話を三回かけたとは、すでに、申し上げましたかしら。しかし、通じない。五年ぐらい前までは通じたのに。

 で、それを『一種の肯定(といっても、私が想像したことが正しいということをさします)』の状況証拠のひとつとして、これからその謎解きをさらに進めさせてくださいませ。

 石塚さんは、日吉の小学校の先輩です。また、麻布高校の出身で、弟が麻布を出ていますから、親しみを感じています。その後で、国際キリスト教大学へ進学されて、ラグビー部とアート部に所属をされ、アート部では部長でした。私は三年後入学し、アート部に入ったので、石塚さんとそこで、初めてまみえたわけです。

 その後、同窓会の会長になられたので、なにかの機会に接触があり、「石塚さん、日経新聞では、何を担当なさっているの?」と聞いたら、「文化面の右上の美術のコラムを担当することから始めた」とお答えがありました。これは一種の笑い話というか、意外なエピソードというやつです。石塚さんは経済か、政治担当の記者で、最後は論説委員で終わる人ですから。

 ところが、最近、同じ質問をした時に、「いや、違うよ」と言われたのです。その否定がどうして出てくるかが、わからない。変です。本当はやめたあとでも、実力があり、そこのコラムへ推薦などできるから、一種のプロ化している私から、何かを依頼されたら、大変だと考えて、否定をされたと考えるのが順当でしょう。
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 ここから、膨大なものを書いたのに、今、消されてしまったので、その部分は抜かして、次の傍証へ入ります。

 私が1999年ニューヨークへ渡ったときに、新品のダイナブックが、おかしくなりました。下宿の関係で知り合った人Aさんが「ニューヨーク中で一番頭のよい人だから、あの人に相談したらよいですよ」と紹介してくれたのが、当時テレビ東京ニューヨーク駐在員だった、田中(?)氏です。ちょっと、時間がたっているので、Aさんの個人名も忘れいてるし、田中さんが、正しく田中さんだったかどうかも不確かですが、右手の指一本でパソコンうちをする人で、『さわやかで、かっこよい人だなあ。みんなが慕うのも、無理がない』と思いました。その後ですが、Aさんと、コミュニケーションが取れなくなったのが、まず変です。

 このマイナスの橋渡しが、石塚さんが誰かから、そうするように、頼まれて、田中さんへ電話をかけ、田中さんを通じてAさんとの、絶縁工作が行われた可能性を、今感じています。クリスマスカードさえ交換をしていた、A(鎌倉出身)さんに、付き合わないようにと命令した。これは、まだ100%の確認はできていない話ですから、傍証としての番号を振りつけません。しかし、そういう形で、積み重ねてこられて、私は大勢の友人を失いつつあります。でも、泣いたり嘆いたりはしませんよ。

 ところがそのうちに、そのきわめて優秀な男性、田中さんが、ニューヨークから、リポートを送ってくる人だと気がつきました。画面の後ろで、番組制作をするだけではなくて、画面にも登場したのです。それで、主人に「この人は、ニューヨークで、周りの人に、人気があるのよ」と説明をすると、数日後、田中さんが、画面から、消えてしまったのです。

 これは夫婦の会話を、室内盗聴をされていて、例の『私を悲しませる作戦が、実行をされる』と、ありえる現象です。でも、深い怒りにとらわれます。これって、人権侵害の最たるものです。

 細かいことですが、乱暴にも、なんでも、手当たりしだいに試してみようというのが、彼らのやり口です。この件がおきたころ、まだ、石塚さんは日経新聞に籍があったはずだから、ご自分の影饗は施行できたでしょう。そこが石塚さんの手配かどうかは微妙ですが、国際的軍産共同体は、そう、大勢の人を重要なポジションにはつけないとも、感じています。

 さて、私は銀座こんぱる画廊(今は閉鎖している)という画廊で、1982年にすでに個展をしているのですが、その際に大学の先輩の宮崎明子さんという方が、勝さんという新進のキャスター(またはアナウンサー)と一緒に来てくださったのです。

 当時宮崎さんはテレビ東京のプロデューサーで、大変親切なかたでした。実力満々なのにいばらない。ところが微妙にして、よくわからない感じで、これも音信普通になってしまいました。「これは、普通の感じではないよ」と言う微妙さありました。もしですが、だれか、から、「あいつとは縁を切ったほうがよい」とサジェスチョンをされていたら、あり得る現象でした。この使者に立った人が誰かは、わからないです。ただね。『日経新聞と、テレビ東京は、荒らされやすい田んぼだな。ここでは、頻繁に友達を去らせ、引き離されてしまう』とは、感じました。

 宮崎さんとの縁きりを、実行したのが、石塚さんではないことを切に祈ります。
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 ここでさっき、消えてしまった大量の文章を省略した形で再現をトライしてみます。
大学の時の同期に、水谷綾子さんという女性がいます。お嬢様中のお嬢様ですが、頭がよくて芯が強いので、好きだった人なのですが、これもどうしてか、縁が切れている。

 彼女は日経新聞の外郭団体か子会社に勤めていました。東洋英和卒で青山の豪邸に住んでいる人でしたが、引越しの際に、転居先を教えてくれませんでした。性格から考えるとありえない現象で、誰かが裏にいて、仲を裂いたとしたら、そちらの方が合理的な判断だとなります。
 これに、石塚さんが関与。ないよね。ないことを信じます。

 ところで水谷さんは、最近は、『どかん(愛称)』と親しくしているとの話です。で、どかんこそ、過去数十年、私の友人の中で、もっとも私に頻繁に電話をくれていて、そのことは家族が、「あの人、なれなれしすぎるよ」というほどでした。
 しかし、いまでは、こちらも、疎遠にさせられています。

 この縁切り交渉の間に立つのは石塚さんではなくて、大来三郎元外務大臣の奥様です。大来さんは、御茶ノ水女子大付属高校の先輩であり、その縁は『どかn』とも通じます。それと、大来三郎さんが、大昔、経済安定本部という役所に勤めていた人であり、同じ役所に父がいたことがあって、それをパソコン内メモとして私が書いています。

 いずれにしろ、これが単なる友情の濃い、薄いの問題だけではないことは、例のアジサイ畑欺もう事件に直結するからです。今では、それらの縁切り現象は、瀬島隆三が裏にいて、一種のいじめとして行ったと、私は確信をしているぐらいですが、その鎌倉での事件がおきる5年程度前に、北久里浜で、同じようなしかし、もっと大規模な、地籍変更届けを利用した詐欺事件に出会っていて、そのときに助けてくださったのが、『どかん』のお父様なのです。だから縁切りは、今現在私が出会っている被害から、救済されるために、弁護士に頼めないように、する目的があると考えると、そうかと納得がされてきます。

 そのときに、「あんたは、頭がいいねえ。ちょっと見には弱弱しく見えて、いわゆる典型的な被害者像(すぐさま騙されたり、かもにされたりする人物)かとおもったよ。だけど、違う。大変に頭がよい。この内容証明の書き方は、すばらしい」といってくださったのが、どかんのお父様です。

 ですから、その信用をさらに積み重ねていけば、また、北久里浜の場合と同じく、ここか枕でも、十分に勝てるのです。ただし、アジサイ畑の方は、問題が緩やかで、相手方が頭がよくない。ここが北久里浜と、相当違います。

 北久里浜の方は、相手が、元海軍参謀の益山某(瀬島隆三と親友同士であるという)氏で頭が超いい人だから、かえって、紛争を、法のもとに出しやすいのです。が、こちらは、ばしっとした、その手の処理がとりにくいのです。庶民様が、相手だから、法的にしょりするのが、かえって難しいのです。前田夫人は静岡大学の法学部の出身だそうですが、ご自分は柴犬を二匹、しかも総計10年以上飼っていて、道で人に会えば犬も人も大騒ぎです。でも、私がたった、一、二回、そこから、五メートルぐらい離れたところで、散歩をさせていれば、雨戸をがたがたさせて脅かします。憲法における権利の平等をどう解釈しているのだろう。大学院は法学部ではないと、感じていますが、学部は法学部のはずです。ただ、理性はないと見える。いつも、『ぎゃーっ』という感じがあたりに漂う人です。今度別便で詳しく書きます。

 で、どかんのお父様に、もっていきにくかったのです。『まだ、まだ、いいかな。もっと問題が、明確になる日があるだろう』と思っていたら、その間にお父様が亡くなってしまいました。お父様は東京弁護士会の第二部か、第一部のトップ・役・だったと思います。

 ほーっという感じですが、弟さんが、弁護士になられている。ところが私としては初対面の人ですから、どかんを通さないかぎり接触しにくい。で、どかんと疎遠にされることは、相当なる損害となっている。それを狙って、間を裂かれている。もし、どかんが水谷さんとの交流を機縁に、私を切ってきたのなら、水谷さんの後ろに、石塚さんが控えているかな?

 その次におきょう(杏)さんと言うアイコンがある。このひとについて、さきほど、長々と描いたのだけれど、全部消えてしまいました。そこに大問題がひそんでいるのだと感じます。彼女は外交官の妻だし、毎日新聞出身の大政治評論家『大森実』の秘書(助手)をしながら、アメリカに滞在をしていましたし。というのも彼女は演劇が好きですから、それについて書くとパソコンに大被害が起きる。で、井上ひさしがいきていて、電磁波の、この山に設置してあるだろう増幅器を通して、私のパソコンに損害を与えているのかもしれないと、感じ始めたぐらいです。伊藤玄二郎はパソコンが使えるが、井上ひさしは世代が古いから使えないと考えていたのだけれど、ソフトを開発してもらって、ベニサンピットというキーワード(この劇場は

 だけど、消えたものを同じものと同じものを再び書くもしんどいので、そこを一気に抜かして、次の段階へはいります。

 石塚さんと、私は1990年の初めからICU同窓会展という舞台でつながってきます。そこを考察すると、非常に大きな進歩とレベルで、なぞが解けます。

 今日は何回も消えたので、ここで、一応ですが、終わりとさせてくださいませ。
 この項は『続く』とさせていただきますが、その続きを、明日というか、次回に書けるかどうかは、不明です。では、2010年9月28日
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柄沢斉、、小池百合子、阿刀田高、貝塚あや子、

2010-09-28 11:02:42 | Weblog
この文章と、ほとんど同じものが二時間後に新しくアップされています。そちらにひっこしをしたというわけです。で、そちらのほうをおよみいただくように、よろしくお願いをいたします。

  今日もきわめて政治的な分野に入る文章なので、ツィッター方式で書かせてくださいませ。一万時制限にひっかかるかどうか、また、整理整頓がどうなるかは、今のところ、見極めがないので、更新に気がついた方も、この文章を追いかけず、あとで、午後22時(夜の10時ごろ再び、ここを覗いてやってくださいませ。

 そのころに完成しているかどうかはわかりませんが、読みやすい形にはしておくつもりです。
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 鎌倉ドメスティックに集中するか、大原光孝→柄沢斉 のラインに気がついた途端に頭に充満してきた、東京圏、または、日本全国、および、世界中をまたにかけた、国際的軍産共同体の言論弾圧の実態に入ります。これは、以前から、気がついていたのですが、どこで、発表するかは決めていなかったことですが、

 今朝、2010年9月28日の朝日新聞朝刊のどこにも、「アラタニス」のアイコンがなかったので、確信を深めました。

 ウエブ上ではまだ、運営をされていますが、紙の新聞の読者にそれを大宣伝する方向は抑えられてきたわけです。私はこれを、激しく批判してきています。産経新聞と毎日新聞の力を弱くする結果になり、言論弾圧の一種として役立つので『悪辣だなあ』と思っています。つまり、戦時中の大政翼賛会に似たものであり、しかも私の文章が真実過ぎる?から、それを弾圧するために、起案されたと感じています。
 で、この頁を管理し、運営するのは若手社員でしょうが、アイデアを出したのがだれかが柄沢斉氏と、大原光孝ラインで、私が月刊ギャラリーの連載をストップされたと推定すれば、解けてくるのです。

 それは、日経新聞元論説委員、石塚雅彦氏であるような気がします。

 石塚さんと、私は袖摺りあうも他生の縁というものがあるので、ここにこういう断言をするのを躊躇していて、この過去一年間、三度ほど、電話をご自宅にかけています。ただし、警戒をされているみたいで電話をおとりにならないです。で、この想像がほぼあたっていると考えるにいたりました。
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 私を、ノイローゼにして、自滅させて、物をかけなくして、それで、日本全体に、真実が行き渡るのを阻止しようという大きな流れがありますが、それはパソコンへの妨害を、除けば、具体的に人間が動いているのです。

 簡単で下世話な言葉で言えば、いじめるための、役割を果たしている人間の後ろに誰がいるかということです。その人たちが、アイデアを提供しているから、実際に動いて、いじめてくる大原さんなどより、日本全体から見れば、枢要な人材であります。

 でね、その一番目は、瀬島隆三であり、二番目が井上ひさしであり、(この二人は志望したこととなっていますが、両方とも、私はその記事が出た途端に、偽装だろうと思いました)、三番目が伊藤玄二郎であり、四番目が酒井忠康氏であり、

 五番目が石塚雅彦氏であろうと、今、ここで、結論をつけます。

 これらの名前は、そのアイデアが採用をされ他結果、私側の被害の度合いが大きい順で、並べました。
~~~~~~~~~~~

 とっぴな言論だと言われるといけないので、筋道を立てて、お話をしていきたいと思います。柄沢斉氏は、今3、4年前に美術館で開かれ、マスメディア露出が大きかった版画家で、その上等なカタログは、日経新聞のサポートで出版されています。

 また、現在、夕刊で連載中の『無花果の花』にも大いに、暗喩が含まれています。ここの欄の小説は、私になんらかのダメージを与えるために、相当に利用をされているのですが、数回前の連載は、諸田紀子さんのもので、美術界が舞台でした。

 そのころ、私は伝説のプレスという銀座の画廊街でい拾った話を集めた本を企画していたか、すでに出版済みでしたが、この本をつぶしてやろうという動きは重層的に出ていて、『あれ、あれ、こんなに、攻め立てられるのは、自分の本が思いがけず、重要で影響りょいうがあるとみなされているのだなあ。小さな私費出版で、しかも自分が出版元ですから、本当に小さな仕事なのに、これだけ、警戒されていると、かえって自信を持ってしまうよと思ったのですが、

 そんな、みなさまにとっては不遜というに等しいことを申し上げるのは、今回の小池さんの作品にも前回の諸田さんの作品にも、これは、私が知遇をもっている『あの画家だな』と思われる人物が登場するのです。エピソードは小説ですから、まったく変えてありますが、風姿風采、ものの言い方が、そっくりに採用をされています。

 今回は、舞台は大崖(大垣市か?)です。そこに八重子さんという老女流画家がいて、意ヒロイン、新谷泉はお手伝いとして逃げ込むという設定です。この画家のモデルは貝塚あや子さんでしょう。
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 ここで、政治評論からは、離れてしまいますが、今、頭を占めているエピソードを優先して、貝塚さんについてお話をさせてくださいませ。この人と私は2003年まで上野や、横浜関内を発表場所とした公募団体展で、袖摺り合うも多少の縁を結んだわけですが、
 それ以前に北久里浜で、濃密な関係を結んでいます。で、私の電話が長期にわたり盗聴をされているとすると、この人を重用することが、私を圧迫する意味が出てくるわけです。

 どうしてかというと、私が決定的に批判をしているからです。彼女は中卒でNTTに入り、職場のサークルで絵の才能を磨き上げ、独立という団体と東京と横浜で女性だけの団体に出品をしている人ですが、独身で、かつ一種、タンクみたいに太っていて、かつ容貌が魁偉な人です。現在80歳前後。で、私から見ると、『余裕がないなあ。いろいろな意味で』と思われる人ですが、その結果、かえって、力強くも、思い込みが激しく、『ご自分をすばらしい人物だ』と、認識していて、自信満々な人です。その点では迷いが少なくて幸せなひとです。若尾文子みたいに優雅に振舞う安野夫人とは、風姿はまったく違うが、性格的なタイプはおんなじです。

 それだけでも、私としては肌合いが会わないのですが、こどもを貝塚さんのお絵かき教室に通わせているときに大きな決裂がありました。それを、軍産共同体が盗聴により、つかんでいて、それを、私をいじめるために彼女をここで、つかってっきていると感じますので、その詳細を述べさせてください。

 真夏の土曜日の午後、私は直径三十センチぐらいの花束を作って、こどもに「先生にあげなさい」と渡しました。花の種類はポピーと、矢車草です。北久里浜の家は、鎌倉の家より日当たりがよいので、花や野菜は育ちました。敷地も60坪あり、トラックで黒土を数台分運んでもらって入れていましたし。

 ポピーはよくルドンがパステルで描いた花で、貝塚さんの画風をまだ、知らなかった時代には、画家なら好むだろうと思ってプレゼントとしたわけです。貝塚さんの画風とは、非常に怪異なものです。それが小説『無花果の花』には文章としてよく出ています。

 二時間後、こどもがべそをかきながら、しおれた花を持って帰り、「先生が要らない」といった」といいます。びっくりして、家から5分程度離れているお絵かき教室に向かいました。すると、小一のうちの子より、上の子たちが勉強していましたが、先生が、私に対応をしてくれないので、仕方がなくて、炎天下の外で待っているわけです。

 二時間近く、そのまま放っておかれたので、仕方がなくて、ずっと、観察することとなりました。すると驚いたことに、先生は子供の絵をすべて、指導して描かせています。「○○ちゃん、そのお袖、お花入れたらかわいいよね」とか。

 黒板には、「交通事故キャンペーン、ポスター、歩道橋を描こう」と文字が書いてあり、子供たちは、まったく同じ構図の絵を描いています。先生が、黒板ではなくて、別の大きな紙に下描きを描いて、「こんな形はどうかなあ?」と指図した可能性すら感じました。

 で、さらに注目をすると、先生はポスター組みにばかり手をかけていて、まったく省みられていないグループもありました。お絵かき教室としては、放ったらかしにされているほうが、実はベストなのですが、その差別を見ているうちに、夏休み前に配られた申込書の意味が歴然としてわかってきたのです。

 ポスターを制作をするか、夏休みの宿題を制作するかを親が選ぶこととなっていました。私は子供といえども競争はよくないと思っている人間なので、宿題の方を選んでいましたが、目の前で展開している上の学年のクラスを注意深く観察すると、ポスター組みは有力者の子供が多いことに気がつきました。

 私はその前に、こどもが450任は通っているマンモス幼稚園のPTA会長をしたぐらいですから、地域社会では情報通で、どの家のお母さんがやかましいとか、意地悪だとか、難しいとか、お父さんがお金があるとかないとか、地位があるとかないとか、ほとんど、全部知っています。先生は、ひいきと差別の極地の人だったのです。処世術というものを身につけている人でした。あとで、思えば、それは、生きるために仕方がない方法だったのですが、
 私は、そういう態度を忌避すべきものと考えました。でも、念のために、夜電話をかけて「どうして、お花を返されたのですか?」と質問をすると、「私はプレゼントをもらったって、ひいきはできないよ」と怒鳴り返されたので、すぐ子供をやめさせました。豊かな家庭で育つと、見返りなんか期待しないで、プレゼントをしたいと思うものです。母もそうでしたが、友達にもそういう人がいます。でもね、先生の解釈は違うわけです。これでは、尊敬も信頼もできません。
 すると、うちの子に倣って、4、5人がやめました。

 先生は、私が根回しか教唆をしたと考えたみたいですが、ぜんぜん違います。子供って賢いです。先生の態度の中にある残虐性を嫌ったのです。それと、うちの子が活発で明るいから土曜日の午後は自由に遊んだほうが楽しいよねということとなったのでしょう。

 この件を仮名で、一種の教育評論として、下書きとしてパソコン内で描いています。それを電話盗聴と付き合わせると誰のことか、わかるから、貝塚あや子さんが、モデルとして、取材をされたのでしょう。
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 その小池さんに、そうしたらよいですよ」と教えたのは、阿刀田さんか、井上ひさし氏でしょう。ここで阿刀田さんと私との小さな縁が、敵には非常に重要視されているのは、阿刀田さんがテレビに出る時期でわかります。

 ただし、それは、
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